社会は確固としてあり、制度は正しく機能しているように見える。でも、自他との関係性に戸惑い、喪失観を覚えながら世界の確かな手触りを探し求める。「風の歌を聴け」からこっち、村上春樹のテーマは一貫している。デビュー25周年記念を謳った最新作「アフターダーク」も例外でない。
真夜中の大都会。ファミレスで、ラヴホテルで、オフィスで、小さな公園で、様々な眠れぬ理由を抱えた人たちの時間が過ぎていく。
新作はキャラクターもモチーフも村上春樹ならではだが、視点=描写は一新している。これまでのように、主人公の独白から作家が抱いている世界への違和感や評価を読み取ることはできない。おそらく、そうした読まれ方を拒否しようとする立場から、視点は単なる視点とし、純粋なカメラアイとしての描写に徹した今回のスタイルが生み出されたのではないか。
ドキュメント、というより読者に客観を意識させ続けることを第一義としたような文章は、春樹的世界を期待する読者に、そんなものを求めるより、自分の目で世界を観ろと語りかけているようで、そうした気配は、作者特有の比喩も警句もユーモアさえ排除されているところにも感じられる。自分の得意手を封じ込め、表現を革新しようとするのは芸術家の必然でもあるが、そんな作者の姿勢と勇気には敬服しつつ、しかし結果にこれまで以上の成果が認められるかどうかは別の話。
50半ばの作者が20代前半の男女をどう描くか。別にどう描こうが、リアリティーあれば構わない。だが「アルファビル」や「ある愛の詩」を引用する今時の大学生にリアリティーがあるか。特殊すぎないか。オヤジの趣味を今時の若者に語らせるのはかっこ悪いのではないか。スタジャンにベースボールキャップの使い方も、キャラクター的には理解できるが今時どれほどのヤングがナウなファッションとして支持するか疑わしい。そのあたりの説得力の乏しさに、流れ去った時間の長さが映っているようだ。
今までと違う視点を用意したならなら、今までとは違うものが見えてもいい。だが、導入からはロバートワイズを、姉妹には「グロテスク」を、眠り姫と顔なし男には「回路」が連想されるなど、どこかで観たような感じがつきまとうのも気になった。何より読者に客観を強いる割に、作者がをそれほど自分を客観視していないようなのが一番気になった。
とはいいながら、ファンとしては、しっかり楽しんだのも確かなこと。