2006/09/18

天使と罪の街 マイクル・コナリー

コナリーは良い作家で技巧を尽くすが、それほど巧い作家ではないと思っている。どんでん返しもディーバーが華麗ならコナリーは泥臭い。技巧的だがどこかアマチュアっぽい。しかし、それは持ち味であって決して短所ではない。セックスが下手だからってなんだてぇんだ、熱いハートこそがボッシュの生命線なんだし。

だけど、前作でバッジの無いボッシュは、敏腕プロデューサーのオフィスで自分をみすぼらしく感じたり、元同僚の妻への疑念から恥ずべき盗撮を行うなどの情けなさ。危惧すべき兆候が明らかだった。こんなボッシュは嫌だと思いながら読み終えた。長年に渡って共感を深め、無条件に支持してきたから、辛さも寂しさも覚えた。

「天使と罪の街」は、ポエット、マッケイレブ、ボッシュを一挙にやっつけちまおうという魂胆の野心作。マッケイレブが嗅ぎ付けたポエットの痕跡を、ボッシュが追うというプロットを、一人称と三人称の視点移動で構成していくという凝った作り。お馴染みのキャラクターの活躍で上巻過ぎれば面白さ更に加速し、後半はぐいぐい読ませる。コナリー、流石なのだ。

でもね、読んでる時は楽しくても、読み終わった後に感じるのは、どちらかと言えば面白さより。面白くなさ加減なのだ。失望と言う感じが近い。こうなるとコナリー好みの楽屋落ち的オールスターキャストも、却って子供っぽく感じてしまう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いか。それはともかく、

「ポエット」はとても良くできた作品だったが、今回は犯人からしてとても同一とは思えない動きの悪さ。FBIもポエットも、何をどうしたいのか分からないように見える。ポエットの狙いも行動もよく分からないまま、何故か自分のことで精一杯のボッシュだけが常に1歩先を読んでリードする。

ボッシュは流れる時間の中にいる。チャンドラーのリアリズムを受け継いだ変化するキャラクターだ。警官を取り締まる警官は一体誰が取り締まるんだと、内務監査を目の敵にするパブリック・アイ。そのセンスがボッシュの魅力だ。そんな男が警察を辞め、一体どんなプライベート・アイになったものか。それがシリーズ後半の肝。だと思っていたが、コナリーはあっさりとロス市警に復帰させる。大変結構だ。今時、ボッシュの望むような社会的使命を果たすに、私立探偵はあまりに非力だ。警官に戻るのは必然性がある。警官であり続けるのは二村英爾もしかり。それがチャンドラーの言うリアリズムに合致するってもんだ。

ただ、前作同様このボッシュには首をかしげる。マイクル・コナリー焼きがまわったとは思いたくないが、次作は納得できる展開を是非、迷える読者に与えて欲しいと願っている。

講談社文庫 上771円 下648円 06.8.11 1刷  

ユナイテッド93


2001年9月11日朝8:46、世界貿易センター北棟にAA11便が突入。9:03にはUA175便が南棟を直撃した。墓石と化した摩天楼を映すCNNに世界が震撼していた頃、9:37AA77便がペンタゴンに激突。4機目は依然飛行中だった。

管制から逸脱する不審機が複数のハイジャックへと発展し、更にあり得ない破壊行為へとエスカレートしていく混乱に、極限の対応決断を迫られる航空管制官達、軍関係者等の闘い。離陸から墜落までのUA93便の機内で繰り広げられたであろう闘いがタイトに描かれる。

ハイジャックされた4機の中、唯一、標的を捉え得ずペンシルバニア州ジャクソンビル郊外に墜落したUA93便が、サンフランシスコに向けてニューヨークを飛び立ったのはAA11便の突入に先立つわずか4分前の8:42。そこから墜落した10:03までを通して描かれた9.11。

緊迫感漲る航空管制官達の交信。リアリティーある93便の乗員乗客犯人達の人間描写。緻密な構成とシャープな映像の、見事に迫真的なドキュメンタリータッチで描き出された9.11の全貌。
ポール・グリーングラスの、痛みと共感と祈りの深さに裏付けられた秀作である。

原題:United 93
監督・脚本:ポール・グリーングラス
撮影:バリー・アクロイド
音楽:ジョン・パウエル
出演:ベッキー・ロンドン、シェエン・ジャクソン、チップ・ジエン、クロー・シェーン、クリスチャン・クレメンソン、
2006年アメリカ映画/1時間51分
配給:UIP

スーパーマン・リターンズ 


クリプトンに帰省したスーパーマンが地球に帰還した時、既に5年の歳月が流れていた。この間、ロイスは「スパーマン不要論」でピューリツァー賞を受賞!さらに結婚して1児の母となっていたのだった。果たして、今の地球にスーパーマンの居場所は有りや、ってところから始まるリターンズなのである。

正義と真実のため、日夜戦い続けてきたスーパーマンにしてこの扱いなのである。愛する人は子持ちの人妻となり、その上存在さえも否定されるのである。スーパーマンも人の子であれば、こんな仕打ちに耐えかねていっそダークサイドに身を投じたとしても不思議はない。そうなったとして、一体どこの誰がこの超人を責めることができようか、てなもんである。

がしかし、我らがヒーロー界にあって、頂点に君臨する男はそんな眼にあっても決してグレたりしないのだ。恨まず腐らず悪びれず、ただ正義と真実を守る為に、人々が必要と言ってくれる日を信じて身を粉にして闘うのである。ヒーローも生き難い時代への対応を迫られる嫌な時代に、愚痴ひとつこぼすでもなく自分の使命を果たそうとする。立派だ。

出世作Xメンの演出よりスーパーマンを選んだブライアン・シンガーだが、巻頭から透過3Dのタイトルロゴ、ジョン・ウイリアムズのテーマ曲、マーロン・ブランド、ジェフリー・アンスワースの麦畑等々、次から次に繰り出されるイメージは1978年のリチャード・ドナー版スーパーマンへの敬意に満ち満ちている。

あれがほんとに大好きなんだなぁという感じが色濃いが、でも、全然構わない。ヒーローはよりパワフルだし、助走なしのフライングもスピードと安定が増して格好良いい。ケビン・スペイシーのレックス・ルーサーもジーン・ハックマンより大物感があって大変結構。ロイスがもっと魅力的だったら、切なさ増した結構な大人の恋愛映画にもなったものを、と惜しまれた。



ちなみに、76年「キングコング」77年「スター・ウォーズ」78年「スーパーマン」という順序で制作公開された3作品、約25、6年たって、時を同じく完結、リメイクってのはシンクロニシティーかノスタルジーか企画の貧困か単なる偶然か分からないが、何かと興味深い。


原題:Superman Returns
監督:ブライアン・シンガー
脚本:マイケル・ドアティー、ダン・ハリス
撮影:ニュートン・トーマス・シーゲル
音楽:ジョン・オットマン
出演:ブランドン・ラウス、ケイト・ボスワース、ジェームズ・マースデン、フランク・ランジェラ、エバ・マリー・セイント、ケビン・スペイシー
2006年アメリカ映画/2時間34分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2006/09/10

Xメン/ファイナル・ディシジョン


自分の命と引換に仲間を助けたジーン。ジーンを失ったXメン達は立ち直れずにいた。そのころミュータントを無力化させる新薬が開発される。マグニートーは危機感を募らせ、プロフェッサーとの対立は一層激化し、全面戦争に突入する。しかし、Xメンの前に立ちはだかったのは他でもない、超絶的な怒りのパワーとともに蘇ったジーンその人だった。

いや、参りました。最高かこいい。
あの人もこの人もバタバタと消えていく劇的な展開だが、行動の心理的裏付けがしっかり描かれているからドラマが盛り上がる。ドラマが盛り上がるから超能力戦に一層の説得力が生じ、見せ場が見せ場としてのドラマ的意味と視覚的価値を発揮している。緩急も観客の心理によく対応し、無理なく乗せられる。乗せられたままあり得ない怒濤のクライマックス。超絶サイキック戦のVFXを最後の泣かせる大芝居へと見事につなげた技にも痺れた。

シリーズ前2作のブライアン・シンガーが「スーパーマン」へ、「スーパーマン」をやるはずだったブレット・ラトナーが「Xメン」へと変わったという事情があったらしいが、どちらも素晴らしい仕上がりで誠に喜ばしい。ブレット・ラトナーには大満足だ。

原題:X-Men: The Last Stand
監督:ブレット・ラトナー
脚本:ザック・ペン、サイモン・キンバーグ
撮影:ダンテ・スピノッティ
音楽:ジョン・パウエル
出演:ヒュー・ジャックマン、ハル・ベリー、ファムケ・ヤンセン、イアン・マッケラン、パトリック・スチュアート、
2006年アメリカ映画/1時間44分
配給:20世紀フォックス映画

2006/09/03

グエムル/漢江の怪物 


白昼、河川敷の市民は突然正体不明の怪物に襲われる。蹂躙を尽くした怪物は多数の死傷者を残し漢江に姿を没し、市民はウイルス感染の恐れから強制隔離される。怪物に一人娘を殺され、悲嘆にくれる父親に当の娘から携帯に連絡があり、当局に訴えるが取り合ってもらえない。娘の生存を確信した家族は独力での救出に立ち上がる。

前評判の高い韓国発怪獣映画は、怪物相手に孤軍奮闘する家族の姿を通して、家族の素晴らしさと情けない中年男の自立と再生とを描いている。それ自体に何の異論もないが、シチュエーション設定やキャラ造形の全てがその一点に向けられていて、怪獣の魅力はおいといて、はなはだ興をそがれた。

相当な人的被害が出てるにもかかわらず、怪物に対するマスコミ警察軍隊の反応がウイルス汚染対策だけというのでは、タマちゃん一頭で連日大騒ぎをした日本国民を説得するリアリティーには欠ける。ソン・ガンホの駄目オヤジ振りも、巧みな程にかえってあざとくも感じらる。

カメラに写っているところはしっかり描かれているが、その裏で世界がきちんと機能してる様子はなく、テーマに都合の良いようにしか動いていないのが弱点。止めの一撃で人間と怪獣の体重差が考慮されてないのも象徴的なのだが、要は個と全体の描き方が感情的すぎ、バランスも悪いのだ。

怪獣の造形と生態は見応えがあり、お祖父ちゃんと孫娘と叔母さんはとても魅力的。

英題:The Host
監督・脚本:ポン・ジュノ
脚本:ハ・ジョンウォン、パク・チョルヒョン
撮影:キム・ヒョング
音楽:イ・ビョンウ
出演:ソン・ガンホ、ペ・ドゥナ、ヒョン・ヒボン、パク・ヘイル、コ・アソン
2006年韓国映画/2時間
配給:角川ヘラルド映画

マイアミ・バイス


マイケル・マンがTVシリーズの製作総指揮だったとは知らなかった。それにしては、と言うべきか、だからというべきかTVとは随分違う。オリジナルが陽気な洒落者コンビだったのに比べると、ジェイミー・フォックスとコリン・ファレルは陽気でもなけりゃ洒落てもいず、笑顔のひとつみせるでもなく、ジョークのひとつも口にすることなく、正体不明の麻薬王をあぶり出すべくシリアスにハードな潜入捜査に邁進しするのだった。

前作「コラテラル」が快調だったマイケル・マン、その余勢をかって自らのヒットシリーズをリニューアルという感じなのだろう。スタイリッシュな画作りで力の入った演出なのだが、いまいち盛り上がらないのだなぁ。それというのも、コリン・ファレル、ジェイミー・フォックス、コン・リーに魅力がない。いつまでたってもちんぴら感が消えないファレルがやたらいきがって、しかもむさ苦しいし、コン・リーのキャリアウーマン風には輝きもなけりゃ説得力もない。

ストーリーと主演の3人を除けば、魅力的な画は随所にある。壮大に盛り上がった雲間を飛行するプライベート・ジェットと捉えたグラマラスなショット。イグアスの滝の大俯瞰も素晴らしい。マイケル・マンのタッチは悪くないのだが、脚本がもっと良くて、主役三人全取っ替えで、ゴージャス感があって、あと30分短かったら楽しめたこと請け合い。

原題:Miami Vice
製作・脚本・監督:マイケル・マン
製作:ピーター・ジャン・ブルージ
撮影:ディオン・ビーブ
音楽:ジョン・マーフィー他
出演:ジェイミー・フォックス、コリン・ファレル、コン・リー、
2006年アメリカ映画/2時間12分
配給:UIP