2011/01/01

2010年映画の旅

特選の11本
   第9地区 トロン・レガシー3D インセプション トイ・ストーリー33D コララインとボタンの魔 
   女 3Dヒックとドラゴン3D 告白 十三人の刺客 ハリーポッターと死の秘宝 怪盗グルーの 
   月泥棒3D 悪人 

「第9地区」は宇宙人の脅威を難民問題として展開したアイディアの斬新さに痺れた。ビジュアルも見事で、シチュエーションの設定、キャラの造形、ストーリー展開どこも隙のない文句なしの傑作。アカデミー賞の作品賞は「ハートロッカー」より「アバター」か「第9地区」だったと思った。 
蛇足だが、「ハートロッカー」は「ディア・ハンター」がヴェトナム戦で描いたテーマをイランイラク戦的に見せた2番煎じで、年間を代表する面白さはなかった。爆弾処理の緊張感より砂漠でのスナイパー合戦が実に良かった。 

「インセプション」はビジュアルとストーリーの融合が映画ならではの面白さ。 
「アバター」が極彩色の魅力なら「トロン」は正反対のダークなモノトーンの魅力。 

3D作品が毎月のように公開された今年。13本15回3Dを観た。今後も3D作品は増加の一途をたどるだろうし、本数が増えれば質の低下も当然免れないだろう。などと心配になるぐらい、今年の3Dで公開されたCGアニメはどれも優れた作品だった。トイ・ストーリー3、ヒックとドラゴン怪盗グルーの月泥棒3Dは王道を往く秀作で大人は泣けるし子供にも安心して見せられるが、コララインとボタンの魔女 3Dはお話にもビジュアルにも毒が効いて、そこが魅力だが、子供によっては悪夢に苛まれるかも。

「告白」はポップな感覚に日本人離れしたスケールを見せる監督が、その得意技を封じ抑制に徹した表現で描いた「今」。話題のベストセラーへの意欲的かつ挑戦的なアプローチが印象的だった。木村佳乃に助演女優賞を。また勘違いの熱血教師を演じた岡田将生は、「悪人」でも最悪のキャラクターを演じ、人気のイケメンにもかかわらず、こんな嫌なキャラをよく演じているもんだと印象に残った。2本併せて助演男優賞を。 

「十三人の刺客」は忠臣蔵と七人の侍を一緒くたにした強欲さに、三池がかますお得意のハッタリがジャストフィット。設定やアクションの展開にカッコ悪いところもあるが、稲垣吾郎ちゃんの極悪振りの意外性と説得力も牽引力を持った。重量感と豪快さで見せる快作。 

「悪人」で印象的だったのは、海の見える部屋に住んで妻夫木を羨ましがる深津絵里に、海があるから何処にも行けないと妻夫木が忌々しそうに応える。妻夫木には「山のあなたの空遠くに幸い住むという感覚はない。深津もまた、高校出て今の会社に就職し今日までずっと同じ国道沿いから離れたことがないと共感を深める。手詰まりで行き場が見えない毎日。リアルなフロンチィアが消失した現代社会を覆う閉塞感。そこに唯一風穴を開けるのが携帯であり、出会い系サイトこそ未知への冒険をお手軽に提供してくれる場だと知れる。さらに印象的なのは妻夫木の回想に、姿造りされたイカ刺しの目玉の大クローズアップから入ること。海辺の食堂でイカ刺しを前に過去をカミングアウトする妻夫木に出会い系で出会った二人の関係がバーチャルからリアルへと移行し始める。その重要なシーンを携帯に対するイカの目玉という意表を突くイメージを用いたところに、原作に対する映画人の意気込みみたいなものが感じられるような気がした。これは深津絵里がモントリオール映画祭の主演女優賞の受賞が話題だったが、柄本明、樹木希林、松尾スズキ、でんでん等の実力、魅力が画面全体をがっちりと支えている。灯台と海の映像の美しさもフランス映画の様な味わいが印象的だった。 

「ハリーポッターと死の秘宝」ハリーにはオーラが無くなったかわりにロンがいい男に成長し、ハーマイオニーの魅力が増した。従来のパターンを全て廃した展開で、大好きなアラン・リックマンも顔を見せただけであったにも関わらず、カメラも美しく今までで一番面白かった。 



脱力の5本 
   時をかける少女 パーシージャクソン ロストクライム sbsヤマト SP 野望篇 

公開時に見逃した作品も半年後にはDVD化されレンタル店の棚に並ぶ。言い換えれば、公開時に見逃すとその後スクリーンで観ることは叶わない。なのでなるべく映画館で観ているが、まあ、普通に面白ければ文句はないが、時間と金の無駄な作品にも当然出会う確率も増す。「時をかける少女」 「ロストクライム」 「パーシージャクソン」の3本はそんな感じ。SPはTVシリーズに夢中になった。しかし、映画化は脚本がタコで岡田君の体を張ったアクションも空回り。期待してた分失望感が増した。「ヤマト」には期待はなかったから、ギャラクティカやスタトレをパクったビジュアルなどは許容できたが、狭い艦橋の沖田艦長がスパイラルコードのマイクを手に艦内放送したり、乗組員のコンソールはデッカイキーボードだったりで、ワープ航法や波動砲を実現する科学力が微塵も感じられないのは黒木メイサちゃんの魅力をもってしてもSFとして許しがたい。 




2010年劇場で観た映画1 アバターImax3D 母なる証明 サロゲート アルビン号の冒険3D 
2 ラブリーボーンインビクタスDrパルナッソスコララインとボタンの魔女 3Dパーシージャクソン 
3 シャーロック・ホームズドラゴンタトゥーの女時をかける少女ナインダレンシャンハートロッカー 
4 タイタンの戦い3D アリス・イン・ワンダーランド3D シャッターアイランド 第9地区 
5 グリーンゾーン 
6 告白 プリンス・オブ・ペルシャ アイアンマン2 
7 ロストクライム必死剣鳥刺しプレデターズエアベンダー3Dザ・ウオーカーアデル トイ・ストーリー33D 借りぐらしのアリエッティ 
8 ソルト 魔法使いの弟子 インセプション ヒックとドラゴン3D 特攻野郎Aチーム 
9 バイオハザードⅣ3D 悪人 十三人の刺客 
10 ガフールの伝説 3D エクスペンタブルズ ナイトメア・ビフォア・クリスマス3D SP 野望篇 
11 怪盗グルーの月泥棒3D ハリーポッターと死の秘宝 トワイライト・エクリプス 
12 sbsヤマト ロビン・フッド トロン・レガシーImax3D ノルウェイの森

2010/12/26

ノルウェイの森

村上作品の中で最も映画向きなのは「羊をめぐる冒険」で次に「ダンス・ダンス・ダンス」だと思う。「ノルウェイの森」は洗練された変化球を得意とする村上にしては珍しい真っ直ぐな球筋の、言ってみれば肉を斬らせて骨を断つ類の作品だから、おされな映画の原作には最も向いていないように思うが、それはともかく、村上の長編が映画化されるなんてことは予想だにしてなかったから、今回の映画化が報じられた時には結構驚いた。松山ケンイチと菊池凛子というキャスティングには違和感を覚えつつ、フランス人監督が料理するという意外性が作品にどんな作用を及ぼすかってことには興味がわいた。

あれから幾星霜、めでたく完成公開なった作品を観に行ったのである。原作に思い入れがある分、カンヌで好評なんて記事に期待感そそられたりもする一方で、がっかりしたくないもんだから、多分駄目で当然であらうなどと予防線を張り巡らしたり。歳はとってもファン心理というのはやっかいである。 

こんな気分で見始めたら、案に相違して松山ケンイチなかなか良いのである。懸念していた菊池凛子も全然悪くないのである。むしろ良いのである。自死した男の恋人と親友とが取り残された故の理解と共感を深めていく前半の静けさと美しさが特に良い。水原希子もピュアな様子が自然なのだ。うれしい誤算。やっぱり予断偏見を覆して貰えるのはいい気持ちだ。 

ところが、悲劇性を深めていく後半になると、何と言うか、ワタナベの精神性に深みが感じられなくなっていくのである。海辺の慟哭からアパートでの同衾以降は、それこそワタナベという存在の核心が描かれるのだが、何と言うか、それがセンチメンタルなだけで説得力に乏しいのである。最後の台詞なども原作に忠実なのに、妙に安定感があって切実さの質がどうも違う。結局、森の外縁部を逍遥するにとどまり、森の奥まで踏み込んでいないもどかしさがある。 

そんなわけで、「ノルウェイの森」は丁寧に作られ、原作の静けさ美しさをよく反映した見栄えのよい恋愛映画になってはいる。糸井重里、 細野晴臣、高橋幸宏のゲスト出演なども、オシャレでスノビッシュな雰囲気作りに寄与してはいるのだろうが、それが作品のプラスになっているかと言えばそんなことはなく、むしろこの作品の限界を象徴しているように見えるのだった。 

自分ではちゃんと道筋をたどっていたつもりのワタナベが、知らぬ間に森の深奥部にさまよい、気がつくと自分が何処に向かっていたのか、ここがどこなのか、確かな手がかりなど何も無いまま、いつまでも途方にくれている。その途方にくれている感の希薄さが残念なのである。 
自分好みにキャスティングするなら、ナオコとミドリは水原希子と菊地凛子を逆にし、キズキは加瀬亮、永沢はARATAに配したい。

2010/12/23

ロビン・フッド

監督リドリー・スコットの脚本はブライアン・ヘルゲランドでラッセル・クロウにケイト・ブランシェットさらにはマックス・フォン・シドーまで出るとなればこりゃ期待値高止まりで観るっきゃないのである。

立派な王様の跡継ぎが馬鹿だったもんで大変な国難を招いたイングランド。ひょんなことから地位と名誉を得たロビンがキング牧師もかくやの名演説で諸侯を束ねて立ち上がり救国の一戦に勝利する。しかし・・・。というロビン・フッドの大活躍を描いた歴史絵巻。

全体に「グラディエーター」と「キングダム・オブ・ヘブン」を足して2で割ったような感じだが、いわゆるシャーウッドの森の主になる前を描いている点でロビンものとしての新機軸を打ち出している。ヘルゲランドは後に名を上げるリトル・ジョン等森の仲間達とロビンとの邂逅も自然に取り込んでそつがない。

ラッセル・クロウはリドリー・スコットに演出されると実に伸びのびとして大きく安定感もあり凄くいい。ケイト・ブランシェットは聡明でできる女の魅力発散しラッセル・クロウの存在感に拮抗というか、むしろ凌ぐ佇まい。

対するは「シャーロック・ホームズ」で神秘性を帯びた悪党の怪演が印象的だったマーク・ストロング。あの謎めいたキャラに比べると今回の悪役は若干弱かったのだが、そこは見事な死に様で喜ばせてくれるなどイイ仕事ぶり。名前までもカッコいいマーク・ストロングなのである。

イマジネーションの豊かさと絵作りの確かさ。リドリー・スコットならではの見事なシーンが目に快い。史実に則ったようなリアルさで上質のヒロイック・ファンタジーをしっかり楽しませてくれる。編集の切れ味で見せるダイナミックで迫真的な戦闘シーンなど、まさにハラハラドキドキを煽るために観客の呼吸まで自在にコントロールしてしまう匠の技なのである。フランス軍の上陸用舟艇や海岸の攻防がどんだけオマハ・ビーチのプライベート・ライアンかって事だって、類まれな監督のサービス精神が気合充分なハッタリとなって炸裂した結果なのだし、当然、大上段の素晴らしいメッセージをもしっかり支えきっている。

2010/12/22

トロン・レガシー

コンピューター内での様々なプログラムの活動を視覚化した世界。前作から20年経過したトロン界のダークにしてシャープな造形美を最新の3Dデジタル技術が描き出す。かぶさる曲がまた絵にぴったり。音楽はダフト・パンクという有名なグループらしいが、実に雰囲気を盛り上げる。

電脳界に先住民族がいて、いまや絶滅危惧種となっているという凄い話は気になったが、お姉さん型プログラムの曲線やライトサイクルの光跡など、トロン界の美しさと3D感は見応え充分。これらビジュアルの新鮮さに比べ、お話の方は父子の絆と子の自立という、最新の電脳界問題とも思えぬ古典的というか見慣れたテーマで、これを一本線の流れで、豊富な刺激とテンポの良さで語っていく。分かりやすいし飽きずに観ることができる。ここらあたり、新しさを装いながらも万人向けファミリー映画の覇者ディズニー印として枠をはずさぬ品質管理がしっかりなされているようだ。そんなところにちょいと物足りなさを覚えつつ、でも視聴覚を快の刺激で満たしてくれるアトラクションムービーとして良く出来ており、imaxシアターに出かけた労に報いてくれる映像だった。

2010/10/05

日本人のへそ

ヒッチコック、トラヒゲ、ケペル先生と言えば熊倉一雄だ。ユーモラスな吹き替えはテレビの創世記から馴染み深い。その昔、熊倉がひょうたん島の海賊だった頃、面白い台本を書く作者を見込んで芝居の執筆を依頼して作られた作品が「日本人のへそ」。この公演が評判を呼び、さらに作者は熊倉に5本の芝居を書き下ろし、それらも全て大ヒット。新進の劇作家としてあまりに鮮やかなスタートダッシュを見せ、他の追随を許さぬキャリアを築き上げていった井上ひさし。
熊倉が自分が目の黒いうちに再演したいと、41年ぶりの上演を計画したところ、井上の急逝によって追悼公演になってしまったという「日本人のへそ」。チケの発売日をうっかり忘れ、気がついたら完売でガックリ。しかし10月4日の追加公演分を確保でき、テアトル・エコー「日本人のへそ」千秋楽に行くことができた。

演劇を使った吃音治療法に臨む患者たちが、集団就職からストリッパーへと転じていく女性の一代記を演じる中から、猥雑で純情な人間達や時代の相が浮かび上がってくる。女優さんが皆さん溌剌としていて好感。男優達は適度にエロでしたたかで抜け加減もよい。ストリッパーを演ずるヒロインはステージの芯となる魅力を発揮し大変よろしかった。

処女作には作家の全てが詰まっていると言われるが、劇作も例外ではないのだろう。笑わせられながらも考えさせられる井上の特徴そのままに、軽快なテンポと動きで大いに笑わせながら、殺人事件から推理劇へと転じ、後半は一挙に緊張感が高まる。緊張感が高まるほどに緩和の効果も絶大となるわけで、意表を突く仕掛けと展開でドッカーンとドッカーンと落としてくれるクライマックスのどんでん返しはディーヴァーにも引けを取らないスケールで面白さも抜群。

若き井上の躍動感溢れるエネルギッシュでパワフルなステージに、動き、しゃべり、踊る熊倉一雄。何より生の熊倉一雄を間近に観ることができたこと。ホント良かった。

2010/08/03

インセプション

今どき夢オチなんぞは歓迎されないが、そうではなく、夢の中で情報工作をするというのがキモなのである。被害者は、巧妙に創りこまれた夢の中に導びかれ、そうとは知らぬうちに脳内の重大な情報を抜き取られてしまうのである。その抜き取り名人デュカプリオが引き受けた前代未聞の植え付け工作。デュカプリオはこのプロジェクトに向け、腕に覚えの精鋭をかき集め最高のチームを編成し、準備万端、水も漏らさぬ計画を実行に移すのであった。というクリストファー・ノーランの新作。

全人格的に精査された標的を完璧に構築された夢に迎え入れて、一大冒険アクションでペテンにかける。夢の世界は、階層が深まるほどに時間の流れが異なるとか、覚醒の手立てとかの法則に支配されている。それ自体がとても手の込んだ植え付け計画が、法則の影響を受けて更に複雑で厄介な流れに変化していく。お話は基本的に「スパイ大作戦」なのだが、デュカプリオの愛情問題がもう一つの重要な要素を構成し、更にカカシ男の父子の相剋問題等が加わってスリル、サスペンスの高まりにも文芸的な味わいを高めるべく配慮がなされている。

しかしながら、カカシ男のぼうはうまく収まっているのに反し、夫婦間のトラウマ引きずったデュカプリオが、あろうことかイマジネーション溢れたアクションシーンの流れを断ち切るのである。これが玉に瑕。夫婦愛に溢れた切ない展開だし、マリオン・コティヤールも相変わらず魅力的ではあけれど、ハラハラドキドキしている時にデュカプリオの逡巡が状況を悪くするのである。これはプロとしてもカッコ悪く、イラッとさせられるのである。高度にテクニカルなスパイ大作戦が進行し、まさにクライマックスを迎えたと思ったら、フェルプス君がいきなり下手をうって、しかもフリーズしてしまう。例えば「七人の侍」のクライマックスで志村喬が急に戦意喪失してしまうなんてのはあり得ないわけで、こうしたスリル・サスペンスの盛り上げ方ははなはだ心外であり、チームリーダーのデュカプリオ君には猛省を促したく思った。その分サブのジョセフ・ゴードン・ビレットが断然カッコよく見えたりする。

同じ悩むにしても、仮面と正義の狭間で自己同一性に苦しんだバットマンには、ジョーカーとい分身なればこその葛藤からアクションを孕んだドラマも生まれたが、訳あり夫婦の感情のあれこれをアクションと並列で描くというのは、アイディアは面白いかも知れんが流れを阻害する割に説得力が無かった。

そもそも、「レボルーショナリー・ロード」「シャッター・アイランド」「インセプション」とデュカプリオは近作全てで奥さんとうまくいってないのである。うまく行かないというより、3作とも、思いっきり不幸に突き進んでいく奥さんの旦那という神経症な役回りなのである。こんな役ばかりやってるから眉間のシワが益々深いわけで、たまにはコメディとかやればと思う。やはり、タイタニックでノミネートもされなかったのがトラウマになっているのであろう。

それはともかく、不思議なイメージ満載の独創的なビジュアルや幻惑的なアクションはなど、意表をつく映像は、まさに映画ならでは魅力と楽しさに溢れて大した見応えなのである。いや実に素晴らしい。

良く考えてみれば、夢の中で秘密を盗むというのはかなり効率が悪いやり方なのである。これがKGBやらCIAなどの国家権力だったら、強力自白剤の大量投与で簡単にケリをつけるところだろう。民間はそんな乱暴より洗練されたエレガントな手口を大事にするものなのだな。

マイケル・ケインがデュカプリオを優しく迎える場面からは、クリストファー・ノーランがこのメンツでバットマンを撮りたい気持ちが強く感じられる気がしたのである。

2010/04/12

「組曲虐殺」は良かった。

ここ数年、ステージの面白さに目覚めたにわか演劇ファンとして、井上ひさしは一般常識として押さえておきたい、といった浅薄な思いから「薮原検校」と[ロマンス」を観たのが2007年だった。翌年には「道元の冒険」と「表裏源内蛙合戦」の豪速球に圧倒された。さらに林芙美子を描いた「太鼓叩いて笛吹いて」、昨年の小林多喜二を描いた「組曲虐殺」と観てきた。どの舞台も素晴らしかったが、中でも「道元」「源内」「虐殺」の3作は、巧妙な作劇と絶妙なユーモアとで人の何たるかが鮮烈に描き出され、深く感動した。それまで、井上ひさしの小説もまともに読んだことは無かった。ひょうたん島やてんぷくトリオの座付き作者としての仕事は知っていたから、小説やステージも分かったような気持ちで予断、偏見のかたまりになっていたのだと思う。ところが、短期間のそれも僅か数本の観劇だったが、舞台を観れば観るほど井上ひさしという人の偉大さを実感させられた。見事な仕事。見事な生き方。最も信頼にたる日本人の一人だったとも思う。ご冥福を祈らずにはおれない。

2010/02/11

3時10分、決断のとき


妻には苦労をかけるばかり子どもたちの期待にも応えられない不甲斐なさに為す術もないクリスチャン・ベールは、借金返済のために強盗団の首領ラッセル・クロウの護送任務に加わる。首領を奪回しようと待ち伏せる強盗団やアパッチの脅威に晒されながら、タイムリミットに向けて男たちの怒りが爆発する。エルモア・レナードの短編が原作で、50年代に映画化されている。どちらも未見。

昨年の公開だが製作は3年前。同じく昨年公開の「消されたヘッドライン」では体ブクブク顔パンパンの過度な肥満体だったラッセル・クロウも、この頃はまだ単に肥満傾向だったとよくわかる。この肥満が悪のカリスマ振りに程良く映えてメッチャクチャに格好いいのである。ラッセル・クロウ演ずる強盗団の首領は知性的で非情で愛嬌があって狂気に触れているという複雑なキャラクター。儲け役としか言いようがないくらいにこれをスケール大きく演じて滅法魅力的だ。対するクリスチャン・ベールはヘタレ感の漂う実直な家族持ちのカウボーイという地味な役どころを焦燥感滲ませながらしっかり見せてくれる。ラッセル・クロウ逮捕に執念を燃やす老探偵のピーター・フォンダの硬質なキャラもとても良い。ボス想いの強盗団NO.2の一途さも泣かせるだ。どのキャラもしっかり立っているからそれぞれの行動に納得でき、ゴールに向けて面白さが定位した。

男達の自立の物語であり子供の成長譚としても胸を打つお話になっている。ショボイ父親と輝かしいアウトローを見つめた子供の目線に立てば、あの「シェーン」アラン・ラッドに比肩するラッセル・クロウのガンファイトなのである。前作「ウォーク・ザ・ライン」も男臭さが匂い立つ良い作品だったがジェームズ・マンゴールド男を描いてとても良いのである。

DVD レンタル


原題:3:10 to Yuma
監督:ジェームズ・マンゴールド
製作:キャシー・コンラッド
原作:エルモア・レナード
脚本:ハルステッド・ウェルズ、マイケル・ブランド、デレク・ハース
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽:マルコ・ベルトラミ
製作国:2007年アメリカ映画
上映時間:2時間2分
ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベール、ピーター・フォンダ、
グレッチェン・モル、ベン・フォスター、ダラス・ロバーツ、

2010/02/07

Dr.パルナサスの鏡


人の欲望を映し出す不思議な鏡が呼び物のパルナサス一座は貧しくも楽しい巡業の日々を送っていた。悪魔と取引した博士は目前に迫った返済期限にも為す術がない。このままでは悪魔の取り立てに屈し、最愛の娘を奪われてしまう。そんな時に転がり込んできた謎めいた男が、思いがけずに突破口を開いてくれる。

テリー・ギリアム一流のファンタジックな、というよりグロテスクな極彩色のイメージが次々と繰り出される中、貴族的な風貌と存在感が魅力のクリストファー・プラマーが狡猾でユーモラスなパルナサス博士を思い切った汚れ役で楽しそうに演じ、悪魔に狙われた娘リリー・コールが強烈なフェロモンを発散し、ヒース・レジャーが更なるいかがわしさを加えて、確かにこの猥雑さエロティシズムはギリアム印だ。しかし全体は案外上品で大人しくインパクトに欠けた。もし自分の欲望があの鏡に反映されたらと考る方がよほどのインパクトだが、それはともかく、クリストファー・プラマーと悪魔トム・ウェィツのやりとりには愛嬌があり、そこからはこれまでにない寂寥の気配が漂ってこれは悪くなかった。

ヒース・レジャーの死後、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が演じ分けたパートは思いのほか長く、これでよく完成させられたものと感心したが、3人が入れ替わる設定によって一応の繋がりは見せているものの、やはり唐突さは免れない展開で、流れから見ていかにもすわりの悪さが気になった。これがヒース・レジャーだけで完成していたら、味わいは随分異なっていたのだろうと思った。興行的には女性客の動員につながったようで、客席ほとんどが女性で埋まった光景はテリー・ギリアムではない感じだった。

2010/02/06

インビクタス


反アパルトヘイトの活動家として30年近く獄につながれていたマンデラが、新大統領として官邸に入った朝、新政権の黒人職員達は士気高揚とし、旧政権を支えた白人職員達は馘首を覚悟し戦々恐々としている。職員を一同に集め、マンデラは色の違いを越えて国の為に働いて欲しいと説く。

アパルトヘイトから民主国家へと定めた進路が、新たな人種間の対立と憎悪を生み出しかねない困難な状況にネルソン・マンデラはどう向き合い、自らの国家観にしたがって、どのように国を導いていったか。護衛官達をはじめ側近やラグビーチームなど大統領を取り巻く人々との関係を通して洞察とコミュニケーションの能力に優れたマンデラの人となりを丹念に拾い上げ、状況の変化も鮮やかに、国をひとつにしようと苦慮する男の肖像が描きだされる。
マンデラの人間性をモーガン・フリーマンが余す所なく伝えてくれているようだ。出演者は皆自然なキャラクターを感じさせて素晴らしい。何より、大きな構えの内に繊細さと簡潔さで迫る映像。イーストウッドの語り口に同化する至福。

本でも映画でも、まあ娯楽作品においては、状況の打開や、問題解決のために最も多用される手段は暴力だ。正義が悪を叩き潰すカッコいいヒーロの姿に慣れ親しみ楽しんできた。これからもそうしたカッコ良さを楽しむだろう。クリント・イーストウッドもそのようなフィールドでキャリアを重ねてきたわけだが、グラン・トリノを越えて、このように問題解決を暴力に委ねない極めて稀な作品を放ってくるというのは凄いことだ。今まで見てきた誰にもまして、モーガン・フリーマンのマンデラはカッコいい。そのかっこよさに何故か泣けてしまい前半は殆ど泣きながら観ていた。映画で泣くことはあっても大概数秒で押さえ込めるのに、こんなにダラダラと泣かされ続けた映画は始めて。年取ったせいかも知れないが、マンデラのことも勉強する。