2005/09/18

魂萌え  桐野夏生

子供達はとうに独立し、定年退職した夫と静かに暮らそうと思っていた矢先、何の前触れもなく夫が急死。この先一人でどう生きるか。途方に暮れる妻に息子夫婦は僅かな遺産を当てににじり寄ってき、追い打ちをかけるように夫の背信が発覚する。

いきなり切羽詰まった状況から説き起こし、中高年なら多少なりとも身に覚えのある問題を巧みに織り込みながら、お人好しの未亡人が窮地に陥ってゆく様がスリリングなものだから思わず引き込まれた。

世知辛さはいや増し、老い先はどんどん長くなる昨今。既成の価値観丸呑みの、世間知らずが、そのままで幸せな老後を送れるほど世の中甘くない。何より本人がしっかりしなきゃ。と友人に鼓舞されても、そうそう人は変われやしないが、環境に適応できなきゃ生きられない。

夫の陰で自己抑制に慣れきった妻の覚醒。といえば「人形の家」だが、変な人達や思いもかけぬ出来事に戸惑いながら感覚を拡大させていく魂萌え妻の様子は、むしろウサギ穴に落下したアリスに近い。

初老を迎えることへの不安を様々なトラブルに託して提示する前半は、作者得意のダークで容赦ない人間観察が冴えて面白さ抜群。主人公がどんどん窮地に追い込まれていくスリル、サスペンスに目が離せない。この人は身勝手とか悪意とか書かせるとほんとに巧いのだ。

人生避けては通れない諸々をどう乗り越えていくか、窮地に陥った妻が反撃に転ずる後半部は、初老問題解決シミュレーションで、いかに老後を生きるべきかのHOWTO本と言ってもいい。最近では若年性アルツハイマーに材を得た「明日の記憶」にも同じような印象を持ったが、こういうのが流行なのだろうか。面白さは認めるし勉強もさせてくれるが、この方向は小説の面白さ魅力を衰弱させていく気がするんだよなぁ。

05.4.25発行  毎日新聞社

2005年7月 4日 (月)