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2008/04/25

ニシノユキヒコの恋と冒険

ニシノユキヒコの女性遍歴を追った連作短編集。
という体裁だが、それでは中身とかけ離れすぎ。様々な女性からいたぶられるニシノユキヒコの肖像、正確とは言えないがこの方が近い。川上弘美は凄い。異界へと開かれた回路を自由に往来し、この世ならざるものと交感する。ほとんどの場合、潜在的か露呈しているかの違いはあるが、それは本質的な怖さをはらんでいる。

ニシノユキヒコはきれいな男である。優しくて自分勝手。繊細で大胆。パワフルでどん欲。自分が欲しかったのはこれだと女性に思わせるような男。だが永遠の愛は誓えない。それゆえ別れは常に女性から。なので女性遍歴を重ねるように見えるが、必ずしもニシノユキヒコの望んだことではない。もててもニシノは可哀相な男なのである。もててももてなくても、結局男は可哀相なのである。女は怖いのである。誰でも知ってることなのである。

女の怖さはいろいろに描かれるが、こんなに静かに積み上げられた優しい残酷の切なく美しい形に、川上弘美の凄さも怖さもしっかり刻み込まれている。そんな、ニシノユキヒコの愛の姿を語り継ぐ女性達の独白を読み進むうちに、これは川上弘美の「裏・源氏物語」だったかと思えるほど、二シノユキヒコが光源氏のように見えて来る。

ニシノユキヒコの恋と冒険
川上弘美
平成18年 8月1日 発行
新潮文庫
438円+税

2006/10/02

溺レる 川上弘美


女性の1人称で綴られた短編が正味200ページに満たない文庫に納められている。道行き、駆落ち、同棲、SM、性欲、3p、心中、不死。八つの短編はどれも一貫して性を切り口に生を描いている。

日常は日常であり日常ではない。鋭利な感覚を緩さで語る繊細で剛胆な筆遣い。品の良さと伸びのあるリズム感で巧妙な語り口。文章は優しく哀しくそして軽い。

八編の主人公達は世俗の価値観や意味に縛られていない。それよりもっと別な大切なものに囚われている。だから、いくらでも重苦しくなることを、作者は軽さで顕していく。

軽さは優しさ哀しさを浮かび上がらせるが、同時に怖さももれなくついてくるのだ。その怖さは、こちらの世知の浅はかさや、世俗の垢の付き具合に気づかせてもくれる怖さであり、男にとっては、紛れもない女の怖さでもある。

2003年 7月25日 5刷
文春文庫

センセイの鞄 川上弘美


気が向けば、一人気兼ねなく、心おきなく酒を楽しむ。月子さんの通い慣れた居酒屋は、その昔、高校生だった月子さんの国語教師の行きつけの店でもあった。ふとしたきっかけから飲み友達となった元教師と元生徒。会えば楽しく杯を重ねるし、会わなきゃ会わぬで過ぎてゆく。そんな風に始まった居酒屋のお付き合いだったけれど、せんせいと飲む酒の旨さと時間の豊かさ、そのかけがえのなさに、いつしか月子さんは思い至る。超然として揺るがぬように見える、謹厳なせんせいにしても、それは同じなのだった。

月子さんもせんせいも繊細で背筋がスッと伸びている。何より川上弘美の文章がそのような文章なのだ。見慣れた光景から異質な風景を切り出すカメラマンのように、ありふれたことも、思いがけない描き方で新鮮に見せるのだ。居酒屋の場面が楽しい。ごく普通の日本酒の、枝豆や豆腐の美味さが、じわっと伝わってくる。

親しい程に、親しくなければなおさらに節度と品位が必要だろう。月子さんもせんせいも居酒屋の主人も、それを失わない。月子さんとせんせいはお近づきになりたいが、節度と品位を乗り越えるにも節度と品位を捨てられない。作用と反作用。星のフラメンコ。そこから漂うエロティックな空気が、清冽で濃密というような相反する曰く言い難い魅力で作品を支配している。物を食うせんせいの口元に隠れもない老いを見る月子さんはどう思うか。老醜と嫌悪するなど論外、自分もあのような口元になりたいと、発作のような激しい思いに囚われるのだ。凄い。
そんな月子さんに、せんせいはいいこいいこと優しく頭をなでるのだ。川上弘美の優しく厳しく潔いエロティシズム。谷崎潤一郎賞受賞、文句のつけようも無い。

文春文庫 06.5.15 9刷