2007/06/23

プレステージ

メメントのクリストファー・ノーランが、クリストファー・プリーストの「奇術師」をバット・マン対ウルヴリンのマジック対決で映画化した話題作はスカーレット・ヨハンソンが華を添え、デビッド・ボウイが要所を締めるという構えの豪華キャスティング。

語り手や時制の錯綜を精緻な構成で読ませた原作は、思い切りよくばっさりと仕立て直されて、二人のマジシャンの相克と野心を、ステージパフォーマンスの対比に絞り込んだストレートな展開は、複雑で長大な原作の面白さをかなり犠牲にしていることは確かだが、その割には原作の味わいや雰囲気が損なわれることもなく面白くみせてくれる。技ありの映画化だ。

憎悪をぶつけ合う若い二人の間で、全体のバランスを調整する年寄りマジシャンは原作にはなかった映画用のキャラクターだと思うが、これをマイケル・ケインが渋く造形して、画面に豊かさと奥行きをもたらしている。お話は陰惨だし、ヒュー・ジャックマンもクリスチャン・ベールも恨み晴らさでおくものか的怨念と苦悩に満ちた役どころで、すっきりもさっぱりもしないもんだから、この狂言まわしを演ずるマイケル・ケインの枯れ具合が一層効果的だったこともある。マイケル・ケインを好んで起用するクリストファー・ノーランの計算は確かだ。トゥモロー・ワールドでも良かったし、最近のマイケル・ケインは本当に良いなぁ。

映画は意外とあっさりした結末で、これはこれで納得できるエンディングではあるし、あの原作、よくここ迄映画化したもんだと感心しつつ、だけど原作のエンディングの余韻を却って思い出してしまった。
本筋とは関係ないが、瞬間移動マシンに金銀財宝を放り込めば大概のことは解決できたのに、原作もそうだが映画もそれをやらなかった。なぜなんだ。

原題:The Prestige
監督:クリストファー・ノーラン
脚本:クリストファー・ノーラン、ジョナサン・ノーラン
製作:クリス・J・ボール、バレリー・ディーン、チャールズ・J・D・シュリッセル、
音楽:デビッド・ジュリアン
出演:ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール、マイケル・ケイン、デビッド・ボウイ
2006年アメリカ映画 /2時間10分
配給:ギャガ・コミュニケーションズ

300/スリーハンドレッド

BC.480年。100万ペルシア軍を迎え撃つスパルタ軍300人。鍛え抜かれた肉体に武具甲冑が良く映えた男達の玉砕振り。ヒロイズム全開の男達をストレートに格好良く描いたスパルタンなアクション。

グラフィックな効果にこだわった画作りは、原作も同じフランク・ミラーのシンシティー同様だが、密度が濃過ぎて圧迫感が強かったシンシティーに較べると、ビジュアルの悪夢度は薄く閉塞感も少なめの300人。

徹底抗戦のスパルタ王にレーガン支持のメッセージも読み取れそうだし、自我が肥大しすぎたペルシャ王にビン・ラディンを重ねることもできそうだが、肉弾相打つ果てしないバイオレンスと無邪気に積み上げられた死体には、どんなメーセージより、男というものの至らなさが図らずも露呈しているような、ちょい恥ずかしい、そんな感じなのだ。

監督:ザック・スナイダー
脚本:カート・ジョンスタッド、マイケル・B・ゴードン、ザック・スナイダー
原作:フランク・ミラー、リン・バーレイ
撮影:ラリー・フォン
音楽:タイラー・ベイツ
出演:ジェラルド・バトラー、レナ・ハーディ、
2007年アメリカ映画 /1時間57分
配給:ワーナー・ブラザース

星新一 1001話を作った人 最相葉月

日本SFの黎明をリードし、ショートショートの第一人者として名を馳せた星新一。母方の祖父は解剖学の権威小金井良精、祖母は森鴎外の妹、喜美子。父、一は一代で興した星製薬を国家的事業に育て上げた立志伝中の人物。

血統の良さと複雑な生育環境。国策に左右される父親の事業の浮沈。多感な青春時代の胸塞ぐ出来事。相続。事業からの撤退。やがて作家として認められ、日本SFの黎明を築き上げていく。戦中戦後から昭和平成へと生き抜いた男の足跡が、綿密な考証と冷静知的な筆致で描かれる。

SFとしてはクールでスマートな星より、もう一方の雄小松左京のスケール、ストーリー性が好みだったが、星新一は昔沢山読んだ。ショート・ショートも面白かったが、それより、正続「進化した猿たち」など、ミステリマガジンのページを真っ先に開いて読んだものだった。「祖父・小金井良精の記」も発売即買って読んだ記憶がある。作品から、真鍋博の挿絵もだが、星新一には理知的で淡白な人物像をイメージしていた。何れにしてもはるか昔のこと。自分にとって完全に過去の人として記憶の中に整理していた作家だ。

だが、ここに描かれた星新一は、初めて見る様に新鮮だ。星新一ってこんな人だったのか。何も知らなかったということが良くわかった。著者が星新一に寄せる共感の深さがよく顕われた記述。節度ある潔い文章は気持よく、分かりやすく、読みやすく、作者の気持がこちらの胸にストンストンと届いてきた。

「宇宙塵」「SFマガジン」と本格的なSFの勃興期に何がどのように進行していったかを説き起こしていく中盤以降のスリリングな展開は、資料的にもだが、あの頃を知る人には読み物として堪えられない面白さに溢れている。1001編のショート・ショートを作るという、前人未到とも空前絶後ともいえる偉業を達成した希有な作家と、その時代を鮮やかに描き、やがて静かな感動へ導いてくれる。


新潮社 07.03.30 初版
    07.05.20 五刷
    2300円

レオナルド展 アートで候展

6月9日
上野のレオナルド展にいく。開館前30分並んでご対面。遠くから徐々にアプローチしていく段取り。印刷物では感じなかったが、マリアの顔が誰かに似ている。あ、そうだ、藤田の描く女性のようだ。と思ったら何だか余計藤田的に見えてきた。藤田はきっとこのマリアに触発されたに違いないと、勝手に確信した。
洗礼名だってレオナルドであることだし。

1消失点の遠近法と空気遠近法の併用による奥行きの深い表現が視線を画面奥の白い山へと誘導する。この山が異様に強い存在感を発揮していて、つい見入ってしまう。画面を横切る白い石塀を横棒に、山へと一直線に向かう視線は縦棒とすれば、ほとんど十字架を真上から俯瞰したような構造の空間でもある。
受胎を告知されたマリア。キリストの受難が不可避となった瞬間。マリアと対峙するガブリエルの不気味な表情は、この母子の行く末を幻視した故のことなのか。この瞬間から始まったキリストの歩み。幾多の苦難を越えて歩みを進め、受難へと向かうその生涯を暗示するかの様に、謎めいた白光に包まれた山が、輝きそびえ立っている。

レオナルドの次は上野の森美術館、アートで候展に急ぐ。今を時めく山口晃と会田誠の二人展。実に楽しみにしていた展覧会でもある。ミーハー的に山口目当てで出かけたがそれを上回る素晴らしい山口晃。会田誠の毒と腕力には押し倒された感じもある。絵が上手いということは実に大したもの。大友克洋、松本大洋、山口晃こうした画狂人たちが提供してくれる快感に浸る喜び。

上野を後に東京駅から新木場経由お台場。ノマディック美術館グレゴリー・コルベール展。
少年と象、鷲と女性クジラと男などで組み合わさった、人と動物のシンプルかつダイナミックな交歓の様子をムービーとスチールで捉えた作品の展示。ピュアな存在としての人と動物の有り様を見つめ直す。そんなメッセージがストレートに顕わされている。とても周到な準備と入念な演出の上に成り立っているのが良くわかる。作品はファッション写真のように美しく、劇的かつ感動的な光景が切り取られている。きれい過ぎるし、計算も過ぎていて、見る程に気持が冷めてしまった。カメラに写っていない事象の方により興味関心が向うような気分になってしまった。作品のナイーブな気配と入場料の高さの折り合わなさにも、いかがわしさが感じられるようで、この作品展は見込み違い、計算違いだった。

2007/06/10

三人吉三  シアターコクーン


初めて見る歌舞伎がコクーン歌舞伎というのは変則的とは思うが、成り行きまかせはいつものこと。敷居の高さ、木戸銭の高さに身構えてしまう体質も幾つになってもなおらない。

それより相手の正体見極めとこうと予習にいそしんだ。テキストは「マンガ歌舞伎入門 下巻」歌舞伎十八番の演目の物語をマンガで紹介し、見所、ポイントが解説されたガイド本。以前、松井今朝子の全著作収集を目論んだ際に購入した古本が役に立つ。

河竹黙阿弥作「三人吉三」。思いもかけない因果の糸に結ばれた登場人物達。節分の夜をきっかけに20年来の糸のもつれが一挙に顕在化し、報いの連鎖が結実していくという誠に陰惨な話。

臆面なさ過ぎな設定と展開という突っ込みはさておき、ダイナミックと言えばダイナミックな作劇は七五調の名台詞、構成の緻密さも相俟って、「江戸期を通しての戯曲のある種の到達点を示している」と解説にある。ふーん、そうなんだ。様式のさせる技とはいえ、それにしても濃厚すぎる親の因果と子の報いではある。

シアターコクーン1階は椅子が取っ払われて桟敷もどきの平場席になっている。場内は飲食禁止も解禁。こちらも早速弁当、団子、飲み物購入。いやぁ、飲み食いには芝居見物の楽しさも倍加するってもんだ。しかし3時間以上の長丁場、平場座布団1枚の見物は足腰に負担がきつく、椅子席がまことにうらやましい。

さて、初見の歌舞伎は1から10まで物珍しく面白く、時間の経つも随分早く感じられた。何より、役者の器量、所作の美しさに目を奪われるというか、勘三郎の愛嬌と風格、福助、七之助の女振りの美しさ、橋之助、勘太郎の端正な佇まい、亀蔵のユーモアと面構えなど印象的だった。歌舞伎流の色彩と形、動きが洗練を極めているのも感動的だった。映像や写真ではついぞ分からない、生の魅力と迫力というものを体感し実感できたのは何よりの収穫だった。

所作の一つ一つ、リアリズムからは不自然とか滑稽とかしか言いようのない見栄や六法にしても、全ては、絵になることを目指して計算を尽くした上に成立し続けている様式、これこそが歌舞伎流のリアリズムなのだと納得がいった。

何処を切っても、見事に絵になっているようにしつらえた舞台の有り様。サービス精神とも矜持の現れとも取れるがどっちにしても気持のよさに変わりはない。こりゃすごいや。歌舞伎が昔に変わらぬ人気を集めているのさえ頷けるような心持ちになっている。

悪党が入り乱れ、百両の金が象徴する因果の糸が絞り込まれて、悪には悪のいい分もあるが、輪廻の歯車がぐるりと動いて、どうすることも敵わぬ悲劇へとなだれ込んでいく。破滅へ向かう三人吉三の、すべてを浄化するように、真っ白な雪が降りつのる。

歌舞伎本来の演出が分からないのがしゃくなのだが、ここは串田和美、中村勘三郎のコンビ面目躍如の弾けっぷりではないか、降りつのる雪の量が半端でない。その物量には観客のカタルシスを一層高める効果もある。いってみれば、雪は登場人物を浄化しつつ、大胆過剰な量によって舞台と客席を一括りにして昇華させてもいるようだ。それにしたってただ事でない雪まみれの演出には笑わせられたが、あっぱれな幕切れには違いない。

三人吉三(さんにんきちさ)

河竹黙阿弥 作
串田和美  演出・美術

  和尚吉三 中村 勘三郎             
  お嬢吉三 中村 福 助             
  お坊吉三 中村 橋之助
   十三郎 中村 勘太郎              
   おとせ 中村 七之助    
研師与九兵衛 片岡 亀 蔵           
土左衛門伝吉 笹野 高 史

2007/06/03

パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド


上映時刻には1時間以上あったのに希望の席は取れなかった。公開から1週間後の金曜日、レイトショーの客席は6割方埋まっている。大ヒットシリーズの完結編は流石の動員力だ。予告編もダイハード4.0、トランスフォーマー、ライラの冒険、アポカリプト、ハリーポッターのニューバージョンと豪勢なラインナップで気分を煽ってくれる。やー、週末の解放感に楽しさも増幅され、期待も膨らむ完結編のはじまりだったのに。

東インド会社の暴虐に、伝説の海賊の集結以外に道はなく、ジャック・スパロウの救出こそが急務となった海賊達という滑り出し。エリザベスのシンガポール潜入から世界の果てへと観ているうちに、いつの間にか寝てしまった。歳のせいとも1週間の仕事の疲れとも言い訳は何ともできるが、ここで寝てしまうのは我ながら情けない。
しかし、映画を観ながら寝てしまうのは気持がいいのだ。特に、今回のようにいつ寝てしまったか分からないのが一番いい。それはともかく、気がついた時には話が相当飛んでしまっていてた。だからといって特に困ることもなくお話についていけるのがこの手の映画のいいところでもあるんだけど。

寝ていた立場から言えば、騒々しかったこと。主要なキャラが多すぎてお互いつぶし合っていること。悪党も多いし、コメディーリリーフも多すぎる。結果的に、ジョニー・デップが出てくると画面が退屈になってしまったのは、全てをもりこみ、全てを派手に絵造りした、総花的な脚本、演出の弊害というか計算違いではないか。

舞台がワールド・エンドということなので仕方ないのだが、陰鬱な世界に終始し、突き抜ける青空と紺碧の海に輝く緑の島々という、海賊映画ならではのカリビアンな光景が封印され、明るさは陰鬱さに、解放感は閉塞感へと置き換えられたのは残念。エンディングもロマンティックだとは思うが、シリーズ全体のトーンからすれば重すぎる。爽快感の不足が惜しまれる完結編。全部観てないけど。

原題:Pirates of the Caribbean: At World's End
監督:ゴア・バービンスキー
脚本:テッド・エリオット、テリー・ロッシオ
製作:ジェリー・ブラッカイマー
撮影:ダリウス・ウォルスキー
音楽:ハンス・ジマー
出演:ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイ、チョウ・ユンファ、ジェフリー・ラッシュ、ビル・ナイ
アメリカ映画 /2時間50分
配給:ブエナビスタ