2010/12/26

ノルウェイの森

村上作品の中で最も映画向きなのは「羊をめぐる冒険」で次に「ダンス・ダンス・ダンス」だと思う。「ノルウェイの森」は洗練された変化球を得意とする村上にしては珍しい真っ直ぐな球筋の、言ってみれば肉を斬らせて骨を断つ類の作品だから、おされな映画の原作には最も向いていないように思うが、それはともかく、村上の長編が映画化されるなんてことは予想だにしてなかったから、今回の映画化が報じられた時には結構驚いた。松山ケンイチと菊池凛子というキャスティングには違和感を覚えつつ、フランス人監督が料理するという意外性が作品にどんな作用を及ぼすかってことには興味がわいた。

あれから幾星霜、めでたく完成公開なった作品を観に行ったのである。原作に思い入れがある分、カンヌで好評なんて記事に期待感そそられたりもする一方で、がっかりしたくないもんだから、多分駄目で当然であらうなどと予防線を張り巡らしたり。歳はとってもファン心理というのはやっかいである。 

こんな気分で見始めたら、案に相違して松山ケンイチなかなか良いのである。懸念していた菊池凛子も全然悪くないのである。むしろ良いのである。自死した男の恋人と親友とが取り残された故の理解と共感を深めていく前半の静けさと美しさが特に良い。水原希子もピュアな様子が自然なのだ。うれしい誤算。やっぱり予断偏見を覆して貰えるのはいい気持ちだ。 

ところが、悲劇性を深めていく後半になると、何と言うか、ワタナベの精神性に深みが感じられなくなっていくのである。海辺の慟哭からアパートでの同衾以降は、それこそワタナベという存在の核心が描かれるのだが、何と言うか、それがセンチメンタルなだけで説得力に乏しいのである。最後の台詞なども原作に忠実なのに、妙に安定感があって切実さの質がどうも違う。結局、森の外縁部を逍遥するにとどまり、森の奥まで踏み込んでいないもどかしさがある。 

そんなわけで、「ノルウェイの森」は丁寧に作られ、原作の静けさ美しさをよく反映した見栄えのよい恋愛映画になってはいる。糸井重里、 細野晴臣、高橋幸宏のゲスト出演なども、オシャレでスノビッシュな雰囲気作りに寄与してはいるのだろうが、それが作品のプラスになっているかと言えばそんなことはなく、むしろこの作品の限界を象徴しているように見えるのだった。 

自分ではちゃんと道筋をたどっていたつもりのワタナベが、知らぬ間に森の深奥部にさまよい、気がつくと自分が何処に向かっていたのか、ここがどこなのか、確かな手がかりなど何も無いまま、いつまでも途方にくれている。その途方にくれている感の希薄さが残念なのである。 
自分好みにキャスティングするなら、ナオコとミドリは水原希子と菊地凛子を逆にし、キズキは加瀬亮、永沢はARATAに配したい。