駅伝復路の応援して平塚駅。ホームで上りの電車を待つ。普段の休みより人が多いが列の前だし席には座れるはずだったが、列車到着とは反対側のホームに立っていたことに気がつかず、席にはありつけなかった。実に間抜けだ。
結局下車駅まで立ちっぱなしで実に疲れた。
浜松町下車、劇団四季秋劇場の「ウェストサイド物語」を観る。
序曲が終わり、ジェツとシャークスの群舞が始まる。ローバート・ワイズの映画版を彷彿とさせる。というのは順序が逆だが、映画化作品に刷り込みされた世代だからしょうがない。ジェッツのリーダーはいかにもラス・タンブリンだし、あの背の高いのは明らかにタッカー・スミス。しかも、シャークスのベルナルドなど体形から身のこなしまでジョージ・チャキリス以外の何者でもない。というハイレベルなそっくりさんたち。その他も主要なキャラはみんな映画のコピーなのだ。オリジナルの振付けを再現しているという四季のステージだが、オリジナルの尊重がこのそっくりショーなのかよく分からない。
それはともかく、ダンスはキレがあり、歌唱は伸びがあり、ミュージカル場面はテンポよく迫力もある。しかし、普通の台詞は滑舌も口跡もしっかりして聞き取り易いが、何と言うか、高校演劇部の発声練習のようだ。生活感もなく個性的でもない。では、この統一感が四季という劇団の色合いなのかと思った。
高架道路の下の決闘を止めろとマリアに頼まれたトニーの仲裁にもかかわらず、リフは殺され、逆上したトニーがベルナルドを刺し殺す。現場から逃げたトニーはマリアの部屋に匿われ、そこで二人は結ばれる。映画ではベッドに横たわる二人を暗示的に映し、その後マリアを訪ねて来たアニタがそれを見とがめるという流れだったが、オリジナルのステージでは、ベッドに入る前の二人が、真っ白な空間で幾組かのカップルとともにロマンティックなダンスを繰り広げる場面が幻想として挿入されていた。とても美しいシーンで驚いた。9.11以降も色あせることなく、むしろこの作品に一層の輝きを添えているシーンではなかろうか。
それにしても、マリアというのは危険だ。マリアがトニーに決闘をやめさせるように頼まなければ、リフもベルナルドも死なずに済んでいたかも知れない。マリアがアニタにトニーへの伝言を頼まなければ、トニーが死ぬことも無かったかも知れない。しかるにマリアは、最愛の兄と恋人を一瞬のうちに失った悲劇的かつイノセントなヒロインとして退場する。ウエストサイド物語から、無垢なものは時に残酷で恐ろしいなんぞの教訓を汲み取るのは筋違いだが、そんなふうに感じさせるくらいのファムファタール振りをマリアは示している。今は無き丸の内ピカデリーで見て以来何度も繰り返し見た大好きな作品だが、
そんわけでナタリー・ウッドは好きになったことがない。