2007/12/31

2007年のまとめ 螺旋式

今年印象に残ったもの

映画
1.アポカリプト メルギブソンは変態なので作品が滅法面白くなるのだ。
2.グッド・シェパード デ・ニーロの演出は巨匠の風格、作品賞級の面白さ。
3.キングダム/見えざる敵 今日的な主題を迫真の活劇で。クレバーな作品。
4.ボーン・アルティメイタム クモ男も海賊も3は落ちたが、これは良い。
5.パフューム/ある人殺しの物語/天然コケッコー


1. ウオッチメイカー 創意工夫で常に革新を怠らないディーヴァー天下無敵。
2. 私を離さないで いろんな意味で切なすぎ。作家ってのは業が深いなぁ。
3. デス・コレクターズ 面白さで前作を大幅に更新。この人は目が離せない。
4. 終決者たち ロス市警への復帰は作者の英断か苦肉の作か。次作に注目。
5. 吉原手引草 ボイルド的インタビュー小説。構成の妙と語りの洗練。       

星新一 1001話を作った人 懐かしい時代と意外性にあふれた作家の肖像。
ロンググッドバイ 村上春樹渾身の訳業。よくぞやってくれた。家宝だ。
生物と無生物のあいだ リンカン・ライム的とも、真に個性的な科学者達。

美術
森村泰昌 展    スキャンダラス。はっきり言って面白い。     
金毘羅宮書院の美展 展示の工夫と至らなさに想像する楽しさが。
若冲展      墨だって素晴らしい。イベントとしても楽しかった。
アートで候 会田誠・山口晃展      

舞台
1. 朧の森に棲む鬼 密度高く力感あふれた新感線の夢見るような舞台。
2. 摂州合邦辻 坂田藤十郎の迫力と色気。国立劇場のポスター優秀だ。
3. 熊谷陣屋(吉右衛門)男は色気だ。 
4. TOMMY  いのうえひでのり、現在最高の演出家だ。 
5. コクーン三人吉三 陰惨さを浄化する雪の物量、笑いつつ打たれた。

漫画
竹光侍 2巻、3巻 天才松本大洋の絵、見ているだけで興奮する。
夕凪の町 桜の国  こうの史代いいね。絵も手塚治虫的にうまい。
鼻兔       クール、ハートウォーム、アーティスティック。
大阪ハムレット  絵の強さをしのぐ台詞と展開にインパクト大。
デトロイト・メタル・シティ えげつなさにも品が。2巻最高。

TV
SP 金城一紀の映画的教養と感性を岡田准一で全面展開。超面白。

2007/12/28

恐れを知らぬ川上音二郎一座

明治32年、サンフランシスコから全米巡業の途についた川上音二郎一座。

悪戦苦闘の公演を続けるがマネージャーが金を持ち逃げ、やっとたどり着いたボストンで座員も分裂、一座は進退窮まってしまう。そこで「ヴェニスの商人」の日本語上演という奇策を思いつき、何とかペテンで切り抜けようと奮闘する音二郎一行を描いた三谷幸喜の新作。

本邦初の「女優」誕生の経緯も絡めて、シアタークリエのこけら落としとは、ユースケ・サンタマリアと常盤貴子の初舞台コンビ。脇を実力と個性のベテランががっちり固めて楽しく華やかな娯楽作。

はったりを利かせた興行師でもある川上音二郎というキャラはユースケの柄。座長公演で役柄も座長というポジションだけに出番は多いが、明るく前向きな良い人というだけで柄を強調することもなく特段の見せ場も無い。

それに対して、声をからして八面六臂の大活躍を見せる堺正章。勢いの良さに若々しさが爆発する堀内敬子。瞬発力を三次元に炸裂させた阿南健治。達者なコメディエンヌ振りの瀬戸カトリーヌ。徒で伝法なキャラに思いがけない陰影を刻んだ戸田恵子等、他の人たちにはここぞという場面がもれなく用意され、それぞれが気持ち良さそうに演じ魅力を発揮している。

苦しい公演を何とか成功させた音二郎に妻が言う。
「あなたがここ迄みんなを引っ張って来たんじゃない。みんなに引っ張られてあなたはここ迄来れたのよ」
アクの強さが持ち味のユースケが意外に大人しく、これと言った見せ場が無いのは、どんなカリスマがいようとも、カンパニーはアンサンブル命なのだと、このテーマがあればこそかと納得した。

バラエティーともボードビルとも言えるノリと展開で楽しませながら大型喜劇として締めくくる。興行師にも役者にも観客にも旺盛なサービス精神を等しく発揮した三谷幸喜の力作。もっと刈り込んだ方がすっきりしそうな所もあるが、シアタークリエの杮落としとして求められる要素を十二分に満たしたご祝儀な作劇術としての見応えも大きかった。

出演 ユースケ・サンタマリア、常盤貴子、戸田恵子 、 堺雅人、堺正章他
作・演出   三谷幸喜
シアタークリエ

12/23 13列5

芸術座改めシアタークリエって事で、帝劇と並ぶ東宝のフラッグシップとも言える劇場は最新の技術と思想でどれほど素晴らしく生まれ変わったものかと、小屋そのものへの興味と期待感が大きかったのだが、今時こんな空間処理かと思わせる狭苦しさには失望するより驚きだった。ロビー、通路、シート、トイレのどこをとって狭苦しい。余裕がない。最悪である。
演劇を単に金儲けの手段としても構わないが、金儲けにしても、もっと気持ちよく、沢山お金を使わせるための哲学なり戦略があればまだしも、そんなものはみじんも感じさせない内部空間。休憩時間に女性用トイレから伸びた行列の異常な長さも12000円のチケ代に相応しからざる異様な光景。地下2階から地上へと、火でも出ようものならまず逃げられないと思わせる階段の狭さにも、東宝の性根の悪さ、体質が伺われる。東宝映画、日劇、東宝名人会、昔の東宝は都会的で洗練されたイメージだったが、このクリエは北朝鮮並みではないか。ほんとがっかりである。

2007/12/26

国立劇場 12月歌舞伎公演


「それぞれの忠臣蔵」と題して、討ち入る、守る、肩入れする、様々な事情を通してその一日を浮かび上がらせる。

「堀部彌兵衛」
伯父の仇討ちを果たした安兵衛に惚れ込み、懇願の末、養子に迎え入れた堀部彌兵衛。15年後、吉良邸討ち入りの日、一人娘と祝言をあげさせた安兵衛を伴い、彌兵衛は討ち入りへと向かう。
義理だからこそ本物以上に親子らしい。ちぎったからには何があろうと添い遂げる。今の目からば無理とも不条理とも見えるお江戸の価値観、その哀しさ切なさを支える忠の一字と武家の矜持。養子にと安兵衛を口説き落とす壮年時の彌兵衛と、討ち入りを前に老骨にむち打つ彌兵衛。折り目正しいが融通も利忠臣を演じる吉右衛門の温厚実直振りがいいのだなぁ。とても魅力的だ。どれくらい魅力的かというと、吉右衛門が出てない場面が全然面白くないぐらいに魅力的。彌兵衛の妻の吉之丞は好きだ。

「清水一角」
吉良側随一の使い手清水一角。酒乱傾向で集団にも馴染めない。今日も家族の心配をよそに酒浸りで寝込んでしまう。そこに急を告げる太鼓の音。すわ討ち入りと跳ね起きて決戦場へと飛び込んでゆく。
腕が立つ故に鬱屈し、屈折してしまう一角。酒浸りの鬱屈には荒んだような生活感があっても良いが、若さ故の清新さで見せているのはすっきりした染五郎ならでは。立ち回りしながら身支度を整えていく場面は楽しい。ケレン味たっぷりの名場面としては、着付けをもっと鮮やかに処理してくれるといい。

「松浦の太鼓」
吉良邸の隣、松浦の殿様は俳諧仲間の大高源吾が、いつ討ち入りするかと期待を膨らませていた。しかし最近では討ち入りの兆しもなしとすっかり失望を募らせ、奉公にあがっている大高源吾の妹にも辛くあたる毎日だった。そこに山鹿流の陣太鼓が響き渡り太鼓の拍子から討ち入りを知る。討ち入りに加勢をとはやる心で支度をするところに、全てを終えた大高源吾が殿様へと首尾の報告に訪れる。
俳句の宗匠と大高源吾の二人、邂逅する雪の両国橋の美しさと共に良い芝居。
討ち入りを期待して落ち着かない松浦の殿様。子供っぽいというか、我が侭だが気配りもできるお殿様を愛嬌たっぷりに演じる吉右衛門が実に楽しそう。

決意を秘めて誰にも明かさず誤解に耐える大高源吾に、染五郎の清潔感がよく映えた。討ち入り成功し大高源吾の名誉回復がなって、充分なカタルシスが客席を満たす。この先の悲劇は一時棚上げにして、松浦の殿様とこの喜びを共にしようと言う気分に、いつのまにかさせられている。よくできた芝居をさらに輝かせる吉右衛門の、討ち入り当日をこんな楽しく見せて良いのかというくらいに楽しませてくれる芝居ではある。

よく考えられた3本立て、3階3等席でお一人様1500円で観てしまった。これ映画より安い!のである。格安だが大充実の時間が過ごせた。学生の時に知ってれば、絶対外せない価値あるデートコースでしょこれは。

12/23

2007/12/19

ベオウルフ/呪われし勇者

怪物の蹂躙に人々は暗く沈んでいた6世紀のデンマーク。ベオウルフは死力を尽くして怪物を退治し、勇者の名と共に王国の富と権力を我が物とするが、そこには新たな呪いがセットされ、呪いはやがて王国を脅かす新たな厄災となって勇者の前に立ち現れる。

モーションキャプチャーとCGによる前作「ポーラー・エクスプレス」が余程楽しかったのか、ロバート・ゼメキスは再び同様の手法による映像の可能性を拡大すべく、より難易度の高い表現に挑んでいる。実験精神に溢れる意欲作だ。

エニックスが社運を賭けて大コケしたフルCG映画「ファイナル・ファンタジー」の辛さに比べれば、ベオウルフの人物表現はこなれて観易くはある。しかし、フルCGで実写のような人間を完璧に表現することは、CGを使う人たちにとって究極の技術目標なのだなぁと改めて感じさせる映像ではある。生気のないCGな表情。生き生きとした生命力を感じさせないCGな動き。表情も動きもモーションキャプチャーされて、豪華な出演者も実に勿体ない使われ方なのだ。特にジョン・マルコビッチの顔は巧くない。これラ全ては実写とCGの組み合わせを潔しとしないロバート・ゼメキスのこだわりとして、将来への貴重な技術の蓄積とされることだろう。

ストーリーは面白いのだ。父権の責任と男の業を問うテーマも今日的だし。クリーチャーや風景や空間移動など、人間が絡まないシーンの表現は申し分無いレベルを維持している。後は人間に魂を入れ、瞳に光を宿らせるだけなわけだが、実にこれが至難の業なのだな。困難な表現にチャレンジし、先駆者として受難の道を往くロバート・ゼメキスを支持する。これからも。

原題:Beowulf
監督・製作:ロバート・ゼメキス
脚本:ニール・ゲイマン、ロジャー・エイバリー
製作総指揮:ニール・ゲイマン、ロジャー・エイバリー
撮影:ロバート・プレスリー
音楽:アラン・シルベストリ
出演:レイ・ウィンストン、アンソニー・ホプキンス、ジョン・マルコビッチ、アンジェリーナ・ジョリー、ロビン・ライト・ペン、2007年アメリカ映画/1時間53分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/12/16

アイ・アム・レジェンド


「吸血鬼」というタイトルだった原作を読んだのは何十年も昔の事だが、正常と異常を一瞬に入れ替えてしまう鮮やかなエンディングで、こちらの認識がコペルニクス転回させたられたことは鮮烈に覚えている。チャールトン・ヘストンで映画化された『オメガ・マン」には、つまらなかった記憶しかない。

無人の廃墟と化したニューヨークを迫真的に映す、CGの素晴らし過ぎる映像美。マンハッタンを終末の光景に変えて余すところなく見せ尽くす。これだけでこの作品は見るに値する。ウィル・スミスは深みのある演技で、超絶的な孤独感の中で、規則正しい日常を維持しようとする姿に説得力がある。相手役なしのサバイバルシーンにもドラマ的な奥行きを与えている。主人公が空母イントレピッド上のブラックバードから見事なスイングで摩天楼にドライバーを打ち込むシーンの、ダイナミックかつ詩情に溢れた素晴らしさ。イマジネーションの凄さに感動する。とにかくこの作品のマンハッタンが封鎖される迄もその後もビジュアルが実に魅力的で、実に良くできている。どんな風に作られていったものか、メイキングの DVDが凄く楽しみだ。

しかし、後半はゾンビもののジャンル映画と化していくのがしょうがないと言えばしょうがない。ゾンビ映画もメジャーが作ればこれほどゴージャスになるんだよ、と制作者が自負したかどうか知らないが、前半のワクドキ感も、結局は月並みなアクションホラーに回収されてしまうのだった。バイオハザードと変わらない。いや、それでも面白いから、ジャンル映画と割り切れば良いのだ。
でもね、前半の展開が引き締まって面白かっただけに、後半の安易なゾンビ化と、原作のスケールや苦みにかすりもしないエンディングの月並みが、何だかとっても惜しまれるのだ。

原題:I Am Legend
監督:フランシス・ローレンス
脚本:マーク・プロトセビッチ、アキバ・ゴールズマン
製作:アキバ・ゴールズマン、デビッド・ヘイマン、ジェームズ・ラシター、ニール・H・モリッツ、アーウィン・ストフ
原作:リチャード・マシスン
撮影:アンドリュー・レスニー
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ウィル・スミス、サリー・リチャードソン、アリス・ブラガ
2007年アメリカ映画/1時間40分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/12/15

ビューティー・クイーン・オブ・リナーン


アイルランドの荒涼とした丘に建つ一軒家に暮らす親子。底意地悪く頑固な母と、そんな母の介護に花の盛りを捧げた娘。娘の希望は母の絶望。傷つけ合いながら依存せずにはおられない二人の、際どい綱引きの均衡は、保たれるのも破られるのも、己の幸せを求める心の故だった。

水道から水も出ればガスコンロには火がつく。リアルに設えられたリビングキッチンを縦横に動き回る大竹しのぶの娘。ロッキングチェアに凝固したような白石加代子の母。化け物のような変幻自在振りを発揮する2大女優が、母のエゴと娘の被害者意識のドロドロとを激しくぶつけあう。力と技と存在感が火花を散らし、ブラックな笑いが振りまかれ、一層危ない感じを募らせていく。そうそう、こういうガチンコ対決が観たかったのだ。期待に違わぬ白石、大竹の競演。

しかし、休憩を挟んだ後半は、悲劇へと上り詰めていくにつれて、何だか乗れなくなってしまったのだ。一つには、大竹と田中の演技が自然体なのに対し、白石は表情姿勢声から入念な役作りで、様式に落とし込んだキャラクター表現をしている。これが始めは気にならなかったが次第に気になってしまい、更に、長塚圭史の演劇的、記号的だが深みに乏しい演技もが加わって、少し引き気味になった事は確かだ。

アイルランドの社会と時代の閉塞感が二重三重に映し込まれたシナリオ。テンポよく応酬される悪口雑言。優れた表現者の魅力的なパフォーマンス。実力ある人たちによる魅力的な舞台だが、シナリオを細部にわたって視覚化しすぎているようにも思えた。
ビューティー・クイーン・オブ・リナーン。町一番のべっぴんと呼ばれた娘だが、大竹は野暮ったく、田中はもっと汚れている方が悲劇性は際立つ。全体にもっとストイックな表現が欲しかった。

12月14日(金)ロビーに古田新太がいた。

パルコ劇場
作 マーティン・マクドナー
演出 長塚圭史
出演 大竹しのぶ 白石加代子 田中哲司 長塚圭史

文春ミステリーベスト 海外編

2007年海外部門

順位 作品名        著者        版元   得点
1 ウォッチメイカー  ジェフリー・ディーヴァー  文藝春秋 96
2 復讐はお好き?   カール・ハイアセン     文春文庫 56
3 石のささやき     トマス・H・クック      文春文庫 49
4 双生児       クリストファー・プリースト 早川書房 48
5 TOKYO YEAR ZERO   デイヴィッド・ピース    文藝春秋 47
6 大鴉の啼く冬    アン・クリーヴス    創元推理文庫 42
7 夜愁        サラ・ウォーターズ   創元推理文庫 41
8 終決者たち     マイクル・コナリー   講談社文庫  40
9 ハリウッド警察25時 ジョゼフ・ウォンボー    ポケミス  39
9 ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー  早川書房 39

週刊文春ミステリーベストとこのミスを比べてみる。
1、2位とTOKYO YEAR ZEROが入っている以外、面子が全く異なる。クック、コナリー、ウォンボーが入っている文春の方が感覚的に納得できる。このミスは本格の占める割合が高いのだ。

出版社としても、どちらにも4冊づつ、延べ5タイトルをランク入りさせた文春の独走ぶりは目覚ましい。ジャック・カーリーも文春だし。2位の「復讐はお好き?」も読んでみたくなった。ウォンボーは発売時に本屋数件でチェックしたが見つからず、以来ポケミス難民として未だに漂泊中だ。

ロング・グッドバイの10位。
この作品はランキングの対象外だろう。古典的作品であり、村上春樹の新訳にして完訳ということが興味の中心だ。評価となれば、作品よりそのものより翻訳に対するってことで、ランキングの趣旨とは折り合わないのではないか。コンペ対象外の特別招待作品とするのが見識ってもんだろう。でなければ無条件1位だ。早川書房のランキングは正しいと思うが、対象外とすればもっとかっこ良かったのに。

2007/12/14

このミス 08 海外篇

1ウォッチメイカー ジェフリー・ディーヴァー文藝春秋 144点
2復讐はお好き?   カール・ハイアセン  文藝春秋 130点
3TOKYO YEAR ZERO デイヴィッド・ピース  文藝春秋 112点
4物しか書けなかった物書き r・トゥーイ 河出書房新社 108点
5悪魔はすぐそこに  D.M.ディヴァイン 東京創元社 79点
6路上の事件   ジョー・ゴアズ      扶桑社 77点
7狂人の部屋      ポール・アルテ   早川書房 70点
7デス・コレクターズ ジャック・カーリイ 文藝春秋 70点
9J・D・カーを読んだ男 ウィリアム・ブリテン 論創社 68点
9目くらましの道上下 ヘニング・マンケル 東京創元社 68点

今年のランキング本で読んでいたのは1.6.7.(デス)の3冊のみ。このミスは1位10点から6位5点で投票された総合点で順位が決まるわけだが、この3冊を参考にランキングを考えてみる。ウォッチ・メイカーについては文句なしの面白さダントツの1位を支持。6.路上の事件と7.デス・コレクターズの得点がウォッチメイカーの約半分ということだが、これは実感とはかけ離れている。路上の事件はもっと下位でいい。
デス・コレクターズはもっと上位に位置する面白さだ。ジャック・カーリーの問題意識と洗練度の高さと新しさに刮目させられる。コストパフォーマンスからも、2095円のウォッチメイカーの1/3、771円という、ランキング中の最低価格ながら、面白さにおいては遜色がないというお値打ち本だ。馬鹿ミスとも言われるが、2作続けて端倪すべからざる力量とセンスの良さを発揮している。コスト優先で行けば完全に1位なのである。ただ、それでもディーバーは1位でいいと思わせるくらいに面白い。

その他の読んだ作品の点数を見ると
終決者たち    43点
ロング・グッドバイ40点
四つの雨     22点
キルン・ピープル 16点
インモラル    14点となる。

終決者たち、は評価低すぎ。キルン・ピープルももっと上だ。しかしハードボイルドは人気ないのね。

2007/12/09

十二月大歌舞伎 夜の部 

菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋
着いた時には始まっていて、子供達が奥に引っ込むところだった。海老蔵と勘太郎の夫婦が何やら慌ただしそうにしている。筋がよく判らないが、海老蔵の雰囲気の軽さが気になる。福助登場。空気が豊かに膨らむようだ。品があって美しい。さらに勘三郎が現れる。あたりを払う風格は流石の大きさ。筋もようやく飲み込めてきた。忠義の為に子を差し出す切ない話。熊谷陣屋とか先代萩とかと同工異曲だが、父勘三郎の悲嘆、母福助の絶望が人情のツボにヒットする。名作たる所以なのだな。

粟餅(あわもち)
 三津五郎、橋之助の舞踊。橋之助と並ぶと三津五郎の姿形の美しさがよく分かる。軽妙さも洗練の度合いもより増幅されるように見える。別に橋之助のどこが悪いって事は無いのだが。 

ふるあめりかに袖はぬらさじ
 杉村春子の当たり役を玉三郎が引き継いだ形で上演していたものを、今回歌舞伎として演出されたものだという。尊王攘夷と国が割れた幕末、騒然とした空気が満ちる世の中、遊女の自殺がきっかけで時代の最前線に押し上げられた遊郭に繰り広げられる悲喜劇。
玉三郎は時に杉村春子的な芝居を感じさせるが、余裕と貫禄で主役を演じている。年季の入った芸者にふさわしい立ち居振る舞いは本当に美しく、安定感も充分。加えて、ここでも勘三郎は魅力的。存在感の大きさで舞台が引き締まった。光と影のコントラストを強調したセットも新鮮。中村獅童も良かった。

今日は昼過ぎからずっと遊び惚けてしまった。まともな社会人としては早く帰って明日に備えなければと足早に有楽町をめざしたが、10時になろうかという時刻、晴海通りはまだ宵の口、銀座通りの賑わいにも陰りが無い。タフな街なのだ。 
12月5日

「伊賀越道中双六」沼津の段 国立劇場


5日、半日で早退、午後から国立小劇場「社会人のための文楽観賞教室」。
http://www.ntj.jac.go.jp/cgi-bin/pre/performance_img.cgi?img=2171_1.jpg
歌舞伎はその多くを文楽に負うているということで、文楽にも触れてみたいと思ったが、何をどうしていいか判らない。そんな時にぴったりの初心者向けの企画があったもんだ。人形遣いの名人上手が有名だから、文楽は当然人形が主で語りが従だと思っていたから、自ずから興味も関心も人形の動きにあったのだが、幕が開いて太夫四人三味線三人の演者が一声響かせた瞬間、いやいや、語りの迫力にいきなり全身総毛立つ思い。語りが従などとはとんでもない勘違いだったと思い知らされた。ああ、こういうもんですか文楽って。

「寿柱立万歳」(ことぶきはしらだてまんざい)は三河万歳の祝歌。明るく楽しく歌い踊るショートプログラムで観客を文楽の世界へ軽く導入して幕。
ついで解説コーナーは太夫と三味線の代表が登場。下手な漫才師など軽く凌駕する達者な語りと掛け合いで、それぞれの役割をギャグなどかましながら一通り解説し終わると、更に人形遣いへとバトンをつなぐ。人形遣いのチームが人形の仕掛けや遣い方の基本など面白く見せて文楽の基礎講座終了。
まあ、大人向きのギャグで笑わせる場面もあったが、あえて「社会人のための」とことわりを入れるほどの事も無く、そもそも平日の昼間に文楽の勉強しにくる社会人像って、国立劇場はどんな社会人をイメージしてるのだろうか。

締めくくりは「伊賀越道中双六」沼津の段。もとが荒木又右衛門、鍵屋の辻の仇討ちの大評判を受けて劇化されたものだと解説にある。ふーん。そうなんだ。とはいえ、この段に剣豪は登場しない。義理と因果に絡めとられながら、命がけで人としての筋を通そうとする周辺の人物達の悲劇が描かれる。登場するのは実家に戻った傾城と親兄弟。
人形のリアルな動き。元傾城、年寄り、男盛りと幅のあるキャラクターが、それぞれの存在感、生活感も確かな動作、所作で動く様は確かに生きているよう。三人に操られる人形。その頭の脇には首と右手を操る主遣いの顔。人形と人形遣いが雁首そろえているというのは、何と大胆な演出かとも思うのだ。

しかし、義太夫、清元、長唄、小唄、端唄、邦楽の催眠効果抜群で、ましてや襟を正してお勉強しようなんて柄でもない殊勝な心がけは、身に付かない分すぐ化けの皮も剥がれていつの間にか寝入ってしまった。字幕が出るのは大助かりだが、寄る年波には勝てないのである。全然教養がないので歯が立たないということもある。次回はいつになるか判らないが捲土重来を期して体調気力整えておこうかな、おきたいなと思いつつ、次の予定もあり、早めに退散した

2007/12/08

椿三十郎

オープニングの和太鼓が荘重な響き、というより仰々しいと感じてしまったところからヤバい感じはしていたのだが、始まってみれば織田裕二は、意外なことに思っていたほど悪くない。

黒沢の脚本をそのままに、キャラクター、絵作りまで模写しているので、場面ごとに脳内で再生されるオリジナルのイメージと見比べてしまうような感じになる。なるほどと納得させられながら気持ちがスクリーンに集中していけばよかったが、そうはならなかったのは若侍の集団に対する違和感。加山雄三の松山けんいちはともかく、田中邦衛のそっくりさんは目を剥いて口とんがらせて文句を言う表情がワンパターン。この劣化コピーに次第にイライラがつのって、演出のセンスへの不信が芽生えたら急に眠くなってしまった。
気がつけば最後の決闘が始まっている。エッ、何、どうしたの、普通は10分程度で目が覚めるのに、と戸惑いながら観た決闘はオリジナルとは違う趣向で、なかなか工夫されていた。リメイクというよりコピーという作りの中で、この殺陣は唯一の自己主張とみえた。ほとんど寝てたのによく言うよなのだが、やはり本家の緊迫感、迫力、寂寥感に及ばない。

2007/12/05

ナンバー23

ジョエル・シュマッカー はハズレの少ない職人監督で結構好きなのだ。伝奇風味な予告編にもそそられたし。ただ、ジム・キャリーってところに、期待も不安も感じさせるものがあったわけだが、行く気にさせてくれたのは12月1日、1000円ポッキリ映画の日なのだった。

動物管理局に勤めるウォルターが誕生日祝いに妻から貰った古本。そこには23という数字の謎と自分のこととしか思えぬ告白とが記されていた。著者の正体を突きとめ、謎を明らかにしようとするウォルターに不可解な出来事が頻発する。

歴史上繰り返し登場するという23の謎。メインタイトルになっている割りには雰囲気作り以外の役割はなく、本流は追いつめられる男のサイコなサスペンスなのだった。伝奇と思って見に行ったらサイコだったって面白けりゃ構わないが、これはそんなに面白くない。
ギャグを封印したジム・キャリーンのエキセントリックな演技。ヴァージニア・マドセン意外な良い人振り。役者の好演と見せ方の巧い演出で何とか観られるように仕立て上げてはいるが、脚本の弱さはいかんともし難い。


原題:The Number 23
監督:ジョエル・シューマッカー
製作:ボー・フリン/トリップ・ヴィンソン
脚本:ファーンリー・フィリップス
撮影:ロバート・プレスリー
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:ジム・キャリー ヴァージニア・マドセン ローガン・ラーマン 
   ダニー・ヒューストン ローナ・ミトラ リン・コリンズ

2007/12/02

ブレイブワン

突然の悪意と暴力に婚約者は殺され、一人生き残ったエリカ。恐怖と隣り合わせの毎日に手にした護身用の銃に命を救われた挙げ句、エリカは銃を手に悪党の粛正へと乗り出していく。

幸せの絶頂、瀕死の重傷、恐怖に怯え、実行犯となる。変化していく主人公をジョディ・フォスターは、抑制と雄弁を両立させた芝居で精妙に表現し、実に魅力的かつ印象的。怒りと逡巡をユニクロか無印かといったカジュアルファッションに包み、下司野郎に制裁を加える。相手は殺されて当然なやつらばかりとはいえ、ニール・ジョーダンがこの先どんな決着を用意するものか。ジョディ・フォスターなら、結論は反暴力しかなかろうと思いきや、正義感旺盛な刑事が絡んで、終幕は思いがけない展開を見せてくれた。
エッそうなの、そういう事なのと戸惑うほどに意外なエンディング。これじゃ例えば「キャット・ガール」やら「パニッシャー」やらと何ら変わらない。ニール・ジョーダンとジョディ・フォスターという組み合わせからは予想できなかったが、やりたかったのはDCコミックスの映画化だったのかと、トンネルを抜けての向こう側へと歩いていく主人公の背中を見ながら思い至った。ジョディ・フォスターの硬質な美貌に合うエンディングではあるけれど、しかし、こんな簡単な落ちで良かったのか?ジョディ・フォスター。
ウーン、アメリカンなのだ。

原題:The Brave One
監督:ニール・ジョーダン
脚本:ロデリック・テイラー
製作:ジョエル・シルバー、スーザン・ダウニー
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:ダリオ・マリアネッリ
出演:ジョディ・フォスター、テレンス・ハワード、ナビーン・アンドリュース、
2007年アメリカ映画/2時間2分
配給:ワーナー・ブラザース

2007/11/25

11月吉例顔見世大歌舞伎 夜の部

三階席の最前列の席が取れた。仕事早退けで今日は観劇。開演間際に隣の席に着いた若い女性、パンパンにつまったバッグとダウンジャケットを手に額の汗を拭いている。北海道から来たらしい。ファンは凄い。

一、宮島のだんまり(みやじまのだんまり)
 暗闇の中、宝物を巡って登場人物たちが相互に探り合う。という設定で見得の応酬を繰り広げる「だんまり」。派手な衣装に隈取りの悪党やら公卿やら傾城やら、多彩なキャラが勢揃いしてゆるゆると動き、一斉に見得を切って構図を決め、またゆるゆると動きだし型を変えて見得を切る。いかにも歌舞伎らしい見た目が全ての華麗さで魅了する。観ているだけでほんとに楽しい。
 浮舟太夫(福助)畠山重忠(錦之助)大江広元(歌昇)平清盛(歌六)

二、仮名手本忠臣蔵(かなでほんちゅうしんぐら)九段目 山科閑居
子の幸せを思う母の切なさ、女の意地と男の本懐。九段目ってこういうお話だったのか。動きの少ない前半、気がつくと少しばかり寝入ってしまった。前半で辛抱を強いて後半で一気に解放するのが歌舞伎の手口みたいなので、寝るのも様式の範疇としよう。 芝翫の貫禄と菊之助の可憐。凛々しい染五郎に吉右衛門の風格。幸四郎はやはり苦手なのだ。
 大星由良之助(吉右衛門)お石(魁春)大星力弥(染五郎)
 加古川本蔵(幸四郎)戸無瀬(芝翫)小浪(菊之助)

三、新古演劇十種の内 土蜘(つちぐも)
源頼光の病気見舞いに現れた祈祷師が実は蜘蛛の化け物。妖怪退治の大太刀まわりとなる。菊五郎の舞踊劇。禍々しい隈取りの妖怪が放つ糸の美しさ。
  源頼光(富十郎)平井保昌(左團次)胡蝶(菊之助)榊(芝雀)
  太郎(仁左衛門)次郎(梅玉)藤内(東蔵)智籌、土蜘の精(菊五郎)

四、三人吉三巴白浪(さんにんきちさともえのしらなみ)
   大川端庚申塚の場
おお、コクーン歌舞伎とは異なる空間と演出。本来はこうかと納得。染五郎は良いな。
 お嬢(孝太郎)お坊(染五郎)和尚(松緑)。

昼より夜の方が楽しかった。
 
11月22日(木)

2007/11/24

ミッドナイト・イーグル

雪の北アルプスに墜落した米軍のステルス爆撃機を巡って、自衛隊特殊部隊対半島からの工作員との死闘に自己の再生を賭けたジャーナリストが絡む山岳アクション。
一応、大作というふれこみだが、これがとことん杜撰な脚本を、合理性など全く考慮しない監督が情緒至上で演出していくという、実にどうもべけんやな展開のとんでも作品。
基本設定はともかく、時間、空間の不整合やら、状況のほころびやら、細部の不始末やら、ご都合主義もきりがない。これは果たしてどこまで行くものかと、逆に興味を覚えるほどに最悪。

ハードアクションとして売るより、竹内結子と大沢たかおの熱演からも、むしろセカチュー的な女性向きの恋愛映画とする方が相応しいが、だからといって面白くなる訳もない。自衛隊員の吉田栄作がなかなかよかった。

クワイエットルームにようこそ

神経内科の隔離病棟の中にあって、さらに隔離されたクワイエットルーム。
何故かその部屋で覚醒した内田有紀。どうしてなのか記憶にないが、どうやら睡眠薬の過剰摂取を自殺未遂と疑ぐとられたらしい。こんなことで仕事をしくじってはキャリアが台無し、退院させろと大騒ぎし却って状況を悪くした挙げ句、早期退院を勝ち取るにはここの生活を受け入れるしか無い、と思い定める。 

過食、拒食、自傷、虚言と様々な病棟の住人たちを演ずる女優たちが、それぞれ個性的な役柄を魅力的に演じている。中でも、表現力と存在感で惹きつける蒼井ゆうと、抜群の巧さと凄みで圧倒的な大竹しのぶの怪演から目が離せない。冷徹な看護婦、性別不明の医者、多彩な患者、怪しい人物オンパレードの中で唯一まともに見える内田有紀の清潔感。まともに見える内田有紀の、実はまともではない病理が明らかになる後半、いきなりクライマックスへ上り詰め、隔離病棟の空気を一気に革新する展開も鮮やか。

患者より挙動が怪しい宮藤官九郎のダメ男のキャラ造形にも説得力がある。皮肉さと優しさ。皮肉というのとは違うのだが、慈愛というか、懐の深い面白がり方というか、きちんと優しい雰囲気に満ちている。どちらかと言えば、つかみどころが無い松尾スズキにしては珍しく、つかみどころのはっきりした作品。明るく元気に生きていこう。って気にさせてくれる。

2007/11/20

ボーン・アルティメイタム

ジェイソン・ボーンのアイデンティティー探しも終局に至って何と全米No.1ヒットを記録したという期待の一作。前売りを買いながら初日に見逃し不覚をとった。で、1週遅れの観賞。
いやぁ、孤立無援のボーン君が、張り巡らされた死線を機転と抜群の身体能力で鮮やかに切り開き、ユーラシア大陸狭しと駆け巡る。ハードアクションの徹底的追及といった様相の3作目。
ボーンの洞察と決断をアクションで説き起こすという心憎い脚本を、ポール・グリーングラスのシャープな演出がイマジネーション溢れた映像に変えていく。知的なアクションと意表をつく展開から生まれる面白さと快感に体を預けた。

謎の核心へと肉薄していくボーンは、1作目より超人度が高くなっているし、潜入や脱出に際しての説明は省いているなど、ご都合主義的な面もあって、アクションの質量の凄さに比べ、ハラハラドキドキ感より大船に乗ったような安定感が先に立つ。ドラマ的盛り上がりはどうなの、巨悪を吹き飛ばすカタルシスがもっと欲しい、と言いたいところもあるが、結局、マット・デイモンの引き締まった体躯と苦悩する猿顔にはそんな気分を吹き飛ばす魅力がそなわっちゃったのだ。要するに、かっこいいのだ。それ以上一体何が必要か、それで充分だろってことだ。すごーく面白かったけど、うーん、スプレマシーの方が、好きかな。

原題:The Bourne Ultimatum
監督:ポール・グリーングラス
脚本:トニー・ギルロイ、スコット・バーンズ、ジョージ・ノルフィ
製作:フランク・マーシャル、パトリック・クローリー、ポール・サンドバーグ
原作:ロバート・ラドラム
撮影:オリバー・ウッド
音楽:ジョン・パウエル
出演:マット・デイモン、ジュリア・スタイルズ、デビッド・ストラザーン、スコット・グレン、
2007年アメリカ映画

2007/11/18

二宮 ざる菊園



地域の情報紙に毎年紹介記事が載る二宮のざる菊。今年も見事な咲きっぷりだというので、秋晴れの日曜日、散歩がてら出かけることにした。
歩いて大磯駅。東海道線一駅乗って二宮下車。駅北側の吾妻山山頂まで20分。傾斜がきつい。体力の衰えを実感する。山頂からの絶景は何年振りだろう。風が強い。海には白波が立っている。岸からそう遠くないところをクレーンを積んだ船が白波をけたてて進んでいる。健気な様子。心なしか、船が前傾姿勢で風をしのいでいるように見えた。
お昼時でお弁当をつかっている家族ずれが多い。おにぎりを用意すればよかったと悔やみながら下山。
1号線に出て魚を食わせるお店に入る。アジのたたきを頼んだ。あら汁もともにうまかった。
その後、お目当ての農家に向かう。道に迷って裏側から進入したざる菊園。お椀にさいた菊がズラーっと並んで、壮観というか丹精こめた仕事の精花。いや見事なものでした。

1 ざる菊整列
2 ざる菊格子

2007/11/11

摂州合邦辻


先月は歌舞伎座の昼夜と国立劇場を観た。どちらも楽しかった。とりわけ歌舞伎座夜の部「牡丹灯籠」と「奴道成寺」、国立劇場の「うぐいす塚」が印象に残っている。
昨日は『吉例顔見世大歌舞伎』昼の部を見に歌舞伎座へ。
吉右衛門は好きだが幸四郎というのは世にいわれるほどの名優なのだろうか。先月国立で見た俊寛も今ひとつピンとこなかった。片岡仁左衛門のまことにもって素晴らしい男っぷりにはほれぼれしてしまう。
車中のお供にディーバーの新作を持っていったのだが、幕間に斜め前の人がパラパラめくっている本が同じものだった。
今日は国立劇場へ人間国宝坂田藤十郎の『摂州合邦辻』を見に行く。地下鉄に乗り換えようと新橋で下車したら本降りの雨。国立劇場までの距離を考えれば傘は必要だ。道の向こうのドラッグストア即調達し地下鉄で移動。現地に着いたら雨など気配もない。そのまま大事に持ち歩いて、結局帰りの電車に置き忘れたorz。
で、坂田藤十郎は凄かった。先月の歌舞伎座でも大した風格だったが、『摂州合邦辻』の激しく生々しい情念の表出には年齢を感じさせないエネルギーと色気が漲っていて、人間、歳取ったら枯れるなんてことは嘘だと思わせるほどに脂がのりきっているようだった。大詰めで明らかにされる事の真相に、世界の様相をガラリと変化させるどんでん返しのダイナミズムとカタルシス。
前日の美味いところだけを手際よく振る舞われたような、顔見せの楽しさは楽しさとして、じっくり語る通し狂言の歯ごたえと人間国宝の旨味を、今日はたっぷり堪能させられた。

クローズzero

いやぁこれは掛け値なしに面白い。今年の邦画を代表する1本だ。
小栗 旬が抜群のルックスで輝くばかり。ヤバいくらいかっこ良い。
対する山田孝之も虚無的な表情が味わい深く、こっちも結構カッコいい。
この二人が頂点に立つべく、周囲のワルを巻き込んで激突する。相川翔と竹内力のDOA以来の、久々に三池崇史らしいユーモアとダイナミズムの炸裂とで描かれハードなバイオレンス。周囲のワルたちも魅力的な味付けで、しっかり描き分けられている。痛快極まりない面白さのうちに、クライマックスに向けての緊張がきっちり盛り上がっていく。役者はみんなかっこ良く、カタルシスは充分。後味も大変良い。

ワルとやくざと警官しかいないという世界観は、バイオレンス・ファンタジーの傑作「ストリート・オブ・ファイア」を彷彿とさせるが、面白さでは決して負けていないし、主演者の魅力ではむしろ勝っている。TVで観たときは普通のイケメンにしか見えなかったが、小栗 旬、逸材だ。

監督 三池 崇史
出演 小栗 旬 やべきょうすけ 黒木 メイサ 山田 孝之 遠藤憲一

11.02

10月に見た映画

「パーフェクト・ストレンジャー」 
ここまで人間を貶めて描くか。そんな映画作りが楽しかったのか?。お下劣で救いがたい。

「題名のない子守唄」
意味ありげな描写は見せかけだけ。主演女優の魅力で見せるハッタリ監督。

「エヴァンゲリオン 序」
いたいけな少年が衆人環視のもとオナニーを強要させられるのだった。という、まことにかわいそうだけど実はエロな話なのだった。平日の夕方、客席は大人の男ばかり。

「キングダム」
メインタイトルからエンディングまで、緩急自在に展開するドラマ&アクション。文句なし、パーフェクト!

「グッドシェパード」       
近頃稀なル・カレ風本格エスピオナージュ。これにホームドラマ要素が添加されて「ゴッドファーザー」的な面白さも。デ・ニーロは変な映画ばかりに出て、栄光に陰りが見えているように思えたが、全然そんなことなかったのだ。素晴らしい監督作。

「スターダスト」        
ピーター・オトゥール、ミシェル・ファイファー、ロバート・デ・ニーロを使って、よくもまあこんなにできたもんだと感心するほどにつまらんかった。

touch

今日、国立劇場の帰り、銀座のAppleストアに寄った。
6日に覗いた時は売り切れだったから、今日もないだろうと思ってたら、
あった。反射的に16Gを買った。
買ったはいいが、Mac OS 10.4.0以上でないとコントロールできないのだった。
自分のは10.3.9なのです。

本日購入
1. ipod touch
2. mujiチョロQ・バス
3. トミカ ピカチューカー

10.21

10万キロ


愛車ヴィヴィオGXーTの距離計が10万キロに達した。
おめでとう。
ネットで見つけたGXーT。
新潟の中古車ディーラーまで引き取りに行った。
帰路、観光バスを追い越すべく高速走行中、急にエンジン回らなくなり、
雪の関越道で死ぬ思いをさせられた。
不調のまま赤城山ではついに立ち往生。
はらわた煮えくり返る思いでディーラーに電話し引き取らせた。
仕切り直しの納車が平成14年3月、メーターは7万5千キロ。
以来今日まで快調に走り続けている。

GXーTは、スバルが93年に3000台限定で出したT-top(軽で4人乗りのオープンカー)という冗談のような車に、スーパーチャージャー付きのエンジンを乗せ変えるなど手を加え、翌94年に3000台限定発売したという希少性ある車だが、稀少が価値に結びつかなかったのが一番の特徴だ。
ホンダのビートやスズキのカプチーノに勝るとも劣らないユニークな魅力も、まるで一般受けしなかったわけで、このまま人知れず日本自動車史の中に埋もれて行くことだろう。
良さが理解されにくいGXーTだが、最近のブサイクなデザインの車ばっかりの中、私にはこのキュートなGXーTが、よりに一層魅力的に輝いて見える。
どこから見てもそんな気がする。大好きなのだ。
10.20

2007/09/25

終決者たち/マイクル・コナリー

パブリックアイ上がりのプライベートアイ、ハードボイルドな探偵としては非の打ち所がないキャリアだ。ボッシュが公から民へと転じた経緯も動機も、21世紀の新たなハードボイルド探偵像を打ち立てるに相応しい魅力あるものだった分、期待も大きかったのだが、やる気が空回りしたボッシュが印象的だった「暗く聖なる夜」や、エレノアとのゴタゴタを引きづりながらポエットとの派手なエンディングに突入していった「天使と罪の街」に共通するのは、私立探偵であることへの戸惑いや苛立から無理を重ねていくボッシュの姿だった。少しも楽しまずかっこ良くもなく、ボッシュは私立探偵が辛そうにみえた。

ボッシュというよりアティカスかと思わせるタイトルの新作。
未解決事件班に配属され、17年前の少女殺害事件の再調査を命じられたボッシュ。3年のブランクに勘も鈍っている。新米であり以前のように自由に動くことは出来ない。制約も不安も少なくないが、それさえ現場復帰の喜びには代え難い。かくして、ボッシュは旧知のキズミンと共に17年前の調書に残る空白を埋めにかかる。

調書を頼りに足で稼ぐ地道な捜査。捜査活動の基本をこなすボッシュを丹念に追いながら、同時に一層のリリシズムでロサンゼルスと言う街の様々な顔を、従来にも増して丁寧に描きだすコナリーの筆が冴えている。作者の大好きなラスベガスもFBIもどんでん返しも封印し、エレノアとのゴタゴタも遠方に押しやって、筋肉質な展開に面白さが加速して行く。夾雑物を排除したストイックな作りにも、作者は小芝居するボッシュというサービスも忘れない。

作者が思っていた以上にボッシュはバッジへの依存度が高かった訳だ。チャンドラーを敬愛する作者にして、自らが考えていた程にはチャンドラー気質ではなかったのだ。だからこの期に及んで、ボッシュを民から公へと復帰させるという、冗談にも程がある前代未聞な展開でシリーズの起死回生を図るという大博打に出て、コナリーは見事な勝ちをおさめた。この独創性的発想と大胆な手口によって、シリーズはハードボイルド探偵史をユニークに更新し、ボッシュは二人といないキャリアを身にまとうことになった訳だ。コナリー実にやるもんなのである。そう、組織の力学に影響されない正義漢、組織にあってこそ輝く男なのだ。

終決者たち THE CLOSERS
著者:マイクル・コナリー
訳者:古沢嘉通
発行:07年9月14日

秀山祭九月大歌舞伎/9.22

朝早く家を出て大井町で墓参り。10時過ぎには全て済ませ、歌舞伎座目指して京浜東北に。有楽町で改札を出たら交通会館の脇がOIOIになってる。へぇー囲いが出来たのがついこの間だと思ってたら、もうこんな立派なビルが建ってんだ。時間の感覚がズレてきたのか、何だか近頃は世の中の変化に対応できてない感じが凄くする。急に老け込んだと子どもにも言われた。

開演には余裕があるのでビックカメラで双眼鏡を買い、三越で弁当など買ったりしながらのんびり歩いて行ったら既に芝居は始まっていた。開演時刻を間違えていたのだ。ネット予約のカード決済の発券機から出てきたチケットを見て気がついた。配偶者の非難に遺憾の意を表す。

初の三階席。天井が近い。一、二階での視点に較べると幽体離脱したような気分だ。舞台では染五郎演ずる坂本龍馬が桂小五郎と肝胆相照らしている。「龍馬が行く」は、若き龍馬に影響を与えた人物との邂逅や出来事を、場ごとにオムニバスな構成で見せ、染五郎の様々な表情がたっぷり楽しめる趣向がなされている。隣の席の女性は染五郎の一挙手一投足にやたら反応していたのが鬱陶しくも印象的だったが、熱烈ファンは歌舞伎も韓流もこんな感じなのだろう。確かに染五郎はキリッとして甘さもあるいい役者振りだし。

「熊谷陣屋」は吉右衛門がカッコいかった。隈取りも衣装もとても美しい。大見栄に大向こうのかけ声がタイミング良く決まって時間も止まってしまうあの一瞬の快感は実にどうも癖になる。宮仕えの誉れと辛さ、男の意地と母の情、一場のうちに本音と建前を縦横に織り込み、不条理の中にしみじみと人の道を浮かび上がらせる。良く出来た筋だ。筋で語る分動きは少ないのが初心者には辛いところもあるが、情を露にする福助の嘆きを受け止める吉右衛門が大きかった。

最後は玉三郎と福助の舞踊「二人汐汲」。こういうの見るの初めて。豪華絢爛。艶やかで美しい所作動作形。謡と三味線と鼓のBJMもかっこ良く物珍しく、一切合切興味深かった。

魔笛

名作「西部戦線異常なし」のエンディングへのオマージュ感溢れるオープニングは意外だったが、更に驚いたのは長廻しのカメラがそのままノーカットで空に舞い上がったり地上に降りたり、要は全篇くま無くバリバリのCGで固め尽くされていたこと。
才人ケネス・ブラナーの野心的なモーツァルト「魔笛」の映画化だが、設定を第1次世界大戦の西部戦線に移したことによって、テーマの今日性を前面に出すことが出来たものの、ロマンティックな要素との折り合いが悪く全体に中途半端な印象。CGも魅力に乏しい。

監督・脚本:ケネス・ブラナー
音楽:ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
出演:ジョセフ・カイザー 、 エイミー・カーソン 、 ルネ・バーベ 、 リューボフ・ペドロヴァ

ファンタスティック・フォー/銀河の危機

土曜初日より金曜初日が最近の生活習慣にマッチし、週末の興収増にも良さそうってことから、今後は金曜初日の公開を増やす動きがあるらしい。これは土曜日の動きに余裕が生まれるから大歓迎だ。是非定着して欲しい。今回、金曜公開に挑んだファンタスティック4。予告編を何度も見せられ楽しみにしていた作品だ。なんたって銀河の危機てんだから、地球温暖化の比ではない訳でとにかく心配でたまらない。夕飯を済ませ、すぐに出かけた。

透明人間とゴム男の挙式に飛来したなぞの物体。銀色に輝くシルバーサーファーは、行く先々の惑星を8日以内に滅ぼしてしまうという最強最悪の存在だった。

迎え撃つ4人は前作に引き続き、小さないざこざが絶えない。ファンタスティックというよりむしろスラプスティックなヒーロー達の活躍。しかし今回は、寡黙で孤独、憂いを帯びた宇宙の破壊者、シルバーサーファーが渋くて最高にカッコいい。さらにトラブルメーカーなヒューマントーチもかなり点を稼いだが、この役者は良い。ジェシカ・アルバは化粧が濃過ぎでケバいばかりだったのが残念。

地球の滅亡とジェシカ・アルバの結婚式を等価に描く姿勢も、ヒーローに対する礼儀態度として非の打ち所が無かった。軽く楽しめてマル。

原題:Fantastic Four: Rise of the Silver Surfer
監督:ティム・ストーリー
脚本:ドン・ペイン、マーク・フロスト
製作総指揮:クリス・コロンバス、マイケル・バーナサン、マーク・ラドクリフ、スタン・リー、
撮影:ラリー・ブランフォード
音楽:ジョン・オットマン
美術:カーク・M・ペトルッチェリ
出演:ヨアン・グリフィズ、ジェシカ・アルバ、クリス・エバンス、マイケル・チクリス、ジュリアン・マクマホン、ケリー・ワシントン、アンドレ・ブラウアー、ローレンス・フィッシュバーン
2007年アメリカ/1時間32分
20世紀フォックス

2007/09/24

めがね

「かもめ食堂」のバリエーションのよう。
南の島の民宿で、のたりのたりする時間を礼節ある態度で静かに過ごす人々。かもめ食堂に見られたような物語性もキャラクターの背景など、細部の説明的な要素は一切省かれているが、それを補って余りある、怪優もたいまさこと、もたいの剛球をデリケートでニュアンスに富んだ表情で受けとめる小林聡美。小林聡美のシャツスタイルの数々、もたいまさこの着こなし、市川実日子の洗練を見ているだけでも充分楽しい。光石研の懐が深く心優しさが漂う演技も良いが、加瀬亮のシンプルさも味わい深い。加瀬亮が実にいいなぁ、これからどんどん伸びるだろう。背筋を伸ばした生活の美しさを抑制された演出でファッショナブルかつユーモラスに描いて、後味も良かった。
気になったのは、この世と幽界を行き来する回路を越えて行った人々の霊を慰めるような、ある種、ホラーを思わせるような人物、背景を思わせたこと。もたいと加瀬以外はみんな幽霊でも美しい。

監督・脚本:萩上直子
音楽:金子隆博
出演:小林聡美、市川実日子、加瀬亮、光石研、もたいまさこ、薬師丸ひろ子
2007年日本映画/1時間46分
配給:日活

2007/09/17

スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ

日本人が英語で西部劇をやる。それもジョン・フォードやハワード・ホークスではなく黒沢のパクリをパクったセルジオ・コルブッチを、という企画からして異色を通り越して異様だ。面白過ぎる。三池崇史の業績、名声なかりせば決して制作されることはなかったに違いないが、異色な作品に相応しく、いろもんともゲテものとも見えるキワもの感が溢れたプロローグには、期待と不安が交錯した。

壇ノ浦の合戦から数百年後。根畑(ネバダ)のとある寒村では平家の埋蔵金をめぐり源平の末裔達が激しく対立、村人に暴虐の限りを尽くしていた。というのがスキヤキ・ウエスタンの世界観。ここにフランコ・ネロ風に身を固めた伊藤英明が現われ、そこから先は元ネタ通りの展開。

紅組平家、白組源氏に色分けした衣装やセットや美術など凝った作りで安っぽくないのが大変よい。ガンアクションも弾着の効果が垢抜けている。新旧硬軟取り混ぜた配役も新鮮で贅沢だし、それらをボリュームたっぷりの美しい画面にまとめあげたカメラも実に素晴らしい。

しかし、脚本がよろしくない。ジャンゴと義経はとことんシリアスで、清盛以下平家の面々はとことんコメディアンというキャラクターの味付けは、シリアスがひたすら格好良さをアピールして説得力あるのに対し、佐藤浩市や香川照之の遊びはアイディア倒れで説得力に乏しく、ドラマに奥行きが生じない不満が募る。「仁義なき戦い」の金子信雄とは言わないまでも、佐藤と香川のキャラクターにはもっと厚みが欲しかった。義経の伊勢谷友介は外見の格好良さで追い込んで行く正攻法のヒーロー振りに迷いがなく、見ていて気持がいい。木村佳乃はこの世の不幸を一身に背負い込んだような役を良くやっていたが、ダンスシーンはまったくいただけない。振り付けも寒いのだ。伊藤英明はフランコ・ネロよりむしろジュリアーノ・ジェンマ。

異色な設定でやりたい放題といったイメージだったが、内容的には一途な愛とか、主人公の不幸な過去とかでストーリーを盛り上げようとしているのは意外だった。結果、教訓的で感傷的で説教臭くもなっている。外側の派手で外道な作りを中味のお行儀よさが裏切るというか、悪党が大したことないから格好良さも表面的といおうか、面白さが爆発しないのである。真面目に普通の格好良さを追及した作品だったのだ。orz。
余分なギャグやエポソードの多さで時間が長くなっているのも良くない。この作品に限らず、一本2時間が標準化した最近は、無駄な時間稼ぎで冗長になった作品が増えている。本当に迷惑なことだ。

出てくる奴がみんな変で、日本語でいうのは恥ずかしいようなセリフばかりなので全篇英語にした、とか言うのかと思ったけど、これだったら、例えば鹿児島弁対東北弁とかでやった方が破壊力あるんではなかろうか。単に英語だとカッコいいからという理由での全篇英語だったとしたら、NOVAのタイアップ広告とか、英語教育振興を讃える文部科学省推薦とかあると良かったのでは。

究極のゴッコ遊びをして見せたかという、うらやましいような痛快さが内に籠ってしまったような作品。この珍品振りは記憶に残る。

原題:Sukiyaki Western Django
監督:三池崇史
脚本:NAKA雅MURA、三池崇史
撮影:栗田豊通
音楽:遠藤浩二
美術:佐々木尚
衣装:北村道子
2007年2時間1分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
CAST 伊藤英明、佐藤浩市、伊勢谷友介、安藤政信、木村佳乃、桃井かおり、香川照之、クエンティン・タランティーノ、石橋貴明、松重豊、石橋蓮司、堺雅人、塩見三省、

2007/09/10

HERO

しかしキムタクはカッコいい。松たか子もキュートだ。この二人が憎まれ口叩きながら捜査し、城西支部一丸となってバックアップする。あんな環境であんな関係で恋愛し仕事できたら楽しいだろうと思う。そう思わせるようきっちり作られている。

主役二人にフジTVの力を見せつけるような主役級の顔ぶれずらりそろえた脇役陣。華やかなヒーローとヒロインを盛り上げる豪華なキャスティング。適度な笑いをまぶした各キャラの見せ場が漏れなく用意され、達者な個人技が贅沢に繰り出される。TVシリーズのファンが納得も満足も出来るよう工夫がこらされている。

しかし、そのファンクラブ的なノリで楽しませる分、金を取る映画として、例えば、ファンサービスのエピソードが話の流れを悪くしたり、悪徳弁護士かと思った松本幸四郎が少しも悪徳でないため、法廷劇としてのスリルやサスペンスはすっぽりと抜けてしまったり、結構な副作用も生じている。イ・ビョンホンが出てくる度に盛り上がってた後ろの席のおばさん達のような例外を除き、TVを見ていなかった人が見ていた人以上に楽しめるかは疑問なので、流行の表記で言えば HERO the movieとした方が正確だろう。

[監]鈴木雅之
[脚]福田靖
[音]服部隆之
[出]木村拓哉 松たか子 大塚寧々 阿部寛 勝村政信 松本幸四郎 森田一義 イ・ビョンホン 
  中井貴一 綾瀬はるか 国仲涼子
2007東宝
135分

デス・プルーフ in グラインドハウス

そうそう、昔はタイトルの色は赤か黄色で、画面いっぱいにバーンと大書されたもんだった。
プリプリしたヒップにピッタリ吸い付いたようなカメラ。廊下を抜けた若い娘がカメラを尻目に部屋のカウチに身を投げる。チープでエロでおバカだが呼吸のいい滑り出し。下に車が止まり、これまた娘が二人降り立つが、一人はおしっこ漏れそうと大慌てで股間を押さえながら階段を足早に駆け上る。それをカメラが執拗にしかも接写で追いかける。何だよこれ、と思う間も無く撮影タランティーノと黄色いクレジット。
タハッ!ったくもう凄いです。人間やりたいことをやりたい様にやるってことはそれだけで充分尊敬に値するが、それがこれだけお下劣なこととなると尊敬より感動だ。
しかも、お下劣を維持したまま面白さが盛り上がって行く。ダレるところはあるがテンションは落ちない。下らないけど目が離せない。下らなさを全的に肯定するカッコよさとも潔さとも、下らなさの純度が高く、しかも極めてシンプル。タランティーノの凄さがキルビルなどよりはるかに良く出ている。とても面白い。

エンドマークが抜群のタイミング。あっけに取られる可笑しさ。いや笑った。1時間20分なら最高だ。

日本とアメリカの違いはあるだろうが、アメリカの田舎町の観客と、まだアメリカが憧れの対象だった時代の日本の観客には共有できる部分もある。場末の2番館、3番館で見た3本立て。昔懐かしい60〜70年代の映画環境をプログラムごと再現したタランティーノの遊び心。
駒落ちや褪色、フィルムの傷など、いかにもそれらしい演出がアザとい程に効果的。巧いんだな本当見せ方が。ノスタルジーはオヤジの証拠とはいえ、懐古を新しい表現で見せる。オヤジの力技が楽しい。

そう、レティシアファンにはジョアンア・シムカスとシドニー・ポワティエの娘も見逃せない。

原題:Death Proof
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン
製作:エリザベス・アベラン、ロバート・ロドリゲス、エリカ・スタンバーグ、クエンティン・タランティーノ
撮影:クエンティン・タランティーノ
美術:スティーブ・ジョイナー
2007年アメリカ映画/1時間53分
配給:ブロードメディア・スタジオ

河童のクウと夏休み

江戸時代から蘇った河童の子と、河童を見つけた少年一家との交流。自然と開発。家族の絆。いじめと友情等々、現代社会が抱え込んだ様々な問題が河童のクウに写り込んで、それぞれが丁寧に語られ、おもしろくもありメッセージも明確だが、話を盛り込み過ぎて時間も長い。小さい子には心身ともにかなりの忍耐が要求されることだろう。

キャラクターデザインやアニメーションが下手くそに見えるのは高度な演出なのかどうか分からないが、作画にも動きにも魅力が乏しかった中で、唯一、哀しい身の上も辛い出来事も屁の河童としのいで行く健気なクウがとても良かったのが救いだ。父親との別離の場面、絶妙のニュアンスで発した「とうちゃぁん」の切なさ、キャラクターデザインの可愛いさを生かした冨沢風斗の声の演技が最高にして一番の収穫。

問題提起の重さに対し、クウの平和な生活を暗示させるエンディングのファンタジーな処理はバランスを欠いている。あそこは深刻な環境問題への警鐘という意味からも、駆逐してしまった妖怪達への供養の意味からも、若い世代へのメッセージとしても、開発の魔の手が土の中からいきなり突き出てくるといった、キャリー的な刺激が子ども向けの演出であると引き締まったのに。

監督:原恵一
原作:木暮正夫
脚本:原恵一
音楽:若草恵
出演:田中直樹、西田尚美、なぎら健壱、冨沢風斗、
   横川貴大、松元環季 、植松夏希
138分
2007年

夕凪の街 桜の国 こうの史代

アマゾンの箱を開ける。原作は意外にも100ページ程の薄っぺらなもの。普通のマンガ本より紙質が良い。隅々に配慮が行き届いた造本がなされている。薄さもデザインのうちなのだ。帯の裏にはみなもと太郎の推薦文の下に第9回手塚治虫文化新生賞、第8回文化庁メディア芸術祭大賞「W受賞」とポイント数も控え目に表示されている。作者のことも受賞作品もまったく知らなかった。読んだ。映画は原作のイメージにもセリフにも忠実だったと良くわかった。良い映画だが泣かされはしなかったのに、原作にはたった30ページで泣かされた。

映画は良かったが、こっちを先に読んでいたら受け止め方はかなり違っていたと思う。原作素晴らしい。

双葉社
800+税

2007/08/28

ベクシル

近未来、機械生命体が支配する鎖国日本にアメリカから特殊部隊が潜入して、というストーリーをフルCGの3Dで描いたアニメ。

「マトリックス」以降の設定としては「マトリックス」を越えるものが見たいし、ましてやアニメならイメージも映像処理にも「マトリックス」以降を感じさせて欲しい。しかし、既視感のある設定やイメージばかリが次々に繰り出される。

モーションキャプチャーで人間の動きは滑らかだが、それが即アニメ的なリアリティーとして感じられるというものでもない。ジャンクな機械生命体の集合した怪物など、砂の惑星のサンドウォームそっくりなのも気になった。

CGを使ってこんな凄いこともできるんだよ、という作り手の意気込みは感じるが、創造性や独自性に乏しく、絵もキャラクターも薄っぺらでまったく楽しめない。絵に血が通わない、生きてない。一言で言うなら、人間が描けてないのだ。

悪党のキャラは明らかに松田優作だが、肖像権クリアしてるのか?

監督:曽利文彦
脚本:半田はるか、曽利文彦
音楽:ポール・オークンフォールド
出演:黒木メイサ、谷原章介、松雪泰子、大塚明夫、櫻井孝宏、森川智之、柿原徹也
2007年日本映画/1時間49分
配給:松竹

遠くの空に消えた

行定勲監督は「GO」が素晴らしかったから、それ以降も「セカチュー」「北の零年」「春の雪」等期待して観てきたが、期待に応えてくれた作品があったかと言えば期待に背く作品ばかりだった。でも、今回は何となく期待できそうじゃん?って気がして観に行った。やっぱりダメだ。しかも「北の零年」並の惨状だ。

企画に7年かけ、子ども目線で描いたか見て欲しいか知らないが、行定監督はどうやら意味不明なことや、ご都合主義や、いい加減なことや、自己満足さえファンタジーであれば通ると思っているらしい。実にファンタジーに対する冒涜と言うしか無いなぁ。

実に2時間24分を使いながら、ZONEのSecret base〜君がくれたもの〜 の5分の感動にも及ばぬ哀しさに、怒りより脱力感が勝る。ほんとにがっかりだ。「GO」の感動は結局クドカンの力に帰すものだったとようやく思い定まった。

監督・脚本:行定勲
撮影:福本淳
美術:山口修
編集:今井剛
出演:神木隆之介 大後寿々花 ささの友間 三浦友和 大竹しのぶ 小日向文世
時間:2時間24分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
編集

納涼大歌舞伎 第三部 裏表先代萩

歌舞伎の様式、演出ってのは、何から何まで判りやすさ至上主義で成り立ったものとつくづく感心させられる。裏表先代萩は時代物と世話物のいいとこ取りで見せ場をまんべんなく並べ、観衆へのサービスに徹した出し物のようで、四幕六場にわたって多彩な演出パターンが繰り出されて、自分のような初心者には最小努力の最大学習経験が得られるお得な演目だった。

幕が開いて、七之助がいきなり花水橋の大立ち回り。花水橋、いつも渡ってる橋なので驚いた。あそこはそんな出来事があったのかと感慨を新たにするまでもない。フィクションなのだ。なーんだ。

勘三郎の達者な小悪党ぶりを楽しんだ後、今度はお世継ぎの乳母に扮した勘三郎を従えた子役二人の、空腹抱えた健気な芝居に会場が大いに湧いた。いや子役の使い方の巧いこと。可愛さたっぷり見せといて、陰謀奸計の渦巻く世界に生きる悲哀を溢れさせる。あざとさに感心もしたが、一番気になったのは、上手の台の上に座った義太夫語りと三味線の二人、正座しているように見せて、実はダミーの膝で身じろぎもせず演じているのが気になってしかたがない。下がるときはどうするかしかと見届けようと思いながら、乳母政岡の勘三郎にすっかり気を取られてる間に見損なってしまった。

福助、扇雀、勘三郎の競演も艶やかなもの。勘三郎は更に余裕で仁木弾正を演じる大活躍でたっぷり楽しませてくれた。ま、多彩過ぎて統一感に欠けたきらいはあったかな。それにしても、平日夜の観劇は疲れる。翌日の仕事に影響しそうなので、今後は週末だけにしとこう。

2007/08/26

夕凪の街 桜の国 

実直で健気な麻生久美子と品よく控えめな藤村志保の佇まいが美しい。被爆から13年後の広島、この二人が柔らかに演じる母娘の暮らしぶりが丹念に描かれて、当たり前の暮らしを送れることの幸せが観客にしっかり伝わってくる。幸せになることに対する後ろめたさに苦しみ、被爆とは、誰かに死ねばいいと思われたことであり、生き延びたことは、その悪意に晒され続けていることだという麻生久美子のつぶやきには脳天どやされた気がした。麻生久美子のベスト作品だ。

夕凪の街から桜の国へと転調し、田中麗奈の軽快感に中越典子の情緒が適度に絡んで、テーマの重さをサラッと受け止める後半、前半とのコントラストを生かしながら、前へと踏み出そうとする若々しい意志を浮かび上がらせる。前半の言葉は新鮮だった。言い方には工夫がある。原作が名の知れたマンガとは知らなかった。読んでみよう。

監督・脚本 : 佐々部清
原作:こうの史代
出演: 田中麗奈 麻生久美子 吉沢悠 中越典子  伊崎充則  金井勇太  藤村志保 堺正章

編集

2007/08/20

森村泰昌 展 横浜美術館

自分自身を素材に、誰でも知っている名画や有名人なら年齢性別を問わずになり澄ます。初めて知った時はスキャンダラスでいかがわしい表現にインパクトも強烈だったが、その後も広がりのある表現を展開し、今や森村泰昌という確固としたジャンルとして成立している。その森村が、自身の表現の何たるかを、自らの解説付きで美術の授業に見立てて展示しようという、作品と展示方法が遊び心と自己顕示とに対応する、いかにもバランスのよい企画に見える。

1時限のフェルメールから6時限のゴヤまで、美術史を飾る名画になり澄ました森村が、その狙いと方法をお惜しみなく開陳し啓蒙を図る。ふーん、画面そのままを原寸大で再現し、CGでまとめたフェルメールに感心した。2時限目はゴッホのなり澄ましに使われた紙粘土の顔面と釘の帽子を軸にした名画セット。ゴッホの帽子にもグッときたが、ベラスケスのマルゲリータ像のセットは、なり澄ます為に示されたエネルギーがそのまま結晶したかのような美しさ。森村の創意と気迫に感動した。

思うに、初期の作品程、なり澄ましに徹する森村の努力が画面に深みを与えているようだ。後半になると、作家として認知されるにつれ作家本人のキャラクターが前面に出て、例えば5時限のフリーダカーロなどは、なり澄ましにも作家からのメッセージ性が強く反映されるようになっている。画面は大型化し表現は洗練されているが、作品としては、批評性の濃い後期の作より、紙粘土に着彩した3Dのマチエールに魅力がある初期作品が、自分は好きだ。

放課後は三島事件の再現パフォーマンス。ギャラリーは自衛隊員のポジションなので、これはこっちが無視することで成立する作品かと、とっとと退場した。

出口に向う途中、常設部屋にマン・レイの写真が展示してあった。シュルレアリズムの作家達の肖像。イブ・タンギー、いい顔してる。若き日のダリ、ジゴロか、こりゃどんな男も敵わない色男振りだ。キリコ、神経質。トリスタン・ツァラが寝そべってる。エリュアールとブルトンが至近で見つめ合ってる。君ら太陽がいっぱいのアラン・ドロンとモーリス・ロネみたいじゃないか。そうなのか? あと誰だったけか、近頃、名前を思い出せない。

天然コケッコー

都会からかっこいい転校生がやってきた村の分校。迎える生徒達はソワソワと落ち着かない。

豊かな自然と不便さの中に淡々と流れていく田舎の時間、人々に育まれ大きくなっていく子供達。
中学2年の少女を軸に、村の暮らしと子ども達の成長を暖かい視線で見つめ、心に響く面白さ。
子どもから大人まで、それぞれキャラクターがしっかり立っている中で、主役の少女を夏帆という女優さんが輝くばかりの清新さでのびのびと演じている。何処に出しても、誰もが納得するだろう魅力を引き出し画面に定着させた演出が素晴らしい。おじさんはすっかり萌えー、になりそうだ。
大きな事件があるわけでもなく、田舎と田舎の暮らしを丁寧に描くだけ。だけどそれがとてもいい。足腰がしっかりした粘りのある脚本だ。音楽の付け方も画面にふさわしい節度と品で、日本映画らしからぬセンスの良さ。冗長な部分もあるが傷ではない。主演女優の魅力と作品の面白さで本年屈指の1本となった。

原作:くらもちふさこ
監督:山下敦弘
脚本:渡辺あや
音楽:レイ・ハラカミ
出演:夏帆 岡田将生 夏川結衣 佐藤浩市
配給:アスミック・エース

2007/08/17

なんばグランド花月 8月

在米の愚息2号が、日本に帰るが京都、沖縄にいくので家には寄らぬと言ってきた。嘆かわしいことだが、2号には2号なりの事情もあるようだ。なら、こちらからと京都まで顔を見に行った。親ばかだが、行きがけの駄賃に吉本新喜劇をセットした。前は全席売り切れでスゴスゴと引き揚げたこともあり、今回は事前にオンラインでチケット購入した。

ザ・プラン9という5人組、つっこみ1人にボケが4人という若手の集団。4人のボケが徐々にエスカレートしたり転調したりと、多彩な波状攻撃をかます見せ方がスマートで、脱力感も程が良い。初めて見たがとてもよかった。

久しぶりの吉本新喜劇は、病院の跡取り息子と看護婦(実はヤクザの跡取り娘)の恋愛騒動。ミスターオクレの入院患者とか、山田花子の看護婦ぐらいしか名前が分からず、知らない顔が増えていたが、ぬるいお湯で半身浴しているような独特のリラックス感は他では得られない楽しさ。

アクロバット、ビッキーズの後は、宮川大助病欠のため花子師一人で二人分の働き。続いて登場したオール阪神・巨人が凄かった。もともと巧さでは定評がある阪神巨人だが、さらに円熟味を増したステージ。あっという間に観客をひき込み、後は縦横無尽に引き回す。こちらは言われるままに揚げられ下げられ引き寄せられ放り出されて館内大爆発。堪能し感動させられた。結構客席を沸かせた後でも、お辞儀をして客席に背中を向けたとたんに、それまでの雰囲気が嘘のような冷めた表情が背中に出てしまう中堅若手は随分多いのだが、オール阪神・巨人クラスになると袖に入るまで演じきっている。隙を見せない気持よさ。背中は大事だ。

トリは桂三枝師。関西人気質をモチーフに、オール阪神・巨人が最大に押し上げた館内の興奮をクールダウンするような語りと客いじり。観客を穏やかな気分で夜の巷に送り出したる、そんな気配も感じさせる余裕の高座。

花月を出て軽く食事。ネット予約したホテル・ル・ボテジュールに投宿。名前を見て何か変だなと思ったら案の定、ぼてじゅうグループの経営だ。お好み焼きもフレンチにしてまう。流石関西なのだ。

青山二郎の眼 展

世田谷美術館 2007年6月9日(土)8月19日(日)
http://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/exhibition.html

砧緑地。少しも涼しく感じられない緑陰の小径に蝉時雨。木立の奥には芝の緑に真昼の輝き。それはきれいだがとにかく暑い。
昔、たぬきはいても人はいないと言われた砧。少し下流の対岸には屋形舟が浮かび、蛍も飛んでいた。東名はまだ無く、246は弾丸道路と呼ばれていた。玉川に高島屋が出来るずっと前のこと、などとしばし懐旧の情にかられながら館内に。

前半は青山二郎セレクションによる中国、李朝の陶磁銘品の数々。さっきまでの暑さが別世界のように、青磁、白磁がつややかな肌を晒してすっきりと立っているのが印象的だ。それにしても、ギャラリーは年配のご婦人ばかリで男の姿が極端に少ない。

後半は青山二郎の骨董コレクションと装幀の仕事が通観できる。
小林秀雄と青山が畳の上に小物を並べて対峙している大きな写真が壁面を飾っている。要するにこういうことなのだな骨董ってのは。箱から出して掌に乗せ、ためつすがめつ愛玩するところがよろしいのだろう。失われた、あるいは積み重なった時間が自分の手に乗っている。それがくぐり抜けてきた時間に思いを馳せ、手の平で転がし、時に使ってみる。なんと贅沢な、ロマンティックなことではある。美術館のケースの中に凝縮された美を探すのとは自ずと別次元に属することでもあるのだろう。

山ほどのジャンクに囲まれ、骨董などにはおよそ縁のない生活者としてこの展示、参考にはならないが随分と勉強にはなった。

路上の事件 ジョー・ゴアズ

大学を卒業し放浪の旅に出た青年が遭遇する事件の数々。ジョー・ゴアズが、事実とフィクションを完璧に混ぜ合わせることにつとめたという自伝的要素も濃厚な作。ヘミングウェイに憧れチャンドラーに心酔する作家志望の主人公が行くところ、やたらハードボイルド的な環境が整った空間なのが特徴で、ケルアックを連想させる邦題だが、ビートニックということではない。

ホーボーもどきの主人公は、風の吹くまま降り立った南部の町で、いわれの無い咎を受け重労働1ヶ月の刑に。冷徹な所長と地獄のような収容所生活から、メキシコでの狂躁の日々を経て、たどりついたラスベガスではマフィア絡みのトラブルに巻き込まれ世の儚さも思い知る。ロサンゼルスで転機を得て、サンフランシスコで探偵になる。

保守的、排他的な南部の収容所生活のパートは、名作「暴力脱獄」さながらで、クール・ハンド・ルークと呼ばれたポール・ニューマンとミラーグラスをかけた看守の姿が脳内スクリーンによみがえる。メキシコの無法地帯も定番なら、ラスベガスで主人公に殴り合いの極意を授けるヘビー級ボクサーには大鹿マロイのイメージがダブる。ロサンゼルスでは不法就労と新興宗教。サンフランシスコでは中国絡みのお宝をめぐる謎と裏切り。それぞれの場所にそれぞれ相応しい事件が配される様式美。エピソードもそれぞれ完結し、連作短編のような趣もあるが、何と言っても主人公の成長を見つめる教養小説としての魅力が全篇に貫かれているのが新鮮だし、面白さもひとしお、とにかく読ませる。

スタートからロサンゼルスの放浪編ともいうべき前半と、サンフランシスコで探偵になる修業編といいたい後半部。全600ページを大きく二つに分けて、前半300ページ強は、人間の光と影に直面する作家志望の青年の戸惑いや葛藤が瑞々しく描かれ、クライム派の青春小説として良く出来ている。完成度が高く、このまま最後までいけば文学史を飾る名著になりそうな予感もあった。

修業編は完全なハードボイルドミステリーとしての世界に突入して、主人公も当然それに応じた態度を身につけていく。事務所のボス、ドリンカー・コープの薫陶よろしく、めきめき頭角を顕す主人公には、やるかやられるかの生き方が備わり、持ち前の純なる気配もいつしか薄らいでいく。はたして、21歳の主人公が、1年にも満たない期間にこんな濃密な経験をし、人間的にこれほど厳しい変容を遂げるかということについてはどうしたって無理があると思う。素直に読めない。実に惜しい。

この点を除けば、この修行編は古風なハードボイルドタッチが横溢したミステリとして懐かしさもあり、文句なしに楽しめる。飲んだくれの詩人とか、魅力的、印象的なキャラクターも少なくない。
総じて、ジョー・ゴアズが自らのハードボイルド観をストレートに吐露したかのような作品。集大成とも読める面白さだが、作者が、事実とフィクションを完璧に混ぜ合わせることにつとめたことの功罪を考えさせられた。


原題:cases
題名:路上の事件
作者:ジョー・ゴアズ  訳:坂本憲一
出版:2007年7月30日  扶桑社
価格:1000円+税

2007/08/07

トランスフォーマー

巨大ロボットの実写ものは、過去に幾つも作られたが、納得満足させてくれた作品はなかった。しかし今回はついにリアリティー溢れる巨大ロボット映画が誕生した。これは世の少年にとって、2001年宇宙の旅、スター・ウォーズ、ジュラシック・パークにつぐ画期的な作品だ。

宇宙船、恐竜、巨大ロボットは少年の夢とあこがれの凝縮した三大アイテムなのである。空想、妄想を駆使して、宇宙や恐竜やロボットに胸時めかせた幼い頃の記憶をもつ男は少なくないのである。だから、スターウォーズやジュラシックパークは熱烈歓迎されたのである。しかし、唯一巨大ロボットものについては、まともな実写作品を観ることはできなかった。ところが、その空白を埋める作品がようやく現われたのである。例えば小松崎茂の口絵に胸をときめかせた昔の少年達、彼等の積年の願いと渇望を充たす歴史的映像。リアルなロボットを初めてかっこ良く面白く描ききった記念碑的作品と認定したい。

さらに、自分の車を持ち、女の子にもてて、兵器や軍隊と肩を並べ、世界の中心で特別に選ばれた存在としてヒーローなるという、これはあらゆる意味で男の子をいい気持にさせることを目指した映画だと言える。主役の男女は高校生だが、これが小学生でもまるで差し支えない。むしろドラマ的にはその方がしっくりするようなところさえある。それをバッチリサポートするロボット達の活躍。男子はこういうことですっかりいい気持になってしまうのである。男子の欲望ストレートに形にしてして見せる。この臆面のなさ。スピルバーグ偉いところはまさにここ。マイケル・ベイの起用もツボだ。

原題:Transformers
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、マイケル・ベイ
製作:ドン・マーフィ、トム・デサント、ロレンツォ・ディ・ボナベンチュラ、イアン・ブライス
撮影:ミッチェル・アムンドセン
音楽:スティーブ・ジャブロンスキー
美術:ジェフ・マン
2007年アメリカ映画/2時間24分
配給:UIP

2007/08/04

ロマンス 世田谷パブリックシアター

井上ひさしの新作。大竹しのぶと松たか子の共演にどんなドラマが用意されるか、今を代表する女優同士のドロドロなバトルを観てみたい。そんなミーハー気分から初日のチケを取った。しかし、幕が上がって繰り広げられたのはチェーホフの生涯。それも、何より笑いを重視し、素晴らしいボードビルのステージを作ることを目指していたチェーホフという前提から、舞台は軽妙な演技と歌声で綴るコメディー仕立ての音楽劇となっている。

チェーホフのことは何も知らないもんで、この評伝形式を借りた井上ひさしによるチェーホフ論とも言うべき内容は勉強になった。少年、青年、壮年、老年の4期に分けたチェーホフを4人の役者が演じるという演出。男優は目まぐるしく役どころが入れ替わるが、松たか子が一貫して妹を演じていることから、変化するチェーホフの個性の違いにも違和感はなく、かえって新鮮な刺激になっていたのも、ボードビル的演出の冴えというべきか。

壮年期を演じた段田安則がいい。ドロドロこそなかったが、大竹しのぶの、スケールと振幅も自由自在な演技は流石だ。松たか子も唄の巧さと切れのいい動きで輝いていた。それぞれの場面で見せ場はあるが、生瀬勝久の発散するエネルギーと軽さ、そこに若干の狂気が加味された演技はこの作品のテーマ、精神を見事に体現している。楽しい。

納得いかないのは終盤、トルストイを挟んでスタニスラフスキーと対話する晩年のチェーホフを演じた木場勝己の荘重深刻さ。あの過剰ともいえる深刻な発声とセリフ回しは、明らかに周囲から浮いき上がり、アンサンブルを壊していた。もっと軽く見せた方ら、もっと気持よい幕引きになりそうだった。

ロマンス 8月3日 世田谷パブリックシアター H-29
作  井上ひさし
演出 栗山民也
音楽 宇野誠一郎
美術 石井強司
照明 服部基
出演 大竹しのぶ、松たか子、段田安則、生瀬勝久、井上芳雄、木場勝己

2007/08/02

ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団

原作は読んでいない。映画は全作観ているが、アズカバンの囚人はゲイリー・オールドマンが余り好みじゃなく、炎のゴブレットはダンブルドアがリチャード・ハリスじゃないことに抵抗があったりして、シリーズの進行につれて気持が乗らなくなっていた。そんな気分とこれまでの行きがかり上観たのだが、案に相違して楽しめた。

マルグのいじめとハリーの逆襲という定型のプロローグが嫌いなのだ。毎回楽しめないのだが、今回は違った。体裁は同じでもマルグを馬鹿にしきったようなお笑いは一切なしでマルグとハリーがいきなりの恐怖にさらされる。いつもとは違うハードな始まり方だ。

ハリーの反則がきっかけとなり、ホグワーツ魔法学校の改革に着手する魔法省。送り込まれた新任教師が押し進める教育改革という名の粛正に、ダンブルドアさえなす術もない。ダークな物語だが、すっかり大人びたハリーには却って収まりがいい陰鬱さでもある。教育再生会議と教育三法の現政権にもシンクロしたアップ トゥ デートな展開ともいえる。

ダンブルドアが良く見えるのである。ゲイリー・オールドマンさえ今回は好ましい。自分としては、今までどうにも抵抗があったこの二人がかっこ良くさえ見えるのである。これはなぜか。改革を断行する女性教師ドローレスを演ずるイメルダ・スタウントンのキャラ造形が素晴らしいからである。一見かわいい外見に潜む頑迷蒙昧陰険強引の憎たらしいこと。大好きなアラン・リックマンも影が薄い。ボルデモートよりこっちの方が恐いってぐらいのもんである。やはりね、女はすべからく魔女である。魔女なのである。教訓。

強まる悪の力。成長する子ども達。派手な魔法戦に悲劇性を増して行く物語。テムズの川面をビックベンの鼻先かすめてぶっ飛んでいくハリー達。ユー キャン フライの時代とは違う21世紀のピーターパン。今回クィディッチ戦がなかったのもよかった。

原題:Harry Potter and the Order of the Phenix
監督:デビッド・イェーツ
脚本:マイケル・ゴールデンバーグ
製作:デビッド・ヘイマン
原作:J・K・ローリング
撮影:スワボミール・イジャック
音楽:ニコラス・フーパー
美術:スチュアート・クレイグ
2007年アメリカ映画/2時間18分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/08/01

レミーのおいしいレストラン

とにかく、口に入るものなら何でもいい、というねずみ一族の中にあって、素材の鮮度と食い合わせにこだわる異端児レミーはやがて調理に目覚め、ついに花の都でレストランの調理人として頂点に立つ。

最強のブランド力を誇るピクサー社の新作。期待に違わず面白い。田舎から花の都に流れ着く前半部はユーモアもスペクタクルも、巧みなストーリーの流れを効果的に盛り上げて素晴らしい。しかし、パリのレストランに住み着いてからの展開は説得力不足で爽快感に欠ける。

レミー一匹だけならまだしも、他のネズミたち、一族郎党ことごとくを人間の食文化に隷属させ、そこに生活改善したネズミ達の幸せも描き込んでいるのがどうにも気色悪い。ネズミのアイデンティティーを無視したネズミのあり方を一方的に押しつけてもネズミは納得しないと思うが、映画だからみんな納得しちゃってるのだ。しかしなぁ、文化的侵略行為をこんなに明るく楽しく肯定的に描いちゃっていいのか。ベトナムから湾岸戦争を経た、これがアメリカなのか?

ここに描かれた人間とネズミの関係は、今も絶えない異文化衝突のメタファーとしても成り立つもんだから、いまどき、よくこの脚本でよく映画にできたなとびっくりなのである。ネズミはネズミであり何のメタファーでもないと言うかも知れんが、だったら尚更ネズミに人間のまねごとなどさせない方がいいのだ。このゴーマンさに後半は全然楽しくならないのだ。


原題:Ratatouille
監督・脚本:ブラッド・バード
製作総指揮:ジョン・ラセター、アンドリュー・スタントン
音楽:マイケル・ジアッキノ
出演:パットン・オズワルト、ルー・ロマーノ、イアン・ホルム、ジャニーン・ガロファロ、ブラッド・ギャレット、ピーター・オトゥール、ピーター・ソーン、ブライアン・デネヒー
2007年アメリカ映画/1時間50分
配給:ディズニー
編集

ロバート・アルトマンのロング・グッドバイ

7月22日(日)朝日朝刊の読書欄、ロバート・アルトマンの評伝を取り上げた慶大巽孝之教授の書評を読んでいて、休みの朝のユルい気分が一気に覚醒させられた。

「M★A★S★H」の成功、「ポパイ」の挫折。成功も失敗も、到底ハリウッドメジャーの枠には納まリきらない独自性と個性の故。いつしか孤高の大監督として地歩を築き、昨年亡くなるまで最前線を走り続けたロバート・アルトマン。チャンドラーのロング・グッドバイを映画化したのは長いキャリアのごく初期にあたる73年だった。

夜中にキャットフード買いに行くエリオット・グールド!、という型破りなマーロー像が意外にもカルト的な支持を集めたこの作品は、しかしチャンドラー的な感傷やマーロー的なヒーロー像に対してのシニカルな視線に貫かれている点において、実に非チャンドラー的とも反チャンドラー的とも言える作品だ。

エリオット・グールドの起用からしてだが、ハリウッドが生んだ屈指のハードボイルドヒーローを笑い飛ばそうとするアルトマンのへそ曲がり振りも顕著だ。アルトマンにとって、ハリウッド的ヒーロー像などはとても容認できる代物ではないということは、例えばロング・グッドバイに先立つ2年前の BIRD★SHIT(70)に描かれた、カーチェイスに失敗して池に飛び込み、全身ずぶ濡れで途方に暮れるタートルネックの刑事、というあからさまなブリットのパロディーにも見て取れる。

しかし、テリー・レノックスの描き方において、アルトマンの「悪意」はより一層明らかだ。飲んだくれで純粋で誠実なヤクザなテリーとそんな男を放っておけないマーロー。友情と裏切りを描いて原作とは正反対の結末を突きつけるアルトマン。この作品の核心をなすそのインパクトに啞然とさせられたが、これはチャンドラーの50年代な自己陶酔の気持悪さを、70年代のリアルで見事にばっさり切り捨てやがったと、これはこれで有りだなと公開当時妙に納得したものだった。

今では、松田優作の探偵物語の下敷きになった作品として評価されている面もあるが、何よりチャンドラーの代表作をもって従来のハードボイルドヒーロー象を徹底的に虚仮にしているところがこの作品の実にハードボイルド的な特徴で、ロバート・アルトマンはいかにも隅におけない癖の強い監督なのである。ロング・グッドバイとはそうした屈折した面白さにあふれた、自分にとってはアンチハードボイルドなハードボイルドとも言いたい作品なのだ。

アルトマンはどうしてテリー・レノックスとマーローをあんな風に描いたのか。テリーを撃ち殺したマーローがピョンと跳ねて両足の踵を打ち鳴らす。原作の気分からはあり得ないエンディングだろう。これはどうしてなんだ、とあれこれ考え、きっと、チャンドラーのセンチな描き方、マーローの自意識過剰が嫌だったのであろう、などと、アルトマンの心中を斟酌したりした遠い過去をもつ頭に、巽教授の紹介文がガッツーンと強烈にヒットした。

>たとえば、ハードボイルドの巨匠レイモンド・チャンドラーの名
作を映像化したロング・グッドバイ』(1973年)で強調される「落
ちた偶像」の背後には、グレアム・グリーン原作、オーソン・ウェ
ルズ出演の『第三の男』が介在していたこと。 
07年7月22日 日曜日 朝日新聞朝刊 13面 より引用。

えッ、そッ そーなのか。 
「第三の男」って、そういえばジョセフ・コットンの作家とオーソン・ウェルズのハリー・ライムって、マーローとテリー・レノックスの関係に完全にかぶるじゃないか。アルトマンが言う第三の男との関係が映画だけのことか原作についてのことかが、新聞の記事だけでは分からないので何とも言えないが、アルトマンが第三の男を意識したことは良くわかった。あのエンディングの謎が、大きく一つ腑に落ちる。そこで気になるのはチャンドラーと第三の男の関係だ。

で調べたってほどのこともないがインターネットは便利だ。

 ロング・グッドバイ出版1953年
 映画「第三の男」 公開1949年
 小説「第三の男」 出版1950年

チャンドラーがグリーンに影響された可能性は凄く高い。
間違いない。

2007/07/24

NINAGAWA十二夜

蜷川演出で菊之助がシェイクスピアを歌舞伎化した舞台の再演。
歌舞伎は先月のコクーン歌舞伎が初体験。歌舞伎座はこれが初体験。いうなれば基本を飛ばして応用ばかリに走ったような落ち着かなさもあるが、いろはの勉強は今後の課題ということにする。

普通の劇場のステージをビスタビジョンとするなら、歌舞伎座はシネマスコープ。この横幅の広さから花道という縦空間の必然も生まれたように見える。

舞台全面に鏡を貼り巡らしたセットに度肝を抜かれ、満開のグラマラスな桜の巨木から海上の嵐に翻弄される船と菊之助の早変わりの一大スペクタクルへと畳み掛ける見せ場の鮮やかさにすっかり乗せられ、ひき込まれ、全身委ねて終演までいってしまった。

訳あって男に成り澄ましたうら若き乙女に恋したやんごとなき姫君の恋のもつれを描いたコメディー。歌舞伎でということは、女形が男装の麗人を演ずるという、これは、文化的芸術的洗練の極みと言いたい相当高級な設定。この倒錯、錯綜振りは考えるほどにこちらの頭もクラクラしてくる。
そんなことはともかく、女形と女形の男装の麗人と男を演じ分け、菊之助はあくまで可憐で美しい。時蔵の姫君も姫君としか言いようがない。このお姫様系に対し、亀治郎の、伝法で徒な、小股の切れ上がった姐御な魅力は好対照。

演者も観客も一体になった明るく楽しいステージ。喜劇的な演技、様式でいえば吉本新喜劇も同様だが、様式の洗練と美しさに歌舞伎の凄さを認識した。

歌川広重<名所江戸百景>のすべて 展

金比羅宮展と同時開催されてる、歌川広重<名所江戸百景>のすべて。
金比羅様のおまけのような規模の展示は、芸大が所有する浮世絵貼り込み本からの剥離修復した江戸百景を全作展示するという事業完了記念の企画。
観るまで知らなかった展示だったが、これは面白い。絵としての面白さは勿論だが、富士山と筑波山がランドスケープとなった江戸の風景、植物や水辺の様子など実に面白く、図録は時代小説を読む時の参考書としても最適。

2007/07/23

金比羅宮 書院の美展

http://www.konpira.or.jp/event/2007_the_traveling_exhibition/index.htm

金比羅さんから書院10室を飾る襖絵を運び込み、原寸大で再現展示する試み。襖絵で取り囲まれた部屋の空間感や絵の関係性が如実に示される分かりやすさはあるが、現地の雰囲気を想像で補うには限度もある。

部屋は、応挙4室。若冲1室。岸岱3室、他2室という構成。

やはり応挙は良いのである。大きくて繊細。華麗だけど渋い。それに愛嬌がある。虎の間は、様々な姿態の虎を描いている。眼光鋭く身構えたり、様子をうかがったり、くつろいで寝入っていたりする虎たち。一応、虎と謳われてはいるが、こいつらどう観ても猫である。大猫。しかも可愛い。虎がいないので猫の写生で間に合わせた感に情状酌量の余地は有る。いかにも堂々としているところが並でない。とらねこの起源はこの時代か。

若冲は1室だけだが百花繚乱。濃密さに全身からめとられそうな、曰く言い難い空間が印象的だ。

岸岱は蝶々の乱舞する襖絵も良かったが、柳と鷺の大胆なあしらいが効果的な柳の間が面白い。ぐるり四面を取り囲んだ襖絵に、カメラが横にパンするように観ていけば、まあことは足りるが、岸岱は大柳の幹と枝葉を大クロースアップで空間の基本を設定し、岸辺を中景に、舞わせた白鷺を大ロングショットで捉えるという構成で見せる。なので当然視線は前後左右に揺さぶられる。岸岱は他の部屋でもこの視点移動の仕掛けを、好んで取り入れている。それが一番成功した柳の間。ちょっと偏執的でグロテスクな柳が、ミクロからマクロへと焦点距離を伸び縮みさせる細工とよく調和して、ダイナミックな空間に演出している。

2007/07/22

山野辺進・松山ゆう展「スクリーンの残映II」


挿絵と言われた時代から、端正で都会的な画風で知られた山野辺進。矢作俊彦のデビュー作もそうだったが、デッサンの確かさと洒落た構成の挿絵に、更なる格好良さを添えられたハードボイルド系の小説も少なくない。この山野辺画伯、熱心な映画ファンとしても知られ、今回スクリーンをモチーフにした作品での親子二人展ということで出かけた。

ヘンリー・フォンダ、ランドルフ・スコット、リチャード・ウイドマーク、ニヤッと笑ったバート・ランカスターの歯の白さったらベラクルスね。ジャック・パランスもニヤついてたね。懐かしいなぁ。50〜60年代の西部劇。ブロンソンはチャトズランドからってのも泣かせる選択。墓石と決闘のジェームズ・ガーナー。これはジェームズ・ガーナーがというより、ワイアット・アープ好きからのように見える。ワイアットといえばヘンリー・フォンダ。

画伯はヘンリー・フォンダが大好きなようだ。ヘンリー・フォンダが何枚もある。中でも荒野の決闘の名シーン、椅子に座り柱に足を突っ張らかってゆらゆらバランスを取っているところが絶妙のタッチで描かれている。ヘンリー・フォンダへの敬愛が滲み出てとてもいい絵だ。クレメンタインとのツーショットも。

アーネスト・ボーグナイン、リチャード・ブーン.リー・マービン、ジャック・イーラム、か、こうなるとヘンリー・シルバとかウッディー・ストロードなんかも観たかったかも。それにしても、昔の役者はいい顔してたなぁ。
フランスからはジャン・ギャバン。今はいなくなっちゃったこういう貫禄。
日本でも山形勳、伊藤雄之介、月形竜之介、三島雅夫とか。戦後日本が60年かけて何を失ってきたか、役者の顔の変遷からも窺えそうな気がする。

女優はビビアン・リー、キム・ノバック、マリリン・モンローと数も少な目。どうやら苦手のよう。技巧的だが気持は真っ直ぐ。そういう絵だった。

銀座松坂屋第二別館1Fアートスペース GINZA 5
2007年7月18日(水)〜7月23日(月) 

2007/07/18

直木賞 松井今朝子 

松井今朝子さんの直木賞はうれしい。
受賞作「吉原手引草」については、浅田次郎の選評が誠に当を得ている。

失踪した花魁の謎を追う、という始まりから、
吉原という特異な場所の文化、暮らしの細部に焦点を合わせ、
蘊蓄が蘊蓄を越えて物語をグイグイ押し進める。
次第に全体像がくっきりと浮かび上がってくる。
プロセスの醍醐味に鮮やかな落ち。

見事な語りのテクニックと構成の妙は
ぽっと出の新人には出来ない芸当だろう。
経験と研鑽に裏付けられた、目も手も高い大人の仕事だ。

この1年間せっせと読み進めた川上弘美と松井今朝子。
松井今朝子のハードカバーは全部集めたが、古本ばかり。
遅れてきたファンとしては後ろめたくもあったが、
唯一新刊で買った新作の受賞でそれも消えた。

川上弘美の芥川賞選考委員就任ともどもめでたいことなのだった。

2007/07/17

ダイ・ハード4.0

名を知られたハッカー達の変死が相次ぐ。ジョン・マクレーンが保護に向ったハッカーがいきなり襲撃される。そこからノンストップのパニックアクションが120分。

苦虫かんだような表情で人生訓垂れるブルース・ウィリスがチャーミング。ヒッキーなハッカー、ジャスティン・ロングとのコンビネーションもいい感じ。マギー・Qの悪役も切れが良くてかっこいい。

スケールもあり、展開も速く退屈する間もなく楽しめる。ただ、既視感がつきまとうシーンが多い。何故かと思いながらみていたが、どうも観たことがあるようなアクションが続くのだ。例えばデイライト、スピード、トゥルーライズ、チェーンリアクション、M・Iシリーズ、インディペンデンス・デイ等々。
スケールアップされ、アレンジし直されてはいても、やっぱり似ている。映画何本ものクライマックスが並んだような破壊力。大ヒットに向けた関係各位の熱意がこうした形になっているようだ。確かに凄いが、こうした刺激のインフレからはどこか平板な印象も生じてくる。大艦巨砲主義の副作用か。

電波ジャックした犯人が、歴代大統領が演説した映像をつぎはぎした犯行声明をオンエアするのだが、アイディアとつなぎ方の巧さでこの作品最良のシーンではありました。

ところで、4.0とは、web2.0とか.0がかっこいいからつけた邦題なのだそうだ。原題のメッセージ性は微塵もないが、タイトルとしては、そこが却ってかっこいいじゃん、ダイハード4.0。


原題:Live Free or Die Hard
監督:レン・ワイズマン
脚本:マーク・ボンバック
撮影:サイモン・ダガン
音楽:マルコ・ベルトラミ
美術:パトリック・タトボロス
出演:ブルース・ウィリス、ジャスティン・ロング、マギー・Q、ティモシー・オリファント、クリフ・カーティス、
2007年アメリカ映画/2時間12分
配給:20世紀フォックス映画

2007/07/08

しゃべれどもしゃべれども

無愛想な美人、クラスに馴染めない小学生、しゃべりが苦手な野球解説者とコミュニケーションに問題を抱えた3人の面倒を見ることになったのは、思う様に腕が上がらない二つ目の国分太一。この面々が落語を通してそれぞれの人間力を開花させていく同名小説の映画化。

師匠伊東四朗の火炎太鼓に惚れ直し、自分も火炎太鼓に挑戦する国分太一。火炎太鼓と言えば志ん生だが、だからといって、伊東四朗に志ん生のコピーさせることはないだろう。さらにそれを国分太一がコピーするような案配で、国分太一がブラザートムにとても似ていたのもあわせて、どうも落ち着かない気分にさせられた。

高座の時間経過をワイプで見せるのも落ち着きが悪かった。ワイプは、スターウォーズにしても、黒沢的な使い方で、お話変わってというような時間と場所を転換する場合に使われることが多い。そうしたリズムに慣れているから、今回のような、高座の一席をショートカットするような使われ方には、間の感覚が違いすぎて、生理的にも違和感が生じた。
そんなわけで、真面目に作られたハートウォーミングな物語なのだが、諸々自分には合わなかった。
最後に恋愛映画になったのも釈然としなかった。

監督 平山秀幸
原作 佐藤多佳子
脚本 奥寺佐渡子
音楽 安川午朗
出演 国分太一 、香里奈 、森永悠希 、松重豊 、八千草薫 、伊東四朗
時間 109分 2007年

2007/07/06

憑神


力はあるが出世栄達に縁のない彦四郎。ここは霊験あらたかなお稲荷さんに願かけをと周囲の勧め。ところが憑いてきたのは貧乏神、更には疫病神まで憑いてくる。
お話は質のいい落語のようで、全く良く出来ている。真面目な妻夫木とグータラな佐々木蔵之介兄弟の対比の中に、家族が抱える深刻な問題をちりばめているが、キャラクター作りと配置も巧みに、ナンセンスで皮肉の効いたコメディー振り。テンポも湿度も程よくカラッと面白い。
大川端のセットが効果的。最近の時代劇はロングショットのダイナミズムが期待できない省力型だが、それでも東映マークはやはり画が違う。演出も役者もノリがいい。雰囲気のある佳品。

しかし、やはり浅田次郎、最後はやっぱり泣き落しなのだな。泣き落し、嫌いじゃないけど、浅田次郎の場合は、泣かせ方が巧過ぎて説教臭い、いや説教はまだしも、巧い具合に操られて泣かせらてしまう感じが強く、そこに抵抗したくなってしまうのだ。

[監]降旗康男
[原]浅田次郎
[撮]木村大作
[出]妻夫木聡 西田敏行 江口洋介 香川照之 赤井英和 夏木マリ 佐々木蔵之介 笛木優子 鈴木砂羽
  佐藤隆太 森迫永依
[配給会社] 2007東映

ゾディアック


「セヴン」で名を挙げたデヴィッド・フィンチャー、久々の原点回帰かと思わせたゾディアック。
60年代末から70年代にかけ、カリフォルニアに現われた連続殺人犯。ゾディアックと名乗り、犯行毎に暗号化した声明文を新聞各社に送りつける。警察も犯行を繰り返す男を追いつめることができない。アメリカの犯罪史上初の劇場型犯罪。ゾディアックと謎の解明に魅入られた男達の肖像。

当時のカリフォルニアの生活など知る由もないが、時代と風俗が入念に再現されているということは画面の隅々から明瞭に伝わってくる。巻頭、宵まだきの住宅街を写して、人々のさざめきに浮き立つような解放感、生活感が匂い立ってくるノスタルジックな描写が素晴らしい。その直後に無惨な犯行へと転調していくサスペンス加減もいい。画面は密度高く引き締まっている。役者もいい仕事をしている。だけど、なぜかどんどん面白くなくなるのはどうしたわけだ。

犯罪実録で、謎解きや追跡がメインだが、テーマはミイラ取りがミイラになるといった類いのもの。ジャンル的には文芸作品なのだ。役者も完全にそのつもりで演じている。指向性からいえば「セヴン」というより「カポーティー」方面なのだ。しかし問題はどっちを向いたにしても、えらく中途半端なこと。劇場型犯罪者の誕生を扱いながら妙に私小説的なのにも戸惑った。

原題:Zodiac
監督:デビッド・フィンチャー
脚本:ジェームズ・バンダービルト
原作:ロバート・グレイスミス
撮影:ハリス・サビデス
音楽:デビッド・シャイア X・コティーズ、ダーモット・マローニー、クロエ・セビニー
2007年アメリカ映画/2時間37分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/07/01

アポカリプト


キリストがしゃべっていた言語そのままにキリストの受難を描いた「パッション」に同じく、落日へと向うマヤ文明を全編マヤ語で描いたという[アポカリプト」。マヤを描いては、その昔「太陽の帝国」というユル・ブリナー、ジョージ・チャキリスの作品があったくらいで、映画的には新鮮な素材だし、マヤがどんな風にビジュアル化されているかには興味もあったが、とにかく地味な印象だし、前作「パッション」の重苦しさの記憶も新しい。何だかパッとしなさそうなんだよなという予断からそれ程気乗りのしないままチケットを買った。

椅子に座って暗くなるのを待つ。お知らせとCMをやり過ごす。予告編から本編。照明が全て落とされるこの瞬間の幸せ。制作.配給会社のロゴからメインタイトル。作品の出来具合の見当がつく大事な瞬間。こりゃあかんと一瞬に感じてしまうこともあるし、オッ、と気合いを入れ直したり、時には居ずまいを正すこともある。居ずまいを正しときながら寝込んじまうことも最近は少なくないのが情けないが、総じてオープニングの印象的な作品には傑作が多い。(資料1)

濃密なジャングル。前方の繁みに微速で寄っていくカメラ。不穏な気配。足場の悪さを微塵も感じさせないデリケートな速度と安定感で移動するカメラがいい。移動するカメラが大好きなのだ。上下移動も横移動も大好きだが、一番好きなのは縦移動のカメラだ。先頭車両で進行方向を、あるいは最後尾車両で後方を飽きずに眺めるに等しい幼児性の現れと思うが、何と言ってもカメラ移動は映画の醍醐味。

ジャングルに生きる平和な部族民がマヤ帝国軍に拉致誘拐され生け贄にされるまで、徐々に悲劇性を高めていく前半部の展開は重苦しく切なく「パッション」を思い出させる。メル・ギブソンが徹底描写するその「嫌な感じ」は、帝国の腐敗と堕落を象徴する生け贄の儀式で頂点に。平和な狩猟民族の森の秩序と共にある暮らしが帝国の生け贄の儀式が生み出す無惨と対比される。悪党は心底悪党らしく、責任ある者はそれに相応しい風格で描かれる。細部をおろそかにしない演出。それらは強靭なバネとなって後半の素晴らしい躍動感を生み出すことになる。

死の儀式から辛くも脱出し遁走する主人公。激情に駆られた獰猛な追跡者達。追う者と追われる者の猛烈なサバイバル。前半の陰鬱さから一転、抑圧から解放された主人公の疾走と躍動を輝くばかりに描いた後半。双方の動機付けの必然性。その展開たるや見事の一言。近ごろ出色の面白さ。いやーびっくりした。肉弾相打つシンプルな追っかけのダイナミズム。あまりに洗練されたその演出力。技巧を感じさせないカメラの超絶技巧。わくわくするような移動撮影から生まれる突き抜けたイメージの素晴らしさ。

過激な暴力と過剰な死さえ非難するには当たらない。これら全ては人間が行ってきた所業の数々であり、今この瞬間に世界のどこかで行われていることでもある。メル・ギブソンがそれを称揚しているわけもないのは見れば分かる。キリング・フィールド、地獄の黙示録などを彷彿とさせるシーンをはじめ、幾つもの映画的引用はあるが、これはメル・ギブソンというあまりに完成されたスタイルをもった映画作家の、あらゆる意味で挑戦的でオリジナリティーに溢れた姿勢に支えられた、超絶的面白作品にして傑作。今年度上半期、断突のベスト1なのだった。

原題:Apocalypto
監督:メル・ギブソン
脚本:メル・ギブソン、ファラド・サフィニア
製作:メル・ギブソン、ブルース・デイビー
撮影:ディーン・セムラー
音楽:ジェームズ・ホーナー
出演:ルディ・ヤングブラッド、ダリア・ヘルナンデス、ラオウル・トルヒーヨ、
2006年アメリカ映画 /2時間18分
配給:東宝東和

(資料1)
北北西に進路を取れ、ウエストサイド物語、サウンド・オブ・ミュージック、アラビアのロレンス、シェルブールの雨傘、2001年宇宙の旅、スターウォーズ、ショーン・コネリーのボンドシリーズ等々。

舞妓Haaaan!!!

舞妓おたくの阿部サダヲ、京都に左遷もうれしくてたまらない。早速お茶屋に繰り出すが一見さんお断りの壁に阻まれる。しかし社長がお茶屋の常連と知り、急遽仕事に精出し目覚ましい成果をあげて、ようやく社長のお供かなってお茶屋へと繰り出すと、そこには宿命のライバル堤真一が華々しく遊び呆けているのだった。

といった感じに進行して物語は、主人公の価値の紊乱振りや、いきなりミュージカル化したりする展開など、明らかに植木等の無責任男シリーズを意識しているようで、高度経済成長期の東京をスイスイと軽やかに上りつめた無責任男が、平成の祇園だったらどんなスタイルで遊び倒すだろうか、そんな雰囲気の都会的なコメディーを、てなところを狙った作品のようだ。植木等の出演場面にもリスペクト感が濃厚だったし。

確かに、ヒステリックでハイテンションなキャラは、阿部サダヲ十八番の秀逸なキャラだけど、今回の舞妓オタクは、一見変だけど、やることは普通なのだ。一見まともだけど実は普通じゃなかった植木の無責任男が見せた価値の紊乱振りに較べると、テンションは高いが、軽妙さも洒脱さもはるかに及ばず、なによりやることが野暮すぎた。基本の設定に魅力が乏しく、見かけのインパクトの割に飛躍がないといった感じで、出世の仕方にも工夫が足りないのは残念。

役者は悪くないのに、全体が垢抜けないのは、都会的な軽さとナンセンスな呼吸に欠けた演出の責任が大きい。クドカン、真面目で泥臭いのは巧いが、粋とか洗練はどうも柄に合わないのだ。

監督:水田伸生
脚本:宮藤官九郎
撮影:藤石修
出演:阿部サダヲ 堤真一 柴咲コウ 小出早織 京野ことみ 生瀬勝久 伊東四朗

2007/06/23

プレステージ

メメントのクリストファー・ノーランが、クリストファー・プリーストの「奇術師」をバット・マン対ウルヴリンのマジック対決で映画化した話題作はスカーレット・ヨハンソンが華を添え、デビッド・ボウイが要所を締めるという構えの豪華キャスティング。

語り手や時制の錯綜を精緻な構成で読ませた原作は、思い切りよくばっさりと仕立て直されて、二人のマジシャンの相克と野心を、ステージパフォーマンスの対比に絞り込んだストレートな展開は、複雑で長大な原作の面白さをかなり犠牲にしていることは確かだが、その割には原作の味わいや雰囲気が損なわれることもなく面白くみせてくれる。技ありの映画化だ。

憎悪をぶつけ合う若い二人の間で、全体のバランスを調整する年寄りマジシャンは原作にはなかった映画用のキャラクターだと思うが、これをマイケル・ケインが渋く造形して、画面に豊かさと奥行きをもたらしている。お話は陰惨だし、ヒュー・ジャックマンもクリスチャン・ベールも恨み晴らさでおくものか的怨念と苦悩に満ちた役どころで、すっきりもさっぱりもしないもんだから、この狂言まわしを演ずるマイケル・ケインの枯れ具合が一層効果的だったこともある。マイケル・ケインを好んで起用するクリストファー・ノーランの計算は確かだ。トゥモロー・ワールドでも良かったし、最近のマイケル・ケインは本当に良いなぁ。

映画は意外とあっさりした結末で、これはこれで納得できるエンディングではあるし、あの原作、よくここ迄映画化したもんだと感心しつつ、だけど原作のエンディングの余韻を却って思い出してしまった。
本筋とは関係ないが、瞬間移動マシンに金銀財宝を放り込めば大概のことは解決できたのに、原作もそうだが映画もそれをやらなかった。なぜなんだ。

原題:The Prestige
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン、ジョナサン・ノーラン
製作:クリス・J・ボール、バレリー・ディーン、チャールズ・J・D・シュリッセル、
音楽:デビッド・ジュリアン
出演:ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、デビッド・ボウイ
2006年アメリカ映画 /2時間10分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

300/スリーハンドレッド

BC.480年。100万ペルシア軍を迎え撃つスパルタ軍300人。鍛え抜かれた肉体に武具甲冑が良く映えた男達の玉砕振り。ヒロイズム全開の男達をストレートに格好良く描いたスパルタンなアクション。

グラフィックな効果にこだわった画作りは、原作も同じフランク・ミラーのシンシティー同様だが、密度が濃過ぎて圧迫感が強かったシンシティーに較べると、ビジュアルの悪夢度は薄く閉塞感も少なめの300人。

徹底抗戦のスパルタ王にレーガン支持のメッセージも読み取れそうだし、自我が肥大しすぎたペルシャ王にビン・ラディンを重ねることもできそうだが、肉弾相打つ果てしないバイオレンスと無邪気に積み上げられた死体には、どんなメーセージより、男というものの至らなさが図らずも露呈しているような、ちょい恥ずかしい、そんな感じなのだ。

監督:ザック・スナイダー
脚本:カート・ジョンスタッド、マイケル・B・ゴードン、ザック・スナイダー
原作:フランク・ミラー、リン・バーレイ
撮影:ラリー・フォン
音楽:タイラー・ベイツ
出演:ジェラルド・バトラー、レナ・ハーディ、
2007年アメリカ映画 /1時間57分
配給:ワーナー・ブラザース

星新一 1001話を作った人 最相葉月

日本SFの黎明をリードし、ショートショートの第一人者として名を馳せた星新一。母方の祖父は解剖学の権威小金井良精、祖母は森鴎外の妹、喜美子。父、一は一代で興した星製薬を国家的事業に育て上げた立志伝中の人物。

血統の良さと複雑な生育環境。国策に左右される父親の事業の浮沈。多感な青春時代の胸塞ぐ出来事。相続。事業からの撤退。やがて作家として認められ、日本SFの黎明を築き上げていく。戦中戦後から昭和平成へと生き抜いた男の足跡が、綿密な考証と冷静知的な筆致で描かれる。

SFとしてはクールでスマートな星より、もう一方の雄小松左京のスケール、ストーリー性が好みだったが、星新一は昔沢山読んだ。ショート・ショートも面白かったが、それより、正続「進化した猿たち」など、ミステリマガジンのページを真っ先に開いて読んだものだった。「祖父・小金井良精の記」も発売即買って読んだ記憶がある。作品から、真鍋博の挿絵もだが、星新一には理知的で淡白な人物像をイメージしていた。何れにしてもはるか昔のこと。自分にとって完全に過去の人として記憶の中に整理していた作家だ。

だが、ここに描かれた星新一は、初めて見る様に新鮮だ。星新一ってこんな人だったのか。何も知らなかったということが良くわかった。著者が星新一に寄せる共感の深さがよく顕われた記述。節度ある潔い文章は気持よく、分かりやすく、読みやすく、作者の気持がこちらの胸にストンストンと届いてきた。

「宇宙塵」「SFマガジン」と本格的なSFの勃興期に何がどのように進行していったかを説き起こしていく中盤以降のスリリングな展開は、資料的にもだが、あの頃を知る人には読み物として堪えられない面白さに溢れている。1001編のショート・ショートを作るという、前人未到とも空前絶後ともいえる偉業を達成した希有な作家と、その時代を鮮やかに描き、やがて静かな感動へ導いてくれる。


新潮社 07.03.30 初版
    07.05.20 五刷
    2300円

レオナルド展 アートで候展

6月9日
上野のレオナルド展にいく。開館前30分並んでご対面。遠くから徐々にアプローチしていく段取り。印刷物では感じなかったが、マリアの顔が誰かに似ている。あ、そうだ、藤田の描く女性のようだ。と思ったら何だか余計藤田的に見えてきた。藤田はきっとこのマリアに触発されたに違いないと、勝手に確信した。
洗礼名だってレオナルドであることだし。

1消失点の遠近法と空気遠近法の併用による奥行きの深い表現が視線を画面奥の白い山へと誘導する。この山が異様に強い存在感を発揮していて、つい見入ってしまう。画面を横切る白い石塀を横棒に、山へと一直線に向かう視線は縦棒とすれば、ほとんど十字架を真上から俯瞰したような構造の空間でもある。
受胎を告知されたマリア。キリストの受難が不可避となった瞬間。マリアと対峙するガブリエルの不気味な表情は、この母子の行く末を幻視した故のことなのか。この瞬間から始まったキリストの歩み。幾多の苦難を越えて歩みを進め、受難へと向かうその生涯を暗示するかの様に、謎めいた白光に包まれた山が、輝きそびえ立っている。

レオナルドの次は上野の森美術館、アートで候展に急ぐ。今を時めく山口晃と会田誠の二人展。実に楽しみにしていた展覧会でもある。ミーハー的に山口目当てで出かけたがそれを上回る素晴らしい山口晃。会田誠の毒と腕力には押し倒された感じもある。絵が上手いということは実に大したもの。大友克洋、松本大洋、山口晃こうした画狂人たちが提供してくれる快感に浸る喜び。

上野を後に東京駅から新木場経由お台場。ノマディック美術館グレゴリー・コルベール展。
少年と象、鷲と女性クジラと男などで組み合わさった、人と動物のシンプルかつダイナミックな交歓の様子をムービーとスチールで捉えた作品の展示。ピュアな存在としての人と動物の有り様を見つめ直す。そんなメッセージがストレートに顕わされている。とても周到な準備と入念な演出の上に成り立っているのが良くわかる。作品はファッション写真のように美しく、劇的かつ感動的な光景が切り取られている。きれい過ぎるし、計算も過ぎていて、見る程に気持が冷めてしまった。カメラに写っていない事象の方により興味関心が向うような気分になってしまった。作品のナイーブな気配と入場料の高さの折り合わなさにも、いかがわしさが感じられるようで、この作品展は見込み違い、計算違いだった。

2007/06/10

三人吉三  シアターコクーン


初めて見る歌舞伎がコクーン歌舞伎というのは変則的とは思うが、成り行きまかせはいつものこと。敷居の高さ、木戸銭の高さに身構えてしまう体質も幾つになってもなおらない。

それより相手の正体見極めとこうと予習にいそしんだ。テキストは「マンガ歌舞伎入門 下巻」歌舞伎十八番の演目の物語をマンガで紹介し、見所、ポイントが解説されたガイド本。以前、松井今朝子の全著作収集を目論んだ際に購入した古本が役に立つ。

河竹黙阿弥作「三人吉三」。思いもかけない因果の糸に結ばれた登場人物達。節分の夜をきっかけに20年来の糸のもつれが一挙に顕在化し、報いの連鎖が結実していくという誠に陰惨な話。

臆面なさ過ぎな設定と展開という突っ込みはさておき、ダイナミックと言えばダイナミックな作劇は七五調の名台詞、構成の緻密さも相俟って、「江戸期を通しての戯曲のある種の到達点を示している」と解説にある。ふーん、そうなんだ。様式のさせる技とはいえ、それにしても濃厚すぎる親の因果と子の報いではある。

シアターコクーン1階は椅子が取っ払われて桟敷もどきの平場席になっている。場内は飲食禁止も解禁。こちらも早速弁当、団子、飲み物購入。いやぁ、飲み食いには芝居見物の楽しさも倍加するってもんだ。しかし3時間以上の長丁場、平場座布団1枚の見物は足腰に負担がきつく、椅子席がまことにうらやましい。

さて、初見の歌舞伎は1から10まで物珍しく面白く、時間の経つも随分早く感じられた。何より、役者の器量、所作の美しさに目を奪われるというか、勘三郎の愛嬌と風格、福助、七之助の女振りの美しさ、橋之助、勘太郎の端正な佇まい、亀蔵のユーモアと面構えなど印象的だった。歌舞伎流の色彩と形、動きが洗練を極めているのも感動的だった。映像や写真ではついぞ分からない、生の魅力と迫力というものを体感し実感できたのは何よりの収穫だった。

所作の一つ一つ、リアリズムからは不自然とか滑稽とかしか言いようのない見栄や六法にしても、全ては、絵になることを目指して計算を尽くした上に成立し続けている様式、これこそが歌舞伎流のリアリズムなのだと納得がいった。

何処を切っても、見事に絵になっているようにしつらえた舞台の有り様。サービス精神とも矜持の現れとも取れるがどっちにしても気持のよさに変わりはない。こりゃすごいや。歌舞伎が昔に変わらぬ人気を集めているのさえ頷けるような心持ちになっている。

悪党が入り乱れ、百両の金が象徴する因果の糸が絞り込まれて、悪には悪のいい分もあるが、輪廻の歯車がぐるりと動いて、どうすることも敵わぬ悲劇へとなだれ込んでいく。破滅へ向かう三人吉三の、すべてを浄化するように、真っ白な雪が降りつのる。

歌舞伎本来の演出が分からないのがしゃくなのだが、ここは串田和美、中村勘三郎のコンビ面目躍如の弾けっぷりではないか、降りつのる雪の量が半端でない。その物量には観客のカタルシスを一層高める効果もある。いってみれば、雪は登場人物を浄化しつつ、大胆過剰な量によって舞台と客席を一括りにして昇華させてもいるようだ。それにしたってただ事でない雪まみれの演出には笑わせられたが、あっぱれな幕切れには違いない。

三人吉三(さんにんきちさ)

河竹黙阿弥 作
串田和美  演出・美術

  和尚吉三 中村 勘三郎             
  お嬢吉三 中村 福 助             
  お坊吉三 中村 橋之助
   十三郎 中村 勘太郎              
   おとせ 中村 七之助    
研師与九兵衛 片岡 亀 蔵           
土左衛門伝吉 笹野 高 史

2007/06/03

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド


上映時刻には1時間以上あったのに希望の席は取れなかった。公開から1週間後の金曜日、レイトショーの客席は6割方埋まっている。大ヒットシリーズの完結編は流石の動員力だ。予告編もダイハード4.0、トランスフォーマー、ライラの冒険、アポカリプト、ハリーポッターのニューバージョンと豪勢なラインナップで気分を煽ってくれる。やー、週末の解放感に楽しさも増幅され、期待も膨らむ完結編のはじまりだったのに。

東インド会社の暴虐に、伝説の海賊の集結以外に道はなく、ジャック・スパロウの救出こそが急務となった海賊達という滑り出し。エリザベスのシンガポール潜入から世界の果てへと観ているうちに、いつの間にか寝てしまった。歳のせいとも1週間の仕事の疲れとも言い訳は何ともできるが、ここで寝てしまうのは我ながら情けない。
しかし、映画を観ながら寝てしまうのは気持がいいのだ。特に、今回のようにいつ寝てしまったか分からないのが一番いい。それはともかく、気がついた時には話が相当飛んでしまっていてた。だからといって特に困ることもなくお話についていけるのがこの手の映画のいいところでもあるんだけど。

寝ていた立場から言えば、騒々しかったこと。主要なキャラが多すぎてお互いつぶし合っていること。悪党も多いし、コメディーリリーフも多すぎる。結果的に、ジョニー・デップが出てくると画面が退屈になってしまったのは、全てをもりこみ、全てを派手に絵造りした、総花的な脚本、演出の弊害というか計算違いではないか。

舞台がワールド・エンドということなので仕方ないのだが、陰鬱な世界に終始し、突き抜ける青空と紺碧の海に輝く緑の島々という、海賊映画ならではのカリビアンな光景が封印され、明るさは陰鬱さに、解放感は閉塞感へと置き換えられたのは残念。エンディングもロマンティックだとは思うが、シリーズ全体のトーンからすれば重すぎる。爽快感の不足が惜しまれる完結編。全部観てないけど。

原題:Pirates of the Caribbean: At World's End
監督:ゴア・バービンスキー
脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ
製作:ジェリー・ブラッカイマー
撮影:ダリウス・ウォルスキー
音楽:ハンス・ジマー
出演:ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ、チョウ・ユンファ、ジェフリー・ラッシュ、ビル・ナイ
アメリカ映画 /2時間50分
配給:ブエナビスタ

2007/05/29

若冲展 相国寺承天閣美術館 

5月26日(土)朝5時起き。9時過ぎに京都駅。その足で相国寺に向かう。開館時刻には余裕なのだが既に150m程の行列。しかしこれぐらいなら上出来、と思ったのはあさはかだった。これはチケット購入の列で、その先入館迄、列は更にうねうねと連なっていた。

一室は「鹿苑寺大書院障壁画」をメインとする水墨画の展示。二室が「釈迦三尊像」「動植綵絵」の一括展示という構成。

一室ではまず新発見初公開という厖児戯帚図(ぼうじぎほうず)。画面を斜めに2分するの大きな箒、ユーモラスというより人を喰った作品だが、まるでマーカーを使って描いたような筆のタッチと色使いの新しさが印象的。その隣の布袋渡河図に脱力し頬も緩んでしまう。さらにカメ、鳥、鯉、龍の洗練とユーモア。しかし圧巻は、何と言っても鹿苑寺大書院障壁画。葡萄の不気味と、芭蕉のスケール。具象を極めて抽象に至ったかと思わせる自在な筆使い。本当に若冲の水墨は魅力がいっぱいで、デザインセンスや空間処理の素晴らしさから生まれる気持よさ楽しさもひとしおなのだ。

「動植綵絵」は昨年大がかりな修復作業を終えて、宮内庁三の丸尚蔵館で分割展示されたうち一期分だけ観た。それだけでも迫力充分だったが、「釈迦三尊像」を取り囲んで全作が並んだ様は、華麗な色彩が溢れかえって荘厳な中にも異様さが漂う。
鶏の緻密、雁の大胆、鳳の官能、鸚鵡のユーモア、貝の怪奇、花の狂気。人間業とは思えない観察と集中力で描き込まれた生きとし生けるものの姿。その中心には釈迦三尊。全三十三幅に人間は描かれていない。しかし、見事な筆によって描かれた生き物達にぐるりと取り囲まれたその真ん中に生身の人間がひしめいている。その中にいて、ふと、これって、若冲の宇宙観宗教観そのままではないのか、これこそ、三十三幅に込められた願い、若冲が意図し演出したところの、生きた曼荼羅とでも言うべき宗教的空間なのではないかと思い至った。
図録2500円の出来にも満足。

2007/05/21

藪原検校 シアターコクーン


按摩、鍼灸などで細々と生計を立てる座頭から、盲人の頂点に立つ検校まで。独自の階級に組織化されていた江戸時代の盲人社会。貧しい座頭の杉の市は度胸と才覚で頭角を顕し、目明きに伍しで天下を取ろうと悪の限りを尽くすが、階段を上りつめようとしたその時、時代は大きく転回していた。

風雪に晒されたような板戸を隙間なく張り巡らせた装置に、寒村の貧しさや閉塞感が浮かび上がり、舞台上の格子状に張り巡らされた何本ものロープが社会の枠組みや規制を象徴する。一人何役も割り当てられた役者達がステージの隅で着替えし待機している。テンポの良さと素早い転換。濃い男達が伝える悪をまっとうした悪党の魅力。

ふてぶてしさと愛嬌でのし上がって行く杉の市は古田新太にうってつけの役どころ。人を喰った、ピカレスクな主人公の柄を余すところなく演じている。男臭い役者達の危ない匂いが充満するステージにあって、田中裕子が発散させる雰囲気。これがヤバいくらいにエロな魅力なのである。この妖艶さはちょっと目が離せない。田中裕子ってこんなにいい女だったとは。今迄全く分かってなかった己の不明を恥じるばかリ。

金が全てと悪の華を咲かせる古田杉の市に対し、目明きよりも一層の徳目と勤勉さで盲人の矜持を保つべしとする塙保己一を格調高く演じた段田安則の名演が劇全体をスパイシーに引き締めて実に印象的。時代に歓迎された人気者がその人気故に時代と権力に裏切られる。何時の時代にもある話だが、暗ーい話を唄と語りに乗せながら軽妙に面白く見せてくれるが、この面白さは、今と言う時代の確な写り込みによる面白さでもある。

終演後、コーヒーなど飲んでいたら、近くのテーブルに座った人の中に蜷川幸雄氏がいた。血色もよく艶やかな様子はタフな仕事ぶりも納得の若々しさだった。

2007/05/07

スパイダーマン3

製作費3億ドル(約357億円)なのである。映画史上制作費最高記録を塗り替えたのである。実質的に、客観的にも世界1の歴史的作品が世界最速で一般公開される5月1日。しかも、1日は映画の日で料金は1000円ぽっきり。当然初回に拝見するのが人の道ってことだが、都合でこのチャンスをものできなかった。残念。

次善の策として翌2日、夫婦50割引2000円と、仕事帰りの1号にもレイトショー1200円を奮発、3人で3200円という低コストで、出来たてほやほやの3億ドル作品を見たのである。このゴールデンウイーク、シャネルビルにも、贅を尽くしたミッドタウンにも出かけたが、3千円と引替えた3億ドルが最高の贅沢だったかも。

で、肝心の中味の方はと言えば、ゴブリンジュニアとの確執は一時棚上げ、友情は蘇ったが、叔父の仇の脱獄や仕事上のライバルの活躍など悩みは絶えない。その上いつの間にか、M・Jとも気持がすれ違ってしまい、こんな筈じゃなかった感に戸惑いと孤独感を深めるピーターの弱みに付け込むように、暗黒面の力を増幅させる寄生生物が忍び寄るのだった。という随分欲張りなストーリー展開。

超人的な能力を持つごく普通の平凡な青年、という矛盾したキャラクターにトビー・マクガイアがそれらしい魅力と説得力を与えて、スパイダーマンには他のアメコミのスーパーヒーロー達とはひと味違った、普通ぽい雰囲気が強い。キルスティン・ダンストの地味さ加減も、絶対悪というような単純な設定でなく、哀しくも人間的な動機が用意された悪役達にも普通っぽい。今回のサンドマン、役者が魅力的で大変によろしいのである。特にサンドマンは助演男優賞クラスの名演技。来年のオスカーには是非ノミネートしてあげたい。ゴブリンジュニアのジェームズ・フランコもいい。

ドラマ部分が重いのである。結構泣けるしっかりしたドラマ展開なのである。それをはねのけるように、スピード感と躍動感にあふれたスパイダーマンのアクションが炸裂して、ようやく種々の問題が解決される。観客の感覚も解放される。あーようやくスッとした。

しかし、最期の最期に、本当の解決に必要なのは力ではないよ、犠牲的精神と赦しなのだよという、ヒーローものにはあるまじき大胆な結論へと落とし込む。これはこれは、制作費世界1の名に恥じぬ風格の、何と堂々たる完結編であることか。

原題:Spider-Man 3
監督:サム・ライミ
原作・製作総指揮:スタン・リー
脚本:アルビン・サージェント
撮影:ビル・ポープ
出演:トビー・マグワイア、キルステン・ダンスト、ジェームズ・フランコ、トーマス・ヘイデン・チャーチ、トファー・グレイス、ブライス・ダラス・ハワード
2007年アメリカ映画/2時間20分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

異邦人たちのパリ 展


品川、銀座経由で地下鉄乃木坂駅。国立新美術館にやってきた。裏口からのアプローチのよう。モネ展とのセットなら200円安くなるらしいがやめとこう。GW も真っ盛りで女性トイレには列ができている。
今迄何度か来ようと思いながら、人出が凄そうだと先延ばしにして、結局最悪の時期に来てしまった。しかし、最悪はモネ展だったようで、会場は混雑という程のこともない環境だった。

藤田のお出迎えから定番のビッグネームが続いて、何というか、この安定感は何だって感じは建物の尊大な印象に影響されたせいかも知らん。

マン・レイをはじめとする写真家たちの作品が面白い。アンドレ・ブルトンのカラー写真を初めて見た。ブルトンは嫌いだが、ブルトンの「ナジャ」は大好きだ。あれは自分が読んだ恋愛小説のオールタイムベストだったてなことをチラッと思い出す。

会場を出たらさすがに疲れを実感したが、人が多くて休む場所も無い。それなら話題のミッドタウンまで行ってしまえと歩き出す。
ミッドタウンはもっと凄かった。連休中の人出は相当なものだろうが、これから先、どれくらいの賑わいを見せるだろうか。閑散としたイメージばかりが脳裏に浮かんだ。

2007/05/04

エリオット・アーウィット写真展

アーウィットの写真集「PERSONAL BEST」の中から、各界著名人にお気に入りのショットを選ばせ、それをベースに再構成したという、手の込んだというか贅沢な趣向の写真展。それでいて、誰が何を選んだかというような表示は一切排されている。写真家と観客への敬意と主催者の誇りが示された入場無料。

著名人を写した作品はどれも見事な瞬間と表情とが捉えられているが、展示された作品のほとんどは、市井の人々の日常的な時間と空間をスナップしたかと思わせるものだ。あきらかな「やらせ」と見えるものと、偶然にその瞬間をとらえた様に見える作品とがある。絵画的な計算や鋭い批評性に基づいた作品や作為が前面に出過ぎている作品も、実際はどうなのか知らないが、どの作品にも共通して、作為も偶然も超越した決定的瞬間というものが明らかに見て取れる。

犬のジャンプ、子供の眼差し、老人の横顔、何時、何処で、誰を撮っても、何を撮っても、そこには奇跡としか思えない瞬間が写り込んでいる。必要な時に必要な奇跡を演出して見せるエリオット・アーウィット。

シンプルで分かりやすく、ユーモラスで美しいが、しかし、どこか必ず、何?どうして、と思わせる謎めいた事物が入り込んでこちらの一方的な理解は拒まれてしまうのだ。何気ない写真に潜む大いなる力と、ミステリアスな魅力。

E・アーウィット公式サイト http://www.elliotterwitt.com/lang/ja/index.html

ヘンリー ダーガー展 「少女たちの戦いの物語—夢の楽園」


1892ー1973  4歳で母と、8歳で父親と死別。知的障害児の施設に移されるが16歳で脱走。その後は一生を通して皿洗い兼掃除人として働きながら、1973年81歳で孤独のうちに生涯を閉じる。死後、部屋からタイプライターで清書された1万5145ページの戦争物語『非現実の王国で』とそのために描かれた300余点の大判の挿絵が発見され、その生涯と独創的な作品が注目を集める。

公序良俗に反する、と言っていい。
雑誌から切り抜かれ、カーボン紙でトレースされた少女達。世界は完全武装の兵士達と少女達で成り立っている。超ワイドな縦横比の画面に、ロリの変態かと見紛うヤバさのまま、パノラミックに繰り広げられるイメージの数々。

自作の物語に即した挿絵は大がかりなきいちの塗り絵のよう。何年にも渡って描き連ねてきた作品は、様々なサイズの紙を張り合わせ、全て同じ大きさに統一されている。それだけでも異様だが、更に驚いたのは紙の裏表にびっしりと作品が描き込まれていたこと。

戦う少女たちのイメージもその技法も一つ一つは月並みだが、組み合わせ方によって他に例を見ない独創的な世界が生まれている。

世間との接触は必要最小限度にとどめ、自分の空間で妄想と幻視を極めた男。溢れるイメージを描き出すために、紙を集め、しかるべきサイズに張り合わせること。用意が整った紙面に少女達のイメージを存分に描き込んで行く時間が、どれ程の至福をもたらしたか。生前、膨大な作品を誰にも見せることの無かったという事実が、その至福の濃密さを何より雄弁に物語っている。

妄想と幻視を、作ること、描くことの純粋な喜びに昇華した男の一生。引きこもりの大いなる先達が愛して止まなかった少女達の戦いも、作者の死後 30年を経過した今現在、一層のリアリティーをもって展開されていることを思えば、彼は幻視者などではなく、筋金入りのアウトサイダーだったかと納得がいった。

原美術館 http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html  

2007/05/02

バベル

モロッコ、メキシコ、東京、4組の親子達。物理的な距離と心理的な距離とが反比例している。彼等が抱え込んだ現実の困難さと悲劇性が、時間と空間を自在に交錯させた技ありの脚本と力感溢れる演出とで精緻に織り上げられていく。

悲劇のきっかけとなるモロッコの、貧しい兄弟の暮らしの丹念な描写。彼等の放った銃弾の衝撃が、津波のように遠く離れた人々の暮らしを変えていく。生活感溢れる登場人物達の顔やロケーションの効果から、ドキュメンタリーのような迫真性が生まれている

前評判に違わぬ菊池凛子、聾者と設定されているわりにコミュニケーション不全は心理的な関係性の上にあり、ろう障害とは関係が無いのは意外だった。ろう即コミュニケーション困難な存在と誤解されることもありそうだがそれは違う。作品全体の中でも異質な雰囲気の日本パート。

時間と空間を錯綜させながらドラマを盛り上げて行く技術は全く大したものだ。編集は「トラフィック」でアカデミー賞を獲得したベテラン。技術の洗練は申し分ない。作品の完成度も素晴らしい。ブラッド・ピットが電話で子供とかわす会話の使い方の巧みなことなど、表現技術のレベルに感心するが、カタルシスに満たされることも、深く感動するということもない。

コミュニュケーション不全がテーマかと思わせるが、ここに描かれたのはむしろ貧困や経済格差を克服できない社会の問題だ。モロッコの親子もメキシコの親子も、彼等にはコミュニケーションより人並みの収入と暮らしが必要だ。それを保証できない政治的課題こそがより大きな問題だろう。そうした中、日本のエピソードだけがコミュニケーションの問題として描かれている。荒地での生活。砂漠での彷徨に対する東京砂漠の愛の不毛。

眼下に広がる光の砂漠に親子の再生を暗示するラストシーンは、この作品の数少ない救いの一つだ。しかし、モロッコの少年の悲劇もメキシコの母親の理不尽な現実にも、意義の申し立てのしようも無い。そうした現実を尻目に独走する勢いがこのラストシーンには無い。これが世界の現実と言われれば確かにそうなのだろう。だが、このメッセージの重さと技法の洗練がどうもうまく折り合わない。なんだか中途半端な気分でエンドロールを眺めた。

原題:Babel
監督・製作:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
製作:スティーブ・ゴリン、ジョン・キリク
脚本:ギジェルモ・アリアガ
撮影:ロドリゴ・プリエト
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、ガエル・ガルシア・ベルナル、役所広司、菊地凛子、アドリアナ・バラッサ、二階堂智、エル・ファニング
2006年アメリカ=メキシコ合作/2時間22分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

2007/04/30

クイーン


肖像画家にポーズをとりながら、退屈しのぎの会話を楽しむエリザベス。つま先からパンしたカメラがコスチュームの素晴らしい細部を映し出す。バストショットの女王がカメラ目線で正面に向き直るとThe Queenとディゾルブされるタイトル。おー、何てかこいい演出なんだ。何よりヘレン・ミレンのエリザベスぶりが素晴らしいので一気にノせられた。

ダイアナ妃の事故死に、王室と英国民の間に生じた認識のズレが徐々に拡大し、無視できない政治問題と化して対応を余儀なくされる葬儀までの1週間が、エリザベスとロイヤルファミリーの生活を通して活写される。王室としての筋を通すことが国民感情を悪化させてしまうことに戸惑いと苛立を募らせるファミリーの日々と、労働党の新首相として就任したブレアが、君主制への本音と建前の間でゆれながら使命を自覚していく様子が、物珍しくもスリリングに描かれ、実に面白い。

エリザベス女王は自分がもの心ついた時にはもうエリザベス女王だったが、認証を与えた首相は11人、1人目はチャーチルだったと新人のブレアを煙に巻く場面に古さも納得。

ブレアの奥さん、チャールズやエディンバラ公など、ちょっとヤバくないですかってくらいに辛辣な描かれ方。そんな週刊誌的な興味も満たしつつ、エリザベスとブレア、権威と権力を代表する二人が共感を深め、正しく国政に携わっていこうとするエピローグへとつなげる後味の良さもある。何と言っても、ダイアナ妃の葬儀を巡る確執をこんな角度からこんなに面白い脚本にしたセンス、映画にした勇気には脱帽。

ヘレン・ミレンが着こなす、シンプルなデザインだが素材と仕立ての良さも魅力的な王室ファッションも印象的だった。

原題:The Queen
監督:スティーブン・フリアーズ
脚本:ピーター・モーガン
撮影:アルフォンソ・ビアト
音楽:アレキサンドル・デプラ
出演:ヘレン・ミレン、ジェームズ・クロムウェル、アレックス・ジェニングス、マイケル・シーン
2006年イギリス=フランス=イタリア合作/1時間44分
配給:エイベックス・エンタテインメント

2007/04/29

ハンニバル・ライジング


映画化率120%のトマス・ハリスだが、「羊たちの沈黙」を越えたものはない。「ハンニバル」だって、アンソニー・ホプキンスが出ているだけではダメだったのである。レクターと拮抗するクラリス・スターリングの魅力に、残念ながらジュリアン・ムーアでは届かなかったのである。

「ハンニバル・ライジング」ではクラリス・スターリングに匹敵するキャラクターとして用意されているのが、若きハンニバルが憧憬してやまない庇護者紫夫人その人。日本文化を体現した神秘性と美しさでハンニバルに影響を与えた女性に紫夫人というネーミングはどうなのと言いたいが、式部があるんだから夫人だっておかしくは無かろうと言われれば、そうかも知れないと思う。これも文字情報ならではのことで、映像となるとそうはいかない。

紫夫人、コン・リーなのである。このキャスティングは違うだろ。気品と雅さ、東洋の神秘を身にまとうキャラじゃ無いだろうコン・リー。それだけじゃないのである。映像化された紫夫人の日本趣味はリアルでもなければ美しくもない、怪しいだけの虚仮威し。実にどーもなのである。

トマス・ハリスの脚本は、ハンニバルの育ちの部分をカットした以外、ほぼ原作通りだが、この映像化はとにもかくにも下品であまりに安手の仕上がりだ。これがトマス・ハリスの日出ずる国へのイメージ通りなら、ハンニバルのライジングは相当情けない。

原題:HANNIBAL RISING
製作:2007年イギリス/チェコ/フランス/イタリア
時間:2時間1分
配給:東宝東和

監督:ピーター・ウェーバー
脚本・原作:トマス・ハリス
撮影:ベン・デイビス
衣装:アンナ・シェパード
音楽:アイラン・エシュケリ / 梅林茂
キャスト
ギャスパー・ウリエル コン・リー リス・エヴァンズ 
ケビン・マクキッドドミニク・ウェスト リチャード・ブレイク 
カラー/スコープサイズ/ドルビーSRD

2007/04/22

ブラッド・ダイアモンド


90年代アフリカ。内紛が続くシエラレオネでは不当に採掘されたダイアモンドが反政府軍の兵器購入に充てられていた。盗掘された巨大ピンクダイヤを狙う男達。密輸業者と貧しい漁師が命をかけた争奪戦に飛び込んでゆく。

レオナルド・ディカプリオが複雑な過去を持つ密輸業者の屈折を好演すれば、ジャイモン・フンスーは子供を思う父親の心情を余すところなく演じ、両者アカデミー主演、助演にノミネートされたのも充分納得できる。

アフリカの赤い大地にハイテンションなレオナルド・ディカプリオが実にマッチしている。ジャイモン・フンスーとのコントラストもコンビネーションもナイス。この二人に、ダイヤ取引を牛耳るヨーロッパメジャーの腐敗を暴こうとする女性ジャーナリストを絡ませ、何より、この役をジェニファー・コネリーが魅力的に演じているため、作品もいっそう奥行きを増した。演出の力だ。

アフリカの現実は、極東の島国からはほとんど実感できない。こうしてアフリカを舞台にした作品に触れるくらいが関の山だが、それにしても、こうした作品から教えられることは少なくないし、アフリカに材を得た作品は昔から面白いものが多い。この「ブラッド・ダイアモンド」にしても、娯楽作品として文句なしの仕上がり。社会的な問題提起も、観客を十二分に楽しませる要素として物語の中に無理なくとけ込ませている点はお見事としか言いようが無い。

ま、無理なくというのは正確でなくて、反政府ゲリラが単なる犯罪者集団かサディストの集まりのように単純化されているのはいかにも惜しいのだが、内戦のアフリカと平和な日本がダイアモンドで直結してたなんてことも含めて、予告編から受けた印象とは全然違ったが、鮮やかな語り口の脚本と力感溢れる演出力で見せた緩急自在の2時間23分。全然長さを感じさせなかった。

監督:エドワード・ズウィック
脚本:チャールズ・レビット
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー、マイケル・シーン、アーノルド・ボスロー
2006年アメリカ映画/2時間23分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/04/21

ハンニバル・ライジング 上・下 T・ハリス

「ブラック・サンデー」「レッド・ドラゴン」「 羊たちの沈黙」「ハンニバル」。著作のすべてが映画化(赤竜2回)されて、映画化率120%を誇る作家トマス・ハリス。サイコスリラーの頂点に君臨するレクターシリーズの、4度目の輝きを約束するかのようなタイトルもうれしい最新作ハンニバル・ライジングなのである。

ミステリ史上いつの世にもあまた登場するヒーロー達。その中から、時に不世出のヒーローへと変貌を遂げる存在が現われる。デュパン、ホームズ、ルパン、マーロウに至る、それら世界を変えた男達。彼らが「その後」の世界にどんな影響を及ぼし、どう変えたかは、その後に著わされた類書から容易に読み取ることができる。

倫理道徳宗教を越えた、ある種神がかりな存在でありながら快楽食人鬼という最悪の衣装をまとったハンニバル・レクターという大胆不敵なキャラクター。そのスキャンダラスな物語を通して、善悪の基準が溶解した現代の矛盾と混迷を浮かび上がらせた3部作によって、ハンニバル・レクターもまた、この輝かしいヒーロー達の殿堂にその名を連ねている。

で、サイコスリラーを革新したジャンル的貢献を越え、コナリー、T・J・パーカー、ジャック・カーリーなどへの広範囲な影響力も見逃せないレクター博士のライジングだが、うーん、どうなの。
 
営業的なことは分からないが、これは2分冊にするボリュームじゃあない。2分冊の本には、当然2分冊分の読み応えを予想するから、字間、行間こんな広くて余白もたっぷりだと、予想を裏切るこのスカスカ感が、作品そのものの印象へと結びつくことにもなりかねない。実に、読者メーワクなことである。

実際、淡白と言うか、素っ気ない語り口で展開するのは、レクターの子供時代から青年期に至る成長と青二才の復讐の物語であるから、レクター博士の濃密で息苦しくなるような成熟した味わいが影をひそめているのは判らないでもないが、時々、小説をというより、詳細なあらすじを読まされているような気分になったのも確かで、スカスカの2分冊はそんな気分も一層盛り上げる。

ハンニバル生誕の秘密に、より神秘的な彩りを添えるかのようなジャポニスムの導入は、大真面目な分、欧米向きな説得力はあるのかもしれないが、日本的にはズレと感じられることも少なくない。などと文句をいうより、久々のトマス・ハリス。史上も稀なミステリーヒーローの、日本趣味も横溢した誕生秘話なのだ、四の五の言わずにミーハー気分で楽しめなきゃファンとしての甲斐もない。

新潮文庫

2007/04/19

ハッピーフィート


皇帝ペンギンなら誰でも心の歌を持っている。それは誰からも与えらない。身体の奥から生まれてくるものなのだ。皇帝ペンギン界最高の歌姫から生まれたマンブルなのに、何故か歌うことができない。それどころか、反ペンギン的なパタパタ足(ハッピーフィート)の持ち主だった。パタパタ足でどんなに見事なリズムを刻むことができても、心の歌を歌えぬ限り、まともなペンギンとは認められないのだ。マンブルはペンギン界の価値を紊乱する不吉な異端児として長老の不興を買い、群れから追放される。

映画館で2回観たが2回とも寝てしまい、DVDは発売即購入したけどまだ見ていない程度の「カーズ」好きとしては、「カーズ」を抑えて今年のアカデミー長編アニメ賞をさらった作品なので、なんか虫が好かないがどうも気になって、とにかく正体だけでも見届けようと、アンチな気分で出かけたのだが、ダイナミックな南極の光景をバックに繰り広げられる貴種ペンギンマンブルの流離譚は、パタパタ足の珍なるステップとペンギン達の熱唱が炸裂するミュージカル CGアニメ。なるほど、悪くない。意外にも好感してしまった。

動物アニメは擬人化の巧みさとかわいらしさで見せることが多いが、ハッピーフィートはリアルさでキャラクターデザインしているのが新味だ。尤も、ペンギン自体が既に完成度高く擬人化されたような、愛嬌のあるスタイルと動きを持つキャラクターではあるのだけど。

ペンギンも南極の自然も見事な映像だが、CGというより記録映画そのままのリアルな描写。それも後半明らかになるこの作品のテーマ、メッセージに直結する表現として納得できる。CGとしての絵的な新しさはないが、その分カメラは良く動くし、モッブシーンの迫力や空気感の奥行きなど、スケールの大きい絵造りは魅力的だ。

人間の姿を、あくまでペンギンの視点からだけで描ききっている点も面白い。トイ・ストーリーでもシドという悪ガキの登場はインパクトあったが、ハッピーフィートでは人間そのものが不気味で恐ろしい存在として描かれている。深い。

巻頭とエンディングの、ことさら宇宙を意識した映像に挟まれた家族と仲間の大切さを説く物語。マクロからミクロへ、ミクロからマクロへと繋がった宇宙の、バランスを壊し続ける文明の愚かさをペンギンの立場から描いた、ご家族向けとしては誠に骨っぽい作品といえる。アカデミー賞受賞作にしては、興行的に振るわない原因もこのヤバさ加減にあるな。

ブリタニー・マーフィの声がものすごくキュートでしびれた。

原題:Happy Feet
製作・脚本・監督:ジョージ・ミラー
共同脚本:ジョン・コリー、ジュディ・モリス、ウォーレン・コールマン
音楽:ジョン・パウエル
声の出演:イライジャ・ウッド、ブリタニー・マーフィ、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマン、ヒューゴ・ウィービング、ロビン・ウィリアムズ
2006年アメリカ映画/1時間48分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/04/15

東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン

昭和から平成へと、いろいろなものが無くなったり変質したりした中で、我が子の為なら自分を顧みずに尽くすといった母親像なども、そうしたものの一つだったと思わせた、リリー・フランキーの大ベストセラー。ゴージャス度を高める東京にあって、より高いビルの誕生に地位を低落させられながら、どっこいそれでも生きている東京タワーの映画化。

原作ではオトンは勿論、ボクにも無頼が色濃く匂っているが、松尾スズキはそこをきれいに省いている。その分オトンが大人しくなって原作の毒は薄められ、オカンとボクの時間が濃密に描かれたて、映画はより一般受けする内容になっている。原作を大胆に再構成しながら、本来の良さや味わいを損なっていない。良くできた脚本だ。

内田也哉子から樹木希林へとつなぐ親子競演も、つぎつぎと小さな役で登場させる豪華なゲスト達の使い方も効果的。とりわけ祖母を演じた渡辺美佐子の、生活感に溢れた表現が印象的。千石規子、荒川良々、猫背椿、松たか子も良いが、やはり極め付きは、抑制された演技から滲み出る情感の深さで魅了するオダギリジョーだろう。

泣かせる内容だが泣ける作品では無い。その代わり、出演者達の泣き方が素晴らしいのに感動した。役者達もそれくらい自然に泣けたということだ。脚本も演出も観客を泣かせようとしない。感情の盛り上がりがピークに向かう途中で、スーッとフェードさせる。いかにもな音楽を流したりもしない、その節度と品位が画面に落ち着きと格調をもたらしている。

親子の時間を共有した者なら誰でも思いあたるだろう出来事や感情の起伏。人に言えることも、言えないことも、情けないことも、恥ずかしいこともみんな乗り越えて生きて行く。そうした力は何処から湧いてくるものか。いや、ほんと素晴らしいオダギリジョーの軽くも重くもある眼差しと笑顔。

監督:松岡錠司
原作:リリー・フランキー
脚本:松尾スズキ
撮影:笠松則通
音楽:上田禎
出演:オダギリジョー、樹木希林、内田也哉子、松たか子、小林薫
2007年日本映画/2時間22分
配給:松竹

2007/04/09

さくらん

花魁の世界を描いた人気マンガを、独創的な写真で瞬く間に表現の最前線に躍り出た蜷川実花が監督。椎名林檎が音楽をつけるという、女性による女性のためのプロジェクトといった話題性も売りだとはいえ、いきなりPEACH JOHNのロゴが映ったのには驚いた。

タイミング的には制作会社のロゴとかメインタイトルがでるところだろうが、この作品はそれくらい女性中心を前面に押し出してる訳だ。客席も若い女性がほとんど、中年のオヤジが一人で観てたら怪しまれること請け合い。しかし、男が一人で観たって、これはなかなか面白い作品なのだ。

蜷川監督、「泣いたら負け、惚れたら負け、勝っても負け」という吉原の、頂点に生きる女たちの地獄極楽を、華麗を極めた意匠で画面の隅々を飾りながら、美しく丁寧に描いていく。

極彩色だが寂寥感のあるキッチュな色使い。暗さの使い方が巧くメリハリの効いた構図。どの場面をとっても映画の絵になっているのも気持よい。大門の上に金魚を泳がせたり、繰り返しインサートされる金魚のイメージショットも不思議な効果を挙げている。椎名林檎の起用も大成功。

女優達もこぞって新人女性監督を盛り上げようとの気概に溢れていたようで、菅野美穂や木村佳乃は、演技を競い合うかのように熱いシーンを演じていて印象的。「下妻物語」のヤンキーっぷりが鮮烈だった土屋アンナ。前作のイメージそのまま、ハスキーな啖呵も耳に心地よく、気っぷの良い花魁を男前に演じて魅力的。画面にすっきりとした緊張感を漲らせていたのが素晴らしい。

もう少しテンポが欲しい部分もあったが、椎名桔平、安藤政信、石橋蓮司など男優の使い方、魅力の引出し方なども含め、新人らしからぬ巧さと安定感で見応え充分。実に面白かった。

監督:蜷川実花
脚本:タナダユキ
原作:安野モヨコ
音楽:椎名林檎
撮影:石坂拓郎
美術:岩城南海子
スタイリスト:伊賀大介
出演:土屋アンナ 椎名桔平 成宮寛貴 木村佳乃 菅野美穂 安藤政信 石橋蓮司 夏木マリ
時間:1時間51分
配給:アスミック・エース

2007/04/08

大帝の剣

オリハルコンと言えばアトランティスの幻の金属。SFではお馴染みのアイテムだが、実は遠く宇宙から飛来した超絶エネルギー物質で、かの三種の神器こそオリハルコンによって作られたものであり、そのパワーを求めて徳川幕府、豊臣の残党、宇宙人入り乱れての争奪戦が始まった。というお話を豪華キャストのコスプレで見せるという趣向だが、如何せんこの監督にはSFマインドがない。ロマンティックでもない。安直なイメージと半端なギャグとお手軽なナレーションでつぎはぎした、しょーもない2時間。トリックで見せる作品を、トリックを暴くのが好きな監督に任せるってことがどういうことになるか、制作者は仕上がりを見て納得したことだろう。こんな映画を初日1回目に見に行った自分に、あははは はらが立つ。

原題:大帝の剣
監督:堤幸彦
脚本:天沢彰
原作:夢枕獏
キャラクターデザイン:天野喜孝
出演:阿部寛 長谷川京子 宮藤官九郎 黒木メイサ 竹内力 大倉孝二 六平直政 杉本彩 津川雅彦
配給:東映

バッテリー

主人公の少年は凄い球を投げる天才的ピッチャーだが、問題はそのボールを捕球できる者がいないことだった。孤高の天才。凡人は天才の孤独を理解できない。しかし、父親の転勤で移り住んだ田舎で出会った人なつこい笑顔のキャッチャーがその剛球を見事に受けた。

主人公の天才投手を演ずる林遣都という少年が凄くきれいな顔をしている。鋭角的でもろいキャラクター、セリフの少ない難しい役所だが表情の表出も自然で大層魅力的だった。相手のキャッチャーも、いかにも星飛雄馬と伴宙太のスタンダードなバッテリーのイメージに納まるそれらしい雰囲気。天才と凡人が野球を通してどう理解し合えるかということでは、お寺の息子を演じた少年が普通の感覚をよく表していて好感が持てた。

そもそも、少年の健気な姿にはめっぽう弱く、ついウルッと来てしまうので、この映画の病弱の弟と孤独な兄という、巧妙な仕掛けには、要所要所で押さえ込まれてしまった。「陰陽師」や「阿修羅城の瞳」はそのつまらなさにがっかりしたが、こういうこじんまりとした人情話は柄に合っているのだろう、まあ、これが中学生か、というようなキャラクター続出したりはあるが、中心を固めた少年達が実にいい感じなのが印象的。主人公のきれいな顔立ちのままに、すっきりとさわやかな後味の佳品。

監]滝田洋二郎
[原]あさのあつこ
[製]黒井和男
[脚]森下直
[出]林遣都 山田健太 鎗田晟裕 蓮佛美沙子 天海祐希 岸谷五朗 菅原文太 
[配給会社] 2007東宝
[上映時間] 119分

2007/04/02

下流志向 内田 樹  

学ばない子どもたち、働かない若者たち、とサブタイトルも刺激的なベストセラー。昔の子供は家の手伝いをして褒めてもらった。今の子供達は金を使えば一人前に扱われ、労せずして快感を得る。昔は家庭内労働が社会参加への第一歩だったわけだが、今の子供達に家事手伝い機会はなく、いきなり一人前の消費者として社会と接するようになり、就学以前に消費者として自己を確立してしまう。

その結果、子供達にとって社会とは等価交換の場となった。彼らは賢い消費者として、商品知識に精通(乃至は振りを)し取引を有利に運ぼうとする。それが、「この勉強が何の役に立つんですか」といった教師への問いかけとして現われる。

等価交換の法則は社会全体を覆い、今や人々は不快感の一早い表明で有利な立場を確保しようとするようになっている。これを名付けて不快貨幣の流通といい、その流通量は増大の一途をたどり、人々はクレーマー化し、子供達は未来を捨て値で売り払っているのが、今の日本の現状だと説く。

学ばない子どもたち、働かない若者たちを大量に生み出している現状を、ではどう乗り越えて行けるものか。5時間に及ぶ講演と質疑応答をまとめたという本書、
「ノイズをシグナルに変換するプロセスが学びのプロセス」
「無知とは時間の中で自分自身もまた変化するということを勘定に入れることができない思考のこと。」などの警句もかっこよく、構造主義と武道を究めた内田先生の明晰にして軽妙な語り口に乗せられスリリングな読書が楽しめる。家族と時間と身体性を回復せよと説くのも納得できる、刺激的で示唆に富む好著。

講談社 2007年2月8日3刷 1400円

2007/04/01

蜘蛛の巣 上下 ピーター・トレメイン



7世紀のアイルランドを舞台にしたミステリー・シリーズ。
ヨーロッパの中世というのが既に一大ミステリーなのだが、さらにアイルランドとなると、最近見た「トリスタンとイゾルデ」に描かれた蛮族なイメージぐらいしか思い浮かばない。本格ミステリは守備範囲外だが、英語圏では既に17作も出ている人気シリーズの、これは5作目だという。わざわざ5作目から訳出という出版社の戦略への興味も湧いた。

読み進める間もなく、人気シリーズであることがよくわかる。面白いのである。
主人公の修道女フィデルマてのが、王の妹にして高位の裁判官かつ弁護士かつ宗教者で、これだけでも相当なもんだが、さらに武芸に秀で、清廉高潔、頭脳明晰、容姿端麗、眉目秀麗なうえに溢れる気品と含羞の若き女性という天下無敵のセレブ振りなのである。実にどうも、水戸黄門と大岡越前とジャンヌ・ダルクを一人にまとめちまったような、大胆というか、欲張りというか、図々しいというか、こんな臆面のないキャラ造形、普通はしないだろう。

しかし、ピーター・トレメインはやっちまった。あとがきに、作者はケルト研究の大御所として世界的に高名な学者だと。なるほど、リスクをとったらハイリターンの大成功って訳だ。プロの作家じゃできない芸当ではある。そうして生まれたフィデルマの万能性は、スーパーなヒロインの活躍によるカタルシスを読者にたっぷり与えてくれるが、むしろ7世紀のアイルランドという特殊な背景、当時の社会状況を読者に分かりやすく、面白く伝えるためのものだと理解できる。
フェデルマが事件の核心に迫る過程で、ブリテン人のエイダルフを相手に語る7世紀アイルランドの社会制度や伝統的宗教、生活様式に関わる蘊蓄が物語にリアルな彩りを添えるが、同時に合わせ鏡のように現代社会を相対化していく面白さも特徴的。

例えば、上巻のp143に見られるフィデルマの言葉は次のようなものだ。
 「彼は公平な裁判なしに断罪されてはなりません。」
 「障害者を侮辱した人間には、重い罰金が科せられます。それが神経を病む者だろ 
  うが肢体に支障がある者であろうが、誰であろうと」

7世紀アイルランド。修道女フィデルマ。かっこいいのだ。
事件は起こり、魅力ある謎が提示される。地方の名家にまつわる因習の深さと血の怨念。何だか横溝正史を思わせる状況の中、物語は本格推理の様式を満たして関係者全員集合のクライマックス、名探偵の謎解きへと至る。ここ迄の面白さに対し、謎解きはカタルシスが不足していると思うのは本格嫌いの偏見として、シリーズの面白さ、フィデルマの魅力はしっかり伝わってきた。

2007/03/27

蟲師

人に取り憑き様々な悪さをする蟲と、蟲に取り憑かれた人の癒しを生業とする蟲師ギンコ。ギンコは、人々の穢れをはらうように蟲払いを続けるが、自分が何処から来たのか知らなかった。

終末の光景を描かせたら並ぶ者の無い天才絵師大友克洋が、漆原友紀の人気マンガを原作に実写で挑んだのは、オカルト風味のスピリチュアルなファンタジー。

銀髪のオダギリジョーは静かな佇まいが魅力的。子供時代の少年も良い演技だ。全体に、配役と演技は、江角マキコを除いて申し分ない。特に李麗仙とリリィの風格は素晴らしい。

ロケーションも効果的で、丁寧な撮影により、自然の大きさと奥行きが良く表現された厚みのある画面が魅力的だ。そこにCG表現の蟲が加わるのだが、蟲の描き方自体にもっとグラフィカルな魅力が欲しかった。

ミイラ取りがミイラになって解放されたいと願う、というお話は分かるが、もっと情緒を抑制して描いた方がバランスよく説得力も生まれたんじゃないかと思うのは、やはり、江角マキコのキャラの浮き加減からくる印象なのだ。

監督・脚本:大友克洋
脚本:村井さだゆき
原作:漆原友紀
撮影:柴主高秀
音楽:蓜島邦明
出演:オダギリジョー、蒼井優、大森南朋、江角マキコ
2006年日本映画/2時間11分
配給:東芝エンタテインメント

2007/03/25

デジャヴ

トニー・スコットは、スカしたカメラワークで見せる歯切れよい語り口が身上の職人監督だ。タイトなアクションで攻めきるスタイルは、大作主義のお兄ちゃんとは対照的だが、細部の甘さと安定感は兄弟共通。常連デンゼル・ワシントンとは息もピッタリ。

で、今回はいきなり大規模テロ事件勃発。ATF(アルコール・タバコ・火器局)捜査官デンゼル・ワシントンにFBIバル・キルマーが絡んで摩擦、陰謀に難渋する展開と思いきや、やはり、そういう月並みはトニー・スコットじゃない。

そう、いつだって、ファッショナブルなハイセンス好みの弟だから、もっとスマートでクールな絵造りになって当然。ところが起承を受けた転のトンデモ振りと 結の大バカ振りは、こちらの凡庸な脳みそを軽ーく一蹴するスケールの大暴走。ソッそーなの。いや、確かに、そーゆー映画もありますよ。ジャンルも形成してます。この展開、全然問題ないすよ。

なにより面白いんだこれが。先は読めないし、ドキドキさせるし。流石トニー・スコット。ブラッカイマー印を忘れてた訳ではないけど、この二人をデンゼル・ ワシントンの良識が二人を抑制するってな感じを抱いてたこちらがバカだった。製作監督主演、喰えないトリオが大真面目に挑んだ大バカ映画は要所要 所訳分かんないが、エンディングのカタルシスも充分だし、後味もよろしい。誠に結構なお手前、堪能致しました。

原題:Deja Vu
監督:トニー・スコット
製作:ジェリー・ブラッカイマー
脚本:ビル・マーシリイ、テリー・ロッシオ
撮影:ポール・キャメロン
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:デンゼル・ワシントン、バル・キルマー、ジム・カビーゼル、ポーラ・パットン、ブルース・グリーンウッド

2007/03/23

「日本美術が笑う」展

午前中は地元で義父の墓参。午後からは両親の墓参に大井町まで。電車の中ではロング・グッドバイを読むが、気がつけばトロトロしている。寝不足のせいだが、清水訳よりはるかに饒舌なマーロウのせいだったかも。
形通りの墓参。若い時は軽んじていたが、最近は素直に手を合わせている。ほんと、いつの間にか歳取っちゃったんだよなぁ。

大井町から品川経由恵比寿下車、日比谷線の改札でSuicaを試してみる。無事通過できてホッとする。六本木下車。

日本美術が笑う展 森美術館
日本美術を「笑い」を軸に縄文から20世紀初頭までを通観しようという試み。一般的にユーモアはシリアスより軽んじられる。美術作品も例外ではないから、これはチャレンジングな好企画と言える。

実際、巧みに構成編集された展示には、するするっと方向付けられ、そのまま啓蒙されてしまうような説得力があるが、自分で、笑える作品と笑えない作品に分類しながら見るのも楽しい。

埴輪の動物達の、愛すべき稚拙さといった味わいに心和ませられるし、洛中洛外図の大胆なる稚拙さ加減には、その正々堂々とした臆面の無さがいっそ痛快で、この企画の目玉のような勢いもあった。あれは反則だと思うんだが。

後半の 笑い展 は理論的裏付けが必須の現代美術だけに、うーん現代の社会的病理現象っぽい作品が沢山、笑える作品は少なく、結構疲れてしまった。

2007/03/22

パフューム/ある人殺しの物語

18世紀のパリ。悪臭まみれの都に花開いた香水文化。類い稀な嗅覚を持って生まれ落ちた男の数奇な運命が、究極の香水への扉を開く。

うーん、これは面白い。とにかく絵が優れている。冒頭、猥雑な活力に溢れたパリの市場から絵の厚みが素晴らしい。最近では、ロマン・ポランスキー の「オリバー・ツイスト」が入念なロンドンを再現していたが、このパリのねっとりした密度と奥行きのリアリティーはちょとした見ものだ。

衣装デザインと美術の素晴らしさだけでも、この作品には観るべき価値がある。と言いたいくらい、この作品のビジュアルの魅力に惹き付けられた。グロテスクとは美だという事がよく表現されているのもうれしい。艶のある豊かな画面に 感傷や情緒をきれいさっぱりと排除した語り口の、クールでドライな肌触りも心地よい。 主人公の遍歴の哀しさが思いがけないウネリとなって周囲を変化させるが、全ては本人へと還ってくるというドラマにも、巧妙な伏線がめぐらされ、意表をつく展開で、エンディングの情感を見事に高める憎い作りではある。

ダスティン・ホフマンとダスティン・ホフマンが 登場するシーンの美術が素晴らしい。 アラン・リックマンはあのくぐもった声も大好き なので、文句を言う事も無いのだが、 登場人物たちがフランス語だったら一層よかった。ともあれ、美しさと哀しさを基調に、時に皮肉なユーモアを交えながら、ヤバい話をヤバい絵柄で見せる2時間半、主人公の一生は観る者を感動へと導いてくれる。どんな感動って、こちらに刃を突きつけてくるような、曰く言い難い感動なのだ。

原題:Perfume: The Story of a Murderer
監督:トム・ティクバ
原作:パトリック・ジュースキント
脚本:トム・ティクバ、ベルント・アイヒンガー、アンドリュー・バーキン
撮影:フランク・グリーベ
出演:ベン・ウィショー、ダスティン・ホフマン、アラン・リックマン、レイチェル・ハード=ウッド
2006年ドイツ=フランス=スペイン/2時間27分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

2007/03/18

トミー TOMMY  日生劇場 3/16


1月に観た「朧の森に棲む鬼」は、いのうえひでのりの演出が冴え渡った素晴らしいステージだった。 休む間もなくいのうえが3月にTOMMYを演出することを知って、The Whoもケン・ラッセルもリアルタイムだが、アルバムも映画も無縁にきたもので、TOMMYへの思い入れも特には無く、単に、いのうえひでのりの演出観たさでチケットを買う。

http://blog.eplus.co.jp/tommy/

父親の殺人を目撃し、以来感覚を遮断、三重苦となったトミー。外界との接点を閉ざした少年は長じてピンボールゲームの才能を開花させ、天 才的プレーヤーとして世界の頂点に立つ。更に三重苦から解放され、奇跡の教祖として祭り上げられるが挫折。そのどん底に真の解放が訪れる。

いのうえは「メタル・マクベス」のバリエーションとも言える手法の、LEDスクリーンの映像を駆使し、スピーディーな場面転換でグイグイ押し てくる。大掛かりなセットを組んだメタルマクベスでは、あくまで補助的な役割だったスクリーンだったが、今回はセットに変わる背景として全場面を支えている。状況設定も明瞭だし、転換はスピーディーだが、見慣れてしまえば舞台の演出として手抜き感は否め無い。その分、小道具のデザインや使い方はポップで、おもちゃ箱をひっくり返したような勢いはある。

客席はロックと言うよりクラシックのように静かだったが、変態右近やサディストROLLYのパフォーマンス辺りからテンションは上向き、「The Acid Queen」で完全にスイッチが入った。更に「Pinball Wizard」で盛り上がりは最高潮に。名曲には人を動かす力がある。名曲たる所以だ。

ステージ客席が一体となった「Pinball Wizard」で15分の休憩となったが、むしろこのまま突っ走ってほしかった。後半は展開がシリアスでテンションも低めに推移するため、前半の高揚感が後半へと繋がり難いのは当然にしても、TOMMYの内的な成長など説明的に流れるだけで今ひとつ迫ってこない。ま、キャラクテーも記号的だし、情緒的な盛り上がりは狙いの外なのだろう。トミーの両親には両親という記号以上の演技は求められていなかった。というような意味ではステージ全体のアンサンブルはバランスがとれていたと思う。衣装デザインが以外と面白くなかったこと。個人技ではROLLYのヤバい存在感に魅力があった。

THE WHO’S「トミー」
■演出:いのうえひでのり
■出演:中川晃教 / 高岡早紀 / パク・トンハ / ソムン・タク / ROLLY / 右近健一 / 村木よし子 / 斉藤レイ / 他
■訳詞:湯川れい子 / 右近健一■翻訳:薛 珠麗■

ゴーストライダー


2週連続全米トップの興行収入ってことで、期待していた。プロローグからメインタイトルへの流れがコンパクトでテンポも良く、こりゃ良いやと思ったが、そこから先はそれほどの高揚感も無く、終わってみれば、どうしてこれが2週連続トップなんだか分からない。

ニコラス・ケイジの見るからにヅラと分かるヘアには集中力を途切れさせるパワーがあって、意識を物語へ没入させられなかった。ガイコツになってる 時はビジュアル的な面白さで楽しめるのになぁ。エバ・メンデスは相変わらず何処に魅力があるのか分からない。地獄から来た悪魔の息子もお下劣な馬鹿で美 しさにはほど遠い。

所々にB級の心意気を感じさせる良い場面もある。ピーター・フォンダの怪演も大いに魅力的だし、昔懐かしいウエスタンの味わいも楽しめる。がしか し、何と言うか、締まらないのである。これもひとえに、ニコラス・ケイジのヅラの使用が裏目に出ているのである。続編を作るなら、ズラの技術をより高め、 脚本家を変えるぐらいはして欲しいものである。

原題:Ghost Rider
監督・脚本:マーク・スティーブン・ジョンソン
撮影:ラッセル・ボイド
音楽:クリストファー・ヤング
出演:ニコラス・ケイジ、エバ・メンデス、ウェス・ベントリー、サム・エリオット、ピーター・フォンダ
2007年アメリカ映画/1時間50分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2007/03/11

村上春樹訳 ロング・グッドバイのあとがき

村上春樹が訳したというだけで充分なのだが、巻末には90枚に及ぶ訳者のチャンドラー論が収録され、その中で、細部が大幅に刈り込まれていた清水訳に並ぶ完訳本としての存在意義も主張している。今迄読んできたのは、清水俊二が恣意的に刈り込んだ「長いお別れ」で、チャンドラーの意図した全ては、願っても無い訳者を得て、今回本邦初公開の運びとなったということ。いやぁ、誠に感慨深くもあり、望外の喜びという他ない贈り物だ。

本文はさておき、早速巻末の訳者あとがきに目を通した。
チャンドラーの文章からその特質を説き起こし、「ロング・グッドバイ」の作品論からグレート・ギャッツビーとの相似性を明らかにして行く展開は、 従来のチャンドラー像、チャンドラー研究を更新する斬新さ。切り口の鮮やかさとともにこの本全体を通してのクライマックスともいえるスリリングな面白さにあふれている。チャンドラーの評伝としての完成度も見事で、本編はさておき、この簡にして要を得た巻末解説は凄い読み応えだ。何より今迄に読んだ数あるチャンドラー論の中でも文句なしに最高水準のものだ。

今年はディーヴァーのチャンドラー論に触れる事ができたのも楽しかった。その上に村上のチャンドラー論が読めるというのも夢のようだ。そのディーヴァーはジャンルを越えた作家とチャンドラーを評していた。村上もディーヴァーと同じ事を、ジャンルとの関係などはじめから無視することで表している。というのも、この本のカバーにも、解説の文中にも、何処を探しても ハードボイルドのハの字も無い。早川が出すチャンドラーにハードボイルドの表記が無い。これは、名代の大看板下ろすようなもので、世が世なら考えられない事態ではある。しかし、早川の営業戦略には今回その必要がなかったのだろうことは容易に想像がつく。村上にとっても、それは同様で、その気持はよくわかる(ような気がする)。

フンデルトヴァッサー展  日本橋三越

バウムクーヘンの断面を塗り分けたような、層の厚みとともに記号化された事象。戦闘的、挑発的、スキャンダラスなフンデルトヴァッサーの作品から、版画とドローイングを中心にした展示。

メタルカラーや対立的な配色、奔放な色使いなどのヤバい要素がよくコントロールされ、魅力的な画面になっている。発色の鮮やかさとデザイン的な面白さで見せる版画が特に素晴らしい。

浮世絵の彫りと刷りの技術の素晴らしさを改めて教えてくれる木版のシリーズと、雨をめぐる叙情的なストーリーを大胆なイメージで展開した孔版の連作はこの展示の白眉だった。

会場の日本橋三越は日本の百貨店文化の頂点に君臨している店だ。展示会場の外側の壁に「自然に優しく」をテーマに募集された小学生の絵がびっしり 貼り出されてされていたが、これも主催者側のエクスキューズに思えてしまうくらい、この風格ある老舗とフンデルトヴァッサーの組み合わせにはミスマッチ感 が強い。
そんなことも全部ひっくるめて、刺激的で面白い展示だった。休日の昼時、混雑もなく、いい感じで観る事ができた。3/3

ドリームガールズ

モータウンサウンドの盛衰をバックステージから観て行く面白さ。ミュージカルとしてはダンスらしいダンスシーンは無い。ステージパフォーマンスとサウンドでモータウンの魅力を描いていく。

ジェイミー・フォックス演じる野心家の辣腕プロデューサーは、黒人色を排した音造りで大衆性を獲得するのが成功への近道と、犠牲を顧みぬ強引な仕切りで栄光への道を拓いていく。
実力故に外されるジェニファー・ハドソン。一方ルックスの良さで優遇され、一挙にスターダムにのし上がって行くビヨンセ。下降と上昇のキャラの対比がドラマを盛り上げる。
ジェニファー・ハドソンは悲劇を劇的に歌い上げて大した迫力。歌唱力は確かに素晴らしい。ジェニファー・ハドソンに比べると、ビヨンセには演技的な見せ場が乏しかったが、だからといって、悪く言われることはない。なにより画面を華麗に彩るのはビヨンセの見事なパフォーマンスだ。

エディー・マーフィーは、芸に行き詰まった歌手という野心的な役柄を熱演したが、あのエディー・マーフィーがとは思いつつ、それほどの魅力は無かった。脚本の問題だと思うが、エディー・マーフィーに限らず、ドラマの割に、キャラが立たないのである。それぞれが何考えてるのかよくわからないのだ。最たるものがジェイ ミー・フォックスのプロデューサー。歌唱表現から伝わってくるような深みがドラマ的には不足していた。 ジェイミー・フォックスはミスキャストだ。

楽曲はどれも楽しく、特にワン・ナイト・オンリーはどちらのバージョンとも素晴らしかった。

原題:Dreamgirls
監督・脚本:ビル・コンドン
製作:ローレンス・マーク
撮影:トビアス・シュリースラー
音楽:ヘンリー・クリーガー
出演:ジェイミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ、エディ・マーフィ、ジェニファー・ハドソン、アニカ・ノニ・ローズ、ダニー・グローバー
2006年アメリカ映画/2時間11分
配給:UIP

2007/02/18

Gガール 破壊的な彼女


仕事はできるが恋愛には不器用。でもニューヨーカーなら相手にも指南役にも事欠かない。というわけで、ナンパ相手が美しいスーパーウーマンだったらというロマンティック・コメディー。アイヴァン・ライトマンとユマ・サーマンの組み合わせなら押さえときたいと思ったが、そんなことは無かった。

オープニングからテンポ良く笑わせてくれる。スーパーパワーは下半身にどう作用するか、というパロディー感覚の下ネタも、都会派の艶笑コメディーとしてはありだろう。でも、中盤以降、Gガールがやたら嫉妬深く、暴力的という正体があらわになるあたりからギャグも失速。ここは嫉妬深く暴力的、だけどそこがチャーミングという風に見せてくれないとなぁ。

要はSEX and the CITYをアメコミヒロインにやらせたら面白いんじゃない、てなことから始まった企画に見えるが、主人公の上司や友人などの説得力の無さも弱いし、コメディーというにはユマ・サーマン恐過ぎ。狙いは艶笑でもエロティックではないし、ロマンティクさも欠いてしまった。

監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:ダン・ペイン
製作総指揮:ビル・カラッロ
衣装デザイナー:ローラ・ジーン・シャノ
音楽:テディ・カステルッチ
キャスト
ユマ・サーマン、ルーク・ウィルソン、アンナ・ファリス、レイン・ウィルソン

2007/02/13

ひばり シアターコクーン 2月11日


舞台中央にしつらえられた正方形のステージを取り囲む三面に、フランス国王をはじめ軍人、聖職者が居並び、最後の一面は客席が占めているいう空間。そこは異端審問の法廷であり、天啓を受けたと称する農家の娘が、いかにフランス軍の先頭に立ち、イングランド兵を蹴散らし、勝利へと導くことができたか、その奇跡の事実と正統性が裁かれようとしている。

松たか子が蜷川幸雄の演出で挑むジャン・アヌイ。今の松たか子にジャンヌ・ダルクというのは、これ以上望むべくもないパーフェクトな組み合わせ。切れのある所作と発声。向こう気の強さと愛嬌で、きりっと背筋の伸びた純なキャラクターをやらせたら最強の演技者だろう。

実際、世間知らずの夢見がちな少女から、どんどん強靭な精神性を発揮し、抗し難い魅力で周囲を引っ張って行くジャンヌを、松は大きく生き生きと演 じて大層魅力的だ。次から次へとシチュエーションがかわり、入れ替わり立ち代わり相手役とのやり取りが続く正方形のステージは、膨大な台詞の応酬による格闘技のリングさな がら。そのほとんどの場の中心にあって、ジャンヌの輝きはいささかも曇らない。

利用できるものはとことん利用し、風向きが変わればとたんに打ち捨てられる。それが大人の世界、権力の、政治の正しい有り様だ。そんな 権力闘争の中枢に理想主義を持って臨んだジャンヌに断罪の時が訪れるのは必然でもある。忠誠を誓った国王に裏切られ、キリスト教徒としての自覚もむなしく教会にも裏切られるジャンヌ。異端審問官が舌鋒鋭くジャンヌの宗教観をとことん叩きつぶそうとする。信仰心がまっすぐ天に伸びて行くようなジャンヌ眼差し。圧 巻のクライマックスだ。

人間の全的な肯定を高らかに告げるジャンヌに恐れおののく教会の欺瞞。キリストの教えにも信仰にも自分は関わりがないが、アヌイは、どのような時 代、どのような人間にも起こりうる、人間の普遍的な問題として、見事に明晰な言葉で信念と共に生きる姿を提示する。ジャンヌが人間を全的に肯定しようとす る態度は、作者の立場そのものである。裏切りと欺瞞に満ちた、政治を、権力を描いても、単にそれを断罪することなく、人間の弱さへの深い共感と強さへの希望をもって幕を閉じる。なんと風格に溢れた戯曲だろう。

シンプルな象徴性に徹した演出はさすがに洗練されている。
見ている方が恥ずかしくなるようなことも無く安定感があった。
面白さと感動に背中を押され、スタンディングで拍手してしまった。


スタッフ
作:ジャン・アヌイ
翻訳:岩切正一郎
演出:蜷川幸雄

出 演
松たか子
橋本さとし
山崎一
磯部勉
小島聖
月影瞳
二瓶鮫一 編集

2007/02/04

墨攻


紀元前中国、春秋戦国時代。燕の国に攻め入ろうとする鞘は、要衝の地にある梁城を包囲する。10万の大軍の前に僅か4千人の梁城は陥落必至と思われたが、専守防衛をモットーとする墨家の機略により難攻不落の要塞と化していく。

墨家の男を、ストイックに演ずる好漢アンディ・ラウが格好いい。キャラクターの良さは当然だが、ポンチョ、マント、ブーツ、頭巾などの衣装デザイ ンが実にオシャレで、ビジュアルが魅力的なのである。もちろんアンディ・ラウだけが良いというような安い作りではなく、全体の衣装が素晴らしく、その中で のバランスとコントラストで、墨家という主人公の特殊性を渋い派手さで自然に際立たせているところが憎いのである。

ろくでもない梁城の王や側近など、守るに値しないような存在を守らせるという設定がこの作品のテーマを良く伝え、スパイシーな展開は作品に深みを与えている。

10万の大軍を率いる敵将の清廉高潔な人柄を人間味溢れる風格で見せたアン・ソンギの堂々たる存在感。ビジュアルとしてもアン・ソンギ演ずる将軍の立ち姿の風格、格好良さはアンディ・ラウに勝るとも劣らないのだった。アン・ソンギ、最高。

原作の漫画も、平和、博愛主義で、攻めずに守り抜くという墨家の思想も全然知らなかったので、とても新鮮だったが、それをここ迄面白くして見せた監督の力は素晴らしい。衣装も音楽も撮影も役者もレベルの高さで作品を盛り上げた。

思っていたより数段、というか、優れた作品だった。

英題:A BATTLE OF WITS
監督:脚本:プロデューサー:ジェイコブ・チャン
原作:森秀樹
撮影:阪本善尚
音楽:川井憲次
編集:エリック・コン
出演:アンディ・ラウ、アン・ソンギ、ワン・チーウェン、ファン・ビンビン
2006年 中国/日本/香港/韓国
上映時間: 2時間13分

「私のハードボイルド」小鷹信光 早川書房

実のところ、ハードボイルドという言葉はジャンルを表す言葉としてイメージの喚起力が高く、昔も今も様々な使われ方をしている。だがその言葉の意味するところや定義となると、人の数だけ中味が異なるという、誠に同音異義性の強い、極めて厄介な言葉である。

言ってみれば、ハードボイルドという言葉そのものがハードボイルドな状況を招き寄せる、といった性質を持ってるわけで、ひとたびそんな状態に陥っ たなら、誰かクールで腕っ節の立つ探偵さんでも連れてこない限り、収まりがつかなくなってしまう、なんてことにもなりかねないのである。

最も危険な言葉を語るは思想信条を語るに等しく、それなりの覚悟が必要だ。ましてや周囲を納得させる説得力、高度な権威性というものも、当然なが ら必要になってくるのである。その点、小鷹信光と言えば、泣く子も黙るハードボイルドミステリの翻訳、研究の第一人者にして作家であり、この本はハードボ イルドを語るにはこの上ない、書くべき人が書いた、書かれるべき一冊ってことになる。

固茹で玉子の戦後史というサブタイトル通り、作家としてのキャリアを幼少時に遡って説き起こしたハードボイルドな自伝を柱として、ブラックマスクから現在に至るアメリカンハードボイルドの変遷と日本の翻訳出版状況を時系列にそって整理した研究編と、作家リスト、関連図書、文献をまとめた資料編からなる内容は、まさに著者の集大成と言うに相応しい構え。

自伝部分では、EQMMがHMMに代わり、ヒッチコックマガジン、マンハントといった雑誌が書店に並んでいた当時からのインサイドストーリーには、懐かしい名前がぞろぞろと出てきて、まるで3丁目の夕日的懐旧の情が蘇る楽しさ。確かにね、60年代のミステリマガジンはコラムエッセイの充実ぶりが 半端じゃなくて、私などはむしろそちらが目当てで読んでいたようなものだった。

それはともかく、ハードボイルドと言えばお約束の1人称1視点だが、著者は、丹念な資料の収集と提供により、主観や思い込みだけで語ることの愚を見事に排除している。流石の見識だと思う。この客観的に高度な検証を貫き通す態度にこそ、著者の何よりハードボイルドな矜持が顕われている。その意味からも価格には換算できぬ価値と面白さが、研究編、資料編にはある。

まあ、著者は紳士であり、客観的であることがこの本の良さだが、私としてはせっかくのハードボイルドもっとストレートに悪態をついたり、憎まれ口を叩いたりする行儀の悪さも見せて欲しかった。

2007/01/28

どろろ

天下取りと引き換えに、我が子を魔物に差し出した親。親に捨てられ魔物と戦い続ける子供。因果の車輪がぐるりと回り、刃を交える20年目の父と子。

「どろろ」は、親殺し、子殺し、兄妹殺しで幕を開けた2007年の正月映画に相応しいテーマだったんだと気づかされる。手塚治虫師の偉大さを改めて思うし、この映画化を企図した制作者の見識も認めよう。惜しむらくはその見識が作品に反映されていなかったこと。

妻夫木は良かったが、柴咲コウのどろろはきゃんきゃん吠えたててばかりでわざとらしく、鬱陶しいったらありゃしない。あれを良しとし、どこかで見 たようなイメージばかりをつぎはぎしたような演出のセンスは全くいただけない。脚本はかったるいし、情緒的かつ説明的な台詞と凡庸なビジュアルでつないだ 2時間半。その時間とお金があれば、原作漫画を買って読んだ方がよほど意義深い。

出演:妻夫木聡、柴咲コウ、中井貴一、中村嘉葎雄、原田芳雄、
   原田美枝子、瑛太、杉本哲太、麻生久美子、土屋アンナ、
脚本:NAKA雅MURA、塩田明彦
監督:塩田明彦
アクション監督:チン・シウトン
プロデューサー:平野隆
原作:手塚治虫
2007年/日本
配給:東宝