2007/12/31

2007年のまとめ 螺旋式

今年印象に残ったもの

映画
1.アポカリプト メルギブソンは変態なので作品が滅法面白くなるのだ。
2.グッド・シェパード デ・ニーロの演出は巨匠の風格、作品賞級の面白さ。
3.キングダム/見えざる敵 今日的な主題を迫真の活劇で。クレバーな作品。
4.ボーン・アルティメイタム クモ男も海賊も3は落ちたが、これは良い。
5.パフューム/ある人殺しの物語/天然コケッコー


1. ウオッチメイカー 創意工夫で常に革新を怠らないディーヴァー天下無敵。
2. 私を離さないで いろんな意味で切なすぎ。作家ってのは業が深いなぁ。
3. デス・コレクターズ 面白さで前作を大幅に更新。この人は目が離せない。
4. 終決者たち ロス市警への復帰は作者の英断か苦肉の作か。次作に注目。
5. 吉原手引草 ボイルド的インタビュー小説。構成の妙と語りの洗練。       

星新一 1001話を作った人 懐かしい時代と意外性にあふれた作家の肖像。
ロンググッドバイ 村上春樹渾身の訳業。よくぞやってくれた。家宝だ。
生物と無生物のあいだ リンカン・ライム的とも、真に個性的な科学者達。

美術
森村泰昌 展    スキャンダラス。はっきり言って面白い。     
金毘羅宮書院の美展 展示の工夫と至らなさに想像する楽しさが。
若冲展      墨だって素晴らしい。イベントとしても楽しかった。
アートで候 会田誠・山口晃展      

舞台
1. 朧の森に棲む鬼 密度高く力感あふれた新感線の夢見るような舞台。
2. 摂州合邦辻 坂田藤十郎の迫力と色気。国立劇場のポスター優秀だ。
3. 熊谷陣屋(吉右衛門)男は色気だ。 
4. TOMMY  いのうえひでのり、現在最高の演出家だ。 
5. コクーン三人吉三 陰惨さを浄化する雪の物量、笑いつつ打たれた。

漫画
竹光侍 2巻、3巻 天才松本大洋の絵、見ているだけで興奮する。
夕凪の町 桜の国  こうの史代いいね。絵も手塚治虫的にうまい。
鼻兔       クール、ハートウォーム、アーティスティック。
大阪ハムレット  絵の強さをしのぐ台詞と展開にインパクト大。
デトロイト・メタル・シティ えげつなさにも品が。2巻最高。

TV
SP 金城一紀の映画的教養と感性を岡田准一で全面展開。超面白。

2007/12/28

恐れを知らぬ川上音二郎一座

明治32年、サンフランシスコから全米巡業の途についた川上音二郎一座。

悪戦苦闘の公演を続けるがマネージャーが金を持ち逃げ、やっとたどり着いたボストンで座員も分裂、一座は進退窮まってしまう。そこで「ヴェニスの商人」の日本語上演という奇策を思いつき、何とかペテンで切り抜けようと奮闘する音二郎一行を描いた三谷幸喜の新作。

本邦初の「女優」誕生の経緯も絡めて、シアタークリエのこけら落としとは、ユースケ・サンタマリアと常盤貴子の初舞台コンビ。脇を実力と個性のベテランががっちり固めて楽しく華やかな娯楽作。

はったりを利かせた興行師でもある川上音二郎というキャラはユースケの柄。座長公演で役柄も座長というポジションだけに出番は多いが、明るく前向きな良い人というだけで柄を強調することもなく特段の見せ場も無い。

それに対して、声をからして八面六臂の大活躍を見せる堺正章。勢いの良さに若々しさが爆発する堀内敬子。瞬発力を三次元に炸裂させた阿南健治。達者なコメディエンヌ振りの瀬戸カトリーヌ。徒で伝法なキャラに思いがけない陰影を刻んだ戸田恵子等、他の人たちにはここぞという場面がもれなく用意され、それぞれが気持ち良さそうに演じ魅力を発揮している。

苦しい公演を何とか成功させた音二郎に妻が言う。
「あなたがここ迄みんなを引っ張って来たんじゃない。みんなに引っ張られてあなたはここ迄来れたのよ」
アクの強さが持ち味のユースケが意外に大人しく、これと言った見せ場が無いのは、どんなカリスマがいようとも、カンパニーはアンサンブル命なのだと、このテーマがあればこそかと納得した。

バラエティーともボードビルとも言えるノリと展開で楽しませながら大型喜劇として締めくくる。興行師にも役者にも観客にも旺盛なサービス精神を等しく発揮した三谷幸喜の力作。もっと刈り込んだ方がすっきりしそうな所もあるが、シアタークリエの杮落としとして求められる要素を十二分に満たしたご祝儀な作劇術としての見応えも大きかった。

出演 ユースケ・サンタマリア、常盤貴子、戸田恵子 、 堺雅人、堺正章他
作・演出   三谷幸喜
シアタークリエ

12/23 13列5

芸術座改めシアタークリエって事で、帝劇と並ぶ東宝のフラッグシップとも言える劇場は最新の技術と思想でどれほど素晴らしく生まれ変わったものかと、小屋そのものへの興味と期待感が大きかったのだが、今時こんな空間処理かと思わせる狭苦しさには失望するより驚きだった。ロビー、通路、シート、トイレのどこをとって狭苦しい。余裕がない。最悪である。
演劇を単に金儲けの手段としても構わないが、金儲けにしても、もっと気持ちよく、沢山お金を使わせるための哲学なり戦略があればまだしも、そんなものはみじんも感じさせない内部空間。休憩時間に女性用トイレから伸びた行列の異常な長さも12000円のチケ代に相応しからざる異様な光景。地下2階から地上へと、火でも出ようものならまず逃げられないと思わせる階段の狭さにも、東宝の性根の悪さ、体質が伺われる。東宝映画、日劇、東宝名人会、昔の東宝は都会的で洗練されたイメージだったが、このクリエは北朝鮮並みではないか。ほんとがっかりである。

2007/12/26

国立劇場 12月歌舞伎公演


「それぞれの忠臣蔵」と題して、討ち入る、守る、肩入れする、様々な事情を通してその一日を浮かび上がらせる。

「堀部彌兵衛」
伯父の仇討ちを果たした安兵衛に惚れ込み、懇願の末、養子に迎え入れた堀部彌兵衛。15年後、吉良邸討ち入りの日、一人娘と祝言をあげさせた安兵衛を伴い、彌兵衛は討ち入りへと向かう。
義理だからこそ本物以上に親子らしい。ちぎったからには何があろうと添い遂げる。今の目からば無理とも不条理とも見えるお江戸の価値観、その哀しさ切なさを支える忠の一字と武家の矜持。養子にと安兵衛を口説き落とす壮年時の彌兵衛と、討ち入りを前に老骨にむち打つ彌兵衛。折り目正しいが融通も利忠臣を演じる吉右衛門の温厚実直振りがいいのだなぁ。とても魅力的だ。どれくらい魅力的かというと、吉右衛門が出てない場面が全然面白くないぐらいに魅力的。彌兵衛の妻の吉之丞は好きだ。

「清水一角」
吉良側随一の使い手清水一角。酒乱傾向で集団にも馴染めない。今日も家族の心配をよそに酒浸りで寝込んでしまう。そこに急を告げる太鼓の音。すわ討ち入りと跳ね起きて決戦場へと飛び込んでゆく。
腕が立つ故に鬱屈し、屈折してしまう一角。酒浸りの鬱屈には荒んだような生活感があっても良いが、若さ故の清新さで見せているのはすっきりした染五郎ならでは。立ち回りしながら身支度を整えていく場面は楽しい。ケレン味たっぷりの名場面としては、着付けをもっと鮮やかに処理してくれるといい。

「松浦の太鼓」
吉良邸の隣、松浦の殿様は俳諧仲間の大高源吾が、いつ討ち入りするかと期待を膨らませていた。しかし最近では討ち入りの兆しもなしとすっかり失望を募らせ、奉公にあがっている大高源吾の妹にも辛くあたる毎日だった。そこに山鹿流の陣太鼓が響き渡り太鼓の拍子から討ち入りを知る。討ち入りに加勢をとはやる心で支度をするところに、全てを終えた大高源吾が殿様へと首尾の報告に訪れる。
俳句の宗匠と大高源吾の二人、邂逅する雪の両国橋の美しさと共に良い芝居。
討ち入りを期待して落ち着かない松浦の殿様。子供っぽいというか、我が侭だが気配りもできるお殿様を愛嬌たっぷりに演じる吉右衛門が実に楽しそう。

決意を秘めて誰にも明かさず誤解に耐える大高源吾に、染五郎の清潔感がよく映えた。討ち入り成功し大高源吾の名誉回復がなって、充分なカタルシスが客席を満たす。この先の悲劇は一時棚上げにして、松浦の殿様とこの喜びを共にしようと言う気分に、いつのまにかさせられている。よくできた芝居をさらに輝かせる吉右衛門の、討ち入り当日をこんな楽しく見せて良いのかというくらいに楽しませてくれる芝居ではある。

よく考えられた3本立て、3階3等席でお一人様1500円で観てしまった。これ映画より安い!のである。格安だが大充実の時間が過ごせた。学生の時に知ってれば、絶対外せない価値あるデートコースでしょこれは。

12/23

2007/12/19

ベオウルフ/呪われし勇者

怪物の蹂躙に人々は暗く沈んでいた6世紀のデンマーク。ベオウルフは死力を尽くして怪物を退治し、勇者の名と共に王国の富と権力を我が物とするが、そこには新たな呪いがセットされ、呪いはやがて王国を脅かす新たな厄災となって勇者の前に立ち現れる。

モーションキャプチャーとCGによる前作「ポーラー・エクスプレス」が余程楽しかったのか、ロバート・ゼメキスは再び同様の手法による映像の可能性を拡大すべく、より難易度の高い表現に挑んでいる。実験精神に溢れる意欲作だ。

エニックスが社運を賭けて大コケしたフルCG映画「ファイナル・ファンタジー」の辛さに比べれば、ベオウルフの人物表現はこなれて観易くはある。しかし、フルCGで実写のような人間を完璧に表現することは、CGを使う人たちにとって究極の技術目標なのだなぁと改めて感じさせる映像ではある。生気のないCGな表情。生き生きとした生命力を感じさせないCGな動き。表情も動きもモーションキャプチャーされて、豪華な出演者も実に勿体ない使われ方なのだ。特にジョン・マルコビッチの顔は巧くない。これラ全ては実写とCGの組み合わせを潔しとしないロバート・ゼメキスのこだわりとして、将来への貴重な技術の蓄積とされることだろう。

ストーリーは面白いのだ。父権の責任と男の業を問うテーマも今日的だし。クリーチャーや風景や空間移動など、人間が絡まないシーンの表現は申し分無いレベルを維持している。後は人間に魂を入れ、瞳に光を宿らせるだけなわけだが、実にこれが至難の業なのだな。困難な表現にチャレンジし、先駆者として受難の道を往くロバート・ゼメキスを支持する。これからも。

原題:Beowulf
監督・製作:ロバート・ゼメキス
脚本:ニール・ゲイマン、ロジャー・エイバリー
製作総指揮:ニール・ゲイマン、ロジャー・エイバリー
撮影:ロバート・プレスリー
音楽:アラン・シルベストリ
出演:レイ・ウィンストン、アンソニー・ホプキンス、ジョン・マルコビッチ、アンジェリーナ・ジョリー、ロビン・ライト・ペン、2007年アメリカ映画/1時間53分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/12/16

アイ・アム・レジェンド


「吸血鬼」というタイトルだった原作を読んだのは何十年も昔の事だが、正常と異常を一瞬に入れ替えてしまう鮮やかなエンディングで、こちらの認識がコペルニクス転回させたられたことは鮮烈に覚えている。チャールトン・ヘストンで映画化された『オメガ・マン」には、つまらなかった記憶しかない。

無人の廃墟と化したニューヨークを迫真的に映す、CGの素晴らし過ぎる映像美。マンハッタンを終末の光景に変えて余すところなく見せ尽くす。これだけでこの作品は見るに値する。ウィル・スミスは深みのある演技で、超絶的な孤独感の中で、規則正しい日常を維持しようとする姿に説得力がある。相手役なしのサバイバルシーンにもドラマ的な奥行きを与えている。主人公が空母イントレピッド上のブラックバードから見事なスイングで摩天楼にドライバーを打ち込むシーンの、ダイナミックかつ詩情に溢れた素晴らしさ。イマジネーションの凄さに感動する。とにかくこの作品のマンハッタンが封鎖される迄もその後もビジュアルが実に魅力的で、実に良くできている。どんな風に作られていったものか、メイキングの DVDが凄く楽しみだ。

しかし、後半はゾンビもののジャンル映画と化していくのがしょうがないと言えばしょうがない。ゾンビ映画もメジャーが作ればこれほどゴージャスになるんだよ、と制作者が自負したかどうか知らないが、前半のワクドキ感も、結局は月並みなアクションホラーに回収されてしまうのだった。バイオハザードと変わらない。いや、それでも面白いから、ジャンル映画と割り切れば良いのだ。
でもね、前半の展開が引き締まって面白かっただけに、後半の安易なゾンビ化と、原作のスケールや苦みにかすりもしないエンディングの月並みが、何だかとっても惜しまれるのだ。

原題:I Am Legend
監督:フランシス・ローレンス
脚本:マーク・プロトセビッチ、アキバ・ゴールズマン
製作:アキバ・ゴールズマン、デビッド・ヘイマン、ジェームズ・ラシター、ニール・H・モリッツ、アーウィン・ストフ
原作:リチャード・マシスン
撮影:アンドリュー・レスニー
音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演:ウィル・スミス、サリー・リチャードソン、アリス・ブラガ
2007年アメリカ映画/1時間40分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2007/12/15

ビューティー・クイーン・オブ・リナーン


アイルランドの荒涼とした丘に建つ一軒家に暮らす親子。底意地悪く頑固な母と、そんな母の介護に花の盛りを捧げた娘。娘の希望は母の絶望。傷つけ合いながら依存せずにはおられない二人の、際どい綱引きの均衡は、保たれるのも破られるのも、己の幸せを求める心の故だった。

水道から水も出ればガスコンロには火がつく。リアルに設えられたリビングキッチンを縦横に動き回る大竹しのぶの娘。ロッキングチェアに凝固したような白石加代子の母。化け物のような変幻自在振りを発揮する2大女優が、母のエゴと娘の被害者意識のドロドロとを激しくぶつけあう。力と技と存在感が火花を散らし、ブラックな笑いが振りまかれ、一層危ない感じを募らせていく。そうそう、こういうガチンコ対決が観たかったのだ。期待に違わぬ白石、大竹の競演。

しかし、休憩を挟んだ後半は、悲劇へと上り詰めていくにつれて、何だか乗れなくなってしまったのだ。一つには、大竹と田中の演技が自然体なのに対し、白石は表情姿勢声から入念な役作りで、様式に落とし込んだキャラクター表現をしている。これが始めは気にならなかったが次第に気になってしまい、更に、長塚圭史の演劇的、記号的だが深みに乏しい演技もが加わって、少し引き気味になった事は確かだ。

アイルランドの社会と時代の閉塞感が二重三重に映し込まれたシナリオ。テンポよく応酬される悪口雑言。優れた表現者の魅力的なパフォーマンス。実力ある人たちによる魅力的な舞台だが、シナリオを細部にわたって視覚化しすぎているようにも思えた。
ビューティー・クイーン・オブ・リナーン。町一番のべっぴんと呼ばれた娘だが、大竹は野暮ったく、田中はもっと汚れている方が悲劇性は際立つ。全体にもっとストイックな表現が欲しかった。

12月14日(金)ロビーに古田新太がいた。

パルコ劇場
作 マーティン・マクドナー
演出 長塚圭史
出演 大竹しのぶ 白石加代子 田中哲司 長塚圭史

文春ミステリーベスト 海外編

2007年海外部門

順位 作品名        著者        版元   得点
1 ウォッチメイカー  ジェフリー・ディーヴァー  文藝春秋 96
2 復讐はお好き?   カール・ハイアセン     文春文庫 56
3 石のささやき     トマス・H・クック      文春文庫 49
4 双生児       クリストファー・プリースト 早川書房 48
5 TOKYO YEAR ZERO   デイヴィッド・ピース    文藝春秋 47
6 大鴉の啼く冬    アン・クリーヴス    創元推理文庫 42
7 夜愁        サラ・ウォーターズ   創元推理文庫 41
8 終決者たち     マイクル・コナリー   講談社文庫  40
9 ハリウッド警察25時 ジョゼフ・ウォンボー    ポケミス  39
9 ロング・グッドバイ レイモンド・チャンドラー  早川書房 39

週刊文春ミステリーベストとこのミスを比べてみる。
1、2位とTOKYO YEAR ZEROが入っている以外、面子が全く異なる。クック、コナリー、ウォンボーが入っている文春の方が感覚的に納得できる。このミスは本格の占める割合が高いのだ。

出版社としても、どちらにも4冊づつ、延べ5タイトルをランク入りさせた文春の独走ぶりは目覚ましい。ジャック・カーリーも文春だし。2位の「復讐はお好き?」も読んでみたくなった。ウォンボーは発売時に本屋数件でチェックしたが見つからず、以来ポケミス難民として未だに漂泊中だ。

ロング・グッドバイの10位。
この作品はランキングの対象外だろう。古典的作品であり、村上春樹の新訳にして完訳ということが興味の中心だ。評価となれば、作品よりそのものより翻訳に対するってことで、ランキングの趣旨とは折り合わないのではないか。コンペ対象外の特別招待作品とするのが見識ってもんだろう。でなければ無条件1位だ。早川書房のランキングは正しいと思うが、対象外とすればもっとかっこ良かったのに。

2007/12/14

このミス 08 海外篇

1ウォッチメイカー ジェフリー・ディーヴァー文藝春秋 144点
2復讐はお好き?   カール・ハイアセン  文藝春秋 130点
3TOKYO YEAR ZERO デイヴィッド・ピース  文藝春秋 112点
4物しか書けなかった物書き r・トゥーイ 河出書房新社 108点
5悪魔はすぐそこに  D.M.ディヴァイン 東京創元社 79点
6路上の事件   ジョー・ゴアズ      扶桑社 77点
7狂人の部屋      ポール・アルテ   早川書房 70点
7デス・コレクターズ ジャック・カーリイ 文藝春秋 70点
9J・D・カーを読んだ男 ウィリアム・ブリテン 論創社 68点
9目くらましの道上下 ヘニング・マンケル 東京創元社 68点

今年のランキング本で読んでいたのは1.6.7.(デス)の3冊のみ。このミスは1位10点から6位5点で投票された総合点で順位が決まるわけだが、この3冊を参考にランキングを考えてみる。ウォッチ・メイカーについては文句なしの面白さダントツの1位を支持。6.路上の事件と7.デス・コレクターズの得点がウォッチメイカーの約半分ということだが、これは実感とはかけ離れている。路上の事件はもっと下位でいい。
デス・コレクターズはもっと上位に位置する面白さだ。ジャック・カーリーの問題意識と洗練度の高さと新しさに刮目させられる。コストパフォーマンスからも、2095円のウォッチメイカーの1/3、771円という、ランキング中の最低価格ながら、面白さにおいては遜色がないというお値打ち本だ。馬鹿ミスとも言われるが、2作続けて端倪すべからざる力量とセンスの良さを発揮している。コスト優先で行けば完全に1位なのである。ただ、それでもディーバーは1位でいいと思わせるくらいに面白い。

その他の読んだ作品の点数を見ると
終決者たち    43点
ロング・グッドバイ40点
四つの雨     22点
キルン・ピープル 16点
インモラル    14点となる。

終決者たち、は評価低すぎ。キルン・ピープルももっと上だ。しかしハードボイルドは人気ないのね。

2007/12/09

十二月大歌舞伎 夜の部 

菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)寺子屋
着いた時には始まっていて、子供達が奥に引っ込むところだった。海老蔵と勘太郎の夫婦が何やら慌ただしそうにしている。筋がよく判らないが、海老蔵の雰囲気の軽さが気になる。福助登場。空気が豊かに膨らむようだ。品があって美しい。さらに勘三郎が現れる。あたりを払う風格は流石の大きさ。筋もようやく飲み込めてきた。忠義の為に子を差し出す切ない話。熊谷陣屋とか先代萩とかと同工異曲だが、父勘三郎の悲嘆、母福助の絶望が人情のツボにヒットする。名作たる所以なのだな。

粟餅(あわもち)
 三津五郎、橋之助の舞踊。橋之助と並ぶと三津五郎の姿形の美しさがよく分かる。軽妙さも洗練の度合いもより増幅されるように見える。別に橋之助のどこが悪いって事は無いのだが。 

ふるあめりかに袖はぬらさじ
 杉村春子の当たり役を玉三郎が引き継いだ形で上演していたものを、今回歌舞伎として演出されたものだという。尊王攘夷と国が割れた幕末、騒然とした空気が満ちる世の中、遊女の自殺がきっかけで時代の最前線に押し上げられた遊郭に繰り広げられる悲喜劇。
玉三郎は時に杉村春子的な芝居を感じさせるが、余裕と貫禄で主役を演じている。年季の入った芸者にふさわしい立ち居振る舞いは本当に美しく、安定感も充分。加えて、ここでも勘三郎は魅力的。存在感の大きさで舞台が引き締まった。光と影のコントラストを強調したセットも新鮮。中村獅童も良かった。

今日は昼過ぎからずっと遊び惚けてしまった。まともな社会人としては早く帰って明日に備えなければと足早に有楽町をめざしたが、10時になろうかという時刻、晴海通りはまだ宵の口、銀座通りの賑わいにも陰りが無い。タフな街なのだ。 
12月5日

「伊賀越道中双六」沼津の段 国立劇場


5日、半日で早退、午後から国立小劇場「社会人のための文楽観賞教室」。
http://www.ntj.jac.go.jp/cgi-bin/pre/performance_img.cgi?img=2171_1.jpg
歌舞伎はその多くを文楽に負うているということで、文楽にも触れてみたいと思ったが、何をどうしていいか判らない。そんな時にぴったりの初心者向けの企画があったもんだ。人形遣いの名人上手が有名だから、文楽は当然人形が主で語りが従だと思っていたから、自ずから興味も関心も人形の動きにあったのだが、幕が開いて太夫四人三味線三人の演者が一声響かせた瞬間、いやいや、語りの迫力にいきなり全身総毛立つ思い。語りが従などとはとんでもない勘違いだったと思い知らされた。ああ、こういうもんですか文楽って。

「寿柱立万歳」(ことぶきはしらだてまんざい)は三河万歳の祝歌。明るく楽しく歌い踊るショートプログラムで観客を文楽の世界へ軽く導入して幕。
ついで解説コーナーは太夫と三味線の代表が登場。下手な漫才師など軽く凌駕する達者な語りと掛け合いで、それぞれの役割をギャグなどかましながら一通り解説し終わると、更に人形遣いへとバトンをつなぐ。人形遣いのチームが人形の仕掛けや遣い方の基本など面白く見せて文楽の基礎講座終了。
まあ、大人向きのギャグで笑わせる場面もあったが、あえて「社会人のための」とことわりを入れるほどの事も無く、そもそも平日の昼間に文楽の勉強しにくる社会人像って、国立劇場はどんな社会人をイメージしてるのだろうか。

締めくくりは「伊賀越道中双六」沼津の段。もとが荒木又右衛門、鍵屋の辻の仇討ちの大評判を受けて劇化されたものだと解説にある。ふーん。そうなんだ。とはいえ、この段に剣豪は登場しない。義理と因果に絡めとられながら、命がけで人としての筋を通そうとする周辺の人物達の悲劇が描かれる。登場するのは実家に戻った傾城と親兄弟。
人形のリアルな動き。元傾城、年寄り、男盛りと幅のあるキャラクターが、それぞれの存在感、生活感も確かな動作、所作で動く様は確かに生きているよう。三人に操られる人形。その頭の脇には首と右手を操る主遣いの顔。人形と人形遣いが雁首そろえているというのは、何と大胆な演出かとも思うのだ。

しかし、義太夫、清元、長唄、小唄、端唄、邦楽の催眠効果抜群で、ましてや襟を正してお勉強しようなんて柄でもない殊勝な心がけは、身に付かない分すぐ化けの皮も剥がれていつの間にか寝入ってしまった。字幕が出るのは大助かりだが、寄る年波には勝てないのである。全然教養がないので歯が立たないということもある。次回はいつになるか判らないが捲土重来を期して体調気力整えておこうかな、おきたいなと思いつつ、次の予定もあり、早めに退散した

2007/12/08

椿三十郎

オープニングの和太鼓が荘重な響き、というより仰々しいと感じてしまったところからヤバい感じはしていたのだが、始まってみれば織田裕二は、意外なことに思っていたほど悪くない。

黒沢の脚本をそのままに、キャラクター、絵作りまで模写しているので、場面ごとに脳内で再生されるオリジナルのイメージと見比べてしまうような感じになる。なるほどと納得させられながら気持ちがスクリーンに集中していけばよかったが、そうはならなかったのは若侍の集団に対する違和感。加山雄三の松山けんいちはともかく、田中邦衛のそっくりさんは目を剥いて口とんがらせて文句を言う表情がワンパターン。この劣化コピーに次第にイライラがつのって、演出のセンスへの不信が芽生えたら急に眠くなってしまった。
気がつけば最後の決闘が始まっている。エッ、何、どうしたの、普通は10分程度で目が覚めるのに、と戸惑いながら観た決闘はオリジナルとは違う趣向で、なかなか工夫されていた。リメイクというよりコピーという作りの中で、この殺陣は唯一の自己主張とみえた。ほとんど寝てたのによく言うよなのだが、やはり本家の緊迫感、迫力、寂寥感に及ばない。

2007/12/05

ナンバー23

ジョエル・シュマッカー はハズレの少ない職人監督で結構好きなのだ。伝奇風味な予告編にもそそられたし。ただ、ジム・キャリーってところに、期待も不安も感じさせるものがあったわけだが、行く気にさせてくれたのは12月1日、1000円ポッキリ映画の日なのだった。

動物管理局に勤めるウォルターが誕生日祝いに妻から貰った古本。そこには23という数字の謎と自分のこととしか思えぬ告白とが記されていた。著者の正体を突きとめ、謎を明らかにしようとするウォルターに不可解な出来事が頻発する。

歴史上繰り返し登場するという23の謎。メインタイトルになっている割りには雰囲気作り以外の役割はなく、本流は追いつめられる男のサイコなサスペンスなのだった。伝奇と思って見に行ったらサイコだったって面白けりゃ構わないが、これはそんなに面白くない。
ギャグを封印したジム・キャリーンのエキセントリックな演技。ヴァージニア・マドセン意外な良い人振り。役者の好演と見せ方の巧い演出で何とか観られるように仕立て上げてはいるが、脚本の弱さはいかんともし難い。


原題:The Number 23
監督:ジョエル・シューマッカー
製作:ボー・フリン/トリップ・ヴィンソン
脚本:ファーンリー・フィリップス
撮影:ロバート・プレスリー
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:ジム・キャリー ヴァージニア・マドセン ローガン・ラーマン 
   ダニー・ヒューストン ローナ・ミトラ リン・コリンズ

2007/12/02

ブレイブワン

突然の悪意と暴力に婚約者は殺され、一人生き残ったエリカ。恐怖と隣り合わせの毎日に手にした護身用の銃に命を救われた挙げ句、エリカは銃を手に悪党の粛正へと乗り出していく。

幸せの絶頂、瀕死の重傷、恐怖に怯え、実行犯となる。変化していく主人公をジョディ・フォスターは、抑制と雄弁を両立させた芝居で精妙に表現し、実に魅力的かつ印象的。怒りと逡巡をユニクロか無印かといったカジュアルファッションに包み、下司野郎に制裁を加える。相手は殺されて当然なやつらばかりとはいえ、ニール・ジョーダンがこの先どんな決着を用意するものか。ジョディ・フォスターなら、結論は反暴力しかなかろうと思いきや、正義感旺盛な刑事が絡んで、終幕は思いがけない展開を見せてくれた。
エッそうなの、そういう事なのと戸惑うほどに意外なエンディング。これじゃ例えば「キャット・ガール」やら「パニッシャー」やらと何ら変わらない。ニール・ジョーダンとジョディ・フォスターという組み合わせからは予想できなかったが、やりたかったのはDCコミックスの映画化だったのかと、トンネルを抜けての向こう側へと歩いていく主人公の背中を見ながら思い至った。ジョディ・フォスターの硬質な美貌に合うエンディングではあるけれど、しかし、こんな簡単な落ちで良かったのか?ジョディ・フォスター。
ウーン、アメリカンなのだ。

原題:The Brave One
監督:ニール・ジョーダン
脚本:ロデリック・テイラー
製作:ジョエル・シルバー、スーザン・ダウニー
撮影:フィリップ・ルースロ
音楽:ダリオ・マリアネッリ
出演:ジョディ・フォスター、テレンス・ハワード、ナビーン・アンドリュース、
2007年アメリカ映画/2時間2分
配給:ワーナー・ブラザース