2008/04/16

フィクサー

巨大法律事務所のダークサイド、もみ消し担当のマイケル・クレイトンは、副業の失敗と賭博の借金とでどうにも首が回らない。そこに巨額の賠償訴訟を扱っていた弁護士が相手側に寝返るという事態が生じ、早速もみ消しを命ぜられる。巨大企業の表の顔と裏の顔がクロスし、様々な人の様々な思惑が揉み消し屋を走らせる。

身過ぎ世過ぎでいつの間にか薄汚れてしまった中年男の諦めとわずかに残った反骨をバランス良く生活感も豊かに演じるジョージ・クルーニーがかっこいい。訴訟の相手側に寝返る弁護士のトム・ウィルキンソンの人情味もなかなかの味わい。ギリギリの緊張感を抑え込んで自己実現に邁進するティルダ・スウィントンの、タフなキャラクターとはうらはらにチワワのような純な目の表情とのギャップに妙なリアリティがある。
即物的に邪魔者を取り除こうとする殺し屋達の手際のいい仕事ぶりも素晴らしい。

組織と個、公と私、是と否、理想と現実。人は様々なしがらみの中で生活し、成功と挫折を繰り返しながら日々の糧を得ている。人並み以上の豊な果実を得る者もあれば、マイクル・クライトンのように心ならずも軌道を外れる者もいる。何れにしても、全体の利益を阻害するものは排除するという組織と個の普遍的な関係を、分かりやすい設定とスリリングなストーリーに展開して見応えがある。

がしかし、こうした問題を描いて、一人の男のヒロイックな行動によって解決が導かれるという通俗性は、今時甘過ぎて説得力に乏しい。人知れず姿をくらまそうとする殺し屋の後ろ姿がフェードしたノーカントリーと、ヒーローを真正面から捉えたフィクサー。このエンディングの違いに、アカデミー作品賞の候補作と受賞作を分けた、面白さの違いが表われている。

生活感原題: Michael Clayton
監督・脚本: トニー・ギルロイ
製作総指揮: スティーブン・ソダーバーグ、アンソニー・ミンゲラ、ジョージ・クルーニー
製作:シドニー・ポラック、ジェームズ・A・ホルト、スティーブン・サミュエルズ
撮影: ロバート・エルスウィット
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
美術:ケビン・トンプソン
上映時間: 2時間
2007年アメリカ映画
配給:ムービーアイ

2008/04/14

ブラックサイト

FBIポートランド支局のネット犯罪捜査官ジェニファーは、娘の養育のために夜間勤務を専門にし、同居の母親の協力を得ながらキャリアアップを果たしている。今夜も怪しいウェッブサイトの巡回を始めたジェニファーのモニターに、KILL WITH ME? と見慣れぬ文字が浮かび上がる。

ネットで殺人現場をライブ中継し、アクセス数が増すごとに作動する殺人装置で死に至らしめる。残忍で狡知を極めた犯人はサイトの存在を巧妙に隠蔽し、匿名性に保護された好奇心を共犯者にして、捜査陣を嘲笑いながら更なる犯行に及んで行く。

ネット犯罪を扱った作品はいくつかあったが、この作品はこれまでにない鋭い視点での問題提起がなされている。それは犯人の犯行に至る動機や手のこんだ犯行手段にも深く関連させてあって、犯人像には説得力があり今日性も高い。サイトへアクセスすることが人を殺すと分かっても、人はアクセスをやめられないだろうという苦い認識を高品質なエンターテインメントに変えた技ありの脚本だ。

ポートランドという街をちょっと陰鬱な雰囲気に描写したシャープな映像。ジェニファーの日常生活をきめ細かく追いながらキャラクターの魅力がしっかり描けている。序盤からいかにもなムードで流れる音楽が様式美に則っていて文句なしに良い。意気軒昂だが疲れ気味なダイアン・レインのジェニファーがとても魅力的だ。このダイアン・レイン以外あまり見慣れた顔のないキャスティングにはB級感もあるがむしろリアリティーを盛上げる効果の方が高い。それくらい仕上がりがよく、面白さも抜群の秀作。


原題:Untraceable
監督:グレゴリー・ホブリット
脚本:ロバート・フィボレント、マーク・R・ブリンカー、アリソン・バーネット
撮影:アナスタス・ミコス
音楽:クリストファー・ヤング
美術:ポール・イーズ
2008年アメリカ映画/1時間40分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2008/04/10

チャールトン・ヘストン

「十戒」と「ベン・ハー」の強烈なイメージのまま、並外れたヒーロー像を大スクリーンに刻み続けたチャールトン・ヘストンが亡くなった。特別ファンではないが、ほとんどの出演作を見ているのは、60年代のハリウッドの大作といえば、ほとんどこの人が主演していたようなものだったからだ。辺りをはらう風格で歴史的な大人物を演じたが、作品も大味なものが多かった。
晩年はマイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」により、全米ライフル協会会長としての超タカ派的言動が注目され、主演作品のヒーロー然としたイメージとのあまりな落差に失望感を抱いた人が多かったのは残念だった。

川本三郎が4月9日の朝日朝刊の追悼文で、この、ヘストンに対するマイケル・ムーアの姿勢をして、「俳優としての敬意を欠いていたと思う」と切り捨てている。マイケル・ムーアの礼節を欠いた態度がチャールトン・ヘストンの意固地で偏屈な反応を引き出していたことは確かで、誠にもってその通りだと共感した。さらに川本は「ウィル・ペニー」をヘストンの最高作と記して追悼の文を締めくくった。再度共感、激同意する。

「ウィル・ペニー」ね。あれはよかった。時代遅れの心優しいカウボーイは、文盲で自分の名前も書けず、雪山で寒さに凍えながら丸のサインしていたのだった。モーゼ、エル・シド、ミケランジェロなど、王にも神にも伍した人物を得意としたヘストンだが、そんな男の哀しさや優しさを陰影深く演じられる俳優でもあったのだ。

2008/04/07

中古車





栄光の日々も今は昔。
錆びの浮いたボディー。(1)
フロントグラスを飾るFOR SALEの文字。(2)
行きつけのトイザラスで見つけた中古のキャディーは、(3)
1940年 フリートウッド S75。(4)

対象年齢6歳以上。
これを面白がるのはこどもより、
60を越えた団塊世代かもしれない。
どっちにしても、
ミニカー文化の成熟を感じさせる仕様になってる。

クローバーフィールド/HAKAISHA

送別パーティーの最中、突如ビルを揺るがす大音響。はるか摩天楼に火の手が上がり、通りへ飛び出した若者達の前に、轟音とともに自由の女神の首が転がり落ちて来る。パーティーの記録用だったハンディ・カムに、若者達の避難行の全てが記録されていく。

粒子の粗いブレまくった映像ということから、ある程度覚悟していたが、全然見にくくなかった。逃げるというシンプルなストーリーをチーム編成やキャラ設定の工夫で成立させているが、冒険行なのに男達に苛つかせられたのは作り手の計算なのか。

マンハッタンの市街戦、崩壊するビル群、飛来する戦闘機などの迫真的な絵の見事なリアリズム。地球を揺るがす大厄災がごく普通の青年の視点からホームビデオに収められたとの設定が、いかにもそれらしく計算し尽くされた映像で展開する。これを極彩色大画面でなく、あえてハンディカムで見せたろうかというへそ曲がりなクリエーター魂に感動し、クライマックス6:00A.Mの凄みあるイメージにはしびれた。

エンドロールで初めて娯楽映画らしい曲が鳴り響く。伊福部的なリズムと旋律の意図は分かるが、無機的でドライな現代感覚が支配する本編の味わいとはあまり折り合いがよろしくない。日常感覚で見せる異常な光景と意外な怖さで楽しんだ充実の1時間半。

ノーカントリーからはフォー・オールドメンが削られ、クローバーフィールドにはHAKAISHAという邦題が加えられた。どちらも過不足あって、見終わった後の余韻、味わいが損なわれるわけだが、はたして営業的な効果はどれほどあるものか聞いてみたい。

原題:Cloverfield
監督:マット・リーブス
脚本:ドリュー・ゴダード
製作総指揮:ガイ・リーデル、シェリル・クラーク
製作:J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク
2008年アメリカ映画/1時間25分
配給:パラマウント

2008/04/06

村田朋泰展「夢がしゃがんでいる」


12日から平塚美術館で開催される村田朋泰展の「 展示作業公開ツアー 」に参加。午後2時集合。学芸員さんの案内で展示作業も大詰めの会場を回る。夢といっても仰ぎ見るような大き夢ばかりではない、しゃがんで見るようなささやかな夢もある、というタイトルは稲垣足穂の短編から取ったとのこと。

館内を全面的に改装し、とある温泉地に一泊旅行する男の道中を同時体験できるように構成された展示は、シュールでキッチュなテーマパークのような趣を呈している。静謐な叙情や喪失感の深さで、心に染みる映像表現が持ち味の作家本人も顔を見せてくれたが、今回の展示はそうした持ち味を一切封じ込め、俗でエロな展開が大理石の美術館を挑発している。最後は路シリーズの最新作「檸檬の路」を鑑賞。イマジネーションの新鮮さはいつもながらだが、読書室の群像を動かした技術が素晴らしい。

村田朋泰の世界はとても男臭いと思うのだが、ツアー参加の男は自分だけで、女性専用車両に紛れ込んだようだった。普段は見られぬ館内の様子は興味深く、全て出来上がった展示を見る楽しみが増えた。

2008/04/04

4月大歌舞伎 夜の部 初日

一、将軍江戸を去る(しょうぐんえどをさる)
 薩長に江戸を包囲され、上野寛永寺に謹慎し恭順の意を表していた徳川慶喜(三津五郎)が翻意し、薩長に一矢報いようとする。それを知った山岡鉄太郎(橋之助)は、江戸が火の海となれば民百姓が泣くと慶喜に諫言する。慶喜は江戸を官軍に明け渡し、水戸へと旅立っていく。
深更、未明の出来事で舞台が暗い。内容も重く、理屈っぽいのに大仰な泣きが入って居心地が悪い。三津五郎のきれいな立ち姿やラストシーンの余韻は深いが、それ以外はさっぱりしない。
 
二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
源義経(玉三郎)武蔵坊弁慶(仁左衛門)富樫左衛門(勘三郎)の豪華顔合わせで、世に名高い勧進帳を初めて見た。なるほど、このような展開であったのか。誠に結構なもの見せてもらいました。始めから終わりまで、何処をとっても見事な絵になっている。衣装、所作、鳴りもの、舞台の全てがデザインしつくされ、美しさを極めている。見ていてすごく気持ちがいい。仁左衛門の弁慶は、一般的な弁慶のイメージからは豪快方面のニュアンスが足らず、発声にも余裕が欲しいが、でもよいではないか、都会的な洗練をまとった良い男振りは大きくて、文句無くかっこいい。富樫に見咎められてからの展開も玉三郎、勘三郎とも自分のしどころはしっかり見せながら弁慶をガッチリ支えている。先月の娘道成寺もそうだったが、長年にわたって磨き抜かれた演し物だけが引き出せる役者の力ってもんがあるように見える。それにしても仁左衛門かっこ良かった。

三、浮かれ心中(うかれしんじゅう)
  中村勘三郎ちゅう乗り相勤め申し候

井上ひさし「手鎖心中」の歌舞伎化作品。
戯作者かぶれの栄次郎(勘三郎)は大店の若旦那だが、周りの心配をよそに世間の注目を集めようと馬鹿なことにうつつを抜かす毎日。今日も受け狙いで、顔を見たこともない長屋の娘おすず(時蔵)と婚礼を挙げようとしている。

胸高に袴をはいて登場した勘三郎の与太郎振りに一瞬藤山寛美がダブった。サービス精神旺盛な栄次郎は、お客を喜ばすためなら如何なる努力も惜しまない勘三郎本人を思わせるキャラクターで、本人も伸びやかに演じているから、楽しい雰囲気が場内に満ちてくる。楽屋落ちや、くすぐりのネタにお客さんも大受けで、役者も更にノリが良くなるという好循環。最後のちゅう乗りまで、目一杯楽しませてくれた。いつも3階席からで、花道はまるで見えないしオペラグラスも欠かせないが、ちゅう乗りは至近で見る事ができた。3階席でも良い事あるんだ。

2008/03/23

ノーカントリー

ハンティング中に大金をくすねたものの、不用意に正体をさらし追われる身となったベトナム帰りの男。その男を執拗に追いつめる大胆不敵な殺し屋。人の世のうつろいに諦念を抱く初老の保安官。乾ききった荒野に諸行無常の風が吹く。

アカデミー助演男優賞を獲得したハビエル・バルデム。特徴的なヘアに直立姿勢、緩慢な動作から瞬殺のガス弾を繰り出す男。狂気が滲み出るその異様な佇まいからして評判通りの殺し屋振り。この殺し屋が立ち寄った店のオヤジが、何処から来たかとその場しのぎのお愛想をいう。その弛緩しきったオヤジの様子に思わず殺意をつのらせた殺し屋が言う。「生きるってのは常に選択することだ。そんなことも分からず、自分がどれほど幸運だったかにも気付かず、よくここまで生きてこられたもんだ。」殺し屋はコインを取り出し、表か裏か、どっちか答えろと迫る。何を言われているのか分からないオヤジは恐怖に戸惑いながら、一体何を賭けるのかと聞き返す。「全部だ」と男は答える。

例えば、酔っぱらいの車に激突され海に落ちた一家。車に突っ込まれた集団登校の小学生たち。駅のホームで見知らぬ男にいきなり線路に突き落とされて絶命した人。通り魔に殺された女性。毒入りの餃子。そのような暴力が日常と背中合わせに存在する現代社会。平凡な生活にいきなり侵入し全てを奪っていく暴力そのものを、ハビエル・バルデムの、誰もその「行動を制御することのできない殺し屋」は象徴している。あの時あそこにいなければ、あれをしなければという後悔に苛まれることはあっても、この殺し屋が運んでくる突発的な暴力を回避すべは何も無い。ただ、その場に遭遇しないことだけが生き残る道なのだ。だからコインの裏表を選択し続ける、それ以外の立場は無い。と殺し屋は言う。生き続けることだけが選択の正しさを証明するのだと。

大金を持ち逃げした男は優れたハンターとしての能力から、殺し屋と互角の死闘を繰り広げる。ジョシュ・ブローリンの超一流のスナイパーを思わせるクールでスマートなハンターが素晴らしくかっこいい。常軌を逸した異様な殺し屋との対比も鮮やかで、二人が激突するアクションシーンの見事に洗練された隙のない展開は見物だ。しかし、周到で冷静なジョシュ・ブローリンも仏心やスケベ心から逃れられない。

西部の荒野に保安官が秩序を守った時代はとうに過ぎ、まともな殺し屋や死神なんてロマンティックなど何処にも見当たりゃしないのだという、トミー・リーの苦い認識。そんな時代の暴力をきちんと描こうとしたら、カタルシスどころか物語だって成立しやしないってことはある。激しい暴力描写と強烈なサスペンスから生まれる痺れるような緊迫感が観客に強く訴えるものはある、しかし、このようなカタルシス無き終わり方に納得できるものだろうか。これに納得できるのは、トミー・リーに共感できる程度にくたびれ果てたオヤジだけなんじゃないか。

荒野に生きる男達の激しく厳しい物語の最後を締め括る、古女房の柔らかな笑顔。いつ、あの殺し屋に遭遇してもおかしくない今の時代だからこそ、皆さん、愛する人を大事にねと、コーエン兄弟優しいのである。

原題:No Country for Old Men
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
製作:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン、スコット・ルーディン
原作:コーマック・マッカーシー
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:カーター・バーウェル
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、ウッディ・ハレルソン、ケリー・マクドナルド
2007年アメリカ映画/2時間2分
配給:パラマウント、ショウゲート

2008/03/21

三月大歌舞伎 夜の部

墓の周りをさっと清め、花を供え線香をあげ手を合わせ簡潔に墓参をすませる。滞在時間はいつもより短いのにこの充実感は、何より降りしきる冷たい雨のせいだな。お寺さんを後に途中買い物などしながら歌舞伎座夜の部に行く。

一 鈴ヶ森(すずがもり)
暗闇で雲助に襲われた白井権八(芝翫)が雲助達を片っ端から切り倒していく。だんまりで見せる切り合い。スパッとそがれパックリ割れる顔面やら、切り落とされる腕や足、袈裟がけに開く刀傷、貫胴で伸びる上半身など、ユーモアとスプラッターで見せる残忍な場面の奇妙な味わい。 芝翫の白井権八は強いというより可愛いという感じがぴったりなのだが、そうしたこと全てひっくるめて楽しもうとする歌舞伎の懐の深さ、成熟みたいなことも思う。

二、坂田藤十郎喜寿記念
  京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
坂田藤十郎は凄い。喜寿とは思えぬ若さと輝き。毎晩この華やかな大舞台を一人で背負って立っているのだ。去年の「合邦ヶ辻」とは別人のキャラになりきっているのにもビックリ。終わりに登場した市川團十郎の、目一杯目を剥いた大見得もご祝儀感たっぷりで大変結構。

三、江戸育お祭佐七(えどそだちおまつりさしちり)
  浄瑠璃「道行旅路の花聟」
菊五郎と時蔵は熱演だし時蔵は大好きだが、いかんせんお話に魅力がない。藤十郎の素晴らしい舞台をどうしてこんな陰惨な出し物で挟み込めたものか、喜寿のお祝い気分には無縁の番組編成にちょっと白ける。

今日は大向こうのかけ声も、間の悪い人がやたと声を張り上げて気持ちが悪かった。

2008/03/16

キサラギ

自殺したアイドルの一周忌に集う5人の男。最高の理解者、最強のファンを自認する初対面同士のオフラインミーティング。しかし、楽しいはずの追悼集会にそれぞれの思惑が交錯し、やがて不穏な空気が流れはじめる。

ブレークせぬまま自殺したアイドルに入れあげた5人のオタク達の激突を、一幕ものの舞台を観るような白熱のドラマに仕立てた脚本が素晴らしい。人物の登場のさせ方は計算が行き届いているし、状況説明に合わせてお話を進めていく段取りにも無理がなく、こちらの気をそらさぬ工夫も効いている。

香川照之の姑息な表情が冴え渡る前半。腹下しを繰り返すルーティンのギャグが不発のまま失速するかと思った塚地があっと驚く正体とともに息を吹き返す後半。キャラ設定の意外性も飛躍とナンセンスな味付けに技があり、自殺の謎を解きあかそうする推理劇としてもよくできているし、上質なコメディーで気持ちよく笑わせてくれる演出も文句なし。

心が浄化されるような着地の気持ちよさもあり、評判の高さに納得がいったが、終わり方はもっと潔い方が好みだ。

監督 佐藤祐市
脚本 古沢良太
音楽 佐藤直紀