2008/02/05

スゥイニー・トッド

無垢なまんまじゃ生きていけない。汚れたまんまじゃ生きる資格もない。などと、チャンドラーを気取るわけではない。無垢なまま生きるにはいろいろ苦労が絶えないという、ティム・バートンの世界に想いを馳せているのだ。

無垢なるものが生きるには、世間から隔絶した空間に逃避するか、世間の相場に適応してくかのどちらかしかない。だから、シザー・ハンズ・エドワードは城に帰り、チャーリーはチョコレート工場に隠遁したりしたものだった。適応するなら、ゴッサムシティーでバットマンになったり、スリーピーホロウ村まで首なし死体を追いかけにいったり、時にはビッグフィッシュに遭遇する幸運を得た者もあった。ハロウィン・タウンのジャックはクリスマス・タウンに出かけて挫折したりしたわけだが、何れにしても、乳幼児以外の無垢とか純粋には、どうしたってトラブルがつきものってのがティム・バートンの主張だ。

優しく美しい妻と生まれたての赤ん坊。幸せな理髪師ベンジャミン・バーカーを一挙に地獄へと陥れる邪な欲望。無垢なるベンジャミンは、スゥイニー・トッドと名を変え、家族を奪った魔都ロンドンに相応しい邪悪さをもって蘇るのだった。という期待の新作は世にも名高いヒットミュージカルだが、なるほどティム・バートンにぴったりの内容ではある。

回転する歯車と流れる血の色。緊張感と美しさで見せるメインタイトルから素晴らしい。ジョニー・デップはヴィジュアルもボーカルもスタイリッシュで申し分なく、アラン・リックマンの、出てくるだけで場が引き締まるいつもながらの存在感にも惚れ惚れ。ヘレナ・ボナム・カーターだって負けてはいない。哀感溢れるゴシック的妖しさでイライラさせる魅力も全開なのだ。

異常が正常な世界。異常な登場人物達ばかりなので、楽曲の普通の美しさが際立つ。際立つが、いわゆるミュージカル的なもので、絵とのギャップに戸惑う感じがあって、ダニー・エルフマンならどうだろうかなどと、ちらり頭をよぎったりした。しかしまあ、ティム・バートン独特のイマジネーションは今回もハイレベルで、陰鬱な画面に芸達者達の達者な芸が陰鬱な華やぎを添える独壇場の美しさ。強い牽引力でグイグイ引っ張る。

スゥイニー・トッドの狂気は無垢さの裏返し。次から次へと犠牲者が増えるのも無垢なるが故、郊外の城へと導いてくれる庇護者も、チョコレート工場もスゥイニー・トッドには無い。クリスマスの雪を削りだすエドワードの姿が、美しくもロマンティックなエンディングとして描かれてから18年経って、今や、無垢なる愛は地獄のかまどに劫火が燃え盛る理髪店の階下で、妻の亡がらを抱きながら息絶えるベンジャミン・バーカーへと姿を変えたけれど、その無垢なる本質に変化は無い。ただ、ティム・バートンも歳をとり、世界は地獄との距離を一層縮めているだけなのだ。