2009/12/21

2009年の映画をふりかえる

http://d.hatena.ne.jp/zoot32/20091217#p1

空中キャンプ氏の企画に乗せてもらいます。

名前  螺子山 旋吉 / 性別  男

--2009年に劇場公開された映画でよかったものを3つ--
* グラン・トリノ
* ザ・バンク
* 2012

--選んだ映画のなかで、印象に残っている場面--
「2012」イエローストーンが火を噴く場面のウディ・ハレルソンは「十戒」のチャールトン・ヘストンに重なった。海が割れて活路が拓けた時代から幾星霜、今や地球崩壊は必至なのだと映画が示す世界観も変ったのだ。

--今年いちばんよかったなと思う役者さんは--
ナオミ・ワッツ。良かったというのはちょっと違うがキャリアの割に「ザ・バンク」や「イースタン・プロミス」とか出る作品が面白い。脚本を読む力がある女優さんなのだと思った。
  
--ひとことコメント--
今年一般化してきた3D映画、飛び出す刺激も直に慣れてしまうので映画としてきっちりした中身は必要だが、公開された作品はどれも良く出来ていた。中でも、3Dの必然性が良く反映されていたのがロバート・ゼメキスの「クリスマスキャロル」と「ファイナル・デッドコースター3D」。後者のエゲツない3Dスプラッターの絵作りにはクリエーターの心意気を感じられて楽しかった。「アバター」楽しみ。

2009/10/04

コースト・オブ・ユートピア ユートピアの岸へ


12時開演で幕が閉じるのは22時20分過ぎという芝居。休憩時間を引いても実質9時間を越える上演時間。この間狭い椅子に括りつけられたような状態で果たして快感が得られるのかと疑念も湧いたが、いつも刺激的な蜷川の演出への期待とミーハーな好奇心もあってチケを分けてもらったのだった。しかし、万来の拍手とともに客席とステージが一つになったカーテンコールの高揚感の中で、これはなにより9時間にわたる着席のたまものと納得がいった。

ロシア革命の先駆的役割を果たした若き理想主義者達の青春群像。彼らの30年間が時代とともに「船出」「難破」「漂着」とした3部構成でじっくり描かれる。メインキャラクターは阿倍寛のロシア初の社会主義者となるゲルツェン。対抗が勝村政信の貴族出身の革命家バクーニン。この二人を始め登場人物の大半が口にするのは理想主義的な観念論が多く、長広舌ともなるとぼとんどアジ演説と化すようなのだが、じゃあこれが退屈かというとそうではなく、実に面白いのだ。膨大な台詞がハイスピードで流れて行くが深みのある内容が気の利いた言葉で語られてグイグイ惹き込まれる。演劇とは台詞を聴かせるものだと、当たり前のことに改めて気付かされる。

脚本の深さと翻訳の凄さが阿部寛や勝村政信の台詞からダイレクトに伝わってくる。蜷川の常連俳優流石の力量なのだ。別所哲也のツルゲーネフも悪くなかったが、エキセントリックな笑い方が誰かに似ているのが誰だか思い出せず、笑う度に凄く気になったのには困った。後半は笑わなくなったのでとても助かった。後で「アマデウス」のトム・ハルツだったと思い至った。男優で一際輝いていたのは意外にも池内博之。芸術とは何かと問い続けて止まない不器用な文芸批評家を演じ、観念的な台詞にほとばしる情熱を通わせ、更には存在の悲哀といった気配までも漂よわせる。実に魅力的で見応えがあった。

男達がどれだけ天下国家を論じようと、夫を我が子を恋人を愛し慈しむ女達が現実の世界を支えている。理屈に殉ずる男と愛に生きる女達。様々な愛の形を浮き彫りにする女優達もまた美しい。いや、きれいな女優さんが美しく装うと本当にきれいだなぁとこれも改めて実感させられたのも今回の収穫。美波のキュートさや京野ことみの華も印象的だったが、とりわけそのゴージャスでエレガントな美しさと並々ならぬ存在感に圧倒されたほとんどエヴァ・ガードナー級の麻美れい。声高で演説口調が多い中で、発声は明瞭で口跡は美しい。優れた台詞回しのニュアンス豊かな表現がお見事。話は逸れるが、こういう素晴らしい女優さんが映画に出ていないのは日本映画の損失だ。とは言え、きちんと使いこなせるとしたら黒沢明級の実力は必要だろうが、こういう人の魅力を十全に引き出すような大人の作品が無いことには、今に始まったことではない日本映画界の本質的な貧困さも感じてしまうのだ。

客席を大幅に取っ払って舞台を設え、本来のステージ上はすべて客席にしたコクーン内部。脚本の緻密さに大胆な演出で応ずる蜷川。楽屋も兼ねたステージ上では暗転の間に着替えもする役者達。勝村の横っ面に佐藤江梨子が容赦のないビンタを張ったのには驚いた。毎回あれではどちらも大変だろうと同情するところだが、気迫が漲り、アドレナリン分泌しまくっているような充実感を溢れさせた役者達が満席の観客を9時間に渡って力強く牽引したこのステージ全てが、阿部寛の台詞に込められたメッセージを見事に具現化していることにも感動した。

10.3 A-19
シアターコクーン

脚本:トム・ストッパード
演出:蜷川幸雄
出演
阿部寛 勝村政信 
石丸幹二 
池内博之 
別所哲也 
長谷川博己 
紺野まひる 
京野ことみ ヴァレンカ 
美波  高橋真唯 
佐藤江梨子 水野美紀 栗山千明 
とよた真帆 
大森博史 
松尾敏伸 
大石継太 
横田栄司 
銀粉蝶  毬谷友子 
瑳川哲朗 
麻実れい 

2009/09/27

くもりときどきミートボール


空から雨のようにハンバーガーやホットケーキが降ってくる予告編には食指が動かなかったが、3Dとなればこれは抑えたいと思い、いつものシネコン、今年から3D映画が観れられるようになった「平塚シネプレックス8」に出かけた。

「キャプテンEO」から「ターミネーター」と3Dといえば長い間テーマパーク専用のイベントムービーの観があったが、ここに来て映画のデジタル化をきっかけに一挙に普及し始めた。昔の赤青メガネ時代を思えば今の3Dは明度も彩度も別次元の美しさ。見やすく鮮やかな画面に抜けの良い立体感は奥行きが深く、抜群の飛び出し効果も楽しめる。

センター・オブ・ジ・アース、モンスターとエイリアン、ボルト、それにIMAXの「ハリポタ3D」と観てきた印象から言えば、デジタルアニメは始めから空間設計が行き届くためか画面も良く整理され、時に、無駄の無い画面がのっぺりとした感じになることもあるが、立体感には優れているしとても見易い。しかし、立体感の刺激など見慣れてしまえばすぐ飽きられる。観客が集中力を映画1本分の時間維持するためには、魅力あるキャラクターと胸に迫るストーリーが用意されなければならない。その点でも「モンスターとエイリアン」「ボルト」の2作はどちらも洗練された技術で目一杯の面白さを追求した素晴らしい作品だった。当然今回も期待したいところだが、ピクサーでもなけりゃドリームワークスでもない。予告編からもあまり面白そうな感じが伝わってこなかった「くもりときどきミートボール」。

上映スケジュールも1日2回それも午前中だけ。興行側も全然期待していないのが良くわかる。そもそも、午前中から映画館に出かけるなんざ真っ当な大人のすることじゃない。ましてや平日の昼前からメガネをかけて3Dアニメを見る大人が何人もいるなんてことはハナっから思っていないが、それでもどれぐらいいるかと館内の照明が落ちる時に振り向いたら誰もいない。わを! さらに本編が始まって最初に映ったのが a film by a lot of people の1行。ハァー。

イワシ漁が地場産業の大西洋上の小島。「オイル・サーディン」の生産で栄華を極めたのも今は昔。イワシ缶の売れ行きが落ちて島はデトロイトのように寂れる一方。しかもイワシしか穫れないので島民はイワシしか食べる物がない。そんな現状をよそに、やることなすことなぜか周囲に迷惑がられてしまう発明家フリントが水を食べ物に変える革命的マシンを完成させる。しかし過大なパワーを得たマシンは空の彼方に飛び去ってしまうのだが、やがて曇り空からハンバーガーが降ってくる。フリントは一躍街の人気者となり島は奇跡の復活を遂げる。しかし、人々の要求はマシンの暴走を引き起こし空からの福音は厄災へと転じていく。

荒唐無稽、奇想天外を極めたような話だが、状況設定には現代の我々が直面した社会、経済、環境など問題などが巧みに取り込まれている。各キャラクターには暖かい血が通い、彼らが綾なすドラマは誰にも身に憶えのある関係や心情に支えられて共感度が高い。父との関係もぎこちない主人公はごく普通の青年だし、ヒーローとしてはめげないへこたれないポジティブさ以外の資質に恵まれている訳ではない。父子関係を軸にしたドラマの切なさも、それを笑いで中和させるさじ加減の良さによってより一層身に染みてくる。とある人物がつぶやく「大好きだよ」の一言には朝っぱらから3Dメガネをかけたオヤジの心がフルフルと震えてしまう。なんてこった。なのだ

そんな主人公たちと暴走マシンの攻防が派手なSFアクションとして展開する。人間が過度なシステム依存によって招来した危機というのは60年代から繰り返し描かれてきたテーマだが、これからも何度となく取り上げられることだろう。今回はロバート・ワイズの「スタート・レック」や「インディペンデンス・デイ」のパロディーともリスペクトとも言える「マシン」に、ファーストフードの脅威が組み込まれたりするなど、全編に渡って笑わせ方は気が利いているし伏線の回収は心憎いばかり。

スリル、サスペンス、ユーモアたっぷり。スパイシーだが決して斜に構えてはいない。ビューティフルでウエルメードなハートウォーミング作品なのである。フルフル。

原題:Cloudy with A Chance of Meatballs

監督・脚本:クリス・ミラー、フィル・ロード

2009年 アメリカ :1時間21分

2009/09/25

しんぼる


男が目覚めると、そこは真っ白な密室。壁には子供のちんちんの形をした突起物が無数にある。それに触れたとたん、ささやかな歓喜の声とともに壁から物が飛び出してくる。ひと触れに一つ、触れればその数だけ新たな物が表れ、ドンキホーテの店内のようになっていく部屋の中、やがて男は懸命の脱出を試みる。
一方、メキシコのとある田舎町では盛りの過ぎた覆面レスラーのエスカルゴマンとその家族が今後の経済的不安という厳しい問題に直面していた。という「シンボル」

密室とメキシコの話が何の脈絡も無いまま平行していく前半は辛抱キツい展開。松本人志は密室から脱出するために様々な手だてを講じるものの上手く行かない男を演じている。ナンセンスさに笑えるギャグもあるが、全体に小粒でテンポの悪さもあり、くすぐりといった程度で、言葉を封印しているのに松本のトークの面白さを越えることが無いのは喜劇映画としてどうなの、と思わせた。ところが、密室とエスカルゴマンがクロスしてからの展開から、これは松本人志の宗教観というか、神観を描いて喜劇的な場面はあるが決して喜劇映画としてジャンル分けされるようなものではないことが見えてくる。

神がいるのか、いないのか、それは分からないが、いるとすれば世界と神との関係はこんなことではないか。という松本の概念を、キリスト教的なシンボルを随所にちりばめながらシニカルに映像化したといえる「しんぼる」は、その毒も含めてほとんどプライベートフィルムと言うべき内容だから、幸福の科学のエル・カンターレほどの動員は見込めず、興行的には難しいだろうし、内容的にも評価され難いだろうが、アマチュアリズムを感じさせながらも、キューブリック並に大胆で刺激的な野心作ではある。

松本自身、eiga.comのインタビューに「本当はメル・ギブソンあたりに出てもらえればと思うんですけど(笑)」
http://eiga.com/movie/54524/special
と応えているが、このメル・ギブソンの名前は当然「パッション」を意識してのはずで、「パッション」のメル・ギブソンが、あの後目覚めたら、そこは壁にちんちんの形をした突起物が無数にある真っ白な密室だった。とすれば一層わかりやすい。

監督:松本人志
プロデューサー:岡本昭彦
脚本:松本人志、高須光聖
音楽:清水靖晃
2009年 上映時間:1時間33分

2009/09/23

火天の城


デジタルな画像処理技術の進歩で、どのような絵づくりも可能になった今、お城がどのように建築されたかというテーマはそれだけで充分魅力的だが、さらには織田信長の安土城でそれを見せようという企画は野心的でとても素晴らしい。完成間近の天守閣がそびえ立つポスターの絵柄からも、その意気込みが感じられるように思えて期待していた。

出資企業名に続き、聞いたことのない製作者の名前がバンとクレジットされたのでちょっと嫌な感じがしたが、椎名桔平の信長が宮大工西田敏行に築城の棟梁を指名しておきながら複数のコンペに変更させたり、当のコンペで西田敏行がみせるプレゼンなども楽しく、まあ面白く見始めた。

ところが、いざ城の建築が始まると、築城にかかわる技術的な課題や処理などのハード面はほとんど顧みられず、夫婦愛、親子愛、師弟関係、男女関係、階級問題などを切り貼りしたドラマが展開するばかり。それも真面目に生きる市井の人々を、ほとんどテレビのホームドラマ的な類型で、しかもより下手くそに描いているから始末に悪い。大竹しのぶの芝居の上手さや西田敏行の存在感がどれだけ作品の救いになっていることか。

築城にまつわる最大の難関はといえば、日本一の城を支えるための日本一の檜を敵地からどう手に入れるかというものであり、その解決策というのが、裏表無い態度で相手をひたすら拝み倒すという根性論だったのにも脱力する。例えば「プロジェクトX」が技術的な課題や興味を排して、全てが情緒と根性で描かれていたらどうか、ほとんど見るに耐えないだろう。

結局、安土城は定められた期間にめでたくその偉容を表すのだが、そこには虚仮の一念岩をも通し、全ての問題は誠意と努力で解決できるという時代錯誤がしっかりと刻み込まれていたという次第。デジタル処理も大したこと無く、、築城というようなテーマに相応しいインテリジェンスの微塵も感じられないのはどうにもしようがない。製作者が真っ先にクレジットされる映画は避けて通るべきとの思いを新たにした。


監督:田中光敏
製作総指揮:河端進
プロデューサー:進藤淳一、藤田重樹
脚本:横田与志
原作:山本兼一
撮影:浜田毅
音楽:岩代太郎
美術:西岡善信
編集:穂垣順之助
出演:西田敏行、福田沙紀、椎名桔平、西岡徳馬、渡辺いっけい、寺島進、山本太郎、石田卓也、河本準一、大竹しのぶ

カムイ外伝


「非人ゆえに忍者となり、忍者ゆえに抜忍となったカムイが、求める自由を手にする日は来るか」というナレーションから始まるカムイ外伝。
封建社会の階級制度の最下層に位置づけられた男の過酷な戦いを描いて60年代に大ヒットした社会派漫画をいま映画化するのは、格差社会と言われる昨今の社会状況に対するなにがしかの問題意識に依るものかと思わせるに足る山崎努の語り口。

それを受けるように、カムイは追手との暗闘に明け暮れ、領主佐藤浩市の狂気に振り回されるに側近達の無能振りなど描かれて行くのだが、だからといって特に社会派的なテーマ性が浮かび上がるわけでは無い。それから先は山から海へと舞台を移しながら、終始一貫理屈抜きの娯楽アクションに徹した作りになっている。

ワイアーアクションは変幻自在なニンジャにピッタリだし、昨今の時代劇ブームもCG抜きには考えられないわけだが、カムイ外伝はCGの使い方が日本映画にしてはちょっと変わっていて、荒れ狂う大波に翻弄される舟など、普通は見ることができないものを描く定番表現に加えて、穏やかで真っ青な海を行く舟という何でもない光景をはじめほとんどの海洋シーンにCGを用いている。これらのシーンは南洋の空気感あふれる気持ちさを醸し出してはいるのだが、やってもいないことをたっぷり見せているだけに粗も目立つのが痛し痒し。

さらに、CGによる派手な見せ場の隅々から、CGが可能にした表現が思い切り使え嬉しくてたまらん感と行った気配が伝わってくる。それも始めのうちはご愛嬌だが、多用しすぎには演出の志の低さが漂い出すというデメリットも。しかもクライマックスに向けて「ウオーター・ワールド」のケビン・コスナーとデニス・ホッパーの劣化コピーかと思わせる激闘の展開などもあり、終わってみればこれのどこがカムイ外伝なのか、なんでカムイ外伝なのかも良くわからないという、実にどうも、一体何を見せたかったのかがイマイチ中途半端で、いろいろ後味の悪さも残った。

カムイ外伝だからといって、白土三平原作的なテーマ性が必要ってことはないし徹底的な娯楽アクションで全然かまわない。要は面白いかどうかだが、絵づくりは脇に置くとして、宮藤官九郎にしては、随分細部に綻びが目立つ脚本なのである。脚本には崔洋一の名前もクレジットされているので、クドカンとも思えぬ整合の悪さや詰めの甘さの原因はおそらくその辺にかと思わず想像を逞しくした。

9.20

監督:崔洋一 製作:松本輝起 原作:白土三平
脚本:宮藤官九郎、崔洋一   撮影:江崎朋生、藤澤順一
美術:今村力 音楽:岩代太郎
出演:松山ケンイチ、小雪、大後寿々花、金井勇太、土屋アンナ、PANTA、芦名星、佐藤浩市、イーキン・チェン、伊藤英明、小林薫
2009年:2時間

2009/09/21

ジェーン・エア


幼くして孤児となったジェーン・エアは逆境を乗り越え聡明な女性へと成長し愛を貫く。

ステージ上に観客席を仮設した舞台は、後方に葉の落ちた木が1本立っているだけの極めてシンプルな作り。そこを街角に、荒野に、宏壮なカントリーハウスにと多様な空間に変化させる照明のニュアンスに富んだ色彩が美しい。大道具の自在な出し入れで屋敷内の空間が瞬時に作り出される快感など、洗練された演出のテクニックから繰り出されるビジュアルの充実が印象的。
旋律の美しい曲に松たか子の伸びやかな歌声が乗ってジェーンのキャラクターもクッキリと浮かび上がる。子供の頃のジェーンを始め、登場する子役達が皆達者なのにも驚いた。

がしかし、「ジェーン・エア」って「レベッカ」に似てたような感じと思っていたが、こんな平板な話だったっけ。エピソードには葛藤も苦悩も謎もあるのだが、物語の説明に終始するだけでドラマとしては盛り上がって行かない。うーん、出演者達はそれぞれが良くやっていてアンサンブルとしても魅力的なのに、脚本がハーレクインよりさらに甘いばかりのメロドラマなのである。

大甘のメロドラマのどこが悪いかって、別に悪いところなんかありゃしないのである。良くできたステージであるにもかかわらず、問題はそれを面白く感じないこちらの感覚なので、場違いなところに身を置いてしまった見識の無さや己の不明を恥じるのである。


9.19 12:00 日生劇場 2F F-11

出演:松 たか子 橋本さとし 幸田 浩子 寿 ひずる 旺 なつき
原作=シャーロット・ブロンテ

脚本・作詞・演出=ジョン・ケアード
作曲・作詞=ポール・ゴードン
翻訳:吉田美枝/訳詞:松田直行/音楽監督:山口也

編曲=ブラッド・ハーク、ラリー・ホックマン、スティーブ・タイラー

美術:松井るみ/照明:中川隆一/衣裳:前田文子
音響:湯浅典幸/
ヘアメイク:河村陽子/舞台監督:鈴木政憲 ほか

2009/09/05

九月大歌舞伎


久しぶりの昼夜通し。このところ遅寝早起きのが続いたので長丁場は体力的に不安だった。案の定、口開けの「竜馬が行く」からトロトロしていたが、いきなりグラッときたもんだで一気に目が覚めた。大した地震でなくても3階席は揺れが増幅されるようで迫力があるのである。

「昼の部」
「竜馬が行く」も3年目でとうとう最期の1日。潜伏中に発熱して暗殺されるだけの話でさっぱりしない。2年目が一番良くできて楽しかったかな。
「時今也桔梗旗揚」小田春永にトコトン虚仮にされた武智光秀の謀反。公演3日目、この時期には良くあることなのだろうが、台詞を忘れる場面が何度かあり、その都度舞台に緊張感が充満、物語とは関係なくハラハラさせられた。
「河内山」全然不良っぽくない河内山。本当に真面目な幸四郎
夜の部
「勧進帳」幸四郎、吉右衛門、染五郎の安定感
松竹梅湯島賭額 コメディー的な芝居にやたらテンション高くなる最近の福助

今月は演目が多めで昼の部と夜の部の入れ替えが20分ほどとせわしなかったりもしたが、体力、気力共に問題なく観劇できたのは嬉しい誤算だった。来月は蜷川演出の10時間通し「コースト・オブ・ユートピア」も控えているので体力向上、精力の増強に留意しなければ。

2009/09/03

メアリー・ブレア展


ウォルト・ディズニー自身が手がけたアニメーションはどれも素晴らしく、世代、時代を問わず世界中から支持されてきた。「白雪姫」「シンデレラ」「眠れる森の美女」「バンビ」「ピニキオ」「ファンタジア」等々、傑作名作数多ある中、海賊と対決する少年のファンタジックな物語とウサギ穴に落ちてマッドな遍歴を重ねるハードボイルドな少女の話は、大人になっても男の妄想を刺激してやまぬ最重要作品なのである。この重文級の2作品に「カラースタイリスト」として関わったのがメアリー・ブレア。ということで作品展を観てきた。

1940年代から50年代のディズニースタジオでコンセプトアートを担当。退社後は商業デザインに転じ成功を収め、ディズニーランド建設に際して「イッツ・ア・スモールワールド」のデザインを依頼されたという華々しいキャリアだが、女性の社会進出が一般的ではなかった時代、できる女性としての苦労は並大抵なものでは無かった。らしい。

気鋭の水彩画家として頭角を顕した初期の作品は動きを捉える鋭い写実が魅力だが、いかにもアカデミックなファインアート。ところがディズニースタジオでは一転して大胆な平面処理と抜群の配色センスが魅力のモダンデザイン。50年60年前とは思わせない鮮度を保っている。メアリー・ブレアの力は言うまでもないが、あの時代そのものが大したもんだったんだとも思う。

映画化されなかった「赤ちゃんバレー」のコンセプトアートが良くできていて、映画化されたのを観たかったと思うほどに印象的。映画化された仕事は「シンデレラ」「ピーターパン」「アリス」の三つ。この順番はメアリーの作品に対する関わり方の深さに比例していて「シンデレラ」との関係は極めて薄いが、「ピーターパン」では「夜」の描写や「ワンダーランド全景」など作品への関わり方を深めている。さらに「アリス」では、全編にわたってメアリーのアイディアとイメージがそのまま採用された事が良くわかる。
秘密めいて心ときめく夜、永遠の少年が導びくネバーランドの冒険と夜明けの切なさ。変なウサギを追って異形と狂気の面白世界を冒険する少女。大人になるほど味わい深いこの二作品の核心をメアリーがどれほど見事な色彩で形象化したか。完成された映画からは見えてこないが、物事を決定づける仕事を目の当たりにする醍醐味。

メアリーの公私を年代順に整理した展示は見やすく分かりやすい。「イッツ・ア・スモールワールド」のデザインの過程も興味深い。こうした子供の幸せを基本に据えて仕事を続けたメアリーが、しかし最晩年にはそれまでとは似ても似つかぬ性的な作品を製作していたという大逆転。これにはたまげた。そんなに抑圧されていたのかという意外感もある。作家の軌跡、変容として受け止めるにも唐突で、どぎつい数点の作品は全体の中での落差も際立っている。最後の最後になって全体を別の色彩に染め上げてしまうまうどんでん返しのインパクト。この思いがけないエンディングは刺激的で興味深いのだが、夏休みにご家族向けの展示を観に来た小学生の男の子が猥雑な作品にしげしげと見入っている姿は決してメアリーが望んだことではないだろうし、少年の親御さんとて同じだろうと複雑な思いがした。

2009/08/24

96時間


娘がパリで拉致誘拐されたと知った父親はLAからパリに直行。アウェーの不利などものともせず娘の足跡をたどり、怒濤のガブリ寄りで犯人を追い詰め過激に制裁を加えていく。

その昔、産まれたての娘を前に「この娘は絶対嫁にやらん」と宣言した友人。もう四半世紀も前の話だが、娘を持った男親の気持ちってのはそういうもんかと印象に残っている。そんなわけで、娘を奪われた父親リーアム・ニーソンの心中も察するにあまりあるわけだが、この父親が心技体鍛え上げた手練の元工作員だったから犯人達はさあ大変というお話。

高度な特殊技能を身につけた特殊な父親が憤怒の河を渡った向こう岸でおっぱじめた無制限1本勝負のデスマッチ。先手必勝で勝ちにいくリーアム・ニーソンが「破れ傘刀舟」も青ざめるような問答無用のバイオレンスでガンガン突っ走るのである。しかしま、子を持つ親としたらやりたくなるでしょあれくらい、などとこちらも納得してしまうもんだから、余計にオヤジのバイオレンスが気持ち良い。エスカレートしても、さらに、ことごとく気持ち良くなっていく。それも脳内麻薬が順調に分泌される気持ち良さというか、実に生理的なもので、今時この快感はヤバいだろうというぐらいスカッとするのである。

内容的にはピーチ姫を救けにいくマリオという一直線なものだが、観客がこの暴走を十二分に楽しむに、これ以上の大義名分は無かろうというぐらい「父親の情」という動機付けには説得力があり、父親にリーアム・ニーソンをキャスティングしたセンスも憎いのである。知性派だが特殊方面でもオビ・ワンの師であり、バット・マンの育ての親でもあるというリーアム・ニーソンの一筋縄でいかない存在感がこの特殊なオヤジにしっかりと生きた血を通わせている。

シンプルでストレートでスピーディーな展開にピリリとスパイスも効いて、しばし残暑忘れさせる快作。

原題:Taken
監督:ピエール・モレル
製作:ピエール・モレル
製作:リュック・ベッソン
脚本:リュック・ベッソン、ロバート・マーク・ケイメン
撮影:ミシェル・アブラモビッチ
美術:フランク・ルブルトン
編集:フレデリック・トラバル
音楽:ナサニエル・メカリー
出演:リーアム・ニーソン、マギー・グレイス、ファムケ・ヤンセン、
2008年フランス1時間33分

2009/08/11

G.I.ジョー


世界中から集めた精鋭達で編成された「G.I.ジョー」に対するは、悪の秘密結社「コブラ」というシンプルで分かりやすい設定は大時代としか言いようが無いが、一昔前なら基本とも古典とも言われて受け止められたこの設定をそんな風に感じてしまう事自体、言ってみれば今が、いかにロマンティックが生き難い時代になってしまったかの証しに他ならないって気もしてくる。

このシンプルな世界観と大時代性に立ってスティーブン・ソマーズ、細かい事は抜きにテンポの良さとアクションの勢いで押しまくる。「ハムナプトラ」シリーズや「ヴァン・ヘルシング」でも充分お馴染みのこの手口に、今回はさらに臆面の無さを発揮して、「スターウォーズ」「007」「Xメン」の各シリーズから設定やらビジュアルやらを、良く言えば引用、もしくはパクリまくっているところなどいっそ潔く、却って好感が持てる。ソマーズ好みともいえるグロテスク趣味が抑えられているのも、これはお子様たちへの配慮だろうが、作品にもプラスに作用している。

パリ市中を加速パワードスーツで走り抜け、町中をめちゃくちゃにぶち壊しまくり、エッフェル塔が倒壊するなど、豊富な見せ場で楽しませてくれる。G.I.ジョーってのは男の子向けのバービーちゃんだと思っていたので、個人名ではなく特殊部隊の名称ってのは意外だった。で、隊員達はジョーズと呼ばれてたのだが、あれはギャグなのかそうじゃないのかと気になってしまった。

真っ先に映し出されるハズブロのロゴが、これはおもちゃのプロモーションだよと宣言しているようだが、おもちゃへの興味関心など無くても大丈夫、おじさん達へも手厚い配慮が行き届いた活劇SFファンタジー。空調の効いた館内で蒸し暑さをうっちゃるにはもってこいの一本。

原題:G.I.Joe: Rise of Cobra

監督:スティーブン・ソマーズ

製作:ロレンツォ・ディ・ボナベンチュラ、ライアン・ゴールドナー、ボブ・ダクセイ

脚本:スチュアート・ビーティー、デビッド・エリオット、ポール・ラベット
撮影:ミッチェル・アムンドセン

音楽:アラン・シルベストリ

時間:2時間2分
2009年アメリカ

2009/08/09

ボルト 3D


悪の秘密結社と戦う少女とスーパードッグの活躍を描いたTVシリーズの主演犬ボルトは、嘘を真実と誤解したまま大きくなってしまったが、飼い主と離ればなれになってしまう。飼い主の元へと帰る為に大陸横断をはじめるボルトの行く先々、厳しい現実が立ちはだかる。

プロローグから一転、猛烈なアクションシーンの開幕。バイクの攻撃にヘリの襲来。追尾するミサイルをかわし、押し寄せる敵にカウンターアタック。イマジネーション豊かな設定にダイナミックな動き。目の覚めるような素晴らしいアクションの連続。テンポの良さと躍動感にあふれた映像が提供してくれる極上の快楽。
 
旅の道連れがハムスターという変更はあっても、基本は名作「三匹荒野を行く」の「奇跡の旅」に次ぐリメイクと言えるだろう。実写からアニメへ、シチュエーションやキャラ設定も新しくなっている。ボルトとネコとハムスターを始め、少女、マネージャー、プロデューサー、ハト達などのキャラクターがいかにもそれらしく造形されて抗しきれない魅力を発散している。特に、鳥頭振りが素晴らしいしハト達がキュート過ぎる魅力。冒険の躍動感を通して描かれる愛と信頼の清々しい味わいも見事に更新されている。

ディズニー傘下に収まったピクサーから、ジョン・ラセターを製作総指揮に迎えたディズニー作品というご祝儀か、「カーズ」のオンボロレッカー車「メータ」が夜の東京でドリフトしまくる短編も3Dで併映。これも楽しかった。それはともかく、「ボルト」はクラシカルなディズニーの価値観とピクサーのモダンが理想的な形に融合したかのような傑作で大いに堪能した。ジョン・ラセター凄い。

3Dは「センター・オブ・ジ・アース」「モンスター対エイリアン」と観たが、3Dの効果を最も活かせるのは実写よりCGアニメだ。「モンスター対エイリアン」も「ボルト」も映画としても面白く、3D映像も完成度が高い。ただ、「ドリーム・ワークス」のアニメはどちらかといえば大人を意識した作りにウエイトが置かれていることが多く、「モンスター対エイリアン」でもマニアックなネタでくすぐるなど一部には受けても、冗長さと紙一重の要素も少なくない。しかし、流石はディズニー作品、近くにいた子供達等は終始一貫画面に集中できていた。

原題:Bolt

監督:クリス・ウィリアムズ、バイロン・ハワード

製作:クラーク・スペンサー

製作総指揮:ジョン・ラセター

脚本:ダン・フォゲルマン、クリス・ウィリアムズ

音楽:ジョン・パウエル
時間:1時間36分
2008年アメリカ

2009/07/23

ハリーポッターと謎のプリンス


今回は、すっかり成長したハリー達がホグワーツを舞台に繰り広げるラブコメの趣。闇の帝王一派との戦いという大枠に盛り込まれたお話は、シリアスよりコメディーに針が振れているが、学園ものの王道をいく展開も巧みで全体のバランスもよく、とても面白い。

ハリーはすっかり逞しくなってメガネが無ければ誰だか分からないほど。年頃になった3人それぞれが抱える恋心に、ロンは脱線し、ハーマイオニーは自制する。火を吐くドラゴンもクィディッチの迫力もいいが、キャラクターもしっかり描かれた彼らの心理と行動は派手なアクションシーン以上にサスペンスフルだしスリリングだ。
巻頭、超高速でロンドン中を縦横に飛び交うデスイーターの目と化したカメラの凄い事。あるいは、移動する列車の内外を自在に捉えるダイナミックなカメラワーク。こうした映画ならではの魅力もドラマがしっかりしていなければ色褪せるが、今回はドラマ部分の密度も高く、CGが一層の興奮と快感を盛り上げているのも嬉しかった。

これまでは全作劇場で観てきたが、実のところ3作目以降は気分が乗らなくなっていた。ダンブルドアがリチャード・ハリスからマイケル・ガンボンへと変わったことに抵抗があったし、皮肉で嫌味なキャラクターや愚かで意地悪な行いが多い陰鬱な物語展開にも過剰なCG映像にも魅力を感じなくなっていた。今回もそんな予断のまま出かけたのだが、まずマイケル・ガンボンがとても良かったし、とにかくおもしろかった。ひいきのアラン・リックマンが良い役回りだったこともあって、エンドロールを眺める頃にはすっかり悔い改めた。

原題:Harry Potter and the Half-Blood Prince
監督:デビッド・イェーツ
製作:デビッド・ハイマン、デビッド・バロン
製作総指揮:ライオネル・ウィグラム
原作:J・K・ローリング
脚本:スティーブ・クローブズ
撮影:ブリュノ・デルボネル
美術:スチュアート・クレイグ
編集:マーク・デイ
音楽:ニコラス・フーパー
2009年アメリカ
2時間34分 ワーナー・ブラザース

2009/07/13

愛を読む人


何気ない日常の出会いが少年を愛と性の坩堝へと連れ去っていく。年上の女性と過ごす秘密の場所、秘密の出来事、永遠に続くかと思う甘美な時間。
が、ある日、何の前触れも無く女は忽然と姿を消してしまう。理由も分からぬまま、世界の果てに打ち捨てられた少年の虚無。
少年を演じたデビッド・クロス、写真では魅力を感じなかったが、動きが加わったら素晴らしい。学校や家庭に自分の居場所はない。年上のハンナと共にいる世界こそ自分本来の居場所なのだという少年の実感を品良く繊細に演じ、ケイト・ウインスレットの存在感とコントラストも絶妙。背徳的でありながら純粋という二律背反から醸し出される二人の親和的な空気感の魅力と説得力。

後半、大人になった少年がハンナとの思いがけない再会を果たすところから話は一転する。過去の行いを告発されたハンナは、自己弁護ひとつすることなく、秘密を守るため余分な罰を被って行く。ハンナの秘密を知る少年はしかし口を閉ざす。それがハンナへの愛なのか少年にも判然としない。

誰よりも深く愛した人から、関係を一方的に断ち切られた少年が心に負った傷の深さ。愛し愛され、赦し赦され、救い救われ、求め求められる。少年は他者との関係をうまく築けなくなっている。
生きるにはいつだって判断と選択に迫られる。常に最善の判断と最良の選択していても、ただ、そのつもりでいるのがせいぜいであり、およそ後悔の種が尽きる事はない。それが人生だ。それでも、結果は全て自分の責任、どんな事でも従容として受け入れるというハンナの生き方。無知で愚かだが聡明で高潔でもあるハンナの人となりを、深いところから陰影豊かに彫琢したケイト・ウインスレットも素晴らしい。

ハンナの窮状を知り、本音と建前に揺れながら示す、暖かさと同時に冷たさも感じさせる距離感のデリケートさに少年が負った傷の深さが表れ、二人の関係が新たな段階を迎える終盤、ハンナを救済する気でいながら、再度うっちゃられることで逆に救済される男の弱さをレイフ・ファインズは静かに演じて格調を感じさせた。原作に忠実な映画化で、味わいもよい。主人公の職業を作家から裁判官にし、語りの対象も私的な関係へと変わっているが、その結果、男の抱え込んだ問題が原作より切実さを増した形で提示する脚本も優れている。

自立していく少年の姿を切なく瑞々しく描いた「リトル・ダンサー」。時間も空間も異なる3つのドラマを巧妙な構成でみせた「めぐり合う時間たち」。これらの作品についで、少年と親子ほども歳の離れた女性との関係を描いたこの原作は、スティーブン・ダルドリーにとって、正に自分が監督すべき作品と思えたかもしれない。本来なら映画化権を持つアンソニー・ミンゲラが監督するはずだったらしいが、諸般の事情によりミンゲラはスティーブン・ダルドリーを監督に据えて、自らはシドニー・ポラックと共に製作にまわったものの、二人とも作品の完成を待たず亡くなっている。ミンゲラもポラックも、華々しいキャリアの掉尾をこのよう優れた作品で飾る事ができてさぞかし本望だろう。ドイツ語だったらと惜しまれるが、とにかくスティーブン・ダルドリーは素晴らしい仕事をした。

原題:The Reader

監督:スティーブン・ダルドリー

製作:アンソニー・ミンゲラ、シドニー・ポラック

製作総指揮:ボブ・ワインスタイン、ハーベイ・ワインスタイン

原作:ベルンハルト・シュリンク

脚本:デビッド・ヘア

撮影:クリス・メンゲス、ロジャー・ディーキンス

美術:ブリジット・ブロシュ
編集:クレア・シンプソン

音楽:ニコ・ムーリー
出演:ケイト・ウィンスレット、レイフ・ファインズ、デビッド・クロス、レナ・オリン、ブルーノ・ガンツ、アレクサンドラ・マリア・ララ、

アメリカ・ドイツ
2時間4分

2009/07/08

海神別荘 七月大歌舞伎 昼の部


「五重塔」 
腕は良いが不器用でのろまだ馬鹿だと陰口叩かれながら、職人の誇りと意地を賭けて五重塔の建立に挑む大工の勘太郎。支える女房春猿と親方獅童。
気風の良い親方をいなせに演じる獅童は気持ち良さそう。最後にじっと我慢の勘太郎が胸の内を吐き出すと世話女房の苦労も報われ、観客も一気に溜飲を下げるところだが、全体に勘太郎の役どころはもどかしさがつのるばかり。感情移入も難しくて、芸道人情ものとしての味わいは今ひとつ深まらなかったかな。回り舞台を使わない場面転換はよく工夫されていたが、そっちに気を取られて芝居への集中力を削がれたきらいはあった。

「海神別荘」
いつもなら三味線の並ぶ所でハープが奏でられている。金色の珊瑚輝く海神の宮殿は歌舞伎座の舞台とは思えぬエキゾティズムを醸し出している。ファイナルファンタジーで知られた天野喜孝のデザインが衣装から背景に至る舞台の隅々にわたって見事な色彩と質感で再現されている。豪華でありながら海の底らしい清涼感をたたえて、耽美と言うに足る高級感。実に素晴らしい。

海神の王子のコスチュームを身にまとって登場し貴公子然と佇む海老蔵。実にどうも、惚れ惚れするような男ぶりだが、全身のボディーラインが露になる黒タイツ姿は歌舞伎にあるまじき掟破りのコスチューム。この黒タイツを完全に着こなした海老蔵が発するオーラは5割増量されている。優れたコスチュームはオーラを増幅させるのだ。去年の「高野聖」では滝壺の裸があったが、あれは全然格好良くなかった。 片や、白無垢の花嫁玉三郎も当然まぶしく輝いている。エスコートする白龍と黒潮騎士団のビジュアルと動きも洗練されていて楽しめる。

超俗の王子と世俗の価値観にとらわれた花嫁のすれ違いに緊張感が高まっていく山場に向け美しい台詞の応酬の勘所も、この日は玉三郎の生彩が鈍く感じられたが、そこは玉三郎、クライマックスでは呼吸一つで芝居をコントロールし場を盛り上げたのは流石なのだった。
とにかく全編これが歌舞伎かというか、これが歌舞伎だというか、挑戦的でサーヴィス精神溢れる充実した舞台。細部にわたって神経が行き届いて、統一感ある舞台に客席が次第に浸食され、ついには劇場が一体感に包まれる幸せ。とても面白く感動的な芝居を見せてもらった。 幕が下りたら皆さっと席を立つ歌舞伎座も、この素晴らしい舞台にしばし拍手が鳴り止まず、初めての歌舞伎座のカーテンコールも嬉しかった。

7月7日 昼の部 3F 2−19

2009/06/28

桜姫


コクーン歌舞伎10周年記念、歌舞伎の現代劇化という趣向の舞台。

高貴なお姫様が、何の因果かある出会いを境にして堕ちはじめたらもう止まらない。あとは男達の欲望のまま次から次へと流転を重ね、運命に弄ばれる波瀾万丈という桜姫のお話。
色と欲に彩られたスキャンダラスな興味で客のご機嫌を伺おうと鶴屋南北が入念なえげつなさでまとめ上げた因果応報。これを政情不安な南米の某所に処を変えて、色と欲の輪廻を宗教と政治という切り口で語ろうとする長塚圭史の脚本は、色を宗教で、欲を政治で説明しようとした分、登場人物達の言動はイデオロギー的で、心情的、情緒的には動機付けが弱く、観客への歌舞伎的な訴求力に欠けた。現代劇化のあり方として、それはそれで面白くなるという展開もあり得るわけだが、役者の出し入れ、場面転換、空間処理、ミニチュアや楽団の使い方など、より祝祭的な気分や感情を重視した演出には脚本との指向性の違いも感じられる。今回串田和美の得意な演出テクニックが炸裂したステージは、面白い場面もあるが全体を通してピタッと決まったという快感がそれ程感じられない。クライマックスのセルゲイとゴンザレスのやりとりなど、言葉だけが浮きあがるような収まりの悪さがあった。

過酷な運命に弄ばれる桜姫は被害者的ではあっても、それに負けないだけ強力なファム・ファタールなのであり、ファム・ファタールとは所詮、男なんぞは到底太刀打ちかなわぬ、超越的な存在であるからして、桜姫の存在そのものに、聖と俗、貧と富との対比が明確に浮かび上がる感じが欲しかった。今回、狂言回しとヒロインを演じた大竹しのぶの演技はコメディエンヌ率が高く、俗性は豊富でも聖性が皆無ということもあり、きりっとした魅力に欠けた。
 
原作:四世鶴屋南北
脚本:長塚圭史
演出:串田和美
出演:大竹しのぶ、笹野高史、白井晃、中村勘三郎、古田新太、秋山菜津子

2009/06/24

劔岳 点の記


平日の昼下がりに希望する席が取れないなんて事は、まあ、考えられない訳だが、今日は上映まで20分以上あるにもかかわらず、既に希望の席などとは論外という大入りの現場に直面して大層驚いた。それも座席を埋め尽くす白髪頭の方々。ここは老人ホームの集会室かと見まごうばかりの館内。「劔岳」の凄い動員力。ターミネーターもトランスフォーマーも軽く一蹴する大ヒットではないか。もっとも、年寄りは夜が早いので夜間興行は苦しいかもしれない。みんなシニアか、夫婦50割引の利用者というのも興収的には痛し痒しかもしれないが、そんなことはともかく、客席がこれほど埋まっているのは今年初めて見た。
雄大な山々の厳しさと美しさを捉えた映像と香川照之の素晴らしい演技は印象的。浅野忠信は黙っている時の表情がとてもよろしい。
ちょいと長めで展開には粗っぽさもあるけれど、山の映像とそれを引き立てる名曲の使い方は心地よい。丁寧に作られた画面から伝わってくる作り手の熱意執念が生き甲斐を求めるシニアの需要を見事に掘り起こしたようなのだった。 

監督・撮影:木村大作

原作:新田次郎

製作:坂上順、亀山千広
プロデューサー:菊池淳夫、長坂勉、角田朝雄、松崎薫、稲葉直人

脚本:木村大作、菊池淳夫、宮村敏正

美術:福澤勝広、若松孝市
編集:板垣恵一

音楽:池辺晋一郎

出演:浅野忠信、香川照之、松田龍平、モロ師岡、蛍雪次朗、仁科貴、蟹江一平、仲村トオル、小市慢太郎、安藤彰則、橋本一郎、本田大輔、宮崎あおい、小澤征悦、新井浩文、鈴木砂羽、笹野高史、石橋蓮司、國村隼、井川比佐志、夏八木勲、役所広司
2009年:2時間19分

2009/06/09

ハゲタカ

ハゲタカ
日本を代表する自動車メーカーに敵対的買収を仕掛ける中国ファンドに、伝説のファンドマネージャーが立ち上がる。
玉山鉄二扮する中国ファンドの辣腕マネージャーが立派な悪役振りで頼もしい。日本を買い叩け!との中国政府の意向を受けた玉山が、TOBに望む導入部は快調なテンポで面白くなりそうな空気が画面に漲った。厳しい仕手戦の内幕がこれからスリリングに、かつ格好良く描かれていくのであろうよと、見ているこちらもちょっと気合いが入った。
玉山を受けて立つ大森南朋も不敵な面構えが伝説のファンドマネージャーにぴったりで魅力がある。総じて役者達は良い芝居を見せているのだが、ファンドマネージャーの仕事がどうのこうのというより、登場人物達の過去だの因縁だのによってドラマが構成されていおり、話が進めば進む程、主要な人物達が皆で泣きを入れる浪花節に転じて、終わってみれば、血も涙もないハゲタカ同士の攻防なんてのはほんの刺身のつまなのだった。金融ビジネスという現代そのものの、いくらでも面白くなりそうな素材を実にもったいないことではある。経済戦の中味の無さは脚本の責任だが、それを途切れる事無く流れる大仰さが最悪なBGMと大森南朋の顔の大アップで緊迫感を煽り立てるという野暮な演出もまた、スクリーンが放つダイナミズムを理解しているとは言い難い。

NHKが製作に一枚噛んだれっきとした東宝映画なのだが、遠藤憲一や柴田恭兵が声を荒げているの見ているとどうも東映映画を観ているような気になった。

監督:大友啓史

企画・プロデューサー:訓覇圭、遠藤学

エグゼクティブプロデューサー:諏訪部章夫、市川南

脚本:林宏司

原作:真山仁

撮影:清久素延

美術:花谷秀文

編集:大庭弘之

音楽:佐藤直樹
出演:大森南朋、玉山鉄二、栗山千明、高良健吾、遠藤憲一、柴田恭兵、
2009年 上映時間:2時間14分

配給:東宝

2009/06/07

ターミネーター4


人類と機械の戦いという設定でジョン・コナーとターミネーターの追っかけを繰り広げてきたシリーズも、4作目に至って己のアイデンティティーについて苦悩する機械と人間のハイブリットがメインにという新展開。
今日的な問題を巧みに配し物語も流れによどみない。スカイネットの大規模な人間狩りで人が集められる場面などナチスの収容所に送り込まれたユダヤ人のようで、スカイネットの悪辣振りにも拍車がかかる一方、サム・ワーシントンが憂いとタフネスの垂れ流しでハイブリッドのマーカスを好演し、見せ場の数でも格好良さでもジョン・コナーを圧倒する大活躍だったのには驚いた。
クリスチャン・ベール的にはこの脚本で良く契約したもんだと思わせるほどだが、きっと5作目で盛り返せるということなのであろうか。マーカスをサポートする女優さんもかっこ良かった。

終末感溢れる荒涼とした風景にスカイネットのメカが人間めがけて襲いかかるアクションシーンなど、ビジュアルも文句のつけ様がない見事なもの。「スタートレック」でも感じたが、CG工房数ある中、やはりILM社の仕事はイメージの豊かさ処理の鮮やかさで他社を引き離している。ILMの絵にはひと味違うコクとうま味が詰まっている。人間と機械の違いを情と心臓だとまとめたエンディングにも納得。とても面白い。

原題:Terminator Salvation
監督:マックG
製作:モリッツ・ボーマン、ジェフリー・シルバー、ビクター・キュービセック、デレック・アンダーソン
製作総指揮:マリオ・カサール、アンドリュー・G・バイナ、ピーター・D・グラベス、ダン・リン、ジーン・オールグッド、ジョエル・B・マイケルズ
脚本:ジョン・ブランカート、マイケル・フェリス
撮影:シェーン・ハールバット
美術:マーティン・レイング
編集:コンラッド・バフ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:クリスチャン・ベール、サム・ワーシントン、アントン・イェルチン、ムーン・ブラッドグッド、ブライス・ダラス・ハワード、コモン、ジェーン・アレクサンダー、ヘレナ・ボナム・カーター
製作国:2009年アメリカ映画
上映時間:1時間54分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2009/06/04

トワイライツ


あの時、別の決断をしていたら、その後の自分はどうなっていたか。というようなことは考えてどうなる事でもないから考えるだけ無駄なようなものだが、そうはいっても、やはりそんな考えが頭をもたげざるを得ないような状況に立ち至ってしまうことだって、生きている限りはどうしたってある。

うた子ちゃんに思いを寄せる薫。あの日の学校の帰り道で起きた出来事。その後の人生の岐路となったあの選択をもしリセットできるなら。チキン、マッチョ、道化、とリセットされループする薫とうた子のその後。

うた子を演じる鶴田真由に対する薫はタイプの異なる3人が演じ分けている。話がループを重ねるにつれ緊張感も高まり、尻上がりに面白くなっていく。技巧的だが切れ味の良い脚本と演出は、観念的な話をあまりそうとは感じさせずに見せてくれたと思う。ヒロインの兄が一挙に存在感を増すどんでん返しの衝撃。露口茂似の役者さんの上手さも印象に残った。


出演:古山憲太郎、津村知与支、小椋毅、西條義将(モダンスイマーズ)
   鶴田真由 山本亨 菅原永二 梨澤慧以子
作・演出:蓬莱竜太
鎌倉芸術館小ホール 6/4

2009/05/25

ウォーロード/男たちの誓い


清朝末期に勃発した太平天国の乱。敗戦を生きのびたジェット・リーは、アンディ・ラウと金城武兄弟率いる盗賊の群れに救われる。立身を望む兄弟と捲土重来を期する男の思惑が一致し、義兄弟の契りを交わした三人は、溢れる野望を胸に戦乱の世に打って出る。

理想主義が戦いの中で泥にまみれ潰えて行くというお話は、本や映画に繰り返し描かれる普遍的なものだし、「アラビアのロレンス」を筆頭に名作、傑作も数多い。この作品では義兄弟の3人、ジェット・リーの陰性にアンディ・ラウの陽性が対比され、そこに純粋、純情の金城武が絡みつくという具合に、それぞれの役者がはまり過ぎなほどにクッキリと個性が描き分けられ、彼らの行動によって物語が動いていく有様が説得的に描かれる。なかでも、許されぬ恋に苦悶する男を抑制された演技で見せたジェット・リーが泣かせる。相手役の女優さんの哀感もいい。このパートの豊潤さは魅力的。隅々まで神経の行き届いた仕事ぶりで、先行する優れた作品にも比肩する面白さを見せつける。ダイナミックなカメラワークと映像の美しさは特筆もの。この監督は力があるなぁ。

「バビロンA・D」を観に行ったついでに、ロスタイム無しに上映が始まるからというだけでチケを買った。予備知識はもとより、この作品の存在すら知らずにまったく期待も無かった分、その思いがけない面白さにはビックリもし、興奮もした。家に帰ってググって見れば、何でも香港台湾の映画賞総なめにしたとある。さもありなん。「レッド・クリフ」の一大プロモーションの影に隠れるようなタイミングでの公開は誠にもったいない。傑作。


原題:投名状
監督:ピーター・チャン

製作:アンドレ・モーガン、ホアン・チェンシン、ピーター・チャン

脚本:スー・ラン、チュン・ティンナム、オーブリー・ラム

撮影:アーサー・ウォン

美術:イー・チェンチョウ、ペーター・ウォン、イー・チュンマン

編集:クリストファー・ブランデン

音楽:ピーター・カム、チャン・クォンウィン、チャッチャン・ポンプラパーン、レオン・コー
出演:ジェット・リー、アンディ・ラウ、金城武、シュー・ジンレイ

製作国:2008年香港・中国合作映画

上映時間:1時間53分

配給:ブロードメディア・スタジオ

2009/05/01

レイン・フォール/雨の牙

都内全域に張り巡らされた監視カメラに映る暗殺者。ずらりと並んだモニターを前にしたCIAの東京支局長は名うての殺し屋を捉えるべく、やたらハイテンションで局員に激を飛ばす。より正確には口角泡を飛ばして怒鳴りまくるのである。スルリ、スルリと躱してゆく孤高の暗殺者ジョン・レイン。
なるほど、こりゃジェイソン・ボーンをやりたいのだなと了解した。しかし、支局長が何をそんなに大騒ぎしているのかがとんと伝わってこない。ゲイリー・オールドマンの熱演が痛々しいのである。柄本明の刑事も柄本明に頼りすぎたキャラだし、椎名桔平の暗殺者はヤバい雰囲気発散させ過ぎで全然プロらしくないのである。ヒロインの長谷川京子に至っては可哀相な事に、ほとんど馬鹿にしか見えないのである。どの人物もきちんと造形されていず、当然のようにストーリーは破綻している。とても格好悪い脚本を、やたら格好良く凝った映像で見せられるのだが、却って空虚さが増すばかり。ゲイリー・オールドマンと柄本明という名優をもってしても、この粉飾感は消し難く、まこと映画とは監督のものなのだった。

劇中、極秘データが入った「メモリースティック」が出てきて、それはどう見てもごく普通のUSBメモリーなのだが登場人物の誰もが、再三再四「メモリースティック」を連呼する。見ている時はとても違和感があったのだが、配給会社名に気がついて納得した。

監督・脚本:マックス・マニックス
原作:バリー・アイスラー
撮影:ジャック・ワーレハム
美術:山崎秀満
編集:マット・ベネット
音楽:川井憲次
出演:椎名桔平、長谷川京子、ゲイリー・オールドマン、柄本明、清水美沙
2009年:1時間51分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2009/03/18

三月歌舞伎座 元禄忠臣蔵


1月は玉三郎「鷺娘」の席が取り難かった。2月は何故かそれ以上の難しさで結局行けずじまいだった。今月は忠臣蔵だからなのか、3階席通路脇の2列目1列目という絶好のポジションがすんなりゲットできてラッキーだった。
真山青果作「元禄忠臣蔵」は全10編から成る演目。Wikipediaは本当に便利だ。そのうちの6編から構成された今回の通しは団十郎と幸四郎と仁左衛門の大石競演が呼び物。

松の廊下を逃げ去って行く上野介をチラっと見せて、事件直後の当事者に事の次第を語らせる「江戸城の刃傷」は梅玉の浅野内匠頭にふくよかさと品があり、理不尽な切腹が全編貫く「異議申し立て」感へと転じていくに説得力充分、幕開けに相応しい浅野内匠頭ぶり。

赤穂城の大広間にわらわらと後の四十七士が湧いて出る大モッブシーンにはうわスゲーとビックリしたが、実に地味なのか派手なのか良くわからない。そのあとは動きの無さと台詞の多さについ寝てしまった。

染五郎の直情を余裕であしらう仁左衛門の韜晦。にもかかわらず思わず本気をのぞかせてしまうという「御浜御殿綱豊卿」。染五郎と台詞の応酬がとてもいい。それにつけても色気と器量が横溢する仁左衛門の男っぷりの良さ。強烈な磁力。スケールが大きくてほんとカッコいいんだな仁左衛門。昼夜通して結局これがベストの見応え。

昼の部は江戸城、赤穂城、御浜御殿と舞台は武家の大広間が連続する。大広間ばかりで飽きがくるかと思いきや、それぞれ微妙に異なる意匠結構楽しめた。

夜の部は三者の大石振りを拝見。ドラマ的には「大石最後の一日」の哀切感が印象的。仮名手本忠臣蔵に較べると芝居がかった要素が少なく地味な印象だが、祇園一力の場とか山科閑居の場などのドラマ的な感興というか味わいを十二分に意識している気配が、例えば「御浜御殿綱豊卿」や「最後の1日」などから強く感じられたのも面白かった。

歌舞伎は楽しいが昼夜通しは体に良くない。今回はこれまでになく腰にきた。体がなまっていることもあるが、むしろ丸1日どっぷりと重厚長大に浸かっていたせいと思いたい。

昼の部
江戸城の刃傷  浅野内匠頭 梅 玉  彌十郎  我 當
最後の大評定  大石内蔵助 幸四郎  我 當  魁 春
御浜御殿綱豊卿 徳川綱豊卿 仁左衛門 芝 雀  染五郎         
夜の部
南部坂雪の別れ 大石内蔵助 團十郎  我 當  芝 翫
仙石屋敷    大石内蔵助 仁左衛門 染五郎  梅 玉
大石最後の一日 大石内蔵助 幸四郎  福 助  染五郎

2009/03/15

チェンジリング

ある日、忽然と姿を消した息子。捜索を願い出る母親。やる気の無さで応じるロス市警。数ヶ月後、発見保護された息子が戻ってくるが、それは全くの別人だった。偽者を本物と言いくるめ、組織防衛と保身を図る警察幹部の怠慢が母親を追いつめる。

この間オスカーの受賞式でインドの音楽家が、「自分は何一つ持っていない、しかし母親がいる」とスピーチしていたが、母親というものは、いつ如何なる時でも我が子を無条件に受け入れる。無条件ということでいえば神をも凌ぐ懐の深さで、母親の素晴らしさについては様々な人が様々な言葉にしている。中には、「 ひとたび子の為になったが最後、古来如何なる悪事をも犯した、恐ろしい「母」の一人である。」という芥川のような言い方もあるが、「母」を描いて、挫けずへこたれぬ不屈の闘魂として結晶させるのはいかにもクリント・イーストウッドらしい。

子を思う一心でやつれ果てる母。子を思う一心でどんどん強くなっていく母。アンジェリーナ・ジョリーは眼光の鋭さの裡に不安感を滲ませ、不敵な面構えに不穏な空気を漂わせながら、子の安否を気遣うあまり、時に挫けそうになる母親の心情を陰影豊かに表現している。クリント・イーストウッドの語り口も肌触りが心地よく、観客はひとたびその呼吸に同期したら、あとは力強い流れに身を任せるだけだ。
なんて気分で観ていたら、中盤から物語の思いがけぬ猟奇的な展開に肌触りの心地良さなんて吹っ飛んでしまった。母ものと見せて、さらに重層的に構築した問題を矢継ぎ早に繰り出してくるクリント・イーストウッドの明晰さと、年齢を感じさせぬ腕力に刮目する。母親も凄いが、常に前進し衰えを知らぬクリント・イーストウッドも凄いのである。

1920年代のロサンゼルス風景を随所にたっぷり織り込んでいるが、これがCGとは言え質量共に素晴らしい映像で楽しめる。それこそ、チャンドラーが愛したロサンゼルスとはこんな感じだったのであろうとかと、頭の隅にあらぬ事も浮かぶほどに魅力的な映像で、イーストウッドはCGをどう使うべきか良く心得ており、使い方も非凡なのである。


原題:Changeling
監督・製作・音楽:クリント・イーストウッド
脚本:J・マイケル・ストラジンスキー
製作総指揮:ティム・ムーア、ジム・ウィテカー
製作:ブライアン・グレイザー、ロン・ハワード、ロバート・ローレンツ
撮影:トム・スターン
美術:ジェームズ・J・ムラカミ
出演:アンジェリーナ・ジョリー、ガトリン・グリフィス、ジョン・マルコビッチ、コルム・フィオール、デボン・コンティ、ジェフリー・ドノバン、マイケル・ケリー、ジェイソン・バトラー・ハーアンジェリーナ・ジョリー、ガトリン・グリフィス、ジョン・マルコビッチ、コルム・フィオール、デボン・コンティ、ジェフリー・ドノバン、マイケル・ケリー、ジェイソン・バトラー・ハーナー、エイミー・ライアン、ジェフリー・ピアソン、エディ・オルダーソン
2008年アメリカ
2時間22分
東宝東和

2009/02/25

壁と卵

2月25日付け朝日朝刊、斉藤美奈子が文芸時評の枕に村上春樹と件のスピーチを取り上げて次のように書いている。

前略

 賞を受ける事の是非はいまは問わない(それでもイスラエルのガザ攻撃に反対ならば賞は拒絶すべきだったと私は思っているけどね)。その比喩で行くなら、卵を握りつぶして投げつけるくらいのパフォーマンスをみせてくても良かったのに、とも思うけれども、小説家にそれを望むのは筋違いな話かもしれない。
 ただ、この スピーチを聞いてふと思ったのは、こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうかということだった。作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」というのではないか。卵の比喩はかっこいい。総論というのはなべてかっこいいのである。

後略


村上春樹のスピーチはかっこ良かったと思う。
卵の比喩はかっこいいが、でも、それだけでかっこいいもんじゃないだろう。
村上春樹が、あのような場所であのように言ったからかっこ良かったのだ。
比喩の上手い下手とかでなく、村上春樹という男の生き方の証左として、
あの言葉に説得力があったから。
だからかっこよかったのだ。
と思う。

当然、卵を握りつぶして投げつけるなんてパフォーマンスが、
あのような場で面白くも可笑しくも見えるわけがない。
レーガンに投げられた靴に遠く及ばぬ陳腐極まりないイメージ。
第一、そんな野蛮で不躾なこと事をやる村上春樹なんて、
彼の作品からは金輪際想像できない。
それ以前に、>小説家にそれを望むのは筋違いな話かもしれない。
ってのもひどい話だ。
そんなこと人に望んでどうしようってんだか。

さらに「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうか。
に至っては、
切れ味鋭い毒舌が持ち味の評論家とも思えないナイーブな物言いに驚いた。
人が自分は「壁の側に立つ」と表明する必要が一体何処にあるというのか。
そもそも朝日に文芸時評を載せる事自体、
「自分は壁の側に立つ」という表明になっているようなもんだが、
それは別にいいとして。

村上がやったのは、
壁の側に立つ、それも中枢に位置する人達が大勢居並ぶ式場のど真ん中で、
自分を顕彰しようと招いてくれた人達に向かって、
自分の信念に従い、
最善のコミットメントを、アガンジェマンを果たしたんだ。
まさに体を張って。 だ。
どこから見たってこんなかっこいい事ないではないか。
それは、
>比喩はかっこいい。
とか、
>総論というのはなべてかっこいいのである。
なんてレベルからは決して伺い知れない、
本当に男の甲斐性を感じさせる格好良さだ。

それにつけても、
壊れやすい卵の喩えは、
ハードボイルド・ワンダーランドの作者にして
ロンググッドバイの完訳を果たした翻訳者だけのことはある。

流石だ村上君。

2009/02/22

ベンジャミン・バトン 数奇な人生


今年のアカデミー賞の主要部門は「ダークナイト」が独占するはず、して欲しいと思っていたので、ノミネートがヒース・レジャーだけだったことには大いに落胆したわけです。結局、やり場の無くなったダークナイトへの思い入れをそのままに賞レースへの興味もすっかり無くしてしまいました。しかし、あの傑作を蹴散らし、13部門でノミネートされた「ベンジャミン・バトン」てのは、一体どれほどの作品なのかは、やはり発表の前に観ておきたいと思いました。ダークナイトファンの心理として、つまんなかったらただぁおかねえかんな、ぐらいのダークな気分で出かけた平塚シネプレックス8。ちょっと小さめの2番スクリーンS−8の席に座りました。

新生児の醜悪さに戦慄した父親が、発作的に子捨てに走る陰鬱な幕開け。80歳で生まれ、歳ごとに若返る男の一生の始まりです。原作はフィッツジェラルドの短編とのことですが、フィッツジェラルドというより、むしろスティーヴン・キングの名が似合いそうな奇想ではありませんか。

巨大なハリケーンが接近中の病院を舞台に回想されるベンジャミンバトンの数奇な人生。風変わりな人々と様々な出来事。現在と過去を巧妙に行き来しながら、若返りながら死に向かうという男の一生が語られます。これはアメリカ人好みの法螺話にジャンル分けできるような、あり得ない男の話ではありますけれど、このあり得ない一人の男を物語に加えることによって、デビッド・フィンチャーは、私たちが営んでいる普通の暮らし、それを続けている事が、実はどれほど貴重でかけがえの無いものであるか、どれほどの幸福に恵まれていることである事かを、まるで手品のように、驚くほどの鮮かさで浮かび上がらせました。

ファンタジーとリアルがシームレスに構築された世界に、切なく哀しく時に痛ましいエピソードが静かに積み上げられて行きます。ユーモアを滲ませながら幾つもの美しいシーンによって織り上げられた物語は寓意に満ち、人とは逆方向に生きざるを得なかった特別な男の話だったはずが、やがて私自身の内側に寄り添うように立ち上がってくるような、そしてそのまま静かに作品の世界に受け入れられたような感動を覚えました。

脚本のエリック・ロスはフォレスト・ガンプを書いたその人であり、ハチドリのシンボリックな使い方などガンプの羽を思わせるところを始め、確かに「フォレスト・ガンプ」を彷彿とさせるところも少なくありませんが、ベンジャミン・バトンはラブ・ストーリーとしての完成度も高く、作品としては一層深みを増しています。

デビッド・フィンチャーにしては従来にない静かなドラマで、まず悪人は一人も出てきませんでしたし、人の悪意も全く描かれていません。にもかかわらず、病院を舞台にしているせいもあり、老いを扱っていることもあり、背後に控えたハリケーンの影もあり、結局全編に渡ってそこはかとなく暴力と死の気配が漂っているのは、やはりデビッド・フィンチャーならではなのかなと面白く感じました。

さらに感じ入ったのは、性の衝動、性の欲望をしっかり描いていることです。特に、若返ってゆく夫のベッドから出ていくシーンに漂う哀
しみには心うたれました。ケイト・ブランシェットはラブシーンの官能的な美しさにもほれぼれとしてしまいますが、どの場面をとっても完璧な美しさです。

逆行する老い描き、往時の風景を再現するにはCGとマットペイントの高度な技術無くしては不可能ですが、老いた少年という難しい表現も自然で違和感がありません。入念に時代考証された町並みや街路風景にアメリカの現代史をなぞるような男の一生が展開する。制作のフランク・マーシャルとキャスリーン・ケネディ、これまでの作品同様、時代の再現性は今回も完璧でした。

90分でも長いと感じさせる作品も少なくない中、2時間50分は1本の映画にしては長いです。しかしこの男は2時間50分の一生を、なんとイマジネーション豊かに駆け抜けたことか。ダークナイトも傑作でしたが、ベンジャミンもまた紛れもない優れた作品としての輝きに溢れています。賞レースでは是非主要タイトルを独占して欲しいと思いました。

原題:The Curious Case of Benjamin Button
監督:デビッド・フィンチャー
製作:フランク・マーシャル、キャスリーン・ケネディ、シーン・チャフィン
脚本:エリック・ロス
原作:F・スコット・フィッツジェラルド
撮影:クラウディオ・ミランダ
美術:ドナルド・グレイアム・バート
衣装:ジャクリーン・ウエスト
音楽:アレクサンドル・デスプラ
編集:カーク・バクスター、アンガス・ウォール
出演:ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット、タラジ・P・ヘンソン、ジュリア・オーモンド、ジェイソン・フレミング、イライアス・コーティーズ、ティルダ・スウィントン、ジャレッド・ハリス、エル・ファニング、マハーシャラルハズバズ・アリ
2008年アメリカ映画
2時間47分
ワーナー・ブラザース映画

2009/02/17

フェイクシティー/ある男のルール

「ブッラク・ダリア」からのL.A4部作はエルロイ畢生の大作であり、中でも「ホワイト・ジャズ」は他の追随を許さぬ傑作です。映画化された「L.Aコンフィデンシャル」の素晴らしさも脳裏にしっかり刻まれています。犯罪が多発する人種の坩堝L.A。エルロイの読者にはなじみの世界。職務を逸脱し暴走する警官をキアヌ・リーブスが演じています。
         
幕開けのガン・ファイトから情け容赦の無さが漲った画面にグッと惹き込まれました。物語はL.A4部作の変奏曲といった趣ですが、アレンジが大変巧みな脚本です。人間が人間である事から生まれる悪徳。差別。暴力。不公平。公務員の不正。組織的腐敗。法で裁けぬ罪。正義と政治。友情。愛といった要素を取り込みながら、激しい暴力描写とともに、人としての在り様、生き方をきっちり描き出しているところに感心しました。

それにつけても、ロサンゼルスという都市の並々ならぬキャラクター的魅力はこの作品にも色濃く反映しています。しらっちゃけて、乾燥した空気に響く拳銃の発射音の、劇的な演出を排した残響の無さもリアルで、クールな演出は作品のクオリティーを一層高めめています。カメラも音楽も文句なし。とても面白かった。

原題:Street Kings
監督:デビッド・エアー
脚本:ジェームズ・エルロイ、カート・ウィマー、ジェイミー・モス
製作:ルーカス・フォスター、アレクサンドラ・ミルチャン、
製作総指揮:アーノン・ミルチャン、ミシェル・ワイズラー、ボブ・ヤーリ
撮影:ガブリエル・ベリスタイン
美術:アレック・ハモンド
編集:ジェフリー・フォード
音楽:グレーム・ラベル
出演:キアヌ・リーブス、フォレスト・ウィテカー、ヒュー・ローリー、クリス・エバンス、
2008年アメリカ映画
1時間49分
20世紀フォックス映画

2009/02/09

NODA・MAP「パイパー」


人類が火星に移住してから1000年を経て、移住者達の子孫は、常に彼らと共にあった機会生命体「パイパー」ともども存亡の危機に瀕していた。刻々と近づいてくる滅びのタイムリミットを横目に、父は巨乳の若い後添えを迎えようとし、娘達は盛んに異議を申し立てている。

野田秀樹の新作。松たか子と宮沢りえの共演を楽しみに出かけたのですが、火星のコロニーがセットされたステージの、設定は直に吞み込めたものの、意外な幕開けにはちょっと面食らいました。宮沢りえは声がつぶれているようで、目が慣れるまで誰だか分かりませんでしたが、松たか子はいつもの通り溌剌とした台詞回しで精気に溢れ、この姉と妹が大量の台詞を応酬する様は楽しめました。大勢の出演者を縦横に動かして、時間と空間を自在に飛び越えるダイナミックなスペクタクルシーンなど、演出の創意も充分でした。

しかし、1000年かけて滅びてゆくものと、後妻を迎える家庭内騒動との関係が見えてきません。このマクロとミクロがどう交錯するものなのか、はたまた平行してものなのかが分からず、もどかしい思いがつのります。舞台はダイナミックな見せ場になっても、物語はダイナミズムを欠いて進みます。全てがデータ化され、目に見えないものや数量化できないものまでも数値化せずにはおれない現代を風刺する視線には共感しつつ、しかしタイトルにもなっている「パイパー」という存在もまた、実のところどういうものかよくわからず次第に落ち着かない気分になってしまいました。

「野田版 鼠小僧」「野田版 研辰の討たれ」「野田版 愛陀姫」などの言い方に倣えば、これはさしづめ「野田版 火星年代記」でしょうか。しかし、話の核となるパイパーという機械生命体の設定にしても、「ボタン」という記憶装置の設定にしても安易なものとの印象が拭えません。そもそも、この話を語るのに火星である必要があったのかも疑問に感じました。

「パイパー」作・演出 野田秀樹 NODA・MAP 第14回公演
出演:松たか子 宮沢りえ 橋爪功 大倉孝二 北村有起哉 小松和重 田中哲司
佐藤江梨子 コンドルズ 野田秀樹         シアターコクーン

レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで

デュカプリオとケイト・ウィンスレットの共演となれば当然のように「タイタニック」が連想されます。その上にこのタイトルですから、てっきりシドニー・ポラックの「追憶」のようなラヴストーリーをイメージしていました。そんな気分の通り、流氷の海から生還した二人がめでたくゴールインしたかのように映画はスタートしましたので、この先の更なる困難苦難をレボリューショナリーな生き方で乗り越えて行く二人を描くのであろうと思いきや、何とレボリューショナリー・ロードとは二人が新生活を始める通りの名前なのでした。結局「タイタニック」のロマンチィックなイメージを前提に、ロマンティックさの欠片もない辛いお話を展開するわけで,なるほど、これはサム・メンデスの作品だったと納得しました。

サム・メンデスはデビュー作の「アメリカン・ビューティー」でアカデミー監督賞を受賞してしまった才人です。2作目の「ロード・トゥー・パーディション」もそうでしたが、人間の裏側を抉り出すのが得意です。例えば優しさに隠された蒙昧。快活さの裏の不信。強面に見え隠れする小心。そのような人物像を鮮やかにキャスティングして見せる。これが尋常でなくうまいのです。「アメリカン・ビューティー」ではクリス・クーパーが一躍脚光を浴び、大ブレークを果たしました。今回も、デュカプリオの友人夫婦をはじめ、上司、浮気相手のOL等々、脇を固めるキャラクター達はドキュメンタリー的な迫力と魅力に溢れた表情を見せてくれます。実に見事なキャスティングでした。中でも印象に残ったのはケイト・ウィンスレットとレボリュショナリーロードの優良物件を斡旋する不動産屋を演じたキャシー・ベイツでした。タイタニック同様にデュカプリオの良き理解者にして上品で優しい役柄とはいえ、かつて無いほど美しくて撮られているキャシー・ベイツの美人ぶりビックリしました。しかし、この美しさも伏線になってしまうところがいかにもサム・メンデスです。

細部に神経が行き届いた絵づくりと流麗な演出によるハイレベルな作品は隙がありません。センスもテクニックも一級で音楽の趣味も素晴らしいのですが、どうもこの監督の人間観には救いがありません。何と言うか、情と知の折り合いが悪く、私に取っては感心することはあっても感動できない監督がサム・メンデスです。

原題:Revolutionary Road

監督:サム・メンデス

製作:サム・メンデス、ジョン・ハート、スコット・ルーディン、
原作:リチャード・イエーツ

脚本:ジャスティン・ヘイス

撮影:ロジャー・ディーキンス

音楽:トーマス・ニューマン
出演:レオナルド・ディカプリオ、ケイト・ウィンスレット、キャスリーン・ハーン、デビッド・ハーバー、キャシー・ベイツ

2008年アメリカ
1時間59分
配給:パラマウント

2009/01/26

007/「慰めの報酬」


007に邦題がついたのは久しぶりです。「慰めの報酬」曰くありげで格好いい邦題だと思います。でも意味は良くわかりませんです。

オープニングの激しいアクションは007のお約束です。前作から始まった、生理的な痛みや恐怖感を前面に押し出す演出は、さらに過激なアクションシーンを実現しています。一段目が収束したと見せて二段三段とたたみ掛けてくる展開はスピード感と重量感を両立させたハードなものでありながら、過去の作品への敬意を示すなど遊び心にも溢れて楽しめます。ボンドが陸海空に展開するバトルと超絶体技。全編に渡って、アクションシーンは実に洗練されてエレガントでさえあります。

ビックリしたのは素晴らしく状態のいいDC−3が登場してきたこと。冒険小説の栄光を担った名機の思いがけない大活躍には、この作品に注ぎ込んだ製作陣の愛と見識の深さが感じられました。

イアン・フレミングはボンドのイメージをケーリー・グランドに求めていたため、タイプの異なるショーン・コネリーの起用には反対だったらしいのですが、結果はボンド is とまで謳われたショーン・コネリーの魅力によって、硬軟併せ持つボンドのキャラクターも決定づけられました。ショーン・コネリーが降板してからは、ロジャー・ムーアからピアーズ・ブロスナンへと主としてボンドの軟派なDNAが受け継がれていきましたが、私はニヤけたボンドには違和感がありましたので、「カジノ・ロワイヤル」でボンドの硬派なDNAと共に登場してきたはダニエル・クレイグには好感を持ちました。この軟派から硬派への移行と言うか改革は「ジェイソン・ボーン」の存在を抜きには考えられないことですが、ベテランが新人の活躍に刺激されて生まれ変わる、それを、これほど決定的に鮮やかに成し遂げたダニエル・クレイグには絶賛の拍手を送りたいと思います。

絵に描いたような悪党面のゲルト・フレーベやアドルフォ・チェリが世界征服を企んだのも今は昔。今回ボンドがあぶりだす敵はNPOの環境保護団体という仮面をかぶっています。国家間の利害が多様に絡み合って、政治的な難しさを伴っているという状況設定説明など上面だけですが、物語にリアルさを与えるには必要充分でした。しかし、敵の首魁を演じたマチュー・アマルリックにはボンドに拮抗するだけの暴力性や身体能力が感じられず、ラスボスとの闘いにもかかわらず、アクションシーン全体の中でも弱くなっていたのが難点といえば難点でした。

とはいえ、良くできた作品です。中でも、ダニエル・クレイグが進境著しく、前作より遥かに魅力的なボンドを見せてくれました。ボンドに比例するようにジュディー・デンチも流石の貫禄で場面を引き締めています。今迄で最高のMだったのではないでしょうか。オルガ・キュリレンコのべたつかずキリっとした様子も説得力ありました。それらの中心にあって、やはりダニエル・クレイグの魅力が際立ちました。ホテルの部屋をチェックするボンドが、上着を脱ぎながら隣の部屋に消えていく。その姿の何とカッコいいこと。痺れました。脚本も演出も素晴らしいのですが、これは徹頭徹尾ダニエル・クレイグの格好良さを楽しむべき作品だと思いました。「カジノ・ロワイヤル」と見比べると良くわかるります。スーツの着こなし、身のこなし、表情のニュアンスまで、まるで別人のように垢抜けたボンド冷たい怒りが炸裂した「慰めの報酬」でした。

原題:Quantum of Solace
監督:マーク・フォースター
脚本:ポール・ハギス、ニール・パービス、ロバート・ウェイド
製作総指揮:カラム・マクドゥーガル、アンソニー・ウェイン
製作:バーバラ・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン
撮影:ロベルト・シェーファー
美術:デニス・ガスナー
音楽:デビッド・アーノルド
出演:ダニエル・クレイグ、オルガ・キュリレンコ、マチュー・アマルリック、ジャンカルロ・ジャンニーニ、ジェマ・アータートン、ジェフリー・ライト、ジュディ・デンチ、イェスパー・クリステンセン
2008年アメリカ・イギリス合作映画
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2009/01/22

チェ/28歳の革命


カストロに共鳴した若者がゲリラ戦を指導して革命を成功へと導く。
チェ・ゲバラのこともキューバ革命の事も良く知らないので興味深く観ました。キューバの山中でゲリラたちの日常が、ごく日常的に描かれる前半は地味な展開です。そこに、国連に於ける演説。ジャーナリストのインタビューに応える姿。カストロとの邂逅場面などが、当時のニュース映像を思わせるような粒子の粗いモノクロ映像でカットバックされます。モノクロ映像が裏付けある客観映像なら、カラーのゲバラはソダーバーグの主観に基づく映像であり、二つ併せてゲバラとその時代を浮かび上がらせようとの狙いでしょうか。ただ、地味な展開の上に地味な映像がカットバックされるので、意識の集中がなかなか難しいため、シートにふんぞり返った受動的な態度ではてきめんに眠くなります。さらに、思わず身を乗り出すような事もなくて、少し寝ました。

「おもちゃを持った子供は、必ず2つ3つとより多くのおもちゃを欲しがる。欲望には際限がない。それが人間の本性なのだが、しかし、だからといって国がそれをやったら世界はどうなる」と言うゲバラにインタビューアーは「しかし、あなたも一個の人間ではないか」と返します。これに対し「フィデルも私も、全体のために個の欲望を犠牲にする立場を選択したのだ」とゲバラは答えます。カッコいいですが、喘息の発作に苦しみながら行軍するゲバラという頼りなげな姿もあり、ゲバラの不屈の闘志と行動力を普通に、ヒロイックでなく描いているところに、却ってソダーバーグの熱意と志を感じました。

国連での演説も山場を迎え、革命も本懐を遂げようかとする後半、前線が山中から市街へと拡大すると、それ迄の地味な流れとはうって変わって一気に戦争アクション映画の様相を呈した上に、カタルシスたっぷりに収束していきます。まるで、難攻不落のアカバを背面から奇襲して活路を開いたロレンスのアカバ攻略を思わせるような展開を眺めながら、ソダーバーグのこれは「アラビアのロレンス」だったのかと思いました。そうすると、何故かこの作品の作り方全体が、とてもしっくりと収まってくるような感じもしてきました。

ソダーバーグの「オーシャンシリーズ」は全然楽しめなかったのですが、ベニチオ・デル・トロのゲバラが、普通の中にも特別の感じが漂って、説得力も魅力も充分ありました。このままパート2でも楽しませて欲しいと思います。

原題:Che: Part One
監督・撮影:スティーブン・ソダーバーグ
製作:ローラ・ビックフォード、ベニチオ・デル・トロ
製作総指揮:アルバロ・アウグスティン、アルバロ・ロンゴリア、ベレン・アティエンサ、フレデリック・W・ブロスト、グレゴリー・ジェイコブズ
脚本:ピーター・バックマン
美術:アンチェン・ゴメス
音楽:アルベルト・イグレシアス
出演:ベニチオ・デル・トロ、デミアン・ビチル、サンティアゴ・カブレラ、エルビラ・ミンゲス、カタリーナ・サンディノ・モレノ、ロドリゴ・サントロ、ジュリア・オーモンド
2008年スペイン・フランス・アメリカ合作
上映時間:2時間12分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ、日活

2009/01/21

ザ・ムーン

アポロ司令船の窓から見えているのは、月面へと降下して行く着陸船イーグル。月面の無彩色にイーグルの金色が唯一の有彩色として輝いています。荘厳で美しい、と同時に戦慄的な映像です。夜空の月を見ても、あそこに行ってきた人がいるということが嘘のように思えます。しかし今から40年前、人類は確かに月に降り立ったのです。

米ソ対立を背景に、国の威信とを賭けた宇宙開発競争から生まれたアポロ計画。あれから40周年を記念した記録映画ということで、巨大なサターンロケット打ち上時の迫力、荒涼さと静けさをたたえた月面の不思議な美しさをはじめ、NASAから提供されたという秘蔵フィルムの興味深い映像が次々に繰り出されます。60年代の社会状況を示すニュース映像に、当時を振り返った宇宙飛行士達の証言を織り込んで、アポロ計画とはどのように展開したかが淡々と示して、月面着陸が歴史的に位置づけられ評価検証されていきます。

その意味では、画面いっぱいに映し出された、70歳以上になる元宇宙飛行士のじいさん達の、とても人間的魅力に溢れた証言の数々が、この作品の何よりの要だと思えます。人間を月へと送り込んだ驚異的なプロジェクトの成功は、科学的、技術的にも世界に多大な恩恵をもたらしましたが、世界がこの40年間に遂げた変化が、アポロ計画とその結果に新しい光を与える事にもなりました。アポロの恩恵として世界が最も共有するべきは、人類史上初めて月に立った彼らが感じ、思ったこと。月に立った人間がどのような認識に至ったかでは無かろうか、と結論づけてゆきます。それは、漆黒の宇宙に浮かぶ色鮮やかな地球の美しさにおののき感謝するということ。

アポロ計画は結局莫大な資金を喰い尽くし、米の宇宙開発計画はその後縮小を余儀なくされてしまいます。あれから40年、今や誰も月に行く事はかないませんが、想像力を駆使して月に降り立つ手だてを共有の財産としてアポロ計画は我々に残してくれたのです。「ライト・スタッフ」+「アポロ13」+「宇宙からの帰還」これらの作品の面白さもぎっしりと詰まっていました。

原題:In the Shadow of the Moon
監督:デビッド・シントン
製作:ダンカン・コップ、クリストファー・ライリー
提供:ロン・ハワード
撮影:クライブ・ノース
音楽:フィリップ・シェパード
出演:バズ・オルドリン、マイク・コリンズ、アラン・ビーン、ジム・ラベル、エドガー・ミッチェル、デイブ・スコット、ジョン・ヤング、チャーリー・デューク、ハリソン・シュミット、ジーン・サーナン
2007年イギリス 1時間40分
配給:アスミック・エース

2009/01/18

ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー

その昔、人間と戦っていたエルフ王は不滅の鋼鉄兵団ゴールデン・アーミーを組織したが、その恐るべき破壊力ゆえに王は兵団を封印する。しかし、時満ちて、ゴールデン・アーミーの封印を解き放そうとするエルフが復活する。

ヘルボーイの2作目。前作に続き、ヘルボーイ、ファイアーウーマン、半魚人のチームに、今回はシュタイナー言うところのエーテル体を潜水服に詰め込んだような変なガス人間が新たに加わります。このドイツから来たガス男がキャラクターもビジュアルも魅力的で、コメディーリリーフとしての働きも光っていました。半魚人とエルフの切ない恋を描いて、異形の者の哀しさにさりげなく触れる演出の節度を好ましく感じました。チームの中でヘルボーイが一番単純で能天気というのも可笑しいのですが、皆を盛り上げるリーダーにはこういう資質も必要とでも言いたげなキャラのひねり具合も洒落が効いていました。

ギレルモ・デル・トロ監督は「パンズ・ラビリンス」もそうでしたが、今回も異形の者というか、クリーチャーの造形に独特のセンスを発揮しています。悪夢のような外見ですが、概して愛嬌がありその眼差しには哀しい色をたたえて、デル・トロのクリーチャー達には惹き付けられてしまいます。ラテンの光と影。光が強いほど影を濃いという、そのラテンゆえの闇の深さを、この監督は特異なイメージで美しくビジュアル化して見せてくれるようです。今回ストーリーに新味はありませんでしたが見応えは充分。前作より完成度も高く、とても面白かった。

原題:Hellboy II: The Golden Army
監督・脚本:ギレルモ・デル・トロ
原作:マイク・ミニョーラ
製作:ローレンス・ゴードン
撮影:ギレルモ・ナバロ
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ロン・パールマン、セルマ・ブレア、ダグ・ジョーンズ、ルーク・ゴス、ジョン・ハート
2008年 アメリカ:1時間59分

2009/01/10

禅 zen

村勘太郎が道元を演じるということで、道元禅師の若き日々の苦闘が描かれた作品かと思いましたが、母親と死別した少年時代から説き起こし、宋への留学、教団創設、叡山との対立、永平寺建立、鎌倉幕府への貢献から入滅までを描いた一代記だったのは意外でした。鎌倉時代に生きた高僧の一生を2時間で描くのですから、強引さと説明不足とで分かり難い点は少なくありませんが、全体の流れにはテンポの良さが生まれ、退屈せずに観る事ができました。
中村勘太郎は落着きと品格で道元禅師を実に見事に演じていました。5年前の「新撰組」の頃から較べると、目を見張るような成長振りは素晴らしいと思いました。この道元の側近は皆雰囲気のいい僧侶振りで魅力的でした。紅一点の内田有紀が演じる、世俗にまみれた下賤の女が、道元の人となりと思想を観客に分かりやすく提示する役目を担っているのですが、エピソードが余りに通俗的図式的で説得力に欠けています。内田有紀は悪くないのですが、内田有紀の出番を削ってでも、道元の内面を掘り下げた展開で観たいと感じました。

日本の四季に中村勘太郎の立ち姿が良くマッチした美しい画面、丁寧に作られた作品ですが、ある程度の知識理解のある人を想定した内容、語り口になっていると思います。道元や禅に関しての知識が無いと、道元は始めから終わり迄「選ばれた人」として選良の道を歩み続けたようだし、禅に関しても分かり難く思えました。

初日の夕方、高齢者ばかり良く入った客席は老人ホームのような様相を呈していました。年末年始のTV番組にうんざりしたお年寄りの興味関心に訴える題材、特定の世代を狙い撃って見事に仕留めた企画のセンスを感じました。

監督・脚本:高橋伴明

原作:大谷哲夫

撮影:水口智之

音楽:宇崎竜童、中西長谷雄

美術:丸尾知行
出演:中村勘太郎、内田有紀、藤原竜也、村上淳、勝村政信、西村雅彦、笹野高史
2008年:2時間7分


2009/01/06

K-20/怪人二十面相・伝

二十面相とくれば明智小五郎、そこを二十面相に間違われた男と明智の許嫁に変え、怪人対巨人の激突という王道を外したこの作品。太平洋戦争が無かった1949年頃の日本という設定は、全体主義下での個の復権を描いた「Vフォーヴェンデッタ」を連想させますが、その設定も、サーカス芸人と富豪令嬢の汚名挽回の闘いをロマンティックなアクションコメディーとして彩る以上の働きは持たされていません。まぁ肩のこらないお正月向けとしてはこれが正解でしょう。金城武と仲村トオルの間で、松たかこはオキャンな令嬢を生き生きと魅力的に演じ、コメディー的な面白さは結構盛り上がりました。しかしこの三角関係が図式的なままに終始し、肝心のロマンティック方面の盛り上がりには欠けています。
実力もあり経験も豊富なスタッフによるSFXや派手なアクションもなども売りの一つですが、いずれもハリウッドのヒット作品のおいしいところを無節操に取り込み、詰め込み過ぎている感があり感心しません。これは監督さんの趣味か、ニコラ・テスラの物質伝送装置やK−20のビジュアルなどクリストファー・ノーランの気配が濃すぎるのも気になりました。
しかし最大の違和感は、脚本と演出に表れた二十面相と明智小五郎に対する愛情の無さでしょう。国民的ヒーローとして世代を超えて支持されている二人への敬意を利用し結末の面白さに転じて見せるという手口の、それ自体を悪いとは言いませんが、あの結末はあまりに愛も敬意も芸も身も蓋も無さ過ぎ。二人の男から好意を寄せられ、恋の冒険に身を躍らせるご令嬢の大活躍に、それなりの面白さは認めつつ、しかしこの令嬢が感じるワクドキ感を楽しむには、二十面相と明智への愛と敬意なんてのはむしろ無用かと思わせられる結末の哀しさではありました。

監督・脚本:佐藤嗣麻
子
原作:北村想

撮影:柴崎幸三

音楽:佐藤直紀

美術:上條安里

脚本協力・VFX協力:山崎貴
出演:金城武、松たか子、仲村トオル、國村隼、高島礼子、
2008年日本
2時間17分