2006/06/25

荒ぶる血 J・カルロス・ブレイク

その昔、「戦うパンチョ・ビラ」という映画でメキシコ革命の英雄の名前を知った。そのビラが、この本ではビジャと表記されていてどうも気色が悪い。試しにググれば、どっちの名前もヒットする。さらに、Wikipediaではビリャ、ヴィヤ、との表記も。Pancho は統一されているが、Villaについてはビラ、ヴィラ、ビジャ、ビリャ、ヴィヤ等々。訳者の立場や見解の多様さにこっちも戸惑った。ビラとの刷り込みはありつれど、ま、ここはビジャ、っつーことで。

ビジャの側近のご落胤。血と暴力の選良、ジミー・ヤングブラッド。と、名前からしてカッコ良ければ勢いもある主人公。騒ぐ疼く迸るラテンの血を苦もなくコントロールし、熱く成長して行く男がクールに綴る1人称。

腕と度胸でめきめき頭角を顕わし、着実にのし上がったヤングブラッド。奢りも無ければ高ぶりもなく、淡々とトラブルを処理する若きギャングの心を捉えたメキシコ娘ダニエラ。二人の恋がメキシコ湾を赤々と染め上げ、平和と安らぎが訪れた時、国境の南から、思いもよらぬ脅威がダニエラへと着実に歩を進めていた。

ストーリーというより、エピソードをふんだんに使った構成が、奥行きやスケール感を醸し出している。主人公より周辺人物のキャラクター造型にエネルギーを注ぐ作者の手口は効果的。アクションは簡潔に、仲間の憎まれ口やジョークの応酬は入念に書き込むスタイルも前作同様。粋でお洒落だ。

相手ギャングの車に強襲する計画の立案、作戦変更、代替案作成、実行、逃走とあっという間の素っ気なさ。それでいて臨場感も迫力もたっぷり。この強襲場面がカッコいい。沢山エピソードがあって、キャラも沢山出てくるが、とりわけ印象深いのはジミーを見つめるアバの視線。誰を殺して誰を生かすかの選択も正しい。

カッコいい主人公がとことんカッコいいというストレートさ、臆面のなさは、思いっきりロマンティックな世界で花開くというお約束をきっちり貫いた痛快作。

執念のマンハントから子別れ、色模様まで、エピソードには事欠かないが結構既視感もある。作者は映画からの影響もかなりのものと思しいが、今回のケレン味はロバート・ロドリゲス的だ。

M:i:III

監督候補が二転三転し、製作の難航など伝えられたこともあった。それでも無事に完成したものの、宗教的ドキュンな言動が嫌気されたトム君は人気が急落、公開に際しボイコットする映画ファンも少なくなかった。なんてレポートされてたイーサン・ハントのシリーズ3作目。

拉致誘拐された女性エージェントの救出からインポッシブルなミッションのつるべうち。派手なアクションシーンをつなぐのは、必要最小限の状況設定で進行が早く、寝ている暇もない。手元のソフトドリンクを飲むのさえ忘れてしまった。

製作者として主演者としても、トム・クルーズの並々ならぬ実力を実感させる仕上がり。イーサン・ハントの公私混同した動機付けで情緒を高める。きれいな顔を傷だらけにして目には涙。慟哭する姿は女性の感覚にヒットするだろう。インポッシブルなアクションには男性客も納得。007で言えば、「女王陛下の007」を思わせるヒロインの扱い。J・J・エイブラムスの演出は快調で、気持ちの良さと悪党の存在感から言ってもシリーズ中最高。一番好きだ。

敵役にフィリップ・シーモア・ホフマンをキャスティングしたセンスに脱帽。「マグノリア」での気弱な介護士からは想像つかない、貫禄たっぷりの悪党振りがうれしかった。

原題:Mission: Impossible III
監督・脚本:J・J・エイブラムス
脚本:アレックス・カーツマン、ロベルト・オーチー
撮影:ダン・ミンデル
音楽:マイケル・ジアッキノ
出演:トム・クルーズ、フィリップ・シーモア・ホフマン、ローレンス・フィッシュバーン、
2006年アメリカ映画/2時間6分
配給:UIP

デスノート

そのノートに名前が書かれたら死んでしまうという、現代社会の病理を鮮やかに照らす、デスノートの設定の卓抜さ。
原作はしっかりした線で細部まで描き込まれた絵柄に、台詞や文字情報が多くのっているから、読むのには結構な集中力が必要だ。
しかし、原作のビジュアルそのまま、金子監督は手際良くデスノートの世界へと観客を導入してくれる。
それぞれのキャラクターの魅力や雰囲気に忠実な絵作りで、お話も平易で分かりやすく展開されていて、これなら原作読むより映画を観る方が余程らくちんだ。 エルがちょっと馬鹿っぽかったが、役者は総じて感じ良く、死神リュークのCGには不安もあったがロングショットのインパクトなどCGならではの魅力。

社会正義から超法規的処刑人を自覚したライトが、やがて快楽殺人者へと変身して行く。 今日的な課題、問題意識を娯楽に転じて面白く見せて面白かった。

間宮兄弟

兄はビール会社の研究員、弟は小学校の校務員。真面目で気立てはよいが、それ以上に兄弟仲がいい間宮兄弟。女性には縁のなかった二人が自分たちの部屋に女性を招待しようと一念発起。その気にさせたのは沢尻エリカと常磐貴子。

従来の男性観からいえば、男所帯にはウジが湧くことになっているが、間宮兄弟は家事全般を見事にこなしている。部屋はきれいに片付き、食事もがランスが取れ、身だしなみもよく、というよりむしろ洒落者。要するに、日常身辺自立度はこれ以上ない程高く、経済的な不安もなく、都市生活をファッショナブルにエンジョイしているのだった。

結局、映画は兄弟のナンパ術を通して、二人の親密さとファッショナブルな暮らし、女性とのすれ違いぶりが描かれるのだが、これがまるで面白くない。

おかしな動作を見せれば観客はおかしがるはず、変な顔みせれば観客は笑うはず。と考えて作るのは別に構わない。掴みはそれでも笑えるが、それをズーッと続けられては困るのだ。ところが、引き続き森田芳光がこれっておかしいだろ、こういうのってお洒落だろと見せてくれるものは、常磐貴子や高島政宏が可哀想に見えるくらいのベタな演技を筆頭に、どうひいき目に見ても可笑しくない、見かけ上のことで、うわっすべりも甚だしい。

塚地の熱演、沼尻エリカの決め台詞など、語り口や見せ方に技も芸もあるが、心に届いてくるものが一向に無い。痛い映画だった。


監督・脚本:森田芳光
原作:江國香織
撮影:高瀬比呂志
音楽:大島ミチル
出演:佐々木蔵之介、塚地武雅、常盤貴子、沢尻エリカ、戸田菜穂、高嶋政宏、中島みゆき
2006年日本映画/1時間59分

かもめ食堂

評判良いので見たかったが、単館公開で諦めていたところ、近くのシネコンに掛かったので見にいった。
ヘルシンキで日本食堂を開いた3人の女性の話、という予備知識だけでは内容の見当もつかなかったが、映画が始まり、かもめ食堂が映し出されると、その外観がえらくカッコいい。なるほどそうか、ヘルシンキったら北欧デザインの本場ではないか。

おにぎりがメインのかもめ食堂。開店はしたが客は来ない。それでもオーナーの小林聡美は泰然自若。きちんと仕事をしていればいつか道は開ける。という信念のもと、慌てず騒がずグラス磨きに余念がない。店内はシンプルな北欧家具。きれいに整頓された厨房にも、形の良い調理器具がバランス良く並んでいる。そこに片桐はいりが加わり、もたいまさこが登場し、いくつかのトラブルがかもめ食堂を通過して行く。

特に大事件がある訳でもなく、ストーリーが何かを伝えることも無い。キチンとした姿勢できちんとした仕事をして、毎日を健康に暮らすことの気持ち良さを丁寧に描いている。この作品の言わんとしていることは誠によくわかる。単に生活様式に留まらず、今や人生そのものがデザインの対象となる時代だ。だけどさ、整理整頓が苦手、だらしなくて、明日やれることは今日しないというのが生まれながらの我が身とすれば、小林聡美のスタイルは眩しすぎ。

3人の女性は姿勢よくそれぞれ魅力的な個性を演じている。親しき仲にも礼節をわきまえた3人の距離感も気持ちがいい。大胆なテキスタイルの衣装を苦もなく着こなしたもたいまさこの迫力と存在感が素晴らしい。

デザインということにこれだけ焦点を合わせたつくりは新鮮だし、隅から隅まで計算とデザインが行き届いていて気持ちがいい。「クロワッサン」的といったらいいだろうか。

「吾輩は主婦である」折り返し

吾輩の折り返し
全40話のうち、前半20話が終了。
夏目漱石が憑依した主婦とその家族の日常を描いた昼メロ。内容を簡単に言うとこうなるが、そんなもの、まともな大人ならまともにとりあうはずもない。第一仕事の真っ最中だし、でも、笑ったなぁー。毎日留守録を見ては爆笑につぐ爆笑。

カルチャーギャップとご近所付き合いに腐心し、母性本能に目覚め、夫を拒みつつ作家への野心を募らせて行くという、迷走、暴走極まりない斉藤由貴の吾輩が、貫禄充分の素晴しさ。 子供達を除くほとんどの登場人物が、多かれ少なかれ何かと壊れまくる中、唯一人真っ当な人物として描かれている夫を演じるのが及川ミッチー!というのも気が利いている。

宮藤作品の常連もご新規さんも、みんながみんな楽しそう。昼メロとは思えぬ豪華キャストが、ハイテンションで繰り広げるシチューションコメディーを支えきる脚本は、いつもながらのクドカンらしい切れ味と毒ある優しさに溢れた素晴らしさだ。

20話でネタが尽きた、なんぞの話もあったが、登場人物達の生き生きした動きを見れば、まだまだこれから、あと20回きっちり録画しよう。そうして全40話収録の暁には一挙鑑賞で楽しもう。
http://www.tbs.co.jp/ainogekijyo/syufudearu/

2006/06/04

無頼の掟 J・カルロス・ブレイク

「このミス」ベスト3。うん。いや面白い。
カルロス・ブレイク、格好良さにとことん拘ってるところが素晴らしい。当然ケレン味もたっぷりだが、修羅場は素っ気なく、日常風景を入念に描き込むという、スカしたスタイルから生まれるクールな魅力。

きちんとした教育を受け、能力も人並み以上ではあるが、人並みな人生に何の意味も手応えも感じられない「おれ」が、強盗、強奪を繰り返しながら成長して行く。それがリリカル!に描かれていて、ピカレスクな青春ロードノベルとして魅力的。

「おれ」の資質をいち早く認め、その道へと確かな導きをしてくれちゃうのが双子の叔父達というどうしょもなさ。このキャラクターの味付けが素敵だ。物語の進行には直接関係ない叔父達の減らず口の応酬は面白さのベースともなっている。全体は「俺たちに明日は無い」なのだが、やるかやられるかが基本で、善悪を価値基準として導入していない分軽快に読める。

ひたひたと迫ってくる伝説の鬼警官の描き方がスパイシーでカッコいい。女の絡ませ方もうまいし、アクションもしのぎもリアリさと迫力に不足無い。このミス3位に、何を今更てなもんだが、このセンス、このカッコよさには脱帽。

「嫌われ松子の一生」

ふとしたつまずきがさらに大きなつまずきを呼び、身近な男の裏切りがより大きな裏切りに取って代わる。一生懸命なんだけど何故か未来は拓けない。それでも夢と希望で健気に進む、嫌われ松子の生きる道。

原作は読んでいないが、物語をなぞれば陰々滅々。止めどなく下降して行く破滅型。男運の悪い女性の転落人生。といった流れの、暗さ限りないノワールなフィルムとなって当然。

が、しかし、あの「下妻物語」がデビュー作!の監督は、これをミュージカルコメディーとして料理した。しかもですね、このミュージカルシーンの切れ味、華麗でスマートな演出が素晴らしい。コメディーとしても大ネタ、小ネタ取り揃え、冴えたギャグのテンポも良くて、しっかり笑わせてくれる。

新鮮でツボを押さえたキャスティングも素晴らしい。中谷美紀は魅力全開だし、子役の松子の可愛らしさも出色。男はろくでなしの品評会のようなキャラクター続出だが、武田真治、宮藤官九郎、ゴリ、カンニング武田、劇団ひとり、みんな説得力ある演技と素晴らしい存在感。中でも、こいつデキルと感心したのは谷原章介のボケっぷり。意外なところに顔を出す多彩なゲストを観る楽しさもある。

粋でお洒落で華やかにショーアップされた楽しさと、陰惨で救い様のないお話とがどうして1本の映画として成立してしまうのか。それをいとも巧妙に、高水準高品質な作品として提出できちゃうところに、この監督の天才が如実に現れてる。

タイトルロゴから連想すれば、荒川河畔の夕焼けに染まる松子は、タラの夕日に立つスカーレットにダブって見える。
他からどう見えようと、何をいわれようと、その一生が不幸だったか、幸せだったかなんてことは、結局その人自身が判断すること。ましてや、それが女だったらなおさらに。なんてこと思ったのは、松子=スカーレット・オハラ=女、として描かれているようだったから。

理屈はともかく、中島哲也版「風と共に去りぬ」、隅から隅までチャーミングで、ハイセンス、ハイファッションな傑作でした。

[監][脚]中島哲也
[原]山田宗樹
[撮]阿藤正一
[出]中谷美紀 瑛太 伊勢谷友介 香川照之 市川実日子 黒沢あすか 柄本明 木村カエラ 蒼井そら 柴咲コウ
[配給会社] 2006東宝
[上映時間] 130分・PG-12

クラフトフェア 松本 5.27




平塚発 6:56 茅ヶ崎ー相模線ー八王子 経由 松本着10:40

3週間前に来たばかりだが、今回は配偶者がかねてから希望していた http://www.mtlabs.co.jp/shinshu/event/craftsfa.htm
 に鞄持ち兼観光ガイドとして随行。当然、コスト意識もレベルアップ。その結果、経由地も新宿から八王子へと変更された。
 
 松本駅から徒歩。前回長蛇の列で諦めた信州蕎麦やで早めの昼食。さらにクラフトフェア会場の「あがたの森」まで歩いた。雨の予報だったため、例年より人手が少ないらしいが、広い公園の散策路や広場には出展のブース、というかテントが立ち並んでいる。うわっ、巨大バザー会場、こりゃすげー。

ガラス、石、金属、染織、木工、陶芸、皮革などなど、あらゆる手工芸の作家達が全国各地から集まり、それぞれ自慢の作品を展示販売するクラフトフェア。片っ端から見ているだけで楽しい、あきない、面白い。ガラス、陶芸、染織は女性が多い。特に、染織、織物は人気が高い。

手間ひまかけて作られているから、どれもそれなりの値段がついている。本当に欲しい時は値札を気にしてはいけないが、コスト意識が求められる時にそうは言ってられない。ま、我慢できないほど欲しいものは無かったからよかった。心配された雨もなく、夕方まで会場内を回って過ごした。

1. 会場の一角
2. ガラスの下半身
3. ガラスの大臼歯

イサム・ノグチ展 横浜美術館

イサム・ノグチもレオナール・藤田も、魅力的なキャラクターで日本的な枠に収まらないドラマティックな人生を送った人、ということではよく似ている。まるで藤田からのバトンタッチかと思わせるタイミングで、イサム・ノグチの作品展が横浜で始まった。

イサム・ノグチの仕事を「顔」「神話・民族」「コミュニティー」「太陽」というキーワードで分類、構成した展示。
ノグチの多岐にわたる活動内容と期間の長さから見れば、今回の作品数は少ないと思うが、制作の広がり、振幅の大きさはそれなりに伝わってくる。

振幅が大きいから、キーワードで括るという構成が有効ということもある。意図は分かるが、展示は、時系列的な流れとキーワードの括りによる前後の流れの整理に煩わしさがあり、全体がスッキリと腑に落ちるとはいかなかった。変化が大きい人だけに、制作年代順に並んでた方がより分かり易かったと思う。

今回、金属板を構成した作品にはあまり魅力を感じなかったこと。
陶より、ブロンズより、他の何より、断然石が良かったこと。
おおらかなユーモア感覚が印象的だった。

横浜美術館。ピラミッド型の小さな屋根を挟んで、左右対称に翼が伸びた外観はスッキリした印象だが、石のステージをステップ状に構成した吹き抜けのロビーは最悪だ。見るたびにこのロビーへの嫌悪感が募ってしまう。

「我が輩は主婦である」

クドカンの昼メロ「我が輩は主婦である」
元大学のミュー研!(ミュージカル研究会)仲間の妻と夫。
やっぱり自分のミュージカルを作りたいと会社をやめた夫、ミッチーは郵便局員に転じ、理想的な嫁、斉藤由貴に降臨した夏目漱石は母性の目覚めに戸惑う。無茶苦茶な展開の中に夫婦愛やら家族の絆を描き込みながら、小ネタ、大ネタの大盤振る舞いできっちり笑わせてくれる。悔やむ、焦る、などのロマンティックな言葉に彩られたミュージカルシーンの洗練されたナンセンス。 斉藤由貴のコメディエンヌ振りも、ミッティーの受けも頼もしい。

喫茶店のセットは名作「マンハッタン・ラブストーリー」。何かが乗り移るという設定は傑作「僕の魔法使い」で実験済みだが、今回は取り憑かれ方が更にスケールアップ。 名作と傑作の良いとこ取りから何が生まれるか。いよいよ明日から三週目。いや目が離せん。