2008/10/19

四十七番目の男


狙撃の名手が得物を日本刀に変えて、剣の達人と斬り結ぶのである。斬新というより突飛と言うに相応しい設定。それもボブ・リー・スワガーなのである。スワガーが日本でチャンバラ!って、そういう事はあり得ないのである。ダーク・ピットならいざ知らず、よりによってあのボブ・スワガーだなんて。

ところが、激戦の硫黄島を振り出しに、スワガー親子二代に渡る名誉と因縁を、一振りの刀の運命と共に語り尽くす、このお話が滅法面白いのである。
まあね、日本人がほとんどポルノ漬けのように描写されてるのには違和感あるし、アダルトビデオで財を築いた黒幕というのも、パチンコで財を成したとかした方が余程リアルかと思うが、それは日本人の見方で、アメリカのド田舎から来たスワガーにしてみれば、現代東京はそんな風に見えたのかと、それはそれで興味深い。そうした描写もあるにはあるが、スティーブン・ハンターが侍の歴史と文化を熱心に研究し、好意的に描いていることに驚く。特に物語の核心をなす刀の由来や刀剣の蘊蓄など、目のつけどころも新鮮で楽しめる。

スワガーとは言え、すぐに剣術をマスターし日本刀を自在に操れるようになるわけではない。そのためにスワガーは修業に励むのである。60歳にして内弟子として入門するのである。そして健気な修行を重ねるのである。まったく、良く辛抱するのである。入門とはそういうことなのであるから仕方ない。欧米の人から見て、この師弟関係と言うのはかなり東洋の神秘を感じるところではなかろうか。例えば「燃えよカンフー」「ベスト・キッド」「グリーン・デスティニー」「バットマン・ビギンズ」等々、東洋的なるものとして師弟関係は描かれている。
「スターウォーズ」のジェダイは時代劇の時代からとったというのもそうだが、東洋の師弟関係、特に、弟子にとっての師匠の絶対性というものは、キリスト教的には不思議なものに映るのではないか、神秘的にも見えるのではないか。

現代風俗のおかしな描写に突っ込みを入れる楽しみ方も含め、郷に入って郷に従い、相手の土俵で相撲を取るスワガーの、見事なサムライスピリッツを十全に受け止め、楽しめるのは、まさに日本人に許された特権ではありましょう。

あとがきによれば、スティーブン・ハンターがこの本を執筆したのは「アメリカ映画が新たな低みに達したため、職業的映画批評家としての人生にふさぎの虫が巣食ったところに「たそがれ清兵衛」観て、さらに日本のチャンバラ映画に活路を見出した」からてな事らしい。
気になったのは、新たな低みに達したアメリカ映画とは何を指しての事か。アメリカ映画もよく見ているが、新たな低みという皮肉な言い方に合致するものは何だろう、スワガーのスタイルの対極にある作品で低みにあるのはとしばし考え、思い浮かんだのが「キル・ビル」。
絵面の刺激にトコトン拘ったキルビルの滅茶苦茶さ、例えば妊娠中の花嫁が教会で襲われるなんてのを観ながら、もうそのお下劣さに頭抱えているハンターってのは想像できる。真面目なハンターが「キル・ビル」の返り討ちを意図して書いたものかと思わせるのである。