「ブラック・サンデー」「レッド・ドラゴン」「 羊たちの沈黙」「ハンニバル」。著作のすべてが映画化(赤竜2回)されて、映画化率120%を誇る作家トマス・ハリス。サイコスリラーの頂点に君臨するレクターシリーズの、4度目の輝きを約束するかのようなタイトルもうれしい最新作ハンニバル・ライジングなのである。
ミステリ史上いつの世にもあまた登場するヒーロー達。その中から、時に不世出のヒーローへと変貌を遂げる存在が現われる。デュパン、ホームズ、ルパン、マーロウに至る、それら世界を変えた男達。彼らが「その後」の世界にどんな影響を及ぼし、どう変えたかは、その後に著わされた類書から容易に読み取ることができる。
倫理道徳宗教を越えた、ある種神がかりな存在でありながら快楽食人鬼という最悪の衣装をまとったハンニバル・レクターという大胆不敵なキャラクター。そのスキャンダラスな物語を通して、善悪の基準が溶解した現代の矛盾と混迷を浮かび上がらせた3部作によって、ハンニバル・レクターもまた、この輝かしいヒーロー達の殿堂にその名を連ねている。
で、サイコスリラーを革新したジャンル的貢献を越え、コナリー、T・J・パーカー、ジャック・カーリーなどへの広範囲な影響力も見逃せないレクター博士のライジングだが、うーん、どうなの。
営業的なことは分からないが、これは2分冊にするボリュームじゃあない。2分冊の本には、当然2分冊分の読み応えを予想するから、字間、行間こんな広くて余白もたっぷりだと、予想を裏切るこのスカスカ感が、作品そのものの印象へと結びつくことにもなりかねない。実に、読者メーワクなことである。
実際、淡白と言うか、素っ気ない語り口で展開するのは、レクターの子供時代から青年期に至る成長と青二才の復讐の物語であるから、レクター博士の濃密で息苦しくなるような成熟した味わいが影をひそめているのは判らないでもないが、時々、小説をというより、詳細なあらすじを読まされているような気分になったのも確かで、スカスカの2分冊はそんな気分も一層盛り上げる。
ハンニバル生誕の秘密に、より神秘的な彩りを添えるかのようなジャポニスムの導入は、大真面目な分、欧米向きな説得力はあるのかもしれないが、日本的にはズレと感じられることも少なくない。などと文句をいうより、久々のトマス・ハリス。史上も稀なミステリーヒーローの、日本趣味も横溢した誕生秘話なのだ、四の五の言わずにミーハー気分で楽しめなきゃファンとしての甲斐もない。
新潮文庫