2007/03/18

トミー TOMMY  日生劇場 3/16


1月に観た「朧の森に棲む鬼」は、いのうえひでのりの演出が冴え渡った素晴らしいステージだった。 休む間もなくいのうえが3月にTOMMYを演出することを知って、The Whoもケン・ラッセルもリアルタイムだが、アルバムも映画も無縁にきたもので、TOMMYへの思い入れも特には無く、単に、いのうえひでのりの演出観たさでチケットを買う。

http://blog.eplus.co.jp/tommy/

父親の殺人を目撃し、以来感覚を遮断、三重苦となったトミー。外界との接点を閉ざした少年は長じてピンボールゲームの才能を開花させ、天 才的プレーヤーとして世界の頂点に立つ。更に三重苦から解放され、奇跡の教祖として祭り上げられるが挫折。そのどん底に真の解放が訪れる。

いのうえは「メタル・マクベス」のバリエーションとも言える手法の、LEDスクリーンの映像を駆使し、スピーディーな場面転換でグイグイ押し てくる。大掛かりなセットを組んだメタルマクベスでは、あくまで補助的な役割だったスクリーンだったが、今回はセットに変わる背景として全場面を支えている。状況設定も明瞭だし、転換はスピーディーだが、見慣れてしまえば舞台の演出として手抜き感は否め無い。その分、小道具のデザインや使い方はポップで、おもちゃ箱をひっくり返したような勢いはある。

客席はロックと言うよりクラシックのように静かだったが、変態右近やサディストROLLYのパフォーマンス辺りからテンションは上向き、「The Acid Queen」で完全にスイッチが入った。更に「Pinball Wizard」で盛り上がりは最高潮に。名曲には人を動かす力がある。名曲たる所以だ。

ステージ客席が一体となった「Pinball Wizard」で15分の休憩となったが、むしろこのまま突っ走ってほしかった。後半は展開がシリアスでテンションも低めに推移するため、前半の高揚感が後半へと繋がり難いのは当然にしても、TOMMYの内的な成長など説明的に流れるだけで今ひとつ迫ってこない。ま、キャラクテーも記号的だし、情緒的な盛り上がりは狙いの外なのだろう。トミーの両親には両親という記号以上の演技は求められていなかった。というような意味ではステージ全体のアンサンブルはバランスがとれていたと思う。衣装デザインが以外と面白くなかったこと。個人技ではROLLYのヤバい存在感に魅力があった。

THE WHO’S「トミー」
■演出:いのうえひでのり
■出演:中川晃教 / 高岡早紀 / パク・トンハ / ソムン・タク / ROLLY / 右近健一 / 村木よし子 / 斉藤レイ / 他
■訳詞:湯川れい子 / 右近健一■翻訳:薛 珠麗■

ゴーストライダー


2週連続全米トップの興行収入ってことで、期待していた。プロローグからメインタイトルへの流れがコンパクトでテンポも良く、こりゃ良いやと思ったが、そこから先はそれほどの高揚感も無く、終わってみれば、どうしてこれが2週連続トップなんだか分からない。

ニコラス・ケイジの見るからにヅラと分かるヘアには集中力を途切れさせるパワーがあって、意識を物語へ没入させられなかった。ガイコツになってる 時はビジュアル的な面白さで楽しめるのになぁ。エバ・メンデスは相変わらず何処に魅力があるのか分からない。地獄から来た悪魔の息子もお下劣な馬鹿で美 しさにはほど遠い。

所々にB級の心意気を感じさせる良い場面もある。ピーター・フォンダの怪演も大いに魅力的だし、昔懐かしいウエスタンの味わいも楽しめる。がしか し、何と言うか、締まらないのである。これもひとえに、ニコラス・ケイジのヅラの使用が裏目に出ているのである。続編を作るなら、ズラの技術をより高め、 脚本家を変えるぐらいはして欲しいものである。

原題:Ghost Rider
監督・脚本:マーク・スティーブン・ジョンソン
撮影:ラッセル・ボイド
音楽:クリストファー・ヤング
出演:ニコラス・ケイジ、エバ・メンデス、ウェス・ベントリー、サム・エリオット、ピーター・フォンダ
2007年アメリカ映画/1時間50分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2007/03/11

村上春樹訳 ロング・グッドバイのあとがき

村上春樹が訳したというだけで充分なのだが、巻末には90枚に及ぶ訳者のチャンドラー論が収録され、その中で、細部が大幅に刈り込まれていた清水訳に並ぶ完訳本としての存在意義も主張している。今迄読んできたのは、清水俊二が恣意的に刈り込んだ「長いお別れ」で、チャンドラーの意図した全ては、願っても無い訳者を得て、今回本邦初公開の運びとなったということ。いやぁ、誠に感慨深くもあり、望外の喜びという他ない贈り物だ。

本文はさておき、早速巻末の訳者あとがきに目を通した。
チャンドラーの文章からその特質を説き起こし、「ロング・グッドバイ」の作品論からグレート・ギャッツビーとの相似性を明らかにして行く展開は、 従来のチャンドラー像、チャンドラー研究を更新する斬新さ。切り口の鮮やかさとともにこの本全体を通してのクライマックスともいえるスリリングな面白さにあふれている。チャンドラーの評伝としての完成度も見事で、本編はさておき、この簡にして要を得た巻末解説は凄い読み応えだ。何より今迄に読んだ数あるチャンドラー論の中でも文句なしに最高水準のものだ。

今年はディーヴァーのチャンドラー論に触れる事ができたのも楽しかった。その上に村上のチャンドラー論が読めるというのも夢のようだ。そのディーヴァーはジャンルを越えた作家とチャンドラーを評していた。村上もディーヴァーと同じ事を、ジャンルとの関係などはじめから無視することで表している。というのも、この本のカバーにも、解説の文中にも、何処を探しても ハードボイルドのハの字も無い。早川が出すチャンドラーにハードボイルドの表記が無い。これは、名代の大看板下ろすようなもので、世が世なら考えられない事態ではある。しかし、早川の営業戦略には今回その必要がなかったのだろうことは容易に想像がつく。村上にとっても、それは同様で、その気持はよくわかる(ような気がする)。

フンデルトヴァッサー展  日本橋三越

バウムクーヘンの断面を塗り分けたような、層の厚みとともに記号化された事象。戦闘的、挑発的、スキャンダラスなフンデルトヴァッサーの作品から、版画とドローイングを中心にした展示。

メタルカラーや対立的な配色、奔放な色使いなどのヤバい要素がよくコントロールされ、魅力的な画面になっている。発色の鮮やかさとデザイン的な面白さで見せる版画が特に素晴らしい。

浮世絵の彫りと刷りの技術の素晴らしさを改めて教えてくれる木版のシリーズと、雨をめぐる叙情的なストーリーを大胆なイメージで展開した孔版の連作はこの展示の白眉だった。

会場の日本橋三越は日本の百貨店文化の頂点に君臨している店だ。展示会場の外側の壁に「自然に優しく」をテーマに募集された小学生の絵がびっしり 貼り出されてされていたが、これも主催者側のエクスキューズに思えてしまうくらい、この風格ある老舗とフンデルトヴァッサーの組み合わせにはミスマッチ感 が強い。
そんなことも全部ひっくるめて、刺激的で面白い展示だった。休日の昼時、混雑もなく、いい感じで観る事ができた。3/3

ドリームガールズ

モータウンサウンドの盛衰をバックステージから観て行く面白さ。ミュージカルとしてはダンスらしいダンスシーンは無い。ステージパフォーマンスとサウンドでモータウンの魅力を描いていく。

ジェイミー・フォックス演じる野心家の辣腕プロデューサーは、黒人色を排した音造りで大衆性を獲得するのが成功への近道と、犠牲を顧みぬ強引な仕切りで栄光への道を拓いていく。
実力故に外されるジェニファー・ハドソン。一方ルックスの良さで優遇され、一挙にスターダムにのし上がって行くビヨンセ。下降と上昇のキャラの対比がドラマを盛り上げる。
ジェニファー・ハドソンは悲劇を劇的に歌い上げて大した迫力。歌唱力は確かに素晴らしい。ジェニファー・ハドソンに比べると、ビヨンセには演技的な見せ場が乏しかったが、だからといって、悪く言われることはない。なにより画面を華麗に彩るのはビヨンセの見事なパフォーマンスだ。

エディー・マーフィーは、芸に行き詰まった歌手という野心的な役柄を熱演したが、あのエディー・マーフィーがとは思いつつ、それほどの魅力は無かった。脚本の問題だと思うが、エディー・マーフィーに限らず、ドラマの割に、キャラが立たないのである。それぞれが何考えてるのかよくわからないのだ。最たるものがジェイ ミー・フォックスのプロデューサー。歌唱表現から伝わってくるような深みがドラマ的には不足していた。 ジェイミー・フォックスはミスキャストだ。

楽曲はどれも楽しく、特にワン・ナイト・オンリーはどちらのバージョンとも素晴らしかった。

原題:Dreamgirls
監督・脚本:ビル・コンドン
製作:ローレンス・マーク
撮影:トビアス・シュリースラー
音楽:ヘンリー・クリーガー
出演:ジェイミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ、エディ・マーフィ、ジェニファー・ハドソン、アニカ・ノニ・ローズ、ダニー・グローバー
2006年アメリカ映画/2時間11分
配給:UIP

2007/02/18

Gガール 破壊的な彼女


仕事はできるが恋愛には不器用。でもニューヨーカーなら相手にも指南役にも事欠かない。というわけで、ナンパ相手が美しいスーパーウーマンだったらというロマンティック・コメディー。アイヴァン・ライトマンとユマ・サーマンの組み合わせなら押さえときたいと思ったが、そんなことは無かった。

オープニングからテンポ良く笑わせてくれる。スーパーパワーは下半身にどう作用するか、というパロディー感覚の下ネタも、都会派の艶笑コメディーとしてはありだろう。でも、中盤以降、Gガールがやたら嫉妬深く、暴力的という正体があらわになるあたりからギャグも失速。ここは嫉妬深く暴力的、だけどそこがチャーミングという風に見せてくれないとなぁ。

要はSEX and the CITYをアメコミヒロインにやらせたら面白いんじゃない、てなことから始まった企画に見えるが、主人公の上司や友人などの説得力の無さも弱いし、コメディーというにはユマ・サーマン恐過ぎ。狙いは艶笑でもエロティックではないし、ロマンティクさも欠いてしまった。

監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:ダン・ペイン
製作総指揮:ビル・カラッロ
衣装デザイナー:ローラ・ジーン・シャノ
音楽:テディ・カステルッチ
キャスト
ユマ・サーマン、ルーク・ウィルソン、アンナ・ファリス、レイン・ウィルソン

2007/02/13

ひばり シアターコクーン 2月11日


舞台中央にしつらえられた正方形のステージを取り囲む三面に、フランス国王をはじめ軍人、聖職者が居並び、最後の一面は客席が占めているいう空間。そこは異端審問の法廷であり、天啓を受けたと称する農家の娘が、いかにフランス軍の先頭に立ち、イングランド兵を蹴散らし、勝利へと導くことができたか、その奇跡の事実と正統性が裁かれようとしている。

松たか子が蜷川幸雄の演出で挑むジャン・アヌイ。今の松たか子にジャンヌ・ダルクというのは、これ以上望むべくもないパーフェクトな組み合わせ。切れのある所作と発声。向こう気の強さと愛嬌で、きりっと背筋の伸びた純なキャラクターをやらせたら最強の演技者だろう。

実際、世間知らずの夢見がちな少女から、どんどん強靭な精神性を発揮し、抗し難い魅力で周囲を引っ張って行くジャンヌを、松は大きく生き生きと演 じて大層魅力的だ。次から次へとシチュエーションがかわり、入れ替わり立ち代わり相手役とのやり取りが続く正方形のステージは、膨大な台詞の応酬による格闘技のリングさな がら。そのほとんどの場の中心にあって、ジャンヌの輝きはいささかも曇らない。

利用できるものはとことん利用し、風向きが変わればとたんに打ち捨てられる。それが大人の世界、権力の、政治の正しい有り様だ。そんな 権力闘争の中枢に理想主義を持って臨んだジャンヌに断罪の時が訪れるのは必然でもある。忠誠を誓った国王に裏切られ、キリスト教徒としての自覚もむなしく教会にも裏切られるジャンヌ。異端審問官が舌鋒鋭くジャンヌの宗教観をとことん叩きつぶそうとする。信仰心がまっすぐ天に伸びて行くようなジャンヌ眼差し。圧 巻のクライマックスだ。

人間の全的な肯定を高らかに告げるジャンヌに恐れおののく教会の欺瞞。キリストの教えにも信仰にも自分は関わりがないが、アヌイは、どのような時 代、どのような人間にも起こりうる、人間の普遍的な問題として、見事に明晰な言葉で信念と共に生きる姿を提示する。ジャンヌが人間を全的に肯定しようとす る態度は、作者の立場そのものである。裏切りと欺瞞に満ちた、政治を、権力を描いても、単にそれを断罪することなく、人間の弱さへの深い共感と強さへの希望をもって幕を閉じる。なんと風格に溢れた戯曲だろう。

シンプルな象徴性に徹した演出はさすがに洗練されている。
見ている方が恥ずかしくなるようなことも無く安定感があった。
面白さと感動に背中を押され、スタンディングで拍手してしまった。


スタッフ
作:ジャン・アヌイ
翻訳:岩切正一郎
演出:蜷川幸雄

出 演
松たか子
橋本さとし
山崎一
磯部勉
小島聖
月影瞳
二瓶鮫一 編集

2007/02/04

墨攻


紀元前中国、春秋戦国時代。燕の国に攻め入ろうとする鞘は、要衝の地にある梁城を包囲する。10万の大軍の前に僅か4千人の梁城は陥落必至と思われたが、専守防衛をモットーとする墨家の機略により難攻不落の要塞と化していく。

墨家の男を、ストイックに演ずる好漢アンディ・ラウが格好いい。キャラクターの良さは当然だが、ポンチョ、マント、ブーツ、頭巾などの衣装デザイ ンが実にオシャレで、ビジュアルが魅力的なのである。もちろんアンディ・ラウだけが良いというような安い作りではなく、全体の衣装が素晴らしく、その中で のバランスとコントラストで、墨家という主人公の特殊性を渋い派手さで自然に際立たせているところが憎いのである。

ろくでもない梁城の王や側近など、守るに値しないような存在を守らせるという設定がこの作品のテーマを良く伝え、スパイシーな展開は作品に深みを与えている。

10万の大軍を率いる敵将の清廉高潔な人柄を人間味溢れる風格で見せたアン・ソンギの堂々たる存在感。ビジュアルとしてもアン・ソンギ演ずる将軍の立ち姿の風格、格好良さはアンディ・ラウに勝るとも劣らないのだった。アン・ソンギ、最高。

原作の漫画も、平和、博愛主義で、攻めずに守り抜くという墨家の思想も全然知らなかったので、とても新鮮だったが、それをここ迄面白くして見せた監督の力は素晴らしい。衣装も音楽も撮影も役者もレベルの高さで作品を盛り上げた。

思っていたより数段、というか、優れた作品だった。

英題:A BATTLE OF WITS
監督:脚本:プロデューサー:ジェイコブ・チャン
原作:森秀樹
撮影:阪本善尚
音楽:川井憲次
編集:エリック・コン
出演:アンディ・ラウ、アン・ソンギ、ワン・チーウェン、ファン・ビンビン
2006年 中国/日本/香港/韓国
上映時間: 2時間13分

「私のハードボイルド」小鷹信光 早川書房

実のところ、ハードボイルドという言葉はジャンルを表す言葉としてイメージの喚起力が高く、昔も今も様々な使われ方をしている。だがその言葉の意味するところや定義となると、人の数だけ中味が異なるという、誠に同音異義性の強い、極めて厄介な言葉である。

言ってみれば、ハードボイルドという言葉そのものがハードボイルドな状況を招き寄せる、といった性質を持ってるわけで、ひとたびそんな状態に陥っ たなら、誰かクールで腕っ節の立つ探偵さんでも連れてこない限り、収まりがつかなくなってしまう、なんてことにもなりかねないのである。

最も危険な言葉を語るは思想信条を語るに等しく、それなりの覚悟が必要だ。ましてや周囲を納得させる説得力、高度な権威性というものも、当然なが ら必要になってくるのである。その点、小鷹信光と言えば、泣く子も黙るハードボイルドミステリの翻訳、研究の第一人者にして作家であり、この本はハードボ イルドを語るにはこの上ない、書くべき人が書いた、書かれるべき一冊ってことになる。

固茹で玉子の戦後史というサブタイトル通り、作家としてのキャリアを幼少時に遡って説き起こしたハードボイルドな自伝を柱として、ブラックマスクから現在に至るアメリカンハードボイルドの変遷と日本の翻訳出版状況を時系列にそって整理した研究編と、作家リスト、関連図書、文献をまとめた資料編からなる内容は、まさに著者の集大成と言うに相応しい構え。

自伝部分では、EQMMがHMMに代わり、ヒッチコックマガジン、マンハントといった雑誌が書店に並んでいた当時からのインサイドストーリーには、懐かしい名前がぞろぞろと出てきて、まるで3丁目の夕日的懐旧の情が蘇る楽しさ。確かにね、60年代のミステリマガジンはコラムエッセイの充実ぶりが 半端じゃなくて、私などはむしろそちらが目当てで読んでいたようなものだった。

それはともかく、ハードボイルドと言えばお約束の1人称1視点だが、著者は、丹念な資料の収集と提供により、主観や思い込みだけで語ることの愚を見事に排除している。流石の見識だと思う。この客観的に高度な検証を貫き通す態度にこそ、著者の何よりハードボイルドな矜持が顕われている。その意味からも価格には換算できぬ価値と面白さが、研究編、資料編にはある。

まあ、著者は紳士であり、客観的であることがこの本の良さだが、私としてはせっかくのハードボイルドもっとストレートに悪態をついたり、憎まれ口を叩いたりする行儀の悪さも見せて欲しかった。

2007/01/28

どろろ

天下取りと引き換えに、我が子を魔物に差し出した親。親に捨てられ魔物と戦い続ける子供。因果の車輪がぐるりと回り、刃を交える20年目の父と子。

「どろろ」は、親殺し、子殺し、兄妹殺しで幕を開けた2007年の正月映画に相応しいテーマだったんだと気づかされる。手塚治虫師の偉大さを改めて思うし、この映画化を企図した制作者の見識も認めよう。惜しむらくはその見識が作品に反映されていなかったこと。

妻夫木は良かったが、柴咲コウのどろろはきゃんきゃん吠えたててばかりでわざとらしく、鬱陶しいったらありゃしない。あれを良しとし、どこかで見 たようなイメージばかりをつぎはぎしたような演出のセンスは全くいただけない。脚本はかったるいし、情緒的かつ説明的な台詞と凡庸なビジュアルでつないだ 2時間半。その時間とお金があれば、原作漫画を買って読んだ方がよほど意義深い。

出演:妻夫木聡、柴咲コウ、中井貴一、中村嘉葎雄、原田芳雄、
   原田美枝子、瑛太、杉本哲太、麻生久美子、土屋アンナ、
脚本:NAKA雅MURA、塩田明彦
監督:塩田明彦
アクション監督:チン・シウトン
プロデューサー:平野隆
原作:手塚治虫
2007年/日本
配給:東宝