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2008/12/07

スリーピングドール


一家惨殺で服役中のカルト指導者が大胆不敵な手口で脱獄を図る。しかも潜伏したまま逃亡する気配もない。脱獄犯の狙いは何か。一家惨殺を生き延びた少女との関係は。事件を預かるキャサリンにFBIからカルト犯罪専門の捜査官も乗り込んで、捜査は複雑困難の度を深めていく。

仕草や表情から心理を読み解く「キネシクス」の天才。高度な尋問技術によって物証至上のリンカーン・ライムを唸らせた「人間嘘発見機」キャサリン・ダンスが、「ウオッチメーカー」の脇役から堂々たる主演に転じての登場。相手は言葉巧みなマインドコントロールで人を自在に操り、犠牲を強いる凶悪犯。言うなればキャサリン・ダンスと表裏を成す心理分析のスペシャリスト。この二人の心理戦を軸に多彩なキャラクターが豊富なエピソードを繰り広げる。

リンカーン・ライムシリーズからのスピンアウトというからには、どれだけライム物から差別化できるかが、作者にとっては最優先課題だったのだろう。例えば、男ー女 物証専門ー尋問専門 独身生活ー家庭生活 東海岸ー西海岸など分かりやすい。とりわけ、ニューヨークとカリフォルニアという対比の中、北カリフォルニアの舞台設定にはディーバーらしいツイスト感がある。ロサンゼルスならマイクル・コナリー、オレンジ郡からサンディエゴはT・J・パーカーが書き尽くしているわけで、南カリフォルニアでは新鮮味に欠けるのだ。ではサンフランシスコならどうか。結構な都会だからニューヨークとの違いは出し難い。ならばロサンゼルスの北、サンフランシスコの南、エデンの東にしてスタインベックの故郷だということになる。そうなのか。そこでミステリの舞台としての鮮度の高さも充分な北カリフォルニアはサリナス、モントレーに照準を合わせ、風光明媚、豊かな自然を背景に壮絶な頭脳戦とマンハントを繰り広げる。ということになったのではなかろうか。

そんな訳で、北カリフォルニアの観光案内としても通用する美しい情景描写も読みどころ。工夫と努力を怠らないディーバーの誠実。おもてなし感覚あふれるサービス精神に裏付けられた卓抜した技術と洞察の深さから生み出された超絶的面白さに大満足。ディーバーの魅力が、スピード感とどんでん返しにあるのは確かだが、それ以上に、今回も、キャサリン・ダンス親子のキャラクター、日常生活を丁寧に書き込むことで、事件の本質を、被害者加害者の病理を何気なく照射するという技ありの語り口が素晴らしいのだ。 家族を描いて、これはディーバー流の「エデンの東」とも読めるのだ。

作:ジェフリー・ディーバー
訳;池田真紀子
文芸春秋
2008年10月
2,500円

2005/10/11

獣たちの庭園


「シンデレラマン」は、大恐慌時代に家族のために戦い抜いたボクサーを描いて評判を呼んだ映画だが、ディーヴァーの新作「獣たちの庭園」と「シンデレラマン」に共通して出てくるのがデイモン・ラニアン。不屈のオヤジボクサーの栄光を讃え「シンデレラマン」と呼んだのがデイモン・ラニアンだとクレジットされていたが、ディーヴァーの新作「獣たちの庭園」にもデイモン・ラニアンが登場してきたので驚いた。ラニアンは、はるか昔、HMMでいくつかの短編を読んだことがあったが、懐かしさより意外性が先に立った。

意外性ならデイーヴァーの新作も同じ。オリンピックに沸くベルリンへ、リクルートされたヘルズキッチンの殺し屋がヒトラー側近暗殺の密命を帯びて潜入するという設定は、鷲は舞い降りた、針の目、ジャッカルの日などの名作傑作キラ星のごとくきらめく英国の伝統芸に真っ向勝負の、冒険小説の王道を往く構えだ。

構えが良くて技の切れも素晴らしいのがディーヴァーだが、従来に無い構えには、当然新しい技も必要だろう。その一つが、例えばデイモン・ラニアン。主人公である殺し屋の友人として何と実在の作家を登場させている。これが主人公のキャラ設定に与える効果は微妙なところだが、実録風の物語に一層のリアリティーを添えるという役割は果たしている。

ヤンキー気質の殺し屋が親衛隊が跋扈するベルリンの街角をすり抜け、ナチス台頭で冷や飯食わされた警官がリンカン・ライムを思わせる証拠へのこだわりや鋭い洞察で才気縦横に殺し屋を追っかけ回す。このサスペンスが従来の技なら、ヒトラーと側近たちの駆け引き、綱引き、暗闘を描き、架空の人物の目を通してナチス中枢部の日常を生き生きと再現してみせたのはディーヴァーの新機軸だ。最近見た、ヒトラー最期の12日間という映画と合わせて、とても立体的にイメージされた。

さらに言えば、あの特徴的などんでん返しが抑制されていた点にも、この作品に対するディーヴァーのスタンスが明らかだ。先行する英国産の傑作群にディーヴァーがどれほど肉薄したかという興味は興味として、ディーバーはあくまでディーヴァーらしく、ヒューマニスティックにこの大作をまとめている。それは、英国風とはやはり趣が異なるアメリカンティスト。エピローグでは、全ての山に登れと歌うサウンド・オブ・ミュージックのエンディングが連想されたりする。