2006/11/19

トゥモロー・ワールド


西暦2027年。人類に子供が生まれなくなって18年。世界はファシズムとテロルと絶望に覆われていた。

「ハリー・ポッターとアズカバンの囚人」で評判を呼んだアルフォンソ・キュアロン監督がJ・K・ローリングスの「ハリー」を断って挑ん だP・D・ジェイムズ「人類の子供たち」の映画化。この作品に関わったスタッフ・キャストの仕事振りの凄さ、素晴らしさ。

60年代以降、SF映画に描かれた近未来は終末戦争後の荒廃した世界が主流で、そこにチャールトン・ヘストンからケビン・コスナー、シュワちゃん へと至るスター達が人類の栄光を回復すべくハードな闘争を繰り広げたもんなのだった。90年代には核戦争から環境破壊へと終末の光景も変化した。さらに、 人類の主体性放棄、テクノロジー依存という新たな病理を、高度なCGで斬新にイメージ化した「マトリックス」3部作も生まれた。

「マトリクス」の世界観は示唆に富み、問題の提示と解決法も最高の映像技術に支えられて力強く、大いなる説得力を持つ傑作だった。そう言う人はほ とんどいないが。それはともかく、その「マトリクス」さえ人類の未来を自明のこととしている点で、脳天気とそしられても仕方がない。 誰から?。もちろんトゥモロー・ワールドから。

子供の生まれない世界とは既にメタファーですらなく、今やエイズに対して世界が直面している問題だ。そこに真っ向から切り込み、人間と社会の多面 性を多彩に描きながら展開するのは、お宝争奪のスリリングな追っかけであり、次から次へと襲いかかる苦難をスリルとサスペンス漲ったアクションで乗り切っ ていく冒険譚。

沈鬱なロンドン市街。訳もわからず不条理な状況に巻き込まれた中年男の戸惑い。クライブ・オーウェンの煤けて草臥れきった様子が作品全体のトーン を見事に統一する。クライブ・オーウェンに寄り添うように、彼の見るものを観客にも提示していくカメラ。市街地も田園も荒廃し人々には絶望だけしか残され ていない。全てが色あせ鬱々とした作品世界に、こちらの感覚も浸食されていくような気持ちにさせるカメラの表現力。その陰々滅々に一筋の光明が灯り、主人 公の地獄巡りが本格化していく。いくつものエピソードは展開も波乱に富んでいるが、中でもマイケル・ケインの演技は深みと豊かな陰影を湛えていて胸に迫っ た。

地獄巡りの頂点として主人公が遭遇するのが、クライマックス8分のワンショットシーンだ。この長回しは真に素晴らしい。長回しは、「史上最大の作 戦」の空撮も有名だが、迫真的でバーチャルリアルに恐ろしさを感じさせる点において過去に例が無い。近似値はプライベートライアンのベニスビーチ上陸シー ンだがスピルバーグとは方法論が違う。迫力と醍醐味においてエポックを画している。比べるものがあるとすればポチョムキンの階段シーン以外にない。

こうした表現の素晴らしさ全てを、人類の未来への真摯な祈りへと奉仕させ、優れた娯楽作品へと結実させている。その志の高さと面白さ。今年度断トツの1等賞だ。

原題:Children of Men
監督:アルフォンソ・キュアロン
脚本:アルフォンソ・キュアロン、ティモシー・J・セクストン
撮影:エマニュエル・ルベッキ
出演:クライブ・オーウェン、ジュリアン・ムーア、マイケル・ケ  イン、キウェイル・イジョフォー、クレア=ホープ・アシティ
2006年イギリス、アメリカ合作/1時間49分
配給:東宝東和

カポーティ


冷血を読んだのははるか昔だ。細かなことは覚えていないが、強烈な読書体験だったことはしっかり記憶に残っている。怖さと同時に、そのスタイルが格好良かったことも。

その後、冷血をしのぐような事件は枚挙にいとまがない。そうした時代だ。「冷血」が無ければ生まれなかっただろう作品もその後は多いが、冷血を凌ぐような作品はない。文学上の、時代という意味でもエポックを画した冷血とは、どのようにして書かれたか。


フィリップ・シーモア・ホフマンが製作者だったとはエンドクレジットを見るまで知らなかった。嫌みな程のカポーティな演技も、他からのオファーで なく自作自演だったかと知ればシーモア・ホフマンの自信、野心の程も偲ばれる。しかし傲慢だろうと嫌味だろうと、とにかく自分で作ってアカデミー主演男優 賞を取っちまったんだから凄い。何より素晴らしい作品だった。実に大したもんなのである。

で、アカデミー賞を始め各主演男優賞総なめではあるが、特徴の多いキャラで演技的にはやりやすかったのではなかろうか。むしろ対話がメインの地味 な展開を秩序よくまとめた脚本と、それを冴えた絵作りで見せきった演出の安定感が印象的。聞けば初監督作品だという。そうとは思えぬ風格が見事。カンザス の冬枯れの大地を望遠するカメラの美しさから音楽、衣装、美術と画面の隅々に至るまで、入念な神経が行き届き刺激のレベルが高い。

シーモア・ホフマン入魂の粘着質なカポーティーが硬質な空気の中を徘徊する。その気色の悪さを魅力に変えたのはキャサリン・キーナーの功績。優しさと聡明さに溢れた女性を惚れ惚れするようなクールさで演じ魅力的だった。

監督:ベネット・ミラー
出演フィリップ・シーモア・ホフマン 、キャサリン・キーナー
上映時間 114分

ウインター・ソング

金城武が雪の中で泣いたり走ったりするウエットな予告編を何度も見せられたが興味の他。今回時間の都合から他の選択肢が 無く、つい見たのだったが、いや、実にどーも。金城君には申し訳ないが、こんなダイナミックなミュージカルシーンが炸裂する面白作品だったとは思っても見なかった。

北京で将来の映画監督と歌手を夢見る恋人同士。苦学をしながら愛を育むが辛い別れも待っていた。十年後、映画俳優となった二人はミュージカル映画の共演者として上海の撮影所に再会するが。

映画の撮影に重ねて過去と現在がフラッシュバックし、愛の行方が定められる映画内映画。これをミュージカルでやるもんだから。始めは大いにとまどう。中国語のミュージカルナンバーは、聞いてて何だか落ち着きが悪いのだ。これって差別意識、というより単に聞き慣れない故の違和感。

ダンス・ナンバーがかっこいい。カットの刻みすぎと決めのポーズの多用って編集テクニックで逃げてるきらいはあるが、曲そのもの、踊りそのものに高揚感があってとても気持ちいいのだ。中国語のミュージカルナンバーも慣れてしまえば自然に入ってくる。

理想と現実の狭間で流されていく愛の行方、それ自体に新味はないが描き方には隙が無い。三角関係の一角を占めるジャッキー・チュンの素晴らしいボーカルには痺れたし、クライマックスを盛り上げる空中ブランコシーンの格好良さには映画の醍醐味が溢れている。金城武の甘いマスクも効果的だったし、女優さんも良かった。キャスティングのバランスもストーリー展開も落ちも文句ない。

原題も邦題も口にするにはちょいと恥ずかしいが、良いもん見せて貰った。「オペラ座の怪人」などよりはるかに洗練された演出で見せる面白作品。


[題]PERHAPS LOVE 如果・愛
[監][製]ピーター・チャン
[総]ルイス・ペイジほか
[製]アンドレ・モーガンほか
[脚]オウブレイ・ラムほか
[撮]ピーター・パウ
[出]金城武 ジョウ・シュン ジャッキー・チュン チ・ジニ

トンマッコルへようこそ

朝鮮戦争のさなか、山奥の村にアメリカ空軍機が不時着。時を同じくして人民軍兵士と韓国軍兵士が吸い寄せられるように集 まってくる。牧歌的な村に一触即発の緊張が一気に高まるが、村人の伝統と秩序に則った暮らしは揺るがない。対立する兵士達の険しかった表情も次第に穏やか さを取り戻す頃、戦雲はトンマッコルの上空に及んでくる。

南北分断によってもたらされる悲劇をドラマティックに描き、統一への強い思いを訴えた「シュリ」や「J・S・A」から5年。「トンマッコルヘようこそ」は同じテーマをファンタジックに描くという、全く異なるアプローチで見せている。流れた時間がもたらした意識の成熟。

南北双方の兵士の顔が魅力的。朝鮮文化を象徴するトンマッコルの美しさと暮らしぶりも説得力がある。見所だってたっぷりある。がしかし、何かにつ けてべたなのである。韓国映画にべただと文句を言うのは、刺身が生だと言いつのるに等しい難癖だと承知はしているが、べたべたなのだ。

べたべたであるうえに、肝心なところはすべからくあざといのである。これを様式美と割り切れればいいが、当方はディテイルの統一リアリティの充実に対する欲求が強く、そこが充たされぬことには気持ちも納まらない難儀な性分なのである。
国家統一という大義名分をファンタジーとして描いた意欲作であり、制作者達の誇りと意気込みも十分感じられるが、スローモーションを多用した自己陶酔気味な映像も少なくない2時間12分。観客の生理から言えば、いかにも長い。

英題:Welcome to Dongmakgol
監督・脚本:パク・クァンヒョン
脚本:チャン・ジン、キム・ジュン
音楽:久石譲
撮影:チェ・サンホ
出演:シン・ハギュン、チョン・ジェヨン、カン・ヘジョン、
   イム・ハリョン、ソ・ジェギョン、リュ・ドックァン
2005年韓国映画/2時間12分

2006/11/05

父親たちの星条旗


激烈を極めた硫黄島上陸。艦砲射撃で形が変わってしまったというすり鉢山の攻防。山頂に星条旗を掲げた兵士達の写真から政治的に生みだされたヒーロー達。彼らがかり出された新たな戦場と、思いも寄らぬ闘いの日々。

「ミリオンダラーベイビー」の後、イーストウッドが硫黄島を撮るとの記事を目にした時、戦争映画、しかも硫黄島という素材は年齢、体力的な限界を 超えているだろうと危うく思った。そもそも、ワーナーはイーストウッド作品の廉価DVDをやたらリリースするなど、以前から冷たいし、金の工面からして厳 しいのではないかと半信半疑だった。

しかし、そんな勘ぐりとは別の次元にこの作品は出来上がっている。パワフルで苛烈な戦闘シーンは「プライベート・ライアン」以降のもの。「パール ハーバー」以降のリアルを極めたCG映像。クリント・イーストウッドがこれほどCGを駆使した、大がかりな作品に挑むことを一体誰が想像しただろう。

イーストウッドをこの作品に駆り立てものの一つに、好戦的なブッシュの政治姿勢に対する危惧や懸念を見て取ることは容易だ。その意味では、ブッシュには、この作品の制作者として名前がクレジットされる資格はありそうだ。だが、だとしてもそれは作品のほんの一部にすぎない。

硫黄島とそこから生まれた悲劇を追うカメラから、反戦メッセージをくみ取るのは容易だが、あらゆる主義主張、善悪の概念を越えて、クリント・イー ストウッドの眼差しは深い。だから、例えば官僚への批判はあっても安易な断罪はない。全てを観てきた男の諦観か、いや、その曇らぬ眼差しは、あるいは神の 視点に最も近づいた人間のものかもしれない。長生きしなければ見えてこないものは確かにあるのだ。

無駄のない語り口。行き届いて隙のない絵造りで戦争を描き、人間とは何かをジワリと浮かび上がらせる。世界の有り様をあるがままに見つめ、あるが ままに描き出すイーストウッドの高貴なる魂。誰も届かぬ高みで、誰よりもハードボイルドな精神の輝きを示すイーストウッドという驚異。

原題:Flags of Our Fathers
監督・製作・音楽:クリント・イーストウッド
製作:スティーブン・スピルバーグ、ロバート・ローレンツ
脚本:ポール・ハギス、ウィリアム・ブロイレス・Jr.
原作:ジェームズ・ブラッドリー、ロン・パワーズ
撮影:トム・スターン
出演:ライアン・フィリップ、アダム・ビーチ、ジェシー・ブラッ   ドフォード、バリー・ペッパー、ジェイミー・ベル
2006年アメリカ映画/2時間12分
配給:ワーナー・ブラザース映画