2006/10/02

センセイの鞄 川上弘美


気が向けば、一人気兼ねなく、心おきなく酒を楽しむ。月子さんの通い慣れた居酒屋は、その昔、高校生だった月子さんの国語教師の行きつけの店でもあった。ふとしたきっかけから飲み友達となった元教師と元生徒。会えば楽しく杯を重ねるし、会わなきゃ会わぬで過ぎてゆく。そんな風に始まった居酒屋のお付き合いだったけれど、せんせいと飲む酒の旨さと時間の豊かさ、そのかけがえのなさに、いつしか月子さんは思い至る。超然として揺るがぬように見える、謹厳なせんせいにしても、それは同じなのだった。

月子さんもせんせいも繊細で背筋がスッと伸びている。何より川上弘美の文章がそのような文章なのだ。見慣れた光景から異質な風景を切り出すカメラマンのように、ありふれたことも、思いがけない描き方で新鮮に見せるのだ。居酒屋の場面が楽しい。ごく普通の日本酒の、枝豆や豆腐の美味さが、じわっと伝わってくる。

親しい程に、親しくなければなおさらに節度と品位が必要だろう。月子さんもせんせいも居酒屋の主人も、それを失わない。月子さんとせんせいはお近づきになりたいが、節度と品位を乗り越えるにも節度と品位を捨てられない。作用と反作用。星のフラメンコ。そこから漂うエロティックな空気が、清冽で濃密というような相反する曰く言い難い魅力で作品を支配している。物を食うせんせいの口元に隠れもない老いを見る月子さんはどう思うか。老醜と嫌悪するなど論外、自分もあのような口元になりたいと、発作のような激しい思いに囚われるのだ。凄い。
そんな月子さんに、せんせいはいいこいいこと優しく頭をなでるのだ。川上弘美の優しく厳しく潔いエロティシズム。谷崎潤一郎賞受賞、文句のつけようも無い。

文春文庫 06.5.15 9刷

国家の品格 藤原正彦

世界的に見て、先進諸国は軒並み社会的荒廃を招いている。それは西欧的合理主義、理論的思考の限界に他ならないのじゃないか。戦後、日本も合理主義、市場原理で突っ走ってきたが、論理的な整合など前提次第でどのようにも変わるものだし、民主主義が結果の正しさなど保証するわけもない。国際社会に対応できる人材育成のために小学校から英語を教えようという、これも立派な理屈だが、果たしてそんなことから世界に通用する国際人が育てられるものだろうか。理屈に頼っては躾だってままならないというものだ。

ではどうすれば良いか。形を尊び豊かな情緒を育んできた日本の文化伝統の中にその答えはある。日本の古来の価値観、世界観の復権こそ、いまや国を挙げて取り組むべき課題ではないか、より具体的には新渡戸稲造の言う「武士道」の精神に学ぶべきはある。もとより、日本人は敗者への共感、弱者へのいたわり、惻隠の情を以て世に対してきた。そうした行き方を取り戻すことが、国家としての品格をより高めていくことに通じるのである。

といった論が、著者が数学者として内外で生活した経験の中から、豊富な事例、エピソードを交えながら展開される。平易な語り口に適度なユーモア。口当たりが良くて分かりやすい。面白くて説得力があるしベストセラーも当然だと思った。

著者の主張は尤もだと思う。異論も反論も特にない。ましてや、もう何十年にわたり「卑しい街を行く高貴な騎士」だと作者が認ずる探偵をアイドルとしてきた身であるから、武士道だろうが騎士道だろうがさしたる抵抗はないのだが、私立探偵が騎士気取りで街をほっつき歩く分にはまだしも、国家のあり方を論ずるのに武士道持ってこられてもなぁーって気は、どうしてもするのだった。

奥付きの著者紹介に、新田次郎と藤原ていの次男とあって、これにはびっくりした。

新潮新書 06.4.10 23刷

東京タワー   リリー・フランキー


東京タワー リリー・フランキー
親子、家族の有り様も時代と共に変化する。尊属殺人に恐れおののいたのも今は昔。父性も母性も昭和のノスタルジーかと思えるような幼児虐待の報道も、こう日常茶飯ではニュースバリューも下落する。

こんな時代だから、名前を書けば死んでしまうノートブックの秘密を巡る物語に引き込まれる事もあるし、一方では癒しや感動を求める気持ちも強くある。そんな次第で、感動必至、号泣必至と言われると手が出る。

東京タワー オカンとボクと、時々、オトン リリー・フランキー
このタイトル、副題、著者名の字面から受ける感じからは、ちょっと軟派系の切なく情けないような話かとの予断があった。はじめのうちにこそ、そんな雰囲気もあったが、どうしてどうして、これは北九州の大先輩「花と竜」の直系の子孫とも言うべき無頼の精神に貫かれた、堂々たる硬派の物語だったのが意外だった。

九州発、花と竜、青春の門の流れを汲む青春サクセスストーリーとしても良くできている。語りも巧いしタイトルが憎い。

何より、この本の大成功によって、著者自身がマイナーから一挙に大ブレークしたこと。本に描かれた結末にさらなる増刷が加わり、現在進行形のライブ感溢れるジャパニーズドリームと化したのは、作者の意図を遙かに超えて、この作品をきらびやかに変質させているようだ。

非道、行ずべからず 松井今朝子


文化六年巳歳の元日、年頭恒例の舞台も無事済んだその夜、江戸随一の芝居小屋中村座は、隣町から押し寄せてきた火の手に焼け落ちた。翌朝、焼け跡に立った太夫元十一代目中村勘三郎が今後の方策を思案する間もなく、焼け残りの行李から男の他殺体が発見される。

北町同心と同心見習いの二人、ベテランと新人コンビが挑む江戸最大の芝居小屋に繰り広げられる連続殺人事件。今に続く歌舞伎の、江戸時代の名人上手はどんな舞台を作っていたのか、芝居小屋はどう運営されていたのかなど、芸道ものバックステージ物としての興味深い蘊蓄、エピソードをミステリの流れに巧く溶け込ませている。

非道、行ずべからずとは、斯道を全うしようと思うなら、他の事しておっつくもんじゃないよ、ってことらしい。芸人たるもの芸に生きるのが本分。人の道より芸の道ってのは当然のこと。という世界の面白さが、多彩な、味わい深いキャラの魅力とともに描き込まれて、深みと奥行き、懐の深さを感じさせる面白さ。

作者は京都の出身で長く松竹で歌舞伎の興行に携わっていたらしい。ベタつかないけど優しさを感じさせる人間の描き方がクール。きりっとしてメリハリも効いた文章も魅力的だ。直木賞候補作ということだが、落選というより、直木賞とれる程つまらなくないというところかな。全作読む。

05年4月25日 1刷  集英社文庫 838円

2006/09/18

天使と罪の街 マイクル・コナリー

コナリーは良い作家で技巧を尽くすが、それほど巧い作家ではないと思っている。どんでん返しもディーバーが華麗ならコナリーは泥臭い。技巧的だがどこかアマチュアっぽい。しかし、それは持ち味であって決して短所ではない。セックスが下手だからってなんだてぇんだ、熱いハートこそがボッシュの生命線なんだし。

だけど、前作でバッジの無いボッシュは、敏腕プロデューサーのオフィスで自分をみすぼらしく感じたり、元同僚の妻への疑念から恥ずべき盗撮を行うなどの情けなさ。危惧すべき兆候が明らかだった。こんなボッシュは嫌だと思いながら読み終えた。長年に渡って共感を深め、無条件に支持してきたから、辛さも寂しさも覚えた。

「天使と罪の街」は、ポエット、マッケイレブ、ボッシュを一挙にやっつけちまおうという魂胆の野心作。マッケイレブが嗅ぎ付けたポエットの痕跡を、ボッシュが追うというプロットを、一人称と三人称の視点移動で構成していくという凝った作り。お馴染みのキャラクターの活躍で上巻過ぎれば面白さ更に加速し、後半はぐいぐい読ませる。コナリー、流石なのだ。

でもね、読んでる時は楽しくても、読み終わった後に感じるのは、どちらかと言えば面白さより。面白くなさ加減なのだ。失望と言う感じが近い。こうなるとコナリー好みの楽屋落ち的オールスターキャストも、却って子供っぽく感じてしまう。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いか。それはともかく、

「ポエット」はとても良くできた作品だったが、今回は犯人からしてとても同一とは思えない動きの悪さ。FBIもポエットも、何をどうしたいのか分からないように見える。ポエットの狙いも行動もよく分からないまま、何故か自分のことで精一杯のボッシュだけが常に1歩先を読んでリードする。

ボッシュは流れる時間の中にいる。チャンドラーのリアリズムを受け継いだ変化するキャラクターだ。警官を取り締まる警官は一体誰が取り締まるんだと、内務監査を目の敵にするパブリック・アイ。そのセンスがボッシュの魅力だ。そんな男が警察を辞め、一体どんなプライベート・アイになったものか。それがシリーズ後半の肝。だと思っていたが、コナリーはあっさりとロス市警に復帰させる。大変結構だ。今時、ボッシュの望むような社会的使命を果たすに、私立探偵はあまりに非力だ。警官に戻るのは必然性がある。警官であり続けるのは二村英爾もしかり。それがチャンドラーの言うリアリズムに合致するってもんだ。

ただ、前作同様このボッシュには首をかしげる。マイクル・コナリー焼きがまわったとは思いたくないが、次作は納得できる展開を是非、迷える読者に与えて欲しいと願っている。

講談社文庫 上771円 下648円 06.8.11 1刷  

ユナイテッド93


2001年9月11日朝8:46、世界貿易センター北棟にAA11便が突入。9:03にはUA175便が南棟を直撃した。墓石と化した摩天楼を映すCNNに世界が震撼していた頃、9:37AA77便がペンタゴンに激突。4機目は依然飛行中だった。

管制から逸脱する不審機が複数のハイジャックへと発展し、更にあり得ない破壊行為へとエスカレートしていく混乱に、極限の対応決断を迫られる航空管制官達、軍関係者等の闘い。離陸から墜落までのUA93便の機内で繰り広げられたであろう闘いがタイトに描かれる。

ハイジャックされた4機の中、唯一、標的を捉え得ずペンシルバニア州ジャクソンビル郊外に墜落したUA93便が、サンフランシスコに向けてニューヨークを飛び立ったのはAA11便の突入に先立つわずか4分前の8:42。そこから墜落した10:03までを通して描かれた9.11。

緊迫感漲る航空管制官達の交信。リアリティーある93便の乗員乗客犯人達の人間描写。緻密な構成とシャープな映像の、見事に迫真的なドキュメンタリータッチで描き出された9.11の全貌。
ポール・グリーングラスの、痛みと共感と祈りの深さに裏付けられた秀作である。

原題:United 93
監督・脚本:ポール・グリーングラス
撮影:バリー・アクロイド
音楽:ジョン・パウエル
出演:ベッキー・ロンドン、シェエン・ジャクソン、チップ・ジエン、クロー・シェーン、クリスチャン・クレメンソン、
2006年アメリカ映画/1時間51分
配給:UIP

スーパーマン・リターンズ 


クリプトンに帰省したスーパーマンが地球に帰還した時、既に5年の歳月が流れていた。この間、ロイスは「スパーマン不要論」でピューリツァー賞を受賞!さらに結婚して1児の母となっていたのだった。果たして、今の地球にスーパーマンの居場所は有りや、ってところから始まるリターンズなのである。

正義と真実のため、日夜戦い続けてきたスーパーマンにしてこの扱いなのである。愛する人は子持ちの人妻となり、その上存在さえも否定されるのである。スーパーマンも人の子であれば、こんな仕打ちに耐えかねていっそダークサイドに身を投じたとしても不思議はない。そうなったとして、一体どこの誰がこの超人を責めることができようか、てなもんである。

がしかし、我らがヒーロー界にあって、頂点に君臨する男はそんな眼にあっても決してグレたりしないのだ。恨まず腐らず悪びれず、ただ正義と真実を守る為に、人々が必要と言ってくれる日を信じて身を粉にして闘うのである。ヒーローも生き難い時代への対応を迫られる嫌な時代に、愚痴ひとつこぼすでもなく自分の使命を果たそうとする。立派だ。

出世作Xメンの演出よりスーパーマンを選んだブライアン・シンガーだが、巻頭から透過3Dのタイトルロゴ、ジョン・ウイリアムズのテーマ曲、マーロン・ブランド、ジェフリー・アンスワースの麦畑等々、次から次に繰り出されるイメージは1978年のリチャード・ドナー版スーパーマンへの敬意に満ち満ちている。

あれがほんとに大好きなんだなぁという感じが色濃いが、でも、全然構わない。ヒーローはよりパワフルだし、助走なしのフライングもスピードと安定が増して格好良いい。ケビン・スペイシーのレックス・ルーサーもジーン・ハックマンより大物感があって大変結構。ロイスがもっと魅力的だったら、切なさ増した結構な大人の恋愛映画にもなったものを、と惜しまれた。



ちなみに、76年「キングコング」77年「スター・ウォーズ」78年「スーパーマン」という順序で制作公開された3作品、約25、6年たって、時を同じく完結、リメイクってのはシンクロニシティーかノスタルジーか企画の貧困か単なる偶然か分からないが、何かと興味深い。


原題:Superman Returns
監督:ブライアン・シンガー
脚本:マイケル・ドアティー、ダン・ハリス
撮影:ニュートン・トーマス・シーゲル
音楽:ジョン・オットマン
出演:ブランドン・ラウス、ケイト・ボスワース、ジェームズ・マースデン、フランク・ランジェラ、エバ・マリー・セイント、ケビン・スペイシー
2006年アメリカ映画/2時間34分
配給:ワーナー・ブラザース映画

2006/09/10

Xメン/ファイナル・ディシジョン


自分の命と引換に仲間を助けたジーン。ジーンを失ったXメン達は立ち直れずにいた。そのころミュータントを無力化させる新薬が開発される。マグニートーは危機感を募らせ、プロフェッサーとの対立は一層激化し、全面戦争に突入する。しかし、Xメンの前に立ちはだかったのは他でもない、超絶的な怒りのパワーとともに蘇ったジーンその人だった。

いや、参りました。最高かこいい。
あの人もこの人もバタバタと消えていく劇的な展開だが、行動の心理的裏付けがしっかり描かれているからドラマが盛り上がる。ドラマが盛り上がるから超能力戦に一層の説得力が生じ、見せ場が見せ場としてのドラマ的意味と視覚的価値を発揮している。緩急も観客の心理によく対応し、無理なく乗せられる。乗せられたままあり得ない怒濤のクライマックス。超絶サイキック戦のVFXを最後の泣かせる大芝居へと見事につなげた技にも痺れた。

シリーズ前2作のブライアン・シンガーが「スーパーマン」へ、「スーパーマン」をやるはずだったブレット・ラトナーが「Xメン」へと変わったという事情があったらしいが、どちらも素晴らしい仕上がりで誠に喜ばしい。ブレット・ラトナーには大満足だ。

原題:X-Men: The Last Stand
監督:ブレット・ラトナー
脚本:ザック・ペン、サイモン・キンバーグ
撮影:ダンテ・スピノッティ
音楽:ジョン・パウエル
出演:ヒュー・ジャックマン、ハル・ベリー、ファムケ・ヤンセン、イアン・マッケラン、パトリック・スチュアート、
2006年アメリカ映画/1時間44分
配給:20世紀フォックス映画

2006/09/03

グエムル/漢江の怪物 


白昼、河川敷の市民は突然正体不明の怪物に襲われる。蹂躙を尽くした怪物は多数の死傷者を残し漢江に姿を没し、市民はウイルス感染の恐れから強制隔離される。怪物に一人娘を殺され、悲嘆にくれる父親に当の娘から携帯に連絡があり、当局に訴えるが取り合ってもらえない。娘の生存を確信した家族は独力での救出に立ち上がる。

前評判の高い韓国発怪獣映画は、怪物相手に孤軍奮闘する家族の姿を通して、家族の素晴らしさと情けない中年男の自立と再生とを描いている。それ自体に何の異論もないが、シチュエーション設定やキャラ造形の全てがその一点に向けられていて、怪獣の魅力はおいといて、はなはだ興をそがれた。

相当な人的被害が出てるにもかかわらず、怪物に対するマスコミ警察軍隊の反応がウイルス汚染対策だけというのでは、タマちゃん一頭で連日大騒ぎをした日本国民を説得するリアリティーには欠ける。ソン・ガンホの駄目オヤジ振りも、巧みな程にかえってあざとくも感じらる。

カメラに写っているところはしっかり描かれているが、その裏で世界がきちんと機能してる様子はなく、テーマに都合の良いようにしか動いていないのが弱点。止めの一撃で人間と怪獣の体重差が考慮されてないのも象徴的なのだが、要は個と全体の描き方が感情的すぎ、バランスも悪いのだ。

怪獣の造形と生態は見応えがあり、お祖父ちゃんと孫娘と叔母さんはとても魅力的。

英題:The Host
監督・脚本:ポン・ジュノ
脚本:ハ・ジョンウォン、パク・チョルヒョン
撮影:キム・ヒョング
音楽:イ・ビョンウ
出演:ソン・ガンホ、ペ・ドゥナ、ヒョン・ヒボン、パク・ヘイル、コ・アソン
2006年韓国映画/2時間
配給:角川ヘラルド映画

マイアミ・バイス


マイケル・マンがTVシリーズの製作総指揮だったとは知らなかった。それにしては、と言うべきか、だからというべきかTVとは随分違う。オリジナルが陽気な洒落者コンビだったのに比べると、ジェイミー・フォックスとコリン・ファレルは陽気でもなけりゃ洒落てもいず、笑顔のひとつみせるでもなく、ジョークのひとつも口にすることなく、正体不明の麻薬王をあぶり出すべくシリアスにハードな潜入捜査に邁進しするのだった。

前作「コラテラル」が快調だったマイケル・マン、その余勢をかって自らのヒットシリーズをリニューアルという感じなのだろう。スタイリッシュな画作りで力の入った演出なのだが、いまいち盛り上がらないのだなぁ。それというのも、コリン・ファレル、ジェイミー・フォックス、コン・リーに魅力がない。いつまでたってもちんぴら感が消えないファレルがやたらいきがって、しかもむさ苦しいし、コン・リーのキャリアウーマン風には輝きもなけりゃ説得力もない。

ストーリーと主演の3人を除けば、魅力的な画は随所にある。壮大に盛り上がった雲間を飛行するプライベート・ジェットと捉えたグラマラスなショット。イグアスの滝の大俯瞰も素晴らしい。マイケル・マンのタッチは悪くないのだが、脚本がもっと良くて、主役三人全取っ替えで、ゴージャス感があって、あと30分短かったら楽しめたこと請け合い。

原題:Miami Vice
製作・脚本・監督:マイケル・マン
製作:ピーター・ジャン・ブルージ
撮影:ディオン・ビーブ
音楽:ジョン・マーフィー他
出演:ジェイミー・フォックス、コリン・ファレル、コン・リー、
2006年アメリカ映画/2時間12分
配給:UIP