2008/01/23

初春歌舞伎公演「小町村芝居正月」


「こまちむらしばいのしょうがつ」
初演以来、219年ぶりの復活狂言なんだそうだが、昨日今日のにわかファンとしては意味も価値も分からないからはぁと承るしかない。ポスターがいまいちパッとしないし、あまり面白そうな気配も無いのだが、とにかく観に行く。

幕が開くと簡単な状況の説明。皇位継承を巡るトラブルらしい。
先帝の遺言状盗難に宝剣争奪のだんまり。さらに極悪人が印を切ると一気に雲上人となって、たちまちのうちに龍神を封じ込める。なんと、思いもよらぬスペクタキュラーな舞台に吃驚仰天する。なんだよ、凄いよ、凄いですよ。歌舞伎のエッセンスぎっちり詰め込んだような見せ場が次々と展開し、その後もただ口あんぐりでひたすら見とれるばかり。

三幕。時蔵の色気。若さが匂いたつ菊之助の妖しい魅力。いやはや。メリハリの利いた菊五郎と松録の男女四人の舞踊で見せる深草の里の美しいこと。かと思えば世話場に転じた四幕目のとぼけた滑稽味で笑わせ、さらに雪降り積もる真っ赤な鳥居の前で、狐の化かしと大立ち回りを繊細なダイナミズムで繰り広げる。その上大詰めでは松録の「暫」という大盤振る舞い。お正月の舞台にふさわしい明るさ華やかさのうちに、歌舞伎特有のビジュアルの魅力をこれでもかと見せてくれる楽しく美しい舞台に大満足。菊五郎劇団としては去年の「一二夜」より遥かに楽しめた。

国立劇場は劇場の魅力としては歌舞伎座の魅力には遠く及ばないが、出し物はとてもいい。しかし、今回、衣装が歌舞伎座に比べて素人目にも見劣りしたのが気になった。

2008/01/08

壽 初春大歌舞伎 昼の部 歌舞伎座


一、猩々(しょうじょう)
酒に目のない猿が孝行者の酒売りの振る舞い酒に上機嫌となって舞い踊る。華麗な装束で大らかに舞う2匹の猿は、シャープで切れのある美しさの染五郎に柔らかさと包容力の梅玉とで好対照。舞台の華やいだ気分が客席くまなく包み込む。そんな楽しさあふれる舞台。

二、一條大蔵譚 (いちじょうおおくらものがたり)
平家の世にあって、源氏の忠臣鬼次郎(梅玉)は一條大蔵卿(吉右衛門)に打倒平家、源氏旗揚げの覚悟を糾そうと館に入り込むが、そこで目にしたのは世評通りの阿呆振り。
吉右衛門最高!何と素晴らしいばか殿様。無邪気と愛嬌はたっぷりだがそこに嫌みのかけらもないし、大技小技を駆使しても構えの大きさには揺らぎも無い。地味な感じが強かった昔が嘘のような、明るく大きな役者ぶりが冴え渡って、福助、吉乃丞、魁春、段四郎の見せ場もバッチリ決まった。昼の部の白眉と言える面白さ。

三、けいせい浜真砂(けいせいはまのまさご)
   女五右衛門
1月2日にNHKが劇場中継したので何がどうなるか分かっていたが、派手な色彩の山門がせり上がってくる仕掛けのダイナミズムには胸がときめいた。山門の上で雁がくわえて来た巻文を広げ、親の仇にかんざしを投げつける立女形中村雀右衛門は88歳にしてこれが初役だという。
山門の下でかんざしを受ける吉右衛門がその風格で長寿の名優をあっぱれリスペクトし、この間15分にも満たない長さ。ま、それ故に贅沢きわまりない豪華絢爛の一幕。いやいいもん見せてもらった。

歌舞伎では石川五右衛門とは養父明智光秀の仇として秀吉を討とうとする実は朝鮮人。と知っって、あまりの奇想天外さにぶっとんだことがあったが、その五右衛門さえ平気で女に変えてしまう。歌舞伎ってのはこういうことを当たり前のように平気でしてしまう。無茶苦茶だが痛快でもあるというような、成熟、洗練もここに極まれりというような、何だか不思議な世界がある。細かな校則がびっしり決められているのに、そこの生徒は他のどこよりのびのびと自由を謳歌しているような。

四、新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎
いろいろな条件が重なって寝てしまった。

五、お祭り
祭礼に沸く町内のトラブルをいなせに処理して行く鳶の頭團十郎。
楽しい踊りだったが、背景画が先月の粟餅と同じようで気になった。

正月の歌舞伎座はいつにも増して着物姿のご婦人が多く、華やかもひとしお。
新年を寿ぐ気分が満ちていた。席は三階だが二列目で悪くないと思いきや、前には背の高い男性とやたら前のめりになる女性で、視界が妨げられること夥しかったのは誤算。紅白もち入り薄皮たいやきは値上げで1枚200円になっていた。1/6

2008/01/04

劇団四季「ウェストサイド物語」

駅伝復路の応援して平塚駅。ホームで上りの電車を待つ。普段の休みより人が多いが列の前だし席には座れるはずだったが、列車到着とは反対側のホームに立っていたことに気がつかず、席にはありつけなかった。実に間抜けだ。
結局下車駅まで立ちっぱなしで実に疲れた。
浜松町下車、劇団四季秋劇場の「ウェストサイド物語」を観る。

序曲が終わり、ジェツとシャークスの群舞が始まる。ローバート・ワイズの映画版を彷彿とさせる。というのは順序が逆だが、映画化作品に刷り込みされた世代だからしょうがない。ジェッツのリーダーはいかにもラス・タンブリンだし、あの背の高いのは明らかにタッカー・スミス。しかも、シャークスのベルナルドなど体形から身のこなしまでジョージ・チャキリス以外の何者でもない。というハイレベルなそっくりさんたち。その他も主要なキャラはみんな映画のコピーなのだ。オリジナルの振付けを再現しているという四季のステージだが、オリジナルの尊重がこのそっくりショーなのかよく分からない。
それはともかく、ダンスはキレがあり、歌唱は伸びがあり、ミュージカル場面はテンポよく迫力もある。しかし、普通の台詞は滑舌も口跡もしっかりして聞き取り易いが、何と言うか、高校演劇部の発声練習のようだ。生活感もなく個性的でもない。では、この統一感が四季という劇団の色合いなのかと思った。

高架道路の下の決闘を止めろとマリアに頼まれたトニーの仲裁にもかかわらず、リフは殺され、逆上したトニーがベルナルドを刺し殺す。現場から逃げたトニーはマリアの部屋に匿われ、そこで二人は結ばれる。映画ではベッドに横たわる二人を暗示的に映し、その後マリアを訪ねて来たアニタがそれを見とがめるという流れだったが、オリジナルのステージでは、ベッドに入る前の二人が、真っ白な空間で幾組かのカップルとともにロマンティックなダンスを繰り広げる場面が幻想として挿入されていた。とても美しいシーンで驚いた。9.11以降も色あせることなく、むしろこの作品に一層の輝きを添えているシーンではなかろうか。


それにしても、マリアというのは危険だ。マリアがトニーに決闘をやめさせるように頼まなければ、リフもベルナルドも死なずに済んでいたかも知れない。マリアがアニタにトニーへの伝言を頼まなければ、トニーが死ぬことも無かったかも知れない。しかるにマリアは、最愛の兄と恋人を一瞬のうちに失った悲劇的かつイノセントなヒロインとして退場する。ウエストサイド物語から、無垢なものは時に残酷で恐ろしいなんぞの教訓を汲み取るのは筋違いだが、そんなふうに感じさせるくらいのファムファタール振りをマリアは示している。今は無き丸の内ピカデリーで見て以来何度も繰り返し見た大好きな作品だが、
そんわけでナタリー・ウッドは好きになったことがない。

2008/01/01

初日の出




あけましておめでとございます。

年が明けた夜中、ぱわぶくがハードディスクを認識しなくなった。
ディスクユーティリティの薬効も空しく、復旧の気配もない。ヤバッ!
OSX新規導入してこれだもんなぁ。実にどうも脱力の年明け。

ま、それはそれとして、新年の御来光を拝むべく海に行った。
明るさを増して来た砂浜。沢山の人が静かに待っている。
日の出は6時50分頃の予定。
快晴。
房総半島から大島の島影の先、水平線上に雲が連なっている。
雲の輪郭を黄金に輝かせて2008年最初のお天道様が昇って来た。
輝く朝日。朝日を浴びる箱根連山と富士山

ハードディスクは何だが、そんなに悪い年明けじゃないって気になった。

てな次第の元旦。
ことしもよろしくおねがいします。