2010/12/26

ノルウェイの森

村上作品の中で最も映画向きなのは「羊をめぐる冒険」で次に「ダンス・ダンス・ダンス」だと思う。「ノルウェイの森」は洗練された変化球を得意とする村上にしては珍しい真っ直ぐな球筋の、言ってみれば肉を斬らせて骨を断つ類の作品だから、おされな映画の原作には最も向いていないように思うが、それはともかく、村上の長編が映画化されるなんてことは予想だにしてなかったから、今回の映画化が報じられた時には結構驚いた。松山ケンイチと菊池凛子というキャスティングには違和感を覚えつつ、フランス人監督が料理するという意外性が作品にどんな作用を及ぼすかってことには興味がわいた。

あれから幾星霜、めでたく完成公開なった作品を観に行ったのである。原作に思い入れがある分、カンヌで好評なんて記事に期待感そそられたりもする一方で、がっかりしたくないもんだから、多分駄目で当然であらうなどと予防線を張り巡らしたり。歳はとってもファン心理というのはやっかいである。 

こんな気分で見始めたら、案に相違して松山ケンイチなかなか良いのである。懸念していた菊池凛子も全然悪くないのである。むしろ良いのである。自死した男の恋人と親友とが取り残された故の理解と共感を深めていく前半の静けさと美しさが特に良い。水原希子もピュアな様子が自然なのだ。うれしい誤算。やっぱり予断偏見を覆して貰えるのはいい気持ちだ。 

ところが、悲劇性を深めていく後半になると、何と言うか、ワタナベの精神性に深みが感じられなくなっていくのである。海辺の慟哭からアパートでの同衾以降は、それこそワタナベという存在の核心が描かれるのだが、何と言うか、それがセンチメンタルなだけで説得力に乏しいのである。最後の台詞なども原作に忠実なのに、妙に安定感があって切実さの質がどうも違う。結局、森の外縁部を逍遥するにとどまり、森の奥まで踏み込んでいないもどかしさがある。 

そんなわけで、「ノルウェイの森」は丁寧に作られ、原作の静けさ美しさをよく反映した見栄えのよい恋愛映画になってはいる。糸井重里、 細野晴臣、高橋幸宏のゲスト出演なども、オシャレでスノビッシュな雰囲気作りに寄与してはいるのだろうが、それが作品のプラスになっているかと言えばそんなことはなく、むしろこの作品の限界を象徴しているように見えるのだった。 

自分ではちゃんと道筋をたどっていたつもりのワタナベが、知らぬ間に森の深奥部にさまよい、気がつくと自分が何処に向かっていたのか、ここがどこなのか、確かな手がかりなど何も無いまま、いつまでも途方にくれている。その途方にくれている感の希薄さが残念なのである。 
自分好みにキャスティングするなら、ナオコとミドリは水原希子と菊地凛子を逆にし、キズキは加瀬亮、永沢はARATAに配したい。

2010/12/23

ロビン・フッド

監督リドリー・スコットの脚本はブライアン・ヘルゲランドでラッセル・クロウにケイト・ブランシェットさらにはマックス・フォン・シドーまで出るとなればこりゃ期待値高止まりで観るっきゃないのである。

立派な王様の跡継ぎが馬鹿だったもんで大変な国難を招いたイングランド。ひょんなことから地位と名誉を得たロビンがキング牧師もかくやの名演説で諸侯を束ねて立ち上がり救国の一戦に勝利する。しかし・・・。というロビン・フッドの大活躍を描いた歴史絵巻。

全体に「グラディエーター」と「キングダム・オブ・ヘブン」を足して2で割ったような感じだが、いわゆるシャーウッドの森の主になる前を描いている点でロビンものとしての新機軸を打ち出している。ヘルゲランドは後に名を上げるリトル・ジョン等森の仲間達とロビンとの邂逅も自然に取り込んでそつがない。

ラッセル・クロウはリドリー・スコットに演出されると実に伸びのびとして大きく安定感もあり凄くいい。ケイト・ブランシェットは聡明でできる女の魅力発散しラッセル・クロウの存在感に拮抗というか、むしろ凌ぐ佇まい。

対するは「シャーロック・ホームズ」で神秘性を帯びた悪党の怪演が印象的だったマーク・ストロング。あの謎めいたキャラに比べると今回の悪役は若干弱かったのだが、そこは見事な死に様で喜ばせてくれるなどイイ仕事ぶり。名前までもカッコいいマーク・ストロングなのである。

イマジネーションの豊かさと絵作りの確かさ。リドリー・スコットならではの見事なシーンが目に快い。史実に則ったようなリアルさで上質のヒロイック・ファンタジーをしっかり楽しませてくれる。編集の切れ味で見せるダイナミックで迫真的な戦闘シーンなど、まさにハラハラドキドキを煽るために観客の呼吸まで自在にコントロールしてしまう匠の技なのである。フランス軍の上陸用舟艇や海岸の攻防がどんだけオマハ・ビーチのプライベート・ライアンかって事だって、類まれな監督のサービス精神が気合充分なハッタリとなって炸裂した結果なのだし、当然、大上段の素晴らしいメッセージをもしっかり支えきっている。

2010/12/22

トロン・レガシー

コンピューター内での様々なプログラムの活動を視覚化した世界。前作から20年経過したトロン界のダークにしてシャープな造形美を最新の3Dデジタル技術が描き出す。かぶさる曲がまた絵にぴったり。音楽はダフト・パンクという有名なグループらしいが、実に雰囲気を盛り上げる。

電脳界に先住民族がいて、いまや絶滅危惧種となっているという凄い話は気になったが、お姉さん型プログラムの曲線やライトサイクルの光跡など、トロン界の美しさと3D感は見応え充分。これらビジュアルの新鮮さに比べ、お話の方は父子の絆と子の自立という、最新の電脳界問題とも思えぬ古典的というか見慣れたテーマで、これを一本線の流れで、豊富な刺激とテンポの良さで語っていく。分かりやすいし飽きずに観ることができる。ここらあたり、新しさを装いながらも万人向けファミリー映画の覇者ディズニー印として枠をはずさぬ品質管理がしっかりなされているようだ。そんなところにちょいと物足りなさを覚えつつ、でも視聴覚を快の刺激で満たしてくれるアトラクションムービーとして良く出来ており、imaxシアターに出かけた労に報いてくれる映像だった。

2010/10/05

日本人のへそ

ヒッチコック、トラヒゲ、ケペル先生と言えば熊倉一雄だ。ユーモラスな吹き替えはテレビの創世記から馴染み深い。その昔、熊倉がひょうたん島の海賊だった頃、面白い台本を書く作者を見込んで芝居の執筆を依頼して作られた作品が「日本人のへそ」。この公演が評判を呼び、さらに作者は熊倉に5本の芝居を書き下ろし、それらも全て大ヒット。新進の劇作家としてあまりに鮮やかなスタートダッシュを見せ、他の追随を許さぬキャリアを築き上げていった井上ひさし。
熊倉が自分が目の黒いうちに再演したいと、41年ぶりの上演を計画したところ、井上の急逝によって追悼公演になってしまったという「日本人のへそ」。チケの発売日をうっかり忘れ、気がついたら完売でガックリ。しかし10月4日の追加公演分を確保でき、テアトル・エコー「日本人のへそ」千秋楽に行くことができた。

演劇を使った吃音治療法に臨む患者たちが、集団就職からストリッパーへと転じていく女性の一代記を演じる中から、猥雑で純情な人間達や時代の相が浮かび上がってくる。女優さんが皆さん溌剌としていて好感。男優達は適度にエロでしたたかで抜け加減もよい。ストリッパーを演ずるヒロインはステージの芯となる魅力を発揮し大変よろしかった。

処女作には作家の全てが詰まっていると言われるが、劇作も例外ではないのだろう。笑わせられながらも考えさせられる井上の特徴そのままに、軽快なテンポと動きで大いに笑わせながら、殺人事件から推理劇へと転じ、後半は一挙に緊張感が高まる。緊張感が高まるほどに緩和の効果も絶大となるわけで、意表を突く仕掛けと展開でドッカーンとドッカーンと落としてくれるクライマックスのどんでん返しはディーヴァーにも引けを取らないスケールで面白さも抜群。

若き井上の躍動感溢れるエネルギッシュでパワフルなステージに、動き、しゃべり、踊る熊倉一雄。何より生の熊倉一雄を間近に観ることができたこと。ホント良かった。

2010/08/03

インセプション

今どき夢オチなんぞは歓迎されないが、そうではなく、夢の中で情報工作をするというのがキモなのである。被害者は、巧妙に創りこまれた夢の中に導びかれ、そうとは知らぬうちに脳内の重大な情報を抜き取られてしまうのである。その抜き取り名人デュカプリオが引き受けた前代未聞の植え付け工作。デュカプリオはこのプロジェクトに向け、腕に覚えの精鋭をかき集め最高のチームを編成し、準備万端、水も漏らさぬ計画を実行に移すのであった。というクリストファー・ノーランの新作。

全人格的に精査された標的を完璧に構築された夢に迎え入れて、一大冒険アクションでペテンにかける。夢の世界は、階層が深まるほどに時間の流れが異なるとか、覚醒の手立てとかの法則に支配されている。それ自体がとても手の込んだ植え付け計画が、法則の影響を受けて更に複雑で厄介な流れに変化していく。お話は基本的に「スパイ大作戦」なのだが、デュカプリオの愛情問題がもう一つの重要な要素を構成し、更にカカシ男の父子の相剋問題等が加わってスリル、サスペンスの高まりにも文芸的な味わいを高めるべく配慮がなされている。

しかしながら、カカシ男のぼうはうまく収まっているのに反し、夫婦間のトラウマ引きずったデュカプリオが、あろうことかイマジネーション溢れたアクションシーンの流れを断ち切るのである。これが玉に瑕。夫婦愛に溢れた切ない展開だし、マリオン・コティヤールも相変わらず魅力的ではあけれど、ハラハラドキドキしている時にデュカプリオの逡巡が状況を悪くするのである。これはプロとしてもカッコ悪く、イラッとさせられるのである。高度にテクニカルなスパイ大作戦が進行し、まさにクライマックスを迎えたと思ったら、フェルプス君がいきなり下手をうって、しかもフリーズしてしまう。例えば「七人の侍」のクライマックスで志村喬が急に戦意喪失してしまうなんてのはあり得ないわけで、こうしたスリル・サスペンスの盛り上げ方ははなはだ心外であり、チームリーダーのデュカプリオ君には猛省を促したく思った。その分サブのジョセフ・ゴードン・ビレットが断然カッコよく見えたりする。

同じ悩むにしても、仮面と正義の狭間で自己同一性に苦しんだバットマンには、ジョーカーとい分身なればこその葛藤からアクションを孕んだドラマも生まれたが、訳あり夫婦の感情のあれこれをアクションと並列で描くというのは、アイディアは面白いかも知れんが流れを阻害する割に説得力が無かった。

そもそも、「レボルーショナリー・ロード」「シャッター・アイランド」「インセプション」とデュカプリオは近作全てで奥さんとうまくいってないのである。うまく行かないというより、3作とも、思いっきり不幸に突き進んでいく奥さんの旦那という神経症な役回りなのである。こんな役ばかりやってるから眉間のシワが益々深いわけで、たまにはコメディとかやればと思う。やはり、タイタニックでノミネートもされなかったのがトラウマになっているのであろう。

それはともかく、不思議なイメージ満載の独創的なビジュアルや幻惑的なアクションはなど、意表をつく映像は、まさに映画ならでは魅力と楽しさに溢れて大した見応えなのである。いや実に素晴らしい。

良く考えてみれば、夢の中で秘密を盗むというのはかなり効率が悪いやり方なのである。これがKGBやらCIAなどの国家権力だったら、強力自白剤の大量投与で簡単にケリをつけるところだろう。民間はそんな乱暴より洗練されたエレガントな手口を大事にするものなのだな。

マイケル・ケインがデュカプリオを優しく迎える場面からは、クリストファー・ノーランがこのメンツでバットマンを撮りたい気持ちが強く感じられる気がしたのである。

2010/04/12

「組曲虐殺」は良かった。

ここ数年、ステージの面白さに目覚めたにわか演劇ファンとして、井上ひさしは一般常識として押さえておきたい、といった浅薄な思いから「薮原検校」と[ロマンス」を観たのが2007年だった。翌年には「道元の冒険」と「表裏源内蛙合戦」の豪速球に圧倒された。さらに林芙美子を描いた「太鼓叩いて笛吹いて」、昨年の小林多喜二を描いた「組曲虐殺」と観てきた。どの舞台も素晴らしかったが、中でも「道元」「源内」「虐殺」の3作は、巧妙な作劇と絶妙なユーモアとで人の何たるかが鮮烈に描き出され、深く感動した。それまで、井上ひさしの小説もまともに読んだことは無かった。ひょうたん島やてんぷくトリオの座付き作者としての仕事は知っていたから、小説やステージも分かったような気持ちで予断、偏見のかたまりになっていたのだと思う。ところが、短期間のそれも僅か数本の観劇だったが、舞台を観れば観るほど井上ひさしという人の偉大さを実感させられた。見事な仕事。見事な生き方。最も信頼にたる日本人の一人だったとも思う。ご冥福を祈らずにはおれない。

2010/02/11

3時10分、決断のとき


妻には苦労をかけるばかり子どもたちの期待にも応えられない不甲斐なさに為す術もないクリスチャン・ベールは、借金返済のために強盗団の首領ラッセル・クロウの護送任務に加わる。首領を奪回しようと待ち伏せる強盗団やアパッチの脅威に晒されながら、タイムリミットに向けて男たちの怒りが爆発する。エルモア・レナードの短編が原作で、50年代に映画化されている。どちらも未見。

昨年の公開だが製作は3年前。同じく昨年公開の「消されたヘッドライン」では体ブクブク顔パンパンの過度な肥満体だったラッセル・クロウも、この頃はまだ単に肥満傾向だったとよくわかる。この肥満が悪のカリスマ振りに程良く映えてメッチャクチャに格好いいのである。ラッセル・クロウ演ずる強盗団の首領は知性的で非情で愛嬌があって狂気に触れているという複雑なキャラクター。儲け役としか言いようがないくらいにこれをスケール大きく演じて滅法魅力的だ。対するクリスチャン・ベールはヘタレ感の漂う実直な家族持ちのカウボーイという地味な役どころを焦燥感滲ませながらしっかり見せてくれる。ラッセル・クロウ逮捕に執念を燃やす老探偵のピーター・フォンダの硬質なキャラもとても良い。ボス想いの強盗団NO.2の一途さも泣かせるだ。どのキャラもしっかり立っているからそれぞれの行動に納得でき、ゴールに向けて面白さが定位した。

男達の自立の物語であり子供の成長譚としても胸を打つお話になっている。ショボイ父親と輝かしいアウトローを見つめた子供の目線に立てば、あの「シェーン」アラン・ラッドに比肩するラッセル・クロウのガンファイトなのである。前作「ウォーク・ザ・ライン」も男臭さが匂い立つ良い作品だったがジェームズ・マンゴールド男を描いてとても良いのである。

DVD レンタル


原題:3:10 to Yuma
監督:ジェームズ・マンゴールド
製作:キャシー・コンラッド
原作:エルモア・レナード
脚本:ハルステッド・ウェルズ、マイケル・ブランド、デレク・ハース
撮影:フェドン・パパマイケル
音楽:マルコ・ベルトラミ
製作国:2007年アメリカ映画
上映時間:2時間2分
ラッセル・クロウ、クリスチャン・ベール、ピーター・フォンダ、
グレッチェン・モル、ベン・フォスター、ダラス・ロバーツ、

2010/02/07

Dr.パルナサスの鏡


人の欲望を映し出す不思議な鏡が呼び物のパルナサス一座は貧しくも楽しい巡業の日々を送っていた。悪魔と取引した博士は目前に迫った返済期限にも為す術がない。このままでは悪魔の取り立てに屈し、最愛の娘を奪われてしまう。そんな時に転がり込んできた謎めいた男が、思いがけずに突破口を開いてくれる。

テリー・ギリアム一流のファンタジックな、というよりグロテスクな極彩色のイメージが次々と繰り出される中、貴族的な風貌と存在感が魅力のクリストファー・プラマーが狡猾でユーモラスなパルナサス博士を思い切った汚れ役で楽しそうに演じ、悪魔に狙われた娘リリー・コールが強烈なフェロモンを発散し、ヒース・レジャーが更なるいかがわしさを加えて、確かにこの猥雑さエロティシズムはギリアム印だ。しかし全体は案外上品で大人しくインパクトに欠けた。もし自分の欲望があの鏡に反映されたらと考る方がよほどのインパクトだが、それはともかく、クリストファー・プラマーと悪魔トム・ウェィツのやりとりには愛嬌があり、そこからはこれまでにない寂寥の気配が漂ってこれは悪くなかった。

ヒース・レジャーの死後、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの3人が演じ分けたパートは思いのほか長く、これでよく完成させられたものと感心したが、3人が入れ替わる設定によって一応の繋がりは見せているものの、やはり唐突さは免れない展開で、流れから見ていかにもすわりの悪さが気になった。これがヒース・レジャーだけで完成していたら、味わいは随分異なっていたのだろうと思った。興行的には女性客の動員につながったようで、客席ほとんどが女性で埋まった光景はテリー・ギリアムではない感じだった。

2010/02/06

インビクタス


反アパルトヘイトの活動家として30年近く獄につながれていたマンデラが、新大統領として官邸に入った朝、新政権の黒人職員達は士気高揚とし、旧政権を支えた白人職員達は馘首を覚悟し戦々恐々としている。職員を一同に集め、マンデラは色の違いを越えて国の為に働いて欲しいと説く。

アパルトヘイトから民主国家へと定めた進路が、新たな人種間の対立と憎悪を生み出しかねない困難な状況にネルソン・マンデラはどう向き合い、自らの国家観にしたがって、どのように国を導いていったか。護衛官達をはじめ側近やラグビーチームなど大統領を取り巻く人々との関係を通して洞察とコミュニケーションの能力に優れたマンデラの人となりを丹念に拾い上げ、状況の変化も鮮やかに、国をひとつにしようと苦慮する男の肖像が描きだされる。
マンデラの人間性をモーガン・フリーマンが余す所なく伝えてくれているようだ。出演者は皆自然なキャラクターを感じさせて素晴らしい。何より、大きな構えの内に繊細さと簡潔さで迫る映像。イーストウッドの語り口に同化する至福。

本でも映画でも、まあ娯楽作品においては、状況の打開や、問題解決のために最も多用される手段は暴力だ。正義が悪を叩き潰すカッコいいヒーロの姿に慣れ親しみ楽しんできた。これからもそうしたカッコ良さを楽しむだろう。クリント・イーストウッドもそのようなフィールドでキャリアを重ねてきたわけだが、グラン・トリノを越えて、このように問題解決を暴力に委ねない極めて稀な作品を放ってくるというのは凄いことだ。今まで見てきた誰にもまして、モーガン・フリーマンのマンデラはカッコいい。そのかっこよさに何故か泣けてしまい前半は殆ど泣きながら観ていた。映画で泣くことはあっても大概数秒で押さえ込めるのに、こんなにダラダラと泣かされ続けた映画は始めて。年取ったせいかも知れないが、マンデラのことも勉強する。

2010/02/04

ラブリーボーン


子供は親のことなど眼中にないが、親がどれ程子供のことを気にかけているものか。子に先立たれた親の痛ましい報道に接する度に、家族が抱え込まざるを得ない辛さ、察するには余りある絶望を思わずにはいられない。この映画は、変質者によって非業の死を遂げた少女を軸に、家族が負った傷の深さが描かれる。主演のシアーシャ・ローナンは人生の一定期間にだけ存在できる少女としてこの上ない美しさ。その妖精のような輝きが厄災の種となり、その魅力が映画全体を支えていく。死者が死者であることを宣言するオープニング。犯人は素知らぬ顔で隣人を装い、家族は断絶を深め、未練を残す少女は成仏できない。シリアル・キラーはのさばり続けル中、被害者家族だけが救われない。刑事も霊能者も出てくるのだから、通常なら犯人逮捕に向けサスペンスが高まって行くところだが、それらの要素を全て外されてゆく。警察も法も機能しない。家族も観客も救われないのである。設定はファンタジーだが、展開はまことに現実的だ。犯人逮捕のカタルシスでは解決できないのが家族の苦しさであり、家族であるからこそそれを越えることができるのだと再生への筋道が慰謝の願いと祈りをもって描かれている。ハリウッド・メジャーの配給でもこのニュージーランド製はカタルシスの方行が異なっていて味わい深い。天国の入り口は描かれるが天国そのものは描かれないのと同様に地獄は落下のイメージで暗示されるに留めている。最後の最後迄法律とか社会正義に頼らない価値観こそピーター・ジャクソンの想いだろう。

2010/02/03

「束芋」 断面の世代 横浜美術館


新聞小説の挿絵とアニメのインスタレーションで構成された展示。作者の関心はメタモルフォーゼにあるようで、体や内臓が様々に変容していくイメージが繰返される。これも身体性を意識する、あるいはこだわりか、バーチャル度を高めていく社会が強く意識されているようだが、批判的な視線は感じられない。20世紀前半ののアバンギャルドを思い起こさせるようなイメージもあるが作品には破壊的なところはなく、結構スマートかつクールな様子でまとまっている。何だかスルっとすり抜けていくようでどうも取っ掛かりが無いのだ。何と言うか、モツ煮込みのようなのだが、モツ本来の臭みや歯ごたえはなくて、モツが洗練された感覚でお洒落に料理されているような感じなのだった。熱いけれど冷静なのだ。

「内藤 礼」 展  神奈川県立近代美術館 鎌倉


鶴ヶ丘八幡宮境内の木立に建つ、直線で構成された美術館はいかにも近代というに相応しいモダンなシルエット。くたびれ具合も程よく、いつ来ても静謐な佇まいは魅力的だ。
その環境、建物の全体を大胆に使いながら、作家は繊細でしなやかな空間を創り出した。
都市の利便性がもたらす恩恵。しかし予定にしばられ、ネットに依存し、情報に振り回される毎日。管理体制は強まる一方で何もかもが複雑化、あるいはブラックボックス化するリアル社会にストレス募らせ、それだけに一層バーチャル化も加速する。次から次に生み出される様々な病理現象に到底対応仕切れない現代社会。そのような状況に人はどう対することが出来るか。内藤礼は展示ケースの中にギャラリーを招き入れて静寂を聞けと言い、闇の深さを思えと言う。空中に吊るしたリボンを揺らす風の恵みに感謝し、空の青さに畏敬の念をいだけと、あるいは、目を凝らせなければ見えないものを見ろと、そんな風には言っていないが、言っているように感じたのだった。アバターもサロゲートも内藤礼も言っていることは同じ、身体性の回復。五感を楽しませ想像力を羽ばたかせる。都市生活者は野生を忘れてはいけない。自然との回路はいつでも開かれているのだ。そうなのだ、チャンネルはオープンなのだと美術館を出れば、境内には真冬の風が吹き渡る。鎌倉時代にも吹いた冷たさだろうか。

「サロゲート」


自宅のコンソールからロボットを操作して全て処理させることが可能になった未来。システム上あり得ない殺人事件が発生。やがて世界を揺るがす大陰謀が浮かび上がる。「アバター」に次いで、高度に発展した在宅勤務のバリエーション展開という状況設定は一緒だ。まあ、こちらはロボットという違いはあるが、未来は何もしない安楽な生活が実現し人間性はスポイルされるだろう見通しはすっかり定着したようで、最近はこういう設定の話が増えてきた。「ウォーリー」とか。さて、そのブルース・ウィリスの分身ロボット、髪の毛フサフサ、シワ一つないツルンとした顔で捜査に当たるが、事態が込み入ってくるとやは生身じゃなけりゃ埒があかんとハゲでシワシワのポンコツ振りを晒しながら大活躍。低予算だがしっかり作ってあるし、短時間でコンパクトにまとまっているところも好ましいSFアクション。このB級感覚が楽しくて好きだな。

「母なる証明」


去年、評判が高かった韓国映画。劇場で見るのは諦めていたが小田原コロナにかかったので見に行く。
殺人容疑で逮捕された知恵遅れの息子と無実を信じて真犯人の究明に奔走する母親。冬枯れの野原に女が一人踊り始める奇妙なオープニングから、何だか目が離せなくなる。主人公の母親の生活感、存在感と力強い演出がうまく噛みあって画面には重量感がある。母親の思いが通じて無垢な息子の冤罪が晴らされるか、と思わせて意外性を高める後半のタフな展開も素晴らしい。この監督は過去に怪獣のジャンル映画と見せて凶暴なホームドラマにしてしまった「グエルム」という作品がある。あれに照らせばこれも母という名の怪物を描いたホームドラマと言える。単に「母」とシンプル極まる原題を「母なる証明」とした邦題は、曰くあり気でとても上手い。
ところで、「グエルム」も「母なる証明」も骨太でパワフルな面白さは分かるが、どうも魅力を感じない。この母親も印象的だが、顔の表情で見せる芝居は仲代達矢的な技巧が炸裂して好みではないし、息子のイノセントな様子もあざとく感じてしまう。この監督絵作りはセンスが良いし語り口も力強い。才気煥発で実力もあるが。だがここと言うところで作為、あざとさを感じてしまうことがしばしばで、どうも相性がよろしくないのをである。

「アバター」


09年の見納めだったアバターだが愚息1号と帰省中の2号を伴って東宝シネマズ小田原で再見。
前回の平塚シネプレックスに比べ、東宝シネマズ小田原の遥かに高解像な映像にビックリ。どちらもXpand方式なのだが、この違いは一体何だ!隅々まで入念に作りこまれたディティールがより鮮明に映っている。映像の素晴らしに改めて感動した。ところが、その後 『アバター』3D全方式完全制覇レビューhttp://itsa.blog.so-net.ne.jp/2010-01-15 というブログを読むに及んで、俄然IMAXが見たくなり、再度1号2号を道連れに、川崎のIMAXシアターへ。ウーン、スクリーンサイズ、光量、明度、彩度、音響、全然別ものなのだった。吹替版だったのも文字が無い分絵に集中できたので大正解。

2010/01/05

09年のまとめ 舞台編


1月
歌舞伎座 昼 俊寛 花街模様薊色縫 十六夜清心 鷺娘
国立劇場 象引 十返りの松 甫競艶仲町
紀伊国屋 しとやかな獣 (ケラリーノ・サンドロビッチ) 

*鷺娘(玉三郎)が印象に残った。
*いきなりオッパイ鷲掴みにされた緒川たまきにびっくりしたら公演後ケラと結婚。納得した。 
2月
コクーン パイパー(野田秀樹)

3月
歌舞伎座 昼 元禄忠臣蔵(刃傷 評定 綱豊卿) 
       夜 元禄忠臣蔵(南部坂 仙石屋敷 最後の一日)
赤坂ACT 蜉蝣峠 新感線

*元禄忠臣蔵の通し 綱豊卿の仁左衛門が実によろしかった。 
*蜉蝣峠 立ち回りで最高の頑張りを見せた堤真一は良かったが、クドカンの脚本は下世話でスケールに乏しく面白みに欠けた。

4月
歌舞伎座 昼 先代萩
        夜 毛谷村 郭文章 曽根崎心中

*先代萩 玉三郎の政岡は情より知がまさる感じでもう少しふくよかさが欲しかった。
   
5月
歌舞伎座  夜  毛剃 夕立 神田ばやし 鴛鴦襖恋睦
新橋演舞場 昼 金閣寺 心猿 近江のお兼 らくだ

*馬の引き抜きなんて思ってもみず、茶色の馬が白に変わった近江のお兼にはびっくり。

6月
鎌倉芸術館 トワイライツ (モダンスイマーズ)
国立劇場   華果西遊記 

7月
コクーン   桜姫(現代版)
歌舞伎座  昼 五重塔 海神別荘
鎌倉芸術館 松竹大歌舞伎 東コース

*海神別荘の玉三郎と海老蔵のオーラ、美しさが格別だった。夜の「天守物語」のチケが取れなかったのが残念至極。

9月
歌舞伎座 昼 竜馬がゆく 時今也桔梗旗揚 お祭り 河内山
       夜 浮世柄比翼稲妻 勧進帳 松竹梅湯島掛額
日生劇場 ジェーン・エア
平塚市民s 清水ミチコ トーク&ライブ
 
*ミッちゃん最高!

10月
コクーン  コースト・オブ・ユートピア
国立劇場 乱歩歌舞伎Ⅱ(京乱噂鉤爪)
歌舞伎座 昼 毛抜 蜘蛛の拍子舞 河庄 音羽獄だんまり
       夜 義経千本桜(渡海屋 大物浦 吉野山 方眼館)
演舞場 蛮幽記 新感線
銀河劇場 組曲虐殺(井上ひさし)
  
*悪逆非道な人間豹がいつの間にか憂国の士に。人間豹を龍馬にしてどうする。乱歩と司馬遼の区別もつかない乱歩歌舞伎Ⅱ最低。
*文句なしに面白かった「蛮幽鬼」。中島かずき、いのうえひでのりは日本一の作、演出家。
*小林多喜二の生涯を重くならず軽やかに。悲劇を描いて明るく楽しい舞台にしてしまう井上ひさしに刮目。本年屈指の名作「組曲虐殺」
  
11月
歌舞伎座 昼 仮名手本忠臣蔵(大序 三 四段目 道行) 
    夜 仮名手本忠臣蔵(五 六 七 十一段目) 
コクーン 十二人の怒れる男
       
*蜷川演出の「十二人の怒れる男」俳優達の熱演も含めて、シドニー・ルメット作品の素晴らしさを再確認。

12月
歌舞伎座 昼 身替座禅 野崎村 大江戸りびんぐでっど
国立劇場 修善寺物語 頼朝の死 一休禅師
コクーン  東京月光魔曲
 
*「大江戸りびんぐでっど」クドカンの新作歌舞伎。新聞などでは毒気が強く歌舞伎座の客に合わないなどと叩かれていたが、時代に即した内容と真当な批評性を取り込んだ物語に遊び心あふれた見せ場を配して世話物にまとめた意欲作で楽しく面白く客席も結構な盛り上がった。
*国立劇場も新歌舞伎を上演していたが、陰気で重苦しい演目は役者さんたち熱演だが楽しめなかった。
*「東京月光魔曲」ケラの新作は新年のカウントダウンも楽しめるいろいろ趣向を凝らし、豪華キャストの大作。色と欲とで振り回される男女のとりとめのない話を耽美5、喜劇3、猟奇2ぐらいの配分で語っている。耽美と喜劇は両立し難くあるが、松雪泰子とともに耽美方面を受け持った瑛太が凄くカッコよく、立派に重責果たした。喜劇方面を受け持った大倉孝二は可笑しさに哀感漂わして味わい深い。伊藤蘭ちゃんは勿体無い使われ方で実に残念。

2010/01/01

2009年 映画のまとめ

09年に劇場で見た65本(邦画15本)その中からとても楽しめた10本 順不同

ザ・バンク 堕ちた巨像 
グッケンハイム美術館にカメラが入ったんだと物珍しく眺めていたら、いきなりの激しい銃撃戦であっという間にギャラリーがズタボロになったのが強烈なインパクト。でネットで全部セットを組んだのだと知り納得。作り手の意気込みが作品を厚くする。それを抜きにしても脚本演出役者全て水準を抜いている。

ウォッチメン      
アメリカンなヒーロー像を辛辣に解体しながらも理想主義に含みを残す。素っ裸で青く輝くDrマンハッタンの時代に、ロマンティックな故に哀感ただよってしまうロールシャッハの貧乏ったいハードボイルド振りは泣けた。

007 慰めの報酬

96時間

くもりときどきミートボール3D  
集団的自衛権を行使するジャンクフードが空を覆い尽くし、ピザやフライドチキンが襲来する。思いっきりシュールな悪夢。今日性に溢れた素材に父と子の相克という普遍的なテーマで切り込んだドラマは大人にも通用する深みがある。過剰な可愛さで観客に媚びないキャラクターデザインも原色多用のポップな色彩も主張が明確で好感した。ボケたギャグもシャープ。これは意外な秀作なのだった。

グラン・トリノ     
「許されざる者」以降の作品は重さも陰気さも半端じゃなくて、面白いが2回見る気にならなかったが、この軽やかさはどうだ。主人公は自動車産業の栄光と共に、つまりはアメリカの栄光そのものを生きたことを誇りとする老人だが、その差別的言辞や苦々しさに歪む表情や独特の笑顔、そして何よりブラフのかけ方において、完璧にハリー・キャラハンであることに感動した。後日、オバマが{GMを救済」との報道に接した折には、老人がアメリカの伝統、文化を象徴する愛車のキーを有色人種の少年に託した場面が見事に重なり、老監督の視線の深さに改めて感じ入ったのだった。
ローハイドからマカロニ・ウエスタンへ転じドン・シーゲルと出会いマルパソカンパ二ーで独立し、ソンドラ・ブロックを経てアカデミー監督となるもB級扱いの偏見の壁は厚かった。そこから先の充実した仕事振りは他に比類がない。最晩年といえる歳に至ってなお、このような瑞々しさに溢れた豊穣な作品を連打するクリント・イーストウッドという名の驚異。
                   
イングロリアス・バスターズ
タランティーノの脳みそは過去に見た映画の記憶とこれから作りたい映像だけで出来上がっているのじゃないか。例えばドレスアップし入念にメークアップするメラニー・ロランをアップで捉えたシーンは「グライド・イン・ブルー」の白バイ警官が鏡の前で装備に見を固めていくシーン思い出させる。他にも至る所に色々な映画の記憶を喚起させるようなシーンが見られる。しかし一番の面白さは、農夫と大佐の会話に何故が緊張感が高まってゆく場面の観客をブラインドサイドにおいた演出の見事さ、かと思えば今度は逆に手の内バラしていつ発火するかとサスペンスを積み上げていく酒場のシーンの緊張と緩和のダイナミズム。ダイアン・クルーガーの足の包帯を心配する素振りから一気に狂気へと振れる大佐の意外性。ナチは悪でアメリカは善というような図式とも無縁に悪いヤツはドッチにもいるというのも説得的。嬉々としてバカをやるブラピがホントに馬鹿に見えた分、クリストフ・ヴァルツがより賢く見えたたものの、最後はきっちりと帳尻を合わせる。もうタランティーノ自由自在なのである。

アバター3D
3D元年と言われるほど普及し始めた今年。3Dで見たのは センター・オブ・ジアース モンスターvsエイリアン ハリーポッター・謎のプリンス ボルト くもりときどきミートボール ファイナル・デッド・サーキット クリスマス・キャロル カールじいさんの空飛ぶ家 アバター の9本。このうちで3D表現と内容とに必然性を感じさせる点においては、「ポーラー・エクスプレス」から「ベオウルフ」といちはやく3Dni取組んできたロバート・ゼメキスが「クリスマス・キャロル」で一日の長の余裕を見せつけた。立体表現といっても刺激としては要するにこっちに来るかこっちから行くかだけというシンプルさだ。だから見せ方には工夫なければ長時間の鑑賞はきつい。その点ロバート・ゼメキスの演出はよく計算されていたて。意外にも平板で面白さに欠けたのは「カールじいさんの空飛ぶ家」。これは内容も底が浅く暴力性が高く救いが無いなどがっかりさせる作品だった。これらの中でアバターはスケールも品質もケタ違いの3D映像で誠に見応えがあった。例えて言えば全編フランク・フラゼッタの絵がフルアニメで動いているような密度と迫力なのだ。ウーン、お話や設定には穴もあるが、とにかく革命的に凄い絵のつるべ打ちだ。

2012
絵の凄さでは2012も負けていない。ローランド・エメリッヒの映画を見たからって何がどうってこともないが、ローランド・エメリッヒがいなかったら、映画界の楽しさはきっと何割か不足してたような気がする。狂気に支えられた仕事のなんと魅力的こと。

this is it
思いがけなくマイケル・ジャクソンの魅力と誇りを持って自分の仕事をする男のカッコ良さをみせて貰った。



次点 スペル、バビロンA.D ベンジャミン・バトン ウォーロード 風が強く吹いている.


日本映画で印象に残ったのは「風が強く吹いている」「南極料理人」「劔岳 点の記」など。

ローマ字やカタカナ表記の時代劇は外人向けの異国情緒やCGに頼った絵作りなど、安っぽさが良く似ていた。
「沈まぬ太陽」はエアラインを舞台に人の生き方を問う内容でありながら、飛行機が飛ぶシーンがチープで嘘くさい。肝心要の絵をおろそかにしているから役者の熱演も空回りするようだった。だから、箱根駅伝のレースシーンを自然なリアルさで見せた「風が強く吹いている」が一層爽やかに見えた。
「笑う警官」は原作を読んでいたし、「ハゲタカ」で魅力的だった大森南朋主演なので見に行ったのだが、角川春樹の脚本演出に唖然とさせられ、途中からは、大家の義太夫を無理やり聞かされる店子のような気分になった。義太夫に比べたらこちらは金を取られた分より悲惨なのだった。
15本だけで言うのはおこがましいが、今や日本映画界は滅びへの道をひた走っているような感じがする。「ディア・ドクター」「空気人形」を見れなかったのは残念だが、見ていたとしてもこの印象は変わらないような気がする。多分