2009/10/04

コースト・オブ・ユートピア ユートピアの岸へ


12時開演で幕が閉じるのは22時20分過ぎという芝居。休憩時間を引いても実質9時間を越える上演時間。この間狭い椅子に括りつけられたような状態で果たして快感が得られるのかと疑念も湧いたが、いつも刺激的な蜷川の演出への期待とミーハーな好奇心もあってチケを分けてもらったのだった。しかし、万来の拍手とともに客席とステージが一つになったカーテンコールの高揚感の中で、これはなにより9時間にわたる着席のたまものと納得がいった。

ロシア革命の先駆的役割を果たした若き理想主義者達の青春群像。彼らの30年間が時代とともに「船出」「難破」「漂着」とした3部構成でじっくり描かれる。メインキャラクターは阿倍寛のロシア初の社会主義者となるゲルツェン。対抗が勝村政信の貴族出身の革命家バクーニン。この二人を始め登場人物の大半が口にするのは理想主義的な観念論が多く、長広舌ともなるとぼとんどアジ演説と化すようなのだが、じゃあこれが退屈かというとそうではなく、実に面白いのだ。膨大な台詞がハイスピードで流れて行くが深みのある内容が気の利いた言葉で語られてグイグイ惹き込まれる。演劇とは台詞を聴かせるものだと、当たり前のことに改めて気付かされる。

脚本の深さと翻訳の凄さが阿部寛や勝村政信の台詞からダイレクトに伝わってくる。蜷川の常連俳優流石の力量なのだ。別所哲也のツルゲーネフも悪くなかったが、エキセントリックな笑い方が誰かに似ているのが誰だか思い出せず、笑う度に凄く気になったのには困った。後半は笑わなくなったのでとても助かった。後で「アマデウス」のトム・ハルツだったと思い至った。男優で一際輝いていたのは意外にも池内博之。芸術とは何かと問い続けて止まない不器用な文芸批評家を演じ、観念的な台詞にほとばしる情熱を通わせ、更には存在の悲哀といった気配までも漂よわせる。実に魅力的で見応えがあった。

男達がどれだけ天下国家を論じようと、夫を我が子を恋人を愛し慈しむ女達が現実の世界を支えている。理屈に殉ずる男と愛に生きる女達。様々な愛の形を浮き彫りにする女優達もまた美しい。いや、きれいな女優さんが美しく装うと本当にきれいだなぁとこれも改めて実感させられたのも今回の収穫。美波のキュートさや京野ことみの華も印象的だったが、とりわけそのゴージャスでエレガントな美しさと並々ならぬ存在感に圧倒されたほとんどエヴァ・ガードナー級の麻美れい。声高で演説口調が多い中で、発声は明瞭で口跡は美しい。優れた台詞回しのニュアンス豊かな表現がお見事。話は逸れるが、こういう素晴らしい女優さんが映画に出ていないのは日本映画の損失だ。とは言え、きちんと使いこなせるとしたら黒沢明級の実力は必要だろうが、こういう人の魅力を十全に引き出すような大人の作品が無いことには、今に始まったことではない日本映画界の本質的な貧困さも感じてしまうのだ。

客席を大幅に取っ払って舞台を設え、本来のステージ上はすべて客席にしたコクーン内部。脚本の緻密さに大胆な演出で応ずる蜷川。楽屋も兼ねたステージ上では暗転の間に着替えもする役者達。勝村の横っ面に佐藤江梨子が容赦のないビンタを張ったのには驚いた。毎回あれではどちらも大変だろうと同情するところだが、気迫が漲り、アドレナリン分泌しまくっているような充実感を溢れさせた役者達が満席の観客を9時間に渡って力強く牽引したこのステージ全てが、阿部寛の台詞に込められたメッセージを見事に具現化していることにも感動した。

10.3 A-19
シアターコクーン

脚本:トム・ストッパード
演出:蜷川幸雄
出演
阿部寛 勝村政信 
石丸幹二 
池内博之 
別所哲也 
長谷川博己 
紺野まひる 
京野ことみ ヴァレンカ 
美波  高橋真唯 
佐藤江梨子 水野美紀 栗山千明 
とよた真帆 
大森博史 
松尾敏伸 
大石継太 
横田栄司 
銀粉蝶  毬谷友子 
瑳川哲朗 
麻実れい