2007/03/27

蟲師

人に取り憑き様々な悪さをする蟲と、蟲に取り憑かれた人の癒しを生業とする蟲師ギンコ。ギンコは、人々の穢れをはらうように蟲払いを続けるが、自分が何処から来たのか知らなかった。

終末の光景を描かせたら並ぶ者の無い天才絵師大友克洋が、漆原友紀の人気マンガを原作に実写で挑んだのは、オカルト風味のスピリチュアルなファンタジー。

銀髪のオダギリジョーは静かな佇まいが魅力的。子供時代の少年も良い演技だ。全体に、配役と演技は、江角マキコを除いて申し分ない。特に李麗仙とリリィの風格は素晴らしい。

ロケーションも効果的で、丁寧な撮影により、自然の大きさと奥行きが良く表現された厚みのある画面が魅力的だ。そこにCG表現の蟲が加わるのだが、蟲の描き方自体にもっとグラフィカルな魅力が欲しかった。

ミイラ取りがミイラになって解放されたいと願う、というお話は分かるが、もっと情緒を抑制して描いた方がバランスよく説得力も生まれたんじゃないかと思うのは、やはり、江角マキコのキャラの浮き加減からくる印象なのだ。

監督・脚本:大友克洋
脚本:村井さだゆき
原作:漆原友紀
撮影:柴主高秀
音楽:蓜島邦明
出演:オダギリジョー、蒼井優、大森南朋、江角マキコ
2006年日本映画/2時間11分
配給:東芝エンタテインメント

2007/03/25

デジャヴ

トニー・スコットは、スカしたカメラワークで見せる歯切れよい語り口が身上の職人監督だ。タイトなアクションで攻めきるスタイルは、大作主義のお兄ちゃんとは対照的だが、細部の甘さと安定感は兄弟共通。常連デンゼル・ワシントンとは息もピッタリ。

で、今回はいきなり大規模テロ事件勃発。ATF(アルコール・タバコ・火器局)捜査官デンゼル・ワシントンにFBIバル・キルマーが絡んで摩擦、陰謀に難渋する展開と思いきや、やはり、そういう月並みはトニー・スコットじゃない。

そう、いつだって、ファッショナブルなハイセンス好みの弟だから、もっとスマートでクールな絵造りになって当然。ところが起承を受けた転のトンデモ振りと 結の大バカ振りは、こちらの凡庸な脳みそを軽ーく一蹴するスケールの大暴走。ソッそーなの。いや、確かに、そーゆー映画もありますよ。ジャンルも形成してます。この展開、全然問題ないすよ。

なにより面白いんだこれが。先は読めないし、ドキドキさせるし。流石トニー・スコット。ブラッカイマー印を忘れてた訳ではないけど、この二人をデンゼル・ ワシントンの良識が二人を抑制するってな感じを抱いてたこちらがバカだった。製作監督主演、喰えないトリオが大真面目に挑んだ大バカ映画は要所要 所訳分かんないが、エンディングのカタルシスも充分だし、後味もよろしい。誠に結構なお手前、堪能致しました。

原題:Deja Vu
監督:トニー・スコット
製作:ジェリー・ブラッカイマー
脚本:ビル・マーシリイ、テリー・ロッシオ
撮影:ポール・キャメロン
音楽:ハリー・グレッグソン=ウィリアムズ
出演:デンゼル・ワシントン、バル・キルマー、ジム・カビーゼル、ポーラ・パットン、ブルース・グリーンウッド

2007/03/23

「日本美術が笑う」展

午前中は地元で義父の墓参。午後からは両親の墓参に大井町まで。電車の中ではロング・グッドバイを読むが、気がつけばトロトロしている。寝不足のせいだが、清水訳よりはるかに饒舌なマーロウのせいだったかも。
形通りの墓参。若い時は軽んじていたが、最近は素直に手を合わせている。ほんと、いつの間にか歳取っちゃったんだよなぁ。

大井町から品川経由恵比寿下車、日比谷線の改札でSuicaを試してみる。無事通過できてホッとする。六本木下車。

日本美術が笑う展 森美術館
日本美術を「笑い」を軸に縄文から20世紀初頭までを通観しようという試み。一般的にユーモアはシリアスより軽んじられる。美術作品も例外ではないから、これはチャレンジングな好企画と言える。

実際、巧みに構成編集された展示には、するするっと方向付けられ、そのまま啓蒙されてしまうような説得力があるが、自分で、笑える作品と笑えない作品に分類しながら見るのも楽しい。

埴輪の動物達の、愛すべき稚拙さといった味わいに心和ませられるし、洛中洛外図の大胆なる稚拙さ加減には、その正々堂々とした臆面の無さがいっそ痛快で、この企画の目玉のような勢いもあった。あれは反則だと思うんだが。

後半の 笑い展 は理論的裏付けが必須の現代美術だけに、うーん現代の社会的病理現象っぽい作品が沢山、笑える作品は少なく、結構疲れてしまった。

2007/03/22

パフューム/ある人殺しの物語

18世紀のパリ。悪臭まみれの都に花開いた香水文化。類い稀な嗅覚を持って生まれ落ちた男の数奇な運命が、究極の香水への扉を開く。

うーん、これは面白い。とにかく絵が優れている。冒頭、猥雑な活力に溢れたパリの市場から絵の厚みが素晴らしい。最近では、ロマン・ポランスキー の「オリバー・ツイスト」が入念なロンドンを再現していたが、このパリのねっとりした密度と奥行きのリアリティーはちょとした見ものだ。

衣装デザインと美術の素晴らしさだけでも、この作品には観るべき価値がある。と言いたいくらい、この作品のビジュアルの魅力に惹き付けられた。グロテスクとは美だという事がよく表現されているのもうれしい。艶のある豊かな画面に 感傷や情緒をきれいさっぱりと排除した語り口の、クールでドライな肌触りも心地よい。 主人公の遍歴の哀しさが思いがけないウネリとなって周囲を変化させるが、全ては本人へと還ってくるというドラマにも、巧妙な伏線がめぐらされ、意表をつく展開で、エンディングの情感を見事に高める憎い作りではある。

ダスティン・ホフマンとダスティン・ホフマンが 登場するシーンの美術が素晴らしい。 アラン・リックマンはあのくぐもった声も大好き なので、文句を言う事も無いのだが、 登場人物たちがフランス語だったら一層よかった。ともあれ、美しさと哀しさを基調に、時に皮肉なユーモアを交えながら、ヤバい話をヤバい絵柄で見せる2時間半、主人公の一生は観る者を感動へと導いてくれる。どんな感動って、こちらに刃を突きつけてくるような、曰く言い難い感動なのだ。

原題:Perfume: The Story of a Murderer
監督:トム・ティクバ
原作:パトリック・ジュースキント
脚本:トム・ティクバ、ベルント・アイヒンガー、アンドリュー・バーキン
撮影:フランク・グリーベ
出演:ベン・ウィショー、ダスティン・ホフマン、アラン・リックマン、レイチェル・ハード=ウッド
2006年ドイツ=フランス=スペイン/2時間27分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

2007/03/18

トミー TOMMY  日生劇場 3/16


1月に観た「朧の森に棲む鬼」は、いのうえひでのりの演出が冴え渡った素晴らしいステージだった。 休む間もなくいのうえが3月にTOMMYを演出することを知って、The Whoもケン・ラッセルもリアルタイムだが、アルバムも映画も無縁にきたもので、TOMMYへの思い入れも特には無く、単に、いのうえひでのりの演出観たさでチケットを買う。

http://blog.eplus.co.jp/tommy/

父親の殺人を目撃し、以来感覚を遮断、三重苦となったトミー。外界との接点を閉ざした少年は長じてピンボールゲームの才能を開花させ、天 才的プレーヤーとして世界の頂点に立つ。更に三重苦から解放され、奇跡の教祖として祭り上げられるが挫折。そのどん底に真の解放が訪れる。

いのうえは「メタル・マクベス」のバリエーションとも言える手法の、LEDスクリーンの映像を駆使し、スピーディーな場面転換でグイグイ押し てくる。大掛かりなセットを組んだメタルマクベスでは、あくまで補助的な役割だったスクリーンだったが、今回はセットに変わる背景として全場面を支えている。状況設定も明瞭だし、転換はスピーディーだが、見慣れてしまえば舞台の演出として手抜き感は否め無い。その分、小道具のデザインや使い方はポップで、おもちゃ箱をひっくり返したような勢いはある。

客席はロックと言うよりクラシックのように静かだったが、変態右近やサディストROLLYのパフォーマンス辺りからテンションは上向き、「The Acid Queen」で完全にスイッチが入った。更に「Pinball Wizard」で盛り上がりは最高潮に。名曲には人を動かす力がある。名曲たる所以だ。

ステージ客席が一体となった「Pinball Wizard」で15分の休憩となったが、むしろこのまま突っ走ってほしかった。後半は展開がシリアスでテンションも低めに推移するため、前半の高揚感が後半へと繋がり難いのは当然にしても、TOMMYの内的な成長など説明的に流れるだけで今ひとつ迫ってこない。ま、キャラクテーも記号的だし、情緒的な盛り上がりは狙いの外なのだろう。トミーの両親には両親という記号以上の演技は求められていなかった。というような意味ではステージ全体のアンサンブルはバランスがとれていたと思う。衣装デザインが以外と面白くなかったこと。個人技ではROLLYのヤバい存在感に魅力があった。

THE WHO’S「トミー」
■演出:いのうえひでのり
■出演:中川晃教 / 高岡早紀 / パク・トンハ / ソムン・タク / ROLLY / 右近健一 / 村木よし子 / 斉藤レイ / 他
■訳詞:湯川れい子 / 右近健一■翻訳:薛 珠麗■

ゴーストライダー


2週連続全米トップの興行収入ってことで、期待していた。プロローグからメインタイトルへの流れがコンパクトでテンポも良く、こりゃ良いやと思ったが、そこから先はそれほどの高揚感も無く、終わってみれば、どうしてこれが2週連続トップなんだか分からない。

ニコラス・ケイジの見るからにヅラと分かるヘアには集中力を途切れさせるパワーがあって、意識を物語へ没入させられなかった。ガイコツになってる 時はビジュアル的な面白さで楽しめるのになぁ。エバ・メンデスは相変わらず何処に魅力があるのか分からない。地獄から来た悪魔の息子もお下劣な馬鹿で美 しさにはほど遠い。

所々にB級の心意気を感じさせる良い場面もある。ピーター・フォンダの怪演も大いに魅力的だし、昔懐かしいウエスタンの味わいも楽しめる。がしか し、何と言うか、締まらないのである。これもひとえに、ニコラス・ケイジのヅラの使用が裏目に出ているのである。続編を作るなら、ズラの技術をより高め、 脚本家を変えるぐらいはして欲しいものである。

原題:Ghost Rider
監督・脚本:マーク・スティーブン・ジョンソン
撮影:ラッセル・ボイド
音楽:クリストファー・ヤング
出演:ニコラス・ケイジ、エバ・メンデス、ウェス・ベントリー、サム・エリオット、ピーター・フォンダ
2007年アメリカ映画/1時間50分
配給:ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

2007/03/11

村上春樹訳 ロング・グッドバイのあとがき

村上春樹が訳したというだけで充分なのだが、巻末には90枚に及ぶ訳者のチャンドラー論が収録され、その中で、細部が大幅に刈り込まれていた清水訳に並ぶ完訳本としての存在意義も主張している。今迄読んできたのは、清水俊二が恣意的に刈り込んだ「長いお別れ」で、チャンドラーの意図した全ては、願っても無い訳者を得て、今回本邦初公開の運びとなったということ。いやぁ、誠に感慨深くもあり、望外の喜びという他ない贈り物だ。

本文はさておき、早速巻末の訳者あとがきに目を通した。
チャンドラーの文章からその特質を説き起こし、「ロング・グッドバイ」の作品論からグレート・ギャッツビーとの相似性を明らかにして行く展開は、 従来のチャンドラー像、チャンドラー研究を更新する斬新さ。切り口の鮮やかさとともにこの本全体を通してのクライマックスともいえるスリリングな面白さにあふれている。チャンドラーの評伝としての完成度も見事で、本編はさておき、この簡にして要を得た巻末解説は凄い読み応えだ。何より今迄に読んだ数あるチャンドラー論の中でも文句なしに最高水準のものだ。

今年はディーヴァーのチャンドラー論に触れる事ができたのも楽しかった。その上に村上のチャンドラー論が読めるというのも夢のようだ。そのディーヴァーはジャンルを越えた作家とチャンドラーを評していた。村上もディーヴァーと同じ事を、ジャンルとの関係などはじめから無視することで表している。というのも、この本のカバーにも、解説の文中にも、何処を探しても ハードボイルドのハの字も無い。早川が出すチャンドラーにハードボイルドの表記が無い。これは、名代の大看板下ろすようなもので、世が世なら考えられない事態ではある。しかし、早川の営業戦略には今回その必要がなかったのだろうことは容易に想像がつく。村上にとっても、それは同様で、その気持はよくわかる(ような気がする)。

フンデルトヴァッサー展  日本橋三越

バウムクーヘンの断面を塗り分けたような、層の厚みとともに記号化された事象。戦闘的、挑発的、スキャンダラスなフンデルトヴァッサーの作品から、版画とドローイングを中心にした展示。

メタルカラーや対立的な配色、奔放な色使いなどのヤバい要素がよくコントロールされ、魅力的な画面になっている。発色の鮮やかさとデザイン的な面白さで見せる版画が特に素晴らしい。

浮世絵の彫りと刷りの技術の素晴らしさを改めて教えてくれる木版のシリーズと、雨をめぐる叙情的なストーリーを大胆なイメージで展開した孔版の連作はこの展示の白眉だった。

会場の日本橋三越は日本の百貨店文化の頂点に君臨している店だ。展示会場の外側の壁に「自然に優しく」をテーマに募集された小学生の絵がびっしり 貼り出されてされていたが、これも主催者側のエクスキューズに思えてしまうくらい、この風格ある老舗とフンデルトヴァッサーの組み合わせにはミスマッチ感 が強い。
そんなことも全部ひっくるめて、刺激的で面白い展示だった。休日の昼時、混雑もなく、いい感じで観る事ができた。3/3

ドリームガールズ

モータウンサウンドの盛衰をバックステージから観て行く面白さ。ミュージカルとしてはダンスらしいダンスシーンは無い。ステージパフォーマンスとサウンドでモータウンの魅力を描いていく。

ジェイミー・フォックス演じる野心家の辣腕プロデューサーは、黒人色を排した音造りで大衆性を獲得するのが成功への近道と、犠牲を顧みぬ強引な仕切りで栄光への道を拓いていく。
実力故に外されるジェニファー・ハドソン。一方ルックスの良さで優遇され、一挙にスターダムにのし上がって行くビヨンセ。下降と上昇のキャラの対比がドラマを盛り上げる。
ジェニファー・ハドソンは悲劇を劇的に歌い上げて大した迫力。歌唱力は確かに素晴らしい。ジェニファー・ハドソンに比べると、ビヨンセには演技的な見せ場が乏しかったが、だからといって、悪く言われることはない。なにより画面を華麗に彩るのはビヨンセの見事なパフォーマンスだ。

エディー・マーフィーは、芸に行き詰まった歌手という野心的な役柄を熱演したが、あのエディー・マーフィーがとは思いつつ、それほどの魅力は無かった。脚本の問題だと思うが、エディー・マーフィーに限らず、ドラマの割に、キャラが立たないのである。それぞれが何考えてるのかよくわからないのだ。最たるものがジェイ ミー・フォックスのプロデューサー。歌唱表現から伝わってくるような深みがドラマ的には不足していた。 ジェイミー・フォックスはミスキャストだ。

楽曲はどれも楽しく、特にワン・ナイト・オンリーはどちらのバージョンとも素晴らしかった。

原題:Dreamgirls
監督・脚本:ビル・コンドン
製作:ローレンス・マーク
撮影:トビアス・シュリースラー
音楽:ヘンリー・クリーガー
出演:ジェイミー・フォックス、ビヨンセ・ノウルズ、エディ・マーフィ、ジェニファー・ハドソン、アニカ・ノニ・ローズ、ダニー・グローバー
2006年アメリカ映画/2時間11分
配給:UIP