2007/02/18

Gガール 破壊的な彼女


仕事はできるが恋愛には不器用。でもニューヨーカーなら相手にも指南役にも事欠かない。というわけで、ナンパ相手が美しいスーパーウーマンだったらというロマンティック・コメディー。アイヴァン・ライトマンとユマ・サーマンの組み合わせなら押さえときたいと思ったが、そんなことは無かった。

オープニングからテンポ良く笑わせてくれる。スーパーパワーは下半身にどう作用するか、というパロディー感覚の下ネタも、都会派の艶笑コメディーとしてはありだろう。でも、中盤以降、Gガールがやたら嫉妬深く、暴力的という正体があらわになるあたりからギャグも失速。ここは嫉妬深く暴力的、だけどそこがチャーミングという風に見せてくれないとなぁ。

要はSEX and the CITYをアメコミヒロインにやらせたら面白いんじゃない、てなことから始まった企画に見えるが、主人公の上司や友人などの説得力の無さも弱いし、コメディーというにはユマ・サーマン恐過ぎ。狙いは艶笑でもエロティックではないし、ロマンティクさも欠いてしまった。

監督:アイヴァン・ライトマン
脚本:ダン・ペイン
製作総指揮:ビル・カラッロ
衣装デザイナー:ローラ・ジーン・シャノ
音楽:テディ・カステルッチ
キャスト
ユマ・サーマン、ルーク・ウィルソン、アンナ・ファリス、レイン・ウィルソン

2007/02/13

ひばり シアターコクーン 2月11日


舞台中央にしつらえられた正方形のステージを取り囲む三面に、フランス国王をはじめ軍人、聖職者が居並び、最後の一面は客席が占めているいう空間。そこは異端審問の法廷であり、天啓を受けたと称する農家の娘が、いかにフランス軍の先頭に立ち、イングランド兵を蹴散らし、勝利へと導くことができたか、その奇跡の事実と正統性が裁かれようとしている。

松たか子が蜷川幸雄の演出で挑むジャン・アヌイ。今の松たか子にジャンヌ・ダルクというのは、これ以上望むべくもないパーフェクトな組み合わせ。切れのある所作と発声。向こう気の強さと愛嬌で、きりっと背筋の伸びた純なキャラクターをやらせたら最強の演技者だろう。

実際、世間知らずの夢見がちな少女から、どんどん強靭な精神性を発揮し、抗し難い魅力で周囲を引っ張って行くジャンヌを、松は大きく生き生きと演 じて大層魅力的だ。次から次へとシチュエーションがかわり、入れ替わり立ち代わり相手役とのやり取りが続く正方形のステージは、膨大な台詞の応酬による格闘技のリングさな がら。そのほとんどの場の中心にあって、ジャンヌの輝きはいささかも曇らない。

利用できるものはとことん利用し、風向きが変わればとたんに打ち捨てられる。それが大人の世界、権力の、政治の正しい有り様だ。そんな 権力闘争の中枢に理想主義を持って臨んだジャンヌに断罪の時が訪れるのは必然でもある。忠誠を誓った国王に裏切られ、キリスト教徒としての自覚もむなしく教会にも裏切られるジャンヌ。異端審問官が舌鋒鋭くジャンヌの宗教観をとことん叩きつぶそうとする。信仰心がまっすぐ天に伸びて行くようなジャンヌ眼差し。圧 巻のクライマックスだ。

人間の全的な肯定を高らかに告げるジャンヌに恐れおののく教会の欺瞞。キリストの教えにも信仰にも自分は関わりがないが、アヌイは、どのような時 代、どのような人間にも起こりうる、人間の普遍的な問題として、見事に明晰な言葉で信念と共に生きる姿を提示する。ジャンヌが人間を全的に肯定しようとす る態度は、作者の立場そのものである。裏切りと欺瞞に満ちた、政治を、権力を描いても、単にそれを断罪することなく、人間の弱さへの深い共感と強さへの希望をもって幕を閉じる。なんと風格に溢れた戯曲だろう。

シンプルな象徴性に徹した演出はさすがに洗練されている。
見ている方が恥ずかしくなるようなことも無く安定感があった。
面白さと感動に背中を押され、スタンディングで拍手してしまった。


スタッフ
作:ジャン・アヌイ
翻訳:岩切正一郎
演出:蜷川幸雄

出 演
松たか子
橋本さとし
山崎一
磯部勉
小島聖
月影瞳
二瓶鮫一 編集

2007/02/04

墨攻


紀元前中国、春秋戦国時代。燕の国に攻め入ろうとする鞘は、要衝の地にある梁城を包囲する。10万の大軍の前に僅か4千人の梁城は陥落必至と思われたが、専守防衛をモットーとする墨家の機略により難攻不落の要塞と化していく。

墨家の男を、ストイックに演ずる好漢アンディ・ラウが格好いい。キャラクターの良さは当然だが、ポンチョ、マント、ブーツ、頭巾などの衣装デザイ ンが実にオシャレで、ビジュアルが魅力的なのである。もちろんアンディ・ラウだけが良いというような安い作りではなく、全体の衣装が素晴らしく、その中で のバランスとコントラストで、墨家という主人公の特殊性を渋い派手さで自然に際立たせているところが憎いのである。

ろくでもない梁城の王や側近など、守るに値しないような存在を守らせるという設定がこの作品のテーマを良く伝え、スパイシーな展開は作品に深みを与えている。

10万の大軍を率いる敵将の清廉高潔な人柄を人間味溢れる風格で見せたアン・ソンギの堂々たる存在感。ビジュアルとしてもアン・ソンギ演ずる将軍の立ち姿の風格、格好良さはアンディ・ラウに勝るとも劣らないのだった。アン・ソンギ、最高。

原作の漫画も、平和、博愛主義で、攻めずに守り抜くという墨家の思想も全然知らなかったので、とても新鮮だったが、それをここ迄面白くして見せた監督の力は素晴らしい。衣装も音楽も撮影も役者もレベルの高さで作品を盛り上げた。

思っていたより数段、というか、優れた作品だった。

英題:A BATTLE OF WITS
監督:脚本:プロデューサー:ジェイコブ・チャン
原作:森秀樹
撮影:阪本善尚
音楽:川井憲次
編集:エリック・コン
出演:アンディ・ラウ、アン・ソンギ、ワン・チーウェン、ファン・ビンビン
2006年 中国/日本/香港/韓国
上映時間: 2時間13分

「私のハードボイルド」小鷹信光 早川書房

実のところ、ハードボイルドという言葉はジャンルを表す言葉としてイメージの喚起力が高く、昔も今も様々な使われ方をしている。だがその言葉の意味するところや定義となると、人の数だけ中味が異なるという、誠に同音異義性の強い、極めて厄介な言葉である。

言ってみれば、ハードボイルドという言葉そのものがハードボイルドな状況を招き寄せる、といった性質を持ってるわけで、ひとたびそんな状態に陥っ たなら、誰かクールで腕っ節の立つ探偵さんでも連れてこない限り、収まりがつかなくなってしまう、なんてことにもなりかねないのである。

最も危険な言葉を語るは思想信条を語るに等しく、それなりの覚悟が必要だ。ましてや周囲を納得させる説得力、高度な権威性というものも、当然なが ら必要になってくるのである。その点、小鷹信光と言えば、泣く子も黙るハードボイルドミステリの翻訳、研究の第一人者にして作家であり、この本はハードボ イルドを語るにはこの上ない、書くべき人が書いた、書かれるべき一冊ってことになる。

固茹で玉子の戦後史というサブタイトル通り、作家としてのキャリアを幼少時に遡って説き起こしたハードボイルドな自伝を柱として、ブラックマスクから現在に至るアメリカンハードボイルドの変遷と日本の翻訳出版状況を時系列にそって整理した研究編と、作家リスト、関連図書、文献をまとめた資料編からなる内容は、まさに著者の集大成と言うに相応しい構え。

自伝部分では、EQMMがHMMに代わり、ヒッチコックマガジン、マンハントといった雑誌が書店に並んでいた当時からのインサイドストーリーには、懐かしい名前がぞろぞろと出てきて、まるで3丁目の夕日的懐旧の情が蘇る楽しさ。確かにね、60年代のミステリマガジンはコラムエッセイの充実ぶりが 半端じゃなくて、私などはむしろそちらが目当てで読んでいたようなものだった。

それはともかく、ハードボイルドと言えばお約束の1人称1視点だが、著者は、丹念な資料の収集と提供により、主観や思い込みだけで語ることの愚を見事に排除している。流石の見識だと思う。この客観的に高度な検証を貫き通す態度にこそ、著者の何よりハードボイルドな矜持が顕われている。その意味からも価格には換算できぬ価値と面白さが、研究編、資料編にはある。

まあ、著者は紳士であり、客観的であることがこの本の良さだが、私としてはせっかくのハードボイルドもっとストレートに悪態をついたり、憎まれ口を叩いたりする行儀の悪さも見せて欲しかった。