2008/05/25

アフタースクール

金曜朝日の夕刊に大絶賛の評。それに惹かれて初日の最終回に出かけた。22:50という遅いスタートだったが結構席が埋まっている。多分同じような人が複数いたかな。この時間、寝そうだと思ったらやはり寝てしまった。

終わってみれば、断片化した全体像を再構成する、その仕掛けと見せ方が作品の眼目だったから、寝たのは最悪だったがキャスティングのセンスよさ、カメラ、演出の安定感など、入念に作り込まれた作品ならではの魅力は充分伝わってくる。

意外な事実とユーモラスな人の動きに脱力感ただようクライマックスは、ジグソーパズルのピースがしかるべき場所にどんどん収まっていくような小気味良さ。観客を騙すことを至上としながら、全てが説明仕切れていないため、釈然としない部分も残り大絶賛はしないが、終盤の展開は切れ良く、謎解きには本格推理ならではの面白さもあった。幕切れの気持ち良さと後味は大人ならではの爽やかさ。

大泉洋、堺雅人はバランス良く新鮮。佐々木蔵之介の奥行きがいい感じだった。

監督・脚本: 内田けんじ
撮影:柴崎幸三
音楽:羽岡佳
出演:大泉洋、佐々木蔵之介、堺雅人、田畑智子、常盤貴子、北見敏之、山本圭、伊武雅刀
配給:クロックワークス
2007年 1時間42分 

2008/05/22

文楽五月公演 第一部 第二部

鎌倉三代記 
鎌倉時代の出来事として語られる、家康対真田幸村の知略を尽くした攻防は、敵の大将に間違えられ額に入れ墨をほられた偽者が実は本物という「入墨の段」。お局が千姫の奪還に向かう「局使者の段」。病人介護と家事労働にいそしむ千姫の「米洗ひの段」。孝より忠と母の教えは命がけの「三浦之助母別れの段」。父より夫が嫁の道「高綱物語の段」。という具合。

最近寝不足気味なので、電光掲示で字幕も出るし、プログラムは床本つきだが、義太夫聞きながら絶対寝ちゃうなとイヤホンガイドも借りて臨んだ。自分でも過剰防衛と思うが、義太夫には手強い感が強い。しかし、時代物の名作と謳われるだけあり、「入墨の段」のようなややこしいものから「三浦之助母別れの段」泣き落としまで庶民感覚も豊かな分かりやすいお話を、多彩な人形の動きとともに面白く見せてくれる、少しばかり船をこいだが、眠りに落ちる事なく見終えられてよかった。
 
増補大江山 戻り橋の段
渡辺綱の鬼女退治。高貴で雅な女性の顔が一瞬で恐ろしい般若に変わり、腕に覚えの綱との死闘が繰り広げられる。ヒロイックアクションホラーなファンタジー。スケール大きくダイナミックなクライマックスも楽しい。

第二部

心中宵庚申 上田村の段 八百屋の段 道行思ひの短夜
近松の世話物。嫁が気に入らぬ姑が腹ぼての嫁を追い出しにかかるが、夫は養子で気丈な義母に逆らえず、思いあまって恋女房殺し腹かっ捌いて死出の旅立ち。
 これは初心者にも分かる太夫の語りの素晴らしさ。重厚であり軽妙な心理描写と人物の演じ分け。魂を得た人形の品格と優美な物腰。意地悪な姑のキャラの立て方が効果的で、全体の流れを引き締め、シンプルな悲劇に豊な陰影を与えた。太夫が交代した後半、二人が死んで行くさまは、人形とは思えぬというか、人形ならではといいうか分からないが、死を演じている人形の、まるで哀切さが結晶化したかのような迫力と美しさに、客席も粛然となった。

北條秀司 十三回忌追善
狐と笛吹き『今昔物語』より
北條秀司=作
植田紳爾=演出
四世鶴澤清六=作曲
狐と人間の道ならぬ恋路。契ったら死ぬという掟に身悶えするプラトニックな狐と人間という、考えてみれば不思議な話だが、都の四季を背景に、雅な王朝絵巻は美しかった。狐の人形というのも変だが、文楽の狐も可愛い。
5.21

2008/05/21

魔都に天使のハンマーを   矢作俊彦

サブタイトルにあるように「傷だらけの天使・その後」なのである。ショーケンと水谷豊のコンビが一世を風靡した人気TVシリーズ。見ていなかったので詳しいことはしらないが、水谷豊の「アニキー」が流行語になったことは覚えている。しかし、矢作のノベライズには驚いた。ノベライズするほど矢作は「傷だらけの天使」が好きだったというのも凄く意外だ。

お話は、30年前水谷豊が死んで以来、世捨て人同然で生きて来たショーケンが、身に覚えのない事件に巻き込まれ、ホームタウンに舞い戻って30年の空白に戸惑いながら真相を究明するという、「ららら科學の子」のリメイクとも焼き直しとも言った内容。
「ららら科學の子」は全共闘運動中に殺人の罪を疑われて中国に逃亡し、文革後を生き延び30年後に帰国した男の目を通し、平成日本の有り様を検証するという話で、姿を現さない親友や消息不明となった妹など配しながら「さらば愛しき人よ」の巧妙な本歌取りの面白さもあるが、その年の三島由紀夫賞を受賞している真面目な作品。
今回、中国帰りの政治犯から元チンピラのホームレスへと主人公の変化はそのまま内容に直結しているが、適度なユーモアで料理された社会批評の鋭さは変わらない。新宿に戻った初老の不良が大人げなく突っ走る勢いの良さは、何処をとってもエンターテインメントに徹した作り。派手なネット犯罪の扱いなどの今日性など「ららら」では描ききれなかった点かもしれない。因縁深めたキャラ設定といい、完成された世界観の中に遊ぶ事を矢作自身がのびのびと楽しんでいるのは凄く意外だが、結果的にノリの良い楽しい作品になっている。

2008/05/20

小説現代特別編集「不良読本」

全575ページ 定価1200円也のソフトカバー。
それにしたって今時「不良読本」ってどうよ、なのである。一体どんな読者を想定したものやら。不良なんてなぁ死語もいいとこ、読本に至っては返す言葉も見当たらない。100歩譲ったとして、読者対象から真っ先に外れるのは現役の不良だろ。元不良にしたって、元という以上は立派に更生してる相手に何を今更、不良読本などと失礼にも程がある。

不良という言葉が生きていた頃、ワルにもなれずもてもせず、不自由でかっこわるい不完全燃焼な青春を昇華できぬまま、ついにリタイアの時を迎えることになった、不肖、私のような団塊世代のスクエァなオヤジの感傷に訴えようかという商魂が見え見えの作りなのである。でなければゲッツ板谷の方が余程気が利いている。チョイワルとかいってオヤジを煽て、これを着ろだのあれを持てだのと格好良さを指南するなんて雑誌が結構売れてしまったという、実にどうもべけんやな時代の、チョイワル気取りに恥ずかしさを上塗りするような本なのだ。両手をポケットに突っ込んだショーケンが苦みばしった顔で正面見据えた表紙など、だから、真っ平ご免、スルーが当然。全くお呼びでないのである。が、しかし、ショーケンの頭上に刻みこまれた「傷だらけの天使リターンズ 魔都に天使のハンマーを 矢作俊彦」の太ゴチは一体何!

悪質なんだよなぁ。傷つくんだよなぁこういうの。全575ページのうち正味300pが矢作の分。他は浅田次郎、椎名誠、花村満月等の功成り名を遂げた元不良達のエッセイやら良く知らない不良作家達の短編が並んでいる。何これ。300pもあるんだから文庫でもノベルズでも矢作で出しゃいいじゃん。何でこんな体裁にする必要があんのさ。結局、矢作読みたいばっかりにこんな抱き合わせつかまされる矢作ファンこそいい面の皮なのである。

2008/05/17

ゼア・ウィル・ビー・ブラッド

金鉱探しのはずが石油を掘り当てた山師ダニエルは、それを足がかりに、近代化へ向かう時代の波に乗り、行く手の障害をことごとく押しつぶすように事業を推し進め、自らの王国を築き上げる。

巻頭、金鉱堀りのシークエンスから生理的な痛みを伴うような映像。「ノーカントリー」もそうだったが、こちらの方が痛み持続する嫌な感じ。その後の物語の進行に伴い、痛みは個から全体へ、直接的なものから間接的なものへとシフトして行く。この流れを、時に暴力的な音の付け方で強力にサポートする音楽が抜群で印象的。
ダニエルの事業の成長拡大と状況の変化が様々なエピソードの集積として描かれる。エピソードとは、地権者の買収、事故、教会との確執、企業間競争、親子の断絶等等々、すべからくトラブルであり、ダニエルはそれを乗り越え、更に前進しなければなければならない。地面から滲み出てくるねっとりとつややかなオイルと、掘削作業中の事故で流される血は混じり合い区別もつかず、掘り当てられた石油が噴出するのは歓喜すべき瞬間のはずだが、そのエネルギーによって一人息子は障害を負うことになる。事業の成功はダニエルに富と権力をもたらし、自我の肥大と同時に多くのものが失われて行く。

ほぼ同時代のテキサスを舞台にしたジョージ・スティーブンスの「ジャイアンツ」では、ジェームス・ディーンが成り上がりの石油王として登場し、巨万の富を得ても望むような幸せを得られない人物を演じていた。とはいえ、あの時代、石油はまだ富と栄光をもたらすものと位置づけられていたのだ。しかし「ジャイアンツ」の50年前とは打って変わって、ベトナム、湾岸戦争から911を経た今日、ポール・トーマス・アンダーソンの描く石油には死と厄災の影が色濃い。ダニエル・デイ=ルイスがナビゲートするオイルよって描かれたアメリカの現代史。結局のところ、アメリカという国体に流れているのはオイルという名の血液であり、それはこの120年の間、アメリカ全土にどんな栄養を行き渡らせ、同時にどんな病を運び込んだのか。

俺は全てであり、全ては俺のものだとばかりに有無を言わせぬ迫力で押しまくる、アカデミー主演男優賞の栄誉に輝いたダニエル・デイ=ルイスのパワーが他を圧倒する。新興宗教の偏執狂的にエキセントリックな教祖ポール・ダノの不気味さも素晴らしく、この二人が要所でみせるガチンコ勝負からは最後まで目が離せない。20世紀初頭から説き起こし、贅を尽くした邸宅の床にThere Will Be Bloodな虚無が流れ、未来を問うラストシーンの秀逸。

どのシーンどの画面を切り出しても隙のない、とことんリアリティーにこだわった絵作りは本当に見事だ。どこのどんな場面も画圧が高いというか、絵の力がスクリーンから押し寄せてくる。アン・リー、クリント・イーストウッド、コーエン兄弟。優れた映像で語りかけてくる作家は少なくないが、ポール・トーマス・アンダーソンは今や頭一つ抜けたところに到達している。エンドロールの最後に故ロバート・アルトマンへの献辞が流れるが、「マグノリア」なら、本質的には変化球投手だったアルトマンと同じだが、球質の重さ球筋まっすぐのゼア・ウィル・ビー・ブラッド。ど真ん中に放り込まれたアルトマンは草葉の陰でさぞや肝を冷やしたことだろう。アメリカ映画史が特別の場所をもって遇すべき大傑作。


余談だが、中途で聴覚障害者となったダニエルの息子は、それ以降手話言語を獲得し、言葉を一切発しなくなる。それは親子のコミュニケーションの不全、確執の問題として描かれている。たしかに、聾者が聾であることにアイデンティファイするために発語をしないことはある。今年になって、都が認可した全面的に手話による指導をおこなう聾学校が開校したのは記憶にあたらしい。確かにそれらはアメリカに発する流れだが、それは近年のことで、この映画が描いているのはヘレン・ケラーがアニー・サリバンと言葉とコミュニケーションの能力を拡大し、障害者の地位向上、啓蒙に心を砕いていた時代でもあることから、ダニエルは息子にとても先進的な教育を受けさせたと思われるのだが、作品の傷ではないが時代考証的には疑問を抱いた。

原題: There Will Be Blood
監督・脚本:ポール・トーマス・アンダーソン
製作総指揮: スコット・ルーディン、エリック・シュローサー、デビッド・ウィリアムズ
製作: ポール・トーマス・アンダーソン、ダニエル・ルピ、ジョアン・セラー
原作: アプトン・シンクレア
撮影:ロバート・エルスウィット
音楽:ジョニー・グリーンウッド
美術:ジャック・フィスク
出演: ダニエル・デイ=ルイス、ポール・ダノ、ケビン・J・オコナー、キアラン・ハインズ、
2007年 アメリカ 2時間38分
配給:ディズニー

2008/05/15

五月大歌舞伎 夜の部 四谷怪談

初めて見る四谷怪談。
伊衛門への一途な思いに可憐さも滲むかわいいお岩さんから、乳飲み子抱え良薬を毒とも知らず健気に飲み下し、面相崩れて夫の背信に身も世もない嘆きの果てに化けて出る。福助が見せるお岩さんの三段跳びは、情味の豊かさに清新さや溌剌感も、とりわけ悲嘆の表現は若々しい。

悪事を重ねる民谷伊右衛門がそれ程悪党に見えないのも、孫娘溺愛する年寄りのトコトン愚かな有様が、伊右衛門なんかよりよっぽど質が悪く見えるからだったりする。そうなのだ、愚かさは何より罪が深く、しかもかっこわるいのだと、思わず自戒させられる。歌舞伎は実に面白くためになる。色と欲とで次第に深みにはまってゆく伊衛門。吉右衛門が愛嬌と色気を適度にまぶしながら男のだらしなさや屈折を緩急自在に演じて、開き直りにも風格漂い、色悪というのは実にどうもかっこ良いのだ。うらやましい。

身元隠しのために顔面そいだり、大刀の一閃で生首がゴロゴロ転がり出たりと、えぐくも陰惨な場面続出だが、伊右衛門はもとより化けて後のお岩にも、緊迫した場面に息を呑む客席を一気にほぐす滑稽な味付けがとても効果的なのだ。戸板返しや提灯抜けなど舞台ならではの仕掛けも楽しかったが、舞台のお岩さんには、映画などで見知ったようなおどろおどろしい怖さが無いのは意外だった。こちらが摺れただけかも知れないが、鶴屋南北の時代には闇の深さとともにもっと恐ろしいお岩さんだったことだろう。

5.9 2F L8

2008/05/12

最高の人生の見つけ方

傍若無人な実業家と謹厳実直な自動車修理工。縁もゆかりも無い二人が余命半年と宣告された病院での呉越同舟。棺桶に入るまでにやっておきたいことをリストアップして旅に出る。
残された時間をどう過ごすか。切実でシリアスな高齢者問題。難病ものも合わせて近年増加傾向にあるこの手の作品。まず食指が動くことはないのだが、ジャック・ニコルソン対モーガン・フリーマンのヘビー級タイトルマッチとなれば話は別。

水と油ほどに違う親爺同士の掛け合いは、それぞれの持ち味をそのまま反映させた役どころ。眉毛の巧みな動かし方ひとつで人をくったワンマン実業家を怪演するジャック・ニコルソンに「ドライビング・Miss・デイジー」での鮮烈な登場を彷彿とさせる暖かみで応ずるモーガン・フリーマンといった塩梅で、懐の深さと人間味で見せる千両役者の揃い踏みは楽しく、見応え充分。

重い設定と胃にもたれそうなキャスティングを、ハリウッド得意の、凸凹コンビの珍道中という王道のフォーマットに落とし込んで、笑わせどころはたっぷりと、泣かせどころはスマートに、ロブ・ライナーは軽快なタッチでネガポジ反転させ、後味のよい大人のコメディーに仕立てあげた。

原題:The Bucket List
監督:ロブ・ライナー
脚本:ジャスティン・ザッカム
製作総指揮: トラビス・ノックス、ジェフリー・ストット、ジャスティン・ザッカム
製作:クレイグ・ゼイダン、ニール・メロン、アラン・グライスマン、ロブ・ライナー
撮影:ジョン・シュワルツマン
音楽:マーク・シェイマン
美術:ビル・ブルゼスキー
出演:ジャック・ニコルソン、モーガン・フリーマン、ショーン・ヘイズ、ロブ・モロー、
時間: 1時間37分
配給:ワーナー
2007年アメリカ

2008/05/06

薬師寺展 

聖観音菩薩立像、日光菩薩、月光菩薩の背面が拝観できる得難い展示、しかも東京でということで、大混雑を覚悟して行ったが、上野の人混みは予想を上回って、5月5日の貫禄を改めて見せつけられた。薬師寺展は45分待ちで入場。
     
聖観音菩薩立像、左右対象の安定感ある造形、裳裾の文様の美しさ、端正で品のあるまっすぐな仏さんである。両足に体重をかけて直立した聖観音に較べると、それぞれ片足に重心を移し、腰に軽いひねりを加えたポーズで立つ日光、月光菩薩像には余裕が感じられる。
     
リラックスしたポーズもだが、モデリングも伸びやかで肉付きが良く、全体に自由度の増した気配も窺える。背面は思いがけないボリュームの豊かさに驚いた。薄衣をまとった下半身、正面からは左右の脚に浅いドレープのような皺が美しく 刻まれている。背面に回ると、その薄衣は体側から尻にかけ左右対象できれいにプリーツされている。よくデザインされたシルエットの美しいコスチュームだ。優美で力強く清潔感とともに色っぽくもある薬師寺の日光月光像。時代を超えた着こなしの美しさでも輝いているようだ。

團菊祭五月大歌舞伎 夜の部

一、通し狂言 青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)
  
 白浪五人男
「知らざぁ言ってきかせやしょう」耳に馴染んだ台詞を、今回初めて舞台で見たが、いきなり頂点に押し上げるような一瞬の快感に思わず笑い出したくなるような心持ち。名台詞の威力を炸裂させる菊五郎の弁天小僧は、若侍に扮してお姫様をたぶらかし、娘に化けてペテンをかまし、正体ばれたと片肌脱いで、挙げ句に大屋根の上での大立ち回りの大活躍で大盛り上がり。團十郎は悠揚迫らざる受けの芝居で日本駄右衛門の大物振りを好演。若い頃は口跡が気になったが今はそんなこともなく喜ばしい。三津五郎の忠信利平も安定感と存在感で場面を引き締め流石。南郷力丸は結構な狂言回しで多彩に変化し出番も多い役どころだが、左團次は何か物足りない。赤星十三朗の時蔵はいつもの女形の演じ方との違いが見えないのが気になった。

様式美を極めた背景衣装演技に、一大スペクタクルな装置が加わり、荒唐無稽であり得ない展開のお話もまた、まさしく歌舞伎の醍醐味なのだと改めて感じさせる豪華で大胆、エキサイティングな娯楽大作。いつもは花道も見えぬ三階からだが、今日は一階ほぼ中央から一部始終をくまなく眺めて大満足。

二、三升猿曲舞(しかくばしらさるのくせまい)
松緑に奴四人が絡む短めの舞踊で弁天小僧の興奮をしばしクールダウン。楽しさの余韻に包まれて帰路についた。

2008/05/02

カラス




洗濯物を干しながら手の先にある電柱に目がいった。1
トランスにワイアが沢山絡まっているように見えた。2
一体どうしたのかと思ったら、カラスの巣だった。 3

こんな家が密集した、しかも通学路の真上で巣作り。
ここ数年、至近で見ることが多くなってはいたけど、
こんな処にまで生活圏を広げてたとは知らなんだ。

その昔、屋根の上のカラスと視線が合ったと思ったとたん、
カラスが一直線にこっちめがけて飛んできたことがあった。
この連休中は、赤ちゃん抱えて神経質になってるカラスと
目を合わさないように気をつける。