7月22日(日)朝日朝刊の読書欄、ロバート・アルトマンの評伝を取り上げた慶大巽孝之教授の書評を読んでいて、休みの朝のユルい気分が一気に覚醒させられた。
「M★A★S★H」の成功、「ポパイ」の挫折。成功も失敗も、到底ハリウッドメジャーの枠には納まリきらない独自性と個性の故。いつしか孤高の大監督として地歩を築き、昨年亡くなるまで最前線を走り続けたロバート・アルトマン。チャンドラーのロング・グッドバイを映画化したのは長いキャリアのごく初期にあたる73年だった。
夜中にキャットフード買いに行くエリオット・グールド!、という型破りなマーロー像が意外にもカルト的な支持を集めたこの作品は、しかしチャンドラー的な感傷やマーロー的なヒーロー像に対してのシニカルな視線に貫かれている点において、実に非チャンドラー的とも反チャンドラー的とも言える作品だ。
エリオット・グールドの起用からしてだが、ハリウッドが生んだ屈指のハードボイルドヒーローを笑い飛ばそうとするアルトマンのへそ曲がり振りも顕著だ。アルトマンにとって、ハリウッド的ヒーロー像などはとても容認できる代物ではないということは、例えばロング・グッドバイに先立つ2年前の BIRD★SHIT(70)に描かれた、カーチェイスに失敗して池に飛び込み、全身ずぶ濡れで途方に暮れるタートルネックの刑事、というあからさまなブリットのパロディーにも見て取れる。
しかし、テリー・レノックスの描き方において、アルトマンの「悪意」はより一層明らかだ。飲んだくれで純粋で誠実なヤクザなテリーとそんな男を放っておけないマーロー。友情と裏切りを描いて原作とは正反対の結末を突きつけるアルトマン。この作品の核心をなすそのインパクトに啞然とさせられたが、これはチャンドラーの50年代な自己陶酔の気持悪さを、70年代のリアルで見事にばっさり切り捨てやがったと、これはこれで有りだなと公開当時妙に納得したものだった。
今では、松田優作の探偵物語の下敷きになった作品として評価されている面もあるが、何よりチャンドラーの代表作をもって従来のハードボイルドヒーロー象を徹底的に虚仮にしているところがこの作品の実にハードボイルド的な特徴で、ロバート・アルトマンはいかにも隅におけない癖の強い監督なのである。ロング・グッドバイとはそうした屈折した面白さにあふれた、自分にとってはアンチハードボイルドなハードボイルドとも言いたい作品なのだ。
アルトマンはどうしてテリー・レノックスとマーローをあんな風に描いたのか。テリーを撃ち殺したマーローがピョンと跳ねて両足の踵を打ち鳴らす。原作の気分からはあり得ないエンディングだろう。これはどうしてなんだ、とあれこれ考え、きっと、チャンドラーのセンチな描き方、マーローの自意識過剰が嫌だったのであろう、などと、アルトマンの心中を斟酌したりした遠い過去をもつ頭に、巽教授の紹介文がガッツーンと強烈にヒットした。
>たとえば、ハードボイルドの巨匠レイモンド・チャンドラーの名
作を映像化したロング・グッドバイ』(1973年)で強調される「落
ちた偶像」の背後には、グレアム・グリーン原作、オーソン・ウェ
ルズ出演の『第三の男』が介在していたこと。
07年7月22日 日曜日 朝日新聞朝刊 13面 より引用。
えッ、そッ そーなのか。
「第三の男」って、そういえばジョセフ・コットンの作家とオーソン・ウェルズのハリー・ライムって、マーローとテリー・レノックスの関係に完全にかぶるじゃないか。アルトマンが言う第三の男との関係が映画だけのことか原作についてのことかが、新聞の記事だけでは分からないので何とも言えないが、アルトマンが第三の男を意識したことは良くわかった。あのエンディングの謎が、大きく一つ腑に落ちる。そこで気になるのはチャンドラーと第三の男の関係だ。
で調べたってほどのこともないがインターネットは便利だ。
ロング・グッドバイ出版1953年
映画「第三の男」 公開1949年
小説「第三の男」 出版1950年
チャンドラーがグリーンに影響された可能性は凄く高い。
間違いない。