2007/02/04

「私のハードボイルド」小鷹信光 早川書房

実のところ、ハードボイルドという言葉はジャンルを表す言葉としてイメージの喚起力が高く、昔も今も様々な使われ方をしている。だがその言葉の意味するところや定義となると、人の数だけ中味が異なるという、誠に同音異義性の強い、極めて厄介な言葉である。

言ってみれば、ハードボイルドという言葉そのものがハードボイルドな状況を招き寄せる、といった性質を持ってるわけで、ひとたびそんな状態に陥っ たなら、誰かクールで腕っ節の立つ探偵さんでも連れてこない限り、収まりがつかなくなってしまう、なんてことにもなりかねないのである。

最も危険な言葉を語るは思想信条を語るに等しく、それなりの覚悟が必要だ。ましてや周囲を納得させる説得力、高度な権威性というものも、当然なが ら必要になってくるのである。その点、小鷹信光と言えば、泣く子も黙るハードボイルドミステリの翻訳、研究の第一人者にして作家であり、この本はハードボ イルドを語るにはこの上ない、書くべき人が書いた、書かれるべき一冊ってことになる。

固茹で玉子の戦後史というサブタイトル通り、作家としてのキャリアを幼少時に遡って説き起こしたハードボイルドな自伝を柱として、ブラックマスクから現在に至るアメリカンハードボイルドの変遷と日本の翻訳出版状況を時系列にそって整理した研究編と、作家リスト、関連図書、文献をまとめた資料編からなる内容は、まさに著者の集大成と言うに相応しい構え。

自伝部分では、EQMMがHMMに代わり、ヒッチコックマガジン、マンハントといった雑誌が書店に並んでいた当時からのインサイドストーリーには、懐かしい名前がぞろぞろと出てきて、まるで3丁目の夕日的懐旧の情が蘇る楽しさ。確かにね、60年代のミステリマガジンはコラムエッセイの充実ぶりが 半端じゃなくて、私などはむしろそちらが目当てで読んでいたようなものだった。

それはともかく、ハードボイルドと言えばお約束の1人称1視点だが、著者は、丹念な資料の収集と提供により、主観や思い込みだけで語ることの愚を見事に排除している。流石の見識だと思う。この客観的に高度な検証を貫き通す態度にこそ、著者の何よりハードボイルドな矜持が顕われている。その意味からも価格には換算できぬ価値と面白さが、研究編、資料編にはある。

まあ、著者は紳士であり、客観的であることがこの本の良さだが、私としてはせっかくのハードボイルドもっとストレートに悪態をついたり、憎まれ口を叩いたりする行儀の悪さも見せて欲しかった。