2009/02/25

壁と卵

2月25日付け朝日朝刊、斉藤美奈子が文芸時評の枕に村上春樹と件のスピーチを取り上げて次のように書いている。

前略

 賞を受ける事の是非はいまは問わない(それでもイスラエルのガザ攻撃に反対ならば賞は拒絶すべきだったと私は思っているけどね)。その比喩で行くなら、卵を握りつぶして投げつけるくらいのパフォーマンスをみせてくても良かったのに、とも思うけれども、小説家にそれを望むのは筋違いな話かもしれない。
 ただ、この スピーチを聞いてふと思ったのは、こういう場合に「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうかということだった。作家はもちろん、政治家だって「卵の側に立つ」というのではないか。卵の比喩はかっこいい。総論というのはなべてかっこいいのである。

後略


村上春樹のスピーチはかっこ良かったと思う。
卵の比喩はかっこいいが、でも、それだけでかっこいいもんじゃないだろう。
村上春樹が、あのような場所であのように言ったからかっこ良かったのだ。
比喩の上手い下手とかでなく、村上春樹という男の生き方の証左として、
あの言葉に説得力があったから。
だからかっこよかったのだ。
と思う。

当然、卵を握りつぶして投げつけるなんてパフォーマンスが、
あのような場で面白くも可笑しくも見えるわけがない。
レーガンに投げられた靴に遠く及ばぬ陳腐極まりないイメージ。
第一、そんな野蛮で不躾なこと事をやる村上春樹なんて、
彼の作品からは金輪際想像できない。
それ以前に、>小説家にそれを望むのは筋違いな話かもしれない。
ってのもひどい話だ。
そんなこと人に望んでどうしようってんだか。

さらに「自分は壁の側に立つ」と表明する人がいるだろうか。
に至っては、
切れ味鋭い毒舌が持ち味の評論家とも思えないナイーブな物言いに驚いた。
人が自分は「壁の側に立つ」と表明する必要が一体何処にあるというのか。
そもそも朝日に文芸時評を載せる事自体、
「自分は壁の側に立つ」という表明になっているようなもんだが、
それは別にいいとして。

村上がやったのは、
壁の側に立つ、それも中枢に位置する人達が大勢居並ぶ式場のど真ん中で、
自分を顕彰しようと招いてくれた人達に向かって、
自分の信念に従い、
最善のコミットメントを、アガンジェマンを果たしたんだ。
まさに体を張って。 だ。
どこから見たってこんなかっこいい事ないではないか。
それは、
>比喩はかっこいい。
とか、
>総論というのはなべてかっこいいのである。
なんてレベルからは決して伺い知れない、
本当に男の甲斐性を感じさせる格好良さだ。

それにつけても、
壊れやすい卵の喩えは、
ハードボイルド・ワンダーランドの作者にして
ロンググッドバイの完訳を果たした翻訳者だけのことはある。

流石だ村上君。