2007/05/04

ヘンリー ダーガー展 「少女たちの戦いの物語—夢の楽園」


1892ー1973  4歳で母と、8歳で父親と死別。知的障害児の施設に移されるが16歳で脱走。その後は一生を通して皿洗い兼掃除人として働きながら、1973年81歳で孤独のうちに生涯を閉じる。死後、部屋からタイプライターで清書された1万5145ページの戦争物語『非現実の王国で』とそのために描かれた300余点の大判の挿絵が発見され、その生涯と独創的な作品が注目を集める。

公序良俗に反する、と言っていい。
雑誌から切り抜かれ、カーボン紙でトレースされた少女達。世界は完全武装の兵士達と少女達で成り立っている。超ワイドな縦横比の画面に、ロリの変態かと見紛うヤバさのまま、パノラミックに繰り広げられるイメージの数々。

自作の物語に即した挿絵は大がかりなきいちの塗り絵のよう。何年にも渡って描き連ねてきた作品は、様々なサイズの紙を張り合わせ、全て同じ大きさに統一されている。それだけでも異様だが、更に驚いたのは紙の裏表にびっしりと作品が描き込まれていたこと。

戦う少女たちのイメージもその技法も一つ一つは月並みだが、組み合わせ方によって他に例を見ない独創的な世界が生まれている。

世間との接触は必要最小限度にとどめ、自分の空間で妄想と幻視を極めた男。溢れるイメージを描き出すために、紙を集め、しかるべきサイズに張り合わせること。用意が整った紙面に少女達のイメージを存分に描き込んで行く時間が、どれ程の至福をもたらしたか。生前、膨大な作品を誰にも見せることの無かったという事実が、その至福の濃密さを何より雄弁に物語っている。

妄想と幻視を、作ること、描くことの純粋な喜びに昇華した男の一生。引きこもりの大いなる先達が愛して止まなかった少女達の戦いも、作者の死後 30年を経過した今現在、一層のリアリティーをもって展開されていることを思えば、彼は幻視者などではなく、筋金入りのアウトサイダーだったかと納得がいった。

原美術館 http://www.haramuseum.or.jp/generalTop.html