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2008/11/20

談志狂時代 立川談幸


大体4時頃の終演が普通の大劇場がなんと2時に終演してしまった。早すぎたので演芸場をのぞいたら丁度仲入りで即入場。売店でサイン本を購入。

歌舞伎座の祝祭的な華やかさに較べると国立劇場の佇まいは斎場を思わせるが、初めて入った演芸場もその雰囲気を共有している。仲入り後の演し物は春風亭柳橋の襲名披露口上、桃太郎、鏡味 正二郎の曲芸、柳橋。今は無き東宝名人会以来、数十年振りの寄席体験は短時間だったので物足りない気分。

談志唯一の内弟子だった立川談幸が、師匠との同棲生活を回顧したエッセー。
笑点の前身、金曜夜席で談志が仕切っていた大喜利は爆発的に面白かった。あの頃の談志はスピード感と切れ味とインテリジェンスで、それ迄の落語家とは画然と異なる存在感だった。その談志に惚れ込んで弟子入りしたのは「赤めだか」の談春も同様だが、これは良くわかる。談志は特別にかっこ良かったのだ。夜席はその後談志が抜けて笑点となり、大喜利の司会もメンバーも代を重ね長寿番組となっているが、最近では司会が歌丸なってからとても良い。

それはともかく、この本からは談幸という人の優しい人柄がとても良く伝わってくる。談志の内弟子が勤まったのもこの人柄なればこそだろう。談春が赤めだかで、正に談志の口調をそのままに、弟子への説教している様子を見事に活写して見せたような批評や才気はないが、そうした鋭さとは違う、ほのぼのと心温まる師匠思いのすっきりした心が伝わって来る。落語はおそらく談春が巧いのだろうが、気持ちのよさならきと談幸なのかも。聴き較べは今後の課題にしよう。

08.2.23 第1刷
08.5. 2 第2刷
うなぎ書房 1800円

2008/11/12

赤めだか 立川談春

今年6月の歌舞伎座、談志・談春の親子会のチケットを取ろうと発売日の夜にアクセスしたが既に完売だった。これを読んで、談春にとって歌舞伎座の意味と重さがどれほどだったか、師匠の体調の悪化に、さぞかし無念な事だったかがズンと伝わって来た。行きたかったな親子会。

高座に上がったまま寝込んでしまったが、お客に暖かく見守られたのが古今亭志ん生なら、客席で客が寝ているのに腹を立ててトラブルになったのが立川談志。好き嫌いは置くとして、どちらのエピソードも面白い。特に談志は、昔から「落語とは人間の業の肯定である」なんてことを大声で言っていながら客の居眠りは肯定できないってあたり、普通の社会人としてはなにだが、芸人としてはありだろう。

師匠の小さんにしてからが、剣道の達人としていつも竹刀に剣道着で練習している姿がトレードマークという人で、例えば「たがや」なんぞは一体どんな心持ちでやるもんかと気になるようなところもあった。そういう変わった系譜に入るにしては、談志に惚れて入門したとは言え、談春という人はとても真っ当で、だから談志の太っ腹と小心さが、負けん気と強がりが交差するユニークなキャラクターが作り出す危うい状況と、そこを苦労して泳ぎ続ける一門の姿が愛情深く活写されて、噺家の修業話や楽屋話を聞く面白さもさることながら、成長小説を読むような感動を味わわせてくれる優れもののエッセイになっている。

立川談四楼の『シャレのち曇り』ランダムハウス講談社を合わせ読めば、落語協会を脱会して立川流を旗揚げした一連の騒動が立体的に見えてきて、面白さは倍増する。

08.4.20 初版
08.6.30 3刷
1333円
扶桑社

2008/10/19

四十七番目の男


狙撃の名手が得物を日本刀に変えて、剣の達人と斬り結ぶのである。斬新というより突飛と言うに相応しい設定。それもボブ・リー・スワガーなのである。スワガーが日本でチャンバラ!って、そういう事はあり得ないのである。ダーク・ピットならいざ知らず、よりによってあのボブ・スワガーだなんて。

ところが、激戦の硫黄島を振り出しに、スワガー親子二代に渡る名誉と因縁を、一振りの刀の運命と共に語り尽くす、このお話が滅法面白いのである。
まあね、日本人がほとんどポルノ漬けのように描写されてるのには違和感あるし、アダルトビデオで財を築いた黒幕というのも、パチンコで財を成したとかした方が余程リアルかと思うが、それは日本人の見方で、アメリカのド田舎から来たスワガーにしてみれば、現代東京はそんな風に見えたのかと、それはそれで興味深い。そうした描写もあるにはあるが、スティーブン・ハンターが侍の歴史と文化を熱心に研究し、好意的に描いていることに驚く。特に物語の核心をなす刀の由来や刀剣の蘊蓄など、目のつけどころも新鮮で楽しめる。

スワガーとは言え、すぐに剣術をマスターし日本刀を自在に操れるようになるわけではない。そのためにスワガーは修業に励むのである。60歳にして内弟子として入門するのである。そして健気な修行を重ねるのである。まったく、良く辛抱するのである。入門とはそういうことなのであるから仕方ない。欧米の人から見て、この師弟関係と言うのはかなり東洋の神秘を感じるところではなかろうか。例えば「燃えよカンフー」「ベスト・キッド」「グリーン・デスティニー」「バットマン・ビギンズ」等々、東洋的なるものとして師弟関係は描かれている。
「スターウォーズ」のジェダイは時代劇の時代からとったというのもそうだが、東洋の師弟関係、特に、弟子にとっての師匠の絶対性というものは、キリスト教的には不思議なものに映るのではないか、神秘的にも見えるのではないか。

現代風俗のおかしな描写に突っ込みを入れる楽しみ方も含め、郷に入って郷に従い、相手の土俵で相撲を取るスワガーの、見事なサムライスピリッツを十全に受け止め、楽しめるのは、まさに日本人に許された特権ではありましょう。

あとがきによれば、スティーブン・ハンターがこの本を執筆したのは「アメリカ映画が新たな低みに達したため、職業的映画批評家としての人生にふさぎの虫が巣食ったところに「たそがれ清兵衛」観て、さらに日本のチャンバラ映画に活路を見出した」からてな事らしい。
気になったのは、新たな低みに達したアメリカ映画とは何を指しての事か。アメリカ映画もよく見ているが、新たな低みという皮肉な言い方に合致するものは何だろう、スワガーのスタイルの対極にある作品で低みにあるのはとしばし考え、思い浮かんだのが「キル・ビル」。
絵面の刺激にトコトン拘ったキルビルの滅茶苦茶さ、例えば妊娠中の花嫁が教会で襲われるなんてのを観ながら、もうそのお下劣さに頭抱えているハンターってのは想像できる。真面目なハンターが「キル・ビル」の返り討ちを意図して書いたものかと思わせるのである。

2008/09/09

チャイルド44 上・下

スターリン時代のモスクワ。国家保安省捜査官レオは反革命分子の摘発に辣腕をふるっていたが、悪意ある同志の姦計により失脚。辺境に追われ失意の日々をおくるレオが目にした殺人事件。損壊された遺体。その異様な手口に連続殺人を疑うレオは本格的な捜査を進言するが一顧だにされない。偉大なる革命国家に犯罪など存在する余地はないとする体制下、レオは存在してはならない捜査に踏み出していく。

スターリン政権下の猟奇連続殺人というアイディアが秀逸。異色というか盲点を突いた設定で鮮度が高い。革命直後の社会状況の苛烈さ、相互に監視し合う閉塞的で油断のならない毎日、寛ぐことさえ困難な社会の有様を、革命勝利への必然と肯定する社会主義に教化された主人公が、政治的にあり得ない事件の解決へと身を投じていく過程を、個を回復し他者への信頼を獲得していく成長の物語として料理してみせた作者の腕前の鮮やかさ。

陰鬱な世界に暗くて重いエピソードの連続だが、各キャラクターの描出には安定感があり人物はしっかり立ち上がってくる。非人間的な状況下の非人間的な事件が、抑制の効いた、それでいて随所に清新な気風漲る文章で生き生きと人間味溢れる物語として描き出されている。

ミステリーとしては様式的にバランスを欠いていることもある。因果が劇的すぎるきらいもある。が、そんな偏狭な見方を吹き飛ばす熱気と志しの高さこそ、この作品の素晴らしさと思う。月並みだが、重厚で骨太な面白作品。これがデビュー作という30才のニューカマー。次作も断然期待なのだ。

チャイルド44 上・下
トム・ロブ・スミス
訳 田口俊樹
平成20年 9月1日 初版
新潮文庫

2008/08/17

聞いてないとは言わせない J・リーズナー

見渡す限り空と大地が広がるテキサスのど田舎。ヒッチハイクの若い男が仕事を求めて訪れた先は、美貌の中年女性が女手一つで切り盛りする農場だった。

静かなうちに謎めいた導入。簡潔な叙述と展開の早さで苦もなく本の世界に入れた。平和な暮らしに色恋の行方絡め、充分下地が整ったところでバイオレンスに転調。一気に話が動き出す。一瞬に攻守ところが変わるアクション。悪党達の生態やアメリカ中西部の田舎町の描写も魅力的だ。全体に読者の気を逸らさない心遣いと工夫が行き届いて、B級感覚溢れる意外性も小気味良い。無駄を排した語り口に必要十分なスケールを備えたクライムアクション。原題より気の利いた邦題の良さもだが、ピリリと辛口の幕切れもカッコいい。

DUST DEVILS
ジェイムズ・リーズナー 訳:田村義進
2008年 6月15日 発行
ハヤカワミステリ文庫

2008/06/09

笑う警官 佐々木譲

婦人警官が殺され、同僚の刑事が容疑者として手配される。仲間の無罪を確信した所轄署の佐伯は、不自然な射殺命令と共に設置された捜査本部に抗し、数人の有志と裏の捜査本部を組織して独自の捜査を開始する。

組織の腐敗に粛正の嵐吹き荒れた道警。組織防衛を最優先する体質。警官を取り締まる警官の犯罪は誰が取り締まるか、とはハリー・ボッシュが抱え込んだテーマだが、夜の札幌を舞台に警官の犯罪を追う「笑う警官」も同種の問題をサスペンスフルな設定に落とし込み、スピーディーな展開で読ませてくれる。警察組織や捜査活動の基本など、話の中に巧く折り込みながら、タイムリミットに向けて盛上げ、高揚感が炸裂するクライマックスまで、ページもどんどん消化した。面白い。

面白いから良いのだけど、良く走る車で性能的には不足はないが、無駄の多いスタイリングに魅力を感じないといったらいいか、説明か描写か分からない中途半端な表現に興を削がれることしばし。気になった。

ハルキ文庫
07.5.18 第 1刷
08.3. 8 第16刷

2008/04/17

償い 矢口敦子

『ごめんなさい!今までこんな面白いミステリを紹介していなくて』 20万部突破! 悲しいけれど暖かいミステリの隠れた傑作!20万部突破!などなど。幻冬舎の気合いの入った新聞広告。「隠れた傑作」って言い方に惹かれて手に取った1冊。

子供が病死、妻は自殺、仕事はクビなった医師が絶望の果てにたどり着いたのは、男がはるか昔に誘拐された幼児の命を救った街だった。ホームレスとなった男が巻き込まれた連続殺人事件。男の胸に生じたかすかな疑念は、やがて明確なイメージへと結晶し始める。

状況設定も物語の展開も大変ドラマチックだがリアリティーに欠け説得力も乏しい。元医師のホームレスの自意識過剰な述懐に興がそがれたし、その他の登場人物達もキャラクター的な魅力は弱い。狭い街とはいえ、関係者が至る所で偶然に邂逅するのも気になる。人の肉体を殺したら罰せられるのに、人の心を殺しても罰せられないのですか?という惹句が、単なる惹句だけで終わっているのも半端な印象が残った。

本来が鬼畜体質だし本格風味も苦手なので、そこから文句を言うのは筋がちがうかな。これは体質に合わなかった。

償い
矢口敦子
平成15年 6月15日 初版
平成19年12月11日  4版
幻冬舎文庫
648円+税

2008/03/13

私の男 桜庭一樹

分ち難く結びついた父娘を描いた直木賞受賞の話題作。
娘の婚礼からさかのぼって親子の過去を明らかにいくという構成は、近親相姦というアンモラルに、つい好奇や嫌悪が入り交じる普通な読者の複雑な心理を読み切った、作者の老練手練れぶりを示している。同様に、腐野淳悟と花という親子のふざけた名前にも、作者の度胸とセンスの良さが感じられる。
しかも、この父親が抜群に良いのだ。長身痩躯、笑うと愛嬌があるが孤独、虚無的な横顔と雨が匂うような体臭、優雅で腕も立つ海の男。そんな男いるかっ!ってなものだが、作者の筆には説得力がある。いるのである。この父親に較べたら、娘の方は取り立てて特徴がないが、それで良いのだ。

ネット書評や直木賞の選評、スキャンダラスなテーマなどから、公序良俗、世俗の常識に棹さす新しさ、前衛性みたいなものを予想していたから、この若くして頽廃のかげを宿した腐野淳悟というかっこいい男が、純粋、究極の愛を求めるが故に身を持ち崩していく一部始終を、ロマンティックにミステリアスに展開する作者の、徹頭徹尾エンターテインメントに照準した姿勢と手法の口当たりの良さは結構意外だ。

口当たりの良さで言えば、風俗や時事ネタの取り込み方でリアリティを盛り上げる巧さや、既成のイメージを効率よく利用する手管の良さにも感心する。しかし、あまりにも通俗的なイメージに依存していて新鮮な驚きや発見に乏しい。同じことはキャラクター造形にも感じられ、周辺の人物や関係は類型的で全体に深みにかけている。

面白くはあるが、何というか、混み合った女性専用車両にそうとは知らず紛れ込んだような居心地の悪さというか、もっと違う種類のガツンとくるものが欲しかったので何となく欲求不満だ。絵空事をリアルに見せる腕前に優れていると思わせる作者だが、他の作品も女性専用車なのかもう1冊確かめてみたい。

桜庭 一樹著
税込価格 : ¥1,550 (本体 : ¥1,476)
国内送料無料でお届けできます
出版 : 文藝春秋
サイズ : 20cm / 381p
ISBN : 978-4-16-326430-1
発行年月 : 2007.10

2007/08/17

路上の事件 ジョー・ゴアズ

大学を卒業し放浪の旅に出た青年が遭遇する事件の数々。ジョー・ゴアズが、事実とフィクションを完璧に混ぜ合わせることにつとめたという自伝的要素も濃厚な作。ヘミングウェイに憧れチャンドラーに心酔する作家志望の主人公が行くところ、やたらハードボイルド的な環境が整った空間なのが特徴で、ケルアックを連想させる邦題だが、ビートニックということではない。

ホーボーもどきの主人公は、風の吹くまま降り立った南部の町で、いわれの無い咎を受け重労働1ヶ月の刑に。冷徹な所長と地獄のような収容所生活から、メキシコでの狂躁の日々を経て、たどりついたラスベガスではマフィア絡みのトラブルに巻き込まれ世の儚さも思い知る。ロサンゼルスで転機を得て、サンフランシスコで探偵になる。

保守的、排他的な南部の収容所生活のパートは、名作「暴力脱獄」さながらで、クール・ハンド・ルークと呼ばれたポール・ニューマンとミラーグラスをかけた看守の姿が脳内スクリーンによみがえる。メキシコの無法地帯も定番なら、ラスベガスで主人公に殴り合いの極意を授けるヘビー級ボクサーには大鹿マロイのイメージがダブる。ロサンゼルスでは不法就労と新興宗教。サンフランシスコでは中国絡みのお宝をめぐる謎と裏切り。それぞれの場所にそれぞれ相応しい事件が配される様式美。エピソードもそれぞれ完結し、連作短編のような趣もあるが、何と言っても主人公の成長を見つめる教養小説としての魅力が全篇に貫かれているのが新鮮だし、面白さもひとしお、とにかく読ませる。

スタートからロサンゼルスの放浪編ともいうべき前半と、サンフランシスコで探偵になる修業編といいたい後半部。全600ページを大きく二つに分けて、前半300ページ強は、人間の光と影に直面する作家志望の青年の戸惑いや葛藤が瑞々しく描かれ、クライム派の青春小説として良く出来ている。完成度が高く、このまま最後までいけば文学史を飾る名著になりそうな予感もあった。

修業編は完全なハードボイルドミステリーとしての世界に突入して、主人公も当然それに応じた態度を身につけていく。事務所のボス、ドリンカー・コープの薫陶よろしく、めきめき頭角を顕す主人公には、やるかやられるかの生き方が備わり、持ち前の純なる気配もいつしか薄らいでいく。はたして、21歳の主人公が、1年にも満たない期間にこんな濃密な経験をし、人間的にこれほど厳しい変容を遂げるかということについてはどうしたって無理があると思う。素直に読めない。実に惜しい。

この点を除けば、この修行編は古風なハードボイルドタッチが横溢したミステリとして懐かしさもあり、文句なしに楽しめる。飲んだくれの詩人とか、魅力的、印象的なキャラクターも少なくない。
総じて、ジョー・ゴアズが自らのハードボイルド観をストレートに吐露したかのような作品。集大成とも読める面白さだが、作者が、事実とフィクションを完璧に混ぜ合わせることにつとめたことの功罪を考えさせられた。


原題:cases
題名:路上の事件
作者:ジョー・ゴアズ  訳:坂本憲一
出版:2007年7月30日  扶桑社
価格:1000円+税

2007/06/23

星新一 1001話を作った人 最相葉月

日本SFの黎明をリードし、ショートショートの第一人者として名を馳せた星新一。母方の祖父は解剖学の権威小金井良精、祖母は森鴎外の妹、喜美子。父、一は一代で興した星製薬を国家的事業に育て上げた立志伝中の人物。

血統の良さと複雑な生育環境。国策に左右される父親の事業の浮沈。多感な青春時代の胸塞ぐ出来事。相続。事業からの撤退。やがて作家として認められ、日本SFの黎明を築き上げていく。戦中戦後から昭和平成へと生き抜いた男の足跡が、綿密な考証と冷静知的な筆致で描かれる。

SFとしてはクールでスマートな星より、もう一方の雄小松左京のスケール、ストーリー性が好みだったが、星新一は昔沢山読んだ。ショート・ショートも面白かったが、それより、正続「進化した猿たち」など、ミステリマガジンのページを真っ先に開いて読んだものだった。「祖父・小金井良精の記」も発売即買って読んだ記憶がある。作品から、真鍋博の挿絵もだが、星新一には理知的で淡白な人物像をイメージしていた。何れにしてもはるか昔のこと。自分にとって完全に過去の人として記憶の中に整理していた作家だ。

だが、ここに描かれた星新一は、初めて見る様に新鮮だ。星新一ってこんな人だったのか。何も知らなかったということが良くわかった。著者が星新一に寄せる共感の深さがよく顕われた記述。節度ある潔い文章は気持よく、分かりやすく、読みやすく、作者の気持がこちらの胸にストンストンと届いてきた。

「宇宙塵」「SFマガジン」と本格的なSFの勃興期に何がどのように進行していったかを説き起こしていく中盤以降のスリリングな展開は、資料的にもだが、あの頃を知る人には読み物として堪えられない面白さに溢れている。1001編のショート・ショートを作るという、前人未到とも空前絶後ともいえる偉業を達成した希有な作家と、その時代を鮮やかに描き、やがて静かな感動へ導いてくれる。


新潮社 07.03.30 初版
    07.05.20 五刷
    2300円

2007/04/02

下流志向 内田 樹  

学ばない子どもたち、働かない若者たち、とサブタイトルも刺激的なベストセラー。昔の子供は家の手伝いをして褒めてもらった。今の子供達は金を使えば一人前に扱われ、労せずして快感を得る。昔は家庭内労働が社会参加への第一歩だったわけだが、今の子供達に家事手伝い機会はなく、いきなり一人前の消費者として社会と接するようになり、就学以前に消費者として自己を確立してしまう。

その結果、子供達にとって社会とは等価交換の場となった。彼らは賢い消費者として、商品知識に精通(乃至は振りを)し取引を有利に運ぼうとする。それが、「この勉強が何の役に立つんですか」といった教師への問いかけとして現われる。

等価交換の法則は社会全体を覆い、今や人々は不快感の一早い表明で有利な立場を確保しようとするようになっている。これを名付けて不快貨幣の流通といい、その流通量は増大の一途をたどり、人々はクレーマー化し、子供達は未来を捨て値で売り払っているのが、今の日本の現状だと説く。

学ばない子どもたち、働かない若者たちを大量に生み出している現状を、ではどう乗り越えて行けるものか。5時間に及ぶ講演と質疑応答をまとめたという本書、
「ノイズをシグナルに変換するプロセスが学びのプロセス」
「無知とは時間の中で自分自身もまた変化するということを勘定に入れることができない思考のこと。」などの警句もかっこよく、構造主義と武道を究めた内田先生の明晰にして軽妙な語り口に乗せられスリリングな読書が楽しめる。家族と時間と身体性を回復せよと説くのも納得できる、刺激的で示唆に富む好著。

講談社 2007年2月8日3刷 1400円

2007/02/04

「私のハードボイルド」小鷹信光 早川書房

実のところ、ハードボイルドという言葉はジャンルを表す言葉としてイメージの喚起力が高く、昔も今も様々な使われ方をしている。だがその言葉の意味するところや定義となると、人の数だけ中味が異なるという、誠に同音異義性の強い、極めて厄介な言葉である。

言ってみれば、ハードボイルドという言葉そのものがハードボイルドな状況を招き寄せる、といった性質を持ってるわけで、ひとたびそんな状態に陥っ たなら、誰かクールで腕っ節の立つ探偵さんでも連れてこない限り、収まりがつかなくなってしまう、なんてことにもなりかねないのである。

最も危険な言葉を語るは思想信条を語るに等しく、それなりの覚悟が必要だ。ましてや周囲を納得させる説得力、高度な権威性というものも、当然なが ら必要になってくるのである。その点、小鷹信光と言えば、泣く子も黙るハードボイルドミステリの翻訳、研究の第一人者にして作家であり、この本はハードボ イルドを語るにはこの上ない、書くべき人が書いた、書かれるべき一冊ってことになる。

固茹で玉子の戦後史というサブタイトル通り、作家としてのキャリアを幼少時に遡って説き起こしたハードボイルドな自伝を柱として、ブラックマスクから現在に至るアメリカンハードボイルドの変遷と日本の翻訳出版状況を時系列にそって整理した研究編と、作家リスト、関連図書、文献をまとめた資料編からなる内容は、まさに著者の集大成と言うに相応しい構え。

自伝部分では、EQMMがHMMに代わり、ヒッチコックマガジン、マンハントといった雑誌が書店に並んでいた当時からのインサイドストーリーには、懐かしい名前がぞろぞろと出てきて、まるで3丁目の夕日的懐旧の情が蘇る楽しさ。確かにね、60年代のミステリマガジンはコラムエッセイの充実ぶりが 半端じゃなくて、私などはむしろそちらが目当てで読んでいたようなものだった。

それはともかく、ハードボイルドと言えばお約束の1人称1視点だが、著者は、丹念な資料の収集と提供により、主観や思い込みだけで語ることの愚を見事に排除している。流石の見識だと思う。この客観的に高度な検証を貫き通す態度にこそ、著者の何よりハードボイルドな矜持が顕われている。その意味からも価格には換算できぬ価値と面白さが、研究編、資料編にはある。

まあ、著者は紳士であり、客観的であることがこの本の良さだが、私としてはせっかくのハードボイルドもっとストレートに悪態をついたり、憎まれ口を叩いたりする行儀の悪さも見せて欲しかった。

2006/10/02

国家の品格 藤原正彦

世界的に見て、先進諸国は軒並み社会的荒廃を招いている。それは西欧的合理主義、理論的思考の限界に他ならないのじゃないか。戦後、日本も合理主義、市場原理で突っ走ってきたが、論理的な整合など前提次第でどのようにも変わるものだし、民主主義が結果の正しさなど保証するわけもない。国際社会に対応できる人材育成のために小学校から英語を教えようという、これも立派な理屈だが、果たしてそんなことから世界に通用する国際人が育てられるものだろうか。理屈に頼っては躾だってままならないというものだ。

ではどうすれば良いか。形を尊び豊かな情緒を育んできた日本の文化伝統の中にその答えはある。日本の古来の価値観、世界観の復権こそ、いまや国を挙げて取り組むべき課題ではないか、より具体的には新渡戸稲造の言う「武士道」の精神に学ぶべきはある。もとより、日本人は敗者への共感、弱者へのいたわり、惻隠の情を以て世に対してきた。そうした行き方を取り戻すことが、国家としての品格をより高めていくことに通じるのである。

といった論が、著者が数学者として内外で生活した経験の中から、豊富な事例、エピソードを交えながら展開される。平易な語り口に適度なユーモア。口当たりが良くて分かりやすい。面白くて説得力があるしベストセラーも当然だと思った。

著者の主張は尤もだと思う。異論も反論も特にない。ましてや、もう何十年にわたり「卑しい街を行く高貴な騎士」だと作者が認ずる探偵をアイドルとしてきた身であるから、武士道だろうが騎士道だろうがさしたる抵抗はないのだが、私立探偵が騎士気取りで街をほっつき歩く分にはまだしも、国家のあり方を論ずるのに武士道持ってこられてもなぁーって気は、どうしてもするのだった。

奥付きの著者紹介に、新田次郎と藤原ていの次男とあって、これにはびっくりした。

新潮新書 06.4.10 23刷

東京タワー   リリー・フランキー


東京タワー リリー・フランキー
親子、家族の有り様も時代と共に変化する。尊属殺人に恐れおののいたのも今は昔。父性も母性も昭和のノスタルジーかと思えるような幼児虐待の報道も、こう日常茶飯ではニュースバリューも下落する。

こんな時代だから、名前を書けば死んでしまうノートブックの秘密を巡る物語に引き込まれる事もあるし、一方では癒しや感動を求める気持ちも強くある。そんな次第で、感動必至、号泣必至と言われると手が出る。

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン リリー・フランキー
このタイトル、副題、著者名の字面から受ける感じからは、ちょっと軟派系の切なく情けないような話かとの予断があった。はじめのうちにこそ、そんな雰囲気もあったが、どうしてどうして、これは北九州の大先輩「花と竜」の直系の子孫とも言うべき無頼の精神に貫かれた、堂々たる硬派の物語だったのが意外だった。

九州発、花と竜、青春の門の流れを汲む青春サクセスストーリーとしても良くできている。語りも巧いしタイトルが憎い。

何より、この本の大成功によって、著者自身がマイナーから一挙に大ブレークしたこと。本に描かれた結末にさらなる増刷が加わり、現在進行形のライブ感溢れるジャパニーズドリームと化したのは、作者の意図を遙かに超えて、この作品をきらびやかに変質させているようだ。

2006/08/20

表現したい人のためのマンガ入門

変な名前ってことでは、例えば吉田戦車や吉本ばなななど、結構なインパクトがあった。しりあがり寿http://www.saruhage.com/ってのも相当変だが、末広がりの言い換えには芸があるし、寿には社会性豊かな常識人の気配が漂う。意味不明な戦車やばななの暴力性に比べ、「しりあがり寿」には良識というか、理知と含羞もほの見える。

この、へたうま派の巨匠がガイドする「マンガ入門」は、若くして漫画家を志して以来、しりあがり寿がどのように生まれ、何を考えどのように漫画を書き続けてきたか、自作の解題を通して語られるその軌跡が、昭和から平成へと変化していく世相とともに、若さから成熟へと真っ当な変化を遂げる作者を確かな輪郭で浮かび上がらせる。それがとても気持ちよく、これがまた格好いい。

「表現したい人のためのマンガ入門」とはいうが、マンガを描くためのHow to本としての効能を期待したら裏切られるだろう。言ってみればマンガを通して物事の普遍的なHow toに迫った野心作。タイトルから言えばむしろ「表現したい人のため」の部分にこの本の眼目がある。表現したい人の、とはつまり、全ての人に向けてという意味だろう。なんと大それた、でもそれだけの面白さはある。

講談社現代新書

2006/08/11

こころ

昔、「夏への扉」なんて名作を読んだせいか、夏にはSFが読みたくなる。面白そうなSFを物色するつもりで書店に入ったが、夏休みのキャンペーンで平積みになっていた「こころ」に、「我が輩は主婦である」の楽しかった記憶から思わず手が伸びてしまった。そうだ、これ読んでないし、夏の課題図書にぴったり。価格的にも嬉しい。ちょっと比較したら集英社320円、角川340円、新潮380円。読みやすそうで、何より安い集英社文庫をレジに持って行く。

夏休みの鎌倉海岸、避暑地の退屈をもてあました私の目に映った一人の男。それが先生との出会いだった。高潔だがどこか冷ややかな人柄、不可解な生き方、謎めいた先生と過ごした豊穣の時。不意に訪れる別れと全てを明らかにする手紙。不幸の上に幸せを成り立たせてしまう人間の罪と罰。

そうか、こういうお話だったのか。もっと重苦しくて暗いものと思ってたが、明晰な文章の平明なお話だった。倫理的道徳的なテーマ性からも、若い時により切実な共感をもって読めたら一番だろう。ここに描かれた板挟みには普遍性があると思う一方で、今の時代、若い人達がどの程度のリアルさを実感するものなんだろうかとも思う。

何より、「こころ」に登場する女性達は今日的な説得力に欠けた存在に映らないか。このあたり、今の女性から見てどうなんだろうか。漱石の描く女性達はあまりに封建的な女性観の範囲に納まっている。漱石って、女の人が巧く描けない人だったのね。いやこれは貶してる訳じゃなく、好感している訳ですけど。

我が輩を主婦に乗り移らせたクドカンはいろんな意味で深いなと改めて思った。

2006/06/25

荒ぶる血 J・カルロス・ブレイク

その昔、「戦うパンチョ・ビラ」という映画でメキシコ革命の英雄の名前を知った。そのビラが、この本ではビジャと表記されていてどうも気色が悪い。試しにググれば、どっちの名前もヒットする。さらに、Wikipediaではビリャ、ヴィヤ、との表記も。Pancho は統一されているが、Villaについてはビラ、ヴィラ、ビジャ、ビリャ、ヴィヤ等々。訳者の立場や見解の多様さにこっちも戸惑った。ビラとの刷り込みはありつれど、ま、ここはビジャ、っつーことで。

ビジャの側近のご落胤。血と暴力の選良、ジミー・ヤングブラッド。と、名前からしてカッコ良ければ勢いもある主人公。騒ぐ疼く迸るラテンの血を苦もなくコントロールし、熱く成長して行く男がクールに綴る1人称。

腕と度胸でめきめき頭角を顕わし、着実にのし上がったヤングブラッド。奢りも無ければ高ぶりもなく、淡々とトラブルを処理する若きギャングの心を捉えたメキシコ娘ダニエラ。二人の恋がメキシコ湾を赤々と染め上げ、平和と安らぎが訪れた時、国境の南から、思いもよらぬ脅威がダニエラへと着実に歩を進めていた。

ストーリーというより、エピソードをふんだんに使った構成が、奥行きやスケール感を醸し出している。主人公より周辺人物のキャラクター造型にエネルギーを注ぐ作者の手口は効果的。アクションは簡潔に、仲間の憎まれ口やジョークの応酬は入念に書き込むスタイルも前作同様。粋でお洒落だ。

相手ギャングの車に強襲する計画の立案、作戦変更、代替案作成、実行、逃走とあっという間の素っ気なさ。それでいて臨場感も迫力もたっぷり。この強襲場面がカッコいい。沢山エピソードがあって、キャラも沢山出てくるが、とりわけ印象深いのはジミーを見つめるアバの視線。誰を殺して誰を生かすかの選択も正しい。

カッコいい主人公がとことんカッコいいというストレートさ、臆面のなさは、思いっきりロマンティックな世界で花開くというお約束をきっちり貫いた痛快作。

執念のマンハントから子別れ、色模様まで、エピソードには事欠かないが結構既視感もある。作者は映画からの影響もかなりのものと思しいが、今回のケレン味はロバート・ロドリゲス的だ。

2006/05/21

「あなたに不利な証拠として」

ネットに書評子絶賛の声がこだましてたもんで、早速本屋に行ったが現物は無い。無いとなれば余計欲しくなるわけで、更に探索区域を広げたが、何処にも見当たらない。四国からの帰路、岡山の大書店、小書店などにも足を運んではみたが無駄骨。

大体、ポケミスよりポケミス置いある本屋の方が珍しい、てな状況が珍しくないという状況もある。探し疲れてというより諦めてアマゾンに頼んだのが3月初めのこと。本が届いたのは4月に入ってからで、ん、4版? 印刷ちゅうだったの?どうりで探しても無いわけだ。その後は安定的に供給されているようで、ポケミスの大量平積みなんぞの珍しい光景にも接し、今や供給過剰が心配される。

ルイジアナの州都バトンルージュの市警に勤務する制服警官の視点から、警察の日常業務が描かれている。その精緻で豊かさのある描写から生まれる臨場感、並々ならぬリアリティーはちょっと比類がない。

さらに、5人の女性警察官達をロンド形式で追う連作短編は、どれもタフでデリケートで誠実な世界を構築している。
生きるという事の何たるかを、生きる事を通して伝えようとする。
日常と非日常の接する時間、生と死が交錯する空間を仕事場に選んだ5人。彼女等女性警官の心の軌跡、生の記録が全10編。
どの作品をとっても、ニュアンスに富み、香気溢れた文章が、切実さと意外性とで生きることの不思議を伝えてくれる。

導入展開で作品世界に絡めとり、後半のキャシーでブースターに点火、ロケットは更に上昇。そして5人目のサラを難儀の末に周回軌道に乗せ、未来を託すという構成も素晴らしい。
MWA最優秀短編賞の受賞作を含む警察小説であるから、ポケミスでのラインナップは当然といえば当然だが、読後感から言えばポケミスより新潮クレストブックなのだった。

2006/01/09

LAハードボイルド


著者:海野弘
発行:平成11年11月20日 第1刷
価格:2381円+税
グリーンアロー出版社
著者は美術から映画、音楽、都市論、小説まで守備範囲の広さで知られる評論家らしい。この本はカリフォルニアオデッセイと名付けられた、全6冊からなる(アメリカを読み直す)叢書の1冊目。サブタイトルに世紀末都市ロサンゼルスとあり、二十世紀の終末を示す最も現代的な都市LAの歴史を解き明かすことで未来の都市像を考察する。という意図のもとに、ハードボイルド小説からLAの闇を読み解いた本、ということになる。

中身は全3章仕立てで、1章 チャンドラーのロサンゼルス で1939年(大いなる眠り)から1958年(プレイバック)までを、2章 ロス・マクのロサンゼルス で1949年(動く標的)から1973年(眠れる美女)まで、3章 LAノワール では(血まみれの月)から(ホワイト・ジャズ)まで、エルロイが描いた歴史と闇からLAを通観している。

これまで単なる楽しみで読んできた本が、見事な文献研究の成果にまとまっているのを見ると、いろいろなこと考えてしまうが、それは置いといて、本の要約が巧みで昔読んだ時の記憶が甦る。特に、ロス・マクは後期、社会派の色彩を深めてから気持ちが離れたが、「さむけ」の面白さなどしっかり思い出し、改めて読み直し追悼の意を捧げようか、というような気持ちにさせられた。

この中で面白かったのは、「長いお別れ」のテリー・レノックスは、チャンドラーにとってのロサンゼルスそのものでなのあり、「ロング・グッドバイ」とは、もはや昔のようではなくなったLAへの決別の言葉なのだから、最後の「プレイバック」の舞台がLAがでないのは当然なのだという指摘。納得した。チャンドラー自身、晩年はラ・ホヤへ移っている。

とても好くまとまっていて、判り易く読み易い。惜しむらくは、LAの今を書き続けているマイクル・コナリーにスペースが割かれていないこと。ロス・マク以降がエルロイだけではノワール方面にバイアスがかかり過ぎて、バランスの悪さが否めない。

2005/09/18

魂萌え  桐野夏生

子供達はとうに独立し、定年退職した夫と静かに暮らそうと思っていた矢先、何の前触れもなく夫が急死。この先一人でどう生きるか。途方に暮れる妻に息子夫婦は僅かな遺産を当てににじり寄ってき、追い打ちをかけるように夫の背信が発覚する。

いきなり切羽詰まった状況から説き起こし、中高年なら多少なりとも身に覚えのある問題を巧みに織り込みながら、お人好しの未亡人が窮地に陥ってゆく様がスリリングなものだから思わず引き込まれた。

世知辛さはいや増し、老い先はどんどん長くなる昨今。既成の価値観丸呑みの、世間知らずが、そのままで幸せな老後を送れるほど世の中甘くない。何より本人がしっかりしなきゃ。と友人に鼓舞されても、そうそう人は変われやしないが、環境に適応できなきゃ生きられない。

夫の陰で自己抑制に慣れきった妻の覚醒。といえば「人形の家」だが、変な人達や思いもかけぬ出来事に戸惑いながら感覚を拡大させていく魂萌え妻の様子は、むしろウサギ穴に落下したアリスに近い。

初老を迎えることへの不安を様々なトラブルに託して提示する前半は、作者得意のダークで容赦ない人間観察が冴えて面白さ抜群。主人公がどんどん窮地に追い込まれていくスリル、サスペンスに目が離せない。この人は身勝手とか悪意とか書かせるとほんとに巧いのだ。

人生避けては通れない諸々をどう乗り越えていくか、窮地に陥った妻が反撃に転ずる後半部は、初老問題解決シミュレーションで、いかに老後を生きるべきかのHOWTO本と言ってもいい。最近では若年性アルツハイマーに材を得た「明日の記憶」にも同じような印象を持ったが、こういうのが流行なのだろうか。面白さは認めるし勉強もさせてくれるが、この方向は小説の面白さ魅力を衰弱させていく気がするんだよなぁ。

05.4.25発行  毎日新聞社

2005年7月 4日 (月)