2月25日付け朝日朝刊、斉藤美奈子が文芸時評の枕に村上春樹と件のスピーチを取り上げて次のように書いている。
前略
賞を受ける事の是非はいまは問わない(それでもイスラエルのガザ攻撃に反対ならば賞は拒絶すべきだったと私は思っているけどね)。その比喩で行くなら、卵を握りつぶして投げつけるくらいのパフォーマンスをみせてくても良かったのに、とも思うけれども、小説家にそれを望むのは筋違いな話かもしれない。
ただ、この スピーチを聞いてふと思ったのは、こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうかということだった。作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」というのではないか。卵の比喩はかっこいい。総論というのはなべてかっこいいのである。
後略
村上春樹のスピーチはかっこ良かったと思う。
卵の比喩はかっこいいが、でも、それだけでかっこいいもんじゃないだろう。
村上春樹が、あのような場所であのように言ったからかっこ良かったのだ。
比喩の上手い下手とかでなく、村上春樹という男の生き方の証左として、
あの言葉に説得力があったから。
だからかっこよかったのだ。
と思う。
当然、卵を握りつぶして投げつけるなんてパフォーマンスが、
あのような場で面白くも可笑しくも見えるわけがない。
レーガンに投げられた靴に遠く及ばぬ陳腐極まりないイメージ。
第一、そんな野蛮で不躾なこと事をやる村上春樹なんて、
彼の作品からは金輪際想像できない。
それ以前に、>小説家にそれを望むのは筋違いな話かもしれない。
ってのもひどい話だ。
そんなこと人に望んでどうしようってんだか。
さらに「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうか。
に至っては、
切れ味鋭い毒舌が持ち味の評論家とも思えないナイーブな物言いに驚いた。
人が自分は「壁の側に立つ」と表明する必要が一体何処にあるというのか。
そもそも朝日に文芸時評を載せる事自体、
「自分は壁の側に立つ」という表明になっているようなもんだが、
それは別にいいとして。
村上がやったのは、
壁の側に立つ、それも中枢に位置する人達が大勢居並ぶ式場のど真ん中で、
自分を顕彰しようと招いてくれた人達に向かって、
自分の信念に従い、
最善のコミットメントを、アガンジェマンを果たしたんだ。
まさに体を張って。 だ。
どこから見たってこんなかっこいい事ないではないか。
それは、
>比喩はかっこいい。
とか、
>総論というのはなべてかっこいいのである。
なんてレベルからは決して伺い知れない、
本当に男の甲斐性を感じさせる格好良さだ。
それにつけても、
壊れやすい卵の喩えは、
ハードボイルド・ワンダーランドの作者にして
ロンググッドバイの完訳を果たした翻訳者だけのことはある。
流石だ村上君。
2009/02/25
2007/03/11
村上春樹訳 ロング・グッドバイのあとがき
村上春樹が訳したというだけで充分なのだが、巻末には90枚に及ぶ訳者のチャンドラー論が収録され、その中で、細部が大幅に刈り込まれていた清水訳に並ぶ完訳本としての存在意義も主張している。今迄読んできたのは、清水俊二が恣意的に刈り込んだ「長いお別れ」で、チャンドラーの意図した全ては、願っても無い訳者を得て、今回本邦初公開の運びとなったということ。いやぁ、誠に感慨深くもあり、望外の喜びという他ない贈り物だ。
本文はさておき、早速巻末の訳者あとがきに目を通した。
チャンドラーの文章からその特質を説き起こし、「ロング・グッドバイ」の作品論からグレート・ギャッツビーとの相似性を明らかにして行く展開は、 従来のチャンドラー像、チャンドラー研究を更新する斬新さ。切り口の鮮やかさとともにこの本全体を通してのクライマックスともいえるスリリングな面白さにあふれている。チャンドラーの評伝としての完成度も見事で、本編はさておき、この簡にして要を得た巻末解説は凄い読み応えだ。何より今迄に読んだ数あるチャンドラー論の中でも文句なしに最高水準のものだ。
今年はディーヴァーのチャンドラー論に触れる事ができたのも楽しかった。その上に村上のチャンドラー論が読めるというのも夢のようだ。そのディーヴァーはジャンルを越えた作家とチャンドラーを評していた。村上もディーヴァーと同じ事を、ジャンルとの関係などはじめから無視することで表している。というのも、この本のカバーにも、解説の文中にも、何処を探しても ハードボイルドのハの字も無い。早川が出すチャンドラーにハードボイルドの表記が無い。これは、名代の大看板下ろすようなもので、世が世なら考えられない事態ではある。しかし、早川の営業戦略には今回その必要がなかったのだろうことは容易に想像がつく。村上にとっても、それは同様で、その気持はよくわかる(ような気がする)。
本文はさておき、早速巻末の訳者あとがきに目を通した。
チャンドラーの文章からその特質を説き起こし、「ロング・グッドバイ」の作品論からグレート・ギャッツビーとの相似性を明らかにして行く展開は、 従来のチャンドラー像、チャンドラー研究を更新する斬新さ。切り口の鮮やかさとともにこの本全体を通してのクライマックスともいえるスリリングな面白さにあふれている。チャンドラーの評伝としての完成度も見事で、本編はさておき、この簡にして要を得た巻末解説は凄い読み応えだ。何より今迄に読んだ数あるチャンドラー論の中でも文句なしに最高水準のものだ。
今年はディーヴァーのチャンドラー論に触れる事ができたのも楽しかった。その上に村上のチャンドラー論が読めるというのも夢のようだ。そのディーヴァーはジャンルを越えた作家とチャンドラーを評していた。村上もディーヴァーと同じ事を、ジャンルとの関係などはじめから無視することで表している。というのも、この本のカバーにも、解説の文中にも、何処を探しても ハードボイルドのハの字も無い。早川が出すチャンドラーにハードボイルドの表記が無い。これは、名代の大看板下ろすようなもので、世が世なら考えられない事態ではある。しかし、早川の営業戦略には今回その必要がなかったのだろうことは容易に想像がつく。村上にとっても、それは同様で、その気持はよくわかる(ような気がする)。
2006/07/29
「アフターダーク」村上春樹
社会は確固としてあり、制度は正しく機能しているように見える。でも、自他との関係性に戸惑い、喪失観を覚えながら世界の確かな手触りを探し求める。「風の歌を聴け」からこっち、村上春樹のテーマは一貫している。デビュー25周年記念を謳った最新作「アフターダーク」も例外でない。
真夜中の大都会。ファミレスで、ラヴホテルで、オフィスで、小さな公園で、様々な眠れぬ理由を抱えた人たちの時間が過ぎていく。
新作はキャラクターもモチーフも村上春樹ならではだが、視点=描写は一新している。これまでのように、主人公の独白から作家が抱いている世界への違和感や評価を読み取ることはできない。おそらく、そうした読まれ方を拒否しようとする立場から、視点は単なる視点とし、純粋なカメラアイとしての描写に徹した今回のスタイルが生み出されたのではないか。
ドキュメント、というより読者に客観を意識させ続けることを第一義としたような文章は、春樹的世界を期待する読者に、そんなものを求めるより、自分の目で世界を観ろと語りかけているようで、そうした気配は、作者特有の比喩も警句もユーモアさえ排除されているところにも感じられる。自分の得意手を封じ込め、表現を革新しようとするのは芸術家の必然でもあるが、そんな作者の姿勢と勇気には敬服しつつ、しかし結果にこれまで以上の成果が認められるかどうかは別の話。
50半ばの作者が20代前半の男女をどう描くか。別にどう描こうが、リアリティーあれば構わない。だが「アルファビル」や「ある愛の詩」を引用する今時の大学生にリアリティーがあるか。特殊すぎないか。オヤジの趣味を今時の若者に語らせるのはかっこ悪いのではないか。スタジャンにベースボールキャップの使い方も、キャラクター的には理解できるが今時どれほどのヤングがナウなファッションとして支持するか疑わしい。そのあたりの説得力の乏しさに、流れ去った時間の長さが映っているようだ。
今までと違う視点を用意したならなら、今までとは違うものが見えてもいい。だが、導入からはロバートワイズを、姉妹には「グロテスク」を、眠り姫と顔なし男には「回路」が連想されるなど、どこかで観たような感じがつきまとうのも気になった。何より読者に客観を強いる割に、作者がをそれほど自分を客観視していないようなのが一番気になった。
とはいいながら、ファンとしては、しっかり楽しんだのも確かなこと。
真夜中の大都会。ファミレスで、ラヴホテルで、オフィスで、小さな公園で、様々な眠れぬ理由を抱えた人たちの時間が過ぎていく。
新作はキャラクターもモチーフも村上春樹ならではだが、視点=描写は一新している。これまでのように、主人公の独白から作家が抱いている世界への違和感や評価を読み取ることはできない。おそらく、そうした読まれ方を拒否しようとする立場から、視点は単なる視点とし、純粋なカメラアイとしての描写に徹した今回のスタイルが生み出されたのではないか。
ドキュメント、というより読者に客観を意識させ続けることを第一義としたような文章は、春樹的世界を期待する読者に、そんなものを求めるより、自分の目で世界を観ろと語りかけているようで、そうした気配は、作者特有の比喩も警句もユーモアさえ排除されているところにも感じられる。自分の得意手を封じ込め、表現を革新しようとするのは芸術家の必然でもあるが、そんな作者の姿勢と勇気には敬服しつつ、しかし結果にこれまで以上の成果が認められるかどうかは別の話。
50半ばの作者が20代前半の男女をどう描くか。別にどう描こうが、リアリティーあれば構わない。だが「アルファビル」や「ある愛の詩」を引用する今時の大学生にリアリティーがあるか。特殊すぎないか。オヤジの趣味を今時の若者に語らせるのはかっこ悪いのではないか。スタジャンにベースボールキャップの使い方も、キャラクター的には理解できるが今時どれほどのヤングがナウなファッションとして支持するか疑わしい。そのあたりの説得力の乏しさに、流れ去った時間の長さが映っているようだ。
今までと違う視点を用意したならなら、今までとは違うものが見えてもいい。だが、導入からはロバートワイズを、姉妹には「グロテスク」を、眠り姫と顔なし男には「回路」が連想されるなど、どこかで観たような感じがつきまとうのも気になった。何より読者に客観を強いる割に、作者がをそれほど自分を客観視していないようなのが一番気になった。
とはいいながら、ファンとしては、しっかり楽しんだのも確かなこと。
2006/05/21
春樹訳 チャンドラー
チャンドラーの「ロング・グッドバイ」が村上春樹訳で来春出版予定だとのこと。
http://opendoors.asahi.com/asahido/boston/002.html
何てこった。 夢想が実現するなんて。
感想> 海辺のカフカ 上・下 村上春樹
少年は世界で一番タフな15歳になろうと思う。猫語を話す独居老人は覚醒する。ドラゴンズファンが海を渡る。全ての道は四国へ。断ちがたい欲望と目に見えぬ悪意。失われた時間は失われたまま、ジョニー・ウォーカーの野望とカーネル・サンダースの思惑が交差する時、秘密の回路が開きはじめる。メタファーに充ちた世界の冒険のメタファー「海辺のカフカ」。
村上春樹は面白い。大概において刺激的だし感動的だ。優しい気持ちにさせてくれるし、静かに力づけてもくれる。ここ数年は、インタビュー、ルポルタージュ、短編集などが相次ぎ、自分などは以前のような村上春樹的世界への欲求が高まっていただけに、「海辺のカフカ」の濃厚な村上テイストには、ある種の懐かしさをおぼえながらすっかり引き込まれてしまった。
懐かしさとは、登場人物達が忘れ物を探し出そうと過去に捕らわれ続けているからであり、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を思い出させるからでもあり、そんな風に、物語は一見過去に向かっているようだがそうでは無い。未来のために過去を清算しようとする登場人物達にも懐かしさは漂っている。
絶妙な語り口でスリリングに展開される物語には、生と性、死と暴力が深く立ちこめているし、緻密な構成、洒落た設定、不思議な人物達に気の効いた台詞、スノビズムもペダンティズムも健在。過去の村上作品を集大成するモチーフも網羅されている。
そうした春樹的特徴を十二分に備えながら、しかし、世界への違和感や、居場所の無さに途方にくれるしかなかった過去の登場人物達とは明らかに一線を画した「海辺のカフカ」の登場人物達。感情は押さえられる一方で軽妙さが増している。より平易な言葉によってやさしく分りやすくなった表現に、人を喰ったような大胆さと、心の底の微かな思いに柔らかな光を当てる繊細さとが鮮やかに立ち上がる。
「風の歌を聴け」からこのかた、村上春樹が何を受け取り、何を育んできたきたか。オームと阪神淡路の震災を抱え込んだ挙げ句の、到達点とも新たな出発点とも言えそうな「海辺のカフカ」の、これまでに無い強さと美しさ。全ての面で、新作は洗練の度を深めて素晴らしい。
世界一タフな15歳を目指した少年はどうなったか。何と何と、優しくなれなければ生きていかれぬと思い定め、足取りも確かな一歩を踏み出すのだ。訳書も多い村上の、次はサリンジャーだそうで、これはナイスなキャスティングだが、村上春樹はどうしてチャンドラーに手をつけないかと、思わず夢想するのだった。
02.09.26
発行 新潮社 2002.9.10 価格 各1600円+税
http://opendoors.asahi.com/asahido/boston/002.html
何てこった。 夢想が実現するなんて。
感想> 海辺のカフカ 上・下 村上春樹
少年は世界で一番タフな15歳になろうと思う。猫語を話す独居老人は覚醒する。ドラゴンズファンが海を渡る。全ての道は四国へ。断ちがたい欲望と目に見えぬ悪意。失われた時間は失われたまま、ジョニー・ウォーカーの野望とカーネル・サンダースの思惑が交差する時、秘密の回路が開きはじめる。メタファーに充ちた世界の冒険のメタファー「海辺のカフカ」。
村上春樹は面白い。大概において刺激的だし感動的だ。優しい気持ちにさせてくれるし、静かに力づけてもくれる。ここ数年は、インタビュー、ルポルタージュ、短編集などが相次ぎ、自分などは以前のような村上春樹的世界への欲求が高まっていただけに、「海辺のカフカ」の濃厚な村上テイストには、ある種の懐かしさをおぼえながらすっかり引き込まれてしまった。
懐かしさとは、登場人物達が忘れ物を探し出そうと過去に捕らわれ続けているからであり、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を思い出させるからでもあり、そんな風に、物語は一見過去に向かっているようだがそうでは無い。未来のために過去を清算しようとする登場人物達にも懐かしさは漂っている。
絶妙な語り口でスリリングに展開される物語には、生と性、死と暴力が深く立ちこめているし、緻密な構成、洒落た設定、不思議な人物達に気の効いた台詞、スノビズムもペダンティズムも健在。過去の村上作品を集大成するモチーフも網羅されている。
そうした春樹的特徴を十二分に備えながら、しかし、世界への違和感や、居場所の無さに途方にくれるしかなかった過去の登場人物達とは明らかに一線を画した「海辺のカフカ」の登場人物達。感情は押さえられる一方で軽妙さが増している。より平易な言葉によってやさしく分りやすくなった表現に、人を喰ったような大胆さと、心の底の微かな思いに柔らかな光を当てる繊細さとが鮮やかに立ち上がる。
「風の歌を聴け」からこのかた、村上春樹が何を受け取り、何を育んできたきたか。オームと阪神淡路の震災を抱え込んだ挙げ句の、到達点とも新たな出発点とも言えそうな「海辺のカフカ」の、これまでに無い強さと美しさ。全ての面で、新作は洗練の度を深めて素晴らしい。
世界一タフな15歳を目指した少年はどうなったか。何と何と、優しくなれなければ生きていかれぬと思い定め、足取りも確かな一歩を踏み出すのだ。訳書も多い村上の、次はサリンジャーだそうで、これはナイスなキャスティングだが、村上春樹はどうしてチャンドラーに手をつけないかと、思わず夢想するのだった。
02.09.26
発行 新潮社 2002.9.10 価格 各1600円+税
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