水戸黄門の主題歌ではないが、人生はしばしば旅になぞらえられる。しかし、一口に旅と言っても、身一つを頼りの風まかせで追いはぎ、雲助、胡麻の灰の脅威をかわしながら歩き通した昔の人に較べたら、より速く、より遠く、より豊かな旅を楽しむ現代人は何と恵まれていることか。
昔から、日本武尊や源義経の悲劇の旅や、道行きという名の死出の旅は、好んで劇化され、多くの人々に支持されてきた。西行法師や「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と詠んで果てた芭蕉を待つまでもなく、昔の旅には寂寥、孤独、死の影も色濃い。
そうした時代の旅を笑いで革新したのが「東海道中膝栗毛」ということで、駿府の同心の家に生まれた男が紆余曲折を経て十辺舎一九となるまでが、田沼意次のバブルから松平定信の緊縮財政へと移る時代背景とともに描かれる。伸びた背筋が気持ち良い十辺舎一九の肖像。当時の政治経済文化風俗描写は切れ味よく、蘊蓄もストーリーに無理なく馴染んで、テンポ良くリーダビリティーも高い。趣向を凝らしたエンディングの余韻も好ましかった。
3月26日 第1刷
1800円
講談社
2008/04/29
2007/07/18
直木賞 松井今朝子
松井今朝子さんの直木賞はうれしい。
受賞作「吉原手引草」については、浅田次郎の選評が誠に当を得ている。
失踪した花魁の謎を追う、という始まりから、
吉原という特異な場所の文化、暮らしの細部に焦点を合わせ、
蘊蓄が蘊蓄を越えて物語をグイグイ押し進める。
次第に全体像がくっきりと浮かび上がってくる。
プロセスの醍醐味に鮮やかな落ち。
見事な語りのテクニックと構成の妙は
ぽっと出の新人には出来ない芸当だろう。
経験と研鑽に裏付けられた、目も手も高い大人の仕事だ。
この1年間せっせと読み進めた川上弘美と松井今朝子。
松井今朝子のハードカバーは全部集めたが、古本ばかり。
遅れてきたファンとしては後ろめたくもあったが、
唯一新刊で買った新作の受賞でそれも消えた。
川上弘美の芥川賞選考委員就任ともどもめでたいことなのだった。
受賞作「吉原手引草」については、浅田次郎の選評が誠に当を得ている。
失踪した花魁の謎を追う、という始まりから、
吉原という特異な場所の文化、暮らしの細部に焦点を合わせ、
蘊蓄が蘊蓄を越えて物語をグイグイ押し進める。
次第に全体像がくっきりと浮かび上がってくる。
プロセスの醍醐味に鮮やかな落ち。
見事な語りのテクニックと構成の妙は
ぽっと出の新人には出来ない芸当だろう。
経験と研鑽に裏付けられた、目も手も高い大人の仕事だ。
この1年間せっせと読み進めた川上弘美と松井今朝子。
松井今朝子のハードカバーは全部集めたが、古本ばかり。
遅れてきたファンとしては後ろめたくもあったが、
唯一新刊で買った新作の受賞でそれも消えた。
川上弘美の芥川賞選考委員就任ともどもめでたいことなのだった。
2006/10/03
東洲しゃらくさし

平成九年に書き下ろされた松井今朝子のデビュー作。
題名から明らかなように写楽もの。寛永年間に忽然と登場し、短期間に幾多の傑作を残して忽然と消えた謎の絵師。写楽の謎を求めてはいくつかの作品が書かれている。それらは写楽の正体について、魅力的な答えの一つとして了解されるものの、謎は依然謎のまま生き続けている。先人、先達が寄ってたかって発掘し尽くした感のある写楽。そのような写楽を、あえてデビュー作に持ってこようというは一体どんな了見かと思うが、松井今朝子という人がいかに性根の座った、良い根性の持ち主であるかは、一読すれば良く判る。
大阪の狂言作者並木五兵衛が江戸に下った時期と、写楽の登場とが期を一にしているという史実から広げた物語は、上方と江戸の文化的相違を軸に、歌舞伎にまつわる人々の様々な生業、営みをもって写楽とその時代を説き起こし、返す刀で写楽の謎を描き切る。といっても、写楽の謎を解き明かすということではなく、当時の状況に納まる写楽像はこんな風ではなかったかとするその造形にも説得力がある。
客観に徹した作者の態度が心地よい。安易な感傷に煩わされることなく切れのいい叙情が味わえる。歌舞伎の制作、劇評に長く携わっていたという作者の分厚い知識教養も、物語の流れに自然に溶け込んで、単なる蘊蓄の辛さもない。
新人のデビュー作と感じさせぬ、悠揚迫らぬ筆致で描かれた写楽の時代。感傷に訴えようとはしない作者だから、こちらも作中人物への感情移入や思い入れもなく読み進めてきたつもりだったが、淡々と綴られたエピローグには思いがけずにほだされ涙こぼれそうになった。鮮やかな幕切れに柝の音がいっそう高く鳴って、深い余韻に包まれた。
PHP文庫 2001.8.15 1刷
2006/10/02
非道、行ずべからず 松井今朝子

文化六年巳歳の元日、年頭恒例の舞台も無事済んだその夜、江戸随一の芝居小屋中村座は、隣町から押し寄せてきた火の手に焼け落ちた。翌朝、焼け跡に立った太夫元十一代目中村勘三郎が今後の方策を思案する間もなく、焼け残りの行李から男の他殺体が発見される。
北町同心と同心見習いの二人、ベテランと新人コンビが挑む江戸最大の芝居小屋に繰り広げられる連続殺人事件。今に続く歌舞伎の、江戸時代の名人上手はどんな舞台を作っていたのか、芝居小屋はどう運営されていたのかなど、芸道ものバックステージ物としての興味深い蘊蓄、エピソードをミステリの流れに巧く溶け込ませている。
非道、行ずべからずとは、斯道を全うしようと思うなら、他の事しておっつくもんじゃないよ、ってことらしい。芸人たるもの芸に生きるのが本分。人の道より芸の道ってのは当然のこと。という世界の面白さが、多彩な、味わい深いキャラの魅力とともに描き込まれて、深みと奥行き、懐の深さを感じさせる面白さ。
作者は京都の出身で長く松竹で歌舞伎の興行に携わっていたらしい。ベタつかないけど優しさを感じさせる人間の描き方がクール。きりっとしてメリハリも効いた文章も魅力的だ。直木賞候補作ということだが、落選というより、直木賞とれる程つまらなくないというところかな。全作読む。
05年4月25日 1刷 集英社文庫 838円
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