6月9日
上野のレオナルド展にいく。開館前30分並んでご対面。遠くから徐々にアプローチしていく段取り。印刷物では感じなかったが、マリアの顔が誰かに似ている。あ、そうだ、藤田の描く女性のようだ。と思ったら何だか余計藤田的に見えてきた。藤田はきっとこのマリアに触発されたに違いないと、勝手に確信した。
洗礼名だってレオナルドであることだし。
1消失点の遠近法と空気遠近法の併用による奥行きの深い表現が視線を画面奥の白い山へと誘導する。この山が異様に強い存在感を発揮していて、つい見入ってしまう。画面を横切る白い石塀を横棒に、山へと一直線に向かう視線は縦棒とすれば、ほとんど十字架を真上から俯瞰したような構造の空間でもある。
受胎を告知されたマリア。キリストの受難が不可避となった瞬間。マリアと対峙するガブリエルの不気味な表情は、この母子の行く末を幻視した故のことなのか。この瞬間から始まったキリストの歩み。幾多の苦難を越えて歩みを進め、受難へと向かうその生涯を暗示するかの様に、謎めいた白光に包まれた山が、輝きそびえ立っている。
レオナルドの次は上野の森美術館、アートで候展に急ぐ。今を時めく山口晃と会田誠の二人展。実に楽しみにしていた展覧会でもある。ミーハー的に山口目当てで出かけたがそれを上回る素晴らしい山口晃。会田誠の毒と腕力には押し倒された感じもある。絵が上手いということは実に大したもの。大友克洋、松本大洋、山口晃こうした画狂人たちが提供してくれる快感に浸る喜び。
上野を後に東京駅から新木場経由お台場。ノマディック美術館グレゴリー・コルベール展。
少年と象、鷲と女性クジラと男などで組み合わさった、人と動物のシンプルかつダイナミックな交歓の様子をムービーとスチールで捉えた作品の展示。ピュアな存在としての人と動物の有り様を見つめ直す。そんなメッセージがストレートに顕わされている。とても周到な準備と入念な演出の上に成り立っているのが良くわかる。作品はファッション写真のように美しく、劇的かつ感動的な光景が切り取られている。きれい過ぎるし、計算も過ぎていて、見る程に気持が冷めてしまった。カメラに写っていない事象の方により興味関心が向うような気分になってしまった。作品のナイーブな気配と入場料の高さの折り合わなさにも、いかがわしさが感じられるようで、この作品展は見込み違い、計算違いだった。