2008/12/31

2008年のまとめ 螺旋式

映画
1.「ダークナイト」 
ヤバすぎるジョーカー。素晴らしいキャメラ。脚本の深みを見事な映像美で表現しきったクリストファー・ノーラン凄い。

2.「アイアンマン」 
カッコいいこと。それ以外一体何が必要なんだとばかりに、「力」をゴージャスなデザインで見せたアイアンマンの勇姿。 

3.「パコと魔法の絵本」 
冒険してます。挑戦的です。観た事ないもの見せてやろうというクリエーターの心意気が伝わってくる画面の力。

4.「ゼア・ウィルビー・ブラッド」 
「マグノリア」に較べ一段と凄みを増した演出力。一部の隙なく構築された世界の美と迫力。

5.「ノーカントリー」 ジョーカーの登場で印象が薄れたがこの殺し屋も忘れ難い。何処ともなく消えていく姿はダークナイトと表裏一体を成している。

次点、「ウォーリー」「おくりびと」「ハプニング」「クローバーフィールド」「潜水服は蝶の夢を見る」


1.「 極限捜査」 
「夢果つる街」を思い出させるドラマの深さ展開の密度。村上基博の訳も素晴らしい。

2.「スリーピング・ドール」 
自己革新と読者へのサービス精神を忘れないディーバーの行き方も好きだ。

3.「どこから行っても遠い街」
これはとても良かった。川上弘美が一段と深い世界を見せてくれた。

4.「ドッグ・タウン」
すでに亡くなっている作者のシリーズ1作目。チャンドラーの衣鉢を継いでますこの作者。しかも女性だ。

5.「 赤朽葉家の伝説」
驚いた。まんま「百年の孤独」だ。語り口を自由自在に使い分ける実力から生まれた抜群の面白さ。

次点「チャイルド44」「略奪の群れ」「告白」「四十七番目の男」「魔都に天使のハンマーを」     

美術
「ピカソ 展」 国立新美術館 サントリー美術館  ピカソは永遠に新しい。 
    
「レース・エレメンツ 展」東京オペラシティー 新鮮で刺激溢れる展示。印象的だった。
           
「ボストン美術館 浮世絵名品展」 江戸博物館  墨だって素晴らしい。イベントとしても楽しかった。

「アンドリュー・ワイエス 創造への道程展」bunkamura 制作の内側を垣間みる面白さも。
      

舞台
1.「道元の冒険」コクーン 井上ひさしの志に感動した。
2.「太鼓たたいて笛吹いて」サザンシアター 井上ひさしの信念に感動した
3.「表裏源内蛙合戦」コクーン 井上ひさしの体力に感動した。 
4.「江戸宵闇妖鉤爪」国立劇場 乱歩的ないかがわしさもあって楽しめた。

歌舞伎座には今月をのぞいて毎月行っていたのだが、何が良かったのか記憶が混ざって判然としない。仁左衛門と染五郎と玉三郎が良かった事。観ている時はそれ程楽しくなかった野田版 愛陀姫が案外記憶に残っていたりする。

TV
ケーブルTVの回線を地デジ対応にするってこともあり、使わなくなって久しい天吊りの3管プロジェクターをハイビジョン対応の液晶プロジェクターに変えた。ついでにブルーレイ購入。早速「ダークナイト」と「ピクサーの短編集」のブルーレイディスクを買った。絵を出してビックリ。なんという美しさ。もう後には戻れない。禁断の木の実を食べちゃった気分だ。

2008/12/07

スリーピングドール


一家惨殺で服役中のカルト指導者が大胆不敵な手口で脱獄を図る。しかも潜伏したまま逃亡する気配もない。脱獄犯の狙いは何か。一家惨殺を生き延びた少女との関係は。事件を預かるキャサリンにFBIからカルト犯罪専門の捜査官も乗り込んで、捜査は複雑困難の度を深めていく。

仕草や表情から心理を読み解く「キネシクス」の天才。高度な尋問技術によって物証至上のリンカーン・ライムを唸らせた「人間嘘発見機」キャサリン・ダンスが、「ウオッチメーカー」の脇役から堂々たる主演に転じての登場。相手は言葉巧みなマインドコントロールで人を自在に操り、犠牲を強いる凶悪犯。言うなればキャサリン・ダンスと表裏を成す心理分析のスペシャリスト。この二人の心理戦を軸に多彩なキャラクターが豊富なエピソードを繰り広げる。

リンカーン・ライムシリーズからのスピンアウトというからには、どれだけライム物から差別化できるかが、作者にとっては最優先課題だったのだろう。例えば、男ー女 物証専門ー尋問専門 独身生活ー家庭生活 東海岸ー西海岸など分かりやすい。とりわけ、ニューヨークとカリフォルニアという対比の中、北カリフォルニアの舞台設定にはディーバーらしいツイスト感がある。ロサンゼルスならマイクル・コナリー、オレンジ郡からサンディエゴはT・J・パーカーが書き尽くしているわけで、南カリフォルニアでは新鮮味に欠けるのだ。ではサンフランシスコならどうか。結構な都会だからニューヨークとの違いは出し難い。ならばロサンゼルスの北、サンフランシスコの南、エデンの東にしてスタインベックの故郷だということになる。そうなのか。そこでミステリの舞台としての鮮度の高さも充分な北カリフォルニアはサリナス、モントレーに照準を合わせ、風光明媚、豊かな自然を背景に壮絶な頭脳戦とマンハントを繰り広げる。ということになったのではなかろうか。

そんな訳で、北カリフォルニアの観光案内としても通用する美しい情景描写も読みどころ。工夫と努力を怠らないディーバーの誠実。おもてなし感覚あふれるサービス精神に裏付けられた卓抜した技術と洞察の深さから生み出された超絶的面白さに大満足。ディーバーの魅力が、スピード感とどんでん返しにあるのは確かだが、それ以上に、今回も、キャサリン・ダンス親子のキャラクター、日常生活を丁寧に書き込むことで、事件の本質を、被害者加害者の病理を何気なく照射するという技ありの語り口が素晴らしいのだ。 家族を描いて、これはディーバー流の「エデンの東」とも読めるのだ。

作:ジェフリー・ディーバー
訳;池田真紀子
文芸春秋
2008年10月
2,500円

2008/12/06

太鼓たたいて笛ふいて

林芙美子の後半生を描いた音楽劇。
放浪記で名を成した芙美子も近作が重版禁止となって面白くない。時代を動かす、国が求める物語が必要と諭され、南方戦線の従軍記で戦意高揚に尽くす。だが戦争の実相を知った今、イケイケどんどんと囃し立てた自分を許せない芙美子は、非国民のそしりを恐れず自分のやり方で愛国心を貫こうとする。

穏やかでユーモラスな庶民の日常をスケッチする楽しさに戦時の緊張感が割り込んでくる波乱含みの前半。休憩を挟んで、後半は戦況の悪化から敗戦、戦後へと押し流されていく日本の変化が描かれる。反戦のテーマとメッセージがドラマティックに浮かび上がるが、全然説教臭くなくイデオロギー的でも無い。普通の人の弱さや優しさを通して、美しく尊いものの価値を提示してくれる。戦意高揚した責任は、仕事を通して乗り越えていこうとする芙美子の苦渋に満ちた言葉を全身で客席にぶつける大竹しのぶに思わず泣かされた。

6人の登場人物が芙美子の家の小さな茶の間を中心に繰り広げるドラマの大きさと深さに圧倒された。音楽も役者も無駄な飾りが無く。何処をとっても見事に洗練され、ハイレベルであり完成度が高い。原稿用紙をモチーフにデザインされた舞台装置の端正な形とデリケートな色彩の美しさは快感だった。

田母神論文などというものが世上賑わす昨今、申し分の無いタイミングでの再再演といえよう。それにつけても、井上ひさしという人はこんなに凄い人だったのかと、今更その偉大さに気がついたのは我ながら恥ずかしい。

12.5 21-11

サザンシアター
作  井上ひさし 
演出 栗山民也
美術 石井強司
照明 服部 基
出演 大竹しのぶ、木場勝己、梅沢昌代、山崎一、阿南健治、神野三鈴。
演奏 朴勝哲。

2008/12/05

レッドクリフ

見た目の格好良さを追求して止まないジョン・ウーの身上はその「軽薄」さだ。なので、「三国志」みたいな重厚長大との相性は必ずしも良くないんじゃないの、「レッドクリフ」ってタイトルからしてすでに微妙だし。と思っていた。まあ、今迄「三国志」は読んだ事も観た事もなくきたので、これは単に根拠のない憶測予断に過ぎないのだが。

跳ね上がる泥水の飛沫。「七人の侍」のクライマックスを連想させる激しい戦闘シーン。巻き込まれるいたいけな幼児と母の絶体絶命に超絶体技で応じる英雄の勇姿。開巻即の格好良さ全開。考える間もあればこそ、あっという間に観客拉致してヒロイックファンタジーの世界へと強引に連れ去る呼吸のよさは流石ジョン・ウーなのである。プロローグも一息ついて、お話は魏の横暴に抵抗する呉の金城武と蜀のトニーレオンの肝っ玉較べへと進行していく。なるほど。そういう話であったのか。

英雄豪傑はあくまで英雄的であり、剛毅な振る舞いで雑兵を圧倒し続ける。できる男達の見せ場の数々。格好良さ至上の殺陣、その臆面なさが痛快。ほとんど歌舞伎の荒事に等しい世界。人間のスケールと地位が正比例し、役割と仕事の分担が明確なところも、この世の本質が階級的であることをスッキリと映している。もったいを付けず深刻にもならず、秩序立つというより様式的であり、とても分かりやすいのである。ジョン・ウーの軽薄さと重厚長大とが巧く釣り合っている。

役者ではトニーレオンがだんとつのかっこ良さだが、金城武は面構えが甘い過ぎて天才的な軍師と見えないのが不満。CGに頼り過ぎたモッブシーンも見飽きた。いくら大軍でも大地を覆う軍勢や川面を埋め尽くす船団もインフレの度が過ぎて興ざめするのだ。あんな船団が一気に押し寄せて、排泄物の処理は一体どうすんだ。垂れ流しで河は大変な有様になるのではなかろうかなどと、エコ意識を刺激されてあらぬ心配をさせられた。その辺のことも気になるから、パート2もすぐに観に行こうと思う。

原題:赤壁

監督:ジョン・ウー

脚本:ジョン・ウー、カン・チャン、コー・ジェン、ジン・ハーユ

総指揮:ハン・サンピン、松浦勝人、ウー・ケボ、千葉龍平、ジョン・ウー

製作:テレンス・チャン、ジョン・ウー
撮影:リュイ・ユエ、チェン・リー

音楽:岩代太郎

アクション撮影:コリー・ユン

出演:トニーレオン、金城武、チャンフォイー、チャン・チェン、中村獅童

2008/12/03

表裏源内蛙合戦



平賀源内の出産シーンから説き起こす一代記。類いまれな神童と謳われた少年期から才気煥発にして野心満々の青年へと成長を遂げるものの、やがては江戸市中で山師と呼ばわった奇人平賀源内の肖像。

素早い場面転換で矢継ぎ早に繰り出されるエピソードがテンポ良く積み重ねられる。膨大な台詞と多彩な動きに、溌剌として活力漲ったステージ。上演4時間に及ぼうかという長丁場を決してダレず飽きさせず疾走しきった出演者たちに拍手。

井上ひさしが人間の猥雑さを通して「源内」とその時代を語れば、蜷川は鏡を大胆に配置し観客の猥雑さを取り込んで今の時代を描き出す。前回「道元の冒険」とは感動の趣は大きく異なるが、楽しく面白く、刺激に満ちたステージ。

表の上川隆也も裏の勝村政信も良かった。他の出演者達もレベルが高く台詞、歌、切れのある動きは気持ち良く、脇を固める女性陣の健闘も印象的。
後半は尻が痛くなって再三座り直したりし、連日の公演を続ける出演者達の疲労はいかばかりかと思うが、公演も終盤に入って疲れの微塵も感じられないステージを続けている役者魂にも脱帽。

2F−M27
シアターコクーン
作   井上ひさし
演 出 蜷川幸雄
音 楽 朝比奈尚行
出 演 上川隆也、勝村政信、高岡早紀、豊原功補、篠原ともえ、
    高橋努、大石継太、立石凉子、六平直政 他

2008/11/20

談志狂時代 立川談幸


大体4時頃の終演が普通の大劇場がなんと2時に終演してしまった。早すぎたので演芸場をのぞいたら丁度仲入りで即入場。売店でサイン本を購入。

歌舞伎座の祝祭的な華やかさに較べると国立劇場の佇まいは斎場を思わせるが、初めて入った演芸場もその雰囲気を共有している。仲入り後の演し物は春風亭柳橋の襲名披露口上、桃太郎、鏡味 正二郎の曲芸、柳橋。今は無き東宝名人会以来、数十年振りの寄席体験は短時間だったので物足りない気分。

談志唯一の内弟子だった立川談幸が、師匠との同棲生活を回顧したエッセー。
笑点の前身、金曜夜席で談志が仕切っていた大喜利は爆発的に面白かった。あの頃の談志はスピード感と切れ味とインテリジェンスで、それ迄の落語家とは画然と異なる存在感だった。その談志に惚れ込んで弟子入りしたのは「赤めだか」の談春も同様だが、これは良くわかる。談志は特別にかっこ良かったのだ。夜席はその後談志が抜けて笑点となり、大喜利の司会もメンバーも代を重ね長寿番組となっているが、最近では司会が歌丸なってからとても良い。

それはともかく、この本からは談幸という人の優しい人柄がとても良く伝わってくる。談志の内弟子が勤まったのもこの人柄なればこそだろう。談春が赤めだかで、正に談志の口調をそのままに、弟子への説教している様子を見事に活写して見せたような批評や才気はないが、そうした鋭さとは違う、ほのぼのと心温まる師匠思いのすっきりした心が伝わって来る。落語はおそらく談春が巧いのだろうが、気持ちのよさならきと談幸なのかも。聴き較べは今後の課題にしよう。

08.2.23 第1刷
08.5. 2 第2刷
うなぎ書房 1800円

2008/11/17

国立劇場11月「江戸宵闇妖鉤爪」

「江戸宵闇妖鉤爪(えどのやみあやしのかぎづめ)」
— 明智小五郎と人間豹 —

江戸川乱歩の歌舞伎化ってどんなものか興味津々の舞台。まずは原作をおさらいからと買い求めた「人間豹」(創元推理文庫)。明智と二十面相の知略を尽くした攻防という路線かと思ったがパノラマ島奇譚系の猟奇エログロに一層の粗暴さを加味したお話。人間豹とはつまり、豹のような容貌と身体能力を持って美女をかどわかし嬲り殺しにするというとんでもない奴。これを明智がやっつける訳だが、終いには明智夫人までがその毒牙にかかろうかという波瀾万丈。豊富に用意された雑誌連載時の挿絵もオリンピック以前の東京の宵闇が妖しく漂うような気分を盛上げはするものの、お話自体、切れ味鋭くもあればご都合主義極まれりというようなこともあり、乱歩自身も巻末で「全体としてはチグハグな」と評している作品ではある。

これをどう歌舞伎として見せるのかと思いきや、全十場で構成された舞台は案外原作をよくなぞっている。なぞっているが、見栄が決まったら素早い場面転換で次の見せ場を用意し、同様に名場面を積み重ねていく。物語より歌舞伎の様式を生かせる見せ場をどう作り出すかを最優先した態度は、この原作に対してこの上なく正しい態度だ。三層重ねで上下動する装置、スッポンは数回、フライングから宙乗りと舞台の機構をフルに活用したサービス精神。この舞台の中心にあって、理屈抜きの楽しさを客席に届けようとする染五郎の心意気が伝わってくる宙乗りが感動的だ。

明智は隠密同心という設定で、岡っ引きから小五郎の旦那、明智の旦那と呼ばれ、銭形平次のような家に住み、ベランメェ口調で長谷川平蔵のようでもあり、小林少年は大きくなったらお奉行になって悪を懲らしめると語ったりと小ネタもなかなか楽しい。原作では人外の哀しい人間豹だが、「朧の森」のライのようなキャラに変えてはいるが、無責任な大人や社会にスポイルされた被害者としたのはインパクトに欠けた。ここは懺悔の値打ちも無い絶対悪の方がよかった。朝日に酷評といっていい劇評が載ったので心配してたのだが、全然OK。楽しく面白い。良い舞台だった。

江戸川乱歩=作「人間豹」より
岩豪友樹子=脚色
九代琴松=演出
(出  演)
幸四郎 高麗蔵 春猿 鐵之助 錦吾 染五郎

2008/11/15

レッド・ボイス

ロサンゼルスの南、オレンジ郡を舞台に優れたミステリを発表して来たT・Jパーカー、今度は更に南下してメキシコ国境に接し、全米一美しいといわれるサンディエゴを舞台に、ビルから落ちたこことをきっかけに共感覚が備わってしまった刑事を主人公に据えた新作。

原題のThe Fallenに対し邦題はレッド・ボイス。で、共感覚ってのは何かというと、文字や音に色を感じたり、形に味を感じたりする特殊な知覚能力のことで、例えばマイルス・デイビスやスティービー・ワンダーは共感覚者として有名であり、カンディンスキーやナボコフなどは共感覚の持ち主だった可能性が指摘されている。とWikiにあった。こんな事がたちどころに分かる。本当、凄い世の中になったもんだ。

嘘は赤い四角形、恐れは黄色い三角形として見えてしまう殺人課刑事。人の言葉の真意を色の違いとして知覚できるのは職業的に大きな利点でも、プライベートではコミュニケーションの不全を招く。この二律背反に絡めとられ、大掛かりな不正をあぶり出す一方で共感覚のために夫婦関係の維持に苦慮する主人公の姿がじっくりと描かれる。静謐さのうちに情動を高め、エモーショナルな陶酔へと導くパーカーならではの味わい。

パーカー作品共通の、ミステリーであると同時に、喪失感の深さと高揚感で酔わせる恋愛小説としての魅力も健在。しかし、共感覚がミステリーとしての展開にそれほどの影響を及ぼす訳ではない点にはパンチ力の不足を感じる。
真っ赤な嘘に引っ掛けた邦題はベタだが、T・J・パーカーの作品群にすっと収まる統一感もあり好感を持った。

T・ジェファーソン・パーカー
訳 七搦 理美子
08.07 初版
早川書房 
¥2100

2008/11/14

11月吉例顔見世大歌舞伎 昼の部

一、通し狂言 盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)
   仁左衛門  時蔵  歌昇  菊五郎

男(仁左衛門)が芸者(時蔵)に入れ揚げるが、芸者には間夫(菊五郎)がいて結局身上をつぶしてしまう。騙されたと知った男は逆上し、無益な殺生を重ねた挙げ句に芸者の首を刎ねる。しかし男には本懐を遂げるべき大仕事が控えていた。というような話は鶴屋南北の作というだけあって四谷怪談に通ずる陰々滅々さが特徴的。
仁左衛門は愚かさと悲哀に至る役柄だが、どうも渋くてカッコ良すぎるきらいがある。芸者の時蔵にしてからが、仇な姿の良さはあるものの、ときめきに欠けて大したファムファタールに見えないから、仁左衛門の惚れた腫れたに今ひとつ説得力がない。菊五郎も粋と軽さがいい感じなのに、なにか全体にさっぱりしないくて、つい何度もうとうと居眠りしてしまった。

二、廓文章(くるわぶんしょう)吉田屋
   藤十郎  魁春  亀鶴  秀太郎  

これも一に同じく花魁に入れ揚げた男の話だが、同じ境遇とは思えぬ正反対の明るいキャラクター。これを藤十郎が性別、年齢など超越した境地で軽妙洒脱、愛嬌たっぷりに演じてとても楽しい。藤十郎凄いのである。

2008/11/13

ゲット・スマート

60年代に大流行したスパイ物のTVシリーズの中、異彩を放っていた007パロディ「それいけスマート」の映画化。主演のスティーブ・カレルはTVのドン・アダムスには似てちゃいないが、キャラクター的にはドンピシャの雰囲気。諜報本部の無意味に連続するドアや靴電話など、そこかしこにちりばめられた昔懐かしい定番のくすぐりに思わずニンマリ。

アラン・アーキンのとぼけた味わいで楽しませ、テレンス・スタンプのニコリともしない強面振りにしびれさせ、ジェームズ・カーンをワンポイントリリーフに起用するなど、行き届いた目配りでオールドファンを喜ばせる。若年層への対応もドウェイン・ジョンソンやマシ・オカ等のナンセンスなギャグで抜かりが無い。何だかんだと予想以上に笑わせられたのは嬉しい誤算だった。

でも一番の誤算はセクシーでキュートな魅力を発散したアン・ハサウェイの華やかなコメディエンヌ振り。プリティプリンセス、ブロークバックマウンテン、プラダを来た悪魔などで観たけど、今回のアン・ハサウェイ最高だった。

Get Smart
監督:ピーター・シーガル
脚本:トマス・J・アッスル、マット・エンバー
製作総指揮:スティーブ・カレル、ブレント・オーコナー、
製作:アンドリュー・ラザー、チャールズ・ローブン、
撮影:ディーン・セムラー
音楽:トレバー・ラビン
美術:ウィン・トーマス
キャラクター原案・監修:メル・ブルックス、バック・ヘンリー
出演:スティーブ・カレル、アン・ハサウェイ、ドウェイン・ジョンソン、アラン・アーキン、テレンス・スタンプ、ジェームズ・カーン、マシ・オカ
2008年 アメリカ 1時間50分

2008/11/12

赤めだか 立川談春

今年6月の歌舞伎座、談志・談春の親子会のチケットを取ろうと発売日の夜にアクセスしたが既に完売だった。これを読んで、談春にとって歌舞伎座の意味と重さがどれほどだったか、師匠の体調の悪化に、さぞかし無念な事だったかがズンと伝わって来た。行きたかったな親子会。

高座に上がったまま寝込んでしまったが、お客に暖かく見守られたのが古今亭志ん生なら、客席で客が寝ているのに腹を立ててトラブルになったのが立川談志。好き嫌いは置くとして、どちらのエピソードも面白い。特に談志は、昔から「落語とは人間の業の肯定である」なんてことを大声で言っていながら客の居眠りは肯定できないってあたり、普通の社会人としてはなにだが、芸人としてはありだろう。

師匠の小さんにしてからが、剣道の達人としていつも竹刀に剣道着で練習している姿がトレードマークという人で、例えば「たがや」なんぞは一体どんな心持ちでやるもんかと気になるようなところもあった。そういう変わった系譜に入るにしては、談志に惚れて入門したとは言え、談春という人はとても真っ当で、だから談志の太っ腹と小心さが、負けん気と強がりが交差するユニークなキャラクターが作り出す危うい状況と、そこを苦労して泳ぎ続ける一門の姿が愛情深く活写されて、噺家の修業話や楽屋話を聞く面白さもさることながら、成長小説を読むような感動を味わわせてくれる優れもののエッセイになっている。

立川談四楼の『シャレのち曇り』ランダムハウス講談社を合わせ読めば、落語協会を脱会して立川流を旗揚げした一連の騒動が立体的に見えてきて、面白さは倍増する。

08.4.20 初版
08.6.30 3刷
1333円
扶桑社

2008/11/10

イーグル・アイ

HAL2000がディスカバリー号を支配した後、東西冷戦下のコロッサスとガーディアン(地球爆破作戦)が継承したコンピューターの反乱史。21世紀入り、より今日的な意匠をまとった「マトリックス」3部作が新たなページを刻んでいる。キアヌ・リーブス扮するネオは、スターゲートを通過して超人へと進化を遂げたボーマン船長の成人した姿に他ならないことではあるわけだが、キューブリックが思い描いたような未来は、今となっては幻想的過ぎたということで、「マトリックス」が提示した世界観には結構な説得力があった。

「マトリックス」が「2001」年の子供なら、この「イーグル・アイ」は「地球爆破作戦」の子供という事ができるだろう。理想社会を実現する管理システムの暴走を、謎とスリリングなアクションとを丹念に積み上げながら、サスペンスフルに浮かび上がらせて見応えがある。展開は淀みがないし、親子兄弟の家族愛に絞った物語とキャラ設定は営業的ではあるけれど、感情移入しやすくて楽しめた。

大ネタはSFだが、見ながらふと頭に浮かんだのは「北北西に進路を取れ」。原因不明の追っかけっこの感じが何となく似てるのだな。

Eagle Eye
監督:D・J・カルーソ
脚本:ジョン・グレン、トラビス・アダム・ライト、ヒラリー・サイツ、
製作総指揮:スティーブン・スピルバーグ、エドワード・L・マクドネル
製作:アレックス・カーツマン、パトリック・クローリー
撮影:ダリウス・ウォルスキー
音楽:ブライアン・タイラー
美術:トム・サンダース
原案:ダン・マクダーモット
出演:シャイア・ラブーフ、ミシェル・モナハン、ロザリオ・ドーソン、マイケル・チクリス、ビリー・ボブ・ソーントン
2008年 アメリカ映画 1時間58分

略奪の群れ

カポネと並んで名の知れたジョン・デリンジャー。近くはウォーレン・オーツの出世作が「デリンジャー」だったっけ。現在はジョニー・デップがデリンジャーに扮する作品が進行中らしい。カルロス・ブレイクの邦訳第3弾は、デリンジャーの右腕と目されたハリー・ピアポントという男を軸に、大恐慌にあえぐアメリカは中西部をまたにかけた銀行強盗団のしのぎを描いたクライムストーリー。大恐慌の再現といわれる今、申し分ない訳出のタイミングではある。

ピアポントとデリンジャーを始め、まるで青春小説のような爽やかさ漂うギャング達の肖像。どのキャラクターも良く描けて魅力的だし、公序良俗の枠組みに納まれず、ヒリつくような瞬間にしか生きる実感を得ることができない者達の仕事振りと意見をテンポ良くスポーティーに描いて、倫理道徳を基準にしないカルロス・ブレイクの筆はますます快調。軽く読めるが、軽くない面白さには大満足。ちょい役だが、何事があろうと常に120%息子を擁護し受け入れるピアポントの母親には泣けた。

確かに、平然と銀行強盗を繰り返すギャング達の話だから、「略奪の群れ」という題に偽りはないが、そんな野盗や山賊を思わせるような集団の話ではなく「HANDSOME HARRY」という原題が余程しっくりくる中味ではある。この間訃報が届いたポール・ニューマンの「暴力脱獄」が原題を『COOLHAND LUKE』といったのと同様のギャップを感じる。どちらも誇りと名誉を描いて香り高さもあるだけに、粗野で暴力的な印象の邦題がちょいと情けない。

ジェイムズ・カルロス・ブレイク
加賀山卓朗 訳
2008年9月10日 1刷
文春文庫 819円

2008/10/19

四十七番目の男


狙撃の名手が得物を日本刀に変えて、剣の達人と斬り結ぶのである。斬新というより突飛と言うに相応しい設定。それもボブ・リー・スワガーなのである。スワガーが日本でチャンバラ!って、そういう事はあり得ないのである。ダーク・ピットならいざ知らず、よりによってあのボブ・スワガーだなんて。

ところが、激戦の硫黄島を振り出しに、スワガー親子二代に渡る名誉と因縁を、一振りの刀の運命と共に語り尽くす、このお話が滅法面白いのである。
まあね、日本人がほとんどポルノ漬けのように描写されてるのには違和感あるし、アダルトビデオで財を築いた黒幕というのも、パチンコで財を成したとかした方が余程リアルかと思うが、それは日本人の見方で、アメリカのド田舎から来たスワガーにしてみれば、現代東京はそんな風に見えたのかと、それはそれで興味深い。そうした描写もあるにはあるが、スティーブン・ハンターが侍の歴史と文化を熱心に研究し、好意的に描いていることに驚く。特に物語の核心をなす刀の由来や刀剣の蘊蓄など、目のつけどころも新鮮で楽しめる。

スワガーとは言え、すぐに剣術をマスターし日本刀を自在に操れるようになるわけではない。そのためにスワガーは修業に励むのである。60歳にして内弟子として入門するのである。そして健気な修行を重ねるのである。まったく、良く辛抱するのである。入門とはそういうことなのであるから仕方ない。欧米の人から見て、この師弟関係と言うのはかなり東洋の神秘を感じるところではなかろうか。例えば「燃えよカンフー」「ベスト・キッド」「グリーン・デスティニー」「バットマン・ビギンズ」等々、東洋的なるものとして師弟関係は描かれている。
「スターウォーズ」のジェダイは時代劇の時代からとったというのもそうだが、東洋の師弟関係、特に、弟子にとっての師匠の絶対性というものは、キリスト教的には不思議なものに映るのではないか、神秘的にも見えるのではないか。

現代風俗のおかしな描写に突っ込みを入れる楽しみ方も含め、郷に入って郷に従い、相手の土俵で相撲を取るスワガーの、見事なサムライスピリッツを十全に受け止め、楽しめるのは、まさに日本人に許された特権ではありましょう。

あとがきによれば、スティーブン・ハンターがこの本を執筆したのは「アメリカ映画が新たな低みに達したため、職業的映画批評家としての人生にふさぎの虫が巣食ったところに「たそがれ清兵衛」観て、さらに日本のチャンバラ映画に活路を見出した」からてな事らしい。
気になったのは、新たな低みに達したアメリカ映画とは何を指しての事か。アメリカ映画もよく見ているが、新たな低みという皮肉な言い方に合致するものは何だろう、スワガーのスタイルの対極にある作品で低みにあるのはとしばし考え、思い浮かんだのが「キル・ビル」。
絵面の刺激にトコトン拘ったキルビルの滅茶苦茶さ、例えば妊娠中の花嫁が教会で襲われるなんてのを観ながら、もうそのお下劣さに頭抱えているハンターってのは想像できる。真面目なハンターが「キル・ビル」の返り討ちを意図して書いたものかと思わせるのである。

2008/09/29

トウキョウソナタ

失業を家族に告げられぬ父。すれ違う親子の気持ち。家族へ届かぬ母の思い。
ごく普通の4人家族だったのに、いつの間にみんなの気持ちがてんでんばらばらになっている。
何故なのか、どうしてなのか分からないが、とにかくそうなっている。

家族構成が同じ。食卓の席の並びも同じ。進路が定まらぬ長男。父と子の諍い。何だか身につまされる場面が連続する前半の展開にどんどん惹き込まれる。妻を演じるのがキョンキョンだからいいようなものの、もしこれが樹木希林だったらほとんど我が家のドキュメントじゃないか。

親子兄弟、それぞれの役割に収まりきれなくなった家族がどんどんバラけていく。会社勤めを偽装し、親の権威を維持しようとする父親の余裕の無さが、息子等の抱えている問題を露にし、妻に空虚さをもたらしていく。家族の中心にあって、一生懸命なんだけどどこかズレてしまう男の焦燥や、やり場の無い怒りを怪演する香川照之の目付きがいつもながら素晴らしい。キョンキョンのどこかつかみどころのない母親も良いし、きかん気な表情に反抗心も素直さものぞかせる次男を演じた少年も大変良かった。

それぞれの事情を抱え、それぞれが過ごす不思議な一夜。地を這うような前半の流れがこの転調で一変し、映画は静かな高揚を感じさせながら、まるで吸い込まれていくように、思いもよらぬ場所と時間を経験する家族の姿を映し、そこから先、よれよれになって一人、また一人と家に帰還してくる父母子の姿に、家族の役割とか責任とかから解放された家族の新たな可能性を暗示する。

クライマックスは必要以上に感動的だが、スリリングな展開のうちにブラックなユーモアが随所にちりばめられ、結構笑える作品でもある。


監督・脚本: 黒沢清
脚本: Max Mannix / 三浦幸子
プロデューサー: 木藤幸江
撮影: 芦澤明子
音楽: 橋本和昌
製作: 小谷靖: 椋樹弘尚: 武石宏登
編集: 高橋幸一
出演:香川照之 小泉今日子 小柳友 井之脇海 井川遥 津田寛治 役所広司
(C) 2008 Fortissimo Films/「TOKYO SONATA」製作委員会

2008/09/28

アイアンマン

最新兵器を売込みに行った先でゲリラに拉致されたトニー・スタークはゲリラの裏をかき辛くも脱出する。しかし兵器製造に虚しさを感じ、トニーは経営方針の転換を図ろうとする。

ロバート・ダウニー・Jrが天才的な発明家であり辣腕の経営者というカリスマを切れ味良く演じてとてもカッコいい。傍若無人な振る舞いにも知性と憂いが感じられて魅力的だ。アイアンマンの初号機から改良2号へと開発エピソードが展開していくところの楽しさは抜群で、洗練の度を高めていくアイアンマンのメカニカルデザインの面白さに派手なアクションも加わり、何だかプロジェクトXなどと同質のカタルシスさえ感じられる。

スキンヘッドにひげという珍しいビジュアルで役作りに挑んだジェフ・ブリッジスが、これまた素晴らしい重量感で作品に風格を添えている。グウィネス・パルトローも初々しくて良かった。男の中の少年の夢を全てかなえてくれるような、心配りを感じさせる脚本と痒いところに手が届いた演出。おもてなしの心溢れた、爽快で痛快なアイアンマンの仕上がり具合がとても楽しい。

原題:IRON MAN
監督:ジョン・ファヴロー
脚本:マット・ハロウェイ / アーサー・マーカム
撮影:マシュー・リバティーク
音楽:ラミン・ジャワディ
出演:ロバート・ダウニー・Jr ジェフ・ブリッジス テレンス・ハワード グウィネス・パルトロー
2008年アメリカ
配給:ソニー・ピクチャーズ

2008/09/17

パコと魔法の絵本

因業なじじいが無垢な少女と出会って生まれ変わる。要約すればそれだけのお話。スクルージのバリエーション。タイトルからして「パコと魔法の絵本」だし、「おくりびと」ならまだしも、忙しい大人を引き寄せる要素は皆無だ。実に残念だ。素晴らしい作品なのに。大人は観に行かないだろうな。でも、ポニョかわいいとか言ってる場合じゃないんだよ。断然パコなのだよ。

優しさなのか、弱さなのか、どこか壊れた入院患者達。啖呵を切るのはスタイル抜群の看護婦さん。号泣する強面の男達。タフでなければジェントルにもなれぬという意見もあるが本当に優しいことが一番強い、という絵本のメッセージは傾聴に値する。

アメコミ風デザインのキャラをコスチュームプレイする役者達の、一見誰とは分からぬメイクとオーバーアクトがキッチュな背景とも良く調和している。それぞれのキャラが明確で、どの役者も思いっきり役を楽しんで魅力的だ。クライマックスは実写とCGアニメをハイテンポなカットバックでつなぐという手間のかかる仕事振りで見せ場は最高に盛り上がり、パコが導く高揚感が安らぎと希望に満ちたエンディングへと美しく豊かに実を結ぶ。

派手派手しく洋風にお洒落っぽい作りだが、尻がむず痒くなるような恥ずかしさとは無縁の堂々たるファンタジー振り。日本でもこんな高水準の作品が出来ちゃったんだなぁ。ディズニーにもティム・バートンにも遜色ないどころか凌駕する勢いに胸をうたれる。下妻、松子、パコと観たことのない世界を拓き続ける中島哲也凄い!。今年度を代表する1作として「おくりびと」を認定したばかりだが、チャレンジングなクリーエータ魂が炸裂したこの作品、本年屈指の最高傑作に決定なのだ。ゲロゲーロ!


監督:中島哲也
脚本:中島哲也、門間宣裕
原作:後藤ひろひと
撮影:阿藤正一、尾澤篤史
音楽:ガブリエル・ロベルト
美術:桑島十和子
出演:役所広司、アヤカ・ウィルソン、妻夫木聡、土屋アンナ、阿部サダヲ、加瀬亮、小池栄子、劇団ひとり、山内圭哉、國村隼、上川隆也
2008年日本映画
1時間45分

2008/09/16

ウォンテッド

上司からは嫌がらせ、同僚には馬鹿にされ、恋人には裏切られる。無気力な日々を送るヘタレ君が、ある日突然選ばれた男と告知され、世界の秩序を人知れず守り続けてきた異能の暗殺集団の一員として生まれ変わる。

新時代のアクションを謳ったケレン味たっぷりの予告編を幾度となく見せられて、それなりに楽しみにしていた作品。冴えない男が一夜にして富と権力に近づいていく前半が「石の血脈」、後半はフォースを得て反撃に転じる「帝国の逆襲」な展開でみせるノンストップのマンハント。VFXで飾り立てたガンアクションとカーチェイスを配し、異能者達の暗闘はビジュアルな刺激もたっぷりだが、暗殺者の能力や組織についての設定は単に設定のままに終始する。銃弾をカーブさせられることがどれほどのものか良く分からないほどにストーリーも平板。話が面白くない時、過剰なCGの投与は、クライマックスの壮絶アクションの最中に不覚をとるほど、年寄りにとって催眠効果が大きい。


原題:Wanted
監督:ティムール・ベクマンベトフ
脚本:マイケル・ブラント、デレク・ハース、クリス・モーガン
製作総指揮:マーク・シルベストリ、アダム・シーゲル、ロジャー・バーンバウム、ゲイリー・バーバー
原作:マーク・ミラー、J・G・ジョーンズ
撮影:ミッチェル・アムンドセン
音楽:ダニー・エルフマン
美術:ジョン・メイヤー
出演:ジェームス・マカボイ、アンジェリーナ・ジョリー、モーガン・フリーマン、テレンス・スタンプ
2008年アメリカ
1時間50分
配給:
東宝東和

2008/09/15

おくりびと

都会で食い詰め帰郷した男。旅行会社に採用されたつもりが、仕事は安らかな旅立ちへのお手伝い。そんなこととはつゆ知らぬ健気な妻の笑顔に送られる日々。ひょんなことから踏み込んだ納棺士への道、男はいつの間にか両足で歩いている。

納棺の儀式を執り行う本木雅弘の心を込めた所作手さばきの鮮やかさ。世俗の汚れをきれいに落とされ、死者の面に生気が蘇る。悲しみを新たにする遺族が見守るうち、死出の装束を清らかにまとわせられて、死者は静かに棺へと納められる。人間の尊厳を慈しむ画面に自然と涙も滲んでくる。泣かせる作品なのだ。

泣かせるがお涙頂戴という訳ではない。人が生きていくことのもろもろを、静謐さと厳粛さのうちに、皮肉の効いた笑わせどころもしっかり織り込んで、厳しくも優しいお話として提示する。その丁寧で行き届いた仕事ぶりに泣けるのだ。そもそも、モックンが納棺師をモチーフに、脚本は小山薫堂を指名するところから始まった企画だと言う。確かに、これはビジュアル的にも物珍しさからも映画にはおあつらえ向きの素材だ。納棺師と死者との距離感でドラマの幅を広げた脚本は、伏線の張り加減に強引とも周到とも言えそうなギリギリ感もあるが、作品の魅力からは周到という他無い仕事ぶりで指名に応えた小山薫堂はあまりにカッコいい。
滝田洋二郎の丁寧な画面作りと抑制の効いた演出も素晴らしい。「陰陽師」や「阿修羅城の瞳」のようなスペクタキュラーなものより、前作「バッテリー」同様、家族や夫婦をモチーフに普通の人々を描く方がこの監督の柄に合っているのだろう。

プロデュース的なセンスも良いモックンの、作品を力強く引っ張っる華も実もある役者振りがいい。山崎努の人を喰った怪人振りと余貴美子の生活感が作品にクッキリと陰影を刻み込み、広末は屈折した笑顔で貢献する。素材の新鮮さに対し、奇をてらわぬキャスティングが醸し出す説得力。月山を望む庄内平野の美しい四季を背景に、生きとし生けるものへの共感と慈しみを描いて、隅々迄刺激的だが味わい深くもある、今年度を代表する作品。


監督:滝田洋二郎
脚本:小山薫堂
撮影:浜田毅
音楽:久石譲
出演:本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、杉本哲太、山田辰夫、吉行和子、笹野高史
2時間10分
配給:松竹

2008/09/09

チャイルド44 上・下

スターリン時代のモスクワ。国家保安省捜査官レオは反革命分子の摘発に辣腕をふるっていたが、悪意ある同志の姦計により失脚。辺境に追われ失意の日々をおくるレオが目にした殺人事件。損壊された遺体。その異様な手口に連続殺人を疑うレオは本格的な捜査を進言するが一顧だにされない。偉大なる革命国家に犯罪など存在する余地はないとする体制下、レオは存在してはならない捜査に踏み出していく。

スターリン政権下の猟奇連続殺人というアイディアが秀逸。異色というか盲点を突いた設定で鮮度が高い。革命直後の社会状況の苛烈さ、相互に監視し合う閉塞的で油断のならない毎日、寛ぐことさえ困難な社会の有様を、革命勝利への必然と肯定する社会主義に教化された主人公が、政治的にあり得ない事件の解決へと身を投じていく過程を、個を回復し他者への信頼を獲得していく成長の物語として料理してみせた作者の腕前の鮮やかさ。

陰鬱な世界に暗くて重いエピソードの連続だが、各キャラクターの描出には安定感があり人物はしっかり立ち上がってくる。非人間的な状況下の非人間的な事件が、抑制の効いた、それでいて随所に清新な気風漲る文章で生き生きと人間味溢れる物語として描き出されている。

ミステリーとしては様式的にバランスを欠いていることもある。因果が劇的すぎるきらいもある。が、そんな偏狭な見方を吹き飛ばす熱気と志しの高さこそ、この作品の素晴らしさと思う。月並みだが、重厚で骨太な面白作品。これがデビュー作という30才のニューカマー。次作も断然期待なのだ。

チャイルド44 上・下
トム・ロブ・スミス
訳 田口俊樹
平成20年 9月1日 初版
新潮文庫

2008/09/08

loversー永遠の恋人たち トレース・エレメンツ展

歩き、立ち止まり、きびすを返し、走り、両手を広げ、抱きしめ、消失する。
部屋の中央に積み上げられた7台のプロジェクターから投影された人たち。
輪郭を黒壁に溶かして浮かび上がる裸の男女が同じ動きを繰り返している。
それぞれ動きは独立し動きにそれ以上の意味はなく、互いに何の関係も無い。
だが、制御されたプロジェクターが交錯して、個々の動作に意味が生まれる。
一連の動きが、おいかけ、すれ違い、抱擁など関係を示す動きへと変化する。
儚く不確かなゆえ、より強固にしようとする人の営みを照らすように、
等身大の五つの裸体が4面の黒壁を世界に繰り広げるエンドレスライフ。
機械の同調が産んだ静かで美しい幻影。

もし若い頃、辛い恋愛や立ち直れない失恋の渦中にこの作品に出会ったなら、
その辛さにしっかり向き合える力が湧いてきたのでは無かろうかと思わせる、
loversー永遠の恋人たちと題されたビデオインスタレーション(古橋悌二作)
09.8.30

「トレース・エレメンツ 日豪の写真メディアにおける精神と記憶」展
東京オペラシティーアートギャラリー

2008/09/01

20世紀少年  デトロイト・メタル・シティー

20世紀少年
漫画のキャラとよくマッチさせたキャスティング。石橋蓮司の万丈目や宮迫のケロヨンはとても良く似ている。おっちょの豊川悦司はキャラ的にも最高格好よかったが、唐沢のケンヂは記憶力も悪過ぎで結構興を削がれる。 お話は原作をよく整理してあり、少年時代のドラマも良く出来ていたが、漫画の始めの頃の、背中がぞくぞくっとくるような面白は全然なかった。 2作目の予告に登場したカンナが溌剌と魅力的。春波夫の古田新太も完璧。結局、次作に期待させられた。

デトロイト・メタル・シティー
クラウザーさんの状況を常に読み誤って勝手に感動する熱烈ファンの勘違い振りを、しっかり提供してくれる大倉孝二が大変良い。松山ケンイチのクラウザーは格好良く、根岸との落差も明確でこれもいい。で結構笑えたのだが、クラウザーの正体を、あろうことか母親と相川さんに知られて佳しとする展開は誠によろしくない。一番知ってほしい人に、一番知られたくない。このジレンマに身悶えしながら、いつの間にかデス道に邁進してしまうのがクラウザーさんのチャームポイントなので、これは原作の精神を踏みにじる、まさにレイプするに等しい改悪だ。こういう安直な甘さに流れ、デス度が不足したのが惜しまれる。せっかくアースホールなどという素晴らしいネーミングの会場を用意しながら、クライマックスに向けてランニングだなんて芸が無さ過ぎだ。ジーン・シモンズとのデス対決にしてからが、アンプが爆発、それも2度だなんて野暮の骨頂もいいとこだ。なんで音楽的な盛上げで勝負させない。とてもがっかり。全体に甘いばかりでデス度が足りない。もっと厳しく責められたなら大笑いだったのに。

2008/08/31

ハムナプトラ3・ハンコック・クローンウォーズ

ハムナプトラ3
万里の長城の建設現場や動く兵馬俑が見れただけで嬉しい。パターン通りの展開もシリーズならではの楽しさ。冒険伝奇の面白さも、SFに流れたインディー4よりもよほどしっかり味わわせてくれた。2が大味で面白くなかったから期待していなかった分得した気分。

ハンコック
スーパーヒーローたるもの、人品骨格卑しからず知能指数は高く倫理道徳観に優れている。という国際的な了解も虚しく、人品骨格卑しく知能指数は低く倫理道徳観に劣ったハンコック。そんなハンコックに命を助けられた男がハンコックを社会から求めら皆から愛される正しいスーパーヒーロへとプロデュースする。言葉遣いを改め、社交辞令の一つも覚え、ユニフォームに身を固めさせる。このスーパーヒーロー教養講座が結構可笑しい。
前半の快調なコメディータッチに対し、ハンコックが自立して後半はシリアスな展開。ちょっと転調がキツ過ぎるくらいにガラリと雰囲気が変わって、ロマンティックな悲劇性が前面に押し出される。これはこれでなるほどだが、シャレの効いた前半の勢いに較べると弱いかな。でも面白かった。

クローンウォーズ
3Dアニメのスターウォーズ。ジャバ・ザ・ハットの息子の誘拐事件に隠された罠にジェダイたちが絡めとられていくというストーリーもいつもながら暗くて大人向き。アナキンもメースウインドーもパルパティーンも良く似ている。実写版もアニメ版もCG表現は共通なのでビジュアル的には全然OK。アナキンなどヘイデン・クリステンセンよりいい感じのキャラになっている。スターウォーズがあんなに陰惨な話になって行ったのはヘイデン・クリステンセンのせいではないんだけど。今回アニメ用の新キャラ、アソーカはあまり魅力を感じなかったなぁ。

2008/08/24

八月納涼大歌舞伎 三部

一、新歌舞伎十八番の内 紅葉狩(もみじがり)
8月15日だが舞台は秋真っ盛り。一面の紅葉なのである。そこに歩み出る橋之助(平維茂)の何とすっきりときれいな立ち姿。コミカルな従者の高麗蔵、亀蔵が一層引き立てる。平維茂に対するお姫様実は鬼女の勘太郎。これが大した頑張りで好感度大。特に肩入れするわけはないが、時に危なげある舞扇のジャグリングにいつの間にかこちらも力が入って、しくじるなよとついハラハラさせられるスリリングな時間。若い人の一生懸命を舞台と客席が一緒になって支え、いつの間にか見守っている。そんな一体感を生んだ勘太郎は敢闘賞。

びっくりしたのは、お姫様の侍女が素晴らしい踊りをみせたこと。子供の様だが上手い上に色っぽくて独特の雰囲気に目が離せなくなった。とても気になって、隣の御婦人に教えを請うたら、最近中村屋の部屋子になったつるまつさん、中学生。とのこと。うーん、これは今後の成長を見守りたい。二部三部を通して一番印象的だった鶴松くん。

更科姫・戸隠山の鬼女 勘太郎  山神 巳之助  従者右源太 高麗蔵  
同 左源太 亀蔵  侍女野菊 鶴松  腰元岩橋 市蔵 局田毎 家橘 
余吾将軍平維茂 橋之助

二、野田版 愛陀姫(あいだひめ)
野田秀樹が歌劇「アイーダ」を アイーダ=愛陀姫 ラダメス=木村駄目助左衛門 アムネリス=濃姫 と言うセンスで歌舞伎に移植。エジプト王=美濃の斎藤道三というダウンサイズに悲恋という本質が損なわれることはないはずだが、(きむラ ダメスけざえもん)という遊びの名に恥じぬ悲恋を見せようってのが野田版の心意気なんだろう。
コメディー部門をリードするインチキ祈祷師コンビ荏原と細毛の扇雀と福助。一見誰だか分からない念入りなメークの福助の、混乱するほどにテンションが高くなっていくインチキ祈祷師ぶりが可笑しい。この優れたコメディエンヌ振りは福助の美しさを裏付けるものだ。
シリアス部門をリードするのは七之助と橋之助に恋敵の勘三郎。三角関係の行き詰まりと打開が悲恋へと盛り上がるところが、三者ともキャラの立ち具合が今ひとつなのは残念。象や、昇天する魂などビニールの使い方が効果的なぐらいに、恋愛の高揚感にも不足気味だったが、歌劇アイーダをパロディーとして遊び倒した野田版。沢山笑わさせてくれて楽しい納涼の夕べとなった。
朝から晩迄大活躍の勘三郎、並の人ではないが流石に喉にも疲れが感じられるようだった。

濃姫 勘三郎  愛陀姫 七之助  駄目助左衛門 橋之助  高橋 松也
鈴木主水之助 勘太郎  多々木斬蔵  亀蔵  斎藤道三 彌十郎  
祈祷師荏原 扇雀  同 細毛 福助  織田信秀 三津五郎  
2F東5-1 8/15

2008/08/22

八月納涼大歌舞伎 二部

第二部
一、つばくろは帰る(つばくろはかえる)
大工文五郎は、仕事のために京へ上る道中、一人旅の少年に見込まれ道連れとなる。少年は母を訪ねるが、祇園の芸妓となった母は会おうとしない。大工の三津五郎と芸妓の福助でみせる人情話。歌舞伎は健気な子役の使い方が本当に上手い。今回は子役が主役級の活躍で、三津五郎と福助の出会いと別れのほろ苦さ。親離れ子離れの切なさに客席の共感も深くなるわけだが、ちょっと福助泣き過ぎの観があって、その分こちらは乗り遅れた。長い割にドラマ的な盛り上がりが薄かったが、京の四季を様々にみせた背景美術の頑張りが楽しめた。

二、大江山酒呑童子(おおえやましゅてんどうじ)
美術を串田和美が担当している。人形を燃やしたり、エンディングのケレンなどに勘三郎とのコンビらしさが感じられた。鬼退治とはいえ、そこはかとなく漂うおっとりユーモラスな雰囲気も合わせて楽しい舞台だった。

酒呑童子 勘三郎  若狭   福 助  なでしこ 七之助  わらび  松 也  
卜部季武 巳之助  碓井貞光 新 悟  公 時  勘太郎  渡辺綱  亀 蔵
平井保昌 橋之助  源頼光  扇 雀
3F1-19 8/15

2008/08/21

君の身体を変換して見よ展

会場のある東京オペラシティータワー、初めてなのに前に来たような気がする。デジャヴ?、いや、駅からのアプローチが以前行ったことのある白金のプラチナタワーとそっくりだからと思い至った。最近はこの手が流行なのか。 

ピタゴラスイッチでおなじみの佐藤雅彦先生が夏休みの子供達に向けて用意した「君の身体を変換してみよ展」。案内によれば、「人間の身体感覚を刺激して身体の気持ちを考える実験装置ともいえる作品」の展示。とのこと。
くぐる、通す、振る、はねる等、簡単な身体の動きをコンピューターが別の情報に書き換える。その意表をつく変換を遊ぶうちに、身体感覚が拡大し更新されるような気分が沸き上がってくる。これまでに様々に工夫されてきたコンピューターはヒューマン・インターフェース。いっそ自分の身体そのものをインターフェースにこんな遊びはどうでしょう。という感じで、作品というより遊具として親子が楽しそうに興じている。クールでシンプルな表現にユーモアとぬくもりが伝わってくる佐藤雅彦らしさ溢れる仕掛け。もちろん大人でも楽しい。会場のおねえさん達が親切で感じよかったのも高ポイント。

信頼すべき筋から、なるべく午前中早く、出来れば複数で行くべしとの情報を得られたが、本当にそうだ。都合で一人で行ったが、一人じゃつらい遊びもあった。でもそれは作品のせいじゃない、こちらの過剰な自意識のせいなんだけど。

会場のICC(NTTインターコミュニケーション・センター)には、変換してみよ展の他に長期展示の作品がある。いずれもコンピューターと融合し、インターフェースにこだわった、環境的体感的刺激的かつ美しい作品。勉強不足でここは今迄ノーマーク。3階のギャラリーも合わせて、今後は要チェックだ。

2008/08/17

聞いてないとは言わせない J・リーズナー

見渡す限り空と大地が広がるテキサスのど田舎。ヒッチハイクの若い男が仕事を求めて訪れた先は、美貌の中年女性が女手一つで切り盛りする農場だった。

静かなうちに謎めいた導入。簡潔な叙述と展開の早さで苦もなく本の世界に入れた。平和な暮らしに色恋の行方絡め、充分下地が整ったところでバイオレンスに転調。一気に話が動き出す。一瞬に攻守ところが変わるアクション。悪党達の生態やアメリカ中西部の田舎町の描写も魅力的だ。全体に読者の気を逸らさない心遣いと工夫が行き届いて、B級感覚溢れる意外性も小気味良い。無駄を排した語り口に必要十分なスケールを備えたクライムアクション。原題より気の利いた邦題の良さもだが、ピリリと辛口の幕切れもカッコいい。

DUST DEVILS
ジェイムズ・リーズナー 訳:田村義進
2008年 6月15日 発行
ハヤカワミステリ文庫

2008/08/11

ダークナイト

歴史的傑作。

超法規の正義というあり方に矛盾と限界を感じたバットマンは、ゴードン警部と検事ハービー・デントの熱血に後事を託そうとする。しかし、バットマンの矛盾をあざ笑う怪人ジョーカーは、善と悪とは表裏、互いに補完し合って世界は成り立っているのだよと、人々のエゴや独善を抉り出す奇手奇策をつぎつぎに繰り出しゴッサム・シティーを混乱と恐怖に陥れ、バットマンも次第に追いつめられてゆく。

CGの発達が可能にしたアメコミの実写化。次々と登場した新顔に最新の仕様に身を固めたベテラン達。超絶的な能力で目覚ましい活躍を見せる彼らも、時代の波に洗われ曖昧模糊とした善悪の境界上に悩みを深くするようになった。こうした流れの中にリニューアルされた「バットマン・ビギンズ」もバットマン誕生の動機と戦いが原作のコミック的味わいを一掃したリアルさのうちに描かれていた。

そして「ダークナイト」だ。巻頭、水際立った銀行襲撃から、クールなビジュアルと快適なテンポで観客をゴッサムシティーの闇へと一気に引きずり込む。さらに悪との戦いに心身のダメージを深くするバットマンの痛々しい姿を冴え冴えと描き出して、リアルさの追求も筋の通し方も文句無く美しい。

倫理道徳も善も悪もない、やりたいことをやりたいようにやるのだ。シンプルを極めたジョーカーの生き方。ヒース・レジャーの怪演がジョーカーに強烈な魅力と説得力を与えた。我々の裡なるジョーカーが刺激され激しく揺さぶられる一方、バットマンの活躍に我が裡なるバットマンも共振し始める。
ジョーカーがバットマンを苦しめれば、その攻め方の巧みさに快感と不安が生まれる。バットマンがジョーカーを痛めつければ、その一方的な暴力に疑問と同情が生まれる。両者の対立は即、観客自身の心理的葛藤を産み、物語の進行に伴って葛藤は自省へと変化せずにはおかぬよう働きかけてくるせる。そのように観客をコントロールするのは、どんな発想から誰がクリエイトしたものか知らないが独創的な白塗りメイクに負け犬のような哀しい上目遣いを与えたヒース・レジャーだ。あの哀切な眼差しあればこそ、観客は裡なるジョーカーに引導を渡すことができる。中にはバットマンに引導渡す人もいるやも知れず、それくらいヒース・レジャーのジョーカーは人間味溢れて魅力的だ。

パワフルなアクションと満載の見せ場が矢継ぎ早に繰り広げられる娯楽大作でありながら、人間とは何かが思いっきり考察されたキャラクター達が現代を正確に反映したシチュエーションの中に息づいている。重量級の役者達が魅せるドラマは、世界が抱え込んだ病理に真っ向から斬り込んで、これがアメコミヒーローの映画なのかと唖然とするシビアさで観客に問題を突きつけ、しかし、これこそがアメコミヒーローの映画なのだとばかりに、ダイナミックな映像美でグイグイ押してくる。落ちた偶像の真実を知る者の姿にアメコミヒーロー映画としての挟持が鮮やかに刻みこまれたエンディングの余韻も深い。

ミュージカル映画を革新した「ウエスト・サイド物語」。大画面に芸術性を確立した「アラビアのロレンス」。SF映画を革新した「2001年宇宙の旅」「スターウォーズ」これらの作品に比肩する、アメコミ映画の革新「ダークナイト」。洞察に満ちた脚本、聡明な演技、クールな演出に導びかれて隅から隅迄カッコいい怒濤と興奮の2時間半なのだった。



バットポッド、予告で観た時にはあのタイヤでは直進性が強烈すぎてコーナリングは不可能だろうと、不自然さが気になったが、本編を観れば、それを可能にするのがバットマンということで納得した。

原題:The Dark Knight
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:ジョナサン・ノーラン、クリストファー・ノーラン
製作総指揮:ケビン・デ・ラ・ノイ、トーマス・タル、マイケル・E・アスラン
製作:エマ・トーマス、チャールズ・ローブン、クリストファー・ノーラン
撮影:ウォーリー・フィスター
音楽:ハンス・ジマー、ジェームズ・ニュートン・ハワード
美術:ネイサン・クロウリー
原案:クリストファー・ノーラン、デビッド・S・ゴイヤー
出演:クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、ヒース・レジャー、マギー・ギレンホール、アーロン・エッカート、ゲイリー・オールドマン、モーガン・フリーマン、ネスター・カーボネル、キリアン・マーフィ、エリック・ロバーツ、アンソニー・マイケル・ホール
2008年 アメリカ 2時間32分
配給:ワーナー・ブラザース

2008/08/09

ハプニング

「シックス・センス」の大成功を受けて、その後のシャマランは自分のやりたいテーマに拘った仕事を続けている。「アンブレイカブル」「サイン」「ヴィレッジ」「レディー・イン・ザ・ウォーター」と、作家性を反映した独特のクセ球で、ストライクゾーンに入るか否か、どれもきわどいコースを衝いてきた。

演出技術にすぐれ、スリル、サスペンスの醸成も巧みなシャマランの、洗練された語り口に思わず惹き込まれ、この先いったい何処に連れて行かれるものかとワクワクしながらスクリーンをみつめるが、終盤、作品のテーマが浮かび上がるに至って、ワクワクが、何じゃこりゃ感へとスライドしてしまう。「シックスセンス」のサプライズ・エンディングを再び、と期待するほどに裏切られたような気分を抱え込むことになる。新作公開の度にそれが繰り返され、期待された興収も伸びない。最近では制作費も低予算化されてきたように感じる。

しかし、トンデモなテーマをメジャーのテクニックで料理するのがシャマランの本領だ。良質のサスペンスとともに大真面目に訴えてくるトンデモなテーマ。その主張はどちらかと言えばカルトの教祖みたいなこともあるが、言ってることには一理も二理もあり、言い方だって面白い。鮮やかな落ちへの期待は満たされなくても、本当の面白さは「何だこりゃ感」の中にこそあるといった塩梅。商業主義の中で抽象的、観念的なテーマを描いて、興行的にはこれから先も「シックス・センス」のような成功は覚束なかろうが、こういう人が一人ぐらいはいた方がいい。

新作も従来のパターンを踏まえているが、地球に対する人類の罪と罰というスケールの大きいテーマをロードムービーとして展開しているところが新しい。細部の矛盾や見せ場主義のあざとさなど、気になるところも少なくないが、緊張感が一定に維持され、静謐なうちに叙情漂う、雰囲気ある絵作りも流石。画面に侵入してくる禍々しさも緩急の程がいい。


ところで、地球環境に対する問題意識を前提にしていることでは、海からのポニョに対して陸からのハプニングで両方合わせると調度いい。ポニョ性善説とハプニング性悪説という対照的な構図も見えてくる。いずれにせよ明るい未来など見えていないのだ。それを、寝た子を起こすな的配慮で可愛さに逃げたのが宮崎なら、ストレートに提示したのがシャマランてことになる。ポニョ可愛いとかでヒットしてるけど、年寄りの言うこと真に受けちゃ駄目だよ、年寄りは狡猾なんから。

原題:The Happening
監督・脚本:M・ナイト・シャマラン
製作:M・ナイト・シャマラン、サム・マーサー、バリー・メンデル
撮影:タク・フジモト
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
美術:ジェニーン・オッペウォール
出演:マーク・ウォールバーグ、ズーイー・デシャネル、ジョン・レグイザモ、ベティ・バックリー、アシュリン・サンチェス、スペンサー・ブレスリン、ロバート・ベイリー・Jr.
2008年アメリカ
1時間31分

2008/08/06

告別式



好きだったのは、
「おそ松くん」ならハタ坊。
「天才バカボン」ならうなぎいぬ。
「モーレツあ太郎」ならココロのボス。
べしも懐かしい。
つつしんで哀悼の意を表します。

2008/08/02

インクレディブル・ハルク

人体実験による変異で興奮すると超人になってしまうブルース・バナーはブラジルに逃れ、隠遁生活を送っていたが、ついに追手の知るところとなり、特殊部隊に包囲されてしまう。

エドワード・ノートンが隠遁している大スラム街の、不細工な建造物が自己増殖を続けたように山すそから山頂まで隙間無くびっしりと覆い尽くした景観が凄い。ラッセル・クロウの「プルーフ・オブ・ライフ」でも似たような光景が見られたがあれはエクアドルだったし、南米というのは日本人の感覚を遥かに凌駕した世界だとつくづく感じられるが、それはともかく。

アン・リーのハルクに較べ、エドワード・ノートンのハルクは身体的、能力的にはかなりダウンサイジング。アン・リー版が凄すぎたのでダウンサイズといっても超人度に全然不足は無い。エドワード・ノートンは陰影が豊かで大変好ましいハルク振り。どんな時でも、怒りに身を任せたりしないよう、感情をコントロールしようと自ら我慢を強いる。健気というか、まるで唐獅子背負った高倉健さんのようだ。

それどころか、感激の再会を果たした恋人と同衾するのは自然な流れだが、興奮すると緑色の怪物になってしまうと急制動。満足に抱き合うことも出来ないのに笑って我慢する。なんて純情でなんて可哀相なハルク。パワーとエネルギーを制御できないハルク、性的な欲求に捉えられ、それを抑制できずに発作的にいろいろ馬鹿なことをやってしまう男のメタファーだったかと初めて気がついた。

元の体に戻りたいハルクの意向に反し、追手の執拗な攻撃は激しさを増す。戦いがエスカレートし、破壊行為はスケールアップする。しかし派手になるほど何故か面白くない。クライマックスの肉弾相打つ一騎打ちに至っては、どうせCGアニメだしと、覚めた気分になってしまった。とは言えこの作品、一番の魅力は、エドワード・ノートン、ティム・ロス、ウィリアム・ハートと並んだ素晴らしいキャスティングにある。この顔ぶれが醸し出すリアリティーの豊かさ、物語に加わる厚みは申し分ない。特にウィリアム・ハートは格好良さ抜群。こうした重量級の曲者俳優達がアメコミの映画化に挑んだ。その姿だけで、既に充分観るに値する作品になっている。
                                           映画の日 千円
原題:The Incredible Hulk
監督:ルイ・レテリエ
脚本:ザック・ペン
製作総指揮:スタン・リー、デビッド・メイゼル、ジム・バン・ウィック
製作:アビ・アラド、ゲイル・アン・ハード、ケビン・フェイグ
撮影:ピーター・メンシーズ・Jr.
音楽:クレイグ・アームストロング
美術:カーク・M・ペトルッチェリ
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2008年アメリカ 1時間54分
CAST
エドワード・ノートン、リブ・タイラー、ティム・ロス、ウィリアム・ハート、タイ・バーレル、ティム・ブレイク・ネルソン、

2008/08/01

七月大歌舞伎 夜の部

一、夜叉ヶ池(やしゃがいけ)
百合:春猿 白雪姫:笑三郎 晃:段治郎 学円:市川右近黒和尚:猿弥 姥:吉弥   

二、高野聖(こうやひじり)
女:玉三郎  宗朝:海老蔵  薬売:市蔵  次郎:尾上右近  親仁:歌 六

昼は海老蔵&玉三郎の義経千本桜が人気沸騰で発売早々チケット完売だったが夜は余裕だ。泉鏡花の2本立てだって充分魅力的だと思うが、同じ役者でも演目によって随分集客に差が出るもんだ。

夜叉ケ池
春猿がちょっとやつれた感じで妖艶。姿形もだが仕上げは声。まるで女声そのもの。のど仏を通過したとは思えぬ声に驚いた。動きの少ない前半は春猿の美しさが見物だが、後半は笑三郎が舞台に命を吹き込んで場を盛上げる。
「恋には我が身の命もいらぬ」
「命のために恋はすてない」
「妬ましいが、羨ましい、おとなしゅうしてあやかろうな」
姫君の泣かせる名台詞
奔放で一途だが素直で優しい白雪姫のきりっとした魅力がメリハリの効いた芝居で立ち上がる。とてもいい。
段治郎は晃の心情に今ひとつ届かない。右近は学円を好演していたがどちらかと言えば、晃の方が適役に見えた。

高野聖
人も通わぬ山奥に迷い込み、煩悩を深め彼岸との境を綱渡りするような状況から辛くも帰還する男の話。この男は潔癖とか清潔とかでは全然ないのだが、僧侶であるからして煩悩深き故に誘惑には一層抗う。この辛抱、我慢なければ怪異も妖艶も滑稽に成り果てる。これは喜劇ではないのだが、海老蔵は血中にアドレナリンが大量分泌するような芝居は得手でも、畏怖、畏敬、不安、焦燥、戦慄などの情動を表現の対象とは意識していないようだ。
川での水浴びを一番の見せ場にもって来たのは良いが、あれはどう見ても混浴の露天風呂。海老蔵のぼんくら振りにつけても、もっと清涼感が欲しかった。それでも海老蔵、玉三郎きれいな役者だ。深山幽谷をどう見せるかに心砕いた装置が楽しめた。

終わってみれば、夜の部は笑三郎のもんだった。

2F1−27 7.28

2008/07/30

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

クロムメッキのホイールがキラキラ光るコンバーティブルにアメリカングラフティ気分が横溢したオープニング。プレスリーや「波止場」のマーロン・ブランドに懐旧趣向の楽しさちりばめている。齢を重ねたインディーが登場し、衰えは隠せぬものの、骨惜しみせぬ体技。スピーディーなアクションを見せつけて流石なのだ。聞くだけでその気にさせるテーマ音楽に相応しい明るさと勢いで押しまくる前半の図書館までの展開は申し分ない面白さ。

後半はクリスタル・スカルの謎を求めて南米各地を転戦。ま、今回はトンデモ系の謎ということもあり、謎の解明は随分いい加減だ。その代わり、アクション場面の大増量で全体のバランスを取ろうとしているようだ。シャイア・ラブーフが活劇方面を一手に引き受ける活躍を見せている。今や隠れも無い大物女優となったケイト・ブランシェットの贅沢な使い方も印象的で、本人もそれを楽しんでやっている感じが好ましい。話が進むにつれ、アトラクションムービー度が増して、ジャングルを失踪する車上でのチャンバラなどパイレーツ・オブ・カリビアン2の二番煎じのように見えたが、それはそれとして、謎の解明にこのシリーズらしい伝奇色が薄まってしまったのは残念な気がした。

ラストシーンは、この素材でこの流れだったらこうなるよなぁ、と納得の展開なのだが、
50年代をノスタルジックに振り返ることにあれだけ拘るなら、最後はあんなデザインでなく、当然アダムスキー型ではないか。あそこに銀色に輝くアダムスキー型が浮上したら、最高にロマンティックだったのになぁ。実に残念。

原題:Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull
監督:スティーブン・スピルバーグ
脚本:デビッド・コープ
製作総指揮:ジョージ・ルーカス、キャスリーン・ケネディ
製作:フランク・マーシャル、デニス・L・スチュワート
撮影:ヤヌス・カミンスキー
音楽:ジョン・ウィリアムズ
美術:ガイ・ディアス
原案:ジョージ・ルーカス、ジェフ・ネイサンソン
出演:ハリソン・フォード、ケイト・ブランシェット、シャイア・ラブーフ、カレン・アレン、レイ・ウィンストン、ジョン・ハート、ジム・ブロードベント
2008年アメリカ映画

2008/07/29

崖の上のポニョ

これは川端康成に於ける「眠れる美女」。谷崎に於ける「鍵」ともいうべき作品。ポテンシャルの低下と残り時間の短さを自覚した年寄りが、自分の好きなことだけをやりたい放題やったプライベートフィルムとしてみれば、理屈もきれいごとも取っ払い、少女フェチに邁進しきった宮崎駿の面目躍如といった面白さがある。ただし、フェチを耽美に止揚できぬまま自爆したような中途半端さはいただけない。

子供向けとしてみても、わがまま通して道理引っ込める子供至上の展開をはじめ、いたいけな子供等に種々間違った価値観を刷り込むだろう場面の多さは気になる。対象年齢は12歳以上が妥当。犠牲の尊さに触れられていないのも底が浅い。もう辛い話は描きたくない気持ちが強いのかもしてないが、おとぎ話、ファンタジーとはいえ、ハッピーエンドにも程がある。

流石に絵は良く動く。イマジネーションに溢れたダイナミックな映像は相変わらず凄みがある。背景画がペイントでなく色鉛筆系のドローイングで描かれているのも、短編では珍しくないが劇場用の長編では新鮮に映る。崖の草などとても美しかった。最後はそうすけが魚になれば作品全体がキリっと引き締まったのに。

監督・脚本・原作:宮崎駿
製作:鈴木敏夫
音楽:久石譲
美術:吉田昇
2008年 1時間41分
配給:東宝

2008/07/24

ザ・マジックアワー

エンドロールで流れる、セットが完成するまでを早送りする映像が面白い。実際に良くデザインされたセットで、空間の密度が高く独特の雰囲気が漂っている。マルセイユの裏通り(いったこと無いが)を思わせるようなだが、その分、他の場面か浮いてしまう感もある。

佐藤浩市に田舎芝居、西田敏行に抑えた演技、妻夫木にいい加減な男、深津絵里にヴァンプと、意外性で鮮度の高いキャラクター作りの狙いはいいが、妻夫木と深津絵里はしっくりこないのである。例えば、ジャック・レモンとウォルター・マッソー、ポール・ニューマンにはロバート・レドフォード、高倉健なら池部良、やすしにはきよしなのである。

佐藤浩市をペテンにかけ、そのうえ西田敏行までもコントロールしなければいけないのである。妻夫木君には荷が重すぎる。バランスが悪いのである。深津絵里も海千山千の親分手玉に取るには柔軟さに欠けるのである。ここは、深津絵里を鈴木京香、妻夫木を香川照之で良かったのではないか、などど妄想してしまうのだ。

亀治郎の登場には笑った。何と懐かしい柳沢真一、だが懐かしさ以上に谷原章介と良く似ているのに驚いた。市村萬次郎の会計士ともども、三谷ならではの素晴らしいキャスティングセンスに感心する。ビリー・ワイルダーの粋、ハワード・ホークスの色気には未だしだが、日本ではなかなか成立し難い大人の都会派コメディーに挑戦し続ける三谷の健闘を讃えつつ、次に期待しよう。

監督・脚本:三谷幸喜
製作:亀山千広、島谷能成
撮影:山本英夫
音楽:荻野清子
美術:種田陽平
出演:佐藤浩市、妻夫木聡、深津絵里、綾瀬はるか、西田敏行、小日向文世、寺島進、戸田恵子、伊吹吾郎、浅野和之、市村萬次郎、柳澤愼一、香川照之、甲本雅裕、近藤芳正、梶原善、阿南健治、榎木兵衛、堀部圭亮、山本耕史、市川亀治郎、市川崑、中井貴一、鈴木京香、谷原章介、寺脇康文、天海祐希、唐沢寿明
2008年 2時間16分
配給:東宝

道元の冒険 シアター・コクーン

親鸞、道元等、新仏教の台頭に既成勢力の延暦寺は危機感を深めている。道元も苦難を覚悟し、弟子達を戒めているが、近頃どういうわけか婦女暴行の罪で囚われた男の夢ばかり見る。折しも、弟子達が開山記念に奉納する「道元禅師半生記」を前に、悟りを極めた自分と婦女暴行犯の意識の狭間に漂い出る。

劇中劇「道元禅師半生記」がその時代と道元の果たした役割を分かりやすく、面白く提示し、曹洞宗に対する理解が一挙に深まったような気分に。作者の独壇場ともいえる言葉遊び。鋭い風刺が心地よいリズム、快適なテンポで放たれる。役者達が早変わりと体技で何役も演じ分ける様は、簡潔で無駄がない。随所で繰り広げられる歌と踊りも、出演者達の共感度が深くいい感じだ。

阿部寛は立っても座っても品と迫力がある。北村有起哉の明るくスポーティーな道元が楽しい。木場勝己の重々しさが苦手なのだが、今回の軽さは良かった。場面転換は洗練され速度もあって気持ちがよい。前半を締めくくる、船が中国へと向かう場面のイマジネーション豊かな処理が素晴らしい。

そして何より、楽しませ、感化する、井上ひさしの脚本が見事だ。元々は上演するに6、7時間は必要という膨大な、体力気力横溢し、コントロールしきれないぐらいの勢いで若さが爆発した作品だったらしい。初演から37年、今回の改作との違いは分からないが、ちりばめられた伏線が見事に回収され、謎が解けてテーマがくっきりと立ち上がるエキサイティングな作劇。据えっぱなしだった舞台背景の意味に改めて気付かされる快感もうれしかった。この作品をリードしたのが75歳になろうとする作家と演出家だということにも改めて驚かされる。刺激的な舞台。客席に大竹しのぶ。


脚本 井上ひさし
演出 蜷川幸雄
出演 阿部寛 / 栗山千明 / 北村有起哉 / 横山めぐみ / 高橋洋 / 大石継太 / 片岡サチ / 池谷のぶえ / 神保共子 / 木場勝己 他
 2008/7/23(水)13:00

2008/07/20

SHINKANSEN☆RX(新感線☆RX)『五右衛門ロック』

10年以上前、子供達が小学生だった頃、「ピーター・パン」を観に来て以来の新宿コマ。今回、新感線がコマのどでかい空間をどう料理するか楽しみに出かけた。

釜茹での刑を逃れた石川五右衛門は手下共と国外へ出奔。しかし嵐で船は難破。流れ着いた先は欧州列強が虎視眈々と狙う結晶石を産出する宝の島。そこはダースベーダーのような男が君臨する難攻不落の島でもあった。というようなストーリーだが、北大路と森山未來のダースベーダ対ルーク的な親子の確執を軸に、古田と江口のルパンと銭形のような追っかけに松雪泰子が峰不二子的な華を添え、濱田マリと橋本じゅんがシェークスピアな陰謀史観で笑わせるというにぎやかな展開。

コマのステージに細かい芝居は不向きで、その分派手な音響とスペキュタキュラーなパフォーマンスでよりスケールアップしたステージにとの狙いは、派手さに魅力と説得力を与えるキャスティングともあいまって、豪華さも様になっている。それにつけても、松雪泰子、江口洋介など花形役者のオーラ、存在感の素晴らしさ、姿形の良さだけで空間を支えているのは流石で、更にその上をいく北大路欣也の、登場しただけで劇場全体を支配してしまう大きさはまったく大したもんなのだった。森山未來は何時もながら力一杯の頑張りだがメタル・マクベスの時より余裕が感じられた。人間の器が小さい夫をけなすのでなく、その小ささが好きと歌う濱田マリは可笑しくて、キュートさも魅力的。

派手でエネルギッシュ。何でもありのにぎやかな舞台は、その昔の「雲の上団五郎一座」を思わせる楽しさ。豪華な客演陣を鷹揚に受け止める古田新太、その自信と色気にカーテンコールの熱気も更に上昇して、余裕の座長芝居なのである。

【作】中島かずき
【演出】いのうえひでのり 
【出演】古田新太//森山未來/江口洋介/川平慈英/濱田マリ/橋本じゅん/高田聖子/粟根まこと/北大路欣也/他

クライマーズ・ハイ

スピード・レーサーでスカッと楽しもうかと思ったが予定変更。重い映画は嫌なのだが、時間の都合で仕方ない。日航123便が群馬県に墜落。群馬の地方紙・北関東新聞社の全権デスクに任命された悠木は、混乱を増してゆく状況の中、報道の使命と地方紙の存在意義を賭け、硬派な編集方針を貫こうとするが社内の軟派勢力も黙っていない。

未曾有の航空機事故。新聞報道の現場でどのような葛藤が繰り広げられたか。編集、営業、幹部に遊軍。仕事をする男達が魅力的に活写されてとても面白い。主演の堤真一と堺雅人が良い。更に、脇を固める遠藤憲一、でんでん、蛍雪次朗、堀部圭亮、マギーが実に素晴らしい演技でキャラクターを掘り下げ、ダイナミックな魅力にあふれた群像劇になっている。遠藤憲一と堤真一の怒鳴り合いが素晴らしい迫力だし、堺雅人が堤真一を睨みつける目付きの鋭さも絵になっている。堀部圭亮の敵役ぶりもアクセントとして効果的だし、蛍雪次朗の臭みも申し分ない。男達の顔つき、表情、台詞ひとつ一つが味わい深い。スクープに邁進する女性記者もキャラがしっかり立ち上がった。
日本の俳優は、男は兵隊、女は娼婦をやればみんな上手い、てなことを聞いた事がある。その言葉通り、北関東新聞社の編集会議も帝国陸軍の作戦会議のように、あるいは組事務所のように見えてくるような気配もあるが、善い男も悪い男も「男」がこれだけ格好良く描かれた映画も最近珍しいのではないか。

あか抜けないというよりダサイ、メタリックな英字のメインタイトルがスライドインして来た時には、嫌な予感がしたが、他にはそのような恥ずかしさをもよおす箇所はなく安心した。山崎努の描き方。堤真一のキャラとエンディング。スリリングな展開を抑制する構成、編集のテクなどハリウッド風味な演出も、全体の湿度を下げてドラマに落ち着きと深みを与える技ありの1本。見応えある秀作。

監督:原田眞人
脚本:加藤正人、成島出、原田眞人
製作:若杉正明
原作:横山秀夫
撮影:小林元
音楽:村松崇継
出演:堤真一、堺雅人、小澤征悦、田口トモロヲ、堀部圭亮、マギー、尾野真千子、でんでん、矢島健一、皆川猿時、野波麻帆、西田尚美、遠藤憲一、中村育二、蛍雪次朗、高嶋政宏、山崎努
2008年/2時間25分
配給:東映、ギャガ・コミュニケーションズ

2008/07/07

フランスが夢見た日本-陶器に写した北斎、広重

井上雄彦展 (上野の森美術館)
最終日前日の5日(土)午後、愚息1号と出かけた。しかし、入場整理券の配布は午前中で終了でいくら並ぼうと入場叶わぬと知らされ、あえなく頓挫。そのようなシステムだったとは知らなんだ。長蛇の列を前に己の不明とドジ加減を呪った。行く当てを無くし、上野の山で途方にくれた。西洋美術館でコロー展が始まったばかりだが、気がのならない。三秒迷って国立博物館に向かう。

特別展「フランスが夢見た日本-陶器に写した北斎、広重」を観る。
19世紀後半、ジャポニズム華やかなりしフランスで浮世絵の絵柄を元にして作られた高級食器の数々。その原画を丹念に掘り起こして対照展示してある。北斎漫画などを手本にしたルソーセットのプリミティブな味わい。浮世絵をそのまま描きだしたかのランベールセットのモダン。フランスが発見した日本の魅力を教えられる妙な感じが新鮮で面白かった。武蔵が駄目ならせめて刀でも拝んでこようかと常設の展示へ。日本刀のコレクションを観る。冴え冴えと輝く刃と緊張感漲る刀身の反り。観るうちに畏敬の念が生じ、次第に気持ちも鎮まってくる。日本文化の洗練を深く感じる。

武蔵もだが、歌舞伎座7月昼の部、買おうとしたら既に完売。2500円の席がヤフオクで10000円でも落とせなかった。武蔵も義経も凄い人気なのである。

2008/06/17

六月大歌舞伎 夜の部

一、新薄雪物語(しんうすゆきものがたり)
    序幕 新清水花見の場 二幕目 幸崎邸詮議の場 
     三幕目 園部邸広間の場 同 奥書院合腹の場

花見の華やかさに恋の花開き、悪党は罠を仕掛ける。序幕の前半は福助が艶やかさで客席を魅了し、後半は染五郎の大立ち回りがめっぽう楽しい。二幕目は雰囲気一転して吉右衛門、幸四郎、富十郎が大人のやり取り。三幕目はさらに重苦しく、幕開けから三段逆スライド方式で失われた華やかさに反比例する重厚なドラマ展開。親の情と男の信義の二律背反。辛さ苦しさを絞り出すような笑いに変える芝翫、吉右衛門、幸四郎の大芝居。明日も元気に行かなきゃと、こちらもグッときてしまった。

二、俄獅子(にわかじし)
粋を極めた福助&染五郎の舞踊。6月は昼夜通してこの二人がとにかく素晴らしい。染五郎は著しく柄の違うキャラクターを見事に演じ分けて格好良い。このところ初役の大役が続いた福助は風格も増して、その一挙手一投足には観客を惹き付けてやまない輝きに満ちている。

初めて歌舞伎を見たのがちょうど1年前。それが思いもよらぬ楽しさで、こんな面白いもんをこの歳まで知らずに来たことを後悔しつつ、以来歌舞伎座通いを続けている。一度は愚息達に見せたいと常々思っていたが、今回愚息2号の帰省を機に、家族+義理の母と昼の部を見に行った。花道横の12列目でそれぞれウトウトしたり爆睡したりと様々だったが、歌舞伎らしいビジュアルに面白さがギュッと詰まった濃厚な味わいの新薄雪物語、とても楽しかった。
6.15 1Fー12-6

2008/06/15

六月大歌舞伎 夜の部

一、義経千本桜(よしつねせんぼんざくら) すし屋
     吉右衛門 芝雀 染五郎 歌六            
二、新古演劇十種の内 身替座禅(みがわりざぜん)
     仁左衛門  錦之助  段四郎
三、生きている小平次(いきているこへいじ)
     幸四郎  染五郎  福助
四、三人形(みつにんぎょう)
     芝雀  錦之助  歌昇

バラエティーに富んだ夜の部。染五郎と芝雀の健闘が印象的。
一は芝雀と染五郎の派手さと歌六、吉之丞が見せる大人の渋さをまとめる吉右衛門の大きさが光った。
二はとても楽しかった。奥方玉の井の段四郎。魅力的なビジュアルは、同じ仁左衛門の、玉三郎との美しいコンビにも負けないインパクトある絵柄。おっかない山の神をニコリともせずに演じながら、格調とユーモアでかわいらしく見せて説得力があった。
三は何といっても福助が凄い。勢いがあり、余裕もたっぷり。どんな状況でもたちどころに場をリードする愛嬌と色気。その磁場のボリュームが凄い。
6.14 3F 2-16

山のあなた 徳市の恋

人は皆、何らかの重荷を背負って生きている。つかの間、重荷をほどき、浮世のしがらみから解放され、袖振り合う人々の想いが綾なす山の温泉宿。山の鄙びた温泉場で按摩の徳市が出会った美しい人。都会の匂いを運んで来たその人にいつしか想いを募らせる徳市だったが、彼女に行くところ何故か盗難事件が頻発する。

どちらかと言えば、演技を感じさせない自然さが持ち味の草なぎ君だが、今回は盲人の按摩の所作、動作を丁寧な模写でリアルに演じている。これまでのイメージからみれば、とても演技を感じさせるのだが、徳市という結構アクの強いキャラクターにはそれが却って効果的だ。徳市の同僚を演じる加瀬亮は、草なぎとは対照的で、いま上げ潮の若手が良くここまでと思わせるほどに主役をたてる役回りに徹しているのにはちょっと感心した。ヒロインを演じるマイコは、ミステリアスな表情に適度なフェロモン漂う美貌でビジュアル的な効果は抜群。温泉客の堤真一がマイコの魅力につい長逗留してしまうのも当然だ。

謎のヒロインを挟んで、草なぎと堤真一が織りなす三角関係を横糸とすれば、縦糸は学生を按摩に踊り子を都会の女に置き換えた「伊豆の踊り子」なので、儚い恋、叶わぬ想いの切なさが一番の味わいどころだが、大人の話に換骨奪胎したにしては艶っぽさが足りない。マイコのビジュアルに頼り過ぎなのである。徳市にはマイコがみえないのである。草なぎもやんちゃで健康的だが陰影に乏しい。徳市の盲目なるが故のエロティシズム(そんなものがあるかどうか分からないが盲人が主人公なら)や身悶えするような大人の切なさが欲しかった。
コメディータッチだが笑える場面はほとんどない。

監督:石井克人
脚本・原作:清水宏
製作:亀山千広
撮影:町田博
音楽:都築雄二
2008年日本映画
上映時間:1時間34分
配給:東宝

2008/06/09

笑う警官 佐々木譲

婦人警官が殺され、同僚の刑事が容疑者として手配される。仲間の無罪を確信した所轄署の佐伯は、不自然な射殺命令と共に設置された捜査本部に抗し、数人の有志と裏の捜査本部を組織して独自の捜査を開始する。

組織の腐敗に粛正の嵐吹き荒れた道警。組織防衛を最優先する体質。警官を取り締まる警官の犯罪は誰が取り締まるか、とはハリー・ボッシュが抱え込んだテーマだが、夜の札幌を舞台に警官の犯罪を追う「笑う警官」も同種の問題をサスペンスフルな設定に落とし込み、スピーディーな展開で読ませてくれる。警察組織や捜査活動の基本など、話の中に巧く折り込みながら、タイムリミットに向けて盛上げ、高揚感が炸裂するクライマックスまで、ページもどんどん消化した。面白い。

面白いから良いのだけど、良く走る車で性能的には不足はないが、無駄の多いスタイリングに魅力を感じないといったらいいか、説明か描写か分からない中途半端な表現に興を削がれることしばし。気になった。

ハルキ文庫
07.5.18 第 1刷
08.3. 8 第16刷

2008/06/03

ナルニア/第2章:カスピアン王子の角笛

下校する長女の背後にロンドンの町並み。落ち着きのある街路、行き交う人々と往時の車。丁寧に再現された街に生き生きとした息吹が通う素晴らしいシーンだ。このシーンが無くても物語に何の影響もないが、こうした細部へのこだわりが世界に一層豊かな彩りを添え、作品の足腰を強くする。ああいいなぁ、このシーン。後は安心してシートにおさまっていよう。もちろん手ひどくしっぺ返しされることだってないわけじゃないけど。

ナルニアの民は侵略者の支配から逃れ、深い森の奥に忘れ去られていた。侵略者達は王位継承問題に揺れていた。見る影も無く変わり果てたナルニアに戻った4人兄弟は、昔日の面影を取り戻そうと立ち上がる。

1作目より4人が大人っぽくなった分だけ、作品も力強さが増している。長男と長女は始めのうちはパッとしなかったが、戦いを重ねるにつれどんどん魅力をましてかっこよくなっていく。次女も大きくなったがピュアさは維持している。次男も合わせ4人の成長ぶりが素敵だ。美形のカスピアン王子だが、程よいボケ具合が却って育ちの良い王子様を感じさせて、コメディーリリーフとは言えないが、4人兄弟とのバランスもよかった。

適度なアクションと見せ場を要所に配し、展開も語り口のテンポも良い。眠気を催すこともなく、2時間半という長さを感じないまま、面白く観ることが出来た。大人になって行くことの誇りと寂しさを漂わせるエンディンのほろ苦さには胸もキュンとなり、終始一貫気持ちよく楽しんだ。

原題:The Chronicles of Narnia: Prince Caspian
監督:アンドリュー・アダムソン
脚本: アンドリュー・アダムソン、クリストファー・マルクス、スティーブン・マクフィーリー
製作:アンドリュー・アダムソン、マーク・ジョンソン、フィリップ・ステュアー
原作: C・S・ルイス
撮影:カール・ウォルター・リンデンローブ
音楽:ハリー・グレッグソン、ウィリアムズ
出演:ベン・バーンズ、ウィリアム・モーズリー、アナ・ポップルウェル、スキャンダー・ケインズ、
時間: 2時間25分
配給:ディズニー
2008年アメリカ

2008/06/02

ランボー 最後の戦場

冒頭、ミャンマーの虐殺を記録した映像が凄い。娯楽映画には重すぎる前提。ミャンマーへのガイドを頼む平和主義のボランティア一行に「ゴーホーム」と繰り返すスタローン。沈黙と忍の一字で現実をやり過ごす一人ぼっちのランボーだが、ミャンマーの奥深く一行を送り届けるのだ。しかし、その後消息を絶ったボランティアーの救出に向かう傭兵のガイドとして同行したランボーは、ミャンマー軍のあまりな非道さにとうとう封印を解き放ち、尻尾を巻いて逃げようとする傭兵のリーダーに、「こんなところ居たい奴はいない。だが俺たちの仕事はここにあるんだ」と迫る。なんとかっこいい。これを歯切れの悪いスタローンが言うところがまた憎い。ロッキーと同じだが、勘所の抑えがスタローンは巧い。この朴訥さにノせられてしまうのだ。ジャングルクルーズの船頭から超人的な戦闘マシーンへとお約束の変身もカタルシスが効いている。

こうなりゃあとはアクション全開。繰り広げられるのは殺戮の地獄図。「プライベート・ライアン」がエポックを築いた戦闘シーンのリアルな描写だが、あれ以来これほど迫真的かつ即物的な死の描き方をした戦争作品があったか。従来の戦争映画の発想にはなかった人体損壊の克明な描写。これまでの戦争映画が避けて来た戦闘と破壊の実相を、スタローンはCGを駆使して徹底的に描き出し、これでもかとばかりに観客に叩き付けてくる。ただひたすら、弾丸が人体をどう切り裂き、爆薬にどうちぎれ飛んで行くかを見つめるランボーなのである。ロッキーやランボーの栄光にすがる落日のスタローンかと思っていたのである。そうではなかった。重く、深く、矛盾に満ちたテーマを、地獄の黙示録から故郷への長い道へと続く、一筋縄でいかない刺激的な娯楽映画に仕立て上げたスタローン。その思いの深さと志しに敬意を表さずにはおれないのである。

原題:Rambo
監督・脚本・製作:
シルベスター・スタローン
撮影:グレン・マクファーソン
音楽:ブライアン・タイラー
時間:1時間30分
2008年アメリカ
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

2008/05/25

アフタースクール

金曜朝日の夕刊に大絶賛の評。それに惹かれて初日の最終回に出かけた。22:50という遅いスタートだったが結構席が埋まっている。多分同じような人が複数いたかな。この時間、寝そうだと思ったらやはり寝てしまった。

終わってみれば、断片化した全体像を再構成する、その仕掛けと見せ方が作品の眼目だったから、寝たのは最悪だったがキャスティングのセンスよさ、カメラ、演出の安定感など、入念に作り込まれた作品ならではの魅力は充分伝わってくる。

意外な事実とユーモラスな人の動きに脱力感ただようクライマックスは、ジグソーパズルのピースがしかるべき場所にどんどん収まっていくような小気味良さ。観客を騙すことを至上としながら、全てが説明仕切れていないため、釈然としない部分も残り大絶賛はしないが、終盤の展開は切れ良く、謎解きには本格推理ならではの面白さもあった。幕切れの気持ち良さと後味は大人ならではの爽やかさ。

大泉洋、堺雅人はバランス良く新鮮。佐々木蔵之介の奥行きがいい感じだった。

監督・脚本: 内田けんじ
撮影:柴崎幸三
音楽:羽岡佳
出演:大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、田畑智子、常盤貴子、北見敏之、山本圭、伊武雅刀
配給:クロックワークス
2007年 1時間42分 

2008/05/22

文楽五月公演 第一部 第二部

鎌倉三代記 
鎌倉時代の出来事として語られる、家康対真田幸村の知略を尽くした攻防は、敵の大将に間違えられ額に入れ墨をほられた偽者が実は本物という「入墨の段」。お局が千姫の奪還に向かう「局使者の段」。病人介護と家事労働にいそしむ千姫の「米洗ひの段」。孝より忠と母の教えは命がけの「三浦之助母別れの段」。父より夫が嫁の道「高綱物語の段」。という具合。

最近寝不足気味なので、電光掲示で字幕も出るし、プログラムは床本つきだが、義太夫聞きながら絶対寝ちゃうなとイヤホンガイドも借りて臨んだ。自分でも過剰防衛と思うが、義太夫には手強い感が強い。しかし、時代物の名作と謳われるだけあり、「入墨の段」のようなややこしいものから「三浦之助母別れの段」泣き落としまで庶民感覚も豊かな分かりやすいお話を、多彩な人形の動きとともに面白く見せてくれる、少しばかり船をこいだが、眠りに落ちる事なく見終えられてよかった。
 
増補大江山 戻り橋の段
渡辺綱の鬼女退治。高貴で雅な女性の顔が一瞬で恐ろしい般若に変わり、腕に覚えの綱との死闘が繰り広げられる。ヒロイックアクションホラーなファンタジー。スケール大きくダイナミックなクライマックスも楽しい。

第二部

心中宵庚申 上田村の段 八百屋の段 道行思ひの短夜
近松の世話物。嫁が気に入らぬ姑が腹ぼての嫁を追い出しにかかるが、夫は養子で気丈な義母に逆らえず、思いあまって恋女房殺し腹かっ捌いて死出の旅立ち。
 これは初心者にも分かる太夫の語りの素晴らしさ。重厚であり軽妙な心理描写と人物の演じ分け。魂を得た人形の品格と優美な物腰。意地悪な姑のキャラの立て方が効果的で、全体の流れを引き締め、シンプルな悲劇に豊な陰影を与えた。太夫が交代した後半、二人が死んで行くさまは、人形とは思えぬというか、人形ならではといいうか分からないが、死を演じている人形の、まるで哀切さが結晶化したかのような迫力と美しさに、客席も粛然となった。

北條秀司 十三回忌追善
狐と笛吹き『今昔物語』より
北條秀司=作
植田紳爾=演出
四世鶴澤清六=作曲
狐と人間の道ならぬ恋路。契ったら死ぬという掟に身悶えするプラトニックな狐と人間という、考えてみれば不思議な話だが、都の四季を背景に、雅な王朝絵巻は美しかった。狐の人形というのも変だが、文楽の狐も可愛い。
5.21

2008/05/21

魔都に天使のハンマーを   矢作俊彦

サブタイトルにあるように「傷だらけの天使・その後」なのである。ショーケンと水谷豊のコンビが一世を風靡した人気TVシリーズ。見ていなかったので詳しいことはしらないが、水谷豊の「アニキー」が流行語になったことは覚えている。しかし、矢作のノベライズには驚いた。ノベライズするほど矢作は「傷だらけの天使」が好きだったというのも凄く意外だ。

お話は、30年前水谷豊が死んで以来、世捨て人同然で生きて来たショーケンが、身に覚えのない事件に巻き込まれ、ホームタウンに舞い戻って30年の空白に戸惑いながら真相を究明するという、「ららら科學の子」のリメイクとも焼き直しとも言った内容。
「ららら科學の子」は全共闘運動中に殺人の罪を疑われて中国に逃亡し、文革後を生き延び30年後に帰国した男の目を通し、平成日本の有り様を検証するという話で、姿を現さない親友や消息不明となった妹など配しながら「さらば愛しき人よ」の巧妙な本歌取りの面白さもあるが、その年の三島由紀夫賞を受賞している真面目な作品。
今回、中国帰りの政治犯から元チンピラのホームレスへと主人公の変化はそのまま内容に直結しているが、適度なユーモアで料理された社会批評の鋭さは変わらない。新宿に戻った初老の不良が大人げなく突っ走る勢いの良さは、何処をとってもエンターテインメントに徹した作り。派手なネット犯罪の扱いなどの今日性など「ららら」では描ききれなかった点かもしれない。因縁深めたキャラ設定といい、完成された世界観の中に遊ぶ事を矢作自身がのびのびと楽しんでいるのは凄く意外だが、結果的にノリの良い楽しい作品になっている。

2008/05/20

小説現代特別編集「不良読本」

全575ページ 定価1200円也のソフトカバー。
それにしたって今時「不良読本」ってどうよ、なのである。一体どんな読者を想定したものやら。不良なんてなぁ死語もいいとこ、読本に至っては返す言葉も見当たらない。100歩譲ったとして、読者対象から真っ先に外れるのは現役の不良だろ。元不良にしたって、元という以上は立派に更生してる相手に何を今更、不良読本などと失礼にも程がある。

不良という言葉が生きていた頃、ワルにもなれずもてもせず、不自由でかっこわるい不完全燃焼な青春を昇華できぬまま、ついにリタイアの時を迎えることになった、不肖、私のような団塊世代のスクエァなオヤジの感傷に訴えようかという商魂が見え見えの作りなのである。でなければゲッツ板谷の方が余程気が利いている。チョイワルとかいってオヤジを煽て、これを着ろだのあれを持てだのと格好良さを指南するなんて雑誌が結構売れてしまったという、実にどうもべけんやな時代の、チョイワル気取りに恥ずかしさを上塗りするような本なのだ。両手をポケットに突っ込んだショーケンが苦みばしった顔で正面見据えた表紙など、だから、真っ平ご免、スルーが当然。全くお呼びでないのである。が、しかし、ショーケンの頭上に刻みこまれた「傷だらけの天使リターンズ 魔都に天使のハンマーを 矢作俊彦」の太ゴチは一体何!

悪質なんだよなぁ。傷つくんだよなぁこういうの。全575ページのうち正味300pが矢作の分。他は浅田次郎、椎名誠、花村満月等の功成り名を遂げた元不良達のエッセイやら良く知らない不良作家達の短編が並んでいる。何これ。300pもあるんだから文庫でもノベルズでも矢作で出しゃいいじゃん。何でこんな体裁にする必要があんのさ。結局、矢作読みたいばっかりにこんな抱き合わせつかまされる矢作ファンこそいい面の皮なのである。

2008/05/17

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

金鉱探しのはずが石油を掘り当てた山師ダニエルは、それを足がかりに、近代化へ向かう時代の波に乗り、行く手の障害をことごとく押しつぶすように事業を推し進め、自らの王国を築き上げる。

巻頭、金鉱堀りのシークエンスから生理的な痛みを伴うような映像。「ノーカントリー」もそうだったが、こちらの方が痛み持続する嫌な感じ。その後の物語の進行に伴い、痛みは個から全体へ、直接的なものから間接的なものへとシフトして行く。この流れを、時に暴力的な音の付け方で強力にサポートする音楽が抜群で印象的。
ダニエルの事業の成長拡大と状況の変化が様々なエピソードの集積として描かれる。エピソードとは、地権者の買収、事故、教会との確執、企業間競争、親子の断絶等等々、すべからくトラブルであり、ダニエルはそれを乗り越え、更に前進しなければなければならない。地面から滲み出てくるねっとりとつややかなオイルと、掘削作業中の事故で流される血は混じり合い区別もつかず、掘り当てられた石油が噴出するのは歓喜すべき瞬間のはずだが、そのエネルギーによって一人息子は障害を負うことになる。事業の成功はダニエルに富と権力をもたらし、自我の肥大と同時に多くのものが失われて行く。

ほぼ同時代のテキサスを舞台にしたジョージ・スティーブンスの「ジャイアンツ」では、ジェームス・ディーンが成り上がりの石油王として登場し、巨万の富を得ても望むような幸せを得られない人物を演じていた。とはいえ、あの時代、石油はまだ富と栄光をもたらすものと位置づけられていたのだ。しかし「ジャイアンツ」の50年前とは打って変わって、ベトナム、湾岸戦争から911を経た今日、ポール・トーマス・アンダーソンの描く石油には死と厄災の影が色濃い。ダニエル・デイ=ルイスがナビゲートするオイルよって描かれたアメリカの現代史。結局のところ、アメリカという国体に流れているのはオイルという名の血液であり、それはこの120年の間、アメリカ全土にどんな栄養を行き渡らせ、同時にどんな病を運び込んだのか。

俺は全てであり、全ては俺のものだとばかりに有無を言わせぬ迫力で押しまくる、アカデミー主演男優賞の栄誉に輝いたダニエル・デイ=ルイスのパワーが他を圧倒する。新興宗教の偏執狂的にエキセントリックな教祖ポール・ダノの不気味さも素晴らしく、この二人が要所でみせるガチンコ勝負からは最後まで目が離せない。20世紀初頭から説き起こし、贅を尽くした邸宅の床にThere Will Be Bloodな虚無が流れ、未来を問うラストシーンの秀逸。

どのシーンどの画面を切り出しても隙のない、とことんリアリティーにこだわった絵作りは本当に見事だ。どこのどんな場面も画圧が高いというか、絵の力がスクリーンから押し寄せてくる。アン・リー、クリント・イーストウッド、コーエン兄弟。優れた映像で語りかけてくる作家は少なくないが、ポール・トーマス・アンダーソンは今や頭一つ抜けたところに到達している。エンドロールの最後に故ロバート・アルトマンへの献辞が流れるが、「マグノリア」なら、本質的には変化球投手だったアルトマンと同じだが、球質の重さ球筋まっすぐのゼア・ウィル・ビー・ブラッド。ど真ん中に放り込まれたアルトマンは草葉の陰でさぞや肝を冷やしたことだろう。アメリカ映画史が特別の場所をもって遇すべき大傑作。


余談だが、中途で聴覚障害者となったダニエルの息子は、それ以降手話言語を獲得し、言葉を一切発しなくなる。それは親子のコミュニケーションの不全、確執の問題として描かれている。たしかに、聾者が聾であることにアイデンティファイするために発語をしないことはある。今年になって、都が認可した全面的に手話による指導をおこなう聾学校が開校したのは記憶にあたらしい。確かにそれらはアメリカに発する流れだが、それは近年のことで、この映画が描いているのはヘレン・ケラーがアニー・サリバンと言葉とコミュニケーションの能力を拡大し、障害者の地位向上、啓蒙に心を砕いていた時代でもあることから、ダニエルは息子にとても先進的な教育を受けさせたと思われるのだが、作品の傷ではないが時代考証的には疑問を抱いた。

原題: There Will Be Blood
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
製作総指揮: スコット・ルーディン、エリック・シュローサー、デビッド・ウィリアムズ
製作: ポール・トーマス・アンダーソン、ダニエル・ルピ、ジョアン・セラー
原作: アプトン・シンクレア
撮影:ロバート・エルスウィット
音楽:ジョニー・グリーンウッド
美術:ジャック・フィスク
出演: ダニエル・デイ=ルイス、ポール・ダノ、ケビン・J・オコナー、キアラン・ハインズ、
2007年 アメリカ 2時間38分
配給:ディズニー

2008/05/15

五月大歌舞伎 夜の部 四谷怪談

初めて見る四谷怪談。
伊衛門への一途な思いに可憐さも滲むかわいいお岩さんから、乳飲み子抱え良薬を毒とも知らず健気に飲み下し、面相崩れて夫の背信に身も世もない嘆きの果てに化けて出る。福助が見せるお岩さんの三段跳びは、情味の豊かさに清新さや溌剌感も、とりわけ悲嘆の表現は若々しい。

悪事を重ねる民谷伊右衛門がそれ程悪党に見えないのも、孫娘溺愛する年寄りのトコトン愚かな有様が、伊右衛門なんかよりよっぽど質が悪く見えるからだったりする。そうなのだ、愚かさは何より罪が深く、しかもかっこわるいのだと、思わず自戒させられる。歌舞伎は実に面白くためになる。色と欲とで次第に深みにはまってゆく伊衛門。吉右衛門が愛嬌と色気を適度にまぶしながら男のだらしなさや屈折を緩急自在に演じて、開き直りにも風格漂い、色悪というのは実にどうもかっこ良いのだ。うらやましい。

身元隠しのために顔面そいだり、大刀の一閃で生首がゴロゴロ転がり出たりと、えぐくも陰惨な場面続出だが、伊右衛門はもとより化けて後のお岩にも、緊迫した場面に息を呑む客席を一気にほぐす滑稽な味付けがとても効果的なのだ。戸板返しや提灯抜けなど舞台ならではの仕掛けも楽しかったが、舞台のお岩さんには、映画などで見知ったようなおどろおどろしい怖さが無いのは意外だった。こちらが摺れただけかも知れないが、鶴屋南北の時代には闇の深さとともにもっと恐ろしいお岩さんだったことだろう。

5.9 2F L8

2008/05/12

最高の人生の見つけ方

傍若無人な実業家と謹厳実直な自動車修理工。縁もゆかりも無い二人が余命半年と宣告された病院での呉越同舟。棺桶に入るまでにやっておきたいことをリストアップして旅に出る。
残された時間をどう過ごすか。切実でシリアスな高齢者問題。難病ものも合わせて近年増加傾向にあるこの手の作品。まず食指が動くことはないのだが、ジャック・ニコルソン対モーガン・フリーマンのヘビー級タイトルマッチとなれば話は別。

水と油ほどに違う親爺同士の掛け合いは、それぞれの持ち味をそのまま反映させた役どころ。眉毛の巧みな動かし方ひとつで人をくったワンマン実業家を怪演するジャック・ニコルソンに「ドライビング・Miss・デイジー」での鮮烈な登場を彷彿とさせる暖かみで応ずるモーガン・フリーマンといった塩梅で、懐の深さと人間味で見せる千両役者の揃い踏みは楽しく、見応え充分。

重い設定と胃にもたれそうなキャスティングを、ハリウッド得意の、凸凹コンビの珍道中という王道のフォーマットに落とし込んで、笑わせどころはたっぷりと、泣かせどころはスマートに、ロブ・ライナーは軽快なタッチでネガポジ反転させ、後味のよい大人のコメディーに仕立てあげた。

原題:The Bucket List
監督:ロブ・ライナー
脚本:ジャスティン・ザッカム
製作総指揮: トラビス・ノックス、ジェフリー・ストット、ジャスティン・ザッカム
製作:クレイグ・ゼイダン、ニール・メロン、アラン・グライスマン、ロブ・ライナー
撮影:ジョン・シュワルツマン
音楽:マーク・シェイマン
美術:ビル・ブルゼスキー
出演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ショーン・ヘイズ、ロブ・モロー、
時間: 1時間37分
配給:ワーナー
2007年アメリカ

2008/05/06

薬師寺展 

聖観音菩薩立像、日光菩薩、月光菩薩の背面が拝観できる得難い展示、しかも東京でということで、大混雑を覚悟して行ったが、上野の人混みは予想を上回って、5月5日の貫禄を改めて見せつけられた。薬師寺展は45分待ちで入場。
     
聖観音菩薩立像、左右対象の安定感ある造形、裳裾の文様の美しさ、端正で品のあるまっすぐな仏さんである。両足に体重をかけて直立した聖観音に較べると、それぞれ片足に重心を移し、腰に軽いひねりを加えたポーズで立つ日光、月光菩薩像には余裕が感じられる。
     
リラックスしたポーズもだが、モデリングも伸びやかで肉付きが良く、全体に自由度の増した気配も窺える。背面は思いがけないボリュームの豊かさに驚いた。薄衣をまとった下半身、正面からは左右の脚に浅いドレープのような皺が美しく 刻まれている。背面に回ると、その薄衣は体側から尻にかけ左右対象できれいにプリーツされている。よくデザインされたシルエットの美しいコスチュームだ。優美で力強く清潔感とともに色っぽくもある薬師寺の日光月光像。時代を超えた着こなしの美しさでも輝いているようだ。

團菊祭五月大歌舞伎 夜の部

一、通し狂言 青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)
  
 白浪五人男
「知らざぁ言ってきかせやしょう」耳に馴染んだ台詞を、今回初めて舞台で見たが、いきなり頂点に押し上げるような一瞬の快感に思わず笑い出したくなるような心持ち。名台詞の威力を炸裂させる菊五郎の弁天小僧は、若侍に扮してお姫様をたぶらかし、娘に化けてペテンをかまし、正体ばれたと片肌脱いで、挙げ句に大屋根の上での大立ち回りの大活躍で大盛り上がり。團十郎は悠揚迫らざる受けの芝居で日本駄右衛門の大物振りを好演。若い頃は口跡が気になったが今はそんなこともなく喜ばしい。三津五郎の忠信利平も安定感と存在感で場面を引き締め流石。南郷力丸は結構な狂言回しで多彩に変化し出番も多い役どころだが、左團次は何か物足りない。赤星十三朗の時蔵はいつもの女形の演じ方との違いが見えないのが気になった。

様式美を極めた背景衣装演技に、一大スペクタクルな装置が加わり、荒唐無稽であり得ない展開のお話もまた、まさしく歌舞伎の醍醐味なのだと改めて感じさせる豪華で大胆、エキサイティングな娯楽大作。いつもは花道も見えぬ三階からだが、今日は一階ほぼ中央から一部始終をくまなく眺めて大満足。

二、三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)
松緑に奴四人が絡む短めの舞踊で弁天小僧の興奮をしばしクールダウン。楽しさの余韻に包まれて帰路についた。

2008/05/02

カラス




洗濯物を干しながら手の先にある電柱に目がいった。1
トランスにワイアが沢山絡まっているように見えた。2
一体どうしたのかと思ったら、カラスの巣だった。 3

こんな家が密集した、しかも通学路の真上で巣作り。
ここ数年、至近で見ることが多くなってはいたけど、
こんな処にまで生活圏を広げてたとは知らなんだ。

その昔、屋根の上のカラスと視線が合ったと思ったとたん、
カラスが一直線にこっちめがけて飛んできたことがあった。
この連休中は、赤ちゃん抱えて神経質になってるカラスと
目を合わさないように気をつける。

2008/04/29

そろそろ旅へ 松井今朝子

水戸黄門の主題歌ではないが、人生はしばしば旅になぞらえられる。しかし、一口に旅と言っても、身一つを頼りの風まかせで追いはぎ、雲助、胡麻の灰の脅威をかわしながら歩き通した昔の人に較べたら、より速く、より遠く、より豊かな旅を楽しむ現代人は何と恵まれていることか。

昔から、日本武尊や源義経の悲劇の旅や、道行きという名の死出の旅は、好んで劇化され、多くの人々に支持されてきた。西行法師や「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」と詠んで果てた芭蕉を待つまでもなく、昔の旅には寂寥、孤独、死の影も色濃い。

そうした時代の旅を笑いで革新したのが「東海道中膝栗毛」ということで、駿府の同心の家に生まれた男が紆余曲折を経て十辺舎一九となるまでが、田沼意次のバブルから松平定信の緊縮財政へと移る時代背景とともに描かれる。伸びた背筋が気持ち良い十辺舎一九の肖像。当時の政治経済文化風俗描写は切れ味よく、蘊蓄もストーリーに無理なく馴染んで、テンポ良くリーダビリティーも高い。趣向を凝らしたエンディングの余韻も好ましかった。


3月26日 第1刷
1800円
講談社

2008/04/28

紀元前1万年

正体不明の奴隷狩りに許嫁を連れ去られた若者の、許嫁奪還の旅。
メル・ギブソンの傑作「アポカリプト」が同じようなストーリーラインをたどったが、作品の方向はまるで異なっている。こちらはピーチ姫を追いかけるマリオという味わいの物語ながら、物珍しい紀元前1万年前の光景に、一応のハラハラドキドキ感を添える役割は果たしている。

とにかく、誰も見たことが無い紀元前1万年前なのである。しかもローランド・エメリッヒなのである。ローランド・エメリッヒと言えば、最強の装備を持つ超巨大UFOに対し、MacだかWindowsだかのコンピューターウイルス送り込んで混乱させ、その上核の特攻攻撃で凶悪宇宙人の野望を見事に打ち砕いた男なのである。ビジュアルの為なら何でもできる、少年の心も失わぬ、正に男の中の男なのである。

その男が、これが1万年前の世界だと言うならそうなのだ。多少怪しくても、理屈に合わなくても気にすることはないのである。見たことの無い動物や建築中の世界遺産の様子など、見るのも叶わぬものを見事な映像で示してくれる。立派な男子の仕事。それでいいのである。

許嫁を演じたカミーラ・ベルのエキゾティックで可憐な美貌が、CGメインのビジュアルに魅力的なアクセントにもなっていた。

原題:10,000 B.C.
監督:ローランド・エメリッヒ
脚本:ローランド・エメリッヒ、ハラルド・クローサー
製作総指揮:ハラルド・クローサー、サラ・ブラッドショー、トム・カーノウスキー
製作:マイケル・ウィマー 、ローランド・エメリッヒ、マーク・ゴードン
撮影:ウエリ・スタイガー
音楽:ハラルド・クローサー、トマス・ワンダー
美術:ジャン、バンサン・ピュゾ
出演:スティーブン・ストレイト、カミーラ・ベル、クリフ・カーティス、オマー・シャリフ
2008年 アメリカ映画 1時間49分
ワーナー・ブラザース

2008/04/25

ニシノユキヒコの恋と冒険

ニシノユキヒコの女性遍歴を追った連作短編集。
という体裁だが、それでは中身とかけ離れすぎ。様々な女性からいたぶられるニシノユキヒコの肖像、正確とは言えないがこの方が近い。川上弘美は凄い。異界へと開かれた回路を自由に往来し、この世ならざるものと交感する。ほとんどの場合、潜在的か露呈しているかの違いはあるが、それは本質的な怖さをはらんでいる。

ニシノユキヒコはきれいな男である。優しくて自分勝手。繊細で大胆。パワフルでどん欲。自分が欲しかったのはこれだと女性に思わせるような男。だが永遠の愛は誓えない。それゆえ別れは常に女性から。なので女性遍歴を重ねるように見えるが、必ずしもニシノユキヒコの望んだことではない。もててもニシノは可哀相な男なのである。もててももてなくても、結局男は可哀相なのである。女は怖いのである。誰でも知ってることなのである。

女の怖さはいろいろに描かれるが、こんなに静かに積み上げられた優しい残酷の切なく美しい形に、川上弘美の凄さも怖さもしっかり刻み込まれている。そんな、ニシノユキヒコの愛の姿を語り継ぐ女性達の独白を読み進むうちに、これは川上弘美の「裏・源氏物語」だったかと思えるほど、二シノユキヒコが光源氏のように見えて来る。

ニシノユキヒコの恋と冒険
川上弘美
平成18年 8月1日 発行
新潮文庫
438円+税

2008/04/22

大いなる陰謀

自らの野心とキャリアを賭けた新たな軍事行動をめぐり、独占スクープを餌に好意的報道をと迫るトム上院議員と職業的良心の間で揺れるメリル・ストリープ記者。懐疑的、冷笑的な態度を身にまとい始めた学生に自己中心的な価値観を越えた社会参加の価値と意義を説くカリフォルニア大のロバート・レッドフォード教授。上院議員の杜撰な作戦によって、アフガン山中敵陣の真只中に取り残された若い二人の兵士は、教授の反対を押し切って志願した優秀な教え子だった。

ワシントン、カリフォルニア、アフガン。軍事行動開始から集結へ短い時間にそれぞれの場所で交わされた会話から浮かび上がる今日の合衆国の1断面。
反戦とも、反共和党のプロパガンダとしての主張も明確な作品。その意味では大統領予備選の渦中に投入してこそ価値があるというようなものだが、こんなストレートな政治性をも売りにしてまうショウビズ界の、まず日本では考えられないしたたかさに感じいってしまう。

会話主体の動きの少ない内容だが、動的に構成された脚本と安定感ある演出でとてもスリリングに見せてくれる。メリル・ストリープの格調ある演技が断然素晴らしい。「イエシュ ォアノー」と迫りくるトム・クルーズの上院議員がなかなか良くって、かいま見せる俗な表情にも説得力がある。ロバート・レッドフォードの大学教授も理屈っぽくならず、説教臭くなくナチュラルさに好感する。しかしこれ、面白いが昨今の風潮からもヒットする内容じゃないし。

オールドメンにはもはやノーカントリーだと嘆こうが、今時の若者はとお定まりを吐こうが、事態が改善される訳も無い。改善どころかこんなにしちまった責任こそオールドメンなかったら、一体誰にあるんだってことだ。団塊オヤジこそ責任を自覚しなきゃいけないのに、無事にリタイアしてのうのうと暮らして行こうなんてふざけるな。って言われて言葉返せるオヤジがどれだけいるかってことだが。

アフガン山中に残された二人の若者。じりじりと迫ってくる敵兵に全弾ぶち込んでなお挫けないこの二人、明らかにブッチ・キャシディーとサンダンス・キッドへのオマージュと見えるところに、リベラリスト、レッドフォードの怒りと誇りをかいま見るようだ。

原題:Lions for Lambs
監督:ロバート・レッドフォード
脚本:マシュー・マイケル・カーナハン
製作総指揮:トム・クルーズ、ポーラ・ワグナー
製作: ロバート・レッドフォード、マシュー・マイケル・カーナハン、アンドリュー・ハウプトマン、トレイシー・ファルコ
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:マーク・アイシャム
美術:ヤン・ロールフス
製作国: 2007年アメリカ映画
上映時間:1時間32分
配給:20世紀フォックス映画

2008/04/20

四月大歌舞伎 昼の部

3階西8番。一応最前列。と思っていたが下手と花道は全然見えない。舞台が見えない分は客席の反応で動きを想像せよ、というような席。やれやれ。

一、本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)十種香
替え玉たてて生き延び、別人に成り済ましたのに全てバレバレだった殿様を軸に、恋情に身を捩るお姫様と主君の犠牲となった男の妻の心情を対比する。
名作の誉れ高い本朝廿四孝、初めて見たが、今回は余り伝わってくるものが無かった。

二、熊野(ゆや)
豪奢を極めた衣装にしてあの風雅な佇まい。しかもそこはかとなくもの悲しい玉三郎。何処から見ても隙のない仁左衛門。絵に成り過ぎな二人の並のスケールには収まらない絵姿。背景は板ばかりで桜が入ってこない。こりゃ真正面から見れなきゃだめだ。3階西8番、最悪。

三、刺青奇偶(いれずみちょうはん)
勘三郎は惚れた女房の死に際に少しでも楽をさせようと、賭場にでかけてしくじってしまうが、その様子に興味を持った親分が博打の話を持ちかける。
小気味良い台詞回しの勘三郎と、生活感の表出とコメディーセンス抜群の玉三郎。息の合った二人の絡みが随所に展開して楽しめる。しかし圧巻は仁左衛門。場面さらうんだよなぁ。男振りの良さで。夜も昼も四月は結局仁左衛門に尽きるようだ。

ヒットマン

中立な「組織」としてあらゆる政権から暗殺の依頼に応える。その暗殺者達の中で抜きん出た成功率を誇る男が罠に落ちる。インターポールとロシア保安庁の追撃を躱し、反撃に転じる男に「組織」から送り込まれたヒットマン達がつぎつぎに襲いかかる。同名の人気ゲームが原作とのこと。

スキンヘッドにバーコード。暗殺者にしては目立ちすぎだと突っ込んではいけない。ビジュアルとしてかっこ良ければ、それこそ映画のリアリティとして価値がある。顔が命が人形ならば、映画は断然画が命だ。全編こだわりのかっこよさ満載したこの作品、讃えるべきは数あれど、悪いところなど何もない。

寡黙でストイックな47号をティモシー・オリファントが力強く演じている。ダグレイ・スコットのインターポールの凄腕捜査官も迫真的でかっこいい。ヒロインのオルガ・キュリレンコ、草食動物系のあっさりした顔立ちは厚化粧にもピュアな気配が漂い、エレガントな肢体にワイルドな脱ぎっぷりで、新ボンドガールに抜擢が納得の魅力を見せている。

ハードボイルドにセンチメンタルが背中合わせなら、禁欲主義に耽美は欠かせない。クールでセンチで耽美な最強のヒットマン、エージェント47の水際だった殺しの美学。胸のすくバイオレンスをスタイリッシュに積み上げる。要所を抑える遊び心とおフランスらしいお洒落なアートセンスも心憎い、超絶面白アクション巨編dさ。記憶すべき監督の名はザビエ・ジャン。

原題: Hitman
監督:ザビエ・ジャン
脚本: スキップ・ウッズ
製作総指揮:ヤーノシュ・フロッサー
製作:チャールズ・ゴードン、エイドリアン・アスカーリ、ピエランジュ・ル・ポギャム
撮影: ローラン・バレ
音楽:ジェフ・ザネリ
出演:ティモシー・オリファント、ダグレイ・スコット、オルガ・キュリレンコ
1時間33分 2007年アメリカ
配給: 20世紀フォックス

2008/04/19

うた魂

可愛くて歌はうまいが自意識過剰な合唱部の夏帆、好きな男子から歌う顔が面白いだと言われ大ショック。以来大好きだった合唱に嫌気がさし、大会予選を前に退部を申し出る。しかし熱いハートのライバルから「必死の顔に疑問持ってたら一生だせえまんまだ」と煽られて立ち直る。

という青春コメディーなわけだが、演出にセンスがなくて、ギャグは滑る、役者は馬鹿に見え、とくに間寛平の扱いはかわいそうだしで、しらけること甚だしく、浮つき加減も半端じゃない前半は痛すぎる展開。後半はそれでも、夏帆のナチュラルさと芸達者達の個人技、さらに決勝戦のステージパフォーマンスが加わって、ギリギリ作品として体裁が保たれたような有様。

文化放送と朝日新聞社が名を連ねた制作委員会。本業とは別にわざわざ娯楽映画をつくるなら、文化事業だろうと単なる金儲けだろうと、社名を傷つけぬクオリティーを示して欲しいもの。

監 督:田中 誠
脚 本:栗原裕光 田中 誠
主題歌:ゴスペラーズ
出 演:夏帆 ゴリ 徳永えり 亜希子 岩田さゆり 間 寛平 薬師丸ひろ子
製 作:『うた魂♪』製作委員会
2008 日活 120分

2008/04/17

償い 矢口敦子

『ごめんなさい!今までこんな面白いミステリを紹介していなくて』 20万部突破! 悲しいけれど暖かいミステリの隠れた傑作!20万部突破!などなど。幻冬舎の気合いの入った新聞広告。「隠れた傑作」って言い方に惹かれて手に取った1冊。

子供が病死、妻は自殺、仕事はクビなった医師が絶望の果てにたどり着いたのは、男がはるか昔に誘拐された幼児の命を救った街だった。ホームレスとなった男が巻き込まれた連続殺人事件。男の胸に生じたかすかな疑念は、やがて明確なイメージへと結晶し始める。

状況設定も物語の展開も大変ドラマチックだがリアリティーに欠け説得力も乏しい。元医師のホームレスの自意識過剰な述懐に興がそがれたし、その他の登場人物達もキャラクター的な魅力は弱い。狭い街とはいえ、関係者が至る所で偶然に邂逅するのも気になる。人の肉体を殺したら罰せられるのに、人の心を殺しても罰せられないのですか?という惹句が、単なる惹句だけで終わっているのも半端な印象が残った。

本来が鬼畜体質だし本格風味も苦手なので、そこから文句を言うのは筋がちがうかな。これは体質に合わなかった。

償い
矢口敦子
平成15年 6月15日 初版
平成19年12月11日  4版
幻冬舎文庫
648円+税

2008/04/16

フィクサー

巨大法律事務所のダークサイド、もみ消し担当のマイケル・クレイトンは、副業の失敗と賭博の借金とでどうにも首が回らない。そこに巨額の賠償訴訟を扱っていた弁護士が相手側に寝返るという事態が生じ、早速もみ消しを命ぜられる。巨大企業の表の顔と裏の顔がクロスし、様々な人の様々な思惑が揉み消し屋を走らせる。

身過ぎ世過ぎでいつの間にか薄汚れてしまった中年男の諦めとわずかに残った反骨をバランス良く生活感も豊かに演じるジョージ・クルーニーがかっこいい。訴訟の相手側に寝返る弁護士のトム・ウィルキンソンの人情味もなかなかの味わい。ギリギリの緊張感を抑え込んで自己実現に邁進するティルダ・スウィントンの、タフなキャラクターとはうらはらにチワワのような純な目の表情とのギャップに妙なリアリティがある。
即物的に邪魔者を取り除こうとする殺し屋達の手際のいい仕事ぶりも素晴らしい。

組織と個、公と私、是と否、理想と現実。人は様々なしがらみの中で生活し、成功と挫折を繰り返しながら日々の糧を得ている。人並み以上の豊な果実を得る者もあれば、マイクル・クライトンのように心ならずも軌道を外れる者もいる。何れにしても、全体の利益を阻害するものは排除するという組織と個の普遍的な関係を、分かりやすい設定とスリリングなストーリーに展開して見応えがある。

がしかし、こうした問題を描いて、一人の男のヒロイックな行動によって解決が導かれるという通俗性は、今時甘過ぎて説得力に乏しい。人知れず姿をくらまそうとする殺し屋の後ろ姿がフェードしたノーカントリーと、ヒーローを真正面から捉えたフィクサー。このエンディングの違いに、アカデミー作品賞の候補作と受賞作を分けた、面白さの違いが表われている。

生活感原題: Michael Clayton
監督・脚本: トニー・ギルロイ
製作総指揮: スティーブン・ソダーバーグ、アンソニー・ミンゲラ、ジョージ・クルーニー
製作:シドニー・ポラック、ジェームズ・A・ホルト、スティーブン・サミュエルズ
撮影: ロバート・エルスウィット
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
美術:ケビン・トンプソン
上映時間: 2時間
2007年アメリカ映画
配給:ムービーアイ

2008/04/14

ブラックサイト

FBIポートランド支局のネット犯罪捜査官ジェニファーは、娘の養育のために夜間勤務を専門にし、同居の母親の協力を得ながらキャリアアップを果たしている。今夜も怪しいウェッブサイトの巡回を始めたジェニファーのモニターに、KILL WITH ME? と見慣れぬ文字が浮かび上がる。

ネットで殺人現場をライブ中継し、アクセス数が増すごとに作動する殺人装置で死に至らしめる。残忍で狡知を極めた犯人はサイトの存在を巧妙に隠蔽し、匿名性に保護された好奇心を共犯者にして、捜査陣を嘲笑いながら更なる犯行に及んで行く。

ネット犯罪を扱った作品はいくつかあったが、この作品はこれまでにない鋭い視点での問題提起がなされている。それは犯人の犯行に至る動機や手のこんだ犯行手段にも深く関連させてあって、犯人像には説得力があり今日性も高い。サイトへアクセスすることが人を殺すと分かっても、人はアクセスをやめられないだろうという苦い認識を高品質なエンターテインメントに変えた技ありの脚本だ。

ポートランドという街をちょっと陰鬱な雰囲気に描写したシャープな映像。ジェニファーの日常生活をきめ細かく追いながらキャラクターの魅力がしっかり描けている。序盤からいかにもなムードで流れる音楽が様式美に則っていて文句なしに良い。意気軒昂だが疲れ気味なダイアン・レインのジェニファーがとても魅力的だ。このダイアン・レイン以外あまり見慣れた顔のないキャスティングにはB級感もあるがむしろリアリティーを盛上げる効果の方が高い。それくらい仕上がりがよく、面白さも抜群の秀作。


原題:Untraceable
監督:グレゴリー・ホブリット
脚本:ロバート・フィボレント、マーク・R・ブリンカー、アリソン・バーネット
撮影:アナスタス・ミコス
音楽:クリストファー・ヤング
美術:ポール・イーズ
2008年アメリカ映画/1時間40分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2008/04/10

チャールトン・ヘストン

「十戒」と「ベン・ハー」の強烈なイメージのまま、並外れたヒーロー像を大スクリーンに刻み続けたチャールトン・ヘストンが亡くなった。特別ファンではないが、ほとんどの出演作を見ているのは、60年代のハリウッドの大作といえば、ほとんどこの人が主演していたようなものだったからだ。辺りをはらう風格で歴史的な大人物を演じたが、作品も大味なものが多かった。
晩年はマイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」により、全米ライフル協会会長としての超タカ派的言動が注目され、主演作品のヒーロー然としたイメージとのあまりな落差に失望感を抱いた人が多かったのは残念だった。

川本三郎が4月9日の朝日朝刊の追悼文で、この、ヘストンに対するマイケル・ムーアの姿勢をして、「俳優としての敬意を欠いていたと思う」と切り捨てている。マイケル・ムーアの礼節を欠いた態度がチャールトン・ヘストンの意固地で偏屈な反応を引き出していたことは確かで、誠にもってその通りだと共感した。さらに川本は「ウィル・ペニー」をヘストンの最高作と記して追悼の文を締めくくった。再度共感、激同意する。

「ウィル・ペニー」ね。あれはよかった。時代遅れの心優しいカウボーイは、文盲で自分の名前も書けず、雪山で寒さに凍えながら丸のサインしていたのだった。モーゼ、エル・シド、ミケランジェロなど、王にも神にも伍した人物を得意としたヘストンだが、そんな男の哀しさや優しさを陰影深く演じられる俳優でもあったのだ。

2008/04/07

中古車





栄光の日々も今は昔。
錆びの浮いたボディー。(1)
フロントグラスを飾るFOR SALEの文字。(2)
行きつけのトイザラスで見つけた中古のキャディーは、(3)
1940年 フリートウッド S75。(4)

対象年齢6歳以上。
これを面白がるのはこどもより、
60を越えた団塊世代かもしれない。
どっちにしても、
ミニカー文化の成熟を感じさせる仕様になってる。

クローバーフィールド/HAKAISHA

送別パーティーの最中、突如ビルを揺るがす大音響。はるか摩天楼に火の手が上がり、通りへ飛び出した若者達の前に、轟音とともに自由の女神の首が転がり落ちて来る。パーティーの記録用だったハンディ・カムに、若者達の避難行の全てが記録されていく。

粒子の粗いブレまくった映像ということから、ある程度覚悟していたが、全然見にくくなかった。逃げるというシンプルなストーリーをチーム編成やキャラ設定の工夫で成立させているが、冒険行なのに男達に苛つかせられたのは作り手の計算なのか。

マンハッタンの市街戦、崩壊するビル群、飛来する戦闘機などの迫真的な絵の見事なリアリズム。地球を揺るがす大厄災がごく普通の青年の視点からホームビデオに収められたとの設定が、いかにもそれらしく計算し尽くされた映像で展開する。これを極彩色大画面でなく、あえてハンディカムで見せたろうかというへそ曲がりなクリエーター魂に感動し、クライマックス6:00A.Mの凄みあるイメージにはしびれた。

エンドロールで初めて娯楽映画らしい曲が鳴り響く。伊福部的なリズムと旋律の意図は分かるが、無機的でドライな現代感覚が支配する本編の味わいとはあまり折り合いがよろしくない。日常感覚で見せる異常な光景と意外な怖さで楽しんだ充実の1時間半。

ノーカントリーからはフォー・オールドメンが削られ、クローバーフィールドにはHAKAISHAという邦題が加えられた。どちらも過不足あって、見終わった後の余韻、味わいが損なわれるわけだが、はたして営業的な効果はどれほどあるものか聞いてみたい。

原題:Cloverfield
監督:マット・リーブス
脚本:ドリュー・ゴダード
製作総指揮:ガイ・リーデル、シェリル・クラーク
製作:J・J・エイブラムス、ブライアン・バーク
2008年アメリカ映画/1時間25分
配給:パラマウント

2008/04/06

村田朋泰展「夢がしゃがんでいる」


12日から平塚美術館で開催される村田朋泰展の「 展示作業公開ツアー 」に参加。午後2時集合。学芸員さんの案内で展示作業も大詰めの会場を回る。夢といっても仰ぎ見るような大き夢ばかりではない、しゃがんで見るようなささやかな夢もある、というタイトルは稲垣足穂の短編から取ったとのこと。

館内を全面的に改装し、とある温泉地に一泊旅行する男の道中を同時体験できるように構成された展示は、シュールでキッチュなテーマパークのような趣を呈している。静謐な叙情や喪失感の深さで、心に染みる映像表現が持ち味の作家本人も顔を見せてくれたが、今回の展示はそうした持ち味を一切封じ込め、俗でエロな展開が大理石の美術館を挑発している。最後は路シリーズの最新作「檸檬の路」を鑑賞。イマジネーションの新鮮さはいつもながらだが、読書室の群像を動かした技術が素晴らしい。

村田朋泰の世界はとても男臭いと思うのだが、ツアー参加の男は自分だけで、女性専用車両に紛れ込んだようだった。普段は見られぬ館内の様子は興味深く、全て出来上がった展示を見る楽しみが増えた。

2008/04/04

4月大歌舞伎 夜の部 初日

一、将軍江戸を去る(しょうぐんえどをさる)
 薩長に江戸を包囲され、上野寛永寺に謹慎し恭順の意を表していた徳川慶喜(三津五郎)が翻意し、薩長に一矢報いようとする。それを知った山岡鉄太郎(橋之助)は、江戸が火の海となれば民百姓が泣くと慶喜に諫言する。慶喜は江戸を官軍に明け渡し、水戸へと旅立っていく。
深更、未明の出来事で舞台が暗い。内容も重く、理屈っぽいのに大仰な泣きが入って居心地が悪い。三津五郎のきれいな立ち姿やラストシーンの余韻は深いが、それ以外はさっぱりしない。
 
二、歌舞伎十八番の内 勧進帳(かんじんちょう)
源義経(玉三郎)武蔵坊弁慶(仁左衛門)富樫左衛門(勘三郎)の豪華顔合わせで、世に名高い勧進帳を初めて見た。なるほど、このような展開であったのか。誠に結構なもの見せてもらいました。始めから終わりまで、何処をとっても見事な絵になっている。衣装、所作、鳴りもの、舞台の全てがデザインしつくされ、美しさを極めている。見ていてすごく気持ちがいい。仁左衛門の弁慶は、一般的な弁慶のイメージからは豪快方面のニュアンスが足らず、発声にも余裕が欲しいが、でもよいではないか、都会的な洗練をまとった良い男振りは大きくて、文句無くかっこいい。富樫に見咎められてからの展開も玉三郎、勘三郎とも自分のしどころはしっかり見せながら弁慶をガッチリ支えている。先月の娘道成寺もそうだったが、長年にわたって磨き抜かれた演し物だけが引き出せる役者の力ってもんがあるように見える。それにしても仁左衛門かっこ良かった。

三、浮かれ心中(うかれしんじゅう)
  中村勘三郎ちゅう乗り相勤め申し候

井上ひさし「手鎖心中」の歌舞伎化作品。
戯作者かぶれの栄次郎(勘三郎)は大店の若旦那だが、周りの心配をよそに世間の注目を集めようと馬鹿なことにうつつを抜かす毎日。今日も受け狙いで、顔を見たこともない長屋の娘おすず(時蔵)と婚礼を挙げようとしている。

胸高に袴をはいて登場した勘三郎の与太郎振りに一瞬藤山寛美がダブった。サービス精神旺盛な栄次郎は、お客を喜ばすためなら如何なる努力も惜しまない勘三郎本人を思わせるキャラクターで、本人も伸びやかに演じているから、楽しい雰囲気が場内に満ちてくる。楽屋落ちや、くすぐりのネタにお客さんも大受けで、役者も更にノリが良くなるという好循環。最後のちゅう乗りまで、目一杯楽しませてくれた。いつも3階席からで、花道はまるで見えないしオペラグラスも欠かせないが、ちゅう乗りは至近で見る事ができた。3階席でも良い事あるんだ。

2008/03/23

ノーカントリー

ハンティング中に大金をくすねたものの、不用意に正体をさらし追われる身となったベトナム帰りの男。その男を執拗に追いつめる大胆不敵な殺し屋。人の世のうつろいに諦念を抱く初老の保安官。乾ききった荒野に諸行無常の風が吹く。

アカデミー助演男優賞を獲得したハビエル・バルデム。特徴的なヘアに直立姿勢、緩慢な動作から瞬殺のガス弾を繰り出す男。狂気が滲み出るその異様な佇まいからして評判通りの殺し屋振り。この殺し屋が立ち寄った店のオヤジが、何処から来たかとその場しのぎのお愛想をいう。その弛緩しきったオヤジの様子に思わず殺意をつのらせた殺し屋が言う。「生きるってのは常に選択することだ。そんなことも分からず、自分がどれほど幸運だったかにも気付かず、よくここまで生きてこられたもんだ。」殺し屋はコインを取り出し、表か裏か、どっちか答えろと迫る。何を言われているのか分からないオヤジは恐怖に戸惑いながら、一体何を賭けるのかと聞き返す。「全部だ」と男は答える。

例えば、酔っぱらいの車に激突され海に落ちた一家。車に突っ込まれた集団登校の小学生たち。駅のホームで見知らぬ男にいきなり線路に突き落とされて絶命した人。通り魔に殺された女性。毒入りの餃子。そのような暴力が日常と背中合わせに存在する現代社会。平凡な生活にいきなり侵入し全てを奪っていく暴力そのものを、ハビエル・バルデムの、誰もその「行動を制御することのできない殺し屋」は象徴している。あの時あそこにいなければ、あれをしなければという後悔に苛まれることはあっても、この殺し屋が運んでくる突発的な暴力を回避すべは何も無い。ただ、その場に遭遇しないことだけが生き残る道なのだ。だからコインの裏表を選択し続ける、それ以外の立場は無い。と殺し屋は言う。生き続けることだけが選択の正しさを証明するのだと。

大金を持ち逃げした男は優れたハンターとしての能力から、殺し屋と互角の死闘を繰り広げる。ジョシュ・ブローリンの超一流のスナイパーを思わせるクールでスマートなハンターが素晴らしくかっこいい。常軌を逸した異様な殺し屋との対比も鮮やかで、二人が激突するアクションシーンの見事に洗練された隙のない展開は見物だ。しかし、周到で冷静なジョシュ・ブローリンも仏心やスケベ心から逃れられない。

西部の荒野に保安官が秩序を守った時代はとうに過ぎ、まともな殺し屋や死神なんてロマンティックなど何処にも見当たりゃしないのだという、トミー・リーの苦い認識。そんな時代の暴力をきちんと描こうとしたら、カタルシスどころか物語だって成立しやしないってことはある。激しい暴力描写と強烈なサスペンスから生まれる痺れるような緊迫感が観客に強く訴えるものはある、しかし、このようなカタルシス無き終わり方に納得できるものだろうか。これに納得できるのは、トミー・リーに共感できる程度にくたびれ果てたオヤジだけなんじゃないか。

荒野に生きる男達の激しく厳しい物語の最後を締め括る、古女房の柔らかな笑顔。いつ、あの殺し屋に遭遇してもおかしくない今の時代だからこそ、皆さん、愛する人を大事にねと、コーエン兄弟優しいのである。

原題:No Country for Old Men
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
脚本:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
製作:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン、スコット・ルーディン
原作:コーマック・マッカーシー
撮影:ロジャー・ディーキンス
音楽:カーター・バーウェル
出演:トミー・リー・ジョーンズ、ハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリン、ウッディ・ハレルソン、ケリー・マクドナルド
2007年アメリカ映画/2時間2分
配給:パラマウント、ショウゲート

2008/03/21

三月大歌舞伎 夜の部

墓の周りをさっと清め、花を供え線香をあげ手を合わせ簡潔に墓参をすませる。滞在時間はいつもより短いのにこの充実感は、何より降りしきる冷たい雨のせいだな。お寺さんを後に途中買い物などしながら歌舞伎座夜の部に行く。

一 鈴ヶ森(すずがもり)
暗闇で雲助に襲われた白井権八(芝翫)が雲助達を片っ端から切り倒していく。だんまりで見せる切り合い。スパッとそがれパックリ割れる顔面やら、切り落とされる腕や足、袈裟がけに開く刀傷、貫胴で伸びる上半身など、ユーモアとスプラッターで見せる残忍な場面の奇妙な味わい。 芝翫の白井権八は強いというより可愛いという感じがぴったりなのだが、そうしたこと全てひっくるめて楽しもうとする歌舞伎の懐の深さ、成熟みたいなことも思う。

二、坂田藤十郎喜寿記念
  京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)
坂田藤十郎は凄い。喜寿とは思えぬ若さと輝き。毎晩この華やかな大舞台を一人で背負って立っているのだ。去年の「合邦ヶ辻」とは別人のキャラになりきっているのにもビックリ。終わりに登場した市川團十郎の、目一杯目を剥いた大見得もご祝儀感たっぷりで大変結構。

三、江戸育お祭佐七(えどそだちおまつりさしちり)
  浄瑠璃「道行旅路の花聟」
菊五郎と時蔵は熱演だし時蔵は大好きだが、いかんせんお話に魅力がない。藤十郎の素晴らしい舞台をどうしてこんな陰惨な出し物で挟み込めたものか、喜寿のお祝い気分には無縁の番組編成にちょっと白ける。

今日は大向こうのかけ声も、間の悪い人がやたと声を張り上げて気持ちが悪かった。

2008/03/16

キサラギ

自殺したアイドルの一周忌に集う5人の男。最高の理解者、最強のファンを自認する初対面同士のオフラインミーティング。しかし、楽しいはずの追悼集会にそれぞれの思惑が交錯し、やがて不穏な空気が流れはじめる。

ブレークせぬまま自殺したアイドルに入れあげた5人のオタク達の激突を、一幕ものの舞台を観るような白熱のドラマに仕立てた脚本が素晴らしい。人物の登場のさせ方は計算が行き届いているし、状況説明に合わせてお話を進めていく段取りにも無理がなく、こちらの気をそらさぬ工夫も効いている。

香川照之の姑息な表情が冴え渡る前半。腹下しを繰り返すルーティンのギャグが不発のまま失速するかと思った塚地があっと驚く正体とともに息を吹き返す後半。キャラ設定の意外性も飛躍とナンセンスな味付けに技があり、自殺の謎を解きあかそうする推理劇としてもよくできているし、上質なコメディーで気持ちよく笑わせてくれる演出も文句なし。

心が浄化されるような着地の気持ちよさもあり、評判の高さに納得がいったが、終わり方はもっと潔い方が好みだ。

監督 佐藤祐市
脚本 古沢良太
音楽 佐藤直紀

2008/03/13

私の男 桜庭一樹

分ち難く結びついた父娘を描いた直木賞受賞の話題作。
娘の婚礼からさかのぼって親子の過去を明らかにいくという構成は、近親相姦というアンモラルに、つい好奇や嫌悪が入り交じる普通な読者の複雑な心理を読み切った、作者の老練手練れぶりを示している。同様に、腐野淳悟と花という親子のふざけた名前にも、作者の度胸とセンスの良さが感じられる。
しかも、この父親が抜群に良いのだ。長身痩躯、笑うと愛嬌があるが孤独、虚無的な横顔と雨が匂うような体臭、優雅で腕も立つ海の男。そんな男いるかっ!ってなものだが、作者の筆には説得力がある。いるのである。この父親に較べたら、娘の方は取り立てて特徴がないが、それで良いのだ。

ネット書評や直木賞の選評、スキャンダラスなテーマなどから、公序良俗、世俗の常識に棹さす新しさ、前衛性みたいなものを予想していたから、この若くして頽廃のかげを宿した腐野淳悟というかっこいい男が、純粋、究極の愛を求めるが故に身を持ち崩していく一部始終を、ロマンティックにミステリアスに展開する作者の、徹頭徹尾エンターテインメントに照準した姿勢と手法の口当たりの良さは結構意外だ。

口当たりの良さで言えば、風俗や時事ネタの取り込み方でリアリティを盛り上げる巧さや、既成のイメージを効率よく利用する手管の良さにも感心する。しかし、あまりにも通俗的なイメージに依存していて新鮮な驚きや発見に乏しい。同じことはキャラクター造形にも感じられ、周辺の人物や関係は類型的で全体に深みにかけている。

面白くはあるが、何というか、混み合った女性専用車両にそうとは知らず紛れ込んだような居心地の悪さというか、もっと違う種類のガツンとくるものが欲しかったので何となく欲求不満だ。絵空事をリアルに見せる腕前に優れていると思わせる作者だが、他の作品も女性専用車なのかもう1冊確かめてみたい。

桜庭 一樹著
税込価格 : ¥1,550 (本体 : ¥1,476)
国内送料無料でお届けできます
出版 : 文藝春秋
サイズ : 20cm / 381p
ISBN : 978-4-16-326430-1
発行年月 : 2007.10

2008/03/10

国立劇場 3月歌舞伎鑑賞教室

「歌舞伎へのいざない」と題した鑑賞教室。前半は「鷺娘」のさわりなど織り込みながら歌舞伎の成り立ちや舞台裏を分かりやすく紹介した入門講座。短いなかにも趣向がこらされ、解説の澤村宗之助も良い感じで楽しかった。 後半は阿倍清明が狐から生まれたという伝説を哀切な子別れで見せる「芦屋道満大内鑑 」葛の葉。狐と人間の早変わりや、物の化ならではのテクニックで障子に書をしたためる曲書きなど、ケレン味たっぷりの舞台が期待できる。ってことで、仕事休んで真昼間の芝居見物。

2月の歌舞伎座で見たお軽が軽薄な感じで可愛かった中村芝雀が今度は愛情豊かな狐の母親になりきって、若干可愛いかと思うがほとんど貫禄たっぷり。狐と契った夫の安倍保名には中村種太郎という若手。とても一生懸命やっているのだが、芝雀の貫禄とはまるで釣り合わない軽量ぶり。全然夫婦になんて見えなくて全体のリアリティーも損なわれた。芝雀も、前半はともかく後半、狐の正体現してからの早変わりや曲書きの見せ場には、何かもの足りない感がつきまとう。華やかさなのか、物の怪の妖気か分からないが、サムシングがナッシングでαがマイナスのまま終演。あぁ「葛の葉」ってこんなもんなのか。面白くなかったぞ。うーん、若手の修練を見守るのも一興というような見功者にはなれそうも無いのだなぁ。

解説 ようこそ歌舞伎へ   澤村 宗之助
竹田出雲=作
芦屋道満大内鑑 −葛の葉−
第一場 安倍保名内機屋の場
第二場 同  奥座敷の場

ライラの冒険 黄金の羅針盤

ダストという、シュタイナーのエーテル体を連想させるエネルギーでつながるパラレルワールド。人はそれぞれが動物の姿をした守護精霊とともに平和に暮らしている。こんな感じで始まる豪華キャスティングもうれしい話題作。

月並みを言えば、ファンタジーの主人公には不遇の時間が不可欠。アヒルから白鳥に、灰かぶりからシンデレラに、ハリーだってマグルにいじめられる時間があればこそのカタルシス。しかし、ライラは始めから選ばれし者として差別化され、特別な者として扱われているので化ける花開くという変身のカタルシスは無い。ライラを演じる子はそれに相応しい威厳と気品とで良くやっているのは大したもので、作品に恵まれればもっと魅力的だろう。

しかし、ライラは強さがストレートで観客は感情移入の余地が少ない。その分をカバーする弱さや愛嬌がファンタジー的には欲しかったと思うが、あくまでファンタジーとして見れば、ということであって、単に冒険活劇と思えば何の問題もない。そういえば黄金の羅針盤をライラが使う様子は、機能的にもラプトップのパソコンでグーグル検索しているように見えてしょうがない。

展開はよどみなく、キャラも多彩だ。ライラが難局を乗り越え様々な冒険をする様を次々と見せられるのだが、話が進むほどに白けた気分になる。全然盛り上がらないし面白くならない。脚本も演出もCGもおよそ惹きつけるものが無く、作り手が何を面白いと思って作っているのか一向に伝わってこないのだ。

だったらぐっすり眠るか席を立つかすれば良かっただけのことだが、そうならなかったのはひとえに、低年齢なお子様向けな内容の中、悪のナンバー2を楽しげに演じたニコール・キッドマンの、突出して大人向けな艶やかさの故だ。

原題:The Golden Compass
監督・脚本:クリス・ワイツ
製作総指揮:ボブ・シェイ、マイケル・リン、トビー・エメリッヒ、アイリーン・マイゼル、アンドリュー・ミアノ、ポール・ワイツ
製作:デボラ・フォート、ビル・カラッロ
原作:フィリップ・プルマン
撮影:ヘンリー・ブラハム
音楽:アレクサンドル・デスプラ
美術:デニス・ガスナー
2007年アメリカ・イギリス合作映画/1時間52分

2008/03/09

バンテージ・ポイント

いや、たまげた。なにこれ、めちゃくちゃ面白いじゃん。

テロ撲滅のサミットを主導した米大統領が大観衆の眼前で狙撃される。厳しい対応を迫られるシークレットサーヴィスをあざ笑うかのように爆弾が炸裂して修羅場と化す会場。TVカメラが全てを捉えた20分間の出来事。それを目撃した人々の視点から浮かび上がる事件の全貌。

護衛官の体を張った仕事ぶりで最近話題のTVシリーズだった「SP」。一つの出来事を、時間を巻き戻して別の角度から描き、表・裏と称した「木更津キャッツアイ」。まるでこの二つを合わせて1本作ったような感じの作品。木更津キャッツでは1回だけだった巻き戻しを、ここは4回5回と繰り返し全体を検証していく。その過程が実に手が込んでいる。

多彩なキャラクターと行動にいくつもの謎と伏線がちりばめられ、伏線が別の伏線をセットする。20分間の出来事をバリエーション豊かな構成が、観客の好奇心を間断なく刺激する。躊躇や逡巡とは無縁なアクションが画面をキリリと引き締める。ド迫力の追っかけにハラハラドキドキ感が増していく。
頭と身体への心地よい刺激。このマーベラスな脚本と、エクセレントな演出とで緊張感漲った鳥肌もんの映像した才能に刮目。

ウイリアム・ハートの大統領にデニス・クエイドのシークレットサーヴィス。ほんとに地味なキャスティングだが、年齢に似合わずやることは派手。デニス・クエイドがこんなに興奮させてくれるなんて誰が予想できただろう。ウイリアム・ハートの大統領は素晴らしいし、他のキャスティングも完璧。

クライマックスに向けて全てが収斂していく様は、不審な点もあるが、やはり見事な作劇だ。9.11以降の問題を提示した暴力描写もわかりやすく示唆に富んでいる。最高級のサスペンスアクションを楽しませてもらった満足感。上等なミステリを読んだ充実感もある。傑作。ミステリファンに是非勧めたい。


原題:Vantage Point
監督:ピート・トラビス
脚本:バリー・レビ
製作総指揮:アンドレア・ジアネッティ、カラム・グリーン、タニア・ランドゥー、アダム・ミラノ
製作:ニール・H・モーリッツ
撮影:アミール・M・モクリ
音楽:アオリ・ウバーソン
美術:ブリジット・ブロック
出演:デニス・クエイド、マシュー・フォックス、フォレスト・ウィテカー、エドゥアルド・ノリエガ、エドガー・ラミレス、シガニー・ウィーバー、ウィリアム・ハート
2008年アメリカ映画/1時間30分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2008/03/08

ジャンパー

心の通わぬ父との二人暮らし。粗暴なクラスメートが幅をきかせる学校。居心地の悪い毎日を送るデイビットにある日発現した瞬間移動の能力。ジャンパーとなったデイビットは、過去を振り捨て自由気ままな生活を手に入れる。しかし、ジャンパーを人類の敵とし、その抹殺を目的とする秘密組織パラディンが存在することをデイビットは知らなかった。

半村良的な伝奇SFが楽しめるかと期待したが、パラディンはジャンパーを駆り立てるだけでその特殊能力を利用しようとしたりせず、神だけが持つべき力だと、捕まえたジャンパーを惜しげもなく殺すだけという徹底振り。伝奇は設定だけで中身は面倒なことは抜きに、シンプルな追っかけアクションなのだった。

ヘイデン君とサムエル・L・ジャクソンというフォース使い同士にリトル・ダンサーのジェイミー・ベルが絡んで、瞬間移動の不規則な跳躍飛躍の繰り返しから変なリズムの面白いアクションシーンが生まれた。瞬間移動もエンタープライズの「転送」のような滑らかさとは無縁で、抵抗感ある空間や壁を強引にぶち抜いていく。この無理矢理感がユーモラスで楽しく、ジャンパーのワイルドさも合っている。

青春映画を軸に、いろいろな要素を組み込んで、誰にでも楽しめるよう工夫したサービス精神と、最近には珍しい短時間の決着に好感を持った。東京のロケシーンも楽しい。

ジャンパーの特殊能力を単におもちゃとしてしか利用しない脚本は一つの見識だが、伝奇SF好みとしては、政治的な陰謀に利用したりするお話も楽しいと思うのだ。ジャンパーを秘密兵器として利用しようとする秘密組織パラディンとジャンパーの暗闘、TVシリーズには格好の素材じゃなかろうか。

原題:Jumper
監督:ダグ・リーマン
脚本:デビッド・S・ゴイヤー、サイモン・キンバーグ、ジム・ウールズ
原作:スティーブン・グールド
撮影:バリー・ピーターソン
音楽:ジョン・パウエル
2008年アメリカ映画/1時間28分

2008/03/06

エリザベス:ゴールデン・エイジ

バチカンからスペインへと敵役は変わっても、カソリック対プロテスタントの確執と王位継承を巡る陰謀とで内憂外患の女王エリザベスの孤独や不安、切ない恋路と愛の行方で興味をつなぐ展開は前作に同じで、同工異曲と言うより同曲に等しいが、ストーリー展開には工夫が乏しく、登場人物には説得力も魅力も無い。

クライマックスにスペイン無敵艦隊とイギリス海軍の激突を持ってきたのが新味だが、世界史に残る海戦を描いて戦況がよくわからぬまま決着がついてしまうのが安易だ。ビジュアルとしてもイマジネーションに欠けて面白くない。

二番煎じで二匹目の泥鰌を狙っただけの、作られる必要の無かった続編だろう。面白さで言えば、前作とはそれくらい隔たっているのだが、風格の増したケイト・ブランシェットと、彼女の着こなすファッションの、見事にゴージャスな美しさにはひれ伏してしまうのだ。

[監]シェカール・カプール
[総][脚]マイケル・ハースト
[出]ケイト・ブランシェット ジェフリー・ラッシュ クライブ・オーウェン リス・エバンス

[配給会社] 2007英.仏/東宝東和
[上映時間] 114分

2008/03/02

潜水服は蝶の夢を見る

脳梗塞で左目を動かす以外全ての運動機能が失われた男の生き方。
ブリジット・オベール森の死神のヒロインを思い出させる最重度の障害者が主人公。ELLEの編集長をみまった実話だという。どちらもフランス製。フランスは障害に対する理解や保障に優れてるのか。

コミュニケーションの手段が閉ざされた主人公の感覚や意識を描き出す1人称のカメラ。生を自覚した主人公が描かれる後半は3人称へと切り替わるなど、結構あざとい演出をしているのだが、少しもそうとは感じさせない。男の絶望や怒り諦めをしっかり伝えているし、無気力な主人公が周囲の人たちとの関わりの中で変化していく様子の、気取らぬ普通な感じも気持ちが良い。

色は抑えめでもトーンの豊かさで見せる映像は、アメリカ映画とは画然と異なるシックな美しさ。病室の窓で微風にそよぐカーテン。海風に揺れるフレアスカートの裾。オープンカーの風に髪をたなびかせる女。多くの感覚機能を封じられた主人公の、それゆえ一層鋭敏になったであろう官能を風とともに描き出すカメラもエロティックで素晴らしいのだ。

レントゲン写真に青インクがクールなメインタイトル。
エンドロールを締めているのは崩落する氷山のダイナミックなイメージなのだが、この映像の使われ方と効果は、「詩人の血」という、遥かな昔、草月会館で見たジャン・コクトーの作品を彷彿とさせて、作品の面白さとは別に、凄くノスタルジックな思いに浸ってしまった。

[監]ジュリアン・シュナーベル
[原]ジャン=ドミニク・ボビー
[撮]ヤヌス・カミンスキー
[出]マチュー・アマルリック エマニュエル・セニエ マリ=ジョゼ・クローズ

[配給会社] 2007仏.米/アスミック・エース
[上映時間] 112分

2008/02/17

チーム・バチスタの栄光

心臓手術の精鋭チームが立て続けに手術に失敗。心療内科医が内務監査に当たるが不審な点は見当たらない。そこに厚生労働省の役人が調査に乗り込んで院内を引っ掻き回し始めると。という原作はこのミス大賞受賞のベストセラー。話題作の映画化に相応しく新鮮かつ豪華なキャスティング。「人のセックスを笑うな」が同時刻の開始でどっちにするか少し迷ったが、楽しい週末の夜、娯楽に徹したい気分が勝ってこっちにした。

阿部寛が厚生労働省の怪人を生き生きと演じてとっても素晴らしい。キャラクター的にも日本映画には珍しいスケールのいけ好かなさを、嫌みなくユーモアを滲ませながら魅力たっぷりに造形している。「トリック」のバリエーション的なキャラクターとも言えるが、役柄の幅広さと技巧の繊細さにおいて阿部寛はジョニー・デップに匹敵すると思う。

心療内科医を演ずる竹内結子も人の良さと暖かさをじんわりと伝えて魅力的。この主役二人のコンビネーションが小気味良く、心臓手術のハラハラドキドキとよく調和した展開は見応え充分。吉川晃司以下、登場する役者はすべて良いが、特に、出番の長短に関係なくベテランが皆いい演技で楽しませてくれたのが実に印象的、この監督は力があるなぁ。

ミステリーには意外な犯人という様式がある。動機にも方法にも意外性が求められる。一昔前なら、事実は小説より奇なり、と言われる程度の余裕はあったものの、近年は事実のほうが圧倒的に奇想天外で、もはやミステリーもバカミスと呼ばわるぐらいの覚悟があっても太刀打ちは難しくなっているという現実。この映画の犯人はミステリーの様式を満たしているが、動機は、今の時代に驚くようなことでもなく、意外性があるとは言い難い。この程度は月並みと感じるぐらいこちらの感覚は日々のニュースで鍛えられてもいるのだ。この殺伐とした時代に本格ミステリを成立させることの困難さは高まるばかり。フーダニットは納得だが、ハウとホワイに感じる不満を補って余りある、肥大した心臓の余分を切り取ってダウンサイズするバチスタ手術の克明な描写の啓蒙的な面白さだった。

監]中村義洋
[原]海堂尊
[脚]斉藤ひろし 蒔田光治
[音]佐藤直紀
[出]竹内結子 阿部寛 吉川晃司 池内博之 玉山鉄二 井川遥 田口浩正 田中直樹 佐野史郎 野際陽子

2008東宝
120分

2008/02/05

スゥイニー・トッド

無垢なまんまじゃ生きていけない。汚れたまんまじゃ生きる資格もない。などと、チャンドラーを気取るわけではない。無垢なまま生きるにはいろいろ苦労が絶えないという、ティム・バートンの世界に想いを馳せているのだ。

無垢なるものが生きるには、世間から隔絶した空間に逃避するか、世間の相場に適応してくかのどちらかしかない。だから、シザー・ハンズ・エドワードは城に帰り、チャーリーはチョコレート工場に隠遁したりしたものだった。適応するなら、ゴッサムシティーでバットマンになったり、スリーピーホロウ村まで首なし死体を追いかけにいったり、時にはビッグフィッシュに遭遇する幸運を得た者もあった。ハロウィン・タウンのジャックはクリスマス・タウンに出かけて挫折したりしたわけだが、何れにしても、乳幼児以外の無垢とか純粋には、どうしたってトラブルがつきものってのがティム・バートンの主張だ。

優しく美しい妻と生まれたての赤ん坊。幸せな理髪師ベンジャミン・バーカーを一挙に地獄へと陥れる邪な欲望。無垢なるベンジャミンは、スゥイニー・トッドと名を変え、家族を奪った魔都ロンドンに相応しい邪悪さをもって蘇るのだった。という期待の新作は世にも名高いヒットミュージカルだが、なるほどティム・バートンにぴったりの内容ではある。

回転する歯車と流れる血の色。緊張感と美しさで見せるメインタイトルから素晴らしい。ジョニー・デップはヴィジュアルもボーカルもスタイリッシュで申し分なく、アラン・リックマンの、出てくるだけで場が引き締まるいつもながらの存在感にも惚れ惚れ。ヘレナ・ボナム・カーターだって負けてはいない。哀感溢れるゴシック的妖しさでイライラさせる魅力も全開なのだ。

異常が正常な世界。異常な登場人物達ばかりなので、楽曲の普通の美しさが際立つ。際立つが、いわゆるミュージカル的なもので、絵とのギャップに戸惑う感じがあって、ダニー・エルフマンならどうだろうかなどと、ちらり頭をよぎったりした。しかしまあ、ティム・バートン独特のイマジネーションは今回もハイレベルで、陰鬱な画面に芸達者達の達者な芸が陰鬱な華やぎを添える独壇場の美しさ。強い牽引力でグイグイ引っ張る。

スゥイニー・トッドの狂気は無垢さの裏返し。次から次へと犠牲者が増えるのも無垢なるが故、郊外の城へと導いてくれる庇護者も、チョコレート工場もスゥイニー・トッドには無い。クリスマスの雪を削りだすエドワードの姿が、美しくもロマンティックなエンディングとして描かれてから18年経って、今や、無垢なる愛は地獄のかまどに劫火が燃え盛る理髪店の階下で、妻の亡がらを抱きながら息絶えるベンジャミン・バーカーへと姿を変えたけれど、その無垢なる本質に変化は無い。ただ、ティム・バートンも歳をとり、世界は地獄との距離を一層縮めているだけなのだ。

2008/02/04

アメリカン・ギャングスター

ハーレムを牛耳ってきた大物の後釜に納まったフランクは、べトナム戦争のドサクサに米軍絡みの麻薬密輸ルートを確立し、高品質な商品を供給して瞬く間に市場を支配する。組織を血縁で固め、豊富な資金で事業を拡大していくが、堅実な経営手法は麻薬取り締まり官の注意を引くこともない。
一方、伝説の正直者として仲間うちから煙たがられ、それ故に検察の特命麻薬捜査主任を命ぜられたリッチー。麻薬密売の本命をあぶり出そうと懸命の捜査を続けるその線上に無印フランクが浮上してくる。

信義を重んじ、親兄弟を大事にするフランクだが、ブチ切れると何をするかわからない危ない男でもある。粗悪品を売りつけるキューバ・グッディング Jr.に、品質を維持しブランドイメージを守ることが大事なんだと説教を垂れる場面は面白いが、このとんでもない悪党もデンゼル・ワシントンがやるととてもエレガントで少しも悪党に見えない。対するラッセル・クロウは、清廉潔白、お天道様に恥じない生き方を貫く立派な男だが、男やもめの生活感横溢した結構な汚れ役で、キャラクター的にはもっと格好良くてもいいのだが、どうもパッとしない。

一口でいえば、「ゴットファーザー」のロバート・デニーロに対する「アンタッチャブル」のケヴィン・コスナーといった味付けの二人。これを単純な善悪のコントラストで描いていないのはいいが、麻薬を商うフランクの卑劣さを正当化しすぎているきらいがあり、そこからウエットさとか緩さとかが滲み出てくる。更に、悪徳警官撲滅キャンペーンへと盛り上がるところも同様で、どうにも厳しさが足りない。却ってフランクのキャラも見え難くなっている。

ベトナム戦争の推移を背景に、入念に作り込まれた映像も魅力的なアメリカンギャングスター。スケールの大きさで見せるリドリー・スコットにしては中途半端で、ドラマ的な奥行きに乏しい。フランクはデンゼル・ワシントンよりサミュエル・L・ジャクソンなんかの方がしっくりくると思うのだ。

監督:リドリー・スコット
出演:デンゼル・ワシントン、ラッセル・クロウ、キウェテル・イジョフォー、アーマンド・アサンテ、
07年 アメリカ 157分

2008/01/23

初春歌舞伎公演「小町村芝居正月」


「こまちむらしばいのしょうがつ」
初演以来、219年ぶりの復活狂言なんだそうだが、昨日今日のにわかファンとしては意味も価値も分からないからはぁと承るしかない。ポスターがいまいちパッとしないし、あまり面白そうな気配も無いのだが、とにかく観に行く。

幕が開くと簡単な状況の説明。皇位継承を巡るトラブルらしい。
先帝の遺言状盗難に宝剣争奪のだんまり。さらに極悪人が印を切ると一気に雲上人となって、たちまちのうちに龍神を封じ込める。なんと、思いもよらぬスペクタキュラーな舞台に吃驚仰天する。なんだよ、凄いよ、凄いですよ。歌舞伎のエッセンスぎっちり詰め込んだような見せ場が次々と展開し、その後もただ口あんぐりでひたすら見とれるばかり。

三幕。時蔵の色気。若さが匂いたつ菊之助の妖しい魅力。いやはや。メリハリの利いた菊五郎と松録の男女四人の舞踊で見せる深草の里の美しいこと。かと思えば世話場に転じた四幕目のとぼけた滑稽味で笑わせ、さらに雪降り積もる真っ赤な鳥居の前で、狐の化かしと大立ち回りを繊細なダイナミズムで繰り広げる。その上大詰めでは松録の「暫」という大盤振る舞い。お正月の舞台にふさわしい明るさ華やかさのうちに、歌舞伎特有のビジュアルの魅力をこれでもかと見せてくれる楽しく美しい舞台に大満足。菊五郎劇団としては去年の「一二夜」より遥かに楽しめた。

国立劇場は劇場の魅力としては歌舞伎座の魅力には遠く及ばないが、出し物はとてもいい。しかし、今回、衣装が歌舞伎座に比べて素人目にも見劣りしたのが気になった。

2008/01/08

壽 初春大歌舞伎 昼の部 歌舞伎座


一、猩々(しょうじょう)
酒に目のない猿が孝行者の酒売りの振る舞い酒に上機嫌となって舞い踊る。華麗な装束で大らかに舞う2匹の猿は、シャープで切れのある美しさの染五郎に柔らかさと包容力の梅玉とで好対照。舞台の華やいだ気分が客席くまなく包み込む。そんな楽しさあふれる舞台。

二、一條大蔵譚 (いちじょうおおくらものがたり)
平家の世にあって、源氏の忠臣鬼次郎(梅玉)は一條大蔵卿(吉右衛門)に打倒平家、源氏旗揚げの覚悟を糾そうと館に入り込むが、そこで目にしたのは世評通りの阿呆振り。
吉右衛門最高!何と素晴らしいばか殿様。無邪気と愛嬌はたっぷりだがそこに嫌みのかけらもないし、大技小技を駆使しても構えの大きさには揺らぎも無い。地味な感じが強かった昔が嘘のような、明るく大きな役者ぶりが冴え渡って、福助、吉乃丞、魁春、段四郎の見せ場もバッチリ決まった。昼の部の白眉と言える面白さ。

三、けいせい浜真砂(けいせいはまのまさご)
   女五右衛門
1月2日にNHKが劇場中継したので何がどうなるか分かっていたが、派手な色彩の山門がせり上がってくる仕掛けのダイナミズムには胸がときめいた。山門の上で雁がくわえて来た巻文を広げ、親の仇にかんざしを投げつける立女形中村雀右衛門は88歳にしてこれが初役だという。
山門の下でかんざしを受ける吉右衛門がその風格で長寿の名優をあっぱれリスペクトし、この間15分にも満たない長さ。ま、それ故に贅沢きわまりない豪華絢爛の一幕。いやいいもん見せてもらった。

歌舞伎では石川五右衛門とは養父明智光秀の仇として秀吉を討とうとする実は朝鮮人。と知っって、あまりの奇想天外さにぶっとんだことがあったが、その五右衛門さえ平気で女に変えてしまう。歌舞伎ってのはこういうことを当たり前のように平気でしてしまう。無茶苦茶だが痛快でもあるというような、成熟、洗練もここに極まれりというような、何だか不思議な世界がある。細かな校則がびっしり決められているのに、そこの生徒は他のどこよりのびのびと自由を謳歌しているような。

四、新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎
いろいろな条件が重なって寝てしまった。

五、お祭り
祭礼に沸く町内のトラブルをいなせに処理して行く鳶の頭團十郎。
楽しい踊りだったが、背景画が先月の粟餅と同じようで気になった。

正月の歌舞伎座はいつにも増して着物姿のご婦人が多く、華やかもひとしお。
新年を寿ぐ気分が満ちていた。席は三階だが二列目で悪くないと思いきや、前には背の高い男性とやたら前のめりになる女性で、視界が妨げられること夥しかったのは誤算。紅白もち入り薄皮たいやきは値上げで1枚200円になっていた。1/6

2008/01/04

劇団四季「ウェストサイド物語」

駅伝復路の応援して平塚駅。ホームで上りの電車を待つ。普段の休みより人が多いが列の前だし席には座れるはずだったが、列車到着とは反対側のホームに立っていたことに気がつかず、席にはありつけなかった。実に間抜けだ。
結局下車駅まで立ちっぱなしで実に疲れた。
浜松町下車、劇団四季秋劇場の「ウェストサイド物語」を観る。

序曲が終わり、ジェツとシャークスの群舞が始まる。ローバート・ワイズの映画版を彷彿とさせる。というのは順序が逆だが、映画化作品に刷り込みされた世代だからしょうがない。ジェッツのリーダーはいかにもラス・タンブリンだし、あの背の高いのは明らかにタッカー・スミス。しかも、シャークスのベルナルドなど体形から身のこなしまでジョージ・チャキリス以外の何者でもない。というハイレベルなそっくりさんたち。その他も主要なキャラはみんな映画のコピーなのだ。オリジナルの振付けを再現しているという四季のステージだが、オリジナルの尊重がこのそっくりショーなのかよく分からない。
それはともかく、ダンスはキレがあり、歌唱は伸びがあり、ミュージカル場面はテンポよく迫力もある。しかし、普通の台詞は滑舌も口跡もしっかりして聞き取り易いが、何と言うか、高校演劇部の発声練習のようだ。生活感もなく個性的でもない。では、この統一感が四季という劇団の色合いなのかと思った。

高架道路の下の決闘を止めろとマリアに頼まれたトニーの仲裁にもかかわらず、リフは殺され、逆上したトニーがベルナルドを刺し殺す。現場から逃げたトニーはマリアの部屋に匿われ、そこで二人は結ばれる。映画ではベッドに横たわる二人を暗示的に映し、その後マリアを訪ねて来たアニタがそれを見とがめるという流れだったが、オリジナルのステージでは、ベッドに入る前の二人が、真っ白な空間で幾組かのカップルとともにロマンティックなダンスを繰り広げる場面が幻想として挿入されていた。とても美しいシーンで驚いた。9.11以降も色あせることなく、むしろこの作品に一層の輝きを添えているシーンではなかろうか。


それにしても、マリアというのは危険だ。マリアがトニーに決闘をやめさせるように頼まなければ、リフもベルナルドも死なずに済んでいたかも知れない。マリアがアニタにトニーへの伝言を頼まなければ、トニーが死ぬことも無かったかも知れない。しかるにマリアは、最愛の兄と恋人を一瞬のうちに失った悲劇的かつイノセントなヒロインとして退場する。ウエストサイド物語から、無垢なものは時に残酷で恐ろしいなんぞの教訓を汲み取るのは筋違いだが、そんなふうに感じさせるくらいのファムファタール振りをマリアは示している。今は無き丸の内ピカデリーで見て以来何度も繰り返し見た大好きな作品だが、
そんわけでナタリー・ウッドは好きになったことがない。

2008/01/01

初日の出




あけましておめでとございます。

年が明けた夜中、ぱわぶくがハードディスクを認識しなくなった。
ディスクユーティリティの薬効も空しく、復旧の気配もない。ヤバッ!
OSX新規導入してこれだもんなぁ。実にどうも脱力の年明け。

ま、それはそれとして、新年の御来光を拝むべく海に行った。
明るさを増して来た砂浜。沢山の人が静かに待っている。
日の出は6時50分頃の予定。
快晴。
房総半島から大島の島影の先、水平線上に雲が連なっている。
雲の輪郭を黄金に輝かせて2008年最初のお天道様が昇って来た。
輝く朝日。朝日を浴びる箱根連山と富士山

ハードディスクは何だが、そんなに悪い年明けじゃないって気になった。

てな次第の元旦。
ことしもよろしくおねがいします。