2007/04/30

クイーン


肖像画家にポーズをとりながら、退屈しのぎの会話を楽しむエリザベス。つま先からパンしたカメラがコスチュームの素晴らしい細部を映し出す。バストショットの女王がカメラ目線で正面に向き直るとThe Queenとディゾルブされるタイトル。おー、何てかこいい演出なんだ。何よりヘレン・ミレンのエリザベスぶりが素晴らしいので一気にノせられた。

ダイアナ妃の事故死に、王室と英国民の間に生じた認識のズレが徐々に拡大し、無視できない政治問題と化して対応を余儀なくされる葬儀までの1週間が、エリザベスとロイヤルファミリーの生活を通して活写される。王室としての筋を通すことが国民感情を悪化させてしまうことに戸惑いと苛立を募らせるファミリーの日々と、労働党の新首相として就任したブレアが、君主制への本音と建前の間でゆれながら使命を自覚していく様子が、物珍しくもスリリングに描かれ、実に面白い。

エリザベス女王は自分がもの心ついた時にはもうエリザベス女王だったが、認証を与えた首相は11人、1人目はチャーチルだったと新人のブレアを煙に巻く場面に古さも納得。

ブレアの奥さん、チャールズやエディンバラ公など、ちょっとヤバくないですかってくらいに辛辣な描かれ方。そんな週刊誌的な興味も満たしつつ、エリザベスとブレア、権威と権力を代表する二人が共感を深め、正しく国政に携わっていこうとするエピローグへとつなげる後味の良さもある。何と言っても、ダイアナ妃の葬儀を巡る確執をこんな角度からこんなに面白い脚本にしたセンス、映画にした勇気には脱帽。

ヘレン・ミレンが着こなす、シンプルなデザインだが素材と仕立ての良さも魅力的な王室ファッションも印象的だった。

原題:The Queen
監督:スティーブン・フリアーズ
脚本:ピーター・モーガン
撮影:アルフォンソ・ビアト
音楽:アレキサンドル・デプラ
出演:ヘレン・ミレン、ジェームズ・クロムウェル、アレックス・ジェニングス、マイケル・シーン
2006年イギリス=フランス=イタリア合作/1時間44分
配給:エイベックス・エンタテインメント

2007/04/29

ハンニバル・ライジング


映画化率120%のトマス・ハリスだが、「羊たちの沈黙」を越えたものはない。「ハンニバル」だって、アンソニー・ホプキンスが出ているだけではダメだったのである。レクターと拮抗するクラリス・スターリングの魅力に、残念ながらジュリアン・ムーアでは届かなかったのである。

「ハンニバル・ライジング」ではクラリス・スターリングに匹敵するキャラクターとして用意されているのが、若きハンニバルが憧憬してやまない庇護者紫夫人その人。日本文化を体現した神秘性と美しさでハンニバルに影響を与えた女性に紫夫人というネーミングはどうなのと言いたいが、式部があるんだから夫人だっておかしくは無かろうと言われれば、そうかも知れないと思う。これも文字情報ならではのことで、映像となるとそうはいかない。

紫夫人、コン・リーなのである。このキャスティングは違うだろ。気品と雅さ、東洋の神秘を身にまとうキャラじゃ無いだろうコン・リー。それだけじゃないのである。映像化された紫夫人の日本趣味はリアルでもなければ美しくもない、怪しいだけの虚仮威し。実にどーもなのである。

トマス・ハリスの脚本は、ハンニバルの育ちの部分をカットした以外、ほぼ原作通りだが、この映像化はとにもかくにも下品であまりに安手の仕上がりだ。これがトマス・ハリスの日出ずる国へのイメージ通りなら、ハンニバルのライジングは相当情けない。

原題:HANNIBAL RISING
製作:2007年イギリス/チェコ/フランス/イタリア
時間:2時間1分
配給:東宝東和

監督:ピーター・ウェーバー
脚本・原作:トマス・ハリス
撮影:ベン・デイビス
衣装:アンナ・シェパード
音楽:アイラン・エシュケリ / 梅林茂
キャスト
ギャスパー・ウリエル コン・リー リス・エヴァンズ 
ケビン・マクキッドドミニク・ウェスト リチャード・ブレイク 
カラー/スコープサイズ/ドルビーSRD

2007/04/22

ブラッド・ダイアモンド


90年代アフリカ。内紛が続くシエラレオネでは不当に採掘されたダイアモンドが反政府軍の兵器購入に充てられていた。盗掘された巨大ピンクダイヤを狙う男達。密輸業者と貧しい漁師が命をかけた争奪戦に飛び込んでゆく。

レオナルド・ディカプリオが複雑な過去を持つ密輸業者の屈折を好演すれば、ジャイモン・フンスーは子供を思う父親の心情を余すところなく演じ、両者アカデミー主演、助演にノミネートされたのも充分納得できる。

アフリカの赤い大地にハイテンションなレオナルド・ディカプリオが実にマッチしている。ジャイモン・フンスーとのコントラストもコンビネーションもナイス。この二人に、ダイヤ取引を牛耳るヨーロッパメジャーの腐敗を暴こうとする女性ジャーナリストを絡ませ、何より、この役をジェニファー・コネリーが魅力的に演じているため、作品もいっそう奥行きを増した。演出の力だ。

アフリカの現実は、極東の島国からはほとんど実感できない。こうしてアフリカを舞台にした作品に触れるくらいが関の山だが、それにしても、こうした作品から教えられることは少なくないし、アフリカに材を得た作品は昔から面白いものが多い。この「ブラッド・ダイアモンド」にしても、娯楽作品として文句なしの仕上がり。社会的な問題提起も、観客を十二分に楽しませる要素として物語の中に無理なくとけ込ませている点はお見事としか言いようが無い。

ま、無理なくというのは正確でなくて、反政府ゲリラが単なる犯罪者集団かサディストの集まりのように単純化されているのはいかにも惜しいのだが、内戦のアフリカと平和な日本がダイアモンドで直結してたなんてことも含めて、予告編から受けた印象とは全然違ったが、鮮やかな語り口の脚本と力感溢れる演出力で見せた緩急自在の2時間23分。全然長さを感じさせなかった。

監督:エドワード・ズウィック
脚本:チャールズ・レビット
撮影:エドゥアルド・セラ
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・コネリー、ジャイモン・フンスー、マイケル・シーン、アーノルド・ボスロー
2006年アメリカ映画/2時間23分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/04/21

ハンニバル・ライジング 上・下 T・ハリス

「ブラック・サンデー」「レッド・ドラゴン」「 羊たちの沈黙」「ハンニバル」。著作のすべてが映画化(赤竜2回)されて、映画化率120%を誇る作家トマス・ハリス。サイコスリラーの頂点に君臨するレクターシリーズの、4度目の輝きを約束するかのようなタイトルもうれしい最新作ハンニバル・ライジングなのである。

ミステリ史上いつの世にもあまた登場するヒーロー達。その中から、時に不世出のヒーローへと変貌を遂げる存在が現われる。デュパン、ホームズ、ルパン、マーロウに至る、それら世界を変えた男達。彼らが「その後」の世界にどんな影響を及ぼし、どう変えたかは、その後に著わされた類書から容易に読み取ることができる。

倫理道徳宗教を越えた、ある種神がかりな存在でありながら快楽食人鬼という最悪の衣装をまとったハンニバル・レクターという大胆不敵なキャラクター。そのスキャンダラスな物語を通して、善悪の基準が溶解した現代の矛盾と混迷を浮かび上がらせた3部作によって、ハンニバル・レクターもまた、この輝かしいヒーロー達の殿堂にその名を連ねている。

で、サイコスリラーを革新したジャンル的貢献を越え、コナリー、T・J・パーカー、ジャック・カーリーなどへの広範囲な影響力も見逃せないレクター博士のライジングだが、うーん、どうなの。
 
営業的なことは分からないが、これは2分冊にするボリュームじゃあない。2分冊の本には、当然2分冊分の読み応えを予想するから、字間、行間こんな広くて余白もたっぷりだと、予想を裏切るこのスカスカ感が、作品そのものの印象へと結びつくことにもなりかねない。実に、読者メーワクなことである。

実際、淡白と言うか、素っ気ない語り口で展開するのは、レクターの子供時代から青年期に至る成長と青二才の復讐の物語であるから、レクター博士の濃密で息苦しくなるような成熟した味わいが影をひそめているのは判らないでもないが、時々、小説をというより、詳細なあらすじを読まされているような気分になったのも確かで、スカスカの2分冊はそんな気分も一層盛り上げる。

ハンニバル生誕の秘密に、より神秘的な彩りを添えるかのようなジャポニスムの導入は、大真面目な分、欧米向きな説得力はあるのかもしれないが、日本的にはズレと感じられることも少なくない。などと文句をいうより、久々のトマス・ハリス。史上も稀なミステリーヒーローの、日本趣味も横溢した誕生秘話なのだ、四の五の言わずにミーハー気分で楽しめなきゃファンとしての甲斐もない。

新潮文庫

2007/04/19

ハッピーフィート


皇帝ペンギンなら誰でも心の歌を持っている。それは誰からも与えらない。身体の奥から生まれてくるものなのだ。皇帝ペンギン界最高の歌姫から生まれたマンブルなのに、何故か歌うことができない。それどころか、反ペンギン的なパタパタ足(ハッピーフィート)の持ち主だった。パタパタ足でどんなに見事なリズムを刻むことができても、心の歌を歌えぬ限り、まともなペンギンとは認められないのだ。マンブルはペンギン界の価値を紊乱する不吉な異端児として長老の不興を買い、群れから追放される。

映画館で2回観たが2回とも寝てしまい、DVDは発売即購入したけどまだ見ていない程度の「カーズ」好きとしては、「カーズ」を抑えて今年のアカデミー長編アニメ賞をさらった作品なので、なんか虫が好かないがどうも気になって、とにかく正体だけでも見届けようと、アンチな気分で出かけたのだが、ダイナミックな南極の光景をバックに繰り広げられる貴種ペンギンマンブルの流離譚は、パタパタ足の珍なるステップとペンギン達の熱唱が炸裂するミュージカル CGアニメ。なるほど、悪くない。意外にも好感してしまった。

動物アニメは擬人化の巧みさとかわいらしさで見せることが多いが、ハッピーフィートはリアルさでキャラクターデザインしているのが新味だ。尤も、ペンギン自体が既に完成度高く擬人化されたような、愛嬌のあるスタイルと動きを持つキャラクターではあるのだけど。

ペンギンも南極の自然も見事な映像だが、CGというより記録映画そのままのリアルな描写。それも後半明らかになるこの作品のテーマ、メッセージに直結する表現として納得できる。CGとしての絵的な新しさはないが、その分カメラは良く動くし、モッブシーンの迫力や空気感の奥行きなど、スケールの大きい絵造りは魅力的だ。

人間の姿を、あくまでペンギンの視点からだけで描ききっている点も面白い。トイ・ストーリーでもシドという悪ガキの登場はインパクトあったが、ハッピーフィートでは人間そのものが不気味で恐ろしい存在として描かれている。深い。

巻頭とエンディングの、ことさら宇宙を意識した映像に挟まれた家族と仲間の大切さを説く物語。マクロからミクロへ、ミクロからマクロへと繋がった宇宙の、バランスを壊し続ける文明の愚かさをペンギンの立場から描いた、ご家族向けとしては誠に骨っぽい作品といえる。アカデミー賞受賞作にしては、興行的に振るわない原因もこのヤバさ加減にあるな。

ブリタニー・マーフィの声がものすごくキュートでしびれた。

原題:Happy Feet
製作・脚本・監督:ジョージ・ミラー
共同脚本:ジョン・コリー、ジュディ・モリス、ウォーレン・コールマン
音楽:ジョン・パウエル
声の出演:イライジャ・ウッド、ブリタニー・マーフィ、ヒュー・ジャックマン、ニコール・キッドマン、ヒューゴ・ウィービング、ロビン・ウィリアムズ
2006年アメリカ映画/1時間48分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/04/15

東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン

昭和から平成へと、いろいろなものが無くなったり変質したりした中で、我が子の為なら自分を顧みずに尽くすといった母親像なども、そうしたものの一つだったと思わせた、リリー・フランキーの大ベストセラー。ゴージャス度を高める東京にあって、より高いビルの誕生に地位を低落させられながら、どっこいそれでも生きている東京タワーの映画化。

原作ではオトンは勿論、ボクにも無頼が色濃く匂っているが、松尾スズキはそこをきれいに省いている。その分オトンが大人しくなって原作の毒は薄められ、オカンとボクの時間が濃密に描かれたて、映画はより一般受けする内容になっている。原作を大胆に再構成しながら、本来の良さや味わいを損なっていない。良くできた脚本だ。

内田也哉子から樹木希林へとつなぐ親子競演も、つぎつぎと小さな役で登場させる豪華なゲスト達の使い方も効果的。とりわけ祖母を演じた渡辺美佐子の、生活感に溢れた表現が印象的。千石規子、荒川良々、猫背椿、松たか子も良いが、やはり極め付きは、抑制された演技から滲み出る情感の深さで魅了するオダギリジョーだろう。

泣かせる内容だが泣ける作品では無い。その代わり、出演者達の泣き方が素晴らしいのに感動した。役者達もそれくらい自然に泣けたということだ。脚本も演出も観客を泣かせようとしない。感情の盛り上がりがピークに向かう途中で、スーッとフェードさせる。いかにもな音楽を流したりもしない、その節度と品位が画面に落ち着きと格調をもたらしている。

親子の時間を共有した者なら誰でも思いあたるだろう出来事や感情の起伏。人に言えることも、言えないことも、情けないことも、恥ずかしいこともみんな乗り越えて生きて行く。そうした力は何処から湧いてくるものか。いや、ほんと素晴らしいオダギリジョーの軽くも重くもある眼差しと笑顔。

監督:松岡錠司
原作:リリー・フランキー
脚本:松尾スズキ
撮影:笠松則通
音楽:上田禎
出演:オダギリジョー、樹木希林、内田也哉子、松たか子、小林薫
2007年日本映画/2時間22分
配給:松竹

2007/04/09

さくらん

花魁の世界を描いた人気マンガを、独創的な写真で瞬く間に表現の最前線に躍り出た蜷川実花が監督。椎名林檎が音楽をつけるという、女性による女性のためのプロジェクトといった話題性も売りだとはいえ、いきなりPEACH JOHNのロゴが映ったのには驚いた。

タイミング的には制作会社のロゴとかメインタイトルがでるところだろうが、この作品はそれくらい女性中心を前面に押し出してる訳だ。客席も若い女性がほとんど、中年のオヤジが一人で観てたら怪しまれること請け合い。しかし、男が一人で観たって、これはなかなか面白い作品なのだ。

蜷川監督、「泣いたら負け、惚れたら負け、勝っても負け」という吉原の、頂点に生きる女たちの地獄極楽を、華麗を極めた意匠で画面の隅々を飾りながら、美しく丁寧に描いていく。

極彩色だが寂寥感のあるキッチュな色使い。暗さの使い方が巧くメリハリの効いた構図。どの場面をとっても映画の絵になっているのも気持よい。大門の上に金魚を泳がせたり、繰り返しインサートされる金魚のイメージショットも不思議な効果を挙げている。椎名林檎の起用も大成功。

女優達もこぞって新人女性監督を盛り上げようとの気概に溢れていたようで、菅野美穂や木村佳乃は、演技を競い合うかのように熱いシーンを演じていて印象的。「下妻物語」のヤンキーっぷりが鮮烈だった土屋アンナ。前作のイメージそのまま、ハスキーな啖呵も耳に心地よく、気っぷの良い花魁を男前に演じて魅力的。画面にすっきりとした緊張感を漲らせていたのが素晴らしい。

もう少しテンポが欲しい部分もあったが、椎名桔平、安藤政信、石橋蓮司など男優の使い方、魅力の引出し方なども含め、新人らしからぬ巧さと安定感で見応え充分。実に面白かった。

監督:蜷川実花
脚本:タナダユキ
原作:安野モヨコ
音楽:椎名林檎
撮影:石坂拓郎
美術:岩城南海子
スタイリスト:伊賀大介
出演:土屋アンナ 椎名桔平 成宮寛貴 木村佳乃 菅野美穂 安藤政信 石橋蓮司 夏木マリ
時間:1時間51分
配給:アスミック・エース

2007/04/08

大帝の剣

オリハルコンと言えばアトランティスの幻の金属。SFではお馴染みのアイテムだが、実は遠く宇宙から飛来した超絶エネルギー物質で、かの三種の神器こそオリハルコンによって作られたものであり、そのパワーを求めて徳川幕府、豊臣の残党、宇宙人入り乱れての争奪戦が始まった。というお話を豪華キャストのコスプレで見せるという趣向だが、如何せんこの監督にはSFマインドがない。ロマンティックでもない。安直なイメージと半端なギャグとお手軽なナレーションでつぎはぎした、しょーもない2時間。トリックで見せる作品を、トリックを暴くのが好きな監督に任せるってことがどういうことになるか、制作者は仕上がりを見て納得したことだろう。こんな映画を初日1回目に見に行った自分に、あははは はらが立つ。

原題:大帝の剣
監督:堤幸彦
脚本:天沢彰
原作:夢枕獏
キャラクターデザイン:天野喜孝
出演:阿部寛 長谷川京子 宮藤官九郎 黒木メイサ 竹内力 大倉孝二 六平直政 杉本彩 津川雅彦
配給:東映

バッテリー

主人公の少年は凄い球を投げる天才的ピッチャーだが、問題はそのボールを捕球できる者がいないことだった。孤高の天才。凡人は天才の孤独を理解できない。しかし、父親の転勤で移り住んだ田舎で出会った人なつこい笑顔のキャッチャーがその剛球を見事に受けた。

主人公の天才投手を演ずる林遣都という少年が凄くきれいな顔をしている。鋭角的でもろいキャラクター、セリフの少ない難しい役所だが表情の表出も自然で大層魅力的だった。相手のキャッチャーも、いかにも星飛雄馬と伴宙太のスタンダードなバッテリーのイメージに納まるそれらしい雰囲気。天才と凡人が野球を通してどう理解し合えるかということでは、お寺の息子を演じた少年が普通の感覚をよく表していて好感が持てた。

そもそも、少年の健気な姿にはめっぽう弱く、ついウルッと来てしまうので、この映画の病弱の弟と孤独な兄という、巧妙な仕掛けには、要所要所で押さえ込まれてしまった。「陰陽師」や「阿修羅城の瞳」はそのつまらなさにがっかりしたが、こういうこじんまりとした人情話は柄に合っているのだろう、まあ、これが中学生か、というようなキャラクター続出したりはあるが、中心を固めた少年達が実にいい感じなのが印象的。主人公のきれいな顔立ちのままに、すっきりとさわやかな後味の佳品。

監]滝田洋二郎
[原]あさのあつこ
[製]黒井和男
[脚]森下直
[出]林遣都 山田健太 鎗田晟裕 蓮佛美沙子 天海祐希 岸谷五朗 菅原文太 
[配給会社] 2007東宝
[上映時間] 119分

2007/04/02

下流志向 内田 樹  

学ばない子どもたち、働かない若者たち、とサブタイトルも刺激的なベストセラー。昔の子供は家の手伝いをして褒めてもらった。今の子供達は金を使えば一人前に扱われ、労せずして快感を得る。昔は家庭内労働が社会参加への第一歩だったわけだが、今の子供達に家事手伝い機会はなく、いきなり一人前の消費者として社会と接するようになり、就学以前に消費者として自己を確立してしまう。

その結果、子供達にとって社会とは等価交換の場となった。彼らは賢い消費者として、商品知識に精通(乃至は振りを)し取引を有利に運ぼうとする。それが、「この勉強が何の役に立つんですか」といった教師への問いかけとして現われる。

等価交換の法則は社会全体を覆い、今や人々は不快感の一早い表明で有利な立場を確保しようとするようになっている。これを名付けて不快貨幣の流通といい、その流通量は増大の一途をたどり、人々はクレーマー化し、子供達は未来を捨て値で売り払っているのが、今の日本の現状だと説く。

学ばない子どもたち、働かない若者たちを大量に生み出している現状を、ではどう乗り越えて行けるものか。5時間に及ぶ講演と質疑応答をまとめたという本書、
「ノイズをシグナルに変換するプロセスが学びのプロセス」
「無知とは時間の中で自分自身もまた変化するということを勘定に入れることができない思考のこと。」などの警句もかっこよく、構造主義と武道を究めた内田先生の明晰にして軽妙な語り口に乗せられスリリングな読書が楽しめる。家族と時間と身体性を回復せよと説くのも納得できる、刺激的で示唆に富む好著。

講談社 2007年2月8日3刷 1400円

2007/04/01

蜘蛛の巣 上下 ピーター・トレメイン



7世紀のアイルランドを舞台にしたミステリー・シリーズ。
ヨーロッパの中世というのが既に一大ミステリーなのだが、さらにアイルランドとなると、最近見た「トリスタンとイゾルデ」に描かれた蛮族なイメージぐらいしか思い浮かばない。本格ミステリは守備範囲外だが、英語圏では既に17作も出ている人気シリーズの、これは5作目だという。わざわざ5作目から訳出という出版社の戦略への興味も湧いた。

読み進める間もなく、人気シリーズであることがよくわかる。面白いのである。
主人公の修道女フィデルマてのが、王の妹にして高位の裁判官かつ弁護士かつ宗教者で、これだけでも相当なもんだが、さらに武芸に秀で、清廉高潔、頭脳明晰、容姿端麗、眉目秀麗なうえに溢れる気品と含羞の若き女性という天下無敵のセレブ振りなのである。実にどうも、水戸黄門と大岡越前とジャンヌ・ダルクを一人にまとめちまったような、大胆というか、欲張りというか、図々しいというか、こんな臆面のないキャラ造形、普通はしないだろう。

しかし、ピーター・トレメインはやっちまった。あとがきに、作者はケルト研究の大御所として世界的に高名な学者だと。なるほど、リスクをとったらハイリターンの大成功って訳だ。プロの作家じゃできない芸当ではある。そうして生まれたフィデルマの万能性は、スーパーなヒロインの活躍によるカタルシスを読者にたっぷり与えてくれるが、むしろ7世紀のアイルランドという特殊な背景、当時の社会状況を読者に分かりやすく、面白く伝えるためのものだと理解できる。
フェデルマが事件の核心に迫る過程で、ブリテン人のエイダルフを相手に語る7世紀アイルランドの社会制度や伝統的宗教、生活様式に関わる蘊蓄が物語にリアルな彩りを添えるが、同時に合わせ鏡のように現代社会を相対化していく面白さも特徴的。

例えば、上巻のp143に見られるフィデルマの言葉は次のようなものだ。
 「彼は公平な裁判なしに断罪されてはなりません。」
 「障害者を侮辱した人間には、重い罰金が科せられます。それが神経を病む者だろ 
  うが肢体に支障がある者であろうが、誰であろうと」

7世紀アイルランド。修道女フィデルマ。かっこいいのだ。
事件は起こり、魅力ある謎が提示される。地方の名家にまつわる因習の深さと血の怨念。何だか横溝正史を思わせる状況の中、物語は本格推理の様式を満たして関係者全員集合のクライマックス、名探偵の謎解きへと至る。ここ迄の面白さに対し、謎解きはカタルシスが不足していると思うのは本格嫌いの偏見として、シリーズの面白さ、フィデルマの魅力はしっかり伝わってきた。