2007/08/20

森村泰昌 展 横浜美術館

自分自身を素材に、誰でも知っている名画や有名人なら年齢性別を問わずになり澄ます。初めて知った時はスキャンダラスでいかがわしい表現にインパクトも強烈だったが、その後も広がりのある表現を展開し、今や森村泰昌という確固としたジャンルとして成立している。その森村が、自身の表現の何たるかを、自らの解説付きで美術の授業に見立てて展示しようという、作品と展示方法が遊び心と自己顕示とに対応する、いかにもバランスのよい企画に見える。

1時限のフェルメールから6時限のゴヤまで、美術史を飾る名画になり澄ました森村が、その狙いと方法をお惜しみなく開陳し啓蒙を図る。ふーん、画面そのままを原寸大で再現し、CGでまとめたフェルメールに感心した。2時限目はゴッホのなり澄ましに使われた紙粘土の顔面と釘の帽子を軸にした名画セット。ゴッホの帽子にもグッときたが、ベラスケスのマルゲリータ像のセットは、なり澄ます為に示されたエネルギーがそのまま結晶したかのような美しさ。森村の創意と気迫に感動した。

思うに、初期の作品程、なり澄ましに徹する森村の努力が画面に深みを与えているようだ。後半になると、作家として認知されるにつれ作家本人のキャラクターが前面に出て、例えば5時限のフリーダカーロなどは、なり澄ましにも作家からのメッセージ性が強く反映されるようになっている。画面は大型化し表現は洗練されているが、作品としては、批評性の濃い後期の作より、紙粘土に着彩した3Dのマチエールに魅力がある初期作品が、自分は好きだ。

放課後は三島事件の再現パフォーマンス。ギャラリーは自衛隊員のポジションなので、これはこっちが無視することで成立する作品かと、とっとと退場した。

出口に向う途中、常設部屋にマン・レイの写真が展示してあった。シュルレアリズムの作家達の肖像。イブ・タンギー、いい顔してる。若き日のダリ、ジゴロか、こりゃどんな男も敵わない色男振りだ。キリコ、神経質。トリスタン・ツァラが寝そべってる。エリュアールとブルトンが至近で見つめ合ってる。君ら太陽がいっぱいのアラン・ドロンとモーリス・ロネみたいじゃないか。そうなのか? あと誰だったけか、近頃、名前を思い出せない。