2006/02/26

「ナルニア国物語/第1章:ライオンと魔女」


独軍の空襲が激しさを増すロンドンから疎開させられた4人兄妹が、田舎のお屋敷で見つけたタンスの奥に広がった不思議の国。

世界的な名著と言われても、長大と言われただけで尻込みしてしまう私のような軟弱者には、CG表現の飛躍的進歩によって「指輪物語」や「ナルニア国物語」のような作品が原作のスケールそのままに映像化されるようになった今の状況はとてもありがたい。安易な教養主義的お勉強の場としても積極的に利用させてもらっている。そうした手前、基本は公開初日に、先行があればそれを見ることで、一応の敬意を表しているつもりになっている。

なんて改まったことを言ってしまうのは、この「ナルニア国物語」がとてもいいお話だったからだ。この映画を見ているうちに、ファンタジーという言葉を、自分はこれまであまりに安易に使っていたのではないかと反省した。恥ずかしながら、時には、あり得ない、ことを揶揄するために使ったりしていたのだと気づかされたからだ。この作品に使われているファンタジーとは、本来、もっと美しく、なにより大事なものを意味する言葉だったのだと感じさせられたからだ。

退屈を持て余した4人兄妹が、不安や身勝手や甘えをぶつけ合いながら人として大切なものに気づき、経験を通して成長して行く。ただそれだけの、月並みで簡単で分かりきったことが、ライオンと魔女の世界を背景に語られるだけなのだが、4人兄妹の末娘を演じた女の子の、自然で表情豊かで、普通だけど非凡な様子を見ているだけで、その簡単の当たり前が何故か沁みじみと伝わってくる。この子はとにかく金メダル。表情と衣装、着こなしだけで人としての大事なものをしっかりと伝えるという凄いことを易々とこなしてしまうのだ。

清々しい子ども達と美しい映像。センス・オブ・ワンダーと判り易さで展開するお話。流石ファミリームービーの雄、ディズニーの歴史と伝統に照らしても最高峰に位置するスケールと品格を示して「ピーターパン」クラスの、これは傑作。

プロミス 無極


真実の愛は得られぬ代わりに、豪華な暮らしを与えよう。と神様に問われ、契約書にイエスとサインした少女。長じて王妃となるがつかの間、王は倒れ、無敗将軍、冷血の貴族の求愛に揺れ動く。しかし真の愛の行方は将軍の奴隷が握っていた。さあ、どうなる。

思いっきり派手な絵作りで展開する超観念的なファンタージー。絶世の美女を巡る男の確執。こういう設定は好きだ。派手な絵作りも大好き。わざとらしくても嘘っぱちでも全然かまわない、ビジュアルとしてリアリティーがあれば何でも可でしょう。絵空事の大嘘つきの極限を目指すかのようなこの映画の行き方は大歓迎です。

だから、多用されるCGが、FFシリーズのイベントムービーのようでも気にならない。水牛のスタンピードと奴隷の疾走が随分情けないCGでも、真田広扮する無敗将軍の華麗な鎧兜の美しさの前に許せてしまう。

何というか、欠点は多いが、空間の抜けが気持ちよい画面からは、語りたい意図とか、絵作りの志とかがそれなりに伝わってくるようで、大概のことは許容しようと言う気にさせられてしまう。それと、三人の男優がなかなかに魅力的なのだ。真田広之は丁重な扱いでスターの華やかさを発散している。チャン・ドンゴンはともかく、ニコラス・ツェーの冷血振りが凄く良くて目が離せなくなった。

しかし、セシリア・チャンって人には、この魅力的な男達を引き回すほどのヒロインとしてのオーラが最期に至る迄感じられず、クライマックスでも切なさ感動が盛り上がらなかった。もっと感情揺すぶって欲しかったのに。アン・リーの「臥虎蔵龍」が、よくも悪くもその後の作品に与えている影響の大きさが今更ながらに感じられるが、プロミスという邦題の安っぽさに違和感が無いのがこの作品の限界だろうか。ま、男達の熱演、特にニコラス・ツェーの美しい悪党振りの楽しさで全部相殺だ。

ウォーク・ザ・ライン/君につづく道


ラジオからジョニー・キャッシュが流れていたのは大昔のこと。憶えているのは「16トン」。あれが大ヒットしてたのは、それこそ「三丁目の夕日」の頃だ。日本の団塊オヤジがノスタルジーをくすぐられるくらいだから、この映画、年配のアメリカンには堪らんだろうなぁ。

南部の貧しい農家の次男坊。出来のいい兄ほどには父親から愛されない疎外感を抱えながら、ミュージシャンとして大成功をおさめる。が、そこには不幸も挫折も準備されていた。
「エデンの東」のジェームス・ディーンのその後、といったお話の流れではあるが、それはともかく、ジョニー・キャッシュのデビューから全盛期へと、ライブ感に溢れたステージ場面やハードなコンサートツァーの様子、若きエルビス登場のサービス等、ふんだんに織り込みながら、彼の生きた時代と半生とが描かれる。

リヴァー・フェニックスとの関係など、人ごとでない感じもあったかも知れないホアキン・フェニックスが演じるジョニー・キャッシュの屈折は、そっくりさん的では無いところに却って説得力があり、さらに、西海岸風なコメディエンヌという印象が強かったリース・ウイザースプーンが、作品のダークなトーンを明るく照らしかえすヒロインとして魅力的に輝いているのにも感動した。極端な汚れ役でリニューアルというのはよくある手だが、こんな風に柄を生かした新境地というのは相当に難易度が高いのではないだろうか。

音楽映画として、歌をしっかり聴かせてくれたところもこの映画の大きな魅力だ。主演の二人も吹き替え無しの自前の歌唱だという。確かに吹き替えなんかいらないくらい二人とも上手い。
2時間16分という長尺を、だらけず飽きさせず見せ、語りきったスタッフの力がスクリーンの隅々に漲っている。そのエネルギーが一直線に観客席に届く。ジョニー・キャッシュのかっこよさがドーンと伝わって来て泣けた。

原題:Walk the Line
監督・共同脚本:ジェームズ・マンゴールド
共同脚本:ギル・デニス
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽:T=ボーン・バーネット
出演:ホアキン・フェニックス、リース・ウィザースプーン、ジェニファー・グッドウィン
2005年アメリカ映画/2時間16分
配給:20世紀フォックス映画

2006/02/12

オリバー・ツイスト


パーフェクトだった「戦場のピアニスト」。
あんな作品を作ってしまった監督の次の仕事となれば、これは見逃せない。勇んで出かけたが1週間の疲れが出たか、タイトルも終わらないうちから眠くなってきた。オリバーが救護院に入れられるあたりで、こりゃまずいと思ったが、気が付けばオリバーは救護院から抜け出すところ。どれくらい気絶したか知らないが、大した時間でないのは確か。なのに眠気は消えてすっきりした気分。ラッキー。後はじっくり画面に集中できた。

巨大オープンセットに往時のロンドンを再現したというだけあって、重量感たっぷりで安定感にも不足のない迫力画面。ロンドンの町並みに猥雑なエネルギー発散した人々が溢れかえる。いかにもディッケンズ的と思わせる登場人物達の顔顔顔。ベン・キングスレイの特殊メークも見事な仕事だが、これだけの顔を集めたキャスティングディレクターの手腕も大したもんだ。さらにリアルな衣装がより一層の効果を醸し出す。力のある仕事師達が約束してくれる魅力と快感。

オリバーのロンドンは、浮浪児達は食うために悪事を働かざるを得ず、親方は浮浪児達をこき使って搾取に余念がない。いってみれば福祉教育予算は切り詰められ、企業は契約パートで労働力を搾取する一方という、何だか二極化現代日本を彷彿とさせる社会なのだった。浮浪児オリバーは、一時は腕のいいドロボーとして将来を嘱望されるが、運命のいたずらからシンデレラボーイとして活路を見いだす。

ついこの間までなら、このハッピーエンディングは物語の締めくくりとして何の問題もなかったのだろうが、善良な心と天使のような愛らしさ故にオリバーだけが救われ、他の子ども達が捨て置かれるような印象は、今時、何か納まりが悪い。第一あのおじさんが実は不届きな小児性愛者だったらどうするのか。なんて考えが頭をよぎる己の品性疑りながらも、それもこれも、時代の病理の深さ故さと、自己弁護してみる。


原題:Oliver Twist
監督:ロマン・ポランスキー
脚本:ロナルド・ハーウッド
撮影:パベル・エデルマン
出演:バーニー・クラーク、ベン・キングズレー、ハリー・イーデン
2005年フランス=イギリス=チェコ合作/2時間9分
配給:東芝エンタテインメント、東宝東和

単騎千里を走る


息子との積年の不仲に悩む父親。伝統芸能の仮面劇を求めて、頼りない通訳を頼りに、中国奥地を旅する寡黙な男。予定も計画も思い通りにならない土地で、立ち止まることはあっても、決して引き返しはしない。忍耐強く、着実に歩を前へと進める健さんなのだ。

様々なシチュエーションと背景を用意して、そこにじっと佇む健さんの姿を絶妙のポジションで配置する。ストーリーもそのために奉仕している。中国の大地に拮抗する健さんの立ち姿。言葉もアクションも表情も無く、立ち尽くす背中から伝わってくる万感の思い。うーん、健さんはいくつになっても健さんなのだ

チャン・イーモウは本当に健さんが好きなのだなぁ。好きが嵩じてプロモーションビデオを作っちゃった。健さんファンが、健さんのために作った熱烈ファンレター。これはそういう映画だ。
チャン・イーモウとして上出来の作品とは決して言えないが、想いの深さはしっかり伝わってくる。

最後に、健さんは少年の目線に合わせてしゃがみ込むのだが、その所作の切れと姿の美しさには痺れた。健さんの全盛を知らない若い人に、70も半ばの俳優の、この美しさは通じるだろうか。



原題:千里走単騎
監督・原案:チャン・イーモウ
日本編監督:降旗康男
脚本:ヅォウ・ジンジー
撮影:ジェオ・シャーディン、木村大作
出演:高倉健、リー・ジャーミン、寺島しのぶ、中井貴一
(2006年日本=中国合作/1時間48分
配給:東宝

最終兵器彼女


「オリバー・ツイスト」初日の最終回を観ようと出かけたが、免許取り立ての愚息1号が混んだ駐車場で難儀してる間に上映開始時刻を回ってしまった。ほんじゃ、ま、次善の選択ってことで、高倉健先生の単騎千里か、J・フォスター女史の飛行計画。あまり食指は動かないけどゾロって手もある。だけど、どれも上映開始迄30分以上あるのがよろしくない。

ん、あと10分で始まるあれ、どう?「最終兵器彼女」。題名は聞いた事あるが、内容は知らん。何か面白そうな気配もあるんじゃない。だったらめっけもんだ。んじゃ今日はこれにしよう、てんで切符を買った。

何故か判らないが日本は戦争のだだ中にあり、何故だか判らないが彼女は「最終兵器」として戦争の中心にある。しかし彼女は消失点に向かって動きだし、その運命は誰にも変えられない。と、こんな感じの設定で、不治の病を「兵器」に置き換え、そのミスマッチ感でみせる、セカチューな純愛ドラマ。

SF的な絵作りは結構楽しめるが、時間のほとんどとアップを多用して描き込んだ純愛ドラマ部分は恐ろしく陳腐で退屈。恋愛にリアリティーが無く、僕を演った少年にとことん魅力が無いのも観ていて辛かった。

だが、これは、身の程知らずに迷い込んだオヤジの妄言、筋違いも甚だしい暴言かもしれない。おそらく、製作側や「最終兵器彼女」ファンにとっては、こうでなくてはならない、といった必然性ある役者の起用や脚本演出なのかもしれん。だったら嫌だな。