2006/07/29

「アフターダーク」村上春樹    

 社会は確固としてあり、制度は正しく機能しているように見える。でも、自他との関係性に戸惑い、喪失観を覚えながら世界の確かな手触りを探し求める。「風の歌を聴け」からこっち、村上春樹のテーマは一貫している。デビュー25周年記念を謳った最新作「アフターダーク」も例外でない。

 真夜中の大都会。ファミレスで、ラヴホテルで、オフィスで、小さな公園で、様々な眠れぬ理由を抱えた人たちの時間が過ぎていく。

 新作はキャラクターもモチーフも村上春樹ならではだが、視点=描写は一新している。これまでのように、主人公の独白から作家が抱いている世界への違和感や評価を読み取ることはできない。おそらく、そうした読まれ方を拒否しようとする立場から、視点は単なる視点とし、純粋なカメラアイとしての描写に徹した今回のスタイルが生み出されたのではないか。
 
 ドキュメント、というより読者に客観を意識させ続けることを第一義としたような文章は、春樹的世界を期待する読者に、そんなものを求めるより、自分の目で世界を観ろと語りかけているようで、そうした気配は、作者特有の比喩も警句もユーモアさえ排除されているところにも感じられる。自分の得意手を封じ込め、表現を革新しようとするのは芸術家の必然でもあるが、そんな作者の姿勢と勇気には敬服しつつ、しかし結果にこれまで以上の成果が認められるかどうかは別の話。

 50半ばの作者が20代前半の男女をどう描くか。別にどう描こうが、リアリティーあれば構わない。だが「アルファビル」や「ある愛の詩」を引用する今時の大学生にリアリティーがあるか。特殊すぎないか。オヤジの趣味を今時の若者に語らせるのはかっこ悪いのではないか。スタジャンにベースボールキャップの使い方も、キャラクター的には理解できるが今時どれほどのヤングがナウなファッションとして支持するか疑わしい。そのあたりの説得力の乏しさに、流れ去った時間の長さが映っているようだ。

 今までと違う視点を用意したならなら、今までとは違うものが見えてもいい。だが、導入からはロバートワイズを、姉妹には「グロテスク」を、眠り姫と顔なし男には「回路」が連想されるなど、どこかで観たような感じがつきまとうのも気になった。何より読者に客観を強いる割に、作者がをそれほど自分を客観視していないようなのが一番気になった。
とはいいながら、ファンとしては、しっかり楽しんだのも確かなこと。

2006/07/25

パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト


青い空。紺碧の海。緑のジャングル。
夏休み気分をいっそう盛り上げる美しい風景の中、根性真黒な人間達のエゴと欲望に魔物は目覚めカリブは泡立つ。

なじみのキャラに会えるのは続編ならではの楽しさ。オーランド・ブルームに加わった落ち着きが印象的。
ジョニー・デップのジャック・スパロウ。C調で無責任で露悪的で自己中で助平でいつもふざけていているけど、頼りがいがあって愛嬌があって男気がある人気者。前作ではアカデミー賞にノミネートされた当たり役。ジョニー・デップのキャリアから見れば異色過ぎるキャラだし、海洋冒険活劇映画史上から見ても画期的な変態を、今回はさらなる余裕と貫禄で演じ、完璧に一体化しているように見える。

伸び伸びと楽しげなジョニー・デップが発散するオーラが、画面全体に活力と品位を与えているのは確かで、船長が受け持つコメディー要素の増量、加速感も面白さに拍車をかけている。

デップの怪演と並ぶ、この映画の魅力は、爽快感溢れる海洋シーンと、おぞましくも魅力あるクリーチャー達のCG映像だ。最近ではCGの凄さに驚くこともなくなったが、この作品のキャラクターデザインとCGには、「カーズ」に続いてゾクゾクした。
例えば、デイビー・ジョーンズの生な質感と足毛のデリケートな動き。クラーケンのダイナミックな攻撃力には「海底2万マイル」の伝統も脈打っている。

流石、ILM。新たなVFX工房が続々と名乗りを上げる中、いつしか以前ほどの存在感を示すこともなくなったと思っていたが、老舗の実力というべきか、カリブの海を舞台に、イマジネーションの豊かさ、表現技術の高さを存分に見せつけた映像がとことん素晴らしい。150分の長尺をダレずに見せ切る、タフで、ゴージャスにグラマラスな快作。物語は150%スケールアップ、映像は200%ボリュームアップ(前作比)した欣喜雀躍の面白さ。

が、ストーリーもキャラ造形も、よくぞここまでパクッタなと言うくらいスター・ウォーズ「帝国の逆襲」をきっちりトレースしている。当然、3作目はルーカス対ブラッカイマーの訴訟付き「ジェダイの逆襲」?? 


原題:Pirates of the Caribbean: Dead Man's Chest
監督:ゴア・バービンスキー
脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ
製作:ジェリー・ブラッカイマー
撮影:ダリウス・ウォルスキー
音楽:ハンス・ジマー
出演:ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ、ビル・ナイ
2006年アメリカ映画/2時間30分
配給:ブエナビスタ

2006/07/15

吾輩は主婦である  最終話

とうとう終わってしまった。

7週目から毎日1エピソード完結の定型を破り、展開に切れ目がなくなった。最終週に入って、吾輩は行方知れず。別れの予感に切なさ盛り上げては、キレたギャグで混ぜっ返す連日の泣き笑い。この無茶苦茶な設定の、それでいてじんわり心に沁みてくるお話の決着を、一体どうつけたものか。最後の最後まで先の読めない展開のまま、あぁー、とうとう全話終了してしまった。

楽しかったなぁ。
ソープオペラでありながら、スクリューボール・コメディーでもある。しかも二人の子供がいる夫婦の純愛!という超絶変化球。漱石に憑依された変な主婦を丸ごと愛して止まない夫と家族と愉快な仲間達。毎日留守録を見続けたこの2ヶ月、つまらなかった日は一度として無かった。

迷いもない、ブレもない、臆面もない。人間観察と表現の妙。心優しくも劇薬成分含んだ台詞。クドカンの紡ぎ出す言葉に演者は輝き、その輝きに視聴者は打たれた。
緩急自在の展開。終盤の伏線が鮮やかに決まり続ける快感。知的で計算し尽くされた骨格に、情緒豊かな肉付けも見事な脚本。行き届いた心配りも刺激的なドラマでした。来週が淋しい。

期待に違わずそれ以上の、またもや宮藤先生にはいいもんみせてもらった。ありがとう。それにつけても、大人計画のなまはげとももえ、よかったなぁ。

2006/07/02

カーズ


「カーズ」初日。心待ちにしていた1本。夫婦50割引なら安いが、今日はそんな気分ではなくレイトショーまで待って出かけた。そしたら何と、今日は映画の日で一律1000円。なんか釈然としない。

そんな気分も前座の短編で有散霧消。二人の大道芸人が子供からおひねりを得ようと芸を披露するが決着がつかず、技をエスカレートさせながら際限の無いバトルに突入して行く。シックなビジュアルにエスプリを効かせたお洒落なコント。ピクサー恒例のオマケ短編が今回も又、憎いくらいに和ませてくれる。

本編の「カーズ」。ピクサーが、これまでに生み出して来た魅力あるキャラクターやストーリーの数々。それらに比べて、更に魅力と面白さを増したこの車達。

「ルート66」沿いの、時代に取り残された小さな街「ラジエーター・スプリングス」!を舞台に、マックイーンやロック・ハドソンなどと呼ばれる車達が、表情と動きの絶妙さで繰り広げるハートウォームなドラマ。乾いた風景と好一対のピクサーらしい叙情が心地よい。

空気の深さが存分に表現された風景描写が見事。60年代の輝きがノスタルジックに甦える「ラジエーター・スプリングス」の美しさ。老人から子供まで、誰もがそれぞれの経験を通して車達の姿を受け止め、楽しむことができることだろう。
傑作。

インサイドマン

スパイク・リーが豪華キャストで演出した犯罪映画。期待するなってのは無理ってもんだ。当然見るっきゃない。

マンハッタンに白昼堂々の銀行強盗。人質を盾に隙を見せない犯人。翻弄される捜査陣。後手に回る人質救出。政治的な圧力に混迷を深める中、意表を突く動きで状況を支配し続ける犯人達。

ニューヨーク市警のやり手警部デンゼル・ワシントン。完全犯罪を目論むクライブ・オーウェン。政治的な介入を図る弁護士ジョディ・フォスター。曰くありげな頭取クリストファー・プラマー。SWAT隊長ウィレム・デフォー

役者達は自分のやるべきこと充分わきまえ、余裕と貫禄で演じている。中でもクリストファー・プラマーとジョディ・フォスターは、予定調和的だが、だとしても見事な演技合戦だ。

デンゼル・ワシントンはことさらマッチョなキャラクターを演じている。リーの作品だし、伸び伸びと楽しそうで手応えも伝わってくるが、これだけキャリアを積み上げ、大物感を増した今となっては、このマッチョ振りは演じ過ぎでちょっと痛かった。

脚本は良く練り上げられている。演出も緻密で、先の読めない展開にハラハラ、ドキドキは必要充分。謎もサプライズもしっかり用意されている。観客をハイレベルなもてなしを約束してくれる映画だ。面白いし楽しめる。

しかし、核に据えられた罪と罰、理屈としては分かるが今日性に欠けている。なんつーか、この作品の緻密さとは、結局机上で、頭の中で捏ね上げられただけのものと、一瞬に明らかにされたような気分にさせられた。こういうサプライズは困る。

原題:Inside Man
監督:スパイク・リー
脚本:ラッセル・ジェウィルス
製作:ブライアン・グレイザー
撮影:マシュー・リバティック
音楽:テレンス・ブランチャード
2006年アメリカ映画/2時間8分
配給:UIP

ナイロビの蜂

死ぬ程面白いル・カレのスパイ小説だから、いくつか映画化はされている。全部映画館で観ているが、残念ながら成功した作品は最初の「寒い国から帰ったスパイ」だけだ。それ以外には、面白くなかった記憶しかない。

冷戦構造の崩壊以降、CIAとKGBの暗闘というような設定はリアルさを失い、ル・カレの視線も大国のエゴと弱小国家、少数民族の悲劇などにフォーカスするようになった。「パナマの仕立て屋」はル・カレ自ら、製作脚本に名を連ねて映画化に当たっている。原作も新境地を感じさせる作品だったから、映画化にはことさら気合いが入ったのだろう。

だが、出来はどうだったかはわからない。原作は途中で読むのを止めてしまい、映画も途中で寝込んでしまった。だから「パナマの仕立て屋」については何も分からない。ル・カレを途中で放棄するという、以前は考えられない自分の態度に、時間の流れを感じ、我ながら淋しく思ったのは確かだ。

「ナイロビの蜂」の原作も読んでいない。読んでいないが、これはいかにもル・カレを感じさせる。ル・カレの映画化として最良、最高の作品になっていると思った。ル・カレな面白さが伝わってきた。

静かな英国外交官の心を捉えた女性は、タフでエネルギッシュな人道主義者、バリバリの理想主義者だった。本来出会うはずの無い二人は、それ故に惹かれ合い結婚するが、この出会いが妻の命を奪うことになる。妻の死の真相を突き止めようとする夫が追体験する妻の生き方。やがてアフリカの大地と人々の背後に、富める者たちの不毛な欲望が浮かび上がる。

階級に守られたコンスタントなガーデナー。安寧にぬくぬくと生きてきた夫のレイフ・ファインズがいい。この人は今まで一度も良いと感じたことが無かったが、妻の生き方を通して、階級意識を乗り越え、世界を再発見して行く夫の反省する姿に、自然な説得力があってとても良い。妻役のレイチェル・ワイズは、これでアカデミー助演女優賞を受賞。確かに見せ場も豊富で、受賞もなるほどと思わせる体を張った熱演だった。

アフリカのスラムに生きる人々を捉えたカメラの迫力。「シティー・オブ・ゴッド」(未見)で評判をとった監督は、世界を社会派的な視点で追いながら、しかし権力や国家や組織を安易に告発するのではなく、あらゆる問題も、つまりは個々人の生き方の問題ではないのかと問いかけてくる。大人なのだ。

理想と現実の間を埋める。そこに夫婦の、というより男女のすれ違いの愛ではあるが、ストレートに愛を持って来たところには、原作に忠実な映画化だとしてだが、何よりル・カレの成熟が感じられる。


原題:The Constant Gardener
監督:フェルナンド・メイレレス
原作:ジョン・ル・カレ
脚本:ジェフリー・ケイン
出演:レイフ・ファインズ、レイチェル・ワイズ、ビル・ナイ、
2005年イギリス=ドイツ合作/2時間8分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

吾輩は主婦である 6週目

中年の優柔不断男と勘違いな恋愛中のつぼみ。つぼみの将来を案じた吾輩は不毛な恋を諦めさせようとするが意は通じない。そこでどうするか。ここで大学のミュー研出身という出自も効いて「話して分からなきゃ歌うしか無い」という、よく分からない論理で説教をミュージカル化!。みんなで演じてつぼみの説得にかかるのである。というのが今日のお話。

こういうナンセンスをサラリと設定してシラーっとしてるのがクドカンの楽しいところだが、更に素晴らしいのは、これを魅力的に演じる人を再発見するセンスの鋭さ。流石だ宮藤官九郎。篠原涼子、小泉今日子に続き、斉藤由貴の隠れた魅力を見事に引き出した。大人計画の池津祥子、猫背椿のパワーは凄いし、他の出演者達ももちろん良いが、その中心にあって、吾輩振りが板についてきた斉藤由貴の魅力が、実にどうも抵抗できないくらい、抜群なのである。

吾輩のナレーションに合わせた顔面の演技が多いのは、正統派の美人女優には喜ばしい状況ではないだろうが、こういうことをきちんと演じる人はとてもチャーミングかつクレバーに見えてくるものなのである。ましてや今回は夏目漱石なのだが、斉藤由貴の無愛想には、明治の文豪に拮抗する知性が感じられて不足も無い。漱石が妻という理不尽に嫌な顔ひとつせず、普通を貫く夫の、普通じゃない大きさを見せるミッチーのさりげなさもナンセンスに奥行きと深みを与えている。
毎日可笑しくて、家族そろって楽しんでいる。クドカンに一家団欒の確かな時間を保証してもらっているような塩梅だ。