製作費3億ドル(約357億円)なのである。映画史上制作費最高記録を塗り替えたのである。実質的に、客観的にも世界1の歴史的作品が世界最速で一般公開される5月1日。しかも、1日は映画の日で料金は1000円ぽっきり。当然初回に拝見するのが人の道ってことだが、都合でこのチャンスをものできなかった。残念。
次善の策として翌2日、夫婦50割引2000円と、仕事帰りの1号にもレイトショー1200円を奮発、3人で3200円という低コストで、出来たてほやほやの3億ドル作品を見たのである。このゴールデンウイーク、シャネルビルにも、贅を尽くしたミッドタウンにも出かけたが、3千円と引替えた3億ドルが最高の贅沢だったかも。
で、肝心の中味の方はと言えば、ゴブリンジュニアとの確執は一時棚上げ、友情は蘇ったが、叔父の仇の脱獄や仕事上のライバルの活躍など悩みは絶えない。その上いつの間にか、M・Jとも気持がすれ違ってしまい、こんな筈じゃなかった感に戸惑いと孤独感を深めるピーターの弱みに付け込むように、暗黒面の力を増幅させる寄生生物が忍び寄るのだった。という随分欲張りなストーリー展開。
超人的な能力を持つごく普通の平凡な青年、という矛盾したキャラクターにトビー・マクガイアがそれらしい魅力と説得力を与えて、スパイダーマンには他のアメコミのスーパーヒーロー達とはひと味違った、普通ぽい雰囲気が強い。キルスティン・ダンストの地味さ加減も、絶対悪というような単純な設定でなく、哀しくも人間的な動機が用意された悪役達にも普通っぽい。今回のサンドマン、役者が魅力的で大変によろしいのである。特にサンドマンは助演男優賞クラスの名演技。来年のオスカーには是非ノミネートしてあげたい。ゴブリンジュニアのジェームズ・フランコもいい。
ドラマ部分が重いのである。結構泣けるしっかりしたドラマ展開なのである。それをはねのけるように、スピード感と躍動感にあふれたスパイダーマンのアクションが炸裂して、ようやく種々の問題が解決される。観客の感覚も解放される。あーようやくスッとした。
しかし、最期の最期に、本当の解決に必要なのは力ではないよ、犠牲的精神と赦しなのだよという、ヒーローものにはあるまじき大胆な結論へと落とし込む。これはこれは、制作費世界1の名に恥じぬ風格の、何と堂々たる完結編であることか。
原題:Spider-Man 3
監督:サム・ライミ
原作・製作総指揮:スタン・リー
脚本:アルビン・サージェント
撮影:ビル・ポープ
出演:トビー・マグワイア、キルステン・ダンスト、ジェームズ・フランコ、トーマス・ヘイデン・チャーチ、トファー・グレイス、ブライス・ダラス・ハワード
2007年アメリカ映画/2時間20分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2007/05/07
異邦人たちのパリ 展

品川、銀座経由で地下鉄乃木坂駅。国立新美術館にやってきた。裏口からのアプローチのよう。モネ展とのセットなら200円安くなるらしいがやめとこう。GW も真っ盛りで女性トイレには列ができている。
今迄何度か来ようと思いながら、人出が凄そうだと先延ばしにして、結局最悪の時期に来てしまった。しかし、最悪はモネ展だったようで、会場は混雑という程のこともない環境だった。
藤田のお出迎えから定番のビッグネームが続いて、何というか、この安定感は何だって感じは建物の尊大な印象に影響されたせいかも知らん。
マン・レイをはじめとする写真家たちの作品が面白い。アンドレ・ブルトンのカラー写真を初めて見た。ブルトンは嫌いだが、ブルトンの「ナジャ」は大好きだ。あれは自分が読んだ恋愛小説のオールタイムベストだったてなことをチラッと思い出す。
会場を出たらさすがに疲れを実感したが、人が多くて休む場所も無い。それなら話題のミッドタウンまで行ってしまえと歩き出す。
ミッドタウンはもっと凄かった。連休中の人出は相当なものだろうが、これから先、どれくらいの賑わいを見せるだろうか。閑散としたイメージばかりが脳裏に浮かんだ。
2007/05/04
エリオット・アーウィット写真展
アーウィットの写真集「PERSONAL BEST」の中から、各界著名人にお気に入りのショットを選ばせ、それをベースに再構成したという、手の込んだというか贅沢な趣向の写真展。それでいて、誰が何を選んだかというような表示は一切排されている。写真家と観客への敬意と主催者の誇りが示された入場無料。
著名人を写した作品はどれも見事な瞬間と表情とが捉えられているが、展示された作品のほとんどは、市井の人々の日常的な時間と空間をスナップしたかと思わせるものだ。あきらかな「やらせ」と見えるものと、偶然にその瞬間をとらえた様に見える作品とがある。絵画的な計算や鋭い批評性に基づいた作品や作為が前面に出過ぎている作品も、実際はどうなのか知らないが、どの作品にも共通して、作為も偶然も超越した決定的瞬間というものが明らかに見て取れる。
犬のジャンプ、子供の眼差し、老人の横顔、何時、何処で、誰を撮っても、何を撮っても、そこには奇跡としか思えない瞬間が写り込んでいる。必要な時に必要な奇跡を演出して見せるエリオット・アーウィット。
シンプルで分かりやすく、ユーモラスで美しいが、しかし、どこか必ず、何?どうして、と思わせる謎めいた事物が入り込んでこちらの一方的な理解は拒まれてしまうのだ。何気ない写真に潜む大いなる力と、ミステリアスな魅力。
E・アーウィット公式サイト http://www.elliotterwitt.com/lang/ja/index.html
著名人を写した作品はどれも見事な瞬間と表情とが捉えられているが、展示された作品のほとんどは、市井の人々の日常的な時間と空間をスナップしたかと思わせるものだ。あきらかな「やらせ」と見えるものと、偶然にその瞬間をとらえた様に見える作品とがある。絵画的な計算や鋭い批評性に基づいた作品や作為が前面に出過ぎている作品も、実際はどうなのか知らないが、どの作品にも共通して、作為も偶然も超越した決定的瞬間というものが明らかに見て取れる。
犬のジャンプ、子供の眼差し、老人の横顔、何時、何処で、誰を撮っても、何を撮っても、そこには奇跡としか思えない瞬間が写り込んでいる。必要な時に必要な奇跡を演出して見せるエリオット・アーウィット。
シンプルで分かりやすく、ユーモラスで美しいが、しかし、どこか必ず、何?どうして、と思わせる謎めいた事物が入り込んでこちらの一方的な理解は拒まれてしまうのだ。何気ない写真に潜む大いなる力と、ミステリアスな魅力。
E・アーウィット公式サイト http://www.elliotterwitt.com/lang/ja/index.html
ヘンリー ダーガー展 「少女たちの戦いの物語—夢の楽園」

1892ー1973 4歳で母と、8歳で父親と死別。知的障害児の施設に移されるが16歳で脱走。その後は一生を通して皿洗い兼掃除人として働きながら、1973年81歳で孤独のうちに生涯を閉じる。死後、部屋からタイプライターで清書された1万5145ページの戦争物語『非現実の王国で』とそのために描かれた300余点の大判の挿絵が発見され、その生涯と独創的な作品が注目を集める。
公序良俗に反する、と言っていい。
雑誌から切り抜かれ、カーボン紙でトレースされた少女達。世界は完全武装の兵士達と少女達で成り立っている。超ワイドな縦横比の画面に、ロリの変態かと見紛うヤバさのまま、パノラミックに繰り広げられるイメージの数々。
自作の物語に即した挿絵は大がかりなきいちの塗り絵のよう。何年にも渡って描き連ねてきた作品は、様々なサイズの紙を張り合わせ、全て同じ大きさに統一されている。それだけでも異様だが、更に驚いたのは紙の裏表にびっしりと作品が描き込まれていたこと。
戦う少女たちのイメージもその技法も一つ一つは月並みだが、組み合わせ方によって他に例を見ない独創的な世界が生まれている。
世間との接触は必要最小限度にとどめ、自分の空間で妄想と幻視を極めた男。溢れるイメージを描き出すために、紙を集め、しかるべきサイズに張り合わせること。用意が整った紙面に少女達のイメージを存分に描き込んで行く時間が、どれ程の至福をもたらしたか。生前、膨大な作品を誰にも見せることの無かったという事実が、その至福の濃密さを何より雄弁に物語っている。
妄想と幻視を、作ること、描くことの純粋な喜びに昇華した男の一生。引きこもりの大いなる先達が愛して止まなかった少女達の戦いも、作者の死後 30年を経過した今現在、一層のリアリティーをもって展開されていることを思えば、彼は幻視者などではなく、筋金入りのアウトサイダーだったかと納得がいった。
原美術館 http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html
2007/05/02
バベル
モロッコ、メキシコ、東京、4組の親子達。物理的な距離と心理的な距離とが反比例している。彼等が抱え込んだ現実の困難さと悲劇性が、時間と空間を自在に交錯させた技ありの脚本と力感溢れる演出とで精緻に織り上げられていく。
悲劇のきっかけとなるモロッコの、貧しい兄弟の暮らしの丹念な描写。彼等の放った銃弾の衝撃が、津波のように遠く離れた人々の暮らしを変えていく。生活感溢れる登場人物達の顔やロケーションの効果から、ドキュメンタリーのような迫真性が生まれている
前評判に違わぬ菊池凛子、聾者と設定されているわりにコミュニケーション不全は心理的な関係性の上にあり、ろう障害とは関係が無いのは意外だった。ろう即コミュニケーション困難な存在と誤解されることもありそうだがそれは違う。作品全体の中でも異質な雰囲気の日本パート。
時間と空間を錯綜させながらドラマを盛り上げて行く技術は全く大したものだ。編集は「トラフィック」でアカデミー賞を獲得したベテラン。技術の洗練は申し分ない。作品の完成度も素晴らしい。ブラッド・ピットが電話で子供とかわす会話の使い方の巧みなことなど、表現技術のレベルに感心するが、カタルシスに満たされることも、深く感動するということもない。
コミュニュケーション不全がテーマかと思わせるが、ここに描かれたのはむしろ貧困や経済格差を克服できない社会の問題だ。モロッコの親子もメキシコの親子も、彼等にはコミュニケーションより人並みの収入と暮らしが必要だ。それを保証できない政治的課題こそがより大きな問題だろう。そうした中、日本のエピソードだけがコミュニケーションの問題として描かれている。荒地での生活。砂漠での彷徨に対する東京砂漠の愛の不毛。
眼下に広がる光の砂漠に親子の再生を暗示するラストシーンは、この作品の数少ない救いの一つだ。しかし、モロッコの少年の悲劇もメキシコの母親の理不尽な現実にも、意義の申し立てのしようも無い。そうした現実を尻目に独走する勢いがこのラストシーンには無い。これが世界の現実と言われれば確かにそうなのだろう。だが、このメッセージの重さと技法の洗練がどうもうまく折り合わない。なんだか中途半端な気分でエンドロールを眺めた。
原題:Babel
監督・製作:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
製作:スティーブ・ゴリン、ジョン・キリク
脚本:ギジェルモ・アリアガ
撮影:ロドリゴ・プリエト
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベルナル、役所広司、菊地凛子、アドリアナ・バラッサ、二階堂智、エル・ファニング
2006年アメリカ=メキシコ合作/2時間22分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
悲劇のきっかけとなるモロッコの、貧しい兄弟の暮らしの丹念な描写。彼等の放った銃弾の衝撃が、津波のように遠く離れた人々の暮らしを変えていく。生活感溢れる登場人物達の顔やロケーションの効果から、ドキュメンタリーのような迫真性が生まれている
前評判に違わぬ菊池凛子、聾者と設定されているわりにコミュニケーション不全は心理的な関係性の上にあり、ろう障害とは関係が無いのは意外だった。ろう即コミュニケーション困難な存在と誤解されることもありそうだがそれは違う。作品全体の中でも異質な雰囲気の日本パート。
時間と空間を錯綜させながらドラマを盛り上げて行く技術は全く大したものだ。編集は「トラフィック」でアカデミー賞を獲得したベテラン。技術の洗練は申し分ない。作品の完成度も素晴らしい。ブラッド・ピットが電話で子供とかわす会話の使い方の巧みなことなど、表現技術のレベルに感心するが、カタルシスに満たされることも、深く感動するということもない。
コミュニュケーション不全がテーマかと思わせるが、ここに描かれたのはむしろ貧困や経済格差を克服できない社会の問題だ。モロッコの親子もメキシコの親子も、彼等にはコミュニケーションより人並みの収入と暮らしが必要だ。それを保証できない政治的課題こそがより大きな問題だろう。そうした中、日本のエピソードだけがコミュニケーションの問題として描かれている。荒地での生活。砂漠での彷徨に対する東京砂漠の愛の不毛。
眼下に広がる光の砂漠に親子の再生を暗示するラストシーンは、この作品の数少ない救いの一つだ。しかし、モロッコの少年の悲劇もメキシコの母親の理不尽な現実にも、意義の申し立てのしようも無い。そうした現実を尻目に独走する勢いがこのラストシーンには無い。これが世界の現実と言われれば確かにそうなのだろう。だが、このメッセージの重さと技法の洗練がどうもうまく折り合わない。なんだか中途半端な気分でエンドロールを眺めた。
原題:Babel
監督・製作:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
製作:スティーブ・ゴリン、ジョン・キリク
脚本:ギジェルモ・アリアガ
撮影:ロドリゴ・プリエト
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベルナル、役所広司、菊地凛子、アドリアナ・バラッサ、二階堂智、エル・ファニング
2006年アメリカ=メキシコ合作/2時間22分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
2007/04/30
クイーン

肖像画家にポーズをとりながら、退屈しのぎの会話を楽しむエリザベス。つま先からパンしたカメラがコスチュームの素晴らしい細部を映し出す。バストショットの女王がカメラ目線で正面に向き直るとThe Queenとディゾルブされるタイトル。おー、何てかこいい演出なんだ。何よりヘレン・ミレンのエリザベスぶりが素晴らしいので一気にノせられた。
ダイアナ妃の事故死に、王室と英国民の間に生じた認識のズレが徐々に拡大し、無視できない政治問題と化して対応を余儀なくされる葬儀までの1週間が、エリザベスとロイヤルファミリーの生活を通して活写される。王室としての筋を通すことが国民感情を悪化させてしまうことに戸惑いと苛立を募らせるファミリーの日々と、労働党の新首相として就任したブレアが、君主制への本音と建前の間でゆれながら使命を自覚していく様子が、物珍しくもスリリングに描かれ、実に面白い。
エリザベス女王は自分がもの心ついた時にはもうエリザベス女王だったが、認証を与えた首相は11人、1人目はチャーチルだったと新人のブレアを煙に巻く場面に古さも納得。
ブレアの奥さん、チャールズやエディンバラ公など、ちょっとヤバくないですかってくらいに辛辣な描かれ方。そんな週刊誌的な興味も満たしつつ、エリザベスとブレア、権威と権力を代表する二人が共感を深め、正しく国政に携わっていこうとするエピローグへとつなげる後味の良さもある。何と言っても、ダイアナ妃の葬儀を巡る確執をこんな角度からこんなに面白い脚本にしたセンス、映画にした勇気には脱帽。
ヘレン・ミレンが着こなす、シンプルなデザインだが素材と仕立ての良さも魅力的な王室ファッションも印象的だった。
原題:The Queen
監督:スティーブン・フリアーズ
脚本:ピーター・モーガン
撮影:アルフォンソ・ビアト
音楽:アレキサンドル・デプラ
出演:ヘレン・ミレン、ジェームズ・クロムウェル、アレックス・ジェニングス、マイケル・シーン
2006年イギリス=フランス=イタリア合作/1時間44分
配給:エイベックス・エンタテインメント
2007/04/29
ハンニバル・ライジング

映画化率120%のトマス・ハリスだが、「羊たちの沈黙」を越えたものはない。「ハンニバル」だって、アンソニー・ホプキンスが出ているだけではダメだったのである。レクターと拮抗するクラリス・スターリングの魅力に、残念ながらジュリアン・ムーアでは届かなかったのである。
「ハンニバル・ライジング」ではクラリス・スターリングに匹敵するキャラクターとして用意されているのが、若きハンニバルが憧憬してやまない庇護者紫夫人その人。日本文化を体現した神秘性と美しさでハンニバルに影響を与えた女性に紫夫人というネーミングはどうなのと言いたいが、式部があるんだから夫人だっておかしくは無かろうと言われれば、そうかも知れないと思う。これも文字情報ならではのことで、映像となるとそうはいかない。
紫夫人、コン・リーなのである。このキャスティングは違うだろ。気品と雅さ、東洋の神秘を身にまとうキャラじゃ無いだろうコン・リー。それだけじゃないのである。映像化された紫夫人の日本趣味はリアルでもなければ美しくもない、怪しいだけの虚仮威し。実にどーもなのである。
トマス・ハリスの脚本は、ハンニバルの育ちの部分をカットした以外、ほぼ原作通りだが、この映像化はとにもかくにも下品であまりに安手の仕上がりだ。これがトマス・ハリスの日出ずる国へのイメージ通りなら、ハンニバルのライジングは相当情けない。
原題:HANNIBAL RISING
製作:2007年イギリス/チェコ/フランス/イタリア
時間:2時間1分
配給:東宝東和
監督:ピーター・ウェーバー
脚本・原作:トマス・ハリス
撮影:ベン・デイビス
衣装:アンナ・シェパード
音楽:アイラン・エシュケリ / 梅林茂
キャスト
ギャスパー・ウリエル コン・リー リス・エヴァンズ
ケビン・マクキッドドミニク・ウェスト リチャード・ブレイク
カラー/スコープサイズ/ドルビーSRD
2007/04/22
ブラッド・ダイアモンド

90年代アフリカ。内紛が続くシエラレオネでは不当に採掘されたダイアモンドが反政府軍の兵器購入に充てられていた。盗掘された巨大ピンクダイヤを狙う男達。密輸業者と貧しい漁師が命をかけた争奪戦に飛び込んでゆく。
レオナルド・ディカプリオが複雑な過去を持つ密輸業者の屈折を好演すれば、ジャイモン・フンスーは子供を思う父親の心情を余すところなく演じ、両者アカデミー主演、助演にノミネートされたのも充分納得できる。
アフリカの赤い大地にハイテンションなレオナルド・ディカプリオが実にマッチしている。ジャイモン・フンスーとのコントラストもコンビネーションもナイス。この二人に、ダイヤ取引を牛耳るヨーロッパメジャーの腐敗を暴こうとする女性ジャーナリストを絡ませ、何より、この役をジェニファー・コネリーが魅力的に演じているため、作品もいっそう奥行きを増した。演出の力だ。
アフリカの現実は、極東の島国からはほとんど実感できない。こうしてアフリカを舞台にした作品に触れるくらいが関の山だが、それにしても、こうした作品から教えられることは少なくないし、アフリカに材を得た作品は昔から面白いものが多い。この「ブラッド・ダイアモンド」にしても、娯楽作品として文句なしの仕上がり。社会的な問題提起も、観客を十二分に楽しませる要素として物語の中に無理なくとけ込ませている点はお見事としか言いようが無い。
ま、無理なくというのは正確でなくて、反政府ゲリラが単なる犯罪者集団かサディストの集まりのように単純化されているのはいかにも惜しいのだが、内戦のアフリカと平和な日本がダイアモンドで直結してたなんてことも含めて、予告編から受けた印象とは全然違ったが、鮮やかな語り口の脚本と力感溢れる演出力で見せた緩急自在の2時間23分。全然長さを感じさせなかった。
監督:エドワード・ズウィック
脚本:チャールズ・レビット
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー、マイケル・シーン、アーノルド・ボスロー
2006年アメリカ映画/2時間23分
配給:ワーナー・ブラザース映画
2007/04/21
ハンニバル・ライジング 上・下 T・ハリス
「ブラック・サンデー」「レッド・ドラゴン」「 羊たちの沈黙」「ハンニバル」。著作のすべてが映画化(赤竜2回)されて、映画化率120%を誇る作家トマス・ハリス。サイコスリラーの頂点に君臨するレクターシリーズの、4度目の輝きを約束するかのようなタイトルもうれしい最新作ハンニバル・ライジングなのである。
ミステリ史上いつの世にもあまた登場するヒーロー達。その中から、時に不世出のヒーローへと変貌を遂げる存在が現われる。デュパン、ホームズ、ルパン、マーロウに至る、それら世界を変えた男達。彼らが「その後」の世界にどんな影響を及ぼし、どう変えたかは、その後に著わされた類書から容易に読み取ることができる。
倫理道徳宗教を越えた、ある種神がかりな存在でありながら快楽食人鬼という最悪の衣装をまとったハンニバル・レクターという大胆不敵なキャラクター。そのスキャンダラスな物語を通して、善悪の基準が溶解した現代の矛盾と混迷を浮かび上がらせた3部作によって、ハンニバル・レクターもまた、この輝かしいヒーロー達の殿堂にその名を連ねている。
で、サイコスリラーを革新したジャンル的貢献を越え、コナリー、T・J・パーカー、ジャック・カーリーなどへの広範囲な影響力も見逃せないレクター博士のライジングだが、うーん、どうなの。
営業的なことは分からないが、これは2分冊にするボリュームじゃあない。2分冊の本には、当然2分冊分の読み応えを予想するから、字間、行間こんな広くて余白もたっぷりだと、予想を裏切るこのスカスカ感が、作品そのものの印象へと結びつくことにもなりかねない。実に、読者メーワクなことである。
実際、淡白と言うか、素っ気ない語り口で展開するのは、レクターの子供時代から青年期に至る成長と青二才の復讐の物語であるから、レクター博士の濃密で息苦しくなるような成熟した味わいが影をひそめているのは判らないでもないが、時々、小説をというより、詳細なあらすじを読まされているような気分になったのも確かで、スカスカの2分冊はそんな気分も一層盛り上げる。
ハンニバル生誕の秘密に、より神秘的な彩りを添えるかのようなジャポニスムの導入は、大真面目な分、欧米向きな説得力はあるのかもしれないが、日本的にはズレと感じられることも少なくない。などと文句をいうより、久々のトマス・ハリス。史上も稀なミステリーヒーローの、日本趣味も横溢した誕生秘話なのだ、四の五の言わずにミーハー気分で楽しめなきゃファンとしての甲斐もない。
新潮文庫
ミステリ史上いつの世にもあまた登場するヒーロー達。その中から、時に不世出のヒーローへと変貌を遂げる存在が現われる。デュパン、ホームズ、ルパン、マーロウに至る、それら世界を変えた男達。彼らが「その後」の世界にどんな影響を及ぼし、どう変えたかは、その後に著わされた類書から容易に読み取ることができる。
倫理道徳宗教を越えた、ある種神がかりな存在でありながら快楽食人鬼という最悪の衣装をまとったハンニバル・レクターという大胆不敵なキャラクター。そのスキャンダラスな物語を通して、善悪の基準が溶解した現代の矛盾と混迷を浮かび上がらせた3部作によって、ハンニバル・レクターもまた、この輝かしいヒーロー達の殿堂にその名を連ねている。
で、サイコスリラーを革新したジャンル的貢献を越え、コナリー、T・J・パーカー、ジャック・カーリーなどへの広範囲な影響力も見逃せないレクター博士のライジングだが、うーん、どうなの。
営業的なことは分からないが、これは2分冊にするボリュームじゃあない。2分冊の本には、当然2分冊分の読み応えを予想するから、字間、行間こんな広くて余白もたっぷりだと、予想を裏切るこのスカスカ感が、作品そのものの印象へと結びつくことにもなりかねない。実に、読者メーワクなことである。
実際、淡白と言うか、素っ気ない語り口で展開するのは、レクターの子供時代から青年期に至る成長と青二才の復讐の物語であるから、レクター博士の濃密で息苦しくなるような成熟した味わいが影をひそめているのは判らないでもないが、時々、小説をというより、詳細なあらすじを読まされているような気分になったのも確かで、スカスカの2分冊はそんな気分も一層盛り上げる。
ハンニバル生誕の秘密に、より神秘的な彩りを添えるかのようなジャポニスムの導入は、大真面目な分、欧米向きな説得力はあるのかもしれないが、日本的にはズレと感じられることも少なくない。などと文句をいうより、久々のトマス・ハリス。史上も稀なミステリーヒーローの、日本趣味も横溢した誕生秘話なのだ、四の五の言わずにミーハー気分で楽しめなきゃファンとしての甲斐もない。
新潮文庫
2007/04/19
ハッピーフィート

皇帝ペンギンなら誰でも心の歌を持っている。それは誰からも与えらない。身体の奥から生まれてくるものなのだ。皇帝ペンギン界最高の歌姫から生まれたマンブルなのに、何故か歌うことができない。それどころか、反ペンギン的なパタパタ足(ハッピーフィート)の持ち主だった。パタパタ足でどんなに見事なリズムを刻むことができても、心の歌を歌えぬ限り、まともなペンギンとは認められないのだ。マンブルはペンギン界の価値を紊乱する不吉な異端児として長老の不興を買い、群れから追放される。
映画館で2回観たが2回とも寝てしまい、DVDは発売即購入したけどまだ見ていない程度の「カーズ」好きとしては、「カーズ」を抑えて今年のアカデミー長編アニメ賞をさらった作品なので、なんか虫が好かないがどうも気になって、とにかく正体だけでも見届けようと、アンチな気分で出かけたのだが、ダイナミックな南極の光景をバックに繰り広げられる貴種ペンギンマンブルの流離譚は、パタパタ足の珍なるステップとペンギン達の熱唱が炸裂するミュージカル CGアニメ。なるほど、悪くない。意外にも好感してしまった。
動物アニメは擬人化の巧みさとかわいらしさで見せることが多いが、ハッピーフィートはリアルさでキャラクターデザインしているのが新味だ。尤も、ペンギン自体が既に完成度高く擬人化されたような、愛嬌のあるスタイルと動きを持つキャラクターではあるのだけど。
ペンギンも南極の自然も見事な映像だが、CGというより記録映画そのままのリアルな描写。それも後半明らかになるこの作品のテーマ、メッセージに直結する表現として納得できる。CGとしての絵的な新しさはないが、その分カメラは良く動くし、モッブシーンの迫力や空気感の奥行きなど、スケールの大きい絵造りは魅力的だ。
人間の姿を、あくまでペンギンの視点からだけで描ききっている点も面白い。トイ・ストーリーでもシドという悪ガキの登場はインパクトあったが、ハッピーフィートでは人間そのものが不気味で恐ろしい存在として描かれている。深い。
巻頭とエンディングの、ことさら宇宙を意識した映像に挟まれた家族と仲間の大切さを説く物語。マクロからミクロへ、ミクロからマクロへと繋がった宇宙の、バランスを壊し続ける文明の愚かさをペンギンの立場から描いた、ご家族向けとしては誠に骨っぽい作品といえる。アカデミー賞受賞作にしては、興行的に振るわない原因もこのヤバさ加減にあるな。
ブリタニー・マーフィの声がものすごくキュートでしびれた。
原題:Happy Feet
製作・脚本・監督:ジョージ・ミラー
共同脚本:ジョン・コリー、ジュディ・モリス、ウォーレン・コールマン
音楽:ジョン・パウエル
声の出演:イライジャ・ウッド、ブリタニー・マーフィ、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマン、ヒューゴ・ウィービング、ロビン・ウィリアムズ
2006年アメリカ映画/1時間48分
配給:ワーナー・ブラザース映画
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