乳白色の肌にヘアラインの輪郭と微妙な陰影。繊細華麗な女性像。
フランスで成功し、アメリカを経由して帰国した藤田は、色彩とナショナリズムに目覚めたかのように、西欧の洗練から東洋の土着へと回帰する。
日本に帰った藤田のお気に入りは、生活感溢れる庶民の姿であり、パリで評判となったモチーフからは遠ざかっていく。
秋田の平野政吉美術館にある、秋田の四季と風物を描いた超大作は、モチーフ、テーマ、表現からもこの時期の集大成だろう。
日本を再発見した藤田は意気軒昂としてみえるが、幸せはつかの間。
藤田の生涯を、仏、日本、仏と三期に分けて構成した展示。
二期目に花開いた日本再発見。その締めくくりとして、漆黒の壁面に五点の戦争画が収められた展示室がある。
太平洋戦争に突入した日本。軍部は藤田に従軍画家としての仕事を用意し、藤田は日本人としての誇りと、画家としての名誉を賭け、それに誠実に応えていく。
五点の戦争画は、本来の藤田からは考えられない表現で描かれている。目的を最優先に、言ってみれば滅私を自覚した奉公という立場に貫かれた仕事。
西洋絵画の伝統と教養、技法がストレートに反映した風格ある画面。
藤田が積み上げた修業で獲得したものが何か、自在に駆使された筆から生み出された作品が、その到達点の高さを如実に示している。素晴らしい仕事だ。
藤田が、軍部の要請を受け、戦意の高揚や国威の発揚を意図したとは言え、この五点が、鬼畜米英的な発想から描かれていないのはよく分かる。卓越した描写の記録画ではあるが、中でも「サイパン」の悲劇と「ガダルカナル」の死闘を描いた作品は戦意高揚というより本質的に宗教画だ。
藤田が戦争画を通して描きたかったのは、人間の誇りと尊厳だろう。当時の人々にしたって、これらの画面から戦意を高揚されたり、鬼畜米英を鼓舞されたとは思えない。
この部屋の、というよりこの展示全体の圧巻が「アッツ島」だ。
暗い部屋、たった一人、この作品と対峙したらとしたらどうかと、想像する。慄然とし、粛然とし、しかし恐れおののいて逃げ出すしかないだろうと思う。
敵味方も無く、生死も定かではない人間が画面を埋め尽くしている。
画面左に配置された兵士は体が透けている。
右手には騙し画を思わせるような部分もある。
何がどう描かれているか判然としない。
判然としないがこの気配は一体何だろう。
藤田はこの作品を想像力だけで描いたのだと言う。
だからこそ可能だった仕事だったのかもしれない。
藤田がこの仕事をどのように成したか分からないが、その間、この世ならざるものと通じていたとしても不思議ではないと思わせる。
写真には全く写らないその神髄。
藤田の技術と精神の崇高さを証明する、まぎれも無い大傑作だと確信した。
結局、藤田にとっての国威発揚とは、日本人としての誇りを拠り所に、人間の尊厳を明らかにすることだったのだろう。日本の闘いとはそのようなものであると信じ、その記録に全身全霊を傾けた。誇りある人間の名誉をかけた仕事だったのだ。
しかし、戦後、藤田は戦犯として占領軍から戦争責任を追及される。最終的に無罪となるのだが、その過程で、戦争画を描いた画家達全ての責任を一人で背負うべしと、他の画家仲間から説得されるということがあったという。
己を捨て、祖国の名誉と誇りをかけて人間の尊厳を明らかにしようとした藤田に、そうした周囲の変化や、戦後明らかにされる日本軍の実態がどれほど精神的なダメージとなったかは想像に難くない。日本に裏切られたという藤田の痛切な言葉がそれを物語る。
第三期。展示順に、女神。イソップ物語の擬人化された動物。子供。黙示録を始めとする宗教画。聖堂の壁画。という構成になっている。特徴的なのは、成人男子が描かれていないことだ。唯一肖像画として展示された老人も手にカエルを乗せている。
皮肉なことに、藤田の傷の深さが、藤田の世界を一層深化させもいる。その一方で、藤田は少年の純粋さを生涯にわたって失うことがなかった。
戦後間もなく渡仏。
フランスに帰化し、キリスト教の洗礼を受け、レオナールと名乗り、小さな聖堂の完成をライフワークとした元日本人藤田の、これら一連の行動が、彼の献身に報いること無く放逐した日本の無惨さに追い打ちをかける。
昔も今も、そのような異議を真正面から受け止める大きさを我々日本の大人達は持ったことがあるのだろうか。
大きな大人になりたいなぁ。