
子供は親のことなど眼中にないが、親がどれ程子供のことを気にかけているものか。子に先立たれた親の痛ましい報道に接する度に、家族が抱え込まざるを得ない辛さ、察するには余りある絶望を思わずにはいられない。この映画は、変質者によって非業の死を遂げた少女を軸に、家族が負った傷の深さが描かれる。主演のシアーシャ・ローナンは人生の一定期間にだけ存在できる少女としてこの上ない美しさ。その妖精のような輝きが厄災の種となり、その魅力が映画全体を支えていく。死者が死者であることを宣言するオープニング。犯人は素知らぬ顔で隣人を装い、家族は断絶を深め、未練を残す少女は成仏できない。シリアル・キラーはのさばり続けル中、被害者家族だけが救われない。刑事も霊能者も出てくるのだから、通常なら犯人逮捕に向けサスペンスが高まって行くところだが、それらの要素を全て外されてゆく。警察も法も機能しない。家族も観客も救われないのである。設定はファンタジーだが、展開はまことに現実的だ。犯人逮捕のカタルシスでは解決できないのが家族の苦しさであり、家族であるからこそそれを越えることができるのだと再生への筋道が慰謝の願いと祈りをもって描かれている。ハリウッド・メジャーの配給でもこのニュージーランド製はカタルシスの方行が異なっていて味わい深い。天国の入り口は描かれるが天国そのものは描かれないのと同様に地獄は落下のイメージで暗示されるに留めている。最後の最後迄法律とか社会正義に頼らない価値観こそピーター・ジャクソンの想いだろう。